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【 Sunday Cloth 】 [アメリカ]

【 Sunday  Cloth

オヒョウは、素朴でまじめなアメリカ人の考え方や生活様式を知りたければ、ローラ・インガルスの「大草原の小さな家」を読むべき(または見るべき)だと思います。 現代に照らし合わせれば、古臭い考え方である事と、いささかお説教臭い点を除けば、誰もが共感できる話が登場します。

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マイケル・ランドンが主演したTVドラマは、一時期NHKで放送され好評を博しました。このTVドラマは世界中で放映されたようで、諸外国の人々がアメリカ人を理解する上で、大変役にたったのではないか?とオヒョウは考えます。

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米国に限らず、その国の人々が規範とする考え方や生活様式を知りたければ、貧しい人の暮らしを見る必要があります。 なぜならお金持ちはどの国でも似たり寄ったりで、生活スタイルも同じで、国による差がないからです。しかし、生活臭の漂う一般庶民の場合は、国ごとに、いろいろなものが違います。

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トルストイは「アンナ・カレーニナ」の冒頭で「 幸せな家庭はどこも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である 」と述べていますが、それと同じように、国による違いや特徴が顕著になるのは、庶民の暮らしです。

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「大草原の小さな家」の主人公一家は、決して豊かではありません。しかし高い矜持を持ち、まじめな生活を営んでいます。そこに人々は共感し、しばしば尊敬し、親しみを感じます。

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その「大草原の小さな家」の一場面で覚えているせりふがあります。母親(声は日色ともゑ)が娘たちに「さあ日曜日の服を着て教会へ行くのよ」と語る場面です。 その頃、中学生だったか高校生だったか・・のオヒョウは「あれっ?」と思いました。ちょうど、英語の授業で、「Sunday Cloth」を「晴れ着」と訳すことを学んだばかりだったので、怪訝に思ったのです。

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原文は「Sunday Cloth」で「晴れ着」と訳すべきところを、翻訳者は間違って直訳したのかな?と思ったのです。ちなみに翻訳は森みさ氏です。彼女は額田やえ子氏についで、オヒョウの好きな翻訳者です。

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あの場合、「Sunday Cloth」を晴れ着と訳すべきか「日曜日の服」と訳すべきかは・・・オヒョウが、ずっと引っかかっていた点でした。今は、一応の結論を出しています。

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実は、米国滞在中、オヒョウの暮らしたアパートの後ろには、教会があり、日曜日に、人々が集まっていました。 彼らは晴れ着というと大げさですが、男女ともそれなりのスーツを着ていました。 その姿を見て「ああ、『Sunday Cloth』は『日曜日の服』と訳すのが正しく、『晴れ着』とするのは意訳のしすぎだ」と理解したのです。

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敬虔で素朴なアメリカのキリスト教徒にとって、日曜日の礼拝に参加することは、欠かせない重要な儀式であり、その時は、晴れ着とはいえないまでも、多少フォーマルな、作業着(野良着)ではない服を着るのがマナーです。

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生活が貧しくても豊かでも、そこに一種のドレスコードがあり、場面場面で服装を換えるというのは、人々の精神性を考える場合、重要なことです。本当に貧しい社会では人々は着たきり雀にならざるをえませんが、そうでない場合、社会との約束を守り、服装という記号で意思表示を行うという事は、実はその人々が(精神的には)貧しくない・・・・ということを示します。

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ローラ・インガルスは、「実は私の少女時代は(精神的には)貧しくなかったのよ」・・と言いたかったのでしょう。

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そんな昔の話が、先日、オヒョウの頭にフラッシュバックしました。親しい人たちと飲んだ時に、カラオケでS部長が十八番の越路吹雪を歌ったのです。 

曲は「ろくでなし」。そこには「平日なのに晴れ着を着て出かける」という歌詞があり、ドレスコードを破る事で、自分を非常識な人と思わせる場面があります。

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作詞は岩谷時子氏です。「ああ、彼女も森みさ氏と似た感覚を持っているのかな?」と思いました。 晴れ着=日曜日の服 という感覚です。しかし、マイケル・ランドンも越路吹雪も、とうの昔にあの世に行きました。 

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今の時代は、晴れの舞台にジーンズで登場する事を可とする考えもありますし、穴の開いたズボンをおしゃれとする倒錯した趣味もあります。作業服とフォーマルな服は分けるのが常識という考えを理解しない人もいます。 

ドレスコードを考えて「Sunday Cloth」を、「晴れ着」とすべきか「日曜日の服」と訳すべきかで悩むのも、もはや全く時代遅れかも知れません。


【 Who wears short shorts? 】 [アメリカ]

【 Who wears short shorts? 】 

まじめな人や夜更かしをしない人はご存知ないでしょうが、タモリ倶楽部という、不思議な深夜番組があります。統一したテーマも無いし、企画もかなりいい加減なのか、毎回いきあたりばったりで制作したと思える番組です。内容の多くはくだらないのですが、疲れた脳みそにはちょうど波長が合うのか、オヒョウは時々観てしまいます。

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問題はそのエンディングテーマです。女性がお尻をくねらせるシーンが延々と続き、テーマ曲として”Who wears short shorts?”というちょっと退廃的な音楽が流れます。

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意味としては「ショートパンツを穿いているのは誰かな?」くらいだと思うのですが、この番組以外では聞かない曲なので、番組用に作曲したものかと思っていました。

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ところがある日、シカゴ・トリビューン紙の見出しに、このフレーズ”Who wears short shorts?”を見つけました。 かなり有名な曲だったのかな? シカゴ・トリビューン紙はかなり硬派の新聞ですが、新聞不況になって路線を転換したのかな?などと思いましたが、記事の中身は、普通のファッション記事で、今年はショートパンツが流行っている・・というだけのものです。

http://www.chicagonow.com/blogs/chicago-infashion/2010/07/street-fashion-who-wears-short-shorts.html

シカゴの街中を歩く女性の写真を何枚か載せて、ショートパンツが増えていると言っています。何の変哲も無い・・というか、こんなので記事になるのかな?と思ってしまいます。

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ところが、その数日後に、今度は朝日新聞が、「今年の流行はショートパンツ」と紹介する記事を載せています。

朝日の方は、洒落のきいた見出しを付ける訳ではなく、普通の見出しですが、ロンドンの野外フェスティバルであるグラストンベリーフェスティバルに集まった人に、ショートパンツを穿いた人が多く見られる・・・というだけのこれまた平凡な記事です。参加者の写真を多く並べています。

http://www.asahi.com/fashion/vogue/ 

不可解なのは、単に野外フェスティバルに集まった若い女性を取り上げただけなのに、セレブにショートパンツ旋風が起こっているという表現になっています。セレブって一体なんなのか?

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どうも軽いノリの記事で朝日新聞に相応しくないな・・と思ったら、これはVOGUE誌の記事を引用しているだけと分かりました。何だ、他人の記事を拝借したものなのか・・。 新聞のWEB版は、他の雑誌や新聞記事に容易にリンクできます。だから、記事のボリュームを見かけ上膨らませる事もできますし、注意しないと、どこまで新聞の記事でどこから他誌の記事なのか分からなくなります。 手抜きやゴマカシが可能になるのです。

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するとシカゴ・トリビューンの方はどうなのだ? と思って確認すれば、シカゴ・ナウというサイトにある誰かのブログを取り上げただけの記事だったのです。 やれやれ、こちらも他人の褌か・・。しかも、こっちの問題はより深刻です。

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普通、新聞が一次情報を提供して、ブログはそれを元に二次情報を作成します。 ちょうどこの「笑うオヒョウ」がそのスタイルです。 ブログの方が現場に近く、確度の高い一次情報を発信できる場合もありますが、稀です。 だから、新聞記者が素人のブログ情報に頼るなんて、本末転倒であり、邪道です。

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ブログには、写真やイメージ情報主体のものと、写真と文章が半々の折衷型、文章主体のもの(笑うオヒョウ型)の3種類があります。写真を多く掲載するものには、目を見張る素晴らしい写真が多く登場しているのは事実です。しかし、それをそのまま新聞記事にするのはいかにも安直です。 確かに文章を引用するよりは、多くの写真を転載する方が容易ですし、記事の文章の巧拙が現れないので、新聞に馴染みやすいのですが、読者は気づきます。

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あれっ?以前の新聞記事とは文章が違うな。 問題の掘り下げも浅いし、内容が平板で幼稚になっている。 あの格調高いシカゴ・トリビューンの記事はどこへいったのか?

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日本ではつい最近まで、日刊紙は、ブログやインターネットに登場するWEBメディアを目の敵にしていました。 米国はそうでもありませんでしたが、プロの新聞記者とアマチュアの書く記事には厳然とした差があったはずです。 それがネットに迎合し、ブログを転載して紙面を埋めるなど・・新聞は白旗をあげたという事でしょうか?

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新聞社の経営不振が、編集者や記者のモラールを下げ、手抜きをもたらしたとなると、これは悪循環をもたらすでしょう。将来は暗い。

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低予算と手抜きの象徴の様なテレビ番組「タモリ倶楽部」は、実は大変な長寿番組です。 これは、タモリ自身が持つ微妙な可笑しみがマンネリ化を防止し、猥雑であっても、ぎりぎりのところで下品にならない工夫と矜持があるからです。

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新聞各紙もジリ貧の経営環境と低予算化の中で、倦むのではなく新聞の質を上げる工夫をすべきです。 そうしなければ、生き残りはますます難しくなります。

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ところで「笑うオヒョウ」には写真は滅多に登場しませんが、記事はどちらのメディアでも、自由に引用していただいて結構です。誰も使わないでしょうけど。


【 セサミストリートの挫折 その2 】 [アメリカ]

【 セサミストリートの挫折 その2 】 

セサミストリートのもともとの趣旨は、移民などのマイノリティの子供に英語を教える事でした。国民全てが共通の言語を話す事で、差別をなくし、平等化を図るという発想ですが、世の中の流れは、全く反対でした。

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マイノリティのアイデンティティを認めよ・・という発想の延長には、メキシコ系はスペイン語を話して何が悪い?英語を押し付けるな!という主張があります。同じ様に中国語や韓国語も認めろ・・と言い出したら、アメリカもスイスみたいな多言語国家になってしまいます。TV放送が多チャンネル化したり、音声多重化したことも、多言語化を容認する方向に拍車をかけました。

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米国では1960年代の公民権運動の結果、公的権利は人種や民族によらず、平等に与えられるようになりました。そして70年代以降は、更にそれを進めてマイノリティの立場に配慮する発想が強くなりました。少数派には、その人口比率に応じて優先的権利が与えられる一種の逆差別とも言うべき、Affirmative Actionが始まったのも、その頃です。例えば、大学の医学部の入学定員には、一定のマイノリティ枠が設けられ、本来の合格点に達しなくても、優先的に入学が認められたりします。

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米国の医学部は、学部を卒業した後に入学する大学院格ですが、学部での専攻分野とは無関係に受験できます。スペイン語を専攻した文科系の学生が、医学部に入ると聞いて不思議に思いましたが「患者の中には英語を話さないヒスパニックもいるから、スペイン語専攻は役に立つ」という不思議な回答です。

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話が発散しましたが、多言語化を認めよ・・という流れは、等しく英語教育を・・というセサミストリートの所期のスローガンとは一致しません。いつの間にか、セサミストリートにはスペイン語も登場し、単に数字とアルファベットを幼児に教える番組に変化していきました。更には幼児に教えるのが難しい、シリアスな話題(生、老、病、死)なども取り上げ、幼児教育の別の課題に挑戦していく方向になっています。

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では多言語国家と、単一言語国家はどちらがよいのか?欧州の場合、圧倒的に単一言語国家の方が強くなります。フラミッシュ語とフランス語の2つの文化圏が相克しているベルギーはいまだに国家としての統一が弱いですし、4つの言語圏を持つスイスも19世紀にその統一に苦労しました。

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移民を先祖に持つ米国の歴史は、英語での統一の歴史です。漫画スヌーピーの主人公、チャーリー・ブラウンは、ドイツ系移民の一族で、その姓がBraunからBrownに変化していく過程が、ドイツ人からアメリカ人に変化していく葛藤の歴史です。オヒョウが英語を学んだ、アロヤベスクールの校長、アロヤベ先生はコロンビア出身で、自らが移民で英語を学ぶ苦労を知っていたから、外国人向けの英語学校を開いたのかも知れません。もっとも彼の発音は強烈なスペイン語なまりがありましたが・・。彼にとってもアメリカ人化の歴史は英語化の歴史です。

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一方、カナダはアメリカと違い、言語の統一をサボった国です。18世紀の7年戦争(上下カナダ戦争)で英国系カナダ人が全カナダを支配した後、征服したフランス系カナダ人地域の英語化をしなかった国です。今現在、単一言語のアメリカと多言語のカナダのどちらがいいかは不明です。しかし、アメリカ南部もやがてスペイン語化していき、カナダと同じ様に多言語国家になるでしょう。

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多言語国家の悩みが最も深刻なのは中国です。今は広東でも四川でも、普通語(北京語)が通じますが、まだ辺境には別の言葉を話す民族がいます。

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中国で暴動と鎮圧が繰り返される、チベットや新疆ウイグルは、そもそも言葉も文字も、漢民族のそれとは別です。違う言葉を話し、違う文字を用い、宗教も違うのなら、国家として独立しても良いではないか?という発想を共産党政権は最も恐れます。だから弾圧と暴動・鎮圧がくりかえされるのです。

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言語統一を重要課題とする中国政府にとっては、セサミストリートは最も有効なテレビ番組でしょう。だから将来、チベットや新疆ウイグルで北京語を話すセサミストリートが放映されるかもしれません。中央電視台が放映するその番組は、多分胡麻路という名前でしょう。

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しかし、放映権料や意匠権料が制作元のChildren Television Workshopに払われる事かどうかはわかりません。

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【 セサミストリートの挫折 その1 】 [アメリカ]

【 セサミストリートの挫折 その1 】 

読者諸兄は、未就学児向けのテレビ番組セサミストリートをご存知でしょうか? 1971年に日本でこの番組が始まった時はオリジナルの英語版が放映されました。 オヒョウは当時中学生で、英語版のテレビ番組を見せられてもちょっと困ったのですが、英語の先生のミス・キザワは、正確な英語の発音を学ぶ為に、この番組の視聴を奨励されました。

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音声多重放送・・などというものは、まだなく、字幕スーパーはあったかも知れませんが、そもそも幼児向けの番組を見て面白いはずもありません。 その話を母にすると、母は英語教師だった祖父の話をしました。

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祖父は、日本でテレビ放送が始まった頃に放映された、ルーシーショウというドタバタ番組を好きだったそうです。その頃は、声優による吹き替えという仕組みがなく、英語での放送だったのだそうです。イギリス英語を学んだ祖父には、アメリカ英語を聞けるルーシーショウが新鮮で興味深かったらしく、この番組を好んだのです。しばらくして、ルーシーショウが日本語の吹き替えになると、興味を失い見なくなったそうです。

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だから、母は祖父の例を引き合いに出して、英語のオリジナルの番組を見るよう勧めました。 まるで木沢先生と同じ事を言うな・・・と考えて思い当たりました。

ミス・キザワは祖父の教え子で、母の先輩でした。

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しかし、英語のオリジナル版にこそ価値があったセサミストリートは、その後日本語の吹替版が登場し、音声多重放送では日本語版が主音声、英語版が副音声になりました。その頃には、オヒョウはもうこの番組を見ませんでした。

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セサミストリートには、未就学児に数字やアルファベットを教えるという目的の他に、英語を母国語にしない子供たちに英語を教えるという意味があります。そして番組の背景にはモデルがあります。 オヒョウがそれを知ったのは、その20年後、アメリカに暮らした頃です。ライス大学を卒業し、住友商事ヒューストン支店に勤務する青年に教えてもらったのです。

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20世紀の前半、テキサス州には、ゴマの栽培で成功した大農場があったのだそうです。当然、その農場では多くの労働力を必要とし、メキシコからのたくさんの移民が働いたのですが、その多くは英語が話せません。その子供たちももちろんスペイン語しか話せません。

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田舎でもあり、幼児教育をする施設もありません。そこで農場主は子供向けに初等教育を行う学校を農場内に設けました。その農場主の考えは2つ。

1.    農場主の子供も労働者の子供も、等しく同じ教室で学び、貧富の差、民族の差に関係なく、一緒に教育を受ける。

2.    英語を母国語とする子供も、スペイン語を母国語とする子供も、英語を学ぶ。

農場主は、移民であれ、出稼ぎ労働者であれ、異民族であれ、米国で暮らす以上は英語を学び理解すべきだと考えました。特にこれから教育を受ける子供は、英語を学ぶべきであり、アメリカで暮らす以上、英語を話せない事のハンディキャップの大きさを考えるべきだ・・と思ったのです。

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実際、外国で暮らして、その国の言葉が分からない時の苦しさは、オヒョウにはよく分かります。全く自慢にもなりませんが・・。

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この試みは大成功し、複数の民族、マジョリティもマイノリティも仲良く学び、差別もない環境を実現した学校として、米国では評判になったそうです。一説には、農場の外からもその学校に通う子供がいたそうです。ゴマ農場の中央には大きな通りがあり、名前はセサミストリートでした。

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その学校の趣旨を汲み取り、マイノリティの人、貧しい人を考慮した幼児教育番組を考えたのが、ジム・ヘンソンで、その番組セサミストリートは大成功し、世界中で放映されたのです。

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オヒョウは、その話を聞いて、実に良い話だなぁ、アメリカも捨てたものではない・・と思いました。しかし、その後日本に帰ってから、アメリカの事情を聞くと、かなり事態が変わってきているようなのです。全く、オヒョウの考えていない方向に変化しているようです。その辺りの話は次号で・・・。

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【 ハリー・トルーマンをどう考えるか 】 [アメリカ]

【 ハリー・トルーマンをどう考えるか 】

先日広島ピアノさんのブログを読んでいて、ひとりの男性の事を考えました。

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アメリカには、リンカーンや、ケネディのように、政党や世代を超えて人気のある政治家・大統領がいます。それとは別に、派手ではないけれど、誰からも悪く言われない、誰からも尊敬されている政治家もいます。

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政治家を意味する英単語はPoliticianですが、これは手練手管を駆使する策士という意味が強く尊敬の対象たりえません。 一方尊敬される政治家を意味する言葉は、Statesmanです。 これは人格高潔なリーダーという意味合いが強くなります。

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誰からも尊敬されるStatesmanのひとりは、ハリー・トルーマンではないか?とオヒョウは考えます。勿論、オヒョウは多くのアメリカ人にインタビューした訳ではなく、英会話学校の先生など少数の人から聞いただけですが・・・。

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彼は富・財産や権力・名誉に恬淡とした人物で、清貧の人生を送った政治家とされています。 彼の人物像について、オヒョウがつべこべ語るより、西川渉氏/山野豊氏のホームページをご覧頂いた方が的確です。http://www17.ocn.ne.jp/~wn380yy/seihin.html 

トルーマンは再選が確実視された2期目の大統領選挙にあえて出馬せず、アイゼンハワーに大統領の座を譲っています。 同じように前任者の死去によってトップに立ち、さらに再選が確実なのに、自民党総裁選に出馬しなかった鈴木善幸に似ていますが、実態は違います。トルーマンは多くの仕事をしたのに、鈴木善幸は何もしませんでした。

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しかし、トルーマンを高潔で善意の人、清貧の士とするのにオヒョウは猛烈な抵抗を感じます。

「 彼は、日本に原爆を落としたではないか。それも2発も。日本を降伏させるためには、1発でも十分過ぎたのに 」

彼はポツダム会談から帰る大西洋上の軍艦の上で、広島の原爆投下成功の報告を受けて喜び、食堂の柱をフォークで叩いて、食事中の士官を集め「諸君、これで戦争に勝てる」と大喜びしたのだそうです。

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私には人類初の原爆投下命令を下したトルーマンを立派な人とはとても認められないのですが・・・・、しかしアメリカ人に訊くと全く違った意見です。

「 オヒョウさん、彼は原爆投下を止めさせた人物ですよ。朝鮮戦争が泥沼状態になった時、マッカーサーはトルーマンに原爆使用を願い出たが、トルーマンは断固としてそれを許さなかった。彼は広島・長崎の惨状を聞いて原爆使用についての考えを変えたのでしょう 」

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トルーマンは太平洋戦争終結までは、原爆投下に何ら呵責を感じなかったようです。その後、考えを改めたのなら、それは結構な事ですが、私から見れば遅すぎます。 しかし、広島・長崎の事は別にして、トルーマンが核兵器の使用をためらう男だったとの前提で考えます。

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トルーマン以降、核兵器に関するアメリカの良心のガイドラインは、彼の考え方に沿っています。 つまり、

・太平洋戦争終結のための、2発の原爆投下は必然の手段であった。正統な行為であり、非難にはあたらない。

・しかし、太平洋戦争の後は核兵器を使用していないし、これからも使用をためらい続けるのが、アメリカの良心だ。しかし、必要な時には使用する。

( 彼らの良心とはかなり安っぽいものなのですね )。

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戦後、何度か、トルーマンは日本の新聞にも寄稿し、上記の主張を繰り返しています。

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トルーマンのガイドラインは、ずっと続いていましたが、この考えを一歩踏み出し、最初に核兵器を使用した国の責任について言及したのはオバマ大統領です。彼も過去の原爆投下についての謝罪はしていませんが、その責任の重さには言及したのです。そこまでに60年がかかっています。

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しかし、オヒョウはそこで別の事を考えます。もしマッカーサーの主張が通り、朝鮮戦争でアメリカ軍が原爆を使用したならどうなったでしょう。当時、東側の核兵器は未発達だったので、おそらく戦争はアメリカ/韓国の勝利になったでしょう。しかし、東西の境界線が38度線から鴨緑江に移動しただけで、東西対立の抜本的解消にはならなかったでしょう。

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それでも北朝鮮が敗北して金日成体制が存在しなければ、北朝鮮に暮らす2000万人を超える人々は、自由主義社会の中で暮らす事ができました。 北朝鮮という政府(あるいは王朝)が無ければ、彼らは飢える事もなく、今よりどんなにか幸せで人間的な生活ができていたに違いありません。

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北朝鮮の人々は、原爆の惨禍と引換に、自由で人間的な暮らしを手に入れる事ができた・・とは言っても、これは外部の人間がとやかく言う事でもありません。それにこれは難しい問題です。実のところ、オヒョウは原爆の惨禍も北朝鮮の悲惨で非人間的な暮らしも知らないのですから。

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トルーマン以降、アメリカは核兵器を使えないモラトリアムが続いています。そのためか、多くの戦争で泥沼状態に陥り、明確な勝利を得ていません。アメリカの青年は、今でも戦場で多くの血を流し、毎年の莫大な戦費は、戦後一貫してアメリカの経済力を弱体化させています。

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核兵器さえ使えれば、アメリカの戦争はもっと楽なのに・・・という悪魔の囁きもあるかも知れません。しかし、ここは我慢してもらう必要があります。 ベトナム、アフガン、イラクと続く、アメリカの泥沼はトルーマンの罪滅ぼしの延長と考えるのが妥当だと、オヒョウは考えます。アメリカ人は同意しないでしょうが。


【 なにゆえ腰パン? (再掲) 】 [アメリカ]

【 なにゆえ腰パン? (再掲) 】 

オリンピックの日本代表選手である国母選手の服装の乱れと、記者会見での不真面目な態度が問題視されています。もともとスキー場で見かけるスノーボーダーはスキーヤーとはやや異質で、どちらかというと服装がだらしない人もいると思っていたのですが、トップクラスの選手でもそうだったのですね。

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( 以下は、以前別のブログに書いた事の繰り返しです。内容を憶えておられる方には、重複となりますが、お許し下さい )

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今から15年ほど前の事です。 シカゴの日本人学校の卒業式に来賓として出席したオヒョウの上司が、えらく立腹して事務所に帰ってきました。理由を尋ねると、式に出席した生徒・児童の服装がだらしないとのこと。なんでも、シャツの裾をズボンの外に出していて、みっともない事この上ない。 大事な儀式の日くらいちゃんとした服装ができないのか!と思われたそうです。

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なるほど、アメリカの子供達のあいだでは、シャツの裾をズボンの外に出すのはあたりまえなのか・・とオヒョウは理解し、この習慣は数年後に日本でもあたりまえになるだろうな・・・と思いました。

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果たして、数年後、シャツの裾をズボンから出すのが、日本でも当たり前になりました。 そしてその頃、アメリカではヒップホップを好む人の間で、ズボンをだらしなく下げて、腰から下着が覗くような穿き方が流行していました。 その事を知って「ああ、そのだらしないスタイルも、そのうち、日本で得意になって真似る人がでてくるだろうな・・」と、オヒョウは思いました。

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そして数年後の現在、国母君は、そのスタイルを好んでいる訳ですが、彼は何を気取っているのでしょうか? 

実は米国でズボンを吊り下げて穿くスタイルが登場した事には、それなりに理由があります。 これは以前のブログにも書いた事ですが・・・、

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米国で、犯罪者となり留置場や拘置所に入れられた男性は、ズボンのベルトを取りあげられます。首つり自殺の防止が目的ですが、ズボンがずり下がっていれば速く走る事もできないので脱走防止にもなります。

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ベルトを取りあげられると、自動的にズボンは下がり国母状態になります。 世の中には、さまざまな価値観があり、アウトローに憧れたり、前科者や凶状持ちである事を誇りにする人達がいます。 これは米国でも日本でも同じです。そして米国の場合、留置場や拘置所にいた事を自慢する人達は、ベルトを取りあげられてズボンがずり下がった状態を、出所後も続けて、自分がムショ帰りである事を誇示する訳です。

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それがヒップホップのファッションになっている訳で、単に社会や権力への反抗心から、彼らがだらしない格好を選んでいる訳ではありません。でも多分4才の頃からスノーボード一筋だった国母君は、その経緯を知らないのではないでしょうか? 敢えて前科者の真似を気取る必要は無いのですが・・・。

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現代社会の人々は記号論の世界に生きています。全ての振る舞い、全ての装いは、自分が何者であるかを他者に示す記号になることを、大人は知っています。平日のサラリーマンがネクタイを締めて、背広を着るのは、自分がそういう身分である事を周囲に認識して貰う意味があります。

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警察官が制服を着るのも、裁判官が法衣をまとうのも、僧侶が袈裟を着るのも、自分の職業をそれで示し、周囲に納得・安心して貰う意味があります。 服装だけでなく、立ち居振る舞い、発言の内容、話し方、全てが自分の職業や社会的地位、バックグラウンドとなる教養などに結びついています。周囲の人々は、目と耳から得られる情報を総合して、それらが矛盾なく一つの人格を表していれば、それで安心し、空間にはひとつのハーモニーが生まれます。

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たまに、いたずら心からか、それらを乱して人を驚かせる人がいます。威厳のある大学教授なのに、カジュアルな服装で、気さくな口調で話す人とか、町奉行なのに背中に入れ墨があってベランメイ口調で話すヒーローなどは、その意外性が面白くて好感を持たれます。

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しかし、それも程度問題であり、多くの場合TPOをわきまえない児戯として顰蹙を買います。 そう、多くの場合は社会の調和を乱す愚かな奇行でしかないのです。 TPOだとかドレスコードだとか言わなくても、おとなならわきまえるべきマナーの基礎です。

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まして、日本代表選手団の服装・・となれば、その記号が意味するものは大きい訳で、着用する人はおのずと、責任を感じるはずです。国母君は、21才だから成人だとか、結婚しているとか、一児の父だ・・とか言ってもまだまだ子供です。 記号で示される社会の仕組みも理解せず、腰パンが始まった経緯も知らず、権力や社会への反発・・といった思いも無いまま、ただ単に格好いいと思って、腰パンにしたのでしょう。

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それなら、橋本聖子あたりが、彼にお説教せねばならないのですが、多分言われた彼は「チッ うっせーな」とつぶやくだけかも知れません。

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親方の意見を聞かない朝青龍をみて「これだから外国人力士は困ったものだ・・・」と思ったオヒョウですが、国母君を見ると「これだから最近の若い者は・・・」と言い換えなくてはなりません。 困ったことです。

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ちなみにオヒョウは、ベルトを無くしたズボンというのは、女性の伝線したストッキングと同じで、どうも生理的に受け付けません。

そしてスノーボードというのも、どうも苦手です。

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今日から、ブログのアイコンとして、顔を出す、愛犬ラッキーです。

 

【南北戦争、太平洋戦争、イラク戦争・・・それぞれの戦後】 再掲 [アメリカ]

【南北戦争、太平洋戦争、イラク戦争・・・それぞれの戦後】

 イラクの新政権(米国の傀儡政権?)による統治がうまくいっていない様です。

多くの人が指摘していますが、この戦争は、バグダッド占領までより、その後の方が大変です。 

オヒョウの推測ですが、ブッシュは、かつて日本に進駐したアメリカ軍が統治に成功し、日本が短期間に模範的な民主国家になった事を念頭に置き、それと同じ事をしようと考えたのではないか?・・と思います。

 しかし、イラクと日本では全てが違います。アメリカは日本に民主主義を植え付けたと考えているかも知れませんが、日本には戦前から議会制民主主義がありました。完全ではありませんが立憲君主国の憲法の枠の中で、民主主義は実行されていたのであり、フセインが統治していたイラクとは随分違います。 それに加え、イラクでのイスラム教宗派対立や、日本の天皇制の存在、戦争の始まり方等、全ての状況が違うのに、日本とイラクを同じ様に考えるのはナンセンスです。

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戦後の日本の復興と民主国家の建設は(いろいろ問題はあったにせよ)、史上希にみる成功だったと聞いています。 

日本人が優秀だったからに他ならないでしょうが、成功の背景には、米国の占領政策が、今回のイラクの場合ほど拙劣ではなかった事もあります。 日本に進駐したアメリカ人は、敗者の痛みを知っていたのかも知れません。以下は、オヒョウが昔、K大学の雑誌で読んだ話の転記です。

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第二次大戦終結と同時に、占領軍(後で進駐軍と言い換えました)はK大学の日吉キャンパスを接収し ました。終戦までそこには大本営があり、それと入れ替わる形となりました。 着任した米軍のある将官は、日吉キャンパスを明け渡す大学関係者を前に以下の演説をしたそうです。 

「諸君は、我々が勝者として君臨する為に、ここに来たと思うかも知れないがそうではない。 私は米国南部の出身であり、我が郷土は南北戦争の敗者である。私の祖父は南軍に参加し敗北した。 だから私は戦争に敗れた諸君の心情をよく理解する。早く日本が新しい民主的な国として復興するのを期待するものである」

 残念ながら、大学関係者は、まだ復員していなかったり、疎開から戻っておらず、その演説を聴いた人は少なかったとの事です。それに、その将官の発音には強烈な南部なまりがあり、聞き取りにくかったようです。

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オヒョウは、彼がリッジウェイ将軍ではないか? と考えたのですが、そうではないようです。リッジウェイはバージニアの出身です。

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しかし、南北戦争の敗戦と太平洋戦争の敗戦で、アナロジーが成り立つものか? 

これについて、オヒョウの母は

「負けた時の有様は、どの戦争でも似たようなもの」と語っています。  

母がこう語るのは、映画で「風と共に去りぬ」を見ているからです(小説でも読んでいます)。

戦争に負けた時の、虚脱感、権威の失墜、食糧不足、治安の悪化、敗残兵の復員、そしてなぜか負けた側に大発生するシラミ・・・という具合に、敗戦後の日本とアメリカの南部はそっくりだ と母は主張するのです。 

母がこの映画を見たのは、戦争が終わって、それほど時間が経っていない時だったので、余計共感したのかも知れません。

 「アメリカは、戦争をしながら、一方で 総天然色のこんな豪華な映画を作っていたのだ」と 感心する反面、アメリカ人にも敗者の気持ちを理解する人がいるのだ と思ったそうです。 だから、日吉で演説をした将官の話は本音だったのだと思います。

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翻って、現在のアメリカ軍はどうか?彼等にイラクの人々を思いやる気持ちはあるか?彼等はイスラム教徒とイスラム世界を理解しようとしているのか? 

パパブッシュは湾岸戦争でバグダッドに迫りながら、敢えてそれ以上兵を進めませんでした。(彼は、太平洋戦争に参加し硫黄島で撃墜された経験もあります)。 

今、湾岸戦争で多国籍軍がバグダッドを占領せずに停戦した理由をアメリカで議論する人がいます。もしパパブッシュが占領後の泥沼状態を予測したのであれば慧眼です。或いは自身の戦争経験が影響したのかも知れません。 一方、息子のブッシュは戦争の経験がありません。アメリカ人が心の疵として持つベトナム戦争も、本人は経験していません。彼の政策には、甘さがあるのかも知れません。 少なくとも、息子のブッシュは、日吉の講堂で演説をした将軍の様な人物を占領政策にあててはいないのではないか? 

でも不思議です。ブッシュだって南部の出身であり、先祖を辿れば敗戦の記憶があるはずなのですが・・・。 それに、なぜか彼の発音には南部なまりもあまりありません。 


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【 五大湖の魚 】 [アメリカ]

【 五大湖の魚 】 

Bloombergの記事に面白い話がありました。米国とカナダの間の五大湖で中国原産の外来魚が繁殖し、在来種の魚を脅かすと同時に観光に大打撃を与え、さらには沿岸の鉄鋼産業にも、大きな被害を与えている・・というのです。 英語版の記事は

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601103&sid=adpnjCeSJ8CQ

題名( Flying Carp Threaten Bond Rating. Great Lakes Fish )めんどうくさいから日本語版を・・という方は、下記のURLを御覧下さい。

http://www.sankeibiz.jp/macro/news/100106/mcb1001060504008-n1.htm

題名( 五大湖の地域経済脅かす外来魚 )Flying Carpとは何物か?と考えたら、これはハクレンの事でした。

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余談ですが、この記事を書いたMario Parkerという記者をオヒョウは好きです。何時も、他のマスコミとはちょっと違った角度からものを見て記事を書きます。 Bloombergのオヒョウみたいな人です。

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記事の内容は驚くべきものです。ミシシッピ川の水系からミシガン湖に大型の淡水魚ハクレンが入り込み、観光上も水産業上も重要な魚である在来種のサケの棲息を脅かしているというのです。巨大魚のジャンプは、水上スキーや小型船舶にも危険だし、ハクレンの侵入を抑える為に、水門を閉じれば、運河を利用する水上交通には大打撃で、特に五大湖沿岸に製鉄所を持つミッタルには、影響大だ・・・との事です。

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実は、オヒョウは五大湖の魚にこだわります。その昔、敬愛するAさん夫妻に誘われて、ミシガン湖でサケ釣りをした事があります。実に痛快で楽しい思い出でしたが、そのサケは養殖です。 天然のサケは湖や川と海を往復して一生を送りますが、ミシガン湖はナイアガラの滝の上流にあり、海からは遡上できないからです。

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そのサケを外来魚が脅かしているとなると、これは大問題です。でもまてよ、イリノイ州やウィスコンシン州といえば、日本で問題となる外来魚、ブルーギルやブラックバスのふるさとです。 米国ではブルーギルやブラックバスは在来種として問題なしとされ、草食性のハクレンが問題視されるのは、実に面白い事です。

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ご承知かと思いますが、ハクレンは日本にも輸入され、外来魚として利根川水系で棲息しています。 イトウと並び、日本では最大級の淡水魚として知られ、利根川で見られるハクレンの大ジャンプは風物詩だそうです。

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淡水魚の個体の大きさは、棲息する水系の規模と相関があるそうですから、ハクレンの場合、利根川よりもミシガン湖の方が体が大きくなるかも知れません。 そうなると、そのジャンプはかなり見ごたえのあるものになるでしょう。

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それにしても、なぜ五大湖ではハクレンは嫌われるのか?多分、まずくて食用としては適さない事もありますが、中国原産という理由もひょっとしたらあるかも知れません。 日本では中国原産を抵抗なく受け入れたのに、米国では拒絶される・・というのは現在の世界経済を象徴しているかの様です。米国の人は、巨大化して更にジャンプする中国経済を、無意識に拒絶しているのか?と勘ぐってみたくなります。

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さらに驚くべきは、その外来魚の影響が製鉄業にまで影響している事です。オヒョウは以前、五大湖の水運と米国の製鉄業の立地に密接な関係がある事をレポートにまとめた事がありますが、その当時はミッタルなんて会社は、米国にはありませんでした。それが、いつの間にか、米国の大手製鉄所の相当数がミッタルの支配下になっていたのです。 そしてそのミッタルの製鉄所が中国からの外来者に脅かされるというのは、面白い話です。いや米国だけではありません。世界中の製鉄所が、中国の影響を受け、その動向を注視しています。ハクレンは何かを象徴しています。

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巨大な魚ハクレンの立場になれば、利根川に棲むよりも揚子江やミシガン湖に棲む方が幸せかも知れません。中国には「大魚は小川に棲まず」という諺があります。小さい会社から大きな会社に転職する人などに送る言葉です。以前、オヒョウが中国にいた時、中国人の同僚が転職する際、この言葉を語ったら、彼は私の体を見て、「オヒョウさんもその体格なら、今の環境は窮屈かも知れませんね」と言いました。

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しかし、実際には普通のサラリーマンには五大湖で豪快にジャンプする機会など、なかなかないのです。 今年あたりは・・・なにか変化するかも知れませんが。


【 CIOの勧め 再び 】 [アメリカ]

【 CIOの勧め 再び 】 

以前のブログで、会社はCIOというポストを設けるべき・・と提案しました。CIOというと財務担当を連想しますが、私が提案するのは情報担当の最高執行役員の事です。 

今、多くの企業では、対外的な情報発信は、広報部長(または室長)、IR部長(室長)などが担当し、特許の担当は知的財産部長などが担当しています。でも彼等は役員手前の人達で経営に関する大きな責任や裁量権を持っている訳ではありません。

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しかし、近年、企業からの情報発信の重要性は、ますます重大になり、知的財産に関する係争も、ますます深刻になり、経営の根幹に関わる問題も発生しています。企業経営について責任を持つ人が登場すべき場面が増えているとオヒョウは思います。

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先日の、NHKの「クローズアップ現代」では、パテントトロール(パテントマフィア)の問題を取り上げていました。 普段、この番組をちょっと批判的に見ているオヒョウですが、この回は、参考になる貴重な情報を正確に報道しており、高く評価したいと思いました。ゲストの幸田弁護士の説明も的確でした。オヒョウは、それまでパテントトロール(日本語で言えば、特許ゴロ)の話は、ちらっとは聞いていましたが、詳しくは知りませんでした。

話を聞けば、善意のメーカーからひたすらお金を巻き上げる事を狙った点では、一時期米国で流行ったサブマリン特許の話と似ています。 でもパテントトロールの場合は、自分で発明もせず、自分で製品製造もせず、他人の特許でお金だけふんだくろうという訳で、より悪質です。

そもそも、こんな方法で、労せずして大金をせしめる事が流行っては、まじめなものづくりをするのがばからしくなってしまいます。米国では、電話とコンピューター端末だけを使い、本当の価値生産をしない人が、一番儲けていますが、パテントトロールはその典型です。このような存在を認めていては、米国はますます衰退するでしょう。それでも結構ですが、日本がとばっちりをくうのはごめんです。

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実は、パテントトロールからの訴えというのは、暴力団からのいいがかりに似たところがあります。 こちらが毅然とした姿勢で臨めば、被害は相当量防げると考えるべきです。

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「クローズアップ現代」では、相手(パテントロール)が社長を証人として指名すると、法廷に立つのを嫌がる、日本の社長は、弱気になり和解に応じる方向へ転じる・・と説明します。これは確かにありそうな話です。誰だって、裁判の被告席(証人でも同じ事)に立つのは嫌な物です。 相手の弁護士から、不躾で不愉快な質問を浴びせられ、回答を迫られるのです(しかも通訳がつくとはいえ英語ですし)。

でも、考えてみれば、経営者たるもの、自分の会社が訴えられれば、公の場に出て、反論するなり、会社を弁護するのは当然の責務じゃないでしょうか? 証人として召喚され、うろたえて「どうしてこんな事になるのか?」と責任の無い知財担当者を責めたり、いやな事から逃げる為に、「金で解決できる事なら、金で解決しろ。和解できるものなら和解しろ」などと言う経営者は既に無能です。

そんな経営者は引退すべきです。 

技術力を持つメーカーであれば、最高経営責任者は知的財産に関して最低限の知識は持つべきでしょうし、自分自身は英語を話さなくてもいいですが、外国人と相手の土俵で議論できないような経営者も許されるべきではありません。 

そして、その弱点を衝いたパテントトロールは確かにスマートです。

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それにしても、問題は多くあります・・・。

第一に知的財産に関する係争は、医療過誤裁判と共に、陪審員制度に最も馴染まない事案です。 米国の陪審員制度は、日本の裁判員制度とは異なり、陪審員は、法律に違反しているか否か、或いは有罪か無罪か、責任があるか無いか・・簡単に言えば、シロかクロかだけを決めます。

しかし、知財係争はそれが難しいのです。 知財係争では、極めて専門的で複雑な事柄について議論がなされ、専門知識を持つ人しか判断をくだせません。素人である一般市民の、素朴な判断が尊重される陪審員制度が、最も馴染まない問題です。  

知的財産に関する係争は、本来判事が裁定を下すべき案件なのに、陪審員制度が適用されているという問題を、知財先進国、訴訟先進国である米国が放置しているのは不可解ですが、米国の利益を優先するレーガンのプロパテント政策による恣意的なものかも知れません。

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第二の問題は、米国の地裁段階では、地域によって判断が変わるという問題です。 米国でもDeep Southと呼ばれるテキサス州の東部、ルイジアナ州やミシシッピ州、アラバマ州などは「保守的」です。

保守的というのは、日本での意味とはちょっと違います。キリスト教原理主義だったり、米国国粋主義だったり、しばしば人種差別主義だったりします。 彼らが陪審員になった場合、アメリカ人と外国人、米国企業と外国企業の争いであれば、偏った判断が当然予想されます。

そんなバカな・・とは思いますが、実例があります。 以前、ルイジアナ州のバトンルージュで、日本人留学生の少年が、間違えた家を訪問したというだけで、玄関先で射殺された事があります。その刑事裁判では、陪審員全員が発砲した被告人を無罪としています。 

海外企業との裁判は、Deep Southで行え・・というのは米国企業の間では当然の作戦かも知れません。 トヨタがハイブリッドカーのシステムについて、特許侵害であると提訴されたのも、テキサス州東部の裁判所です。 

でも、原告側とも被告側とも殆ど縁の無い遠隔地を、裁判の場所に選ぶ事自体、おかしな事です。 鳩山首相は、オバマ大統領に対して、これらの日本が不利になる不当なシステムを改める様、要求すべきですが・・・彼はどうするでしょうか?

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訴えられた企業側も、対抗すべき点はすべきです。裁判する場所を変更するよう要求すべきでしょうし、陪審員の忌避、交代要求もすべきでしょう。証拠資料の英訳の手間も惜しむべきではありません。費用もかかりますし、高度の経営判断も必要です。

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それを社長ができないのであれば、知財問題対応の権限を一任された上席執行役員を持つべきです。 できれば弁理士か弁護士資格を持った専門家で、それをCIO ( Chief Information Officer )としてはどうか?とオヒョウは思うのですが、実行している会社は日本ではごく希です。このままではパテントトロールの餌食になる事は明らかなのですが、政府も企業も・・・無策です。


【 英語が話せたところでなんぼのもんじゃい その2 】 [アメリカ]

【 英語が話せたところでなんぼのもんじゃい その2 】 

実は、日本には昔から英語の上手な政治家がたくさんいます。明治時代、最初の官費留学生の試験に首席で合格したのは鳩山和夫でコロンビア大学に留学しています。彼は後の衆議院議長で早稲田の総長も勤めました。言うまでもなく鳩山由起夫の曾祖父です。その時の試験で次席だったのは小村寿太郎で、彼はハーバード大学に留学しています。 彼はずっと鳩山に対するコンプレックスを持っていたそうですが、後のポーツマスの講和会議では、小村や金子堅太郎のハーバード大学の人脈が効果を挙げます。

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そのポーツマスの会議では、日本とロシアと、仲介役の米国がテーブルにつきましたが、ロシア側全権ウィッテは、日本代表部がいる前で、日本側に聞かせたくない話を米国代表部(セオドア・ルーズベルトら)と交わしました。 その際の会話にはフランス語を用いたそうです。勿論、日本人に聞かせたくないからですが・・・。経験のある人もいるでしょうが、目の前で自分のわからない言語で会話されるのは不愉快なものです。しかし、日本代表部はフランス語を理解していました。講和条約が成立し、最後に別れる際、小村がウィッテらに、なめらかな発音のフランス語で挨拶をすると、彼等は真っ青になったそうです。

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小村や鳩山(和夫)、金子といったエリートの留学組だけではありません。米国で奴隷として仕事をした高橋是清、肉体労働に従事した松岡洋右などは、英語が上手でした。 しかし、松岡については英語での演説が墓穴を掘り、日本を窮地に追いやっていったのです。

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戦後の政治家で、英語が得意だったのは宮沢喜一ですが、彼の英語のスピーチが国益に寄与した記憶はありません。むしろマイナスでした。彼が、ドンケル委員長をダンケルと発音するのを、長嶋茂雄がドジャーズをダジャースと発音するのになぞらえ、そんな英語をありがたがるな・・と、マスコミの風潮を揶揄したのは、徳岡孝夫氏です。

ミッテランは英語を話さないけどどうどうとしている・・と言ったのも徳岡氏です。実際、英語の上手下手ではなく、国益に寄与する演説ができるかが重要なのは、言うまでもありません。

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政治家はともかく、別の観点から、幼児期の英語教育に批判的なのは数学者の藤原正彦氏です。 藤原教授の公演の後、オヒョウが英語教育の必要性について質問すると、教授は、

「幼児から小学生の時期は、日本語でもっと学ぶべき事柄があるし、感性を養う様な経験をさせるべきだ。子供の内から、少しぐらい英語を話しても意味はないし。その為に失われる時間・機会の事を考えるべきだ 」と答えました。

そして 「でも、僕は英語は上手なんですよ 」と最後に付け加えました。

藤原教授の英語が上手なのは知っています。彼の著作を読めば分かります。米国と英国では、ユーモアのセンスが微妙に異なりますが、それを、彼のように識別して味わえる人は多くありません。

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でも、ここで一つのパラドックスに気付きます。フルブライト留学生だった徳岡氏も、米国と英国の両方の大学で研究した藤原教授も、実は英語がペラペラです。その彼等にして、政治家の英語を批判したり、若年者への英語教育に批判的だったりします。 実は英語が上手でないと「英語なんてくだらない」という批判もできないのです。実際、英語が話せない人が「英語が話せても意味無いよ」なんて言っても、やっかみにしかとられません。

うーむ、「英語なんてくだらない」という言葉の裏には、自分の英語を自慢したい気持ちもあるのかも・・。

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うがった見方は止めて、オヒョウの経験を申し上げます。 かなり昔ですが、オヒョウが日本からの出張者を案内して、ニューオリンズにある大手石油メジャー系列の海洋構造物の開発会社を訪問した時です。日本からの出張者は、大入熱の溶接技術の研究者で、斯界では有名な人でしたが、いかんせん木訥で会話が滑らかではありません。英語となると中学二年生なみの会話力です。私が通訳の代わりを勤めました。

そして、夜、訪問先の技術者との会食となり、レストランでは酒が入って雑談がにぎやかです。 オヒョウも冗談を言ったり、軽い会話をしていました。

突然、沈黙していた日本からの出張者が口を開いて、低い声で話し始めました。 ゆっくりとですが英語で、内容は昼間の会議の続きの技術的な話です。 

その瞬間、誰かが叫びました。 Listen ! Now, Dr. Besshyo is speaking! “ その瞬間に雑談は止み、部屋は静かになり、皆が一斉に耳を傾けました。 別所博士の話を一言一句聞き漏らすまい・・という姿勢です。 

多分、その晩、会食に参加した人達は、論文で有名な別所博士の生の説明を聞きたかったのでしょう。 それまで雑談と軽口を叩いていたオヒョウなどは、狂言回しみたいなもので、主役がしゃべれば、全く無視されます。

その時、オヒョウは思いました。「 英語の発音が良かろうが悪かろうが、英語でジョークが言えようが言えまいが、そんな事は何でもないのだ。 要は語るべき何かを持つか持たないか・・なのだ。 語るべきものを持てば、発音が悪かろうが、文法が間違っていようが、相手は聞こうとしてくれる。語るべき物が無ければ、どんなに英語が上手でも、人は聞いてくれない・・」語るべきものを持たない、オヒョウが味わった複雑な思いです。

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鳩山首相が語った演説には、確かに重要な情報が含まれていました。だから、彼の演説に誰もが注目し、引用し、評価したのです。気の毒ですが、彼の英語に感心したのではありません。

だからね・・鳩山さん、次回は、日本語の演説でいいのではないか?

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でもまたコペンハーゲンで、英語でスピーチしたみたいですね。落選したのは、そのせいだとは思いませんが。


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