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【 ジェブ・ブッシュとアウンサン・スーチー女史 】 [アメリカ]

【 ジェブ・ブッシュとアウンサン・スーチー女史 】

 

次期米国大統領選挙で、一時期、共和党候補者の中で、優位にあったジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事が、選挙戦撤退を表明しました。派手で過激な発言が目立つトランプ候補に票を食われて劣位に追い込まれたゆえの判断だと思いますが、個人的には残念という思いがします。米国南部にも、彼を惜しむ声があるはずです。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/02/20/jeb-bush-south-carolina-primary_n_9283642.html

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湾岸戦争を行ったブッシュ父や、強引にイラク戦争を始めたブッシュ兄と異なり、彼は穏健派で外国人にも理解があります。 彼の奥さんはメキシコ人で、家庭での会話は英語とスペイン語が半々だそうです。 あれっ?こんな話をどこかで書きましたね。そう、かつて駐日大使を務めたエドウィン・ワイシャワー博士がそうでした。日本人の妻ハナさんとは、家の中の会話が英語と日本語が半々だったとか。

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外国人女性と結婚するということ自体が、その人物が変なナショナリズムや閉鎖的志向とは無縁の人物であることを示していますし、外国語に堪能である・・ということは、米国では特別な意味を持ちます。

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英語を話すアメリカ人は、世界中、どこでも自国の言語で通すことができます。相手が英語を学び、英語を話す以上、自分は外国語を話す必要は無い・・という考え方です。アメリカ人にとっての外国語とはフランス語にせよラテン語にせよ、一種の教養であって、生活やビジネスなど実用のための必需品ではないようです。 そのアメリカ人が敢えて外国語を学び、家庭内の会話にも使う・・というのは、本当の意味で国際化を体現していると言えます。

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だから、私は外国語を学び、外国語を話そうとするアメリカ人を尊敬し、好意を持ちます。 そしてこれは、私だけの考えではないようです。 TVに登場する外人タレントが上手に日本語を話すと、それだけで好感度は高くなります。 正確には上手ではなくても、一所懸命日本語を話そうとする姿勢があれば、好感度はあがります。「マッサン」でエリーを演じた、シャーロット・K・フォックスがその代表でしょう。

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しかし、今回の大統領選の予備選挙では、どうも外国語に通じ、外国に理解がある事が、裏目にでました。トランプ候補の手先であるペイリン女史は、「アメリカに住むなら米語を話せ」と、暗にブッシュ候補を批判しました。

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メキシコからの不法移民やアジアからの不法滞在の外国人に手を焼き、不満を募らせているアメリカ国民の意識を汲み取ったトランプ候補は、外国人排斥や、アメリカ人から職を奪うアジアからの輸入制限を訴えています。 ルサンチマンを抱える大衆に対しては、「外国が怪しからん、外国人が悪い」という主張は、しばしば最も説得力があるのです。

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その延長上でメキシコ人を妻とするブッシュが槍玉にあがったということでしょうか。愚かなことです。

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挙句の果てに、トランプは、メキシコと米国の国境に高い壁を作ると言っています。勿論、これは比喩的な表現でしょう。長大なリオグランデ川沿いに万里の長城を築くことはできません。しかし、国境に壁を作るという表現自体、彼のセンスの無さを現しています。

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20世紀の時代、多くの人が壁の存在に苦しみ、壁をなくすことに、どれだけ多くの血を流してきたか、トランプ候補は知らないのでしょうか? ベルリンの壁こそなくなりましたが、イスラエルに隣接したヨルダン川西岸地区やガザ地区には新たな壁が築かれ、朝鮮半島の38度線にも、見えない壁が厳然として存在し、多くの人々を苦しめています。

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不法な移民や麻薬の密輸で米国が迷惑しているのは事実ですが、メキシコ人にも立派で尊敬に値する人はたくさんいます。友人にすべき人もたくさんいます。もう隣国の人々を侮辱するのは、止めたらどうか?

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ところで話は変わりますが・・・、不思議なことに、米国の大統領になるには、国籍以前に、米国で生まれたことが必要条件となります。カリフォルニア州知事として人気が高かった、あのアーノルド・シュワルツネッガーには、大統領待望論もあったのですが、だめでした。彼がオーストリア生まれだったため資格なしと判断されたのです。

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国家元首である大統領の場合、国籍や出生地に拘るのは、ある程度仕方ないかも知れません。それを以って、偏狭なナショナリズムとは言えません。しかし配偶者が外国人だからといって、大統領候補を排除するのはいかがなものか? ジェブ・ブッシュの妻がメキシコ人で何が問題なのだ? と思ったところで、もっと厳しい規定を設けている国を見つけました。

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あのミャンマーは、民主化され、大統領は選挙で選ばれますが、最も人気があり、ふさわしいとされるアウンサン・スーチー女史はなれません。 肉親(一親等の親族)に外国籍の人がいると大統領になれないのだそうです。ご承知の通り、彼女の亡くなった夫は英国人で彼らの子供は英国籍なのです。

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スーチー女史は、自分が大統領になれないことを理解した上で、何らかの形で国政に影響を与える方法を模索する・・と語ったとのことです。 これは即ち「院政をしく」ということに他なりません。・・・ 院政には様々な弊害があり、公明正大を旨とする民主主義の精神に反するものです。 かつて日本には、引退した元総理である田中角栄が、実質的に闇将軍として君臨して、国政を牛耳っていた時代がありますが、金権政治の横行等、多くの問題がありました。 彼女は院政の弊害を認識しているのか?

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大統領に国籍条項の縛りを設けることのプラス面と、その結果、民主主義が損なわれるマイナス面をミャンマーの人達がどのように判断するか、興味深いところです。

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米国やミャンマーの話をしましたが、国際結婚は日本でも普通になってきました。手元に資料が無いので正確には分かりませんが、外国人のお嫁さんを迎える日本人男性は確実に増えているはずです。彼らに、妻がメキシコ人であるために大統領選挙の予備戦で誹謗されたブッシュ候補をどう思うか・・・、訊いてみたいところです。更に言えば、100年前に日本人男性に嫁いだ国際結婚の先駆けである、竹鶴リタに感想を訊きたいところです。


【アスタ・ラ・ビスタ】 [アメリカ]

【アスタ・ラ・ビスタ】

アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「ターミネーター」は人気があり、幾つも続編ができています。 この映画については語るべき点が非常に多いのですが、映画の最後に、主人公が語るセリフが、毎回話題になります。 “I’ll be back!”は文字通り、「また戻ってくるからな」であり、彼が守る少年に語りかける言葉です。そして、観客に対しても、「きっと続編を作るからまた観てくれよ!」と語っているようです。

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しかし、分からないのはスペイン語で話す「アスタ・ラ・ビスタ」です。 なぜ彼は映画の最後に唐突にスペイン語で話したのか?

英語が当たり前の標準語である米国では、奇をてらう時、ちょっと気取る時、特別の意味を持たせる時に、アクセントとして会話に外国語を挟むことがあります。

普通はフランス語だったりラテン語ですが、日本語が登場することもあります。

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例えば、別れる時に、Good byeではなく、サヨナラといったりします。では、ターミネーターは単なる洒落としてスペイン語を使ったのか?どうもそうではなさそうです。

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全く付け焼刃の知識で恥ずかしいのですが、「アスタ・ラ・ビスタ」の意味は少し複雑なようです。 直訳すれば「いつかまた会おう」ということになりますが、期日を規定せずに、(いつかその内に)・・・というのでは具体性の乏しい提案となります。ラテン系の人々の性格を考えると、日にちを決めない・ということは、もう会う積もりなどない・・という意味にも解釈できます。 つまり「あばよ。もう会わないぜ!」という訳も可能になります。

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さらには、この世では会う積もりは無い・・というのであれば、「あの世で会おう」という意味になります。 映画の字幕スーパーでは、多少露悪的に「地獄で会おうぜベイビー」となっていたような記憶があります。 だから、最後のセリフの意味に多用な解釈の可能性を持たせて、判断は観客の想像に委ねる・・ということかも知れません。

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うーむ、CGを駆使した、ただのアクションSF映画だと思っていたけれど・・かなり文学的なセリフが登場するのだ・・と感心するほどの事ではありません。

しかし、この映画にスペイン語が登場した意味については別の角度から考える必要がありそうです。

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ここで考えるべきは、米国の中でスペイン語が市民権を得つつあるということです。合法、不法を問わず、米国に暮らす中南米出身者つまりヒスパニック系の人々は増えつつあります。近い将来、彼らはアングロサクソンだけでなく全ヨーロッパ系のアメリカ人(つまり白人)の人口を上回る可能性があります。これは移民による社会増だけでなく、白人に比べて高い出生率による自然増も関係します。

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アジア系でも黒人でも白人でもなく、ヒスパニックが米国の最大多数となる日がやがて来るのです。問題はその数ではありません。かつてアメリカで暮らす人々はフランス出身だろうとイタリア出身だろうと、ドイツ出身であろうと英語を学び英語を話しました。英語が母国語の英国出身者やアイルランド出身者には当たり前ですが、そうでない人々も苦労し英語を習得しました。 渡米した一世の世代では無理であっても、二世の世代は英語を母国語とする世代でした。 無論、日系や中国系も同様です。

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ところが、人口比でマジョリティになった場合、果たして彼らは英語を学ぼうとするだろうか?と私は考えます。スペイン語だけで生活できる環境が実現すれば、ヒスパニックの人々は、なにも英語を学ぶ必要はないではないか?

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この環境が、米国の南部と西部で実現しつつあります。未来の世界からカリフォルニアに現れたターミネーターは、未来のアメリカがヒスパニック中心の国になっていることを知ったうえで、「アスタ・ラ・ビスタ」と言ったのかも知れません。 ちょっと穿ちすぎかも知れませんが・・・。

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現代の米国は、マイノリティに配慮しハンデを設けるアファーマティブアクションを是としています。マイノリティに強制的に英語を押し付けることを否としています。

このあたり、昔の弊ブログ【 セサミストリートの挫折 その1、その2 】に既に述べておりますので、重複は避けます。

http://halibut.blog.so-net.ne.jp/2010-03-31

http://halibut.blog.so-net.ne.jp/2010-04-01

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ここで明らかなのは、・・・複数の言語を標準語として認めると、多民族国家の場合、国としてのまとまりは、必ず弱くなり、国力は低下します。 元のアラスカ州知事である共和党のペイリン女史は、その点を強く危惧しています。

http://www.sankeibiz.jp/express/news/150908/exd1509080000001-n1.htm

彼女は、大統領選に出馬するトランプ候補を応援するスピーチの中で、「アメリカに住むなら米語を話しなさい」と訴えていますが、この考え自体は正鵠を射たものだと思います。 マスコミは、トランプ候補が、「アメリカ人は英語だけを話すべきだ」と訴えたのに対して、彼女は英語でなく米語と表現したことを面白く取り上げています。

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彼女が知事をしていたアラスカ州は、かつてイヌイット(エスキモー)の言語を抹殺し、西側地域に残っていたロシア語を排斥し、英語で統一しました。彼女の発言はアラスカ州の歴史に基づいたものかも知れません。

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しかし、実際のところ、トランプ氏とペイリン氏が本当にそう思っているのか、あるいはスペイン語が堪能でメキシコ人を奥さんに持つ、元フロリダ州知事のジェブ・ブッシュ候補への単なる当て付けなのかは分かりません。 実際、前回の選挙で、ペイリン氏がアジア(特に日本)について全く無知であることが明らかになり、「とんでも発言」が多かったことを考えると、彼女の発言は信用できません。

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一方、ジェブ・ブッシュ氏については、彼の発言が常に思慮に満ちたものであることや、温厚篤実な性格であるとの世評を考えると、どうしてもこちらに軍配があがります。

少なくとも、兄ブッシュよりかなりまともで、パパブッシュに近い存在のようです。

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大統領選の共和党候補が誰になるか・・とは関係なく、私は、アメリカで暮らす以上は、英語を学び、英語を話せるべきだ・・という考えは、その通りだと思います。米国の標準語も英語(米語)ひとつでいいと思います。 でも、その上でアメリカ人も外国語を学び、他国の人を理解すべきだと思います。 ジェブ・ブッシュはそれを実行しています。そういえば、かの文豪ゲーテも、「外国語に無知な者は、自国語についても無知だ」と語っています。

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ジェブ・ブッシュが知事をしていたフロリダ州では、既にスペイン語が相当通用しますが、今後、キューバとの国交が正常化されれば、ますますスペイン語が普及するはずです。ブッシュの考えは米国南部では広く支持されるはずです。 言語の問題は、移民問題とも絡まり、米国内で重要な問題になりつつあります。ひょっとしたら、スペイン語を認めるか認めないか・・で、米国に新たな南北戦争が勃発するかも知れません。

共和党の大統領候補選びはその前哨戦です。

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最初は英語教育から始まり、今はスペイン語も認める教育番組、「セサミストリート」をジェブ・ブッシュも、ペイリンもトランプも子供の頃見たはずです(世代的には)。ただそれが英語だけのセサミストリートなのかスペイン語OKのセサミストリートなのかは分かりません。

そしてオーストリアで育ったターミネーターことアーノルド・シュワルツェネッガーは、多分セサミストリートを見ていないはずです。                           

【 segregationとdiscrimination 】 [アメリカ]

【 segregationdiscrimination 】

シカゴのオヘア空港から都心に向かって高速道路を走っていると、屋根に赤と白の2段の旗を描いた屋根が目に入ります。「あれは何か?」と尋ねれば、そのあたりはポーランドからの移民が集まって暮らす町だとのことです。

20世紀にあった2つの大戦とその前の混沌の時代に、多くのポーランド国民は迫害を受け、国を逃れ、遅れてきた移民として米国で暮らし始めました。ナチスドイツの侵略の際、米国へ逃れた一人の女性を描いた映画に「ソフィーの選択」があります。

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移民の国、米国でも、やってきた順番によって民族の地位や強さが違います。最強のWASPと呼ばれる、白人・アングロサクソン・プロテスタントが最上位に君臨し、白人といえども、遅れて来たポーランド人は弱者であり、肩寄せ合って生きることになったのです。

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インターステーツ90号線から見える屋根に描かれたポーランド国旗は、彼らなりの「祖国へのマズルカ」なのですとAさんは言いまず。シカゴに暫く暮らせば分かります。ポーランド人だけでなく、多くの民族が別れて暮らしています。ユダヤ人が集まる地域、アフリカ系の人が集まる地域、そして有名なチャイナタウンは目で見て分かります。

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「でも日系人は集落を作りませんね?」

その質問に答えたのは、シカゴ事務所の日系人秘書のキムさんです。

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「戦前はカルフォルニアには日系人が集まる街があったけれど、戦後に強制収容所を出た後はバラバラに分かれたのよ。リトルトーキョーにはもう日系人はいないの。それはね、日系人が強い民族だから。強い民族は群れたり、集まったりしないの」

世界中から多くの民族が集まる国ですが、人々が暮らし始めると、同じ民族、宗教、文化で、人々は集団を作るようになります。ニューヨーク、シカゴといった大都市では地域や街区で分かれることになります。

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これは、discrimination(人種差別)ではなく、segregation(偏析)です。人々は隔離される訳でも居住制限を強いられる訳でもありませんが集団を作ります。特に弱い人ほど集まります。しばしばその方が快適で安全で生活が楽だからです。

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実はこの傾向は、旧大陸の都市ではもっと顕著です。 中国の西部、例えばウルムチでは漢民族とウイグル族が住む街区が明確に分かれています。西安も同様です。

欧州はもっと強烈です。スペインの有名な観光地トレドでは、交差点に標識があり、ここから先はイスラム教徒の町、こちらはユダヤ教徒の町、こちらはカトリックの町という具合に明示されています。

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パリで地下鉄が不通だった日、試しに路線バスに乗ったら、不思議な街に連れていかれたことがあります。 窓の外は、アフリカ系移民の姿ばかりで、お店も北アフリカの町の店のようでした。 偶然、アフリカ系移民が暮らす街を通ったのです。

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ドイツの町でもトルコ人やセルビア人が暮らす地域は決まっています。 ロンドンもアフリカ系、中東系、ユダヤ系の人々が集まる街が分かれています。 それは差別ではなく、暮らしの知恵というべきものです。

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その事に我々が鈍感なのは、多民族国家とは言えない島国の日本に暮らし、かつ「強い民族」であり、排他的な宗教を信じる人が少ない、日本人だからかも知れません。でもその日本でも新大久保や鶴橋のコリアンタウンを見ていると、日本も同じだ・・と思います。在日コリアンはやはりマイノリティであり、弱い立場にあるのだ・・と理解できます。日本ではなかなか分かりませんが、外国に暮らせば自明のことです。

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日本人だって外国で暮らせば肩身の狭い思いをすることがあります。

秋刀魚を焼こうとすれば、煙と臭いが、ご近所迷惑だと言われたり、庭の芝生にタンポポが混じっていたら、だらしないと非難されたり・・、経験はありませんが、クジラの大和煮の缶詰なんか持っていたら大ヒンシュクでしょう。 でもこれは人種差別でも日本人蔑視でもありません。 しかしまあ、日本人同時がお隣さんで暮らしている方が気楽なのも事実です。

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だから、人種または「生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい」と作家曽野綾子は産経新聞に書きました。

http://blogos.com/article/105733/

このコラムに対して、すぐに反対意見が登場し、ネット上では「炎上」が起きました。

アパルトヘイトを容認するものだ・・ということで怪しからん・・というものです。

朝日新聞も検証する形で反論を載せています。

http://www.asahi.com/articles/ASH2J5SYDH2JUTIL04H.html?iref=com_rnavi_arank_nr05

NPO法人 アフリカ日本協議会なんていう怪しげな組織からも抗議が届き、ついには駐日南ア大使からも抗議文が届いたそうです。

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違う人種は分かれて暮らす方がよい=人種隔離政策

人種隔離政策=アパルトヘイト

アパルトヘイト=怪しからん糾弾すべきもの

→ 曽野綾子は怪しからん

という3段論法のようですが、「分かれて暮らす方がよい、移住だけは考えるべき」という表現が、人種隔離政策容認という内容に飛躍したのですから、3段跳び論法と言うべきです。

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アパルトヘイト容認と、生活習慣の違う人は分かれて暮らす方がいいというのでは天と地ほど、意味が違います。 はたして駐日南ア大使は日本語で曽野綾子のコラムを読んだのか?といぶかしく思いましたが、ああ、なるほど、ニューヨークタイムズが英訳して全世界に発信していました。 

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ひょっとしてまた大西記者かな?あのエボラ出血熱と間違われた・・・。 ニューヨークタイムズの日本支社は、築地の朝日新聞社に居候して、反日キャンペーンに使えそうな記事や日本の保守派を糾弾する記事を集めて英訳して世界に発信するのが仕事です。彼らの英訳なら相当誇張した表現になっているかも知れない・・。私も原文が見たい・・。

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悲しいことですが、外国の新聞が日本に関する記事を書く場合、何時も正確とは限りません。 また日本語の記事を翻訳する際も、実にいい加減です。政治的な意図が反映される新聞ならそれも仕方ありませんが、報道の自由を標榜するくせに、わざと偏ったり間違った記事を書く新聞社があります。ニューヨークタイムズはその一つです。

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曽野綾子氏は、チャイナタウンを例に出して、人種差別とは無関係な場合もあるではないか・・と言いますが、これも少し説得力に欠けます。

世界中にチャイナタウンがありますが・・(正確には中国と台湾にはチャイナタウンはありません)、その多くは商業上の利便性から、ショッピング街として存在するものです。つまり秋葉原に電器屋が集まったようなものです。

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居住地域としてのチャイナタウンも勿論ありますが、米国の西海岸の場合、それらは以前は、幾らか差別的な目で見られていました。映画「チャイナタウン」では、白人が入り込めない混沌の世界として描かれています。だからチャイナタウンは人種差別とは無縁とも言えないのです。

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むしろ、反論するのなら、ニューヨークタイムズの母国アメリカには、民族ごとの居住地域の偏析(segregation)は無いのか?と質すべきです。そしてそれがあるなら、それを認めているのか非としているのかを明らかにしてから反論せよ・・と言うべきです。

南アに対して反論するなら、今のヨハネスブルグで白人居住区と黒人居住区が依然として分かれているが、それを認めるのか?それはアパルトヘイトの残滓ではないのか?と尋ねるべきです。 それを便宜的な存在として認めるのなら、曽野綾子氏の主張に反論する資格はありません。

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偏析(segregation)とは本来エネルギーとエントロピーで説明できる現象です。分かりやすく言えば、あるがままに放っておけば、時間の経過とともに自然に進行する現象です。人間社会では、人々が普通に暮らしやすくなる方向に事態は変化します。それがエントロピーの増大であり、偏析の進行です。 それは、憎しみや敵意が原動力となる人種差別(discrimination)そしてアパルトヘイトとは、別の現象です。

私は曽野綾子氏が言いたかったのは、単にそれだけのことだと思います。

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それをアパルトヘイト容認と曲解し、保守派論客の攻撃のきっかけにしようというのは、ちょっと短絡的です。 うーむ・・何がいけないのか? やはり新聞記者やツイッター、フォロワーの人達が、エネルギーとエントロピー、そして偏析現象について無知だからなのかな? 私も実は詳しくないけれど・・・。


【 アート・ガーファンクルを聞く その2 】 [アメリカ]

【 アート・ガーファンクルを聞く その2 】

どのコンサートに行ってもそうなのですが、集まった観客を見ると、鏡をみているような気持になります。 実際には私より少し年上なのですが、60代前半くらいの中年後期の人が多いのです。既に頭髪は銀色かごま塩になり、おなかは少しでていて貫録のある男性達。 彼らの中には既に仕事を引退して、老後の人生を始めた人も多そうです。アート・ガーファンクルの観客の場合、私と微妙に違うのは、多くの人が、センスのある洒落た服を着て、上品な女性を伴っていることです。 一方、中年女性だけのグループもいます。ちょっと不思議です。夕日の射すロビーで考えました。 

アートガーファンクル.jpg

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この団塊の世代の人達は、自分達の青春の残照を確かめに、このコンサートに来ているのではないか? 多分あの夫婦は独身時代の恋愛を思い出すためにこのコンサートに来ているのではないか?

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そして必ず、観客の中には薀蓄を垂れる人がいます。私のすぐ後ろから男性の声が聞こえます。「1970年のサイモンとガーファンクルのニューヨークのコンサート。あれは凄かった。ものすごく多くの人が集まり、大変な熱気だった。思えば、あれがアメリカの最良の時代だったね。あの後、アメリカはダメになるばかりだ。最近のアメリカに魅力は無いね・・」

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彼はサイモンとガーファンクルが活躍した時代がアメリカの最良の時代だったと考えているようですが、果たしてどうか?

確かに、70年代、アメリカは最も豊かで、最も力のある時代でした。人類を月に送ることに成功し、科学技術は急速に進歩していました。能力があれば誰にもチャンスがあり、アメリカンドリームを叶えることができ、物質文明を享受できました。 しかし、その一方、ベトナム戦争で苦しみ、人種差別をなくす公民権運動でもがいていた時代です。

ユダヤ系の家庭に生まれ、コロンビア大学の大学院で数学の学位を取る秀才であったアート・ガーファンクルも、多感な少年時代に悩んだ事もあるはずです。

私は、今のアメリカの方が素晴らしく、人々は幸せだと思うのですが・・。

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やがて開演のベルが鳴り、アート・ガーファンクルが現れました。長身でスマートであった彼はやはり、少しおなかが出て、老年の面影があります。しかし、柔らかい笑った表情は昔のままです。 少し安心しました。

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彼は、あまりおしゃべりをせず、次から次へと歌を歌います。 そして歌と歌の間に、ローマ字の原稿を読んで、たどたどしい日本語を話しますが、やがてそれを止めて、英語で語り掛け始めました。 ゆっくりとした分かりやすい発音で語り掛けます。

「大丈夫、安心していいよ。 アート・ガーファンクルのコンサートを聞きに来る人なら、あなたの分かりやすい英語は全て理解するよ」

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彼の歌う曲名(セットメニュー)は事前に明らかになっていませんでしたが、彼の天使の歌声が充分に発揮される歌ばかりが続きます。 そしてそれは私の大好きな曲ばかりです。 「うーむ、実に選曲がいい。アートと僕は考えが一致する。」

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ボクサー

ア ハート イン ニューヨーク

水曜の朝午前3時に

スカボローフェア

LAから99マイル

ケイシーの歌

サウンドオブサイレンス

59番街橋の歌

ブライトアイズ

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そうかと思うと、アントニオカルロスジョビンの曲を歌ったりします。

彼には尊敬する5人のアーティストがいて、彼らの曲を歌うのが大好きだとのことです。その中にはポール・サイモンがいて、彼についても語ります。喧嘩別れした二人なのですが、やはりポールを持ち上げます。

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そして、アートが一番好きな歌はケイシーの歌だそうです。

この点も、私と全く同意見なのですが、なんのことはない、ケイシーとはアートの奥さんだったのです。

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心配だったのは、72歳の彼の高音がちゃんと出るか・・ですが、多少メロディをアレンジして、ごまかしていました。それでもスカボローフェアでは、声がかすれたところが、2か所ありました。 でもその後の「水曜の朝午前3時に」では、より高音のパートがあるのですが、そこは上手にクリアーします。

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かつて、若い頃に素晴らしい演奏をした外国の音楽家が、老いてから来日し、衰えた技量で、しかし一所懸命演奏する姿に、日本の観客が暖かい拍手を贈るということがありました。

私はそれを「ホロビッツ効果」と呼びますが(誰も支持してくれません)、アート・ガーファンクルの場合は、そんなことはなく、やはり、CDよりもLPよりも生の声がいい・・と思わせる歌声でした。 ああ、よかった。

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しかし舞台の上は極めてシンプルで質素です。以前、サイモンとガーファンクルと言えば、ライブでも録音でも日本製のリズムセットを駆使していたのですが、今はなんとノートパソコン1台でできるのです。 ああ時代なのか・・。

そしてギターを演奏するロシア出身のアーティストが寄り添っているだけです。二人とも普段着です。 「ああ、やはりここにポール・サイモンがいればなあ・・」と思った時、舞台の袖から一人の男性が現れました。 まさか?と思いましたが、別人でした。

彼は、アート・ガーファンクルの息子、アーサー・ジュニアでした。年齢は23歳、私の長男とほぼ同じ年齢です。

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そしてアーサージュニアは父親の曲を歌い始めました。父親と同じ、透き通るハイトーンです。そして次には父親とデュエットで歌います。 声は美しく、父親に優ります。

でも何か違うのです。衰えても、父親の歌の方が心を打ちます。そしてサイモンとガーファンクルのデュエットの方が、やはり、すばらしいのです。生きてきた時代の違いなのか、それは分かりません。

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私以外の観客には、スカボローフェアが一番評判良かったようです。 サイモンとガーファンクルが想を得た民族音楽(フォルクローレと言うべきか)で、人気があったのは、「スカボローフェア」と「コンドルは飛んでいく」です。そしてどちらも原曲の世界を離れて、アメリカ人に愛される曲に仕上げています。

英国にいた頃、東海岸の保養地スカボローの隣町まで行ったことがあります。ブロンテ3姉妹の末妹のアン・ブロンテ(アグネス・グレイなどの著作有り)が結核に冒され、保養に訪れ、若き晩年を過ごした静かな町です。

サイモンとガーファンクルが歌う、昔の恋人が住む町というイメージではありません。

でもそれを彼らがアレンジしたから成功したのです。

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アートと別れたサイモンは、グレイスランドでアフリカ音楽の取り込みに挑戦していますが、あまり成功していません。 それは彼がその音楽を自分のものとせず、アフリカの音楽そのものをリスペクトし過ぎたからだ私は思います。

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最後にアート・ガーファンクルはエクスキューズを言いました。

「本当は、最も人気があり、心を打つ曲である「明日に架ける橋」を歌いたかったのだけれど、まだ練習中でうまくできないんだ。 だから最初のフレーズだけで許してくれ」

私は耳を疑いました。「何十年も前に発表して、何千回も歌ってきたはずの曲を練習中だって?」 理由は簡単です。 この曲にはピアノが登場しますが、伴走者のロシア人の青年は、ギターしか弾けず、ピアノは無理だったのです。

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それにしても、なんと真面目で正直な男なのだ・・・。 そういえば私の知るアメリカ人も大抵は真面目で正直だった。

私は大きな満足感を得て、会場の席をたちました。 ロビーに出ると、当然ながら、日はとっぷりと暮れ、外は真っ暗です。

中年後期の男たち(女性も)の、青春の残照も消えてしまったか・・。

私は再びコートの襟を立てて歩き始めました。

「さて、今夜は久しぶりに映画「卒業」でも見ようかな」


【 アート・ガーファンクルを聞く その1 】 [アメリカ]

【 アート・ガーファンクルを聞く その1 】

今年の春の事です。20世紀を代表するフォークデュオのサイモンとガーファンクルの一人、アート・ガーファンクルが来日するという話を聞きました。その瞬間、「これはぜひコンサートに行きたいものだ」と思ったのですが・・・、その頃、私は広島県の会社への転職を考えていました。

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「ああ、東京にいれば彼の歌を聞きに行けるけれど、それは無理だな」しかし、彼のスケジュールの詳細を調べてみると、広島公演が組まれているのです。ありがたいことだ・・。

広島公演の127日は日曜日ですが、私の勤務先は出勤日です。電力を大量消費する電炉工場は、日曜日に出勤して仕事をするのです。ちょっと困りましたが、

「これは、半日お休みを貰って広島公演に行くことにしよう・・」

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「明日に架ける橋」や「サウンドオブサイレンス」「スカボローフェア」などで有名なサイモンとガーファンクルは、私が中学生の時に解散してしまいました。その後も時々、再結成して「マイリトルタウン」などのヒットを飛ばしていましたが、何時しか二人は別行動を取り、ソロのアーティストになっていきました。

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男性デュオが何十年も長続きするのはなかなか難しいことです。(男女のコンビなら結婚してしまえばそれでいいのですが・・・)。アーティストは誰も個性的で自我が強いですし、兄弟のデュオであってもいずれ分かれます。

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サイモンとガーファンクルの場合、2人には共通点も多かったのですが、違う点も多かったのです・・・特に性格が違いました。

草枕風に言えば、ポール・サイモンは「智に働けば角が立つ」方であり、アーサー・ガーファンクルの方は、「情に掉させば流される」方です。結局2人は分かれました。

別れた後は、「グレイスランド」などのアルバムを次々に出したポール・サイモンの方が目立っていましたが、アーサー・ガーファンクルの活躍も注目されるべきでした。「シザースカット」や「ブライトアイズ」などはソロになった後の彼の傑作です。

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私は、以前にポール・サイモンが来日した際、東京ドームでの公演を聞いたことがあります。 しかし、アーサー・ガーファンクルの公演は聞いたことがありません。

「何とか、アーサー・ガーファンクルの歌声を聴きたい。今回が最後になるかも知れないし・・」

アーサー・ガーファンクルの年齢は72歳、年齢的にも世界ツアーをするのは最後かも知れませんし、彼は一度、マリファナ使用で逮捕されたことがあります。日本の政府が恣意的に彼の入国を拒否すれば、彼はもう入国できないのです。これは行くしかあるまい・・・。

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私は以前、サイモンとガーファンクルには、お世話になったことがあります・・と言っても大したことではありませんが。

米国駐在をしていた頃、訪問先で初対面の米国人との会話の話題に困ることがあります。先輩の駐在員は野球やアメリカンフットボールの話題から打ち解けていきましたが、私には無理です。当時、私はスポーツに興味はなく、スポーツ関係の知識も全く無かったのです。そこで、私は考えました。私より10歳ほど年上の人に対しては、「あなたはビートルズ世代ですか?」と尋ね、音楽の話題で盛り上がりました。私より5歳ほど年上の人に対しては「あなたはサイモンとガーファンクル世代でしょう?」と話しかけると・・・ほとんどの人が頷き、体を乗り出して、唾を飛ばしながら「君もそうか?」と話して握手を求めてきました。彼らの話題のお蔭で私はずいぶん助かりました。

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実は、10歳以上の人達には、「エルビスプレスリー世代」を用意し、他にも「ピーターポールアンドマリー世代」や、「ボブディラン世代」版も用意したのですが、ほとんど登場しませんでした。

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なぜ、サイモンとガーファンクルは特別で、多くのアメリカ人に支持されたのか?

それは、彼らが20世紀後半、ベトナム戦争以降のアメリカの苦悩や哀しみを体現する歌を多く歌い、大多数の若いアメリカ人が、その歌と同じ思いを持ったからだと私は思います。

ボブディランや、ジョーンバエズほどのメッセージ性はなく、カーペンターズほど楽天的でない真面目な歌は、同じく真面目で悩みながら生きていたアメリカ人の共感を得ました。

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第二次大戦後、空前の好況と物質的な豊かさを享受する一方で貧困は存在し、キリスト教的博愛主義を標榜する一方で、インドシナ半島では戦争を行い、冷戦下で共産主義を憎みながらも、行き過ぎた資本主義の歪みを感じ、民主主義と平等主義を唱えながら、人種差別問題を抱えた、あの大国に暮らす人々の苦悩が、二人の飾らない歌に表現されていました。

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サイモンとガーファンクルの初期の歌には、ニューヨーカーというより「ニューヨークアイツ」の思いを歌った作品が多く、やがて「アメリカの歌」の頃には全米を代表する思いになり、アート・ガーファンクルの「LAから99マイル」では西海岸の歌になっています。「20世紀のアメリカを好きな人も、そうでない人も彼らの歌を聞くべきだ」

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私はコートの襟を立てて、午後の呉線の電車に乗って広島へ向かいました。

しかし、一抹の不安がありました。

72歳のアート・ガーファンクルの歌声はどうだろうか?」

彼の声は透き通るようなハイトーンが魅力でした。サイモンとガーファンクルは、ポールの作詞作曲と、アートの歌声で持っていたのです。「しかし、その声も衰えているかも知れない・・」。私がふだん聴くCDは、彼らの全盛期の声です。その声が枯れていたら興ざめです。

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最近70代になった男性歌手の声の衰えに悲哀を感じた事があります。もともと音域の広い歌手ではなかったOK.の場合、「生前葬」と名付けた奇怪なコンサートをTVで見ましたがさっぱりでした。 高音は出ないし、音は外すし、声量は乏しいし、かすれてしまい、がっかりしたのです。

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もし、アート・ガーファンクルがそうだったらどうしよう。 自分の青春時代の思い出までがスポイルされたようで悲しいだろうな・・

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やがて、私は広島駅で市内電車に乗り換え、平和公園に近い、アステールプラザに

着きました。 冬の陽は既に暮れかけています。

以下 次号

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【 Amendment 】 [アメリカ]

【 Amendment 】

米国の政治家はあまり涙を見せません。どんなに悲しい場面でも感情をコントロールできなくては、意思の弱い人とみなされるのです。政治家だけではありません。数学者藤原正彦は、米国で思ったのは「この国には涙がない」ということだと「若き数学者のアメリカ」に書いています。その後、私が暮らして分かったことですが、実際にはアメリカ人も泣きます。特に女性は泣きます。中国人や韓国人ほどではありませんが・・。

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そのアメリカも少し変わってきたようです。

オバマ大統領は、コネチカット州の小学校でおこった銃の乱射事件で、涙を流しながらスピーチしました。米国の政治家は皆スピーチが上手です。それに涙が加わると、さらに感銘深いものになります。一方、日本の政治家はスピーチが下手です。それに涙が加わると、見苦しさが増加します。この差は何なのか?日本の政治家は涙という塩味の調味料の使い方が下手なのか? よくわかりません。

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オバマは「もう懲り懲りだ。こんな悲劇には耐えられない」と語りました。これは実に上手な表現です。目の前の悲劇に対して、全ての人は共感しています。異論反論はありえません。しかし、オバマは次に具体的にどうすべきかを言いません。言えば国論が二分されるからですが、彼は上手な「論理の誘導」で銃規制に乗り出そうとしているのです。国民全体の気持ちが一致している現在の状況から次のステップに行こうとしているのです。

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私に言わせれば「遅いじゃないか。今頃になって。もっと早く対応すべきだったじゃないか・・」という事になります。もっと早く彼が決断していれば20人の小学一年生は助かったかも知れないのに。

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銃規制(ガンコントロール)は、オバマ自身の生命を守ることにもなります。

一体これまで米国の大統領の何人が銃で暗殺されたか、オバマ大統領は考えたことがあるのか? しかも米国史をみると、改革を行ったか改革しようとした意欲的な大統領に限って殺されています。殺されなくても、レーガンは狙撃されて重傷をおっています。大統領以外でもギフォーズ下院議員などは、銃の乱射で重傷をおいましたし、大統領候補のロバート・ケネディや、キング牧師など、アメリカにとって大切な人ほど凶弾に倒れているのです。

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オバマ以前に、黒人最初の大統領候補に目されたコリン・パウウェル元統合参謀本部長は、黒人大統領になった場合、暗殺される可能性もある・・として立候補を断念しました。銃の存在は、見えない形でアメリカの政治に不健康な影響を与えているのです。

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私が米国に赴任した直後の事です。シカゴのアパートで目を覚ましてラジオのスイッチを入れると「米国に来たばかりの日本人✕✕ヨシヒロが、銃弾を受けてまもなく死亡した」とニュースが告げています。

「あれ?僕はまだ生きているぞ」と寝ぼけ眼で考えましたが、それがルイジアナ州バトン・ルージュでの服部君射殺事件だったのです。

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犯人は、接近する不審人物に発砲しただけで、当然の権利の行使・・とルイジアナ州の刑事裁判では無罪になってしまいました。犯人の食肉加工業者は、普段からガンマニアで、小動物を撃ったりしており、明らかに異常な人物だったのですが、米国でのガンマニアはパソコンマニアやカーマニアと同じような感覚で見られるのです。

あの服部君射殺事件の時に、何らかの銃規制をしておけば良かったのに・・。

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ガンコントロールの議論がでると、必ず2つの反論がでます。

共和党を支持するロビー団体である、全米ライフル協会などが主張する訳ですが、

1. 警備する側も銃で武装しておけば、被害は最小限に食い止められた。

もっと一般市民が銃に親しみ、無法者に立ち向かえれば、安全で秩序ある社会が形成される。

2. 銃の保持は、米国憲法で認められた国民の権利である。憲法は不磨の大典であり、銃規制は憲法違反の不法行為である。

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どちらも反論するのがアホらしくなる幼稚な理屈ですが、全米ライフル協会というのは、脳ミソが筋肉でできていた俳優チャールトン・ヘストンが会長を務めていたぐらいですから、あまり高級な議論を期待してはいけません。

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悪漢に武器を持つことを許す一方で、こちらも武器を持ち、いざとなったら相手を殺傷するというのは、文明社会とは遠い発想です。 法律や裁判、その他の行政手段を用いず、市民どうしの殺し合いを可とするのはなぜか? その背景には平等ではない人命、そして平等ではない人権があります。そして超法規的なリンチ(私刑)への寛容さがあります。全く西部劇時代と何も変わっていないのか?

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犯罪者だって危害を受けずに裁判を受ける権利がある・・というのは文明国の考え方です。米国ではそうではありません。米国では、犯罪者、あるいは罪を犯そうとする者の権利は著しく低く見られます。正当防衛の範囲も拡大解釈されます。 単なる窃盗、こそ泥であっても、悪いのは泥棒の方だから・・殺されても仕方ない・・という乱暴さがあります。だから犯罪者も凶悪になり、一般市民も武装します。

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犯罪者の生命など鴻毛の軽きに考える銃規制反対派は、今回も女性校長が銃を携帯していたら、犯人を射殺できたのに・・というトンデモ論理を展開します。

武器さえ無ければ誰も死ななかった・・という発想ではなく、犯人は校長先生に殺されて当たり前・・という発想です。 この馬鹿げた理屈を信奉する人は少ないはずですが、どこかで自分も銃を発射し、他人を殺してみたいというのがアメリカ人のエトスなのかも知れません。

相手の人命、人権を尊重しないという野蛮さは、外国に行った時も発揮されます。 米兵は呵責無く、遊び感覚でイラクの民間人を、アフガンの民間人を殺しました。 

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もうひとつの論点である「銃の保持は憲法で認められた権利」とする説も、突っ込みどころ満載の、無茶な理屈です。 憲法とは言っても、武器の保有を国民の権利とするのは、修正第二条、いわゆるAmendment Chapter2です。 これは国民の権利の部分だけをまとめた権利章典に記載されたもので、州によって扱いが異なります。

確かに憲法の一部ですが、後で追加されたもので、これを不磨の大典とするのは間違いだと考えます。

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全ての法律は、その目的や、できた時の時代背景などを考慮する必要があります。

Amendment Chapter2は、独立戦争からそれほど時間が経っていない18世紀に、「規律ある民兵」を多く必要としたために、国民の武器の所有を認めたのです。あくまで国防上の理由です。それが21世紀に民兵など・・・馬鹿馬鹿しい限りで、単に危険なおもちゃを手放したくない手合いがこじつけで、唱えているだけです。

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三流の役人にしばしば見られることですが、ある提案を拒否しようとした時、理屈ではかなわないから、「これこれの法律によって、それはできません」と役人は言います。法律の趣旨や成立した背景は語らず「とにかく法律で禁じられているのだから仕方ないじゃないか」と議論をシャットダウンします。

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法律は悪法であれども守るべき・・というソクラテス以来の考えを否定はできませんが、議論を封じる為に、あるいは現実を見ない為に、法律を持ち出すのは禁じ手です。法律が時代に合わなければ改正するのが筋であり、役人はともかく立法府の選良が、「法律だから仕方ない・・」というのは怠慢なのか、後ろめたい理由があるかのどちらかです。

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オバマ大統領が「もう耐えられない」と言ったのは悲劇を指しているのでしょうが、不磨の大典を拠り所にして屁理屈をこねる守旧派に対してもでしょう。

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ご承知の通り、憲法には改正が容易な軟性憲法と改正が困難な硬性憲法があります。硬性憲法の代表格は日本の現在の憲法です。これはGHQが原案を作成したものですから、当然ながらアメリカの憲法と共通する部分が多くあります。 しかし違うのは、人権をまとめた権利章典を設けなかったことと、硬性憲法であることと、国民の武器の所有を権利化しなかったことです。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。

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その日米両方で憲法を見直す動きがでてくるかも知れません。

米国は悲惨な現実を前にして、銃規制反対派の旗色が悪くなって来ました。銃規制反対を続ければ、当選できなくなるかも知れません。

一方、日本は中国と南北朝鮮からの脅威によって、憲法九条の見直しが視野に入って来ました。日本とアメリカ、どちらも憲法制定時から時間が経ち、見直しの必要があるのかも知れません。

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日本の場合、憲法九条の前に、硬性憲法である事を規定する憲法96条の改正が必要ですが、長く続くだろう神学論争に近い学者の協議よりも、尖閣諸島での中国の銃弾一つで話が決まるでしょう。

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同じ銃弾でも、米国の場合は修正第二条の撤廃がポイントです。オバマ大統領が署名する法案には、「武器よさらば ” A Farewell to arms”」方案と名付けたいですね。

実際にはヘミングウェイも銃が好きだったみたいだけれど。


【 ボンクラの勝利 再び その2 】 [アメリカ]

【 ボンクラの勝利 再び その2 】

 

イリノイ州の中央部、スプリングフィールドの近くに、アラバナ・シャンペーンという小さな町があります。シカゴからセントルイスへ走る高速道路からちょっと外れた場所にある閑静な学園都市です。そこにはイリノイ大学の本部があります。

イリノイ州といえば、ノーベル賞受賞者だけで野球が6チームできるというシカゴ大学、自然科学の分野で特異な業績を挙げているノースウエスタン大学、神学部と医学部が有名なロヨラ大学などが思い浮かびますが、それ以外にも一流の研究者が集う名門大学がキラ星の如く存在します。残念ながら、オヒョウには全く関係ありませんでしたが・・・。

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その中で「イリノイ大学を忘れてもらっては困る」と私に語ったのは鉄の凝固を研究するブライアン・トーマス准教授です。確かにイリノイ大学からも優れた研究が多く報告されています。 その中でも1976年に発表された研究は世界中の話題になりました。

それは四色問題(four color theorem)を証明・解決した論文です。

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ご存知でない方に申し上げれば、この問題は「地図を国別に色で塗り分けるには、最低何色必要か?」という単純な問題ですが、古来多くの数学者を苦しめてきました。

単純に考えれば4色あれば十分なのですが、その証明ができません。

3次元以上の場合は、比較的に早く、4色でいいという結論がでましたが、2次元(つまり普通の地図)の場合で、人々は苦しみました。

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その難問を1976年にイリノイ大学アラバナ・シャンペーン校のハーケン教授が解き、証明しました。しかし、その証明は、それまでの数学の証明とは全く異なる方法でなされたのです。 膨大な数の場合分けについて、それをコンピューターで処理して、5色以上を必要とする場合は無い・・という結論の形で、四色問題を解決したのです。

これはある意味でつまらない証明です。数学者が尊ぶエレガントさがありません。

機械的で単純な作業をするコンピューターにひたすら調べさせたのですから。

それに、この問題が解けたからどうなの?という冷ややかな意見もあります。その後の数学の発展を見通せる展望が開けない論文だったようです。

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しかしこれは、別の意味でエポックメーキングでした。 機械的な単純作業だけでなく論理的な考察、理論の構築にもコンピューターが使える事が証明されたのですから、その意味で新しい研究手法の確立とも言えます。 その後コンピューターを使って数学の証明をする研究分野が確立しました(Automated Theorem Proving)。ポイントはコンピューターの演算結果を以て証明とみなせるように、アルゴリズムのお膳立てをすることです。四色問題では、それに膨大な時間と頭脳が必要でした。

一部の数学者からは異端として冷淡な目で見られている分野ですが、着実に成果を挙げているようです。 門外漢の私には、数学界の中での位置づけがどうなのか、わかりませんが。

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コンピューターが膨大な手続きが必要な数学の証明に使えるのなら、将棋の完全解析にも使えるのではないか? 私はそう思います。 そして将棋が先手必勝であることが、近い将来証明されるのではないか?と予想します。

その場合、その証明で活躍するのはコンピュータープログラマーであり、将棋の高段者ではないでしょう。

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歴史を見ると、しばしば画期的な発見や発明が、専門家でない人によってなされます。 ノーベル化学賞の田中さんは、化学者ではありませんでしたし、 岩宿で旧石器時代の石器を発見した相沢さんもアマチュアでした。独特の知識や技術を持ち、しかし先入観を持たない人によって、発見や発明はされます。 コンピューターの登場は専門家ではない素人に活躍の場を与えます。 多分、将棋の先手必勝も将棋の専門家ではない人によってなされるでしょう。

一方、高段者や将棋を愛する人達は、密かに将棋の先手必勝が証明される事を嫌がるでしょう。

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ところで、数学者(位相幾何学者)からは冷淡に扱われた四色問題の証明は、イリノイ大学の学生やアラバナ・シャンペーンの住民からは熱狂的に支持されたそうです。大学では Four Color Is Enough ! ”と書いたTシャツが売られ、多くの人が買い求めたそうです。 今でこそ、時の話題にちなんだメッセージを大書したTシャツやトレーナーは、ほうぼうで売られていて珍しくありませんが、70年代の四色問題証明を喜ぶこのTシャツは、その先駆けだったのではないか?と私は考えます。

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残念ながら、オヒョウはその Four Color Is Enough ! “と書いたTシャツを買い求める事はできませんでした。 しかし、大学を訪れた際、同行した男が奇妙な事を言ったのを記憶しています。

「あれぇ? “Four Color Is Enough !” じゃなくて、”Four Colors Are Enough ! “じゃないのかなぁ?」

アホな事を得意げにしゃべっていましたが、彼は、極度に肥満し、アゴの尖った不愉快な男で、たしか赤井とか言ったかなぁ? そう言えば、彼は将棋も下手くそで9級くらいだし、コンピューターのプログラミングもできないはずです。 四色問題とも将棋の完全解析とも無縁な男だな・・と彼の事を思い出します。


【 孤立無援のアラモの砦 その2 】 [アメリカ]

【 孤立無援のアラモの砦 その2 】

1836年、メキシコからの独立を目指したテキサス人が籠るアラモの砦は孤立し、やがてメキシコ軍の総攻撃を受けて陥落し、守備隊は全滅しました。その際、遠隔地のテキサス軍に救援を求める為に脱出し、援軍要請をした後に再び危険な砦に舞い戻り、そして戦死した男がいます。ジェームス・ボーナムという軍人で、敢えて死地に戻ったその義侠心が讃えられています。

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これを、武田軍に包囲された長篠城を脱出し、岡崎城の織田・徳川軍に応援を依頼したあと、再び長篠城に戻ろうとして武田軍にとらえられ、長篠城の味方に援軍の到来を伝えて殺された鳥居強右衛門の故事になぞらえて、顕彰した志賀という日本人がいます。残念ながらアラモの砦跡に彼が建てた石碑は、日本語で書かれているうえに、表面が摩滅して読みづらいため、ほとんどの観光客からは無視されています。

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私は、太平洋戦争中と戦後の反日感情が高まった時期に、この石碑が破壊・撤去されなかった事を不思議に思いますが、ほとんど注目されていなかったお陰かも知れません。そもそも漢字の碑文は、アメリカ人には中国語か日本語かもわからなかったでしょうし。

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それはともかく、孤立無援の状態で援軍を待つ・・という切なさは、万国共通のものかも知れません。

その中でも、第二次大戦中に兵站の維持に無頓着だった日本軍は、各地に守備隊が取り残され、彼等は救援を待ちながら敗北していったのです。

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その記憶がある訳でもないのでしょうが、現代の日本人は、とにかく孤立や孤独を忌避する傾向にあります。孤立する事は、即ちその時点で敗北する事でもあるかのように、仲間を求めます。そして意見の対立を恐れます。

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「我に信念あれば、百万人といえども、我ゆかん」という信念を持つ人はごく小数です。 民主主義の要諦は、多数決の原理ですが、決して少数意見を無視してよいという理屈ではありません。意見の対立も議論の段階では可なのです。決めた事には従うが、その前の段階では意見の相違を認め合うのが民主主義ですが、今は違う意見の存在も認めない雰囲気が、日本の社会にはあります。

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例えば、今の時点で、原子力発電に賛成する意見は小数でしょうが、その意見を表明する事は重要です。 そんな事を言えば、周囲で孤立するから・・とか袋叩きにあうから・・という事で黙っていては、民主主義が成立しません。

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今の政府は、原発廃止を明確に断言できません。経済面や国民の福祉面であまりに影響が大きいからです。しかし原発継続を言えば、袋叩きです。国民世論で原発を擁護する意見があれば、議論ができますが、それがありません。

だから原発廃止でもなく維持でもなく、実に歯切れの悪いコメントしか発表できず、政府の信用は下落するばかりです。

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これは少数意見を言えない、全体主義的、ファッショ的な雰囲気が世の中にあるからです。何時から日本は、少数意見を言えない国になったのだろうか?

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かつて、高橋和巳は、自分の論文集に「孤立無援の思想」だの「孤立の憂愁を甘受す」などという名前を付けました。

左翼的、進歩的思想を強く持ちながら共産党の思想とは一線を画して、自分自身の思想を語る時、孤立するのもやむを得ない・・との発想からでしょう。

今思えば、30代の思想家が自らを「孤立無援の思想」と語るのは、やや肩に力が入っているかな・・と思いますが、彼が孤立を厭わなかったのは事実です。

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彼が孤立を厭わなかった理由の一つは、彼は「弁がたった」からでしょう。頭がよく、自分自身で考えたオリジナルの意見がある人は、議論を厭わず、弁論に勝ち、他に流されずに済みます。

残念ながら今の日本はそうでない人が大半です。

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ドイツ人やアメリカ人は、他人と自分の違いを大切にします。違う意見を持つ人を見つけると喜び、debate(議論)を楽しみます。彼等にとって討論は一種のスポーツとも言えます。

一方、日本人は自分と同じ意見を持つ人を見つけると喜びます。議論はせず、相手には自分への同意を求め、それを得ると満足します。意見の対立が表面化するdebateは極力避けます。

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国民性の違いや、討論に慣れているかどうかという問題もありますが、とにかく日本人は孤立無援を嫌います。

中国の哲人は、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言っています。

対立を避け、孤立を嫌う日本人は「同じて和せず」であり、「和して同ぜず」の欧米人とは明らかに違います。本来は「和を以て貴しとなす」のが日本人なのですが・・・。

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原発問題に話を戻します。

原発問題に関し、その危険性やエネルギー問題について、自分で考えない人は、福島の被災地の報道を見て、それだけで全てを判断します。

破壊された発電所の建物、遠隔地に避難を余儀なくされた人々、放射能不安、・・つまり「原発は許されないもの」というマスコミに誘導された結論が全てです。それに異議を唱える事はタブーであり、その意見は排除されます。

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原発反対論者を「集団ヒステリー」と評した野党の政治家に対するツイッターを見ると、いまだに原発を擁護するその姿勢に呆れた・・とする意見がほとんどです。すでに世間は原発の評価についての議論を封殺しています。

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かつて高橋和巳が孤立無援である事を潔しとした世界では、少数意見の持ち主も生きてゆけました。しかし現代では難しいかも知れません。

マスコミの高度な発達は人々の思想を単一化していく・・という予想は以前からありました。 しかし、インターネットの発達で情報発信がインタラクティブ化(双方向化)して、その弊害は防がれたと・・と私は期待していたのですが難しいようです。

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今、日本人は孤立を恐れ、連帯を求め、他人と価値観や思想を共有する事を望みます。でも私のようなへそ曲がりは、それに逆らい、何時も孤立無援の思想を持ちます。そして私が感じる精神の孤立は、テキサスの草原の中での孤立に共通する事があります。

いつか、ヒューストンから援軍が来ないか・・と期待する事もありますが、まず絶対に来ません。援軍でなくても、勇気づけてくれる鳥居強右衛門のような人物が声をかけてくれるならありがたいのですが、それもありません。

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そして「ああ私は一人だ」と感じる時、アラモの砦に吹いていた乾いた風の音を思い出すのです。




【 孤立無援のアラモの砦 その1 】 [アメリカ]

【 孤立無援のアラモの砦 その1 】

私が20年も使っている、古びたカバンは、アメリカのテキサス州サンアントニオで買い求めたものです。今は日本でも珍しくない巨大なアウトレットがその街にあり、そこで買ったのです。

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そのサンアントニオの街から遠くない場所に有名なアラモの砦跡があり、観光名所になっています。実は1830年代まで、テキサスはメキシコ領でした。

もっとも、当時テキサスの帰属は明確ではなかった・・という方が正確かも知れません。そのテキサスがメキシコからの独立を試みた際、サンアントニオの郊外にあったアラモの砦は、膨大な数のメキシコ軍に包囲されました。

砦の人々はアメリカからの援軍を待ちましたが、ついに援軍は現れませんでした。彼等はメキシコ軍の一斉攻撃を受ける前に、砦の中にいる女性を解放したあと、総攻撃を受けて全滅したのです。その経緯はジョン・ウェインらが出演した映画「アラモの砦」でよく知られています。

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テキサスは、その後メキシコを離れ、米国に併呑され、一つの州になりましたが、今でもある条件の元で、米国からの独立が可能です。

州の旗は、ローンスターと呼ばれ、一つの星が描かれています。50個の星が描かれている星条旗とはちょっと違うのです。微妙な立場の州と言えます。

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私が、そのテキサス州アラモを訪れた際、多くの事を不思議に思いました。

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第一には、その観光名所に、アメリカ人だけでなくメキシコ人と思われる観光客も来ていたことです。メキシコはアラモの戦いの後、米墨戦争で敗北し、国土の1/3を失っています。メキシコ人に言わせれば、アメリカはカリフォルニアやテキサスなど、北米の最もいい部分をメキシコから奪い取っていった・・という事になります。アメリカが掠めとった米国南部はメキシコ人にとっては、決して愉快な場所ではありません。一方アラモの砦だけをみれば、テキサス人がメキシコに敗北した屈辱の場所であり、愛国心を鼓舞される場所です。そこにかつての敵国人であるメキシコ人が仲良く見物に来ている・・というのはちょっと不思議です。

売店には星条旗だけでなくメキシコの国旗も売られています。

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例えは変ですが、真珠湾のアリゾナ記念堂に日本人が多く訪れ日章旗が売られているようなものです。私はまだハワイに行った事がないので、アリゾナ記念堂がどんなものか・・分からないのですが・・・。

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第二には、アメリカは外国との戦争によって領土を拡大していない、あるいは外国への侵略戦争はしていない・・というのが嘘ではないか?という事です。

米国は米西戦争でも、米墨戦争でも相手国から国土を奪っています。

20世紀以降、米国は外国への干渉をしないモンロー主義から踏み出し、世界の戦争に参加していますが、諸外国への言い訳として、戦争の結果として国土を簒奪しない・・というスローガンを持っています。でもかつてのアメリカは必ずしもそうではありません。

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そう考えると、沖縄だって、米国は今でも自分の掌中のものだと考えているかも知れません。今後イラクがどうなるかもちょっと心配です。

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また、アメリカ人は、外国との戦争は、すべて国外で行われ、米国本土で戦われた戦争は、独立戦争と南北戦争だけだ・・と考えていますが、これも疑問です。米墨戦争に関しては、戦後に、戦闘が行われた地域を併合したのだ・・とも言えますが、少なくとも現時点の全米50州の中で外国との戦争が行われました。

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そして、私がもうひとつ思ったのは、ある言葉の英語表現のことです。

私が思うに、玉砕とか特攻という言葉を、英語で表現するのはとても難しいのです。

Suicide Attack(自殺攻撃)だとかBanzai Attack(バンザイ攻撃)、Kamikaze(神風攻撃)という表現だと、米国人には、理解できない気違いじみた行動、つまりファナティックでクレージイな行動と理解されます。

そこには勇敢さや自己犠牲の精神への尊敬はなく、むしろ軽蔑の対象となるニュアンスがあります。

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全滅・・という言葉には、Wipe Out(拭い去る)という表現がありますが、これは「全滅させる」という攻撃側からの表現であり、玉砕する側に主語を置いた表現は見かけません。国家独立後、もっぱら相手を攻撃し、全滅させてきた側の、アメリカならでは事情とも言えますが、これでは太平洋戦争での日本軍や日本人の行動を正確に表現することはできません。

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しかし、アラモの砦を見て、少し考えを改めました。彼等は、負けると分かっている戦いで、敢えて降伏せず、全滅の道を選んだアラモの砦の戦士達に深いシンパシー(同情といより共感)を感じています。アメリカ人にとっても、負ける戦いで敢えて死を選ぶ事は愚かな行為ではなかったのです。

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そういえば、アメリカの歴史の教科書には、必ずパトリックヘンリーの有名な言葉が登場します。 独立の際のアジ演説の言葉「自由を!しからずんば死を!」です。 つまり、主義や主張の為に死を選ぶ事は、アメリカでも英雄的行為なのです。

余談ですが、この言葉は、コネチカット州の自動車のナンバープレートに書かれているので、アメリカ東部をドライブすれば、いやでも目に入ります。

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そして、私が玉砕の地であるアラモの砦を見て考えた後、世の中は変化しました。

21世紀に入ると戦争の形態が変化し、正規軍どうしの衝突から、ゲリラ戦やテロ攻撃に重心が移ったのです。

中東やペルシャ湾岸の紛争では、正規の戦闘では全く敵わない弱者の側がしばしば自爆テロに訴えています。

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かつて、日本の特攻を、日本人固有の行動様式であり、外国人には理解出来ないもの・・と評した人々は見直しを迫られています。20世紀の幕開けと同時に発生した、9.11の同時多発テロは、自爆攻撃が日本人だけのものではないことを証明しました。ただし、正規の戦争中に行われた戦闘行為の一種である特攻と、平和な社会の市民を突然殺戮するテロを同列で論じる事は勿論できませんが・・。

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そして、9.11の数年後に封切りされた、硫黄島の戦いを描いた2つの映画「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」は、太平洋戦争で絶望的な戦いの中で敢えて死を選んだ日本人将兵の心情に、アメリカ人が理解を示す内容になっています。

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60年を経て、初めて理解される事もあるのか?・・・。

ところで、アラモの砦には、場違いとも言える日本語で書かれた不思議な石碑があります。そこにはアラモの砦のエピソードを日本の鳥居強右衛門になぞらえて顕彰する内容が書かれています。それを見たとき、私は「なるほどなぁ」と思ったのですが、その続きについては次号に記します。

(多分、更新は明日になります)






【 アメリカの牛肉 】 [アメリカ]


【 アメリカの牛肉 】

テキサス州の新聞、Houston Chronicle紙に面白い記事がでていました。

電子版のURLは下記の通りです。

http://chron.delish.com/food/recalls-reviews/big-america-takes-on-japan

日本のマクドナルドで、期間限定でビッグアメリカというキャンペーンが行われ、テキサスバーガー2が売られているのを紹介するニュースです。

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アメリカでは、低カロリーで上品で健康によい・・というのが日本食の評判ですが、その本家本元で、高カロリーで脂ギトギトの肥満の原因となる大型のハンバーガーが売られるとは、これいかに・・というちょっと皮肉の入った記事です。

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しかし、オヒョウは例によって、別の事を考えます。マクドナルドはアメリカシカゴが発祥の地です。 アメリカを南部と北部に分ければ北部であり、南部のテキサスとは違う国・・とも言えます。

そのマクドナルドがなにゆえ、テキサスバーガーという名前をつけるのか?とオヒョウはいぶかります。

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いろいろな料理や品物に、土地の名前がついているけれど、実はその土地に暮らす人々は「そんなものは知らない」という事がしばしばあります。

例えば、数年前にブームになった小型犬チワワの名前は、メキシコ北部のチワワ州に由来しますが、チワワ州の人はそんな犬は知らない・・と言います。

オヒョウの好きなトルコライスはトルコには無いそうです。トルコ風呂はあるそうですが、日本のトルコ風呂とは全く違うものだそうです(オヒョウはトルコにもトルコ風呂にも行った事が無いので知りませんが)。

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チェスの定跡のひとつ、チャイニーズギャンビットは、将棋の穴熊みたいな作戦ですが、中国で発明されたものではないでしょう。中国の人はほとんどチェスを指しません。

落花生の事を我々は南京豆と呼びますが、南京の人はそう呼びません。

そう言えば、南京虫の事を、南京の人は知らないそうです。多分、南京にも南京虫はいるでしょうが違う名前です。

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不可解な地名のついた品物を挙げていけば切りがないので、ここで止めますが、マクドナルドになぜテキサスバーガーがあるのか、ちょっとひっかかります。だいたい、日本のマクドナルドで使用する牛肉はオーストラリア産だそうです。

http://www.mcdonalds.co.jp/anzen/measure

それなのに、テキサスバーガーとは・・・? 

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ではアメリカだけに話題を絞り、マクドナルド本家のシカゴの牛肉とテキサスの牛肉は違うのか?という問題があります。 どちらも牛肉で有名な土地ですが、オヒョウの記憶ではちょっと違います。ダラス・フォートワースやヒューストンではやたらと角の長い独特の牛を食べます。 その名もロングホーン種で、レストランの名前にもありますが、強烈な南部なまりでロングホーンと言われても、すぐにはわかりません。しかしおいしい牛ではあるのは間違いありません。

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ではシカゴの牛は別の種類か?と言われれば、確かに違うのですが・・、実は生まれは南部だったりします。ちょっとややこしいのです。アメリカの畜産は、実に雄大です。ロッキー山脈の裾野の広大なグレートプレーンズで、仔牛は誕生します。 その地の牧場で草を食べて大きくなりますが、それで終わりではありません。 ある段階まで育つと、巨大な群れを作って、シカゴへ向かいます。それはシカゴに屠殺場があるからです。今は、多くが鉄道輸送でしょうが、昔は、野原を牛の集団を率いてカウボーイが移動したのです。まさにローハイドの世界です。

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南部出身の牛が中西部に着いて旅は終わりか・・というとそうではありません。イリノイなどの中西部にはコーンベルトと呼ばれる穀倉地帯があります。そこで牛は栄養価の高い飼料デントコーンを食べて、一挙に肥えます。最後の段階で、トウモロコシを食べる事で、肉は美味しくなるのだそうです。まあ、ビールを飲んでマッサージされる日本の牛ほど贅沢ではありませんが。

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だからシカゴの牛肉は、ステーキからハンバーガーに至るまで美味しいのです。 ちなみにオヒョウの義父は、アルゼンチンに滞在した事があり、牧場で食べたおいしいステーキの味が忘れられない・・と言います。

しかし、アルゼンチンの牛はアルファルファという牧草を食べて育ったもので、所詮カロリーではシカゴの牛にかないません。

余談ですが、オヒョウはアルファルファのサラダも好きです。

牛の餌となる牧草か・・と思うとちょっとつまりませんが。

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この米国のビーフステーキは、世界の歴史に大きな影響を与えました。

1960年代、冷戦のまっただなか、国連総会に出席するため、訪米したソ連のフルシチョフ書記長(当時)は、ビーフステーキを食べたとたん、ロシア語でこう叫びました。

「これはアメリカの陰謀だ! このようにうまい肉を食べさせて、共産主義社会を堕落させようという魂胆だ!」

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冗談なのか、本音なのか分かりませんが、当時、ふんだんに牛肉を食べられたのは、豊かな西側の先進国だけだったのです。フルシチョフは、このうまい牛肉の秘訣がトウモロコシを食べる事であると教えてもらい、帰国後、ロシアの農地でも飼料用トウモロコシの栽培を開始しました。

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しかし、失敗しました。大規模畜産を成功させるには、幾つも条件があり、ロシアの農業にアメリカの方式をそのまま持ち込む事は不適当だったのです。 人が穀物を直接摂取する場合に比べて、食肉の形にして摂取すると、生産効率は1/5以下になります。飢餓とは言わないまでも、食糧にゆとりのないソ連で、アメリカ型の牛肉をふんだんに食べる食生活は、当時は無理でした。

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農政に失敗したフルシチョフは失脚して、コスイギンの時代になり、やがてブレジネフ書記長の時代に冷戦はピークに達します。

ああ、考えて見れば、20世紀の時代、農政に失敗した指導者のなんと多いことか・・・。

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牛肉をめぐる悲喜劇は21世紀も続いています。北朝鮮では、国民に肉のスープを食べさせるのが目標ですが、いまだ実現していません。

食糧が不足し、絶対的なカロリー不足になっているなか、下手に贅沢な畜産などに手を染めれば、人々はますます困窮します。 と考えていたら、なんと、北朝鮮で口蹄疫が蔓延しているそうです。病気が流行するほど家畜がいる事が不思議ですが・・。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110118-00000000-asiap-int

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北朝鮮の人々を覚醒するためには、ピョンヤンにマクドナルドを作り、テキサスバーガーを配ればいいのです。「君たちが敵視するアメリカ人はこのように高カロリーのものを食べ、ダイエットに苦労しているのだ」と言えば、北朝鮮がもつ敵愾心がアホらしい事に気づくはずです。

勿論、かの将軍様は叫ぶでしょうね。

「これはアメリカの陰謀だ」と。勿論、朝鮮語で。




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