SSブログ

【 英語が話せたところでなんぼのもんじゃい その2 】 [アメリカ]

【 英語が話せたところでなんぼのもんじゃい その2 】 

実は、日本には昔から英語の上手な政治家がたくさんいます。明治時代、最初の官費留学生の試験に首席で合格したのは鳩山和夫でコロンビア大学に留学しています。彼は後の衆議院議長で早稲田の総長も勤めました。言うまでもなく鳩山由起夫の曾祖父です。その時の試験で次席だったのは小村寿太郎で、彼はハーバード大学に留学しています。 彼はずっと鳩山に対するコンプレックスを持っていたそうですが、後のポーツマスの講和会議では、小村や金子堅太郎のハーバード大学の人脈が効果を挙げます。

・・・・

そのポーツマスの会議では、日本とロシアと、仲介役の米国がテーブルにつきましたが、ロシア側全権ウィッテは、日本代表部がいる前で、日本側に聞かせたくない話を米国代表部(セオドア・ルーズベルトら)と交わしました。 その際の会話にはフランス語を用いたそうです。勿論、日本人に聞かせたくないからですが・・・。経験のある人もいるでしょうが、目の前で自分のわからない言語で会話されるのは不愉快なものです。しかし、日本代表部はフランス語を理解していました。講和条約が成立し、最後に別れる際、小村がウィッテらに、なめらかな発音のフランス語で挨拶をすると、彼等は真っ青になったそうです。

・・・・・

小村や鳩山(和夫)、金子といったエリートの留学組だけではありません。米国で奴隷として仕事をした高橋是清、肉体労働に従事した松岡洋右などは、英語が上手でした。 しかし、松岡については英語での演説が墓穴を掘り、日本を窮地に追いやっていったのです。

・・・・・・・

戦後の政治家で、英語が得意だったのは宮沢喜一ですが、彼の英語のスピーチが国益に寄与した記憶はありません。むしろマイナスでした。彼が、ドンケル委員長をダンケルと発音するのを、長嶋茂雄がドジャーズをダジャースと発音するのになぞらえ、そんな英語をありがたがるな・・と、マスコミの風潮を揶揄したのは、徳岡孝夫氏です。

ミッテランは英語を話さないけどどうどうとしている・・と言ったのも徳岡氏です。実際、英語の上手下手ではなく、国益に寄与する演説ができるかが重要なのは、言うまでもありません。

・・・・・・・

政治家はともかく、別の観点から、幼児期の英語教育に批判的なのは数学者の藤原正彦氏です。 藤原教授の公演の後、オヒョウが英語教育の必要性について質問すると、教授は、

「幼児から小学生の時期は、日本語でもっと学ぶべき事柄があるし、感性を養う様な経験をさせるべきだ。子供の内から、少しぐらい英語を話しても意味はないし。その為に失われる時間・機会の事を考えるべきだ 」と答えました。

そして 「でも、僕は英語は上手なんですよ 」と最後に付け加えました。

藤原教授の英語が上手なのは知っています。彼の著作を読めば分かります。米国と英国では、ユーモアのセンスが微妙に異なりますが、それを、彼のように識別して味わえる人は多くありません。

・・・・・・・・

でも、ここで一つのパラドックスに気付きます。フルブライト留学生だった徳岡氏も、米国と英国の両方の大学で研究した藤原教授も、実は英語がペラペラです。その彼等にして、政治家の英語を批判したり、若年者への英語教育に批判的だったりします。 実は英語が上手でないと「英語なんてくだらない」という批判もできないのです。実際、英語が話せない人が「英語が話せても意味無いよ」なんて言っても、やっかみにしかとられません。

うーむ、「英語なんてくだらない」という言葉の裏には、自分の英語を自慢したい気持ちもあるのかも・・。

・・・・・・・

うがった見方は止めて、オヒョウの経験を申し上げます。 かなり昔ですが、オヒョウが日本からの出張者を案内して、ニューオリンズにある大手石油メジャー系列の海洋構造物の開発会社を訪問した時です。日本からの出張者は、大入熱の溶接技術の研究者で、斯界では有名な人でしたが、いかんせん木訥で会話が滑らかではありません。英語となると中学二年生なみの会話力です。私が通訳の代わりを勤めました。

そして、夜、訪問先の技術者との会食となり、レストランでは酒が入って雑談がにぎやかです。 オヒョウも冗談を言ったり、軽い会話をしていました。

突然、沈黙していた日本からの出張者が口を開いて、低い声で話し始めました。 ゆっくりとですが英語で、内容は昼間の会議の続きの技術的な話です。 

その瞬間、誰かが叫びました。 Listen ! Now, Dr. Besshyo is speaking! “ その瞬間に雑談は止み、部屋は静かになり、皆が一斉に耳を傾けました。 別所博士の話を一言一句聞き漏らすまい・・という姿勢です。 

多分、その晩、会食に参加した人達は、論文で有名な別所博士の生の説明を聞きたかったのでしょう。 それまで雑談と軽口を叩いていたオヒョウなどは、狂言回しみたいなもので、主役がしゃべれば、全く無視されます。

その時、オヒョウは思いました。「 英語の発音が良かろうが悪かろうが、英語でジョークが言えようが言えまいが、そんな事は何でもないのだ。 要は語るべき何かを持つか持たないか・・なのだ。 語るべきものを持てば、発音が悪かろうが、文法が間違っていようが、相手は聞こうとしてくれる。語るべき物が無ければ、どんなに英語が上手でも、人は聞いてくれない・・」語るべきものを持たない、オヒョウが味わった複雑な思いです。

・・・・・・・・・

鳩山首相が語った演説には、確かに重要な情報が含まれていました。だから、彼の演説に誰もが注目し、引用し、評価したのです。気の毒ですが、彼の英語に感心したのではありません。

だからね・・鳩山さん、次回は、日本語の演説でいいのではないか?

・・・・・・

でもまたコペンハーゲンで、英語でスピーチしたみたいですね。落選したのは、そのせいだとは思いませんが。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。