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【 幣原喜重郎と芦田均 その1 】 [政治]

【 幣原喜重郎と芦田均 その1 】

 

米国のバイデン副大統領が、「日本の憲法は我々が書いたものだ」と発言して問題になっています。これは、大統領選のトランプ候補が「日本は安全保障で米国にただ乗りしている」として日米安保条約の片務性を非難したのに対して、「その理由は日本の平和憲法にあり、その原案を書いたのは米国じゃないか」とトランプ氏をたしなめた時の発言です。

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最近の流行語で言えば「片務条約ができた原因は米国側にあり、その非難はブーメランではないか」という説明です。

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その発言に噛み付いたのは民進党の岡田氏です。彼の意見は、「平和憲法は日本人が自分達で作成したもので、幣原内閣も承認している」というものです。つまり彼は、「現行の日本憲法は日本人自身が発案し作成したものだ」と言うのです。

よく第九条論者などが口にするのは、「戦争の災禍を経て、日本国民がやっと手に入れた貴重な憲法」という表現です。これと岡田氏の説明は符合し、バイデン氏の説明を否定するものです。

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一方、米国側は起草したのは米国で、米国案がそのまま採用されている・・と言います。どちらが正しいのか?その時代を生きていない私には正確なところは分かりませんが、その時代を生きた母の説明では、以下の通りです。ただ私の母も同時代に生きたというだけで勿論現場に居合わせた訳ではありません。伝聞の内容を私に語っただけで、そこは面白おかしく脚色されているに違いありません。

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GHQの民政局から新憲法の草案を作るよう指示を受けた日本政府は、苦心惨憺の上に原案(松本案)を作成して、担当官のチャールズLケーディスに提出するも、「この案では駄目だ」と一蹴されました。 GHQに赴いた吉田茂と松本烝治が途方に暮れていると、ケーディスが、「ところで、ここに参考になるメモがあるよ」・・と英語の草案をテーブルに置き、「僕は、用事があるので暫く席を外すから、その間に新しい草案を作るように」と言って、彼は部屋を出たとのことです。仕方なく吉田茂と松本が、そのメモを書き直し、出来上がった頃にケーディスが現れ、「うん、これならいい」と言ってマッカーサーに提出し、それがマッカーサー草案となって、それを幣原喜重郎内閣も了解する形で新憲法ができあがったというのです。

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GHQ側に憲法の専門家がいない中で、ごく短時間の間に日本国憲法の草案が作られたのは事実でしょうが、上記の逸話はにわかに信じることはできません。 どうも芝居がかっています。 ただひとつ言えることは、当時の状況下で、憲法を民主的に国民の総意に基づいて定めることなど、到底できないことで、すべてはGHQの、もっと言えばダグラス・マッカーサーの意に沿った憲法でなければ、通らなかったという事です。

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だから現行の憲法はアメリカに押し付けられたものだ・・という改憲論者の意見は説得力を持ちます。 日本国民が自ら欲し、戦争の結果、やっと勝ち取った平和憲法だ・・という護憲論者の説明は、どうにも都合のいい解釈です。

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しかし、そこで引っかかるのは、その時の総理大臣、幣原喜重郎と彼の後を継いだ芦田均の存在です。 九条の会などの人達は、仮に憲法全体がアメリカの影響下にあって作成されたものだとしても、第九条の戦争の放棄については、日本側の発案であり幣原喜重郎の提案で、盛り込まれたものだ・・と主張します。でもその確たる証拠は無いのですが・・・・。

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幣原は徹底した平和主義者だったようで、戦前、軍縮条約を推進し、中国大陸への日本の干渉にも消極的で、日米開戦に繋がる南方への進出にも反対した男です。証拠はありませんが、非戦を掲げたクェーカー教徒との声もあります。その彼なら、憲法9条の提案を行ったとしても不思議はありません。 彼の後の芦田均も、今風に言えばリベラルとなりますが、多少、左がかった平和論者でした。彼も同様に憲法第九条に賛成したはずです。

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一方、アメリカとしては、日本に戦争放棄を求める理由がありません。降伏後の日本は既に米国の敵でなく、一方、激しくなる東西対立は次の戦争(朝鮮戦争)を予感させました。その時期に、あえて日本に戦争放棄を求め、再軍備の足枷となる憲法を提案するとは考えにくいのです。現に西ドイツには戦争を放棄した憲法を求めていません。

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そうなると、幣原喜重郎が憲法第九条を提案したという説も理解できます。憲法全体はともかく、第九条だけは日本オリジナルの思想であり、押し付けられた訳ではないのだから大切にしたい・・という護憲論者の声が聞こえてきそうです。

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でも本当にそうなのかなぁ?もっともらしいけれど、証拠がありません。そもそも幣原説が正しいか誤りかについて、どちら側に立証責任があるのかはっきりしません。 多くの人が、そして多くの法律の専門家がそのことを検討しておられますが、結論はでません。例えば以下のブログです。

http://kimbara.hatenablog.com/entry/2013/06/06/232105

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そしてここからは、私の少し穿った意見です。幣原内閣が存在したのは70年も昔のことです。 それを最近、TVなどのマスコミが取り上げだしたのは、衆参両院で改憲勢力がそれぞれ2/3に達して、危機感を持った護憲派が、日本オリジナルの憲法であることを強調しようとしたからだと思います。押し付けられたものではないから、改憲すべきではない・・と暗に主張しています。今更、憲法制定の時のエピソードを、証拠も無しにTVが取り上げるその背景を、私は怪しみます。

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そもそも論で言えば、幣原の提案であろうが、マッカーサーの提案であろうが、同じことです。米国の影響抜きで、憲法は1文字だって作成することはできなかったはずです。 平和主義の幣原や穏健派の芦田を首相として選んだのはマッカーサーです。アメリカに任命権があった以上、形は幣原の提案であってもそれはGHQの意向です。

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全ての政治的判断に共通することですが、本当の決定権を持つのは決定権者を決める人事権を持つ者です。脱線しますが、かつて民主党政権下で事業仕分けを行った時、スーパーコンピューターの開発プロジェクトの是非を議論するために、政府は専門家を証人として呼び、説明を求めました。しかし呼ばれた東大教授は以前からスーパーコンピュータープロジェクトに反対していた研究者で、決して公平な人選ではありませんでした。 弁護士でもある枝野氏は「専門家が言うのだから」と言って、責任を転嫁し、プロジェクトの予算を削減しましたが、本当は金田氏を選んだ時点で、政府の立場は中立ではなかったのです。事業仕分けは公平を装ったショーであり、リンチでもありました。

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このことと同様に幣原や芦田を首相に選んだ時点で、GHQの考えは決まっていたのです。

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前述のアメリカが戦争放棄を求める理由が無い・・という説明と矛盾しますが、やはり憲法九条を求め実現させたのはアメリカだと考えるべきです。

 

以下 次号


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