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【 相模民俗学会 】 [雑学]

【 相模民俗学会 】

 

3/18、既に咲き始めた桜の花を眺めながら、私は川崎の市民ミュージアムに向かいました。相模民俗学会の定例会を聴講するためです。

民俗学を勉強したこともなく、勿論会員でもない私が参加するというのは、冷やかしでしかないのですが、今回は理由があります。

柳田國男がテーマで、我が畏友Y教授が発表を行うので、それを聞きたかったのです。

Prof Y.JPG場所は川崎市中原区で、これも我が畏友である「川崎のご隠居」の地元ですが、彼は所用があって参加できません。(後の懇親会には出席しましたが)。

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民俗学の泰斗である柳田國男について、オヒョウは一体何を知っているのかね?と問われると、民俗学自体を知らない私は、何も言えませんが、しかし彼が異色の官僚というか、2足の草鞋を履いたサラリーマンの元祖のような男であったことに興味があるのです。

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農水省出身の山下一仁氏が著した書物によれば、彼は農商務省の官僚として、日本の農業の実態に強い危機感を抱き、建白書とも言うべき提言を幾つかしています。(勿論これは戦前の話です)。しかし、その内容を見ると、21世紀の今日でも通用することが多いのです。

農業経営はどうあるべきか、農産物の貿易自由化に日本はどう対応すべきか。現在のTPPの議論に通じます。山下氏は戦前の柳田の時代と、現代を比較し、その共通点と相違点を明らかにしています。(それについては別稿で申し上げます)。

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しかし、それは柳田が農商務省の官吏として仕事をした時代です。その後、彼は内閣法制局の参事官になり、そこで神社の合祀(つまり、合併と統合)を進める政府の方針に反対しています。その活動のバックボーンには、彼の民俗学的な思想があったはずです。そしてその柳田の活動について、日本大学の岸本先生と小松短大の由谷先生が研究した内容を報告するのが今回の会だったのです。柳田國男とは比べるべくもありませんが、2足目の草鞋を探してウロウロしている私には興味があることです。

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役所に勤めながら、ライフワークと言うべき研究テーマを持ち、業績を残した人はたくさんいます。

ナポレオン研究の第一人者であった、通産次官の両角良彦

森鴎外研究の第一人者で、日銀の理事だった吉野俊彦

都庁を退職後、上杉鷹山を調べて小説を書いた童門冬二

気象庁の研究官を続けながら、山岳小説のパイオニアとなった新田次郎

でもよく考えると、その先駆けは柳田國男だったと私は考えます。

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しかし、神社の合祀反対活動に関して、彼の活動には、一つの類型的な見方がされています。

即ち、石川県出身の内務官僚であった井上友一が、神社合祀を積極的に推進したのに対し、農商務官僚である柳田國男はそれに反対し、対立したという見方です。

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歴史的にみて、神社合祀が失策であったという前提で考えると、柳田が善玉、そして井上が悪玉・・・という分かりやすい構図ですが、実態はそんなに単純な話ではない。と岸本・由谷の両先生は説明されます。

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井上と柳田は、同志として同じ活動で協力したこともあり、親しかったはずです。しかも柳田の発言を時系列的に追いかけると、神社合祀に反対する内容と賛成する内容の両方があり、よく分かりません。あたかも彼が変節漢であるかのごときです。

両先生は、明確な証拠を提示しています。代表的なものでは、神社合祀に反対するものとして、南方熊楠との往復書簡、賛成(もしくは肯定するものとして)埼玉県岩槻の諏訪神社と愛宕神社の合祀記念碑文が挙げられます。両方とも動かぬ証拠です。

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そこから考えると、柳田は、賛成・反対で色分けできる硬直した思考をしていたのではなく、柔軟な思考の持ち主だったと考えるべき・・ということでしょうか?

戦時下の思想統制で、柳田が仕方なく合祀賛成に転じざるを得なかった・・・という可能性については証拠がないので何も言えません。個人的には、そんなことは無いだろうと思いますが。

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ここで留意したいのは、柳田と井上の対立の構図を作り上げた背景です。私が考えるのは内務官僚と農商務官僚の対立の構図です。

柳田の幾つかの発言は法制局の参事官になってからなので、この構図は必ずしも正確ではありません。これもまた私の畏友である、元農水省のY君に訊くしかないでしょう。

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私は明治期に山形有朋らが進めた社寺仏閣(というより神社)の整理統合は、地域社会の無用な対立を無くし融和を図ると同時に、人材の合理化・リストラも理由だったのではないかと推測します。

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明治維新で大量の武士が失職しましたが、彼らの再就職は容易ではありません。地位があり教養がある人物として何らかの公的ポストを用意できればいいのですが、地方の町村ではそうもいきません。その中で神職というのは最適でした。神主や宮司に転職した士族はたくさんいたはずです。しかし、明治も20年代に入り、世代交代も進み、士族の再就職問題も一段落し、教養のある人々にふさわしい新しい職業も生まれました。そこで雇用対策としての神社は役割を終えたのではないか? 神社の維持に必要な費用負担も、地方の町村には負担だったはずです。それが合祀推進の理由だったのではないか?と私は思います。

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そして、私が特にこだわるのは南方熊楠の意見です。彼は神社のリストラによって、日本の原生林が失われるのを非常に危惧しています。日本は森の国であり、昔からの照葉樹林を大切にしてきた国ですが、その中心にあるのは神社の鎮守の森であり、ご神体としての山林であり、御杣山(みそまやま)など神社が所有する山林です。大陸に渡り、韓国や中国に行けば、その森林の乏しさに驚きますが、その理由の一つは、かの地には神社が無いことです(と私は思います)。

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この南方熊楠の発想は現代も受け継がれています。人工的に植林された針葉樹林ではなく、昔からその土地に存在した植生を大切にして慈しもうという活動が全国に見られます。特に、国立公園に指定された地域や人が住まない山奥ではなく、里山の自然を大切にすること、鎮守の森を守ることや、原生林をサンクチュアリとすることは自然保護運動の重要なスローガンです。

神奈川県であれば、真鶴半島の自然林などが、熊楠が考えた保護すべき対象でしょうし、茨城県鹿嶋であれば、鹿島神宮の境内の自然林が保護すべき対象でしょう。

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ところで、この鹿島神宮の樹林ですが、昔はもっと広かったものと推測されます。なんでも常陸国風土記によれば、大昔は鹿島郡(今の鹿嶋市+α)全体が、神領であったとのこと。おそらくは、広大な自然林が鹿島神宮を囲んでいたものと思われます。

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しかし、鎌倉時代以降、たびたび神領侵犯の憂き目にあい、神領はかなり小さくなったようです。現在の鹿嶋市宮中地区は、その名前から察するに昔は境内だった可能性がありますが、今は商店街と住宅地です。記憶に新しいところでは、昭和の時代、鹿島神宮の背後にあった広大な松林(鹿島神宮の所領ではない)がマツクイムシで枯れた際、そのまま港ヶ丘と名前を変えて住宅地になってしまいました。

今、宮中や港ヶ丘には近くの製鉄所に勤務する人達が暮らしています。

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柳田や熊楠が聞いたら、「何たることか! 彼らに里山の自然を保護する思いや「敬神」の気持ちは無いのか?」と嘆くかも知れませんが仕方ありません。有為転変は世の常です。 それにしても「滄海変じて桑田となる」は中国の故事ですが、「鎮守の森転じて住宅街となる」が日本の諺・・・というのはなんとなく嫌ですね。


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【 この道はいつか来た道 】 [政治]

【 この道はいつか来た道 】

 

森友学園問題は、複雑な様相を呈してきました。園児に首相の個人崇拝を促すような奇怪な幼児教育を施す幼稚園の存在とその経営破綻、黒幕としての首相夫人の関与、廃棄物まみれの国有地、財務省の忖度や公文書の書き換え、板挟みとなった官僚の自殺等、スキャンダラスな話題に事欠きません。しかしこの問題の根本は、あくまで国有財産を不当に安い価格で、特定の人物・法人に払い下げていたことです。

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でも、日本の歴史を振り返ると、似たような事件は時々発生しています。太平洋戦争に敗北し、日本軍が解体・消滅した時、多くの軍用地が個人のものになりました。地方によっては広い練兵場が、ほんの数人の将校の私有財産に化けたところもあります。

また有形の財産ではなくても、特定の権益を私した輩もいます。

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しかし、日本史の教科書に登場するこの手のスキャンダルとして一番有名なのは、北海道開拓使の官有物払い下げ事件です。今から140年前に、やはり国有財産を不当に安い価格で民間に払い下げる事件が発生していたのです。明治時代前半の黒歴史とも言うべき事件ですが、その主役は毀誉褒貶の激しい男の代表である黒田清隆です。

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彼は、米国の西部開拓を範とした北海道開拓計画をたて、莫大な政府予算をつぎ込みました。しかしプロジェクトの期限である10年を経過した時点で開発は道半ばでした。そこで黒田はそれらの財産を民間に不当に安い値段で払い下げたのです。具体的には炭鉱、ビール会社、鉄道、牧場、農園、砂糖工場等です。売却は3回にわたり、一回目と二回目は薩摩の人脈に通じた財界人、井上馨、山形有朋らの政治家や渋沢栄一、安田善次郎、大倉喜八郎といった財閥のトップが関与し、一部の財閥に売られました。3回目は皇族、華族といった上流・特権階級に売られています。当然ながら、黒幕として五代友厚も登場します。TVでディーン・フジオカが演じると爽やかな快男児なのに、本物はかなりダーティーだったのかも・・・。

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その金額たるや、1400万円をかけたインフラが39万円、或いは26万円の設備が千円弱で、しかも利息ゼロのローンで買えたのです。(当時の貨幣価値がピンとこないので、どれくらいの財産なのかは分かりませんが、森友学園の国有地の比ではありません)。

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当然ながら、マスコミはこの問題を追及し、世論は沸騰しました。 伊藤博文は官有物払い下げの仕組みを作った大隈重信を糾弾し追放しました。大隈は下野し、以来、早稲田大学は在野精神に溢れる大学になった・・というのは、ウソです。

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張本人である黒田清隆も結局閑職に退き、やがて失脚しますが、悪い事ばかりではありません。私は帝国議会が招集されたきっかけはこの官有物払い下げ事件だったと(勝手に)理解しています。一種の怪我の功名です。

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一部の権力者がまつりごとを壟断し、こそこそと仲間内で国有財産を私するのではなく、公明正大に行政を進めるべきで、その為には国会が必要と言う論理です。五箇条の御誓文にある「広く会議を興し万機公論に決すべし」を実現するには、民主的な議会制度が不可欠でした。

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話は脱線しますが、一部の左翼系の人々は、戦前の日本を暗黒の時代ととらえています。

全体主義のもと、言論は封殺され、人権は蹂躙されていた・・・と言うのです。

しかし、実際には完全ではないものの、民主的な制度は機能していました。普通選挙法で選ばれた人々が政府を監視し、意見を主張することができたのです。これは当時の諸外国と比べて、見劣りする内容ではありません。日本の民主主義が窒息死したのは、戦時体制に入った後です。

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脱線から戻ります。

ではディーン・フジオカじゃなかった、五代友厚はどうか?と考えると、面白い資料が住友財閥の資料館で見つかったというのです。それは五代友厚の一種の弁明書ですが、黒田清隆の思いを説明したものと思われます。

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それに拠れば、

10年の期限が近づき、あと一歩のところまで来ている諸事業をあきらめる訳には いかなかった。

・事業を続けて、ものにするには、その後を民間に託すしかない。

・そこで、このプロジェクトに心血を注いだ部下の官吏達に辞表を出させ、彼らに事業を買い取らせて、民の立場から開発を続けて黒字化させるのが、一つの責任の取り方であると考えた。

・退職した官僚は、財閥ではないから、私財で自分が手がけた事業を買い取るのも困難。そこで敢えて低廉な価格を設定した。また財閥の資金も利用した。

・当初考えたプロジェクトの期限には間に合わなかったが、その後努力は結実し、北海道の殖産興業は軌道に乗った。それは、民間に下った人々がその後も継続して事業に尽力したからである。

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以前のブログでも申しましたが、官庁あるいは官僚には、許認可型の業務をもっぱらに行うタイプと、政策の立案実行を主に行うタイプの2通りがあります。北海道開拓使というプロジェクト推進型の官僚の仕事に於いて、これは潔い一つの責任の取り方を示したものです。

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あれぇ?醜悪なスキャンダルの典型である官有物払い下げ事件も、見方を変えると、有能な官吏の責任の取り方を示すものに見えてきます。不思議だなぁ。

それにしても五代友厚、民間の財界人だったはずだけれど、官僚の心意気や身の処し方についても理解していたのです。

彼は、ある理由で公の場では弁明書を発表しなかったのだそうです。

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明治初期に、株式会社のシステムが完備していれば、昭和の時代に国鉄や電電公社を民営化した時の様に、株を売り出すことで、公正さが担保できたのに、残念なことです。

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ところで、官有物払い下げ事件では、帝国議会の招集以外にもう一つよい事がありました。

それは、西欧文化に学んだ、近代的で独自の北海道文化が築かれたことです。この事件で、北海道に荘園や会社、鉱山などを手に入れた貴族階級の人達は、北海道に西欧風の優雅な社会を作ったのです。

実際には、屯田兵らによって行われた北海道の開拓は、田中邦衛の「北の国から」とも吉永小百合の「北の零年」とも違う、厳しく過酷な作業でした。しかしそれでも都市部には西欧的で文化的な世界ができたのです。

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九州生まれの北原白秋は、昭和の初めに北海道に遊んで、その特殊な北海道文化を敏感に感じ取り、童謡「ペチカ」や「この道」で、端的に表現しています。

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札幌の大通りに、自分が育った九州の町の道を重ねて、一種の既視感を味わうという不思議な「この道」の歌詞は、政治スキャンダルが繰り返されるたびに、皮肉を込めて引用されます。

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140年前の官有物払い下げ事件となると、私の記憶も薄く(うそです)、既視感もないのですが「この道」の歌詞では、「この道はいつか来た道。ああ そうだよぉ」と続きます。森友学園も加計学園も、「いつか来た道。ああ そうだよぉ」となる訳です。

もっとも、北海道北見のカーリング娘たちは、「ああ そうだよぉ」とは言わずに「そだねー」と言うかも知れません。それが北海道の放言なのか、そうでないのか、私には分かりません。


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【 鉄鋼保護貿易と安全保障 その2 】 [鉄鋼]

【 鉄鋼保護貿易と安全保障 その2 】

 

もう20年近以上前ですが、1990年代、当時ペンシルベニア州のアレンタウンの近くにあったベスレヘムスチールの製鉄所を訪問しました。ベスレヘムスチールは2003年に経営破綻し今はありません。一部の工場はアルセロール・ミッタルの所有になっています。

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私はこの老朽化したベスレヘムスチールの工場に非常に興味がありました。当時米国に存在した大手製鉄会社は皆、日本の鉄鋼メーカーと提携して生き残りを図っていました。しかし、ベスレヘムスチールだけは、日本メーカーと組まず、単独で残っていました。それはなぜか?

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その製鉄所の製鋼部長の部屋に入ると、壁に大きな写真が掛けてあります。一目でわかるエセックス級の航空母艦の進水式の写真です。造船所は兄弟会社である、ベスレヘム造船のクインシー造船所のようです。

「この空母はタイコンデロガ(ハンコック)か、ワスプか、あるいはレキシントンか?いずれにしても太平洋戦争では日本と戦い、日本軍に沈められたりひどい目にあった艦だな」

そう思いながら、「この軍艦の鋼材はこの製鉄所で作った厚板ですか?」と尋ねると、

実に不機嫌そうな製鋼部長は、「それはあなたとは関係ないことだ」と無礼な返事です。

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結局、名刺交換もしませんでしたが、その部長にしてみれば、

1. 米国の製鉄会社が苦境に陥っているのは、日本の製鉄会社との競争のせいだ。

2. 米国の造船会社が苦境に陥っているのは、日本の造船会社のせいだ。

  (実は、ベスレヘム造船は、私が訪れる数年前に倒産していました)。

3. 我々が作った空母は、日本軍と戦い、一部は日本軍によって沈められたのだ。

と言いたかったのかも知れません。

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それで全てが分かりました。海軍の艦船用の鋼材は輸入に頼れない。米国独資の会社を残し、そこで製造したいのだ・・・と。

戦艦大和などの大鑑巨砲主義の時代と異なり、今は艦船用の鋼材は、それほど重要視されません。どんなに強力な装甲を備えても、ミサイルが命中すれば穴が開き沈没するからです。それならむしろ装甲を薄くして高速で走れる方が、助かる率が高くなります。

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今、軍事機密と呼べる特殊な高張力鋼は潜水艦用の鋼材ぐらいです。ちなみに日本の潜水艦は、きわめて強靭な高張力鋼を用いており、潜航可能深度も抜群に深いそうですが、全て秘密です。

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潜水艦を除き、艦船用の厚鋼板がありふれた材料になったとしても、やはり自国内で鋼材を作るべきだ・・という安全保障論者は米国にも日本にもいます。

チタン合金、ジュラルミン、アルミリチウム合金等、多くの軍事用途の金属材料が、一般化し、今は民間の商品として売られています。米国のメーカーは次第に競争力を失い、圧倒的に安価な製品を提供するアジアのメーカーにかないません。だから、関税をかけて自国の防衛産業の礎となる素材メーカーを守りたいのだ・・・。トランプの本音はそこでしょう。

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結局、ベスレヘムスチールは倒産し、アルセロール・ミッタルというインド人が経営する多国籍企業の傘下に入りました。すでに米国独資の高炉メーカーは殆どなく、米国単独資本の製鉄会社は軍事用途とは縁の薄い電炉のミニミルばかりです。

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米国の場合、もはや金属材料については、安全保障上の措置を講じて米国企業を存続させるには手遅れです。同盟国である、日本や欧州の企業を活用するしかありません。

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しかし、さらに大きな問題なのは、造船会社です。かつて多くの航空母艦を建造したベスレヘム造船が倒産して既に無いことは、申し上げましたが、残っている企業も厳しい状態にあります。その辺りは次号で申し上げます。


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【 鉄鋼保護貿易と安全保障 その1 】 [鉄鋼]

【 鉄鋼保護貿易と安全保障 その1 】

 

米国のトランプ大統領が、鉄鋼の輸入に25%、アルミの輸入に10%の関税をかけると息まいています。

https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM09H18_Z00C17A6MM0000/?n_cid=SPTMG002

この発表を受けて、早速イリノイ州グラナイトシティの製鉄所は高炉と製鋼工場の再稼働を決めました。(ちなみに、グラナイトシティの製鉄所はもともとナショナルスチールの工場でしたが、今はUSスチールです)。また、この発表で、USスチールやニューコアの株価も上昇しています。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27842840Y8A300C1000000/

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一方、朝日新聞やTV朝日の報道ステーションは、「中国を念頭に置いた措置だが、日本も鉄鋼輸出で大きな影響を受ける可能性がある・・」と危惧しています。

https://www.asahi.com/articles/ASL322GM9L32UHBI008.html

この報道は、半分は正しいのですが、半分は間違っています。

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実は、日本から米国への鉄鋼の直接輸出は、1990年代に大きく減っており、今更、25%の関税を掛けても、輸出量が激減するという訳ではないのです。1990年代の米国は、日本製鋼材をかたっぱしからダンピング提訴し、懲罰的関税を掛けて、米国市場から締め出しました。重要な顧客であった日系自動車会社の現地工場も、バイアメリカン法の趣旨に則り、ローカルコンテンツ(つまり米国製部品)の比率を増やすよう求められ、材料や部品は日本製から米国製に切り替わっていったのです。

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その結果、日本からの鉄鋼輸出は激減し、高級な油井管用シームレスパイプなど、米国では製造困難で、かつ絶対必要な特別な鋼材のみが日本から輸出されている状況です。

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無論、自動車用鋼板などで、日本の開発した高級鋼は、不可欠なのですが、それらは主に米国内に建設した合弁の冷延工場や表面処理工場で製造されています。日本の鉄鋼会社は当初、その母材を供給する「分業輸出型」を志向しましたが、近年はその母材も米国製に切り替え、日本製の母材は減っています。日本側も海外戦略の焦点をアジアと考えており、米国市場を重視していません。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27763240W8A300C1000000/?nf=1

だから、トランプの決定が日本の鉄鋼輸出にも大きな影響を与えるかも・・というTV朝日のコメンターの言葉はかなり的外れです。

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でも間接的な影響は避けられません。米国から締め出された中国製の駄物の鋼材が、世界の鋼材市況を押し下げ、さらに、日本へ流れ込む可能性は高いのです。その場合、日本の鉄鋼産業も一定程度の影響を受けます。

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昔、S友商事の幹部の人が言っていましたが、「鉄鋼貿易はくず湯に似ている。流動性があるようで、高級鋼の一部の製品はひも付きで流動性がない。液体だけど、どろっとしているくず湯のようだ」 日本に流れ込むのは液体の部分です。

用途と顧客が決定しているひも付きの高級鋼については、トランプの保護貿易措置の影響を受けないかも知れませんが、中進国が製造する安物の鋼材は、米国で締め出された分が日本市場に入る可能性があります。

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それにしても、トランプの仕事は粗雑です。かつてのダンピング騒動の際は、対象がかなり細かく分かれていて、その扱いは、国ごとでかつ製品・品種別でした。その手続きも緻密で煩雑でした。

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ダンピングの提訴があると、商務省は相手国のメーカーに対して製造原価を示す資料を求めます。製造原価に適正な利潤を乗せた販売価格でなければ、ダンピングとみなされます。さらに相手国(日本)の国内市況も確認し、米国での価格との乖離が無いか確認します。さらに、米国内のユーザーに意見を聞き、日本製鋼材の必要性と日本製品を選ぶ妥当性を確認します。 それらの公聴会を終えた上で、ダンピングの認定と、課徴金の金額を決定します。

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日本のメーカーと商社は膨大な資料の提出を求められる訳で、みなさん消耗していました。

さらに、ライバルである米国企業にコスト構成を全てさらけだすことに、強い抵抗を感じたこともあります。しかし、商務省の公聴会では日本メーカーの言い分も、顧客の言い分も主張する権利と機会がある訳で、ある意味フェアな手続きでした。

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しかし、トランプの決定は、あまりに単純で、一方的です。 全ての国が対象で、全製品について税率は一定です。米国内のユーザーの意見も考慮しません。トランプは「他の国は、眼に見えない非関税障壁を設けている」と主張しますが、その具体的な例は示さず、それによって米国が受けた被害についても、抽象的な説明しかしません。

(もっとも、その後、一部の国を対象から外す可能性がでてきました)。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27842910Y8A300C1000000/?nf=1

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しかし、この粗雑な決定では、諸外国は納得しないでしょうし、米国内のユーザーも納得しないでしょう。この点は朝日などのマスコミの言うとおりです。

そして、注目すべきはその次の点です。

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トランプ大統領は、国防上あるいは、安全保障上の観点から、米国の産業を守るため、今回の課税措置を行うと発言しています。日本のマスコミのコメンテーターは、「ハイテクや武器・兵器産業でもない、素材産業がどうして安全保障と関係あるのか?」と理解できない様子でした。

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一方で、国防上の理由ではなく、昔から言われている雇用の確保が目的だとする意見もあります。

https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM21H25_R20C17A4EAF000/?n_cid=SPTMG002

どうも国防目的なのか雇用確保目的なのか、はっきりとしません。

でもこの点は、実はかなり大事なのです。それについては次号で申し上げます。


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【 ブータンについて考える 】 [政治]

【 ブータンについて考える 】

 

ブータンは小国ですから大規模な軍隊は持ちません。武力はGDPの2%程度です。こちらの計算はやはり、GDP比で議論するしかありません。しかし全くそれでは不十分ですから、インドと安全保障条約を結び、有事の際はインドが守ってくれる形になっていました。極東のどこかの国のようです。

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しかし、1962年中印国境紛争が勃発し、どさくさに紛れて、中国の人民解放軍はブータンの国土を侵略しました。ブータンはインドに救援を求めましたが、ギリギリのところでインドはブータンを見捨て、救援に向かいませんでした。当時中国は既に核兵器を持ち、インドは持ちませんでした。インドは核保有国との全面戦争を避ける必要があったのです。

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中印国境紛争からしばらくして、インドとパキスタンは競争で核開発を続け、国連の安全保障理事会の常任理事国以外で初の核兵器保有国になりました。インドについては中国という脅威の存在ゆえに核兵器を持たざるを得なかった・・という理屈が、米国やソ連(当時)に理解されました。

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踏んだり蹴ったりなのはブータンです。国土の三分の一を中国にかすめ取られ、占領されたままです。さらに中国は新たな国境侵犯を始めているという情報があります。

でも日本では、その種の(中国を悪者にした)報道は規制されるか、報道されません。

ブータンが中国に奪われた地域を東北辺境区域といいますが、あれっ? 日本語版のWikipedia がありません。それどころか、以前は英語版の東北辺境区域は閲覧できたのに、それも見られなくなっています。 

https://ja.wikipedia.org/wiki/東北辺境地区?action=edit&veswitched=1

いったいどこからこんな圧力が?

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平和と繁栄に浮かれ、国防をおろそかにしてついに滅んだ国の例として、人々は第二次ポエニ戦争の後、ローマに滅ぼされたカルタゴの話を取り上げます。日本をカルタゴになぞらえるのです。(塩野七生さんの影響かな?)

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でも「殷鑑遠からず」とはまさにこのことです。紀元前まで遡らなくても、参考になる国はあります。それがブータンです。

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日米安保条約で日本は本当に守られるのか? 中国に本当に領土や領海拡張の野心はないのか? ブータンは本当に幸せだけの国なのか? なぜ日本のマスコミは不都合な真実を隠蔽するのか?

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ブータンのワンチュク国王は、ある意味、日本の皇室に似ています。田植えをするとか稲刈りをするといった習慣だけでなく、象徴的存在として、国民のよりどころになっています。でもそれだけでは、国土を守れません。

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私は愛すべき小国ブータンを考える時、決してマスコミが報道しない、不都合な真実も一緒に考えたいと思います。

 

あれっ?農業とTPPのことを考えようとしていて、なぜか安全保障の話になってしまいました。 農業とTPPについては、また別の機会に申し上げます。


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【 農は国の基 】 [政治]

【 農は国の基 】

 

先日、飯田橋の居酒屋で古い友人であるY君と酒を飲みました。私のブログにはもうひとりY教授が登場しますが、彼とは別人でY君の方は、東大法学部をでて農水省に入って活躍した人物です。(Y教授も含め、私達は、昭和40年代の末に金沢の同じ高校にいました)。

 

久しぶりに会ってみると、Y君は役所を辞し自由人になっていました。金沢で新聞記者だったT君もとっくに会社を辞めて父君が遺した能登の屋敷を守り、田畑を耕しています。考えてみれば我々は60代であり、まだあくせく会社勤めをしている私の方が、どちらかというと例外なのです。

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そのY君は引退しても、農政に対する情熱は全く冷めた様子がなく、あらゆる話題から農業問題に切り込んできます。特に農政を語るうえで切り離せないTPPの問題については、深い考えがあるようです。

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私自身は、米国駐在中にNAFTAが成立し、それによって北米の産業構造がどう変化するかを目の当たりにした経験があります。だから自由貿易協定については一家言を持つつもりでしたが、私が考えていたのは自動車や鉄鋼、コンピューターといった第二次産業ばかりです。農産物についてはまじめに考えていなかったというのが実態です。だから、農産物の面から自由貿易協定の話をするのは全く苦手なのです。

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それにTPPの問題については、あまりに語るべき点が多いので、稿を改めて管見を述べたいと思います。

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それでも、ひとつだけ言えることは、自由貿易協定は、一国の経済や暮らしだけを考えていてはいけないということです。20世紀最大の凶事だった第二次世界大戦は、自由貿易が進まず、各国のブロック経済化を防止できなかったことが原因のひとつです。自由貿易を進めると、必ず一時的に被害を受ける産業や人々ができます。彼らの声を聴くことは非常に重要ですが、その部分のみがクローズアップされると、皆が被害者意識に取りつかれ、自由貿易に否定的になります。その結果、人々は保守的になり保護貿易に走ります。米国のトランプ政権はそれらの人々の支持でなりたっています。

日本の場合、農業に「被害者意識という幻想を植え付ける犯人」をやらせてはいけないのです。日本の農業は、本質的に被害者でも犠牲者でもなく強者であるはずのものです。

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日本の農業人口はとうの昔に1割を切っており、GDPに占める比率も高くありません。

国民があまり農業に関心を持たなくなってきている・・と私は思っていました。しかし、農業と農政を熱く語る漢(おとこ)はまだいるのだなあ・・と気づき、考えました。

(どんなに時代は変化しても、農業は日本社会の根本なのだ。だいたい、国家元首(象徴でもいいけれど)が、毎年田植えと稲刈りをする国など、他にあるものか)。

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そこで、思い当たりました。(そう言えば、他にも国王が自ら田植えをする国があったな)。

国力をGDPではなく、国民の幸福度数で計るどこか懐かしさを感じる不思議な国ブータンです。あの国の稲作は、一人の日本人技術者が指導したもので、完全な日本式農業です。

あのアントニオ猪木に似たワンチュク国王は、日本の農業指導に感謝すると同時に、(日本の皇室に倣ってなのかは不明ですが)、自ら農業人になっています。

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日本のイチゴの苗を盗みながら、一方で、言われのない風評に基づいて日本の農産物の輸入を禁止していている隣国とは大きな違いです。

そういえば、日本のカーリング娘達は、オリンピックの試合の休憩時間に大粒のイチゴをおいしそうに頬張っていました。「他の国のイチゴは甘くないのに、韓国のイチゴは日本のイチゴと同じように甘くておいしい」と語っています。

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「ちょっと待ってよ。そのイチゴはもともと日本原産の品種なのだから・・・」と言いたいところですが、まあいいや。その韓国イチゴのおかげで日本のカーリング娘達が活力を貰い、メダル獲得につながったのだとしたら、種苗を盗まれた日本のイチゴ開発者ももって瞑すべし・・ということでしょう。

 

ところで、ブータンについては、マスコミは報道しませんが、日本がこの国から学ぶべき点があります。ブータンがトマス・モア的な幸福を追求することに成功した社会だからではありません。同国の歴史が参考になるからです。

 

それについては次号で。


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