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【 地下にあるもの 】 [政治]

【 地下にあるもの 】

 

大阪の学校法人に国有地を払い下げたものの、その土地にゴミが多く埋まっていたことから、そのべらぼうな撤去費用を国が負担する事になり、不適切な国有地売却として大きなスキャンダルに発展しています。実際、埋設ゴミの撤去に8億円もかかるとは信じられません。森友学園なるものが怪しげな存在であることは論を待たず、不当な安値での国有地売却は追及すべき問題です。しかし、私は全く別のことを考えます。

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元は沼地だった土地の地中から膨大なゴミが出てくる様子を見ていると、大阪市民はその沼をゴミ捨て場にしていたのだな・・と分かります。 大阪人はあの有様を見て恥ずかしいと感じないのだろうか・・・。 公共の場を汚し、汚物を無責任に放擲するのは、本来の美意識からは遠い行動です。

それにしても、同じゴミ捨て場でも、有史以前のゴミ捨て場は貝塚として珍重され研究対象となるのに、現代のゴミ捨て場はひたすら醜いばかりです。

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同じように、地下汚染が問題となるのは、東京豊洲の市場移転先です。 小池都知事は、土壌汚染を発見して、鬼の首を取ったがごとく、得意満面で昔の知事の非を追及していますが、疑問も多くあります。 冷凍マグロを地面に直接置く訳ではあるまいし、地面から多少のベンゼンが検出されても、食品には影響ないのではないか?と素朴に思います。 それに豊洲がだめで現在の築地がいいのか?と言えば、それも怪しいところです。 築地は環境調査を徹底する前に建設した設備ですから、地中に何があるか、わかったものではありません。

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そしてこの問題を追及する朝日新聞こそ、築地の本社の地下を汚している可能性があります。 インクの有機物質も問題ですし、何といっても新聞社といえば鉛汚染です。 もっとも今の時代、新聞印刷と鉛にどういう関係があるか知らない方も多いでしょうが・・・。

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豊洲がいいのか築地の方がいいのか、それとも両方だめなのか、よくわかりませんが、時間だけは経過します。大騒ぎで移転が遅れる分、関係者の負担は膨らみ、都民の負担も増大します。小池氏はその点にはひたすら無頓着です。

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豊洲の東京ガスの工場跡地だけでなく、残念ながら、日本の場合、工場の跡地にはなにがしかの汚染物質があると考えた方がよさそうです。 化学工場でなくても、機械の洗浄には、トリクロロエタンやトリクロロエチレンを使います。そして六価クロムやPCB、石綿のような極端な有害物質でなくても、化学物質であれば今は問題視されます。

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私の知る、ある鋼管製造会社も市川の工場跡地を道路公団に売却した後、汚染物質が発見され、裁判に訴えられ、莫大な賠償金を払わされました。高速道路の下の土地に多少の有機溶剤が染みていても問題なかろうに・・という理屈は通りません。

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工場だけではありません。ドライクリーニングの店からはテトラクロロエチレンが発生しますし、ゴルフ場の除草剤も地下水を汚染します。 困ったことに、人が社会生活を営めば、土壌汚染と地下水汚染は自動的に発生し、しかも汚染源の特定が難しいのです。 その昔、有吉佐和子が指摘した「複合汚染」は、今も文字通り、地下で進行しています。 工場や工場跡地での汚染に対しては、マスコミも厳しく糾弾しますが、市井の人々の暮らしに関連した汚染や自分たちに都合の悪い汚染は無視します。

前述のクリーニング店のテトラクロロエチレンや新聞社の鉛公害がその例ですし、マスコミは自分たちが遊ぶゴルフ場についても、あまり追及しません。

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私の鹿島の家は20年以上井戸水を使っていましたが、化学物質が検出されて飲用不適となり、仕方なく水道水に切り替えました。 近隣のゴルフ場が関係している可能性がありますが、断定もできません。

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地下が汚いのは、工業化が進み、近代化した日本だけの事情であり、外国はそうではない・・・とナイーブに考える人もいるようですが、そうではありません。 中国の土壌・地下水の汚染は、日本人の想像をはるかに超えています。

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ではアフリカやアジアの途上国はどうか? 途上国は汚染されていない・・と考えたかどうか分かりませんが、昔日本の民放が募金して途上国に井戸を掘って、飲料水や生活用水を確保してあげるという奇妙なキャンペーンを行いました。よかれと思って行った善意の行動でしたが、落とし穴がありました。 

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実はユーラシア大陸とアフリカ大陸には、地下の浅い位置にヒ素が集積・濃縮した地層が広範囲に存在します。 浅い井戸を掘って、飲料水や生活用水、灌漑用水を提供した場合、途上国の多くの人がヒ素中毒になる可能性があるのです。「アフリカに井戸を!」という思い付きで始めたキャンペーンは、健康上の大問題を指摘され、ヒ素かに、いや、密かに幕を閉じました。

実は豊洲のベンゼンよりも、アジア・アフリカのヒ素の方が、遥かに大きな問題です。

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本当は、むやみに地下のものを暴くべきではないのかも知れません。日本だけでなく、世界中に、見たくないもの、見せたくないものを地中に埋める考え方があります。中国では衝突した新幹線車両の残骸を地中に埋めようとしましたし、日本では大地震などの天災の後の瓦礫を埋めます。 今、恋人たちが語らう横浜港の山下公園は、関東大震災の瓦礫を埋めたその上に造られています。 東日本大震災も満6年が経過し、悲惨な風景は姿を消し、瓦礫は地中に埋まっているはずです。

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悲惨なものを地中に覆い隠し、その上に地上の平和な風景を演出すべきだ・・という意見がありますが、一方で地中の埋設物に神秘さを感じることもあります。

中国の蒲松齢が編纂した「聊斎志異」には多くの奇談・怪談が登場しますが、その中に

「西域の砂漠には実は龍が埋めてある。誰でも行って勝手に掘り出して好きなだけその肉を食らっていいが、決して口外してはならぬ。そのことを話せば、命を失う」と男が語る逸話があります。

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口外すれば死ぬというのに、どうしてその男はそれを知っているのか?あるいはどうしてそれを語るのか?という論理矛盾はともかく、この話を読んだ時、これは面白いと私は思いました。

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それというのは、中国では恐竜の化石発掘のブームが起き、ゴビ砂漠はチラノザウルスなどの白亜紀恐竜化石のメッカになっていたからです。

聊斎志異に登場する龍が恐竜と同じかは不明ですが、想像の動物である龍が、恐竜の化石からイメージされてできたとする説に、ひとつの手がかりを与えます。 中国の人は大昔からゴビ砂漠に恐竜の化石があることを知っていたのでしょうか?

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地中に埋めたものの神秘さという点では、「満開の桜の下には死体が埋めてある」というゾッとする表現で桜の美しさを讃えた梶井基次郎でしょう。 

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荒唐無稽な表現ですが、オヒョウの知己で、梶井のこのユニークな表現を否定的に言う人はいません。皆が認めています。無論、本当に死体が埋まっていると考える人はいませんが・・・・。

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まもなく、桜前線は本州で北上を開始し、来月には大震災のあった東北にも到達します。津波の被災地にも桜が咲くでしょう。震災後6年では、新しく植えられた桜は大木にはなっていませんが、ささやかな花でも桜が咲けば、ありがたいものです。

しかし桜が咲いても、その地下に死体が眠っているなどとは、絶対に考えたくありません。 津波の被災者で、いまだ行方不明の方は2000人を超えるのですが・・・。


【 海軍短期現役と主計将校 その2 】 [政治]

【 海軍短期現役と主計将校 その2 】

 

アメリカ軍が、サダム・フセイン政権を倒すために、なかば強引にイラク戦争を始めた際、それに強硬に反対した閣僚がいます。 かつてアメリカ軍トップの統合参謀本部議長を経験し、イラク戦争時は国務長官だったコリン・パウエルです。ベトナムで激戦を戦い、自分自身も二度負傷し、武勲に輝く強者だったパウエル国務長官は、常に戦争を始めることに慎重(反対)でした。

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一方、テキサス州の州兵として、軍隊ごっこを経験しただけのブッシュ(息子)大統領は、実戦経験が無く好戦的でした。 パパブッシュの方は、太平洋戦争で自分の乗機が撃墜され、辛くも助かったという経験を持つ人物で、彼が大統領の時にパウエルを米軍のトップに引き上げたのですが、息子の方はだいぶ考えが違い、パウエルとはそりが合わなかったようです。

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軍人の方が戦争に慎重で、文官(もしくは非軍人)の方が戦争を始めたがる・・というのは、この点を見ると事実かも知れません。 実際の戦争の悲惨さを経験すると、戦争嫌いになるのかも知れません。

日本海海戦で名参謀と言われた秋山真之も、日露戦争後、戦争が嫌いになったとか。

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20世紀後半の世界の指導者を見ると、確かに戦争経験が無い人の方が好戦的です。

鉄の女と言われた英国のマーガレットサッチャーは、フォークランド戦争で、全く容赦なくアルゼンチン攻撃を指示しましたが、自分自身は安全なロンドンにいて、当然女性だから軍隊経験もなく戦死する可能性も全くない人生を送っていました。

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その事をマスコミに衝かれると憤然として、自分の事には触れず、勇敢な兵士を讃えよ!とだけ言いました。 実際には、そのフォークランドで最も危険な最前線にいたのは、英国人というよりグルカ兵だったのですが・・・。

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イスラエルのメイア首相も中東紛争では常に強硬派でした。もっともイスラエルの場合は、女性兵士も最前線に行きます。メイア氏自身はその経験はなかったようですが。

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N数が少ないので、確証はありませんが、自分自身は最前線に行かない女性が指導者の時の方が、好戦的で軍隊を使いたがるのでしょうか? それは困った問題です。

日本の場合、防衛庁長官や防衛大臣になった女性は2人です。今をときめく小池都知事と、現在の稲田防衛大臣です。どちらも女性なるがゆえの悩みをもって仕事をしたのでしょうが、幸いにして、日本は防衛大臣のレベルで国防が決まることはありません。首相が最高指揮官だからです。

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日本の戦争経験者の首相については、意見が分かれます。海軍の主計少佐だった中曽根康弘は最前線の経験が無いからタカ派だと佐高や坂田は言います。 

では、年代が近いハト派の政治家の宮澤喜一はどうでしょうか?彼は軍隊に行っていません。父親も母親も広島の政治家だった彼は、その政治力のお蔭で、赤紙が来なかったのです。同級生が戦地で戦っていた時、彼は内地で恩給の計算や戦時国債の仕事を机に向かってしていたのです。そして自分が政治家になった後は、徹底して自衛隊の制服組を軽蔑しました。

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中曽根康弘と宮澤喜一、どちらを臆病者と考えるか・・・難しいところです。そして、日本の場合、シビリアンコントロールが効くから、軍隊の暴走は無いよ・・と安心する訳ですが、外国を眺めるとそう安心はできません。

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海外では民主化前の軍事政権下の方が、外国との戦争には慎重なのです。むしろ文官がリーダーの国が戦争をしています。 日本の政治家の場合も、自衛隊出身者が決して好戦的という訳ではありません。平和を希求するのが、日本の政治なら、むしろ閣僚に制服組経験者を取り込んで、戦争を知る者の意見を参考にすべきなのではないでしょうか? もっとも、自衛隊出身者といえども、実戦経験がある訳ではないので、本当の戦争の恐ろしさを語ることはできないでしょうが・・。

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逆説的ですが、戦争を抑止し、平和を守るためには、戦争経験を持つ人がリーダーになる方がいいのかも知れません。若しくは戦争で苛酷な体験をした人を重要閣僚にあてるべきかも知れません。 そう考えると心配なことがひとつあります。

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今度のアメリカの大統領トランプ氏は軍隊経験がありません。 そして外交に関してはかなりタカ派の発言が目立ちます。 そのトランプ氏は、同じく自分には戦争経験が無いのにやたらと好戦的な北朝鮮の金正恩と会って話をする用意があるのだとか・・・。

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真の英雄である元軍人コリン・パウエルが聞いたら、溜息をつきそうな話です。


【 お前の家は俺の城 その1 】 [政治]

【 お前の家は俺の城 その1 】

 

読者諸兄は、岩国錦帯橋空港を利用されたことはあるでしょうか? 私は一度だけあります。海沿いの滑走路に降りると、駐機場のど真ん中の広い面積を、アメリカの海兵隊が使っていることに気付きます。話題のV-22オスプレイも停まっています。

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そこを少し進むとかなり狭くなりますが、今度は海上自衛隊の領域です。こちらには最近有名になったUS-2大型飛行艇やP-3Cが停まっています。そして飛行場の隅っこまで行くと、そこに2階建ての小さなビルがあり、それが民間航空機用のターミナルビルだと分かります。普通、飛行場のターミナルビルというのは、広い幅があり、多くの旅客機が並んで停まり、ボーディングブリッジが架けられるようになっています。しかし、岩国の場合は実にこじんまりとしていて、町の郵便局かと思います(ちょっとオーバーかな?)。

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言うまでもなく、この空港の主役は米軍であり、民間航空は隅っこに間借りしている状態です。私は行った事が無いので分かりませんが、察するに三沢も似たような状況でしょう。

同じ軍民共用でも、自衛隊と民間航空の場合は、滑走路を挟んで両側に自衛隊と民間航空が対峙する形で、双方互角、民間航空も広い面積が使えます。小松空港や茨城空港(百里基地)がその例です。もっと言えば、民間航空が母屋を占領し、自衛隊が隅っこにある場合もあります。例えば福岡空港(板付)や、那覇空港がそれに該当します。しかし米軍がいる場合は、米軍が母屋を占領して、自衛隊も民間航空も、隅に追いやれています。 

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民間航空がいない神奈川県厚木基地の場合も、多くの面積を占領しているのは米軍で、海上自衛隊はごく狭い場所に押し込められています。 航空基地だけでなく、軍港も同じです。横須賀基地はアジア最大級の海軍基地ですが、その中心にデンと居座るのは米軍です。海上自衛隊は隅っこの狭い空間を与えられているのです。

佐世保基地も同様です。

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まるで、米軍が主人で、日本の自衛隊が居候か下僕か露払いの関係に見えてきます。

「こりゃ全くひどいではないか」 そこで思い出した漫画が一つあります。

ソ連の風刺漫画家アブラモフが60年ほど前に描いたカリカチュアで、題名は「お前の家は私の城」。当時のソ連では、政治体制を批判したり揶揄するカリカチュアは許されなかったのですが、西側世界を批判することは許されたのです。

 お前の家は私の城.png

 

描かれてから50年以上経つので、著作権は消滅しているので、その絵を載せます。

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ご承知かも知れませんが、英国には、「私の家は私の城」という諺があります。これは封建制度や身分社会であっても、各個人は侵すべからざる空間として自分の家と家族を持ち、それを守る権利を尊重しなければいけないという思想を表したものです。

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しかし、第二次大戦中から、英国は軍事基地を米国に貸し出し、守るべき母屋を取られているではないか?という皮肉をこの漫画家は言ったのです。実は英国内には今も米軍基地が存在しますが、あまり話題にはされません。 英国民にとって、これは必ずしも愉快な事ではないからでしょう。 TVドラマ「刑事フォイル」では、第二次大戦中に、英国に駐留する米軍基地を不愉快な存在として描いています。

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海外でも英領であるインド洋のディエゴガルシア島は、全面的に米軍が租借しており、B-52戦略爆撃機などが配置され、中東に睨みをきかせる形になっています。太平洋で言えば、ちょうどグアム島のような存在ですが、でも本来、ディエゴガルシアは英国領土なのです。

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アブラモフの風刺漫画は英国民にとっては痛いところを衝かれた内容なのですが、ロシア語で書かれて、ソ連のメディアに掲載されたので、英国では知らない人が多いようです。

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話が脱線しましたが、今アブラモフが、日本の岩国飛行場や横須賀海軍基地を見たら、どういうでしょう?

カリアチュアの題名を「お前の飛行場は、私の基地」とするか、「お前の港は俺の基地」とするか・・いずれにしても、愉快な表現にはなりません。

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現在の状況が、本当にあるべき状態か?と問われれば否と答えるしかありません。

でも、それでは、どうするべきか?と問われても妙案がありません。

外国の軍隊に我が物顔で居座られるのが愉快なはずはありませんが、でも米軍が撤退したら、いったい誰が喜ぶのか?と考えると、日本人以上に喜ぶ人達が隣の大陸にいます。

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米軍の撤退を日本人以上に期待する人々は、段階的に米軍の存在の希薄化を狙います。 まずは沖縄・南西諸島から米軍の撤退、そして最終的には日本本土からの米軍の撤退、日米安保条約の破棄・・という順番です。

 

その辺りについては、次号で管見を申し上げます。


【 刀狩り 】 [政治]

【 刀狩り 】

 

シリアの内戦の報道をみていて理解できないことが幾つかあります。その一つは、誰が武器弾薬を提供しているのか?ということです。TV報道を見ると、人口よりも市中に出回っている銃の数の方が多いようにさえ見えます。

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ロシアなどが支援するアサド政権の政府軍、米国などが背後にある反政府軍の他に、ISなどのゲリラ勢力が加わり、三巴の状態にある中で、前の2者については、背後の国家が武器弾薬を提供しているものと考えますが、最後のゲリラ勢力に誰が武器弾薬を提供しているのでしょうか?

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ISは一時期、油田を抑え原油を販売していましたから、資金は潤沢なのかも知れません。 お金があるなら、そこに武器を売却する「死の商人」が存在する訳ですが、そこを把握して押さえなければ、泥沼の内戦は終わらないでしょう。

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シリアだけでなく、アフガニスタンやイラク北部といった混沌が支配する世界で、究極的な和平が簡単に成立するとは・・・思えません。正統なイスラム教徒(宗派は幾つかに分かれますが)、ひたすら凶暴なイスラム過激派、キリスト教徒勢力の各勢力が、根本から理解しあえる可能性は低いからです。

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20世紀の後半、インドシナ半島で続いていた戦争も、永久に続くかと思われましたが、

東西の冷戦が終了しイデオロギー対立が解消したとたん、すぐに終わりました。

複雑に思われたインドシナ半島の戦争は一皮剥けば、東西勢力の代理戦争に過ぎなかったのです。

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しかし中東は違います。米国とロシアの代理戦争の面もありますが・・・、それだけではありません。対立を完全に解消することはできません。それなら、平和な世界を確立する為に、好戦的な人々に武器弾薬がわたることを防ぐしかありません。

つまり現代の「刀狩り」です。軍事大国が背後にある、シリア政府軍と反政府軍で刀狩り(つまり武装解除)をすることは非現実的ですが、ISなどの過激派ゲリラに対しては有効です。

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もし三巴が解消して、2勢力だけの争いになれば、話は単純化し、和平の可能性も見えてきます。 もっともウクライナ/ロシアのクリミヤ半島のように、それでも解決できない場合もありますが・・。

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あまり語られないことですが、世界のどこかに巨大な武器弾薬のマーケットがあり、売り買いをしている人々がいるのでしょう。それをすべて把握することは難しいですが、砂漠に近い場所でそれらの輸送・運搬をしている現場を押さえることは可能です。既に米国の無人攻撃機は砂漠を進むコンボイと呼ばれる車列を攻撃していますが、あまり効果的ではないようです。しばしば誤爆があり、無辜の人々が犠牲になっています。

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それならば・・・、他にも方法があります。例えば、制圧した地域でゲリラから取り上げた武器の生産国を突き止め、上流から武器供給源を絶つという方法です。

一般論として、ゲリラが所有する武器・兵器は、旧東側のものが多いとされます。小銃ならカラシニコフ、ポータブルのミサイルとしてはRPG7などが該当します。

それらは旧ソ連で作られますし、そのコピーは中国でも製造されます。今なら、それ以外の国でも製造されているかも知れません。

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とにかく、世界中でテロリストや反社会的な集団が用いる武器の生産国を明らかにして、国連の安保理で、その生産国に圧力をかけるべきです。これには世界の紛争をかなり沈静化する効果があると思います。

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現実にそれができない理由も幾つかあります。

武器の製造や輸出で現実に儲けている国は、その対応を好ましく思わないでしょう。

「刀狩り」の決議案に対して反対する可能性があります。

また自分自身はテロ支援国家と認定されていなくても、テロ支援国家を支援している国はあります。それらの国は、表向きは反対しなくても、「刀狩り」をサボタージュするでしょう。

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そして最大の問題は、憲法(正確にはその修正条項)によって、銃を所持して自分を守る権利を保証している国です。米国が自国民には武器の所持・携帯を認め、外国の人の武器所有を認めない・・という訳にはいきません。

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そうなると、米ロ中の三カ国が、「刀狩り」に反対もしくは消極的になる可能性がでてきます。国連で何らかの決議や行動を期待するのは難しいかも知れません。

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そしてもっと難しいのは、管理されるべきは、小銃やミサイル、バズーカ砲ばかりではない・・ということです。 道路脇の地雷、および自爆テロの犯人(犠牲者とも言える)人が身体に装着する爆弾の管理はさらに難しいと言えます。

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日本でも一時期テロリストが、爆弾テロをした時期がありましたが、一般の人々が手製爆弾を作るのを防止することは、ほとんど不可能です。 それは、その原料が農業肥料や農薬等ありふれたもので、かつ人々の生活に必要なものなので、それらを禁止することは、現実的にできないからです。

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火薬として最も一般的なTNTやコンポジットC4を普通の市民が作ることは無理かも知れません。

でも取り扱いが容易で爆発力が大きいANFO爆薬は簡単です。硝酸アンモニウムに数%の有機物を混合するだけです。ただなかなか爆発しないので、起爆方法が難しいだけです。そして爆発力は弱いのですが、綿花薬または硝化綿と呼ばれる爆薬は、硝酸に漬けた綿を、水洗いして乾燥させただけです。

硝酸アンモニウムは、重要な窒素肥料であり、痩せたステップ気候の土地で農業生産を上げるために必要な存在です。つまりそれを禁止することはできません。

そして原始的で素朴な爆弾は農家の庭先でできるのです。

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実際に自爆テロに使われた爆弾が何なのか、或は道端で爆発して装甲車両を破壊した対戦車地雷みたいな爆弾が何なのかを私は把握していません。 自爆テロをする人は、胴体にダイナマイトを巻いているという説もありますが、詳しくは知りません。

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ではどうするか?

治安当局は、それらの爆発物の種類を特定し、中東地域で安易にそれを作らせないように、そして持ち込ませないようにするしかありません。 アメリカ軍などは、テロリストが使用する爆弾の種類を特定しているはずですが、その取締りを強化しているという報道を一向に聞きません。これは一体どういうことか? アメリカはどうあっても「刀狩」に反対なのか?ダイナマイトやTNT火薬だけでなく、ANFO爆薬や、黒色火薬、窒素肥料も含めて管理することが重要ですが、それがなされていません。

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そして更に難しいのは、「刀狩」の永続性です。

仮に、一旦和平が訪れ、中東地域が平穏になっても、米ロの大国や国連軍が撤退したら、再びテロリストや過激派は跳梁跋扈するでしょう。 その際、誰が硝酸アンモニウムや、ダイナマイトを管理するのか?

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多分、そこで登場するのは日本のPKFかも知れません。紛争地域以外で、紛争を防止・抑止する機能がPKFには求められます。現代の「刀狩」は、銃火器を市民が持たない日本の仕事になる可能性があります。 

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一方で日本のNGOによる農業協力は続く可能性があり、農薬や肥料の管理は、そちらで行うことが可能です。 すなわち、シリアやイラク、アフガニスタンに農協を設立し、農薬と肥料の管理を一元的に行えばいいのです。その管理で農薬がテロリストに流れて爆弾になることを防止できます。日本ではその役割を終えつつある農協が、中東地域で新たな役割を担う可能性があります。

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物騒な社会を平和で安全にするには、日本型システムが有効です。「刀狩」によって中東が平和になれば、欧州へなだれ込んでいる難民も抑制され、世界経済にもいい影響があります。

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400年以上前に「刀狩」を実行した、太閤秀吉の面目躍如です。


【 トンチン公債・トンチン保険 その2 】 [政治]

【 トンチン公債・トンチン保険 その2 】

 

トンチン保険とは一言で言えば、長生きした者が得をする保険です。しかし、その富は世襲されません。この2点が多くの問題を解決します。

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社会全体にとっては、長生きすること、高齢者がいることはコストでしかありません。つまり社会にとっては負担です。しかし人々は長寿を喜び、寿ぎたいと思います。それが自分の身内であればなおさらです。この矛盾をどうするか?長幼の序を重んじ、高齢者を尊敬すべきと考えた儒学の祖である孔子もこの点で悩んだようです。

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長生きすればするほどより豊かになり、幸せになり、それでいて若い人々の負担にならないためには、以下の点が重要です。

1.     予め、原資は、自分達が自分達の将来のために積み立て、拠出すること。

そしてそこからの配当を貰うシステムとすること。

2.     早く死んだ者の取り分を生き残った者が貰い受け、その分、分け前が増えて得をするようにすること。

3.     最後に生き残った人は、配当を独り占めし、大変儲かりますが、その原資は相続されず、国庫に没収されます。遺産相続による、富と貧困の世襲とは無縁です。

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これらの条件を満たす制度を、行政が行えば、トンチン公債、民間が保険の形で行えば、トンチン保険となります。実際には幾つもの派生型があり、3.の原資の国庫への召し上げは、無いものとあるものがあるようです。

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普通の保険は、早く死んだ人の遺族が経済的に困るのを防ぐために、損失を補填する性格を持ちますが、トンチン保険はその逆で早く死んだ方が損をし、長生きした方が得になります。長生きすれば、それだけリッチになる訳で、自分も家族も長寿を喜べます。

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そして自分が将来受け取る分は、予め自分が拠出する方式ですから世代間の不公平感もありません。いいことばかりみたいです。

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問題は、友達の死を喜ぶことになることです。この保険は、サバイバルゲーム、もっと言えば、バトル・ロワイアルであり、周囲の同世代はすべて敵で、全員を倒した人が勝者になるというとんでもない世界・・なのです。 もっとも、普通の保険でも保険金殺人なんてのがありますから、トンチン保険に限ったことではありませんが・・。

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その精神的負担に堪えられれば、トンチン保険は最も優れた方法です。

今、各国の財政はどこもピンチで、福祉行政で思い切った政策を実施したくてもお金がありません。 しかし、トンチン公債なら、それを買う人がお金を出します。配当を払う必要はありますが、財政当局にとっては、一時的にキャッシュフローを改善する形になります。それに加入者が全員他界すれば原資は国庫の歳入になるのですから、下手に相続税の税率をいじるより簡単に富の再配分ができます。

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ドイツにやってくる難民や移民は、若い頃に税金を払っていないのに、ちゃっかり年金や福祉の恩恵を受けるとは怪しからん・・・と白い眼で見られがちですが、トンチン公債/トンチン保険は、あらかじめ払った人だけが対象になるので、その種の問題がなくなります。

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日本でもトンチン保険の導入を考えるべきです。民間の保険会社が扱わないなら、国家がトンチン公債を発行すべきです。

しかし、そう言っても、所詮これは保険の一種です。これ自体が富を生み出す訳ではなく、貧困の根本的対策にはならないのです。

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やがて、トンチン保険を買った人は60歳で引退し、保険の配当と年金で暮らせるようになります。一方、トンチン保険を贖う余裕のない人は、60歳を超えても、働き続けなければならないことになります。 年金額が少なく、かつ受給開始年齢が遅くなるからです。

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そうなると、貧乏人は高齢になっても、あるいは死ぬまで働き続けなければならず、お金持ちは早くリタイアして老後を楽しめる・・ということになります。 世代間の不公平感は解消するかも知れませんが、同世代内の格差は、特に高齢になってから顕著になります。

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韓国では、老人の貧困が大きな社会問題になっていますが、トンチン保険の導入はそれを加速する可能性があります。

http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12145568609.html

日本のように、一生元気で仕事を続けたいとか、定年が無い方がいいと考える人々はそれでもいいかも知れませんが、ヨーロッパではおさまらないでしょうね。

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考えてみれば、日本人ほど仕事好きで一生働き続けたいと考える民族はないかも知れません。 一体政府は、どう考えているのか? と思ったら、なんと自民党は、さらに定年を延長したいようですね。 実に73歳の定年を無くそうという考えです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160826-00000019-jij-pol

一生現役で仕事をしたいのなら、トンチン保険もトンチン公債にも興味が無いかも知れません。 でもね、仲間内で争い、生き残った者がいい思いをするという点では、トンチン保険も、永田町の政治家の暮らしも、似ているではないか・・と私は思います。


【 トンチン公債・トンチン保険 その1 】 [政治]

【 トンチン公債・トンチン保険 その1 】

 

ドイツで定年を延長する議論がでています。

http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e3%80%8c%e5%ae%9a%e5%b9%b4%e3%80%8d%e3%81%af%e5%bb%b6%e9%95%b7%e3%81%99%e3%82%8b%e3%82%88%e3%82%8a%e3%80%81%e3%81%93%e3%81%ae%e9%9a%9b%e5%bb%83%e6%ad%a2%e3%81%99%e3%81%b9%e3%81%8d%e7%90%86%e7%94%b1/ar-BBvYuoo?ocid=LENDHP

戦後一貫して豊かな国の代表で、労働者天国でもあったドイツで定年延長とは・・・・、ひとつの転換点かも知れません。

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アデナウアー以来、インフレを警戒し、デフレ側に経済の舵取りをしてきた旧西ドイツでは、失業と就職難が問題でした。だからワークシェリングも早くから実施され、残業は禁止され、1週間辺りの労働時間も減らし、有給も完全取得させ、定年前に早くリタイアしたら、インセンティブの退職金や年金の上積みをするよ・・という有様です。

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「勤勉で知られるドイツ人がなぜ?」と訊けば、一人が仕事をしすぎれば、他の人の雇用機会を奪い、失業者を増やすことになるから・・との回答でした。 実際、ドイツでは大学はでたけれど、就職できないモラトリアムが多く、博士課程を修了して30代で就職する人もざらです。(就職できないから大学院・・というのもどうかと思いますが・・・)。

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労働者が主人公の社会主義国である東ドイツの方が労働環境が苛酷で、自由主義の西ドイツが労働者天国だなんて、こんな皮肉は無い・と、思っていましたが、地上の楽園にもやがて日暮れはやって来ます。

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東ドイツを統合することのコスト負担(統一税)、EU統合後のギリシャ等への支援、日本と同じく少子高齢化が進むことによる現役世代の減少、そしておしよせる難民を抱えることのコスト負担・・・次第にドイツは疲労していきます。

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大企業のOBであれば、退職後に現役時代の8割の年収が生涯保証された、あの年金制度の維持が難しくなり、ついに退職年齢の引き上げとなりました。欧州で働く人は誰もがハッピーリタイアメントして幸せな老後を送ることを夢見ています。だから定年を遅らせるなど、楽しみにしていた晩御飯をお預けにするようなもので、もっての他なのですが、これは苦渋の決断でしょう。

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ドイツの場合、福祉制度を難しくするのは、少子高齢化と移民の受け入れです。現役世代がリタイア世代支える方式では無理があります。

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これは日本も同じです。 若い頃、自分が納めた掛け金が老後に返還される方式ではなく、自分が納付したお金が自分の親の世代の他人に回る仕組みだから世代間の不公平が生まれ、少子化の過程で制度の維持が困難になるのです。

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1990年代、いち早く少子化が始まったのは、日本、ドイツ、スェーデンなどで、それらの国では出生率が1.0を切りました。原因はあまり研究されず、なぜか第二次大戦の枢軸国側で戦後の少子化が始まった・・という頓珍漢な説明もありました。

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少子化による若年労働力の不足などの、目の前にある問題に対して、ドイツは移民や出稼ぎ労働者の活用で乗り切ろうとしました。日本は無策でしたが、景気も同じ頃に後退し、労働力不足はそれほど顕在化しませんでした。

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21世紀に入って人々は気づきました。少子高齢化と人口減少は旧枢軸国だけではない・・と。 韓国も中国もそうです。 経済的に豊かになり、子供に十分な教育機会を与えようとすると、親の負担は大きくなります。それより親だけで豊かな生活を享受する方が楽です。 子供の存在がメリットである前にコストである・・ことに気付いた国は少子化が進行します。気づかない社会は依然、人口が増加します。

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中国の場合、一人っ子政策は国家による強制でしたが、それを緩めても多子の時代には戻らないでしょう。人々は生活の豊かさを感じ、受験戦争や就職競争が激しいなか、子供を育てることの負担感を強くしているからです。

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そして人々は、目先の労働力不足の問題だけでなく、長い視点で考えた時の年金問題に気づきます。このままでは若年層は年金負担に堪えられない・・・。

それだけでなく戦後70年が経ち、富の偏在が進み、お金持ちと貧乏人の固定化も進んでいます。 嫌な言葉ですが貧困の世襲も進んでいます。

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おやっ?と見渡すと、これは日本もドイツも韓国も同じです。まだ豊かにはなり切れていない中国も同じです。移民問題で、福祉財政を逼迫させているドイツは論外としても各国が同じ問題を抱えているのです。何か解決策はありそうです。

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そこで、オヒョウの提案はトンチン公債、またはトンチン保険の導入です。これが一番いい方法だと私は信じます。

トンチン公債やトンチン保険は、もちろんトンチンさんが発明したもので頓珍漢な保険という意味ではありません。そして、日本ではトンチンさんより、それを紹介した中山素平の名前で記憶されています。では、それはどういう仕組みなのか・・は次号で簡単にご説明いたします。

 

 

 


【 幣原喜重郎と芦田均 その2 】 [政治]

【 幣原喜重郎と芦田均 その2 】

そしてもう一つ、法律論の素人である私が不可解に思うのは、現行憲法が硬性憲法であるということです。

しかし、その制定にあたっては、帝国議会の審議だけで、国民の総意がありません。 制定した時の手続きは簡単なのに、それを改正する際のハードルは非常に高いのです。 全く民主的でなく、国民の意見をないがしろにした存在だと言えます。これを国民の総意に基づいたものだとするのは欺瞞です。 民主主義を高らかに謳う憲法なのに、その制定手続きは民主的ではないのです。

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明治憲法は欽定憲法でしたから、天皇の裁可のもと、停止や廃止が可能です。しかし、その後を硬性憲法にするのなら、制定手続きも厳密に行うべきだと私は思うのです。

改変手続きが難しい硬性憲法と、比較的容易な軟性憲法のどちらがよいかはここでは議論しません。

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しかし、common lawではなくconstitutionである、米国の憲法が200年以上も続いているのは、軟性憲法であり、時代時代に応じて変化できたからだ・・と語る米国人がいます。 裏返せば、硬性憲法でありながら、70年も存続している日本の憲法は奇跡だ(もしくは、時代に合わない旧式の法を今でも戴いている日本人は愚かだ)と思われています。

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自らの改変は難しい日本憲法ですが、外圧に弱いのが日本だと言われます。

不磨の大典「憲法第九条」ですが、もし尖閣で中国から砲弾が飛んで来れば、或いは北朝鮮からのミサイルが国土に着弾すれば、たちどころに改憲派が勢いづき、非戦の戒めは破られるでしょう。

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そのことの是非については言えませんが、憲法を変えざるを得ない圧力が国家にかかるというのは、甚だ不幸なことであり、歓迎すべきことではないと思います。

ところで、芦田均は兵庫県の旧制柏原中学を卒業しています。その少し後の卒業に、海軍特攻隊の生みの親とされる大西瀧冶郎中将がいます。

リベラルな芦田と、軍人だった大西は正反対の存在ですが、両方に英語を教えたという私の祖父は大西については語らず、芦田については「目立った秀才で、才気煥発、口八丁手八丁の男だった」と回想しています。寡黙で影の薄い首相と揶揄された芦田にもそんな時代があったのです。今、旧制柏原中学の跡を継ぐ柏原高校が、この二人の対照的な卒業生をどのように顕彰しているのか・・ちょっと知りたいなと思います。


【 幣原喜重郎と芦田均 その1 】 [政治]

【 幣原喜重郎と芦田均 その1 】

 

米国のバイデン副大統領が、「日本の憲法は我々が書いたものだ」と発言して問題になっています。これは、大統領選のトランプ候補が「日本は安全保障で米国にただ乗りしている」として日米安保条約の片務性を非難したのに対して、「その理由は日本の平和憲法にあり、その原案を書いたのは米国じゃないか」とトランプ氏をたしなめた時の発言です。

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最近の流行語で言えば「片務条約ができた原因は米国側にあり、その非難はブーメランではないか」という説明です。

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その発言に噛み付いたのは民進党の岡田氏です。彼の意見は、「平和憲法は日本人が自分達で作成したもので、幣原内閣も承認している」というものです。つまり彼は、「現行の日本憲法は日本人自身が発案し作成したものだ」と言うのです。

よく第九条論者などが口にするのは、「戦争の災禍を経て、日本国民がやっと手に入れた貴重な憲法」という表現です。これと岡田氏の説明は符合し、バイデン氏の説明を否定するものです。

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一方、米国側は起草したのは米国で、米国案がそのまま採用されている・・と言います。どちらが正しいのか?その時代を生きていない私には正確なところは分かりませんが、その時代を生きた母の説明では、以下の通りです。ただ私の母も同時代に生きたというだけで勿論現場に居合わせた訳ではありません。伝聞の内容を私に語っただけで、そこは面白おかしく脚色されているに違いありません。

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GHQの民政局から新憲法の草案を作るよう指示を受けた日本政府は、苦心惨憺の上に原案(松本案)を作成して、担当官のチャールズLケーディスに提出するも、「この案では駄目だ」と一蹴されました。 GHQに赴いた吉田茂と松本烝治が途方に暮れていると、ケーディスが、「ところで、ここに参考になるメモがあるよ」・・と英語の草案をテーブルに置き、「僕は、用事があるので暫く席を外すから、その間に新しい草案を作るように」と言って、彼は部屋を出たとのことです。仕方なく吉田茂と松本が、そのメモを書き直し、出来上がった頃にケーディスが現れ、「うん、これならいい」と言ってマッカーサーに提出し、それがマッカーサー草案となって、それを幣原喜重郎内閣も了解する形で新憲法ができあがったというのです。

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GHQ側に憲法の専門家がいない中で、ごく短時間の間に日本国憲法の草案が作られたのは事実でしょうが、上記の逸話はにわかに信じることはできません。 どうも芝居がかっています。 ただひとつ言えることは、当時の状況下で、憲法を民主的に国民の総意に基づいて定めることなど、到底できないことで、すべてはGHQの、もっと言えばダグラス・マッカーサーの意に沿った憲法でなければ、通らなかったという事です。

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だから現行の憲法はアメリカに押し付けられたものだ・・という改憲論者の意見は説得力を持ちます。 日本国民が自ら欲し、戦争の結果、やっと勝ち取った平和憲法だ・・という護憲論者の説明は、どうにも都合のいい解釈です。

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しかし、そこで引っかかるのは、その時の総理大臣、幣原喜重郎と彼の後を継いだ芦田均の存在です。 九条の会などの人達は、仮に憲法全体がアメリカの影響下にあって作成されたものだとしても、第九条の戦争の放棄については、日本側の発案であり幣原喜重郎の提案で、盛り込まれたものだ・・と主張します。でもその確たる証拠は無いのですが・・・・。

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幣原は徹底した平和主義者だったようで、戦前、軍縮条約を推進し、中国大陸への日本の干渉にも消極的で、日米開戦に繋がる南方への進出にも反対した男です。証拠はありませんが、非戦を掲げたクェーカー教徒との声もあります。その彼なら、憲法9条の提案を行ったとしても不思議はありません。 彼の後の芦田均も、今風に言えばリベラルとなりますが、多少、左がかった平和論者でした。彼も同様に憲法第九条に賛成したはずです。

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一方、アメリカとしては、日本に戦争放棄を求める理由がありません。降伏後の日本は既に米国の敵でなく、一方、激しくなる東西対立は次の戦争(朝鮮戦争)を予感させました。その時期に、あえて日本に戦争放棄を求め、再軍備の足枷となる憲法を提案するとは考えにくいのです。現に西ドイツには戦争を放棄した憲法を求めていません。

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そうなると、幣原喜重郎が憲法第九条を提案したという説も理解できます。憲法全体はともかく、第九条だけは日本オリジナルの思想であり、押し付けられた訳ではないのだから大切にしたい・・という護憲論者の声が聞こえてきそうです。

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でも本当にそうなのかなぁ?もっともらしいけれど、証拠がありません。そもそも幣原説が正しいか誤りかについて、どちら側に立証責任があるのかはっきりしません。 多くの人が、そして多くの法律の専門家がそのことを検討しておられますが、結論はでません。例えば以下のブログです。

http://kimbara.hatenablog.com/entry/2013/06/06/232105

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そしてここからは、私の少し穿った意見です。幣原内閣が存在したのは70年も昔のことです。 それを最近、TVなどのマスコミが取り上げだしたのは、衆参両院で改憲勢力がそれぞれ2/3に達して、危機感を持った護憲派が、日本オリジナルの憲法であることを強調しようとしたからだと思います。押し付けられたものではないから、改憲すべきではない・・と暗に主張しています。今更、憲法制定の時のエピソードを、証拠も無しにTVが取り上げるその背景を、私は怪しみます。

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そもそも論で言えば、幣原の提案であろうが、マッカーサーの提案であろうが、同じことです。米国の影響抜きで、憲法は1文字だって作成することはできなかったはずです。 平和主義の幣原や穏健派の芦田を首相として選んだのはマッカーサーです。アメリカに任命権があった以上、形は幣原の提案であってもそれはGHQの意向です。

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全ての政治的判断に共通することですが、本当の決定権を持つのは決定権者を決める人事権を持つ者です。脱線しますが、かつて民主党政権下で事業仕分けを行った時、スーパーコンピューターの開発プロジェクトの是非を議論するために、政府は専門家を証人として呼び、説明を求めました。しかし呼ばれた東大教授は以前からスーパーコンピュータープロジェクトに反対していた研究者で、決して公平な人選ではありませんでした。 弁護士でもある枝野氏は「専門家が言うのだから」と言って、責任を転嫁し、プロジェクトの予算を削減しましたが、本当は金田氏を選んだ時点で、政府の立場は中立ではなかったのです。事業仕分けは公平を装ったショーであり、リンチでもありました。

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このことと同様に幣原や芦田を首相に選んだ時点で、GHQの考えは決まっていたのです。

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前述のアメリカが戦争放棄を求める理由が無い・・という説明と矛盾しますが、やはり憲法九条を求め実現させたのはアメリカだと考えるべきです。

 

以下 次号


【平成の終わり? その2】 [政治]

【平成の終わり? その2

かつて昭和が終わった日、ある評論家が語りました。

「後世語られる、昭和という時代は、大変でひどい時代だったということになるだろうね。 日本の歴史上初めて、大戦争に敗れ、多くの国民が命を失い塗炭の苦しみを味わい、国家の存続すら危ぶまれるという未曾有の事態に直面したのだからね。 歴代の天皇の中でも大行天皇(昭和天皇)ほど、大変な思いをしてお苦しみになった天皇はいないのではないか?」

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そして、2001年、21世紀が始まると、評論家徳岡孝夫氏は語りました。

「後世の歴史家は、20世紀をひどい時代だったと語るだろう。 科学文明は進歩し、社会は便利になり、人々は豊かになったけれど、一方で2つの世界大戦を経験し、かつてないほど多くの人々が殺された。 人々は、いかに効率的に人を殺せるかを研究し、幾つもの悪魔の発明を行い、そして実際に多くの人を殺した。こんな凶なる世紀は20世紀だけだ」

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そこで私は気づいたのです。過ぎ去った昭和や過ぎ去った20世紀を悪し様に語る時、「もうこんな悪い時代は来るまい、あるいは同じ轍を踏むまい。人々は文明の悲惨を経験したのだから、少しは利口になり、未来はもっとよいものになるはずだ」という希望と期待が、その裏にあるのだと。

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広島の原爆資料館には過去の悲惨を示す資料がたくさんあります。忘れてはならないことばかりです。 しかし、未来をどうするか?どうすれば愚かで悲惨な出来事を無くせるかについては、提言がありません。 かろうじて、死者に対する弔いの言葉として「あやまちは繰り返しません」と石に刻んであるだけです。 もっとも、今年世界で最も多くの核兵器を所有する米国の大統領が広島を訪れたことで、事態は少し変わるかも知れません。 何とか未来への希望と決意を示す展示内容を増やすべきだと、私は思います。

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話を元へ戻します。 翻って、平成が終わる日が来た時、評論家達は平成の時代についてどう語るでしょうか?

「いや、平成という時代はひどい時代だった。 バブルの後に景気は後退・低迷し、失われた20年の間に、経済力では他の国に追い越されて自信を失い、就職難の中若い世代は希望を失い、人生設計に迷うようになった。 少子高齢化が加速し、人口が減る一方で街の活気は失われた。あまつさえ、阪神淡路の大震災、東日本大震災という自然災害にも苦しめられ、全くろくなことが無かった・・」と言われるかも知れません。 実際には、平成の時代には戦争が無く、戦死者や戦禍で被害を受けた人がいない時代だったことを祝福すべきですが、平和が空気と同じように当たり前に感じられる現代、それをありがたいと思う人は少ないのかも知れません。

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明治と昭和という長い時代に挟まれた大正という時代があまりパッとせず、大正生まれは、肩身が狭かった・・という話も聞きましたが、やがて平成生まれも肩身の狭い思いをするのでしょうか? もし平成が30年程度で終わってしまうなら、同じような事態も予想されます。

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でもそれでいいのかも知れません。 過ぎ去った時代を悪く思うのは、新しい時代に期待するからです。チャップリンが、自身の一番の名作は?と訊かれた時、必ず「それは次回作」と答えたように、未来は常に明るく、今よりも幸せな時代になると考えるべきでしょう。日本全体がかつてはそうでした。昭和の頃は確かにそのような上昇史観というか楽観論があったのです。 それが平成の時代になってから失われたように思われます。悲観論者ばかりです。次の時代が到来するとして、人々のその意識こそが改革されるべきかも知れません。

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「やれやれ、平成とはひどい時代だった。だって、皆が、未来は良い時代になると期待しない、悲観論の時代だったのだから。 現代は少なくともそれよりはましだ。 夢を持つ楽観論者が多く、活気に溢れた時代なのだから」

後世の歴史家が、そんなコメントを出す時代にしたいものだと思います。


【 平和憲法は人命を守るか? 】 [政治]

【 平和憲法は人命を守るか? 】

今回の参議院選挙の争点は、もっぱらアベノミクスは是か非か・・という点に絞られ、改憲論や、有事法制(野党は戦争法と言います)、集団的自衛権の問題はあまり語られません。

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安倍首相自身が、当分改憲する積もりはないと話していることと、東アジア全域での中国による軍事的挑発がエスカレートしつつあるなか、有事法制反対や自衛隊違憲論を話題にすると不利だ・・という思惑が野党側にあるのかも知れません。

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日本の護憲論者は、むしろ夏の参議院選挙の後、秋の話題になることを考えています。つまり今年もノーベル平和賞の候補に憲法9条を推薦し、世界の話題にしてもらおうという考えです。「非戦を誓う憲法は、平和主義を象徴するものである。それに戦力を持たず、国際紛争の解決手段として戦争を行わないという法律が、戦後の日本人が戦争に巻き込まれず、犠牲者を出さずにすんだ立役者だ」・・というものです。

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憲法9条の理念は確かに崇高ですが、それで、日本が戦争に巻き込まれない・・というのはどうも理解できません。 護憲論者は「外国は、憲法9条を掲げる日本に敬意を表し、武器を持たない日本を敢えて襲わない。だから日本の平和は保たれた訳で、これは憲法9条のお陰だ」と主張します。

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一方、憲法9条を非現実的だ・・とする人は「戦後日本が侵略されなかったのは、日米安保条約のお陰であると同時に、自衛隊の存在も大きい」と言います。

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どちらが本当なのか? 実のところ、20世紀の後半以降、戦力を持たなかったか、あまりに貧弱な戦力しかなかった国は、悉く蹂躙されています。旧ソ連によるハンガリー動乱、チェコ事件、クリミア介入、米国によるグラナダ侵攻、パナマ侵攻、中国によるチベット侵略、ウイグル侵攻、ブータン侵略等、数え上げたらきりがありません。

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軍事力を持たない小国への軍事侵攻は、大国にとってバターをナイフで切るよりも容易なことであり、実際なんら呵責を持たずになされてしまいます。

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では東南アジアはどうか?と考えますと、長く続いたインドシナ半島の戦争の後、米軍が撤退した空白の状況下で軍事力を持たない国が、侵略されています。

南シナ海のパラセル諸島やスプラトリー諸島に人工島を造り、中国が軍事拠点を築くのを、軍事力の乏しい国は、黙って見ているしかありません。

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では日本はどうか?日本が平和憲法のみを持ち、自衛隊が存在しなかった一時期(つまり護憲派が理想とした一時期)、日本も侵略を受けています。

1952年、韓国(南朝鮮)の李承晩政権は、突如、日本海上に李承晩ラインという一種の境界線を強引に引き、竹島の海域をも取り込んでしまいました。それまで日本列島と朝鮮半島の間には、マッカーサーラインと呼ばれる境界線があったのですが、それは無視され、大幅に日本側に接近した形の境界線を引いたのです。

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そればかりか、19526月、日本漁船にカモフラージュした韓国海軍の艦船が、竹島海域で操業していた日本漁船に近づき、突如として銃撃し、日本側に44人の死者がでました。 同時期、日本の巡視船も銃撃されています。 

http://sirenai.hatenablog.jp/entry/2014/04/13/175743

ちなみに日本の海上保安庁の巡視船が銃撃されたのは、その時と北朝鮮の不審船の時だけです。

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漁船にカモフラージュできる韓国軍の艦船というのも、情けないものだと思いますが、日本漁船への銃撃については姑息で国際法にも反するものです。

では、なぜ、そのタイミングで韓国が日本漁船を襲ったかと言えば、李承晩大統領は、日本が防衛力を持たない時期を狙ったのだ・・と私は思います。

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時系列でみると、ちょうど、日本には平和憲法が成立し、外国と交戦できない状態でかつ自衛隊が成立する前のタイミングを狙ったのです。

厳密には、韓国による日本漁船銃撃と竹島占拠は、海上自衛隊の前身である、海上警備隊が発足した2ヵ月後ですが、まだ海上警備行動をできる状態ではありませんでした。 李承晩政権は、海上自衛隊ができてからでは、竹島と日本海を奪えないと考え、焦って暴挙にでたものと、私は思います。

1946年 113日 新憲法公布

1947年 53日 新憲法施行

1950年 8月 警察予備隊

1952年 4月 海上警備隊

1952年 6月 竹島事件

1952年 10月 警察保安隊

1954年 防衛庁と海上自衛隊発足

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その後、日本の海上自衛隊が機能しだし、その能力が、韓国海軍のそれを凌駕したあと、韓国は一切、日本船には発砲していません。 小学校時代、自分より体格の大きな相手には決して手を出さなかったガキ大将がいましたが、なんだか似ています。

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平和憲法があっても44人の日本人の命は救えませんでした。 そして自衛隊が無かったために、韓国からの蹂躙を許してしまいました。 「平和憲法があるから、我々日本人は安全なのだ。むしろ自衛隊がある方が、日本が戦争に巻き込まれる可能性があり、危険なのだ」と主張する人々に借問したい。

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戦後、日本が独立を回復した後、日本人が外国の軍隊によって銃撃され、射殺された竹島事件は、憲法のみあって自衛隊がないタイミングを選んで行われたという事実をどう説明するのか? と。

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以下、余談ですが、朝鮮戦争が休戦状態になり、今がチャンスと日本を襲い、漁民を殺し、竹島を掠め取った李承晩は、その前に、朝鮮戦争で韓国が攻め込まれ、プサンまで追い詰められた時、日本に逃げ出そうとしました。 しかしマッカーサーにたしなめられ、韓国に連れ戻されました。 自国民を置き去りにして、自分だけ逃げるとは何事か・・。 その李承晩は、朝鮮戦争休戦後に、その日本を侵略したのです。

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今、日本人の中には、根強い韓国への不信感を持つ人がいますが、その理由の一つは、この李承晩の行動にあるのはないか?と私は考えます。 そしてこの時代の日韓間のしこりはいまだにつづいています(主に韓国側で)。

李承晩時代に確立した、親日だった人々を国家への反逆者として裁く、一種の過去法は、近代的な法の理念に合致しませんが、いまだに続いています。 李承晩は竹島だけでなく、対馬も韓国のものだと主張しましたが、今でも、対馬を日本から武力で奪還しよう・・という主張が韓国では真顔で語られます。

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そして、最も問題なのは、韓国にとっての脅威が北朝鮮であることは明らかなのに、韓国軍の装備が、対北朝鮮ではなく、日本への攻撃を念頭において整備されているという事実です。 李承晩の時もそうでした。戦争中の相手は北にいるのに、彼の関心は日本への攻撃だったのです。北朝鮮がどんなに挑発しても、韓国軍が考えるのは日本との戦争のようです。全く奇妙なことですが、60年以上、その状態が続いています。

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しかし、韓国軍による対馬奪還作戦はいまだ実現していません。 日本の自衛隊の戦力が韓国軍のそれを上回る状態が続いているからだ・・と私は思いますが、ひょっとしたら、憲法9条のお陰なのかも知れませんね。


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