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【 チンダル現象 】 [政治]

【 チンダル現象 】

先日、車を運転していて、前方の空の雲の隙間から太陽の光の筋(光条)が斜めに指しているのを見て「ああ、美しい」と思いました。

以前のブログで、同じ光景を見た私が、なぜか「牧神の午後」の曲を思い出した・・と書いた記憶があります。今回は、音楽は聞こえませんでしたが、光線の表現にこだわった印象派の油絵を連想しました。 夏目漱石なら「ターナーの絵のようだ」と言ったかも知れません。

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中島みゆきは、この太陽の光条を「天国の階段」として曲を書きました。英語では「Jacob’s ladder (ヤコブの梯子)」と呼ばれています。確かに天国へ続くスロープをイメージさせます。

そして、日本では軍艦旗です。映画「トラ・トラ・トラ」では、オアフ島に近づいた攻撃機に乗った田村高広演じる淵田少佐が、雲間から射す太陽光線の光条を見て「軍艦旗だ。縁起がいいぞ」と口にします。

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このJacob’s Ladderは、実は単なるチンダル現象です。チンダル現象とは、コロイドという微粒子が浮遊する空間を可視光線が通る際に観察される散乱現象で、光の通る筋が、肉眼で観察できるものです。 コロイドとは、直径数十ミクロンの粒子で、ブラウン運動を起こす粒子より少し大きなものです。食卓のお醤油など、ごくありふれた液体にコロイド粒子は存在し、チンダル現象もごくありふれたものです。

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海に潜って海面を見上げた場合、太陽光が放射状の筋に見えますが、これも海水中にコロイド粒子があるからです。 大気中のモヤ(空中の湯気や、氷の粒子等)もコロイドとなる場合があり、チンダル現象が発生します。

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しかし、単なるチンダル現象を絵にしただけの軍艦旗が今になって外国で問題視されています。

http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e9%9f%93%e5%9b%bd%e3%80%8c%e5%bc%b7%e3%81%84%e6%8b%92%e7%b5%b6%e6%84%9f%e3%80%8d%e3%80%81%e6%b5%b7%e8%87%aa%e8%89%a6%e8%89%87%e3%81%8c%e6%8e%b2%e3%81%92%e3%81%9f%e6%97%ad%e6%97%a5%e6%97%97%e3%81%ab%e3%80%8c%e6%92%a4%e5%8e%bb%e6%b1%82%e3%82%81%e3%82%8c%e3%81%b0%e3%80%81%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%b8%bb%e6%a8%a9%e4%be%b5%e7%8a%af%e3%80%8d/ar-BBtuBn5

海上自衛隊の護衛艦が韓国を訪問した際に、艦首に日章旗を、艦尾に軍艦旗を掲げて入港したところ、現地で強い反発を受け、軍艦旗を降ろせという非礼な要求が地元から出たとのことです。

http://www.recordchina.co.jp/a131917.html

無論、護衛艦の艦上は日本の主権下にあり、韓国がとやかく言う権利はありません。それに艦首に日章旗を掲げて艦尾に軍艦旗を掲げるのは、国際慣習上、当然の事であり、何ら問題ないことです。過去に自衛隊の護衛艦が軍艦旗を掲げて韓国を訪問した際も何ら問題になっていません。 なぜ、今回は問題なのか?

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海上自衛隊に限らず、最近の韓国世論は軍艦旗(陸上自衛隊も使っているので一般的には旭日旗)に敏感に反応し、これを拒絶するのです。実は、前述の護衛艦訪問時も含めて、韓国は2007年頃まで、旭日旗について何ら問題視していませんでした。韓国は中国と違い、19世紀以降直接日本軍に侵略されたことはありません。日本軍の象徴である旭日旗に対しても反対する理由は無いのですが・・・、2007年頃から突然、反発の対象になりました。 そこでこの理由を考えてみました。

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これまで、韓国は定期的に朝日新聞などを使嗾して、日本に文句を言う対象を探し、因縁をつけて、謝罪と賠償を求めてきました。 侵略を進出と言い換えたとする、いわゆる教科書問題(捏造)、歴史認識問題、いわゆる慰安婦問題、強制連行問題(これは一部真実)、等です。2003年頃から、そのネタがそろそろ尽きてきたので、新たに旭日旗にいちゃもんを付けてきたのか?と思います。 ゆすりタカリのネタを常に探しているなど、場末の暴力団みたいですが、韓国にとっては、大事な国家戦略です。

(ちょっと哀れな国だなと思います)。

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以前の問題提起は、朝日新聞を使っていましたが、今回は韓国内から発信しています。 どうやら朝日新聞は自社の社旗が旭日旗に近いので、バツが悪かったのかも知れません。実際、朝日新聞社内では、自分の会社のことを「軍艦旗」と呼んだりするそうです。

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しかし、それにしても、どうして韓国の人は今頃になって旭日旗(軍艦旗)に反発するのか? その理由を探してみたところ、ひとつだけヒントが見つかりました。韓国(朝鮮)が軍艦旗に向かって砲撃し、逆に制圧された事件があったのです。

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それは、李氏朝鮮時代の1875年の江華島事件です。日本の砲艦「雲揚」が水を求めて、ソウルから遠くない江華島に接近したところ、突然砲台から砲撃を受けて、これに応戦し、兵が上陸して砲台を沈黙させた・・という事件で、これによって日朝間で修好条約が結ばれる事になりました。

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最終的に、国際法(万国公法)上、日章旗と軍艦旗を掲げて、平和裏に江華島に接近し、正当防衛で応戦した日本の砲艦側に非は全くなく、全ては朝鮮側に非があると判断されました。 悪いのは朝鮮とされ、しかも負けたのも朝鮮側でしたから、朝鮮としては遺恨の対象となりうる事件でした。

そして韓国・朝鮮が軍艦旗を掲げた艦と戦ったのは、この1回のみです。

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悪いのは朝鮮側・・というものの、よく考えてみれば、これとよく似た事件がその12年前に日本で発生しています。1863年、1864年の下関戦争です。日本側が、欧州各国の船に砲台から攻撃し、逆に上陸されて、砲台を破壊された戦争です。

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その12年間に、日本は急速に近代化し、榎本武揚らが研究した万国公法もマスターし、近代化の遅れた朝鮮を相手に同じことをした・・とも言えます。

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それにしても、韓国・朝鮮の人たちは、この140年前の事件を今でもネに持っているのでしょうか? そうだとしたら、恐るべき「恨の文化」です。 そしてこの傾向がどんどんエスカレートするなら、数年後には日の丸自体を怪しからん・・という様になるかも知れません。さてどうしたものか?

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ところで、国旗を掲げた外国の軍艦が領海を通行する権利(無害通航権)は今も問題になっています。

最近では中国のフリゲート艦(ジャンカイ級)が尖閣諸島の接続水域に侵入し、情報収集艦が南西諸島の領海を通行しています。 かつては接続水域や領海に侵入するのは、中国の公船というだけで軍艦ではなかったのですが、それが最新鋭の軍艦になったのです。

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軍艦であっても、国旗を掲げ海上を通行する限りは、法的に問題はないとされ、日本はそれに抗議できません(潜水艦が潜航して通行するのは不可)。しかし、中国側が既成事実を積み上げ、何時か領土や領海をかすめ取ろうとしているのは明らかです。

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だから、江華島の砲台が発砲した気持も、下関の砲台が発砲した気持も、今の中国海軍のふるまいを見ていると、少し分かる気がします。

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なんとか、日中韓で、いがみ合わない方法はないものか?少なくとも、美しいチンダル現象を図案化しただけの旭日旗(軍艦旗)は、現在、外国を侵略するシンボルではありません。そのことを日本政府はもっとPRすべきですし、韓国もそれを理解すべきだと、Jacob’s Ladderを見ながら、考えます。


【 粗にして野だが卑でもある 】 [政治]

【 粗にして野だが卑でもある 】

 

舛添都知事の数々のスキャンダルが話題となっています。実にみみっちい公私混同の支出も問題ですが、それ以上に、その釈明・弁解にヤメ検の尊大な弁護士2人を雇って説明させた釈明会見も、これまた無茶苦茶な内容で、都民の怒りの火に油を注ぐ結果となっています。

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ピザ窯の作り方の解説本が、政治活動の役に立つだと? 出鱈目もいい加減にしろ! 木更津のホテルに家族と宿泊した際、支援者の出版社の社長と会議をしたから、政治活動費として処理したが、プライバシーの問題があるので、相手の社長の名前は言えない・・だと?公的費用を使っておきながら、何がプライバシーか?

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確かに、法律的には問題ないのかも知れないけれど、そんなことは最初から分かっています。都民が知りたいのは、法に抵触するか否かではなく、道義的にどうか?ということです。

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それに答える弁護士達の説明に登場する、こじつけと言うか、牽強付会の理屈が、あきれるばかりです。 都民がバカにされているのか、それとも東大法学部首席卒業というけれど、この程度の知恵なのか・・と思ったところで、あれっ?と思いました。舛添要一とはどんな男なのか?

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彼は、国際政治学者・・(不思議な肩書です)を名乗っていた頃、盛んに自分は東大法学部を首席で卒業したと吹聴していました。当時、東大法学部を首席で卒業すると、大学院をパスして、自動的に助手に採用されるシステムがありました。いわゆる銀時計組です。実際彼は、卒業と同時に助手になっています。

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でも同学年で、東大でトップだったという男がもう一人います。鳩山邦夫です。彼は、東大入学時に、4年間で席次が明示されるのが、唯一、駒場の教養から本郷に進む時だけだと知り、文科Ⅰ類630人中の1番という成績を取る事に専念したと言っています。そして1/630の紙を手にした後、もう勉強はやめたと言っています。

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文科Ⅰ類でトップだった(と主張する)鳩山邦夫と、法学部首席卒業だった(と主張する)舛添要一、どちらが本当のトップだったのか?TVでこの質問を受けた舛添氏は、一瞬口ごもり、小さな声で「僕は鳩山君より上でしたよ」と自信なさげに回答していました。

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銀のスプーンを咥えて生まれてきたような鳩山邦夫と、八幡の魚の行商人の息子として生まれた舛添要一は、生まれた環境こそ対照的ですが、東大でひたすら勉強に勤しんだという点では共通しています。政治の表舞台で存在感を示したという点も共通ですが、ここに来て、舛添要一のさもしさというか、みみっちさがクローズアップされ、「お里が知れた」という形になりました。

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庶民の倅であるオヒョウは、「お里が知れる」という言葉が大嫌いですが、卑しい本性が見えてしまった時には、これ以上適切な言葉はありません。

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もっとも、それ以前に、舛添だろうが鳩山だろうが、40歳を過ぎてなお、学校の席次を自慢するような男を私は尊敬しませんがね。 それに法学部の優等生とは・・・、暗記力に優れ、論文を書く能力に優れる学生という意味です。 本当に創造的な研究の能力やヒラメキを求められる理科系の秀才とは、別の物差しで評価される人たちです。 オヒョウが尊敬する対象ではありません(私大出の私が言ってもゴマメの歯ぎしりですが)。

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舛添知事を非難する人は、いろいろな形容詞や形容動詞で表現しますが、一番多いのは「あまりにセコイ」という表現です。 そこで考えました。 

「まさしく、彼の行動や考え方はセコイのだけど、英語で表現するなら何と言えばいいのだろうか?」 私は日本語でよく理解できない場合、英語に訳してみようと考えることがあります。 すんなり、英語で表現できるなら、自分なりによく理解できたことになり、適切な英訳が見つからない場合は、自分も理解できていない・・と考えるのです。

これは英語には抽象的な語彙が豊富だからです。

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「セコイ」を英語で表現するには・・と考えていて、城山三郎の著書「粗にして野だが卑ではない」を思い出しました。この本については、以前、弊ブログでも紹介し、読者の皆様からのコメントも頂戴した記憶があります。

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この本は、三井物産で活躍した後、国鉄総裁に就任した石田礼助の生き方を示した本で、本の題名は、国会で自己紹介をする時に石田礼助自身が用いた言葉です。

その本の中に小さなエピソードがあります。彼が大磯の自邸から湘南電車で東京駅まで通勤する際、一等車を利用していたのですが、それに東京の学校に通う孫娘を同乗させ、一緒に東京に通ったのです。新聞記者が、総裁の権限で身内を一等車に乗せるとは公私混同ではないか?とただしました。

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それに対して、石田礼助は怒り、「僕はそんなミーン(mean=卑しい)な男ではない。 僕は可愛い孫と一緒にいる時間を少しでも確保するために、同じ車両に乗せているもので、一等車の切符をちゃんと買い与えている」と答えました。

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余談ですが、当時の国鉄には顔パスという悪弊があり、国鉄スワローズの金田正一などは、改札口で「ヨッ!」と声をかけるだけでパスでき、切符を買ったことなどない・・とさえ公言していました。

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その少し前まで、国鉄には、一等車、二等車、三等車がありましたが、三等車は廃止され、一等車と二等車の2段階になっていました。 さらに石田は、「お金を払ってくださるお客様を、一等だの二等だのと分類するのは失礼ではないか」と言い、グリーン車と普通車という具合に呼び方を変え、寝台車はA寝台とB寝台という呼称になりました。

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今、民営化してお金を稼ぐ事に一所懸命なJRは、豪華さと華美を競うようになり、特別豪華な観光列車を編成したり、グリーン車の上を行くグランクラスなどという座席を設けています。お客様をクラス分けすることにひたすら熱心です。 泉下の石田礼助が聞いたら何と言うでしょう。

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だいぶ脱線しましたが、そう、舛添要一にピッタリの言葉は、ミーン(mean)です。

湯河原まで公用車で行くのも、政治活動費(くどいようですが、公的費用)で美術品を買うのも、ソバ屋の勘定を経費で落とすのも、すべてmeanな行いです。

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彼は、粗にして野ですが、さらに卑でもあるのです。

もっとも、本人に「都知事はmeanだ」と言おうもののなら、怒って反論するでしょうね。

「僕はそんなミーン(mean=平均的)な男ではない。なんたって、僕は首席卒業なのだから」


【 恐るべきはクリスタルナハトの再来 】 [政治]

【 恐るべきはクリスタルナハトの再来 】

私がイメージするヨーロッパとは、早くから先進国になり、生活水準はそこそこ高く、社会保障も充実し、人々は人生を楽しむことができる国々・・・です。しかし、そこで大事なことを忘れます。プロテスタントとカトリック、正教等の違いはあるにしても、基本的にそれらの国々はキリスト教の国であるということです。

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東ヨーロッパの国々は、20世紀の一時期、唯物論が支配する世界でしたが、なんのことはない、その間も人々の生老病死は教会と共にあり、人々はキリスト者であり続けたのです。そしてその時代も今は終わり、彼らは、国家が認めたキリスト教の世界に暮らしています。

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無論、憲法に謳われているか否かはともかく、信教の自由は先進国では基本的に保証されています。しかし、それは理性で判断する範囲のことであり、感情が絡む日常の生活ではまた違う理屈があります。ヨーロッパは排他的なキリスト教の国家群であり、非キリスト者は欧州では疎外されます。つまり非キリスト者が欧州で暮らすという事は、疎外感を甘受しながら生きるということです。

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かつて、ユダヤ教を信奉するユダヤ人は徹底的に迫害されました。20世紀にはホロコーストの対象になりました。そして孤立した民族、あるいは流浪の民とされてきたロマ(ジプシー)は、その昔ヒンドゥー教徒だったそうです。

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そして、今また、中東であるいはアフリカで仕事と住む場所を失った人々の多くが、ヨーロッパを目指します。シリアからトルコに入り、そしてギリシャ、その先のイタリアを目指します。手元に資料はありませんが、欧州に流入する難民(政治難民、経済難民の両方)の多くはイスラム教徒だと思います。なぜ、彼らは敢えて十字軍の時代から対立するキリスト教の世界を目指すのか?

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彼らが目指す最終目的地は、ドイツまたは北欧だそうです。 理由は多々ありますが、それらの国が裕福で社会保障が充実していること、移民受け入れに寛容で実績があること・・・が理由でしょう。ドイツはナチスドイツの時代に、ユダヤ人を虐殺した反省から、異教徒に寛容であろう・・・と思われます。 しかし、それに甘えることは危険です。 移民はそこを考えているのか?

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今月、ドイツで実施された選挙で、反難民政党 Alternative für Deutschland (AfD) 「ドイツの選択」が大躍進しました。

http://www.nikkei.com/article/DGXKASGM14H10_U6A310C1MM0000/

http://www.dw.com/en/alternative-f%C3%BCr-deutschland-afd/t-17455253

ドイツは、メルケル首相率いるCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(ドイツ社会民主党)の2大政党が長年、政権を担ってきました。 それぞれの分派と連立したり、過激な主張をする「緑の党」が影響力を持ったりしますが、概ね安定して継続性のある政策を推進します。だから、堅実な経済運営と共に、EU内でドイツは信頼されていたのですが、ここでAfDが台頭すると大きな問題です。

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ドイツの極右政党といえば、ネオナチですが、これは基本的に非合法な存在です。しかし、ナチスではない・・という隠れ蓑をまとった極右勢力が台頭する余地は常にあります。 これまで、それは若年層の失業率の増大や、深刻な経済不況がきっかけになると、私は思っていました。なぜなら20世紀のナチスの台頭がそうだったからです。

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しかし、驚いたことに、今回の排他的な極右勢力の台頭は、難民の増大が背景にあると思われます。 実際、AfDは移民・難民の流入の歯止めを公約に盛り込んでいます。

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はて?これまでドイツは移民の労働力のお蔭で、優雅な市民生活を謳歌できていたのではないか?それが移民・難民に反対とは・・。 そのきっかけは、昨年の大晦日に、ドイツの複数の都市で同時発生した集団女性暴行事件ではないか?と私は思います。 

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日本でもケルン市での事件が報道されましたが、これはドイツの受け入れ施設に暮らす難民が、集団で往来の女性を襲い、強姦したり略奪したりしたという極めて悪質な犯罪です。 数百人の難民が加担したこと、複数の都市で同時発生したことを考えると、この犯罪は計画的で意図的です。 これだけ大人数による暴挙・・となると、ドイツの一般市民では護衛の方法もありません。もともと日本などに比べれば治安が良いとは言えない、ドイツの都市ですが、家族の女性すら守れないとなると、人々は敏感になります。

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難民がそのような犯罪行為に至った事情については不明です。 ハンムラビ法典の流れをくむイスラム社会では、刑事罰は厳罰であり、性犯罪に対しても非寛容ですが、ドイツはそうでなく、寛刑を期待できるから・・・という打算もあるでしょうし、ドイツ社会に対する強い不満もあるでしょう。しかし、相手国の好意によって受け入れられた難民という立場を忘れると事態は悪化します。

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今回のAfDを指揮するリーダーは若い女性達です。そう言えば、フランスの極右政党であるFN(フランス国民戦線)のル・ペン党首も若き女性です。そしてFNは反ユダヤ主義を掲げていましたが、昨今は反イスラム主義を標榜しているようです。女性が極右勢力をリードする背景には、集団婦女暴行事件があるのかも知れません。

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極右勢力の台頭はオーストリアでも見られます。そして右翼の台頭は、EUへの非キリスト教徒の移民・難民の増加によって拍車がかかります。 これまで欧州の良識派が掲げる人道主義に基づいてEU諸国は難民を受け入れてきましたが、もう限界であり、方針を転換すべき時期に来ています。 ドイツのメルケル首相も苦渋の決断として難民受け入れを抑制する方針に転換しました。

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今、そうしないと、より過激な形で難民排斥運動が勃発するに違いありません。

第二次大戦の初期の頃に、ドイツ国民がユダヤ人居住区を襲い、焼き討ち、略奪を行った、悪名高き「水晶の夜 Kristal Nacht」が再び発生する危険があります。国家が黙認する暴動が起きれば、それに続くのは不毛な戦争です。

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短期的には、難民の受け入れを止めて、これ以上の摩擦を防ぎ、極右勢力の台頭を防ぐしかありません。 そして長期的にはどうするべきか? 私は、ヨーロッパがキリスト教単独の社会から脱皮し、多くの宗教が混在し、互いを尊重する寛容で複合的な社会を築くしかないと思います。

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スペインの観光都市トレドを訪問された方はご存知でしょう。住宅街の街路標識に、区割りが明示され、「ここより先、イスラム区域」、「ここからユダヤ教区域」、「キリスト教区域」と示されています。でもこれからの欧州の都市が目指すのはそうではなく、同じブロックに異教徒が、異民族が隣同士に仲良く暮らせる街です。

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そのような都市は、過去1000年の間、実現していないのですが、希望はあります。日本では実現しているのです。日本は多民族国家とは言いがたいのですが、他宗教国家ではあります。 多くの人は、宗教に関しては淡泊で、例外を除いて、さほど排他的ではありません。 2000年以上、宗教対立で苦しんでいる欧州は、日本をお手本にするべきです。排他的な極右勢力の台頭を抑止し、一方で社会の治安を維持するには、日本を参考にすべきです。

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もっとも、そんなことを言えば、「それなら中東やアフリカで大量に発生する難民を日本が引き受けろ・・・」と言われそうですが。


【 炉辺談話の復活を 】 [政治]

【 炉辺談話の復活を 】

 

最初にラジオを宣伝に活用し、アジテーションに最も成功した人物はヒトラーだと、歴史の教科書には書いてあります。ゲッペルスという宣伝相を置き、ドイツ国民にナチスの思想を刷り込むのに、ラジオを使ったからです。しかし、私は同時代に米国の大統領だったフランクリン・D・ルーズベルトもラジオを有効活用するのに成功した人物だと思います。

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ルーズベルトが活用した方法とは、「炉辺談話」なる番組を設けて、直接国民に語りかける手法です。 ヒトラーのアジ演説とは異なり、フランクな語り口で直接国民に、自分自身の政策であるニューディール政策を説明して理解を求めたのです。

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ヒトラーは全体主義を推し進めるプロパガンダにラジオを活用し、ルーズベルトは民主主義ゆえに、国民の理解を得る必要があって、ラジオを活用したのです。方法は同じでも、両者の性格はかなり異なります。

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1929年から始まった大恐慌は、1930年代も続き、「恐」という漢字が入っているように、文字どおり、国民に恐怖心をもたらしていました。ルーズベルトは名言「恐れるべきものは、恐怖心そのもの」を残していますが、その恐怖心を取り除くには、ラジオで国民に直接語りかけるのが有効だと考えた訳です。

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実際には、それが有効だったかはやや疑問です。ピーター・ボグダノビッチ監督の佳作映画「ペーパームーン」は大恐慌時代のアメリカが舞台です。そして映画に登場する、テータム・オニール演じる少女エディーが持つ唯一の財産はラジオです。彼女は、夜になるとラジオでお笑い番組を聞いていますが、大統領の炉辺談話は登場しません。ルーズベルト大統領の名前は象徴的に随所に登場しますが・・。

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ニューディール政策にはTVAなど、一部に成功したプロジェクトもありますが、全体としては失敗だったと私は思います。最終的に米国の経済不況を解決したのは皮肉にも日本による真珠湾攻撃です。第二次大戦に米国が参戦することで、不況はおさまったのです。

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戦後、1950年代から1960年代にかけて、米国は空前の好景気が持続しますが、それは唯一の戦勝国として「平和の配当」を享受し、軍需産業から民需産業へのシフトに成功したことと、石油資源の開発が順調だったこと、そして経済発展に寄与する新技術が次々に花開いたことが理由です(自動車、航空機、宇宙開発、原子力、コンピューター、合成繊維、プラスチック、抗生物質 等)。20世紀のアメリカが豊かだったのは、ニューディール政策のお陰ではないのです。

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ルーズベルトの炉辺談話が効果的だったかは疑問ですが、国民に直接語りかけようとする姿勢は評価されました。その後、ジミー・カーターやロナルド・レーガンもこの手法を真似ています。一つ間違えればポピュリズムのそしりを受けますが・・・。

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そして今、炉辺談話の価値が見直されています。記者会見をほとんど開かず、国民に対して直接話しかけることもせず、海外向けには、北朝鮮の非難と日本の中傷の発言ばかり・・・という韓国のパク・クネ大統領にも、炉辺談話のような「国民への語りかけ」を薦める声があります。ちょうど、韓国の経済状況も最悪で、大恐慌時代のアメリカを彷彿とさせる状況でもあるからです。

http://japanese.joins.com/article/635/201635.html

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しかし、私が「炉辺談話」を薦めたいのは、日本の総理大臣に対してです。円安を基本に置いた、いわゆるアベノミクスなるものは、為替相場が円高に振れることで揺らいでいます。破綻した・・という声もあります。それに対して安倍総理の説明が必要です。しかし、国会の答弁を聞く限りでは、安倍氏の口調はケンカ腰で、野党との対決姿勢があまりに鮮明です。これでは傍で聞いている国民にはピンと来ません。

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民主党政権時代、経済政策があまりに無策だったことを念頭に、首相が「あんたに批判されたくはないよ」 「そういう民主党の時はどうだったのさ」と切り返せば、後ろめたさのある野党はそれ以上追及できません。 首相にとっては楽な対応です。

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でもそれでは政治は前に進みません。本来、野党とは無責任な評論家であることを許される存在であり、自分にできないことでも、与党に要求する権利と義務があります。

それを念頭に置くべきですし、首相がなすべきことは、野党をとっちめて論破することではなく、国民に説明して理解してもらうことです。

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与野党の対決姿勢が目立つという点では、英国の国会がまさにそれですが、これは完全な二大政党の仕組みができあがっている国だから通用するのです。野党が中学生レベルの議論しかできない日本では、野党を相手にするだけでは駄目なのです。

無論、安倍氏の場合、パク大統領と違い、総理大臣として記者会見も開いていますし、国民へのスピーチもありますが、その内容はあまりに切り口上です。

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だから、安倍氏には「炉辺談話」を期待します。平易な口調で、どれだけ分かり易く、国民に説明できるかは、首相にとって最も重要な才能の一つです。昔、先生や上司によく言われました。「自分が本当に理解していなければ、適切で分かり易い説明はできない。言い換えれば、どれだけ分かり易い説明ができるかで本人の理解度を測ることができる・・」と。

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ラジオを聴く、或いはTVを見る国民、そしてインターネットの世界には賢者も知恵者もたくさんいます。ごまかそうとしても通用しません。そして下手をすれば、ナチスのプロパガンダのように思われる危険もあります。 特に左系のマスコミは首相がメディアを利用して宣伝活動をする・・と非難するでしょう。 だから、現代の炉辺談話にはインタラクティブ性は不可欠です。 とにかく首相は、怒らず、相手を馬鹿にせず、煙に巻こうとせず、真摯に炉辺談話を行うべきです。ルーズベルトがしようとしたように。

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しかし、暖炉の傍の「炉辺談話」というのは、日本で適切な表現なのか?首相公邸には暖炉があるそうです。鳩山一族が暮らした音羽御殿にも暖炉があります。しかし、日本の首相に暖炉が似合うのか? 少し疑問です。ここはひとつ日本的でかつ暖かい「囲炉裏端談話」がいいでしょう。 でもそれでは夏場はどうでしょうか?

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(夏場はそれでは暑かろう。「プールサイド談話」でも「緑陰談話」でもいいじゃないか)という声もありましょうが、それは違います。 かつて明治時代から大正時代まで、日本の家庭では夏でも火を絶やしませんでした。英国や米国の暖炉と同じです。

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農家は囲炉裏、町家は長火鉢(銭形平次の前にデンと置いてあるやつです)に夏でも火があり、その上の鉄瓶にはお湯が沸いているというのが普通でした。 夏でも、火を絶やす・・というのは「そんな貧乏ったらしいことをしてはいけない」とタブーだったのです。 だから、首相が直接国民に語り掛け、理解を求める談話は囲炉裏端談話でなければならないのです。

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以前のブログにも書きましたが、中村草田男の俳句に

「燭の火を 火(たばこび)としつ チェホフ忌」とあります。7月のチェーホフ忌の頃、炉の火を切らしていた草田男は、かなり貧乏だったのかな?


【 青年と少年の格差問題 その2 】 [政治]

【 青年と少年の格差問題 その2 】

私の提案は、大学の学費をもっと高くすることです。その一方で学生への奨学金制度はもっと手厚くし、給付額を増やすべきというものです。かつ貸与分を減らして給与分を増やし、返済時の負担を軽減します。単に学費免除に留まらず、俸給生活者としての面も持たせてはどうか?という提案です。

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そんな事をすれば大学進学者とそうでない人の不公平がますます大きくなるではないか?ということになります。 その対策は・・・・、受給資格を厳しくすることです。多くの人に機会を与える代わりに、本当に勉強にいそしんでもらうのです。少しでも成績が落ちたり、勉学の態度が怠惰と判断されたら、たちまち給付をストップする仕組みにするのです。

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そうすれば、大学へ行かなかった人から大学生がやっかまれることもなくなります。

世の中には、本当の秀才・優等生だけがありつける奨学金があります。主に民間の団体が提供するものですが、それらの奨学金では、奨学金を貰っているという事自体が一つの誇り、あるいは優秀であることの証明になります。

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例えば、竹中工務店がスポンサーとなる「竹中育英会」の奨学金は、どの大学でも学部でトップクラスの成績でなければもらえません。 勿論、オヒョウの成績では貰えませんでしたし、私の学部・学年では誰も資格者がいなかったはずです。東大だの京大だのという、大学のブランドで秀才か否かを測るのではなく、どの奨学金を貰っているかで、その学生がどれだけ優秀かを測る物差しもあるのだ・・と私は知りました。

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調べてみれば、外国には、その種類の奨学金がたくさんあります。米国の大学は一般に授業料が高いのですが、優秀な学生は皆奨学金にありついて通うのです。 秀才だけが貰える奨学金の同窓会は、一種のエスタブリッシュメントの集いになっています。

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奨学金は、別にエリートを養成するためのシステムである必要はありません。勉学を志す人には、等しく機会を与えるシステム、そして進学しなかった人との間に不公平が無いようにするのが奨学金です。でも限られた国の文教予算の中で、どうやって奨学金の充実を図るか?

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私はバラマキとも言うべき、海外から日本への留学生に支払う給付金を減らすべきだと思います。

海外の人々に今の日本を知って貰い、日本への理解者を増やすために、膨大な数の外国人留学生を日本は受け入れています。しかし、日本政府の意図に反して、日本への理解者は増えていません。その詳しい議論は別稿に譲るとして、この留学制度は、実際には留学の名前を借りた出稼ぎ労働者に利用されたり、潰れかかった地方の短大の経営を支えるために使われています。

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例えば、今、日本に留学してくる中国人学生は、フルブライト奨学金を貰って米国に留学する人ほどエリートではありません。外国から日本に来る留学生の学力審査は、あってないようなものです。そして日本に留学して、日本が普通の平和な国であることを認識したとしても、帰国した後に、彼らが親日派になるとは限りません。

そして彼らの発言力は限られます。今、中国社会に蔓延する現実離れした日本脅威論を修正し、たしなめる力もありません。

かつて、中国から日本へは多くの留学生が訪れ、両国のかけはしになりました。仙台医専に留学し、小説「藤野先生」を著した魯迅がその代表ですが、もうそんな時代ではありません。 それなら、外国人留学生に回す奨学金を日本国内で学ぶ日本人学生に振り当ててはどうでしょうか?

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奨学金で学費の心配はないけれど、厳しい学習を求められる大学生、大学へいかなくても不公平感を感じずにすむ社会、大学名のブランドではなく、本当の学力で評価される社会・・・、どれも奨学金制度の改革だけでは実現しない事柄ですが、それに向けて政府は知恵を絞るべきです。

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そうすれば、スキーバスの事故が起きても、ひがみのコメントは出ないはずなのです。 少なくとも大学や就職内定先などで、つまらないコンプレックスを感じることは無くなります。 もっとも、最後の恋人の有無については・・どうしようもありませんが。


【 消費税率 直間比率 エントロピー の三題噺 その3 】 [政治]

【 消費税率 直間比率 エントロピー の三題噺 その3 】

 

人々は、さまざまな借金をします。 普通のサラリーマンの人生を考えた場合、最初にする借金は、奨学金かも知れません。 あとは車のローン、住宅ローン・・・考えてみれば庶民の一生なんて、借金に追われ、その返済を続ける人生なのかな?とも考えます。

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ローン先進国・・というべき米国には、人々が借金に追われる人生を送るアイロニーをテーマにした文学作品が幾つかあります。 その代表格は、アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」であろうと私は思います。 学生時代、これからサラリーマンになろうという時に、これを読んだ私は、勤め人の人生とはこんなにも憂鬱なものなのか・・と思い、落胆した記憶があります。 しかし、その時、私は既に借金人生を始めていたのです。つまり奨学金を得て学校に通っていたのです。

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ここから話は飛躍します。

私が高校生だった頃、自治医科大学が誕生しました。それまで、私立の医学部または医科大学というのは、高額の入学金や学費が話題となり、お金持ちの子供・・もっと言えば開業医の子供しか入れないものだったのですが、自治医大は違いました。分類としては私立大学ながら学費は無料、その代わり、医師となった後に9年間の辺地での勤務を義務付けられる・・というものです。 一種の奨学金の進化形です。入学者は純粋に学力だけで選抜されます。

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当然、開業医の子弟は、この大学に猛反発しました。 実質的に開業医の子弟だけを対象とした私立医大の存在で、一種のギルドを確立していた開業医の世界(当時は実地医家なんて呼び方で持ち上げていました)にとって自治医大は風穴を開ける存在になるからです。

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私の同級生で病院長の息子だったI君は自治医大を非難しました。

「オヒョウよ。奨学金の代わりに、その医学生の将来を縛るなんて人権の侵害だぜ。憲法で職業選択の自由などと共に、居住地の自由も人は保証されているのに、借金のかたに、それを制限し、勤務地を強制するなんて、これは一種の人身売買だ。憲法違反だぜ。 借金で縛られた女工哀史や苦界に身を沈めた風俗嬢と同じだぜ。断固反対しなきゃ」

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なんと新設医大の奨学金は、人権侵害から憲法違反の話に膨らんでしまいました。しかし、銀のスプーンをくわえて生まれて来たようなI君が、自治医大を非難しても説得力はありません。 親から学費を出してもらえる彼には奨学金は必要ありませんが、奨学金無しでは進学できなかった青年もまた多くいたのです。ちなみにI君は、その後、順天堂の医学部を出て、父親から引き継いだ病院を経営しています。

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無暗に借金をするのがいい事だとは思いませんが、必要な時に必要な借金をすることは、当然の経済行為であり、現代社会はそれなしではまわりません。 人生で最初に出会う借金である奨学金が、悪い借金だとは、到底私には思えません。

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先日、呉の港から江田島に向かうフェリーボートの中で明治時代の事を考えました。当時、近代化を急ぐ政府は優秀なテクノクラートの育成が重要だと考え、官費でそれらを育成する学校を幾つか作りました。

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森有礼らが、大学令を作り、大学予備門/旧制高校から帝国大学へ進むエリートの教育コースはできていましたが、それでは足りなかったのです。お金持ちの子弟や家柄のいい子供ばかりを集めても仕方ありません。 学費は国が出し、一種の俸給として生活費も支給する学校にしなければ、優秀な人材は確保できないと、国は判断しました。

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実際、日本は貧しく、そうしなければ上級学校へ進学できる生徒はごく限られていたのです。テクノクラートとして求められていたのは、軍人(士官)、そして中等学校の教師です。 その結果、陸軍士官学校、海軍兵学校、東京高等師範学校、広島高等師範学校、東京女子高等師範、奈良女子高等師範ができ、それらの卒業生が、19世紀から20世紀にかけての日本の近代化を進め、歴史を作っていったのです。

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それらの官費のエリート養成機関の内、2つ(海軍兵学校と広島高等師範)も、広島県に存在したというのは、どうも不思議に思えてなりません。フェリーボートの中で私は考えました。明治のある時期、広島はある意味で西日本を代表する土地だったのでしょうか?

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それはともかく、それらの学校で学んだ学生達は、国に選ばれた存在としてのエリート意識や責任感・義務感は持ったでしょうが、借金のかたに将来を束縛されるなどという被害者意識は無かったはずです。そしておそらく、今の時代の自治医大の学生や、防衛大学校の学生も同じでしょう。

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借金のかたに労働力として売られた人身売買と奨学金ではそこが違う・・と私は思います。 奨学金だろうと、ギャンブルの為の借金だろうと、借金は等しくエントロピーを減少させる行為です。でも人生を考えた場合、いい借金と悪い借金があるし、必要な借金もあるのだよ・・と私は主張したいのですが、なかなかうまく説明できません。

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では1000兆円もある日本政府の借金はどうなのか?と訊かれても、すぐには解答できません。 ただ一つ言えることは、エントロピーは相当小さくなるのだろうな・・ということだけです。


【 消費税率 直間比率 エントロピー の三題噺 その2 】 [政治]

【 消費税率 直間比率 エントロピー の三題噺 その2 】

 

その昔、消費税が日本に導入され、租税の直間比率が見直された頃、ちょうど定年退職を迎えた職場の先輩がポツリと漏らしました。

「僕らの世代は、二重取りされるのか・・・」

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人の一生を眺めると、ある時期に働いて勤労所得を得、同時にそれを支出していきます。

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しかし、収入を得る時期と支出する時期は同じではなく、ずれています。彼の場合、直接税の比率が高かった頃に、給料の中から所得税や住民税を払い、そして定年後にその蓄えを費やす時に、消費税という名前の間接税ができて、再び税金を払うことになります。運が悪いと言えばそれまでですが、彼の言う二重取りとはそういう意味でした。

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繰り返しになりますが、人は収入を得る時期と支出の時期は同じではありません。所得を得る期間は、概ね勤労期間と対応します。退職時の退職金や年金は、勤労を終えた時期に支給されますが、それはもともと勤労期間中に得たお金を積み立てておいて、それを取り崩しているだけ・・とも言えます。一方、支出の方は、勤労を終えた後も続きます。退職しても生活は続けなければならないからです。医療費などは定年後に増加していきます。

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上記の通り、収入と支出にタイムラグがある以上、租税の直間比率を見直す時は、世代間の不公平が生じることになります。端的に言えば、消費税を8% 10%に変更する際、退職世代に不利益が生じます。その不公平感を慰撫するためか、安倍政権は、高齢者の低所得層に、一律3万円を支給すると言っています。一方野党側は「それは選挙対策のバラ撒きだ」と非難します。どちらにも言い分はあり、判断が難しいところです。

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それはともかく、私の考えを言えば、消費税を上げるなら今しかない・・ということになります。 なぜなら、租税以上に年金や、医療福祉などの面で世代間格差というか不公平感が広まっており、裕福なプレ団塊世代、貧しい勤労世代という認識が広まっていて、今なら高齢者側が幾らか不利益になる改革を行っても、許されるだろうという考えがあるからです。

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日本よりずっと消費税(付加価値税とか増値税とか呼び名はいろいろですが、つまりは商品にかかる間接税)が高い欧米諸国では、あまりこの世代間格差の話を聞きません。それは、高い消費税と引き換えに、手厚い福祉があるため・・と、少子高齢化が日本ほど急激ではないからかも知れません。

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日本でも昔は世代間格差をあまり論じませんでした。その理由の一つは、核家族ではなく、大家族だったことです。家計を一緒にする大家族の中に、おじいちゃんおばあちゃんがいて、子供や孫達もいれば、たとえ勤労世代が不利益をこうむっても、お年寄りに手厚い保護がなされれば、家族全体では良しとする考え方が成立したのです。

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でも、その考え方は、核家族化の進行と若年層の減少(つまり少子高齢化)で、急速に成り立たなくなっています。世代間格差/世代間不公平の問題がクローズアップされつつあるのは日本だけではありません。 中国、韓国といった東アジアの国がそうです。中国も韓国も、核家族化と少子高齢化が日本以上の速度で進行しています。そして一方で下流老人(変な言葉ですね)も多く出現し、社会問題化しています。

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日本も含めた、この3国に共通するのは少子高齢化の現象だけではありません。かつて儒教文化をバックボーンにした国という点も重要です。儒教文化とは即ち、長幼の序を重んじ、年寄りを敬うということです。孔子は論語の中で、うまく経綸をめぐらせれば、その国のお年寄り達に豚肉のご馳走を振舞うことができる・・なんて言っています。

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儒教文化の思想は残るけれども、現実には少子高齢化は進行し、年寄りに手厚い対策を取ろうとすれば、世代間格差が広がり過ぎて問題になる・・・というのが日中韓の三国共通の問題です。

考えてみれば、日中韓には共通の悩みや問題があるのに、共同で解決しようという発想がありません。 同じ問題があるのに、いがみ合うばかりで、協力しようとしない・・・後世の歴史家が見れば、呆れるに違いないのが、今の極東アジアです。

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脱線しましたが、世代間格差を無くすいい方法はないものか?

私の提案は、借金とインフレターゲットです。

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唐突ですが、人の収入と支出をエントロピーの概念から考えることができます。

エントロピーとは何か?について説明するのはこのブログの趣旨から外れますが、これは、乱雑度というか混じり具合を定量化したものです。ゼロ以下にはならない、時間の経過に対して単調増加になる物理量の一種と言えます。古典物理学では時間の進む方向とは、エントロピーの増大する方向と考えることもできます(量子物理学ではそうとは言えませんが)。

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しかし、放っておけば、自然界の法則として増大する一方のエントロピーですが、これを増加させないものが一つあります。それは生物で、生物の活動はエントロピーを増大させない・・と最初に説明したのは、物理学者のディラックです。 しかし、それ以外にも多くの自然科学の研究者が同じ事を言っています。

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更に、人間について言えば、エントロピーを減少させることもあります。具体的には借金する・・という行為が、エントロピーを減少させる行為と言えます。普通に収入を得てから支出をする・・という普通の生活なら、エントロピーを増大させるのですが、借金をするという不自然な行動は、未来の資産を先食いすることになるのですが、これは即ち時間を逆に送ること・・つまりエントロピーを減少させることになります。

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借金をすれば利息が付きます。 イスラム世界では、借金に利息を付けることを禁じていますが、それでは銀行の経営が成り立ちませんから、何らかの名目で・・例えば手数料・・といった形で、利息を付けます。 利息とは現時点でのお金と未来のお金とに価値に差を認め、その差を補填するものです。 利息が雪だるまのように膨らみ、対応できなくなる・・・というのは全ての人にとって悪夢です。

借金とはエントロピーを減少させる行為ですが、エントロピーはゼロ以下にはなりません。つまり借金を永久に続けることはできません。 無限連鎖講(俗に言うネズミ講)が成立しえないのは、永続できないからであり、エントロピーをゼロにできないから・・とも言えます。

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その借金を帳消しにする徳政令・・というものがあります。日本では過去に一度だけ、1297年に施行されましたが、お隣の国では、現代になってからも複数回施行しています。徳政令は極めて乱暴な手段で、一時的に借金地獄から人々を開放しますが、金融制度が破壊されるので、その後のダメージがひどい事になります。

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でも徳政令ほど過激な手段でなくても、借金を緩和する方法はあります。それがインフレターゲットです。 借金をした後、インフレで貨幣価値が下落すれば、返済する時は楽になります。 利率を上回る速度でインフレが進行すれば、借金の返済は苦になりません。 債権者にとってはインフレは困った存在ですが、債務者にとっては僥倖です。

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そんな乱暴な・・と思うかも知れませんが、日本は戦後の高度成長の時代、ずっと緩やかなインフレが続いていました。 その時代、学生は奨学金を借りても返済はそれほどの負担ではありませんでした。 今、経済成長はほとんどなく、デフレ傾向が続いています。 その環境下では、奨学金の返済は大変な負担です。

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だから、インフレを指向する必要があるのです。 国の借金は雪だるまのように膨らみ、人々は子孫の代に借金のツケを回すことを憂慮しています。それならば、緩やかな徳政令であるインフレを目指すしかないのです。 インフレは過去の蓄えで生活する人々、債権者には困った存在ですが、それで困るのは余裕のある高齢者世代です。

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国家の借金が若い世代を苦しめるなら、年寄世代の犠牲の上にインフレを進めるしかないと私は思います。 それが世代間格差を解消する唯一の手段だ・・と私は思います。

 

以下 次号


【 軽減税率について考える その1 】 [政治]

【 軽減税率について考える その1 】

いささか旧聞ですが、消費税の税率アップにあたって、軽減税率をどこまで適用すべきかで、与党内が揉めました。与党内の少数政党である公明党は、なによりも自党が埋没して存在感を失うことが恐ろしい訳で、自党オリジナルの政策として、軽減税率適用を選挙公約の中心に掲げて(というよりもそれだけを)訴えてきました。今回はその公明党の立場に配慮して自民党が譲歩した格好ですが、具体論では外食と加工食品の線引きで揉めています。

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自民党は最初から軽減税率を公約にしませんでした。公明党に華を持たせるというより、実際、軽減税率に乗り気でもなかったようです。でも軽減税率を潰してしまうと、公明党の立場がありません。 そこで軽減税率の適用を公明党の努力で実現させた・・というストーリーにしたのです。おそらくはこの後に予想される改憲論議などのために、公明党に恩を売る必要があったのです。

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しかし、この軽減税率は、多くの経済学の専門家からは総スカンを食っています。日本総研の高橋進氏の説明が最も理解しやすいので、その要約を書きますと・・・、

・もともと、消費税のアップ分は、社会福祉に充てるための目的税であり、社会の格差是正に使われる。

・軽減税率の適用で、その格差是正に使われる原資が数兆円分減少する。

・軽減税率は、お金持ちにも適用されるため、お金持ちも得をする。むしろお金持ちの方が食費にお金をかけ、高級レストランでも食事をするため、軽減税率で得をするのはお金持ちの方。

・つまり、公明党は、庶民の生活を救済するための軽減税率と言いながら、実際にはお金持ちが得をする訳で、格差是正の観点からは、逆効果となるもの。本来の目的・趣旨に反している。

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高橋氏の説には説得力があり、なるほど・・とは思いますが、2点ほどひっかかる点があります。

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1.消費税が持つ逆進性の問題をどう考えるか?

今から30年前、消費税が導入された時、野党勢力は一斉に反対しました。多くは、新税は皆悪税である・・という幼稚な発想に拠るものでしたが、直間比率の見直しにより、所得の再配分の機能が低下するのではないか?という本質的な懸念もありました。

ご承知の通り、徴税と行政の支出には、富あるいは所得の再配分による格差是正の機能があります。

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所得税や住民税には累進課税を適用して、お金持ちから多く取り、低所得者からはあまり取らないことで、所得の均衡を図り、平等な社会の実現を目指す機能があります。 一方支出の方は、低所得者に手厚く福祉予算を充てることで、これも富の平等に寄与します。

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入りと出の両方で、偏りがちな富の再分配を行う訳ですが、間接税は直接税に比べてその機能が小さいのです。お金持ちも貧乏人も、同じものを買えば、同じ税金がかかります。 税率は同じであり、所得税のような累進性が適用できません。それを以って、逆進だ!と唱える人もいて、消費税反対論者の意見の拠り所になりました。

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それでも消費税が導入されたのは、高齢者の増加と勤労人口の減少の中で直接税だけに頼れない状況ができたこと、所得の捕捉に限界があり、不公平感をぬぐえなかったことなどがあります。所得税は俗にクロヨンとかトーゴーサンピンと言われるように、職業によって税率が違います。例えば開業医は、普通の勤労者の320倍の所得がありながら、税率はサラリーマンより低い状態です。しかし政治的な事情からいかんともしがたい訳で、それなら万人が等しく納税する消費税の方がまだまし・・ということになります。(この手の問題は日本だけでなく各国にあります)。

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消費税の是非の議論はさておき、その逆進性が指摘され、消費税は金持ち優遇だとされたのに、今度は、高橋氏などの経済評論家が、軽減税率適用の方が金持ち優遇になる・・と言っています。これは明確な矛盾ですが、どちらが正しいのでしょうか?

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おそらくは消費税導入時に声高に語られた消費税反対論は事実ではなく、その後、否定されたのだと思います。 消費税導入時に、消費税反対を掲げて、得票を伸ばし、一大勢力に発展したのは土井たか子氏の社会党でしたが、その後消費栄率を3%から5%に上げたのも、同じ社会党(現社民党)の村山政権の時です。その過程で、消費税の逆進性の議論は決着が付いたのではないか?と思います。

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消費税は金持ち優遇ではない・・という評価が妥当であり、その結果、今、軽減税率適用の方が、金持ちに有利な制度だ・・といっても理解されます。消費税は長い時間をかけて、国民に認知されたのです。

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もうひとつ高橋氏の説で気になるのは、お金持ちの方が食費にお金を使い、軽減税率適用によって得をするという議論です。こちらはどうでしょうか? これも多分高橋氏の言う通りでしょう。

生活の基礎となる、衣食住の内、どうしても生存に必要不可欠なのは食です。従ってどんなに貧しくても、食にはお金を掛けざるを得ないし、お金持ちも貧乏人も食費に充てる金額に大きな差はない。従って生活費全体に占める食費の割合で、貧富の度合いを測れる・・・としたのは、昔のエンゲル氏です。 エンゲル係数は長い間、貧富の度合いを示す尺度として通用しました。公明党が、軽減税率適用の対象として食料品を挙げたのも、その考えからだと思います。

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しかし、エンゲルがエンゲル係数を考案した頃の世界はもっと貧しかったのです。世の中には、飢餓が存在し、必要なカロリーを摂取することが人々の重要関心事だった時代です。ロンドンのイーストエンドのスラム街には、文字通り、食事にありつけない貧困があったのです。

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今は違います。 人々は飽食し、いかにダイエットするかが人々の関心事です。TVを点ければ、豪華なごちそうをいただくグルメ番組が並び、人々は食事の量ではなく質に関心があります。 貧乏人は、牛丼やインスタントラーメンを食べていれば、それなりに食費を抑えることができます。 一方、余裕のある人は、高級レストランで豪華なごちそうを食べることができます。 両者の食費には大きな差があります。 その昔、「貧乏人は麦を食え」と言った総理大臣がいましたが、今は麦飯でなくても、つましい食事はできます。 そしてお金持ちは、もっと食の贅沢ができます。この現象は日本だけではありません。実は世界中がそうなのです。

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中国の高級レストランでは、薄給のウェイトレスが、自分の月給分以上の値段の料理の皿を、肥満した美食家のテーブルに運びます。銀のお盆には料理したナマコなどの高級中華料理が載っています。

もはや、日本でも中国でも、エンゲル係数は意味を無くしつつあります。今現在、エンゲル係数が意味を持つのは北朝鮮と、サハラ以南のアフリカの国々だけではないのか?

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食べる事は生命維持の基礎だから、食費だけは増税の対象外としたい・・という発想に基づく公明党の軽減税率論は、もはや時代遅れだと思います。

もっとも、TVに登場する経済評論家達は、そう言っては身も蓋も無いし、公党に対して失礼だから、直截的な表現をしないだけだ・・と私は考えるのです。

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どうにも、軽減税率に賛同する人は少なく、その主張についても容易に論破されそうなのですが、税制の根本に立ち返った、直間比率の見直し・・という点では、まだまだ議論が必要なのではないか?と私は思います。

特に直間比率が意味を持つのは、時間差、あるいは世代間格差の問題です。

それについては、次号で


【 日本の立場、トルコの立場 】 [政治]

【 日本の立場、トルコの立場 】

 

トルコが世界有数の親日国であることは広く知られています。そしてその理由もさまざまに解説されています。そこにはいろいろな説があります。

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例えば、明治時代に和歌山沖で難破したトルコの軍艦エルトゥール号の乗組員の救出に、地元の人達が危険を顧みず、命がけで尽力したことがトルコの人々に感銘を与えたという説。(今度、映画化されて、もうじき封切りになるみたいですね)。

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或いは、長い間、トルコは大国ロシアから圧迫され、露土戦争でも敗北し、悔しい思いをしていたところで、日本が日露戦争でロシアを破り、鬱憤を晴らしてくれたことに対する共感・・という考え方もあります。調べてみると、トルコとロシアは仲が良かった時代はなく、しょっちゅう戦争をしています。露土戦争は第一次から、第五次まであり(第六次までとする考え方もあります)、その内、英国とフランスがトルコに味方したクリミア戦争以外は、全て、トルコが負けているのです。

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トルコとしては、同じように大国ロシアの隣に位置して、圧迫されながら屈服せず、ついにはこれを戦争で負かした日本を見て、おおいに溜飲を下げたはずです。だから親日的なのだ・・と言われると、なるほど・・とは思います。

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でもトルコと日本の共通点は他にもあります。もっと根源的な何かです。私は、19世紀から20世紀にかけて、欧米を目指して近代化に取り組み、成功した非キリスト教国家は、日本とトルコだけではないか?と思います。そして現在、日本とトルコは殆ど、欧米の一員です。その共通点が相互に共感を持つ原点ではないのか?

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「日本が欧米の一員?」と疑問に思われる方もいるでしょう。 しかし、他のアジアの国の人からみたら、いち早く近代化した日本は、アジアではなく欧米に見えた時代があります。 

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相方の外国人のような仕草に「欧米かよ?」と突っ込む漫才がありましたが、中国、韓国の人達からは、日本がアジアを嫌い、欧米の一員になろうとあがいている見苦しい民族に見えたようです。

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西郷隆盛が征韓論を唱えた背景には、明治維新でシステムを近代化した日本に対して、李氏朝鮮が「東洋の文化を放擲して西洋の真似をするとは愚かなこと」と(上から目線で)酷評したことへの反発もあります。

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日本の立場に立って自己弁護すれば、何も好きで西洋カブレした訳ではなく、国家の独立を守るための、必要な手段だったと・・と言いたいです。 当時、科学技術・産業・軍事力・社会システム等の物質文明では、明らかに東洋より西洋の方が進んでいましたし、もし軍事力で弱みを見せれば、阿片戦争で敗れた清国のように、欧米列強に蹂躙されるのは火を見るよりも明らかで、国の存立も危うかったからです。だから生き残りのために近代化が必要でした。

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そして19世紀から20世紀にかけて、近代化するとは、即ち欧米化することだったのです。しかし、東洋人のプライドを持つ、アジアの一部の人は、今でも西洋カブレを軽蔑します。中国では米国留学を経て帰国した、いわゆるウミガメ族の人などが、欧米を礼賛するたびに、彼らを香蕉(バナナ)と言って軽蔑します。

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バナナは、外見は黄色いけれど、一皮向けば、中身は白っぽい訳で、外見は黄色人種だけれど精神は白人・・という人を揶揄する言葉です。日本などは、国家ぐるみで「このバナナ野郎!」と罵られそうです。

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脱線しますが、人形劇「チロリン村とくるみの木」では、純日本的な野菜村であるチロリン村の隣に果物の村があり、バタ臭いというか、西洋的な暮らしをしていました。そこに登場するバナナ君は自家用車を乗り回していました。昭和30年代の半ばです。

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ところで、このバナナ野郎の国がアジアの西にもあります。アジアとヨーロッパの中間にあるトルコです。この国は典型的なイスラム国ですが、日本の明治維新に少し遅れて近代化を図りました。ケマル・パシャこと、ムスタファ・ケマル・アタチュルクが国家の近代化つまり欧米化を強烈に進めたのです。多分、当時の日本とトルコは相互に同士的な親近感を持っていたはずです。

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しかし、両国とも、西欧に近づこうとしても、本当の西欧にはなれません。日本人はその多くがモンゴロイドで仏教徒です。 トルコは人種的にはモンゴロイドにコーカソイドが混血して、外見は白人に近い人もいますが、やはりアジア人です。そしてその多くがイスラム教徒です。 だから、欧米は、トルコをメンバーに加えません。

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第二次大戦後、自分を欧州の一員として認めて欲しいトルコは、イスラム諸国でただひとつNATOに加盟し、米軍に基地を提供しています。 冷戦の間、その基地からU-2偵察機がソ連の監視にでかけ、有名なパワーズ大尉撃墜事件が起こりました。

そのトルコが今度は領空侵犯したロシア機を撃墜したのですから、皮肉なことです。

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NATOの一員として負担を分かち合っても、トルコはEUには入れてもらえません。ドイツに出稼ぎに行く人が多くいるトルコでは、EUの一員になれるか否かは経済面で重要な問題です。しかし、EUはトルコの加盟を拒否します。

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安価な労働力供給源となる国は困るという考えもありましょうし、既にEUの一員であるギリシャの反発もあります。 余談ですが、ギリシャとトルコの仲の悪さはご承知の通りです。ロシア=セルビア=ギリシャと繋がる、オーソドックス(正教)系のキリスト教とトルコ国民のイスラム教は・・とにかく仲が悪いのです。

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アジアの一員として、欧米とは親密な関係を維持したいというだけの日本と、欧州人の一員として仲間に入れてくれというトルコでは立場が微妙に違うのですが、欧州各国は、押しなべてトルコには冷淡です。対ロシア戦略では、便利屋として使いますが・・。

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でも、そろそろ、西欧各国は、トルコの貴重さに気付き、トルコから学ぶべき点が多いと気付くはずです。

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これまで、欧米とはキリスト教徒の国々でした。でもこれからは、多民族・多宗教の混沌の世界にならざるをえません。経済難民、政治難民、出稼ぎ者・・・の多くはイスラム教徒です。その中には自称イスラム教徒のテロリストも混じります。そして欧州は宿命的に難民を受け入れざるをえませんが、生活習慣の違い、人種民族の違い、思想信条の違いから、旧来の住民の拒絶反応はひどく、摩擦は不可避です。

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そこで、イスラム教徒でありながら、社会システムを欧米のそれに合わせて近代化したトルコの知恵が生きるのです。いち早く、一夫多妻を止め、女性も教育を受けて仕事に就き、なにより髪をスカーフで覆わなくてもよい数少ないソフトなイスラムの国を参考にしてイスラム教徒がキリスト教徒と仲良く暮らす方法を模索すべきです。

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決して先鋭的ではなく、寛容で穏やかなイスラム教徒と、排他的ではないキリスト教徒が互いを認め合えば、いろいろな社会の仕組みで妥協点が見つかるはずです。

フランス国内のイスラム教徒は、トルコ方式で女性は髪を隠さないし、一夫多妻も禁止だけれど、モスクでの礼拝は認める・・といった具合です。 これはサウジアラビアやイラン、イラクにはできない芸当です。穏健なトルコだからこそできることです。

そう言えば、トルコを近代化したケマル・アタチュルクは、本当はユダヤ人で、ユダヤ教徒だったようです。実に不思議な国です。


【 GDP神話を止めよ 】 [政治]

【 GDP神話を止めよ 】

 

安倍政権がGDP 600兆円を目指すそうです。はて?私の年収の何倍かしらん? この金額は、赤ん坊もお年寄りも含めて国民一人当たりにすると、約500万円となります。4人家族なら1世帯あたりで2000万円です。うーむ。この目標は高いのか安いのか?

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勿論、国民の所得の合計と国民総生産(昔はGDPと言わずGNPと言いました)の金額とは全く別物です。国民が手にする所得、更に言えば可処分所得は、総生産よりかなり小さい額です。だから自分の年収と比較してもナンセンスなのですが・・、でも両者がリンクしているのも事実です。

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政治家は、国内向けというか国民向けには、所得の数字を重視します。有権者の懐が暖かくなることが重要だからです。一方、対外的にはGDPの方を重視します。国力だの国の格付けだの、国家の威信だのという、何だか訳の分からないものの裏づけになるからです。

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日本も中国も、このGDPをかなり気にします。経済大国だからどうのこうのだとか、GDP世界第二位だからどうのこうの・・。

安倍首相がGDP 600兆円を目標にしたのも、その当たりと関係がありそうです。日本経済はバブルが弾けたあと、ずっとGDPが伸び悩み、中国にも抜かれてしまった・・という焦りが伺えます。見栄の張り合いをしてもつまらないのですが・・・。

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それにしても、GDPに拘泥するのは、本当に良いことなのか? もともと、自民党の宏池会の人々は、伝統的に金額にこだわります。 その先駆けは、昭和の時代、岸信介の後を継いだ池田勇人です。彼は高度成長が始まる頃、所得倍増論を打ち出しました。池田の弟子であった宮澤喜一が首相になると、彼は資産倍増論という奇妙なスローガンをかかげました。所得倍増論と何が違うのか、よく分かりません。そして、その流れを汲む安倍首相はGDP600兆円が目標です。

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日本の高度成長時代について、いろいろな評価があります。かつては奇跡と言われ、勤勉で優秀な日本人だからこそ成し遂げられた・・・とか、軍事費にお金をかけないから経済成長した・・・とか言われました。 でも、今考えてみると、中国も高度成長を成し遂げました。韓国も「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長を成し遂げました。日本の高度成長とほぼ同じ時期に進行した旧西ドイツの経済成長も無視できません。それぞれに理由はあるものの、高度成長は日本だけの現象ではなかったのです。

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高度成長では、GDPも個人所得も増加します。 個人所得の増加は文句なく喜ぶべき現象ですが、GDPの増加は本当に意味があるのか? 特に高度成長時代が過ぎた後、GDPの増加は、国民の幸せな暮らしと結びつくのか?

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道路にガードレールや信号機、カーブミラーがつけば、GDPは減少します。なぜなら交通事故が減るからです。逆に交通事故が増えれば、病院、車の修理工場、保険会社が忙しくなり、つまり経済活動が盛んになり、GDPは増えるのです。場合によっては新車が売れるかも知れませんし、病院だけでなくお寺や葬儀屋が忙しくなり潤うかも知れません。ますますGDPは増加します。でもそれは喜ぶべきことか? やはり交通事故は少ない方がいいのです。

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洪水や土砂崩れ、大豪雪等の自然災害が発生すれば、GDPは増加します。洪水や土砂災害の復旧には費用がかかりますし、除雪にかかる費用も発生し、それらはGDPの増加となるからです。事実、東北や北陸の土建業者にとって、除雪作業は大切な収入源です。 でもやっぱり自然災害は無い方がいい。

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紙の新聞がデジタル化すれば、GDPが減少します。新聞配達員は職を失い、販売店は不要になり、印刷会社、紙パルプ業界は仕事を失うからです。 紙の書籍が電子書籍になれば、印刷工場は仕事を失い、町の書店は潰れます。やはりGDPは減りますし、それ以外にも問題は多く発生します。でもそれは時代の流れであり、より多くの便利さというかメリットがあるから時代はそちらへ向けて動くのです。

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エコカーが増えれば、GDPは減少します。車の燃費がよくなり、ガソリンの消費が減れば、ガソリンスタンドが潰れ、GDPは減少します。 でもその方が世の中にとっていいのは論を待ちません。

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喫煙者がタバコをやめればGDPは減少します。単にタバコの売り上げが減少するだけでなく、喫煙に関連した疾病の医療費が減るからです。タバコに限らず、国民が健康になれば、医療費は減り、GDPは減るのです。

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jita

一方、受験戦争が過激化して子供たちが塾通いするようになれば、GDPは増えます。軍事費が増大すれば、GDPは増えます。 軍事費は直接国民を豊かにするものではなく、有事の時のための一種の保険ですから、これで生活が豊かになる訳ではありませんが、GDPは増えます。(でも経済にはマイナスです。軍需産業は潤いますが、逆に若い労働力が兵役に就くことのマイナスの方が大きいと言えます。軍事費が膨らんだために国が傾いた例は数多くあります)。 一昔前は機関銃の弾丸の値段がハイライト一箱分だったそうで、それらを撃ちまくる軍隊/自衛隊とは大変な浪費家だと言われました。とにかく軍隊が活動すればGDPは増加します。でも、豊かにはなりません。

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では、GDPを増やすにはどうすればいいか? 簡単なことです。

交通事故がおこる危険な道路を放置し、自然災害の防止対策はとらず、国民に禁煙は奨励せず、雇用確保のためにシステムや生産設備の自動化はせず、燃費の悪い自動車を売ればいいのです。そして軍備はひたすら増強する。でもそれでGDPは増えるかも知れませんが人々はちっとも幸せになりません。

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ああそう言えば、まさにその通りのことを実践している国が隣にあります。中国では年間数十万人が交通事故で亡くなります。自動車は増加しますが、道路交通の安全対策は不十分です。男性の喫煙率は非常に高く、喫煙と大気汚染のために、年間数百万人が亡くなっていると推定されます。軍事予算は米国に対抗すべく、増加の一途を辿っています。ああ、これじゃGDPの金額で日本は中国に負けるわけです。 でもそんな中国の人々は本当に豊かで幸せなのか?

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世の中には、善より不善の方が、良より不良の方が、お金が儲かるという矛盾というかパラドックスがあります。 私はこれを「下手な歯医者の法則」と呼びます。どういうことかと言えば、歯医者さんは下手な方が、治療が長引きます。その結果、診療報酬が増えます。上手な歯科医の方が、収入が少なく、下手な歯科医の方が高収入になるというパラドックスです。もっとも、最近は歯科医が増えすぎて競争が激化し、下手な歯科医は生き残れなくなっていますが・・。

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実はGDPにも、この「下手な歯医者の法則」に似た傾向があります。GDPが高くても、人々はちっとも豊かでなく、幸福ではないかも知れないのです。むしろ不幸かも知れません。特に低成長時代はそうなのです。

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ひとびとを豊かにしない、あるいは人の不幸に関連する出費も含めてのGDPであれば、GDPはバカバカしい指標と言えます。もうこの指標と決別してもいいかも知れません。

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では「豊かで幸せな社会」をどういう尺度で測るか?難しいところです。例えばニュージーランドのGDPは必ずしも大きくなく、人々は高所得でもありません。しかし、日本ではかなりのお金持ちしか持たないヨットを多くの人が持ち、週末にはセーリングを楽しみます(経済活動としては無価値ですが・・・)。ニュージーランドの暮らしの方が豊かなのかなぁ? GDPには現れないけれど。

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国民の「幸福度指数」というよく分からない指数で、自分の国が一番だ・・と語るのはあのブータンです。 ドテラを着たアントニオ猪木のような、あのワンチュク国王が治める静かな仏教国です。国に交通信号が1個しかないとか、多くの国民が昔ながらの農業に従事する国・・というのは、昭和時代の日本の田舎を知る人にはノスタルジックな世界です。「ああ、この国なら長閑で、穏やかな生活が営めるな・・・。幸福度指数は確かに高いだろう」と思わせる何かがあります。 GDPにこだわる日本や中国のリーダーは一度、ブータンを研究する必要があるかも知れません。

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一国のリーダーが本当に国民に与えなければならないのは何なのか・・・?

おっと忘れていました。 幸せそうに見えるブータンですが、この国は過去に中華人民共和国に、国土の相当分を掠め取られています。侵略を受けて屈服しているのです。日本のマスコミは決して報道しませんが。


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