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【 なぜテニュアトラックを活用しないのか その2 】 [政治]

【 なぜテニュアトラックを活用しないのか その2 】

 

テニュアトラックとは、博士号取得後5年以内の若手研究者を対象に、5年間、研究の機会と俸給を与え、期間終了時に、その成果を評価し、無期雇用の大学教員のポストを与えるシステムです。大事なことは、成果の評価を可能な限り、公明正大に行うことです。

詳しくは下記をご覧ください。

http://www.jst.go.jp/tenure/sympo.html

この制度を採用している大学には、日本を代表する有名大学もありますが、その人数枠は少なく、どちらかというと、知名度は低いけれど知る人ぞ知る優れた研究をしている玄人好みの大学が多く参加しています。

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現在、複数あって、その条件・内容が統一されていないポスドクの制度や、大学毎に異なる教員採用の手続きを統一して、数多くの博士に平等に機会を与え、日本の大学教員の質を高めるには、テニュアトラックは最も適したシステムだと、私は思います。

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大学教員だけではありません。前回、紹介しました理化学研究所をはじめ、独立行政法人となった多くの国立の研究所もテニュアトラックを採用すべきだと思います。そうすれば、理研の松本理事長などが、いちいち任期制研究員のことで悩まなくてもよいのです。

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大学教員や研究所の研究員の質が揃えば、大学間、大学と研究所間の人事交流もしやすくなります。もしテニュアトラックの審査を通らなければ、早めに研究員の道をあきらめ、方針転換することが可能です。ちょうど将棋連盟の奨励会を突破できなかった人が、別の分野に進むようなものです。

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テニュアトラックで実績を積んだ研究者がどんどん大学に入ってくれば、それまで無期雇用のポストにいた教官が席を失うという問題が発生します。ではどうすればよいのか?

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ここで考えるのは、研究業務と教育・指導業務の分離と、人材の割り当てです。

前回、申し上げましたが、米国の大学は研究型と教育型に分かれ、特に全米にある州立大学は主に教育に力点を置いています。日本の大学は、一つの大学が研究と教育の両方を行い、両者は車の両輪になっています。

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自然科学の場合、研究者が最も脂がのっていて、バリバリ研究できるのは、20代後半から30代後半ぐらいまでだそうです。30代の初めにテニュアトラックを通過し、新進気鋭の研究者として、研究に従事したあと、40代の半ば以降は、教育に専念するという道があります。ひとつの大学の中で、そういう役割分担ができれば、人事の停滞や閉塞感は解消できます。勿論、先生方には反論もありましょう。生涯現役の研究者でいたい・・・という方も多いでしょうが、そこはどう考えるかです。

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プロのスポーツ選手やプロの棋士は、自分で引退時期を決める場合と、あるシステムに従って引退する場合の2種類がありますが、引退後に後進の指導者や監督として成功する人も多くいます。将棋連盟のプロ棋士がフリークラスになったり引退しても、街の将棋道場でアマを教えることは可能ですし、そちらで才能を発揮する人もいます。それと同じように、研究者が教育者に転じるコースも整備すればいいのです。

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博士号を取得した人達は、単なるインテリではありません。知的生産業務に於いて、優れた能力を持つと証明されたエリートであり、そして彼らの教育には多くの国費が注がれている訳です。彼らを有効活用しなければ、国家の損失です。特にこれからの日本の成長は、創造型の産業が支えることになり、科学技術の革新が不可欠です。もはや独自技術なしで、単に大量生産でコストをさげて勝負する工業製品では、アジア諸国に適いません。そういう時代ではないのです。だから、街と大学に溢れる博士たちを活かす方法を考える必要があると思うのです。 その最初のシステムはテニュアトラックだと私は思います。


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【 なぜテニュアトラックを活用しないのか その1 】 [政治]

【 なぜテニュアトラックを活用しないのか その1 】

 

理化学研究所が制度を変更し、任期制の研究員を減らし、無期雇用(つまり定年まで勤務できる)研究員を増やすそうです。

https://www.jiji.com/sp/article?k=2018040501081

なるほどね・・・。これは小さいニュースですが重要なことです。

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インターネット上では、すぐにいろいろな意見が登場しました。研究者の身分が保証されることを好意的にとらえた意見は、

1.これで腰を据えて、研究に打ち込める人が増える。長期のテーマにも取り組める。結婚もできるし、将来設計ができる。

2. 身分の不安定さを嫌って理研への就職をためらっていた優秀な人が集まる。

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一方、批判的な意見は、研究の活力がそがれるのを危惧するというものです。

1. パーマネントポスト(定年までいられる地位)を確保するまでが競争になり、その後は仕事をしなくなる人がでてくる。

2. 若い研究者や後輩にポストが回らなくなる。大学などとの人事交流もなくなってしまう。

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実は私の長男からも、理研の問題について聞いたことがあります。

今北海道にいる長男が、大学院生だった頃の話です。ある時、研究室の指導教授と理化学研究所に入った先輩と息子の3人で、徹夜で飲んだそうです。研究者として将来を嘱望されて、理化学研究所に送り込まれた先輩ですが、いろいろ問題があるそうで、彼の悩みや愚痴を、先生と息子がじっくりと聞く形の飲み会だったようです。

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問題の一つは不安定な身分、つまり将来が保証されていないことだそうです。任期制の研究者は、研究を終えた後の自分がどうなるかを常に考えなくてはならず、落ち着いて研究に打ち込めません。期限内に研究をまとめなければ、成果が上がらなかった・・ということで次の段階に進めません。その結果、短期間に何らかの成果が見込める、小さな研究テーマを選び、こじんまりとした仕事ばかりになります。成果がでるかどうか分からない博打のような研究テーマを選ぶこともできません。他にも悩みはたくさんあるようです。理研は仁科芳雄博士が創設した、自然科学では最高峰とも言うべき研究所ですが、「中の人」は、しばしば憂鬱なようです。

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この種の問題は、いろいろな研究機関に存在します。例えば京都大学の山中伸弥教授が所長を勤めるiPS細胞研究所も、研究者の多くは、任期制のスタッフで、その身分は不安定です。考えてみれば、一般の会社の非正規雇用の従業員よりも不安定な立場です。

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所長の山中教授は若い研究員の将来を考えて、いろいろ心を砕いているそうですが、学界の至宝とも言うべき科学者に、部下の人事や就職の心配をさせていいのか?・・とも思います。

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今、多くの研究機関や大学で、研究者や教員の任期制が導入されています。いったん大学の先生になれば、定年まで象牙の塔の上であぐらをかいていられる時代ではありません。

常に競争にさらされ、常に成果を求められ、成果があがらなければ退場です。この厳しいシステムは、プロスポーツの選手の世界に似ています。そして、このシステムは米国から来たのかも知れません。

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米国の大学は、研究型大学と教育型大学に分けられますが、研究型大学の方は常に厳しい競争の世界です。 私は、竜巻博士として有名なシカゴ大学の藤田教授がご存命の頃、シカゴで食事をしたことがあります。私が「アメリカの一流大学で、思う存分、研究に打ち込める人生は素晴らしいし羨ましい」と申し上げたところ、「いやあ、オヒョウさん、そんなにうらやむようなものではないですよ。今でこそ、終身の名誉教授で身分も安定しましたが、若い頃は、3年ごとに契約が見直される立場だったので、それは大変でした。必死で研究して成果を出さなければ解雇される訳ですから、常にストレスがありました」

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物理学と経済学の分野では、野球チームが幾つもできるくらい、ノーベル賞学者を輩出しているシカゴ大学でも、いやシカゴ大学だからこそ、研究者は競争にさらされるのかも知れません。

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米国で発生したトレンドは、時間差を置いて日本でも流行ります。日本でも自然科学の分野では研究者のポスト争いの競争が激化しました。理由は文科省が打ち出した大学院を充実・強化させる施策で、博士課程の定員が増やされ、大量に博士が輩出されるようになったことです。

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その昔(オヒョウが学校にいた頃)、大学院博士課程に進学するのは、医学部や歯学部を除き、ごく一部でした。とびきりの優等生だけが大学院に残るよう慫慂され、残った場合、その学生は順番待ちで教授のポストに到達できる仕組みでした。博士課程を持つ大学も限られ、博士課程の無い地方大学にとびきりの秀才が現れた場合は、留学のように都会の総合大学の博士課程に入りました。

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今、大学院を修了する人は大学に溢れています。そしてそれらの博士たちは、決して多くない無期雇用の研究者のポストを目指します。そしてあぶれたオーバードクター達は、露頭に迷います。

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政府は慌てて、それらの人達の為にポストと仕事を用意しました。例えば学振が用意した博士研究員(学振PD)などがそれで、一般にはポスドクと呼ばれています。ただし、それらは任期制で、期間も待遇も、種類によってまちまちです。総じて不安定な立場であることは間違いありません。そして、最終的に目指す無期雇用の研究者のポストが増えなければ、任期制のポスドクは、時間稼ぎというか、問題の先送りに他なりません。そして大学院で博士号を取得する人は増加傾向にあり、ポスドクの数は増える一方です。

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一方で、大学の教官/教員の採用や人事は、必ずしもオープンではありません。人脈・コネ・縁故・情実で不公平な人事も行われているようです。一応、国立大学(国立大学法人)では、オープンで、広く教官を募っているようですが、問題なしとは言えません。

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入学試験のように、数値化された得点で優劣をつけるのなら簡単ですが、研究者(あるいは研究者の卵)の場合、論文の数や学会発表件数や被引用件数ぐらいしか客観的に評価できません。その内容や質についての比較は難しく、最後は人脈というか人間関係で決まります。これでは、大学に溢れるポスドク達は納得できません。

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ではどうするか?若い研究者を適切に育成し、公平に機会を与え、公明正大に大学教員の採用人事を行うシステムが必要です。それがテニュアトラックです。

 

その具体的な内容については、次号で報告いたします。


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【 この道はいつか来た道 】 [政治]

【 この道はいつか来た道 】

 

森友学園問題は、複雑な様相を呈してきました。園児に首相の個人崇拝を促すような奇怪な幼児教育を施す幼稚園の存在とその経営破綻、黒幕としての首相夫人の関与、廃棄物まみれの国有地、財務省の忖度や公文書の書き換え、板挟みとなった官僚の自殺等、スキャンダラスな話題に事欠きません。しかしこの問題の根本は、あくまで国有財産を不当に安い価格で、特定の人物・法人に払い下げていたことです。

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でも、日本の歴史を振り返ると、似たような事件は時々発生しています。太平洋戦争に敗北し、日本軍が解体・消滅した時、多くの軍用地が個人のものになりました。地方によっては広い練兵場が、ほんの数人の将校の私有財産に化けたところもあります。

また有形の財産ではなくても、特定の権益を私した輩もいます。

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しかし、日本史の教科書に登場するこの手のスキャンダルとして一番有名なのは、北海道開拓使の官有物払い下げ事件です。今から140年前に、やはり国有財産を不当に安い価格で民間に払い下げる事件が発生していたのです。明治時代前半の黒歴史とも言うべき事件ですが、その主役は毀誉褒貶の激しい男の代表である黒田清隆です。

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彼は、米国の西部開拓を範とした北海道開拓計画をたて、莫大な政府予算をつぎ込みました。しかしプロジェクトの期限である10年を経過した時点で開発は道半ばでした。そこで黒田はそれらの財産を民間に不当に安い値段で払い下げたのです。具体的には炭鉱、ビール会社、鉄道、牧場、農園、砂糖工場等です。売却は3回にわたり、一回目と二回目は薩摩の人脈に通じた財界人、井上馨、山形有朋らの政治家や渋沢栄一、安田善次郎、大倉喜八郎といった財閥のトップが関与し、一部の財閥に売られました。3回目は皇族、華族といった上流・特権階級に売られています。当然ながら、黒幕として五代友厚も登場します。TVでディーン・フジオカが演じると爽やかな快男児なのに、本物はかなりダーティーだったのかも・・・。

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その金額たるや、1400万円をかけたインフラが39万円、或いは26万円の設備が千円弱で、しかも利息ゼロのローンで買えたのです。(当時の貨幣価値がピンとこないので、どれくらいの財産なのかは分かりませんが、森友学園の国有地の比ではありません)。

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当然ながら、マスコミはこの問題を追及し、世論は沸騰しました。 伊藤博文は官有物払い下げの仕組みを作った大隈重信を糾弾し追放しました。大隈は下野し、以来、早稲田大学は在野精神に溢れる大学になった・・というのは、ウソです。

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張本人である黒田清隆も結局閑職に退き、やがて失脚しますが、悪い事ばかりではありません。私は帝国議会が招集されたきっかけはこの官有物払い下げ事件だったと(勝手に)理解しています。一種の怪我の功名です。

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一部の権力者がまつりごとを壟断し、こそこそと仲間内で国有財産を私するのではなく、公明正大に行政を進めるべきで、その為には国会が必要と言う論理です。五箇条の御誓文にある「広く会議を興し万機公論に決すべし」を実現するには、民主的な議会制度が不可欠でした。

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話は脱線しますが、一部の左翼系の人々は、戦前の日本を暗黒の時代ととらえています。

全体主義のもと、言論は封殺され、人権は蹂躙されていた・・・と言うのです。

しかし、実際には完全ではないものの、民主的な制度は機能していました。普通選挙法で選ばれた人々が政府を監視し、意見を主張することができたのです。これは当時の諸外国と比べて、見劣りする内容ではありません。日本の民主主義が窒息死したのは、戦時体制に入った後です。

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脱線から戻ります。

ではディーン・フジオカじゃなかった、五代友厚はどうか?と考えると、面白い資料が住友財閥の資料館で見つかったというのです。それは五代友厚の一種の弁明書ですが、黒田清隆の思いを説明したものと思われます。

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それに拠れば、

10年の期限が近づき、あと一歩のところまで来ている諸事業をあきらめる訳には いかなかった。

・事業を続けて、ものにするには、その後を民間に託すしかない。

・そこで、このプロジェクトに心血を注いだ部下の官吏達に辞表を出させ、彼らに事業を買い取らせて、民の立場から開発を続けて黒字化させるのが、一つの責任の取り方であると考えた。

・退職した官僚は、財閥ではないから、私財で自分が手がけた事業を買い取るのも困難。そこで敢えて低廉な価格を設定した。また財閥の資金も利用した。

・当初考えたプロジェクトの期限には間に合わなかったが、その後努力は結実し、北海道の殖産興業は軌道に乗った。それは、民間に下った人々がその後も継続して事業に尽力したからである。

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以前のブログでも申しましたが、官庁あるいは官僚には、許認可型の業務をもっぱらに行うタイプと、政策の立案実行を主に行うタイプの2通りがあります。北海道開拓使というプロジェクト推進型の官僚の仕事に於いて、これは潔い一つの責任の取り方を示したものです。

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あれぇ?醜悪なスキャンダルの典型である官有物払い下げ事件も、見方を変えると、有能な官吏の責任の取り方を示すものに見えてきます。不思議だなぁ。

それにしても五代友厚、民間の財界人だったはずだけれど、官僚の心意気や身の処し方についても理解していたのです。

彼は、ある理由で公の場では弁明書を発表しなかったのだそうです。

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明治初期に、株式会社のシステムが完備していれば、昭和の時代に国鉄や電電公社を民営化した時の様に、株を売り出すことで、公正さが担保できたのに、残念なことです。

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ところで、官有物払い下げ事件では、帝国議会の招集以外にもう一つよい事がありました。

それは、西欧文化に学んだ、近代的で独自の北海道文化が築かれたことです。この事件で、北海道に荘園や会社、鉱山などを手に入れた貴族階級の人達は、北海道に西欧風の優雅な社会を作ったのです。

実際には、屯田兵らによって行われた北海道の開拓は、田中邦衛の「北の国から」とも吉永小百合の「北の零年」とも違う、厳しく過酷な作業でした。しかしそれでも都市部には西欧的で文化的な世界ができたのです。

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九州生まれの北原白秋は、昭和の初めに北海道に遊んで、その特殊な北海道文化を敏感に感じ取り、童謡「ペチカ」や「この道」で、端的に表現しています。

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札幌の大通りに、自分が育った九州の町の道を重ねて、一種の既視感を味わうという不思議な「この道」の歌詞は、政治スキャンダルが繰り返されるたびに、皮肉を込めて引用されます。

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140年前の官有物払い下げ事件となると、私の記憶も薄く(うそです)、既視感もないのですが「この道」の歌詞では、「この道はいつか来た道。ああ そうだよぉ」と続きます。森友学園も加計学園も、「いつか来た道。ああ そうだよぉ」となる訳です。

もっとも、北海道北見のカーリング娘たちは、「ああ そうだよぉ」とは言わずに「そだねー」と言うかも知れません。それが北海道の放言なのか、そうでないのか、私には分かりません。


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【 ブータンについて考える 】 [政治]

【 ブータンについて考える 】

 

ブータンは小国ですから大規模な軍隊は持ちません。武力はGDPの2%程度です。こちらの計算はやはり、GDP比で議論するしかありません。しかし全くそれでは不十分ですから、インドと安全保障条約を結び、有事の際はインドが守ってくれる形になっていました。極東のどこかの国のようです。

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しかし、1962年中印国境紛争が勃発し、どさくさに紛れて、中国の人民解放軍はブータンの国土を侵略しました。ブータンはインドに救援を求めましたが、ギリギリのところでインドはブータンを見捨て、救援に向かいませんでした。当時中国は既に核兵器を持ち、インドは持ちませんでした。インドは核保有国との全面戦争を避ける必要があったのです。

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中印国境紛争からしばらくして、インドとパキスタンは競争で核開発を続け、国連の安全保障理事会の常任理事国以外で初の核兵器保有国になりました。インドについては中国という脅威の存在ゆえに核兵器を持たざるを得なかった・・という理屈が、米国やソ連(当時)に理解されました。

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踏んだり蹴ったりなのはブータンです。国土の三分の一を中国にかすめ取られ、占領されたままです。さらに中国は新たな国境侵犯を始めているという情報があります。

でも日本では、その種の(中国を悪者にした)報道は規制されるか、報道されません。

ブータンが中国に奪われた地域を東北辺境区域といいますが、あれっ? 日本語版のWikipedia がありません。それどころか、以前は英語版の東北辺境区域は閲覧できたのに、それも見られなくなっています。 

https://ja.wikipedia.org/wiki/東北辺境地区?action=edit&veswitched=1

いったいどこからこんな圧力が?

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平和と繁栄に浮かれ、国防をおろそかにしてついに滅んだ国の例として、人々は第二次ポエニ戦争の後、ローマに滅ぼされたカルタゴの話を取り上げます。日本をカルタゴになぞらえるのです。(塩野七生さんの影響かな?)

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でも「殷鑑遠からず」とはまさにこのことです。紀元前まで遡らなくても、参考になる国はあります。それがブータンです。

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日米安保条約で日本は本当に守られるのか? 中国に本当に領土や領海拡張の野心はないのか? ブータンは本当に幸せだけの国なのか? なぜ日本のマスコミは不都合な真実を隠蔽するのか?

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ブータンのワンチュク国王は、ある意味、日本の皇室に似ています。田植えをするとか稲刈りをするといった習慣だけでなく、象徴的存在として、国民のよりどころになっています。でもそれだけでは、国土を守れません。

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私は愛すべき小国ブータンを考える時、決してマスコミが報道しない、不都合な真実も一緒に考えたいと思います。

 

あれっ?農業とTPPのことを考えようとしていて、なぜか安全保障の話になってしまいました。 農業とTPPについては、また別の機会に申し上げます。


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【 農は国の基 】 [政治]

【 農は国の基 】

 

先日、飯田橋の居酒屋で古い友人であるY君と酒を飲みました。私のブログにはもうひとりY教授が登場しますが、彼とは別人でY君の方は、東大法学部をでて農水省に入って活躍した人物です。(Y教授も含め、私達は、昭和40年代の末に金沢の同じ高校にいました)。

 

久しぶりに会ってみると、Y君は役所を辞し自由人になっていました。金沢で新聞記者だったT君もとっくに会社を辞めて父君が遺した能登の屋敷を守り、田畑を耕しています。考えてみれば我々は60代であり、まだあくせく会社勤めをしている私の方が、どちらかというと例外なのです。

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そのY君は引退しても、農政に対する情熱は全く冷めた様子がなく、あらゆる話題から農業問題に切り込んできます。特に農政を語るうえで切り離せないTPPの問題については、深い考えがあるようです。

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私自身は、米国駐在中にNAFTAが成立し、それによって北米の産業構造がどう変化するかを目の当たりにした経験があります。だから自由貿易協定については一家言を持つつもりでしたが、私が考えていたのは自動車や鉄鋼、コンピューターといった第二次産業ばかりです。農産物についてはまじめに考えていなかったというのが実態です。だから、農産物の面から自由貿易協定の話をするのは全く苦手なのです。

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それにTPPの問題については、あまりに語るべき点が多いので、稿を改めて管見を述べたいと思います。

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それでも、ひとつだけ言えることは、自由貿易協定は、一国の経済や暮らしだけを考えていてはいけないということです。20世紀最大の凶事だった第二次世界大戦は、自由貿易が進まず、各国のブロック経済化を防止できなかったことが原因のひとつです。自由貿易を進めると、必ず一時的に被害を受ける産業や人々ができます。彼らの声を聴くことは非常に重要ですが、その部分のみがクローズアップされると、皆が被害者意識に取りつかれ、自由貿易に否定的になります。その結果、人々は保守的になり保護貿易に走ります。米国のトランプ政権はそれらの人々の支持でなりたっています。

日本の場合、農業に「被害者意識という幻想を植え付ける犯人」をやらせてはいけないのです。日本の農業は、本質的に被害者でも犠牲者でもなく強者であるはずのものです。

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日本の農業人口はとうの昔に1割を切っており、GDPに占める比率も高くありません。

国民があまり農業に関心を持たなくなってきている・・と私は思っていました。しかし、農業と農政を熱く語る漢(おとこ)はまだいるのだなあ・・と気づき、考えました。

(どんなに時代は変化しても、農業は日本社会の根本なのだ。だいたい、国家元首(象徴でもいいけれど)が、毎年田植えと稲刈りをする国など、他にあるものか)。

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そこで、思い当たりました。(そう言えば、他にも国王が自ら田植えをする国があったな)。

国力をGDPではなく、国民の幸福度数で計るどこか懐かしさを感じる不思議な国ブータンです。あの国の稲作は、一人の日本人技術者が指導したもので、完全な日本式農業です。

あのアントニオ猪木に似たワンチュク国王は、日本の農業指導に感謝すると同時に、(日本の皇室に倣ってなのかは不明ですが)、自ら農業人になっています。

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日本のイチゴの苗を盗みながら、一方で、言われのない風評に基づいて日本の農産物の輸入を禁止していている隣国とは大きな違いです。

そういえば、日本のカーリング娘達は、オリンピックの試合の休憩時間に大粒のイチゴをおいしそうに頬張っていました。「他の国のイチゴは甘くないのに、韓国のイチゴは日本のイチゴと同じように甘くておいしい」と語っています。

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「ちょっと待ってよ。そのイチゴはもともと日本原産の品種なのだから・・・」と言いたいところですが、まあいいや。その韓国イチゴのおかげで日本のカーリング娘達が活力を貰い、メダル獲得につながったのだとしたら、種苗を盗まれた日本のイチゴ開発者ももって瞑すべし・・ということでしょう。

 

ところで、ブータンについては、マスコミは報道しませんが、日本がこの国から学ぶべき点があります。ブータンがトマス・モア的な幸福を追求することに成功した社会だからではありません。同国の歴史が参考になるからです。

 

それについては次号で。


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【 官僚の人事権とゆとり教育 その3 】 [政治]

【 官僚の人事権とゆとり教育 その3 】

 

加計学園の獣医学部新設にあたって首相サイドから圧力があったかなかったかは、これから明らかになるでしょう(ならないかも知れませんが)。 この学校法人に、森友学園に通じるうさん臭さがあるのも事実です。

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しかし、一方で学校設立の許認可の基準を緩和するのも既定路線です。規制緩和は、自民党政権でも民主党政権でも、大いに進めるべしというのが、統一見解です。しかし、官僚の中にはこれに反対する人もたくさんいます。 中央官庁には政策立案型官庁と許認可型官庁の2種類の性格があり、文部科学省はどちらかというと後者の色彩が強い官庁です。そうなると、規制緩和には当然慎重・・もっと言えば反対になります。

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前川前次官は、その思いが特に強いようです。 獣医学部の新設にあたって、既存の他校の獣医学部ではできない点、或は現存の16の獣医学部では対応できない問題が明確に見えなかったので反対したとのことです。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%80%90%E5%89%8D%E6%96%87%E7%A7%91%E6%AC%A1%E5%AE%98%E4%BC%9A%E8%A6%8B%E8%A9%B3%E5%A0%B1%EF%BC%88%EF%BC%95%EF%BC%89%E3%80%91%E5%89%8D%E5%B7%9D%E5%96%9C%E5%B9%B3%E6%B0%8F%E3%80%8C%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E7%B3%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E3%80%82%E5%AE%9F%E5%9C%B0%E8%A6%96%E5%AF%9F%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%A7%E6%95%99%E8%82%B2%E8%A1%8C%E6%94%BF%E3%81%AE%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%84%E3%81%A0%E3%81%9B%E3%80%81%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8D/ar-BBBvUex#page=2

しかし、私に言わせれば、私学の教育とはそういうものではありません。学びたいという学生がいて、教えたいという教授がいて、教育の場が必要だと考えたら、学校は成立するし、必要なのです。あとは、月謝だけで学校が運営できるかという経営上の問題だけです。

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文科省の役人風情が、卒業しても就職先が無いからとか、社会的に需要と供給がバランスしているから新しい学校は不要・・とするのは不遜に過ぎます。

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世の中には、難しい資格を取得した者だけが就ける職業が幾つかあり、それらの人がギルドを構成し、世間からの尊敬と高い報酬を得ているのは事実です。難しく知的な仕事で、社会に貢献する仕事だから尊敬されるという訳ですが・・・。

しかし、畢竟それらは、教育機関や合格者の定員を少なくすることで希少価値を維持しているというのが本当のところです。かつては尊敬され格好いい職業の代表であった、弁護士や歯科医の数が増えた結果、過当競争になり、収入も不安定になりました。

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米国では弁護士はアンビュランスチェイサーと呼ばれます。つまり、救急車が走っていく先には事故があり、訴訟ネタがあるはずだから、そこに行けば仕事にありつけるというさもしさを意味しています。日本もそうなる・・か、どうかは分かりませんが、数が多すぎて過当競争になるのは困ったことです。 

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でもその問題は、文部官僚が考えるべきことではありません。前述の通り、本来大学とは、知識を得ようとする者の為にあるのであり、就職予備校ではないからです。入学したい人がいて、教える環境を求める人がいれば、認可するのが筋です。 それが規制緩和の精神であると考えます。

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前川氏は、ここで獣医学部を増設すれば、歯科医などと同じ問題が起きるから、新設に反対だったようですが、果たして獣医の数は足りているのか?不足しているのか?

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前川氏がどういう調査をしてどういう検討を経て、獣医学部の新設は不要と判断したのか不明ですが、専門家でない彼に十分な検討ができたのかはなはだ疑問です。 私も素人ですが、獣医師はこれからさらに必要になり、現在の大学の定員では足りなくなると思います。

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古典的な考え方では、獣医師はペットを相手にする犬猫病院や、牧場の牛の出産幇助、動物園の勤務医といった仕事になりますが、これから変化します。 鳥インフルエンザや口蹄疫が、猖獗を極める事態となった時、最前線で戦うのは獣医です。国際化が進み、海外からの病原体の侵入の機会はさらに増えます。獣医師は足りません。

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そしてもう一つ、今後、医学が進めば、医師と獣医とがオーバーラップする領域が増えてくるのではないか?ということです。 特に公衆衛生学の分野では医師と獣医師そして農学の専門家の連携や協力が欠かせません。 

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素人のオヒョウが何を言うか?と叱られそうですが、私はそれなりの理由があってそう思うのです。 その一例として、エキノコックスの問題を次報では取り上げます。


【 官僚の人事権とゆとり教育 その2 】 [政治]

【 官僚の人事権とゆとり教育 その2 】

 

文科省エリートであった前川氏の業績で見逃せないのは、「ゆとり教育の推進」です。「ゆとり教育」は大失敗で、万死にあたる罪です。この責任を彼は負うべきです。

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詰め込み教育と激化する受験戦争への反省から導入された「ゆとり教育」ですが、文字通り、のんびりとした児童・生徒を作り出しただけです。授業時間を短縮し、その時間で「生きる力を身に着ける教育を」というスローガンでしたが、空いた時間は、社会見学や一部のボランティア活動を除き、ゲームに費やす時間になりました。一方で親に経済的余裕がある生徒は、その時間を塾通いにあてました。私立の進学校を選ぶ子供も増えました。その結果、親の経済力が、露骨に児童生徒の学力に反映することになりました。

http://www.nippon.com/ja/in-depth/a00601/

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しかし、最も大きな問題は、若い内に学ぶべき多くの事柄を学ぶ機会を失ったことです。

例えば、ゆとり世代にとって円周率は3です。それ以前の世代では便宜的に3.14で計算しました。 3と3.14 たったそれだけの違いではないか?と思われるかも知れませんがそうではありません。

円周率は最も有名な無理数で、小数でも分数でも表すことはできません。円周率が無理数である証明は、非常に難しく、私自身も理解している訳ではありませんが、円周率のおかげで、数学の世界には無理数が存在し、むしろ有理数(整数や分数、小数で表記できる数)より一般的だという具合に数論の入り口を知ることになります。その上で便宜的に3.14と表記する事を理解する訳ですが、円周率が3となってしまっては話が違います。 円周率を整数だと誤解するかも知れず、非常に重要な数学の概念が抜け落ちてしまうのです。

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毎年、世界各国の生徒の自然科学の学力を評価し比較するイベントがありますが、かつて世界のトップクラスだった日本の生徒の平均学力は、「ゆとり教育」の結果、どんどん落ち、アジアでもシンガポールなどに遠く及ばないレベルに低下しました。喜んだのは特アと呼ばれる中国と韓国です。彼らの日本に対するライバル意識は強烈ですから、日本の「ゆとり教育」を大歓迎したはずです。

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「ゆとり教育」が目指した、旧来のカリキュラムから離れた自主的な学習など、小学生には無理です。 自分で、何を学ぶべきか、あるいはどうやって学ぶべきかを考え、能動的に学習できるのは、大学生以上です(これは日本も外国も同じ)。それを小学生に求めてどうするのか?

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もう一つの大罪は、東日本大震災で多くの犠牲者を出した大川小学校の事件の検証委員会の設置です。他の学校では皆避難に成功し、犠牲者は最小限だったのに、なぜ大川小学校では多くの死者・行方不明者を出したのか? ひたすら時間を無駄にし、ちょうど津波が訪れる最悪のタイミングで川を渡ろうとした愚かしさの元は何なのか? 嘘に嘘を重ねて本当のことを語ろうとしない、唯一生き残った教師の不誠実さは何なのか?

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もとをたどれば、校長が一人いないだけで、何も判断できない無能な教員の問題に帰着する訳ですが死者を鞭打ちたくない人々の追及は甘くなります。そして前川氏が設けた検証委員会から犠牲者の家族は締め出されました。教育現場の「事なかれ主義」を考えた場合、責任所在不明のままでうやむやにしようという意図が丸見えです。なにせ、いじめの自殺事件の検証でも、遺族が必死に訴えなければ真実が表に出てこない世界です。

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その、一種の隠蔽工作を図ったのが前川氏であるとすれば、「ゆとり教育」の導入に並ぶ大罪です。「ゆとり教育」も「大川小学校検証委員会」も、前川氏ひとりに責を負わせるのは酷かも知れませんが、彼も関与したはずです。そして全体に対して責任をとるのが、事務方のトップである事務次官というものです。

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どうしてそんな男が官僚の頂点である事務次官まで上り詰めたのか? 理解できませんが、外部の干渉を受けず、内部の「役所の論理」で人事が決まったからでしょうか?それならば、なぜ前川氏が・・ではなく、前川氏だからこそ次官に上り詰めたという風に理解できます。 公務員試験が4番だろうと、何番だろうと関係ありません。

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やがて全体への奉仕者たる官僚についても、従来の単純な減点主義ではなく、個々人の業績を評価し、信賞必罰が実施される人事制度が適用されると私は思います。無能な大臣に振り回され、その大臣に評価されるというのでは、高級官僚には不本意かも知れませんが、サラリーマンなんてそんなものです。

 

ところで、前川氏は怪しげな加計学園の獣医学部新設に身を挺して抵抗したジャンヌダルクだそうですが、果たしてどうなのか?そのあたりについて、次報で管見を申し上げたいと思います。


【 官僚の人事権とゆとり教育 その1 】 [政治]

【 官僚の人事権とゆとり教育 その1 】

 

だいぶ昔のことですが、小泉内閣で田中角栄の娘の真紀子が外務大臣だった時、田中真紀子外相と野上事務次官以下の官僚の軋轢が激しくなりました。官僚は全員そっぽを向いた状態となり、彼女は孤立しました。

そこで彼女は言うことを聞かなかったり、逆らった部下を馘首しようとしましたができません。他の省庁から出向で来ている官僚については、古巣に帰って要職を与えられますし、外務省プロパーの官僚についても、クビにはできないのです。閣議で彼女はその問題を取り上げ、「それはひどい」と憤慨する閣僚もいたそうですが、どうにもできません。

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不思議なことですが、大臣には部下である官僚の人事権が無かったのです。国家公務員は全体への奉仕者であり、誰か特定個人に忠誠を誓うというものではありません。そしてその身分は保証されます。

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結局、喧嘩両成敗ということで小泉首相自身が、野上次官から辞表をとりつけるのと同時に田中真紀子を罷免する形で決着がつきました。首相自身が乗り出さなければ、官僚の人事は動かなかったのです。

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今にして思えば、田中真紀子は外務大臣として全くの無能で、失敗ばかりを重ねました。父親は人たらしで優秀な部下を使いこなしたのに、娘は部下の使い方を知らず、どなりちらすばかりでした。本来、人の上に立つべき人ではなかったのです。自分が部下を管理できない醜態を閣議で明らかにするというのもみっともないことです。

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しかし、このエピソードはひとつの疑問を抱かせました。省庁のトップである大臣に決められないのなら、高級官僚の人事は誰がおこなうのか?人事権は誰が持つのか?

戦前なら高級官僚は、親任官、勅任官、判任官に分かれ、任免権者が明確でした。形だけですが、親任官と勅任官は天皇から任命されていました、

今、各省の大臣に人事権がないとすれば、官僚が暴走する可能性があります。戦前の陸海軍がそうであったように、自分の組織を守ることが目的化し、内向きの活動が評価され、組織が肥大化します。

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それを防止するために、一部の高級官僚の人事権を内閣に移動する対応がとられました。平成14年に発足した内閣の人事局がそれです。

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e7%8f%be%e5%bd%b9%e5%ae%98%e5%83%9a%e5%9b%bd%e4%bc%9a%e7%ad%94%e5%bc%81%e3%80%81%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%9f%e3%81%8f%e3%81%ae%e5%b5%90-%e5%ae%98%e9%82%b8%e3%81%ab%e4%ba%ba%e4%ba%8b%e6%8f%a1%e3%82%89%e3%82%8c/ar-BBBxqdy?ocid=spartandhp#page=2

 

すると、マスコミは、一斉に反発しました。官僚が政治家の顔色ばかりうかがうようになり公平で適切な行政が行なえなくなる・・というのです。

これは奇妙なことです。かつて民主党政権のころは、行政を官僚の手から政治家の手に取り戻せ!だの、政治主導で清新な行政を!と訴えていたのに・・・。当時、官僚は「箱物」ばかり作り、天下り先を生み出すと同時に土木建築の業界の既得権益を守る・・ということで、悪者にされ、民主党のスローガンは「コンクリートから人へ」でした。菅直人元首相などは、「官僚はバカばかりだ」と公言して憚らず、それがまたマスコミうけしていました。

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それが自民党政権になったとたんに、今度は政権に逆らう官僚がヒーローになりました。政治家が悪者で官僚は善玉です。民主党政権の時と全く逆です。朝日新聞などには、理屈ではなく、自民党政権に逆らう人がヒーローなのです。

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私は、官僚であろうが、民間のサラリーマンであろうと、目を光らせる存在、生殺与奪の権限を持つ存在がなくなれば、組織は肥大化し、判断は独善化し、人は暴走すると思います。だから3すくみのように、牽制しあう権力構造が望ましいと思います。官僚の上に立つ政治家も必要ですし、民間人の監視も必要です。何より官僚の査定と評価には、国民のまなざしでの審判が必要であろうと思います。

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では今回、政府という権力に盾つき、総理大臣のスキャンダルの鍵を握るとされるマスコミのヒーローである前川前事務次官はどうなのか?

次報で彼の業績を洗います。


【 日本人でよかった・・について考える 】 [政治]

【 日本人でよかった・・について考える 】

 

いささか旧聞ですが、神社本庁が作成したポスターが話題になっています。

微笑む若い女性の顔の横に「日本人でよかった」というコピーが付く不思議なポスターです。早速このポスターは、インターネット上で噛みつかれました。

即ち「日本人でよかった」というコピーは外国人に対して失礼ではないか?とか、日本や日本人を賛美することは、国粋主義や愛国主義に通じる訳でけしからん、とか、日本人という劣等民族であることをありがたがるとは不可解であるし、けしからん。という意見までありました。

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それに対して、自国を誇り、その国民であることに感謝するのは当然であり、何がいけないのか?とか、冷静にみて、諸外国の人より幸福に暮らせる環境を保障されているのは明らか・・という反論もでました。

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さらにはポスターに登場する微笑む女性が、実は中国人であることが分かり、さらに論争を広げています。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/10/jinjahoncho_n_16526916.html

面白いのは、「日本人でよかった」と思う、その根拠が示されていないことです。その理由を、ポスターを観た人に考えさせる訳ですが、人々が不思議に思い、それぞれに考えれば、このポスターは印象に残ります。議論がおこり話題になれば宣伝効果が倍増します。まんまと作戦に成功したコピーライターの笑う顔が目に浮かびます。

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そもそも、なぜ神社本庁がこのポスターを作成したのか?

神道は確かに日本固有の宗教です。「日本人でよかった」と考えるのは、生活に神道が関わる場面かも知れません。 即ち、神社にお参りしたり神棚にお祈りしたりする時かも知れません。いろいろな事を祈願するために、神社に行き、成就した時にはお礼参りに行きます。初詣、お祭り、結婚式、七五三、楽しい思い出やおめでたい出来事は、しばしば村の鎮守の神様の森の中にありました。なぜか、悲しいお葬式は仏教寺院なのに、おめでたい事や楽しいことは神社なのです。

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しかし、「日本人でよかった」という言葉は、宗教行事を離れて、いろいろなことを考えさせます。 第一番には、この言葉に反発し、不愉快に思う一部の人達の存在です。 外国人ならともかく、日本人でこの言葉に反発する人がいるのは奇妙ですが、確かに一定数います。 

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例えば・・・

作家の大江健三郎は、自分が朝鮮人でないことを嘆き、朝鮮人は北朝鮮に帰れるのに、日本人の自分にはそれができない・・と悔しがっています。 

べ平連の小田実も奇妙なことを言っていました。 米国の走狗である日本より外国、特に北朝鮮の方がずっとすばらしいと言っていました。

筑紫哲也も日本が嫌いで、「我が国」という言い方を嫌い、日本のことを敢えて「この国」と呼ぶことに拘りました。 客観性を保つというより、日本を他国として、上から目線で批判したかったようです。

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彼ら以外でも、本多勝一など、一部の左派系の論客は、常に日本を貶し、日本人であることを恥じていました。 彼らは本当に日本が嫌いで、日本を貶めることで自分が日本人以外の何者かになれると考えていたようです。彼らから見れば、日本人であることを誇りに思ったり、感謝したりする人々は右翼・・ということになりそうです。

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別の観点から日本を礼賛することを不快に思う人もいます。元経営者の宋文洲は、最近マスコミに日本を褒め称える記事や番組が多いことを嘆いています。

彼の表現では「気持ち悪い」記事となります。 客観的にみて、日本に優れた技術や文化があるなら、それを紹介し、讃えるのは自然ですが、日本人が日本のことを自画自賛するのでは、謙虚さに欠け、そこで進歩が止まってしまう・・という懸念もあります。

イロハガルタにも「天狗は芸の行き止まり」とあります。確かにそうです。

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しかし、外国を眺めると、自画自賛する国のオンパレードです。 中国も韓国も自分達が誇れること、他国に優ることを探しては、マスコミで大きく報道しています。

韓国人がお国自慢して、優越感に浸ることを、インターネット用語では「ホルホルする」と言いますが、その行為を日本人は、苦笑いして眺めています。 「夜郎自大」という言葉がある中国も、しばしば他国と自分の国を比べ、中国の優れた点を取り上げて、優越感に浸り、「中国が一番」と・・・自己満足しています。

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あの北朝鮮ですら、そこに暮らす人々は「偉大なる首領様が率いる我が共和国が一番すばらしい」と考えているようです・・・(本当かね?)。

それらに比べれば、日本の自画自賛はかわいいものです。それでも最近、日本の良さをことさらに紹介する報道が増えているのだとすれば、何か理由がありそうです。

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それは多分、多くの日本人が元気と自信をなくしているから、元気づけてあげなければ・・・という思いがあるからでしょう。

長期にわたる景気の低迷、大地震などの災害、少子高齢化や経済の縮小で明るさがあまり見えない将来展望・・等で自信喪失しているなら、「日本にはまだこんなにいい点がある。自信を持て。元気を出せ」というメッセージが、自画自賛番組に含まれているのだ・・と私は思います。

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それはともかく、権力を批判することこそマスコミの本分と考える、左派系のマスコミは、日本を褒め称える風潮が不愉快のようです。報道だけでなく、芸能界の歌詞にも噛みついたりします。 かつて村下孝蔵が「この国に生まれてよかった」という曲を出した時も無視と抹殺を図りました。

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では今後、どうするべきか? 私は日本が優れている点があるなら、それを紹介する事に問題ないと考えます。また日本人であることに誇りを持ち、日本に生まれてよかったと思うことにも問題はないと考えます。ちょうど他国の人たちが自分達の祖国を“まほろば”と思うように。

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しかしそれが他国に対する変な優越感をもたらすものであればナンセンスです。 またそれが、日本を訪れる外国人や日本に暮らす外国籍の人を侮辱するものだったり、不快感を与えるものであれば、これも問題です。例え、国内向けだけの発信だとしても、昔と違い、今の日本には、多くの外国人が暮らし、滞在しています。

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ではどうすればいいのか?

難しいところですが、ドイツの例が参考になります。ドイツ人というよりドイツ民族はとりわけ選民思想が強く、ドイツ民族こそ一番と考えています。それが極端に走ったのがナチスドイツということになりますが、第二次大戦後は他民族との融和・和解をモットーに掲げています。 ドイツの国歌の2番には「世界に冠たる我がドイツ」という歌詞が登場しますが、外国人の前では遠慮して、2番の歌詞を飛ばして歌います。日本と日本人も、その感覚を持つべきでしょう。 自分に誇りを持つ一方で、謙虚に外国をうやまい尊重する態度を身につけ、そして何より、中国や韓国のように外国と自国を比較して優劣を付けたがるつまらない発想から解放されれば、最高です。

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日本がそういう国になれば、初めて「日本人でよかった」と言えるのですが・・・、あれっ? この結論は少し矛盾しています。 

ひたすら困惑するばかりですが、なんだかポスターのコピーライターの笑い声が聞こえるようです。


【 平昌オリンピックの憂鬱 その2 】 [政治]

【 平昌オリンピックの憂鬱 その2 】

 

オリンピックを平和の祭典と考えるのは、戦後70年間、戦火に見舞われず、戦争を身近に感じなかった日本人だけかも知れません。むしろ、オリンピックは、醜く理不尽な戦争を覆い隠し、見えなくするためのカムフラージュだと考える人もいます。

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民族の祭典と言われたベルリンオリンピックは、国威発揚に用いられましたが、オリンピックと並行して、ナチスは着々と侵略の準備を進め、同時にユダヤ人への迫害を強化していました。

同じドイツのミュンヘンオリンピックでは、平和なイベントなど欺瞞だ・・と主張するアラブゲリラが選手村を襲いイスラエル選手団の多くの男子選手が亡くなりました。

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オリンピック期間中はかろうじて、平和を維持できたものの、オリンピック終了後に数々の矛盾が噴き出し、戦争になってしまった例もあります。 当時ユーゴスラビアだったサラエボは、冬季オリンピックを開いた後にボスニアヘルツェゴビナの内戦に巻き込まれ、終結までに多くの血が流されました。もともと。セルビア正教、イスラム教、カトリックなど、複数の宗教が混在し、反目しあっていたユーゴスラビアというバルカン半島の火薬庫は、チトー大統領という一大梟雄の存在でかろうじてひとつにまとまっていました。彼の死後、分裂と内乱は時間の問題だったのですが、なんとかサラエボオリンピックまでは騒乱を抑えていたのです。今サラエボのオリンピック会場の跡には多くの弾痕があるとのことです。 

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では韓国の場合はどうか?

前回の1988年のソウルオリンピックの前には、大韓航空機爆破事件というテロ事件が起こっています。韓国のオリンピックを失敗させたい北朝鮮が、韓国がテロのある恐ろしい国だと証明することで、参加国が辞退するよう働きかけたテロだ・・とのことです。(本当かね?)

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今回、北朝鮮にスキーリゾートまで作った金正恩が、冬季オリンピックに何等かの干渉をしてくる可能性は多分にあります。日韓共同主催のサッカーのワールドカップでは、北朝鮮でも試合を開催させろ・・と横車を押してきました。もちろん実現しませんでしたが、日本の左派系というより親北朝鮮のマスコミにはその要求を受け入れるべきだ・・とする意見もありました。

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今回、北朝鮮から何等かの要求があった場合、韓国の対応は予測できませんが、従北派の文大統領なら、北朝鮮との共同開催は無理としても、北朝鮮選手団の受け入れ、もしくは韓国との合同選手団の結成を提案するでしょう。

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しかし北朝鮮から核兵器とミサイルで脅されている米国がそれを受け入れるとは思えません。国連の制裁決議を再三破り、勧告と警告を無視する北朝鮮を参加させる訳にはいかない・・ということです。北朝鮮側も、日本海に航空母艦を浮かべて恫喝(と北朝鮮は思っている)する米国に参加資格なし・・と主張するかも知れません。

・・・・・・

韓国は難しい調整を求められます。オリンピックを開催するということは一種の踏み絵を踏まされることなのです。

・・・・・・

韓国と北朝鮮の緊張関係は日本のオリンピックにも影響を与えます。20世紀のオリンピック大会で最も成功したものの一つとされた、1964年の東京大会では、北朝鮮チームも参加する予定でした。しかし、日韓の国交が回復し、日韓基本条約(1965年)が締結される見通しの中で、金日成は、不倶戴天の敵である南朝鮮(韓国)と一緒に参加する訳にはいかない・・として、選手団は羽田空港から引き返してしまったのです。

・・・・・・

実は東京オリンピックは南北離散家族の面会の機会でもあったのですが、実現しませんでした。 悲劇は1972年の札幌オリンピックでも繰り返されます。北朝鮮のスピードスケートの選手 ハン・ピルファ嬢は、札幌で生き別れの兄に面会するはずでしたが、政治的な理由で兄妹の面会はかないませんでした。

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今回の、北朝鮮とその他の国々との緊張状態は、熱い戦争には発展しないかも知れませんが、オリンピックには必ず影を落とします。それはピョンチャンだけでなく、2020年の東京オリンピックにも続くでしょう。

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「オリンピックなんてまやかしだ。平和の祭典なんて欺瞞だ」というテロリストの考えには絶対に与したくないオヒョウですが、前回の東京オリンピック以降、すっと続く外交・政治問題の影響を考えると、「人間は半世紀経っても進歩しないものなのだな」と思ってしまいます。

                                             以上


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