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【 中国の少子化問題  その2 】 [中国]

【 中国の少子化問題  その2 】

 

私の持論は、世の中の考え方とは逆です。我が子に幸せな人生を歩ませるには、とにかく幸せで楽しい子供時代を過ごさせることが重要です。大人になってから、自分の少年時代/少女時代には楽しい思い出がたくさんあったなぁ・・・と思い出せるような、そんな子供時代が必要なのです。

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子供の頃、遊んでばかりいても大丈夫か? 進学競争に負けやしないか?泳げない男の子やピアノも弾けない女の子では、将来困らないか? などとくだらない心配は要りません。お金もかかりません。

毎日、外で暗くなるまで、男の子なら三角ベースの草野球を楽しみ、女の子はゴム跳びでも石蹴りでもして遊べばいいのです。雨が降れば、自宅で遊ぶか、図書館で児童書でも漫画でも読めばいいのです。休みの日には、近くの里山に探検に出かければいいのです。夏休みの宿題なんか放っておきましょう。あんなものは大人の自己満足のためのものです。

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では、私がそれを主張するのはなぜか?

人は自分が楽しい子供時代を過ごせば、子供を産んで子供たちにも楽しい経験をさせようと思うからです。

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昔のブログにも紹介しましたが、小児科医で児童心理学者だった松田道雄博士は、その著書「私は二歳」の中で、人は幸福な子供時代を過ごすために生まれてきたのかも知れない・・と述べています。私は、子供時代が幸せなら、大人になってからも心豊かな人生を送れるのではないか?と考えます。 物質的に恵まれるかは分かりませんが、それは人生の良し悪しを決める本質ではありません。

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エッセイストで社会学者である木村治美氏はロンドン時代に、子育てについて面白いことを語っています。

「子育ての醍醐味は、自分の子供時代の楽しい記憶を、子供との暮らしを通して追体験できることである」

このエッセイを書いた頃の彼女の年齢については、良く知りませんが、中高年に達した人の、日々の思考のある部分は、若かった頃の思い出を反芻することで占められます。 楽しい思い出、懐かしい記憶が多くあるほど、幸福な日々を過ごせるのです。

残念ながら、それらの記憶はどんどん忘れ去られますが、日々成長していく我が子の生活を通して、それが追体験できれば、素晴らしいことです。

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子育ては苦痛ではなく、楽しみになります。 子育てが、人生に新たな幸福の日々をもたらしてくれる・・となれば、自然に子供を産む人は増えます。

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残念ながら、私が見た中国の子供も、韓国の子供も幸せそうではありませんでした。

中国の場合、都市の裕福な家庭では、子供は塾通いと受験勉強の日々です。農村部の貧しい家庭の子や民工の子供は、早くから労働者となります。

韓国の子供も受験勉強の日々です。受験に失敗すれば、人生の落伍者のように言われ、それまでの勉強の日々が無意味だったように言われます。

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これでは楽しい思い出もできません。 どうか、世の中の父親・母親は、子供を遊ばせ、そして、自分達も子供の遊びに加わって、自分の子供時代の楽しい記憶を反芻してください。それが最良の子育てだと思います。

 

もっとも、我が家の場合、二人の息子が成人するまで、その子育てをほとんど妻にまかせっきりだったオヒョウは、偉そうなことは何も言えないのですが・・。

 

幼きは、幼きどちのものがたり、葡萄のかげに月かたぶきぬ


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【 中国の少子化問題 】 [中国]

【 中国の少子化問題 】

 

中国の出生率が低いままです。有名な「一人っ子政策」を見直し、2人以上子供を産めるようになったのに、今度はなかなか子供を産む夫婦が増えないのです。

直近の出生率は、少子高齢化が問題になっている日本よりさらに低い値で、近い将来、日本以上の少子高齢化が進み、2030年以降は人口の急激な減少が始まるかもしれません。

https://forbesjapan.com/articles/detail/20511

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大きな国で人口が急激に減少するという事態は、ペストなどの疫病や大戦争を除けば、過去に例がありません。

そして、人口の急激な自然減は、単に国家規模の縮小という問題だけではありません。減少の過程で深刻な社会問題をもたらします。年齢別の人口構成を示す人口ピラミッドが逆三角形になりますが、これは社会福祉の破綻を意味します。

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中国の「一人っ子政策」の初期の段階では、一人の子供は6つの財布を持つと言われました。つまり両親、両祖父母が、かわいい孫や子供にお金を注ぎ込んだのです。一人っ子は大切にされ、甘やかされた子供たちは「小皇帝」と呼ばれました。

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しかし一転、その子達が大人の勤労世代になった頃、今度は一人で6人の老人の福祉負担を背負わねばならないのです。中国は儒教文化のもと、伝統的に老人を敬う国ですが、この状態が続けば、年金も破綻し、老人医療も高齢者福祉も頓挫します。中国の富裕層には様々な事情により、海外移住(というより脱出)を目指す人がいます。その脱出の理由の一つは早晩予想される、中国の老人福祉政策の破綻でしょう。

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私が中国の昆山にいたころ、週末に2人以上の子供を連れた家族が街を歩いていると、周囲の人が羨望の目で見ていたのを思い出します。訳を聞くと、2人以上の子供を連れた家族というのは台湾人だとのこと(昆山には台湾企業が多くありました)。台湾人は一人っ子政策の対象外で、何人でも子供を持てたのです。

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それをうらやむ中国人夫婦がいたことを覚えています。だから、中国政府が一人っ子政策を廃止した・・と聞いて、私は思いました。「これは良かった。これで男の子が欲しい夫婦も、女の子が欲しい夫婦もチャンスが増えるし、台湾人をうらやましく思う必要もない・・。出生率はあがり、生まれる子供の数は増えるだろう・・・」。

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しかし、現実は違いました。冒頭で言いましたように、一人っ子政策を止めてからも、子供の数は増えません。それはなぜか? 私は一つの理由は、中国が中途半端に豊かになってしまったからだと思います。

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20世紀の終わりの頃、先進国で出生率の低下が問題になり始めました。調べてみると、出生率が低いのは、日本、ドイツ、スェーデン、オーストリア、イタリアなどで、世の中では「第二次大戦の枢軸国だった国で出生率が低下している。これはなぜか?」という議論になったのですが、はっきりとした理由はわかりませんでした。

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今、考えると、先進国の豊かな生活をしている民族では、おおむね出生率が低下しています。人口増が続く米国だって白人だけをみれば、出生率は高くなく、高いのは黒人やヒスパニックです。フランスもアフリカ系の出生率が高くなっています。枢軸国も連合国も関係なかったのです。

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なぜ、豊かな国では出生率が低く、そうでない国や民族では出生率が高いのか?

理由は主に経済的な事情です。

前のブログにも書きましたが、貧しい家庭や社会では、子供はベネフィットです。子供が生まれれば働き手が増えることになり、家計は楽になるのです。子供は幼い内から、労働して収入を得ます。働けない子も妹や弟の子守はできます。そして親の負担を軽くするのです

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一方、豊かな家庭や社会では、子供はコストです。教育費はかかりますし、就労するまでの期間(つまり就学期間)は、貧しい家庭や社会より長くなり、親の負担は増加します。

貧しい社会では少しでも楽になるために子供を産みます。豊かな社会ではそうではありません。

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しかし貧しい社会では、子供は早くに就労しますが、教育を受けていないため、専門性の高い職業や、高い生産性をあげる仕事には就けません。つまり、高賃金の仕事にはありつけません。長い目で見れば生涯所得は少なく、低所得の生活が世代交代しても続きます。

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一方、豊かな社会では、女性の社会進出が進み、勤労世代の女性にとって母親や専業主婦以外のオプションも増加します。子育て以外にも自己実現や生き甲斐を見出せます。つまり子供を産まないというオプションも出てくるのです。

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子供はコストだ・・という考え方は、中国や韓国では特別な意味を持ちます。

かつて科挙のシステムを採用したこの2つの国では、難しい試験にパスし、エリートの学校を卒業することが立身出世の早道でした。家柄や出自によらず、試験さえ通れば、偉くなれるし、裕福で幸せになれる・・・(という幻想)の元、閉塞感の漂う庶民階級は子供の教育に熱を入れます。これは昔から現代まで、中国や韓国の、教育に注力できる人々(つまり中産階級)に共通した事情です。

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今後、中国の都市戸籍と農民戸籍の区別は見直されるでしょうが、現在、農民戸籍の人は裕福になれる機会が乏しい極めて厳しい閉塞感の中で暮らしています。その農民戸籍を脱出する数少ない方法が大学を卒業することなのです。社会は急速に豊かになっても、取り残される庶民は、子供に英才教育を施します。親の子供にかける期待は高まり、孟子の母親以来の伝統である教育ママが登場します。しかし、これは子供と両親にとって大変な心理的プレッシャーであり、金銭的な支出も伴います。現代の科挙は、コストを強いるのです。

塾や家庭教師、習い事で子供も大変ですが、親も大変です。

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韓国もおおむね同じです。若年失業率が常に高いこの国では、下手をすれば「大学は出たけれど」仕事にありつけません。あるいは兵役を終えて娑婆に出ても職がありません。一部のエリート大学を卒業しなければ、未来は開けないのです。勢い、受験戦争は激化し、本人と家族の負担は大きくなります。入学試験の時は家族全員で心配し、不合格だったら家族全員で落胆します。自分の時の記憶から、受験戦争の心理的な負担はもうこりごりだという人は子供を産みません。或いは一人だけしか産みません。

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豊かな社会では、子供はコストだと言いましたが、実は本当に豊になりきっていない中途半端な社会で暮らす、特に上昇志向の強い人々にとって、子供は最も大きな負担になるのです。

中国や韓国で暮らす庶民も、子供の世代は今よりも豊かで幸せであって欲しいと願います。その結果、少子化は進みます。

 

ではどうすればいいのか?

 

それについては、私には持論がありますが、次回 申し上げます。


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【 春風と初夏の風 その2 】 [金沢]

 【 春風と初夏の風 その2 】

 

私は、栃木県宇都宮市の英語教師にして版画家だった、川上澄生は、もっと評価されてよい芸術家だと思います。

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彼の版画は独創的ですが、棟方志功の作品ほどのインパクトはありません。彼の詩は心に染み入りますが、朔太郎や白秋、藤村の詩には負けます。海外生活を経験していますが、それをあまり文学作品にはせず、英語を教える、ただの地方の「田舎教師」に甘んじています。

<宇都宮高校卒業のT元副社長、コメンナサイ>。

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ある意味で中途半端な彼の詩と彼の版画ですが、それが一緒になると、彼独特の世界が現れます。この彼だけの芸術品は第一級だと思います。

世の中には、詩と絵画が融合した、俳画や柳画があります。その前段階の禅画も、文字と絵の融合に成功しています。

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彼は水墨画の代わりに版画を用い、和歌や俳句の代わりに詩を用いました。その手法は、川上澄生から強い影響を受けた棟方志功に受け継がれ、版画表現の一般的なものになっています。

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彼の詩には好きなものがたくさんありますが、その中の「はつなつのかぜ」は特に好きです。

既に著作権も切れていますから、絵を下に載せます。

「初夏の風」
 かぜとなりたや はつなつのかぜとなりたや
 かのヒトのまへにはだかり かのヒトのうしろよりふく
 はつなつの はつなつの かぜとなりたや

 hatunatu.gif

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私が、その版画と詩を画集で見たのは、ちょうど高校一年生の初夏の季節です。その日の午後、学校から帰っていく同級生の一人の女生徒の後ろ姿を見ていました。その時、初夏の風が彼女の後ろから吹きました。明るい陽射しの中で、彼女は家庭科の授業で作ったつばの広い帽子を被っていたのですが、それが飛ばされそうになり、慌てて手で押さえた様子が見えました。その彼女のしぐさを見て、なぜか、ああ、素敵だな・・・と私は感じました。同級生に異性を感じたのは、その時が初めてかも知れません。

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版画の絵ではマリリンモンローのようにスカートがめくれそうになっていますが、決してそうではなく、押さえたのは帽子と髪の毛だけです。それ以来、私は川上澄生と彼の版画、ひとりの女生徒、そして初夏の風が好きになりました。

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暖かさをもたらす春の風でもなく、涼しさをもたらす夏の風でもなく、ひたすら凍えさせる冬の風でもなく、女の人の帽子と髪の毛を動かすだけの、はつなつの風が、私は好きです。


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【 春風と初夏の風 その1 】 [金沢]

【 春風と初夏の風 その1 】

 

夕方の電車はなかなか到着しません。駅のアナウンスで「本日、強風の為、常磐線の電車に遅れがでております」と案内されます。関東地方は春の突風が吹いているようです。私の帰宅時間が多少遅れても、どうということはありませんが、強風はクレーン屋にとっては困った問題です(今、私はクレーンの会社に勤務しております)。

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高さ数十メートルから百メートル以上に達する大型の移動式クレーンは、強風で倒れる可能性があり、風速15m以上では作業を中止し、安全な姿勢をとります。しかし、それ以下の風速でも問題はあります。数十メートル先の所定の位置に10t以上の吊り荷をピンポイントで揚げ下げするクレーン運転者は、まさに神技を持っていますが、それとて風が吹いては難しくなります。作業中止には至らないけれど、時に風が吹く状況は実に困ったことなのです(腕のみせどころではありますが)。

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だいたい、春風というのはなんとなく生暖かくて気持ち悪いイメージがあります。埃っぽさも気になります。しばしば花粉を飛ばし、大陸から黄砂を運び、最近はPM2.5なんてのも持ってきます。こんな風を喜ぶのは患者が増える眼医者ぐらいではないか?

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では、オヒョウは何時から春風が嫌いになったか?これははっきりしており、中学1年生の時です。入学した中学校の校歌が、「春風そよろと柏の若葉に・・」という出だしで始まる、実におとなしいというか女々しい感じの曲だったのです。「なにが『春風そろよと』ですか、全然勇ましくないじゃないですか、これじゃ学校対抗の試合の応援に使えないではないですか!」と思った訳ですが、今は亡き母が笑いながら言います。

「この学校ができて校歌ができたのは、戦後すぐの頃でGHQの監視もあり、勇ましい歌など作れなかった時代。だから、しかたなくこんな校歌になった」とのことです。

その後、校歌に代わる応援歌ができたと・・風の便りに聞いています。

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世の中、むやみに勇ましい必要はないのですが、軍艦の名前はそれなりに勇ましい方がいいです。しかし、海上自衛隊の護衛艦には「はるかぜ」という爽やかだけど、強そうに思えない名前の艦がありました。でも調べてみれば、旧日本海軍時代の「春風」からの伝統だとか。

そんな軍艦に乗っても士気はあがらないかも知れないし、戦争にも負ける訳だ・・・。

さらに勇ましくない名前は、「はるさめ」とか「はるゆき」です。「はるさめ」なんて月形半平太に馬鹿にされそうですし、お総菜売り場の匂いがします。「はるゆき」なんて美しいけれど、アワアワアワと溶けてしまいそうです。

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脱線しましたが、とにかく、私は春風が苦手です。

でも今、藤の花が咲いて、いちはつの花が咲けば、季節は春から初夏に変化します。吹く風は春風から、初夏の風に変わります。昔は、5月を、風薫る・・という枕詞で語りましたが、今は地球温暖化で4月から初夏の風です。私は、緑に染まる初夏の風が好きです。

では何時から好きなのか?と言えば、これも答えは決まっていて、高校1年生の時からです。その内容については次号で申し上げます。


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【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その2 】 [雑学]

【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その2 】

 

ギリシャの古代オリンピックは男性だけのもので、裸体で競技されました。女性は観戦することすら許されませんでした。

近代オリンピックの第1回もギリシャのアテネでしたが、こちらも選手は全員男性です。

こちらは着衣で競技しています。女性は観戦することはできましたが、参加は許されませんでした。

今現在、IOCのバッハ会長は男女が平等・均等であることに特にこだわります。

新たな競技種目を選ぶ時、競技人口が偏っていないか?男性だけの競技になっていないかが注目されます。

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それと並行して、かつては男性だけだった競技にどんどん女性が進出しています。 柔道、陸上のマラソン、棒高跳び、スキーのジャンプ、その他もろもろです。オリンピックの男女同権の思想を受け入れる形で、女子種目が増えていったのです。

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この変化は、オリンピックの存在理由というか性格を考えれば、よく理解できます。

古代オリンピックは、戦争のシミュレーションでした。だから参加する人は兵士の代わりであり、男性に限定されました。

近代オリンピックが始まったころのスポーツとは、西欧の貴族階級あるいは有閑階級のたしなみでした。 そしてその頃、過激なスポーツをたしなんだのは、もっぱら男性でした。

現代のオリンピックは、国威発揚目的だの商業化したプロ選手の集まりだのと言われますが、根底には「社会的公平の実現」があります。 当然ながら、肉体的性差はあるものの、男女は同権で等しく参加する権利を持ちます。

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オリンピックがそのように変化していくなら、大相撲だって変化して構わないはずです。既に外国人力士の採用という、大変革を行ったのですから・・。

余談ですが、外国人力士の元祖をハワイから来た高見山だと考えていましたが、よく考えれば横綱大鵬だって白系ロシア人の血が入っています。 相撲協会はかなり前から、人種や民族にはこだわらなかったのです。

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人種民族を問わないのなら、相撲を日本人だけのものと考えるのはナンセンスです。即ち、相撲を神事と考え、日本人のエトスにかかわるものとするのもナンセンスです。

それなら女性を土俵に上げてどこが悪い?という考えに至ります。

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今回、八角理事長は、人命救助という緊急事態なのに、大相撲のタブーを優先したのが誤りであったと謝罪しています。つまり人命はしきたりよりも大事なのに、その判断を間違えたという言い方ですが、これは問題を矮小化するものです。

つまり、土俵に女性をあげてはいけない・・というタブーそのものの是非には言及せずに幕引きを図り、タブーを残そうとしています。これはかなり姑息な対応です。

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やっぱり相撲界のちょん髷頭を叩いてみれば、因循姑息の音がするのです。

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しかし、現役時代から実直な人柄が評価された八角理事長ですが、彼の代になって特に苦労が多いようです。同情を禁じ得ません。その昔は相撲協会の理事長といえば、天覧相撲で両陛下のお相手をするぐらいの優雅な名誉職だったのですが、最近は矢面に立たされ、謝罪する役回りです。相撲協会の積年の問題点が、最近の数年間に一気に噴き出した感があります。 これはやっぱり、八角という名前が良くないのでは?

そもそも八角といえば、雷電為右衛門に突き飛ばされて亡くなった力士です。

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しかし、ここは考え方次第です。暴力事件、貴乃花問題、女性を土俵から降ろそうと放送した問題などを、一挙に解決して、相撲協会の近代化に成功すれば、しめたもので、雨降って地固まるというか、土俵が固まる形になります。

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女性は誰でも土俵に上がれるよう、規則を変更すべきでしょう(ただし、ピンヒールの靴は土俵に穴を開けるのでダメですが)。

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いっそ、相撲協会は、大改革のシンボルとして「平成の断髪令」を出して、ちょん髷や大銀杏を止めてしまう荒療治もありです。因循姑息の音がしないようにするのです。

勿論、反対意見は多いでしょうが、強いちじれっ毛で、ストレートパーマをかけないと髷が結えないポリネシアンやアフリカ系の力士には歓迎されるでしょう。 あと、額がどんどん後退し、髪の毛が少なくなっている力士からも歓迎されるでしょう。

いずれにしても、八角理事長には頭を使って知恵を出してもらわねばなりません。 そうでなければ、「相撲取りの頭は、考えるためでなくちょん髷を結うためにあるのか?」と言われそうです。


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【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その1 】 [雑学]

【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その1 】

 

相撲協会の問題がつぎつぎと明るみに出て、ワイドショーをにぎわせています。面白いといっては不謹慎ですが、巡業先の舞鶴で、挨拶で土俵に立った市長が倒れ、救護に駆け寄った女性看護師に対して、行司が「女性は土俵から降りろ」とアナウンスした事件は、相撲協会の問題のある体質を象徴的に示しています。

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話はかわりますが・・・・、

明治4年に断髪令が出され、日本の男子はちょん髷を結うことが許されなくなりました。世界の歴史を見ても、男子の髪型が法令で規定された例はあまりないようです。

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有名なのは、中国が清王朝だった時代、満州族が漢民族を支配し、男子に辮髪を強制した例です。従わなければ死罪となりますから、男子は仕方なく、全員が辮髪となったのです。今でも西欧に行って中国人のイメージを訊けば、吊り上がった目と辮髪と髭の男性、そして宦官となります。この屈辱的な風体が、カリカチュアとして用いられることに、なぜ中国政府がクレームしないのか疑問です。習近平のイメージが、熊のプーさんに似ているという、くだらない理由でプーさんのキャラクターを禁止する暇があるなら、そちらをするべきではないか?と思います。

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辮髪を近代化前の悪しき中国の象徴だと考えこれを嫌い、いち早く切り落とした男達がいます。太平天国の乱に参加した人達もそうですし、魯迅などの知識人もそうです。

辮髪の切り落としは、中国近代化の一つの象徴だったのです。(20世紀の話です)

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話が脱線しましたが、明治新政府は、外国で日本男子の髪型(つまりちょん髷)が馬鹿にされたことがよほど悔しかったのか、それとも中国人の辮髪が馬鹿にされているのを見て、これはまずいと思ったのか、いずれにしても早急に髪を切って西洋風の髪型にするよう断髪令をだした訳です。

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国民の多くに理解してもらうために、戯れ歌さえ作って流行らせています。

「半髪(ちょんまげ)頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪(長髪)頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」

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しかし、ここで例外的に髷を許された人々がいます。それが相撲取りです。普段はちょん髷を結い、場所中の関取は大銀杏を結います。序の口の力士や学生相撲から転じた幕下付け出しの力士は、髪の毛が伸びるのが間に合わず、総髪(長髪)で土俵に上ったりしますが、いずれ髷を結います。

逆に引退する時は、仰々しく断髪式なるものを行い、髪を短くして現役力士の自分に別れを告げます(昔はそんなものは無かった)。

悲惨なのは、禿げあがってしまい、髷が結えなくなったために、仕方なく引退した力士です。個人の名誉のために具体例は挙げませんが、何人か、そういう力士がいたそうです。

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どうして、相撲取りだけが断髪令を免れたのか? 私には理解できません。 相撲解説者の中には、もっともらしく、長髪で髷がある方が、頭を保護して脳震盪にならないなどと言う人がいますが、大ウソです。頭を保護するなら、アメフト選手のヘルメットやラグビー選手やボクシング選手のヘッドギヤの方がはるかに有効です。

  • 誰も信用しませんが、私の卒業研究は頭蓋骨に衝撃を与えた時の脳組織の挙動がテーマでした。

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要は、日本の伝統様式を守るのが重要であり、そのために髷が必要だとしたのでしょう。 当時、他にも伝統様式を継承しなければならない職業は幾つもありました。しかし、

1.僧侶はもともと剃髪なので無関係。

2.歌舞伎役者は、以前から鬘を被っているので無関係。

3.神主などの神職は烏帽子や冠をつけているので、これも髪型は無関係。

ということで、伝統を守るために、髷が必要という議論にはならなかったのです。

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江戸時代まで、日本の社会では髪型でその人物の職業や地位を判断できました。

一種の記号論の世界です。 武士は武士(武士にもいろいろ種類がありますが)、町人は町人、医者は医者の髪型、学者先生や道場の師範は総髪、そして関取は大銀杏といった具合です。四民平等といった概念からも断髪は必要と判断されました。唯一の例外は伝統を守りたい相撲取りです。

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しかし、ここで相撲協会が守ろうとした伝統とは何だったのか? それは外見で表象されるものだったのか? 実は明治の文明開化のチャンスに、大相撲が近代化し損ねた点はちょん髷だけでなく、他にもあります。

・部屋・親方制度を維持し、徒弟制度の下で力士を育成するシステム。

・谷町からのご祝儀に多くを頼る、ゴッチャン式の不明朗経理。

・先輩・後輩の上下関係を最大限強調し、暴力をも是認・許容する風土。

・学校教育の重要性を鑑みず、少年力士の進学を重視しなかったこと。

 (代わりに相撲教習所という独自の学校がありましたが)。

・男女差別とされるしきたりを残したこと。

・和服、和装を重視し、洋服を排したこと。

などです。

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実は、この150年前の近代化のチャンスを逸したことが、今日禍根になっている部分があります。 土俵上に女性が上がってはいけない・・という、奇妙なタブーももっと早い時点で見直さなければならなかったのに、ちょん髷と同様、相撲界だけは「まあいいか」と見逃されてきた訳です。

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ではなぜ、そうなったのか? 根本的な理由は、大相撲には3種類の性格・目的があり、それらがアンビバレントというか相互に矛盾していたからです。

 

1. 神技として神の前で奉納する伝統的儀式としての性格

野見宿禰以来の伝統で、国技とされる大相撲が批判されると、必ずこの意見がでて反撃します。女性を土俵に上げないなどのタブーもそれに由来します。

 

2. 純粋な競技スポーツとしての性格

勝ち負けが重要で、優勝劣敗を決めることが最終的な目的となります。その前提としてフェアであること、スポーツマンシップが尊重されること、等多くの制約があります。

オリンピック競技の選択基準もほぼ一致します。それに倣えば、競技は体重別にクラス分けされるべき、とか、競技者やコーチからの判定への異議申し立てを認めるべき、とか いろいろな要改善点がでてきます。

最近のオリンピックの傾向を考えれば男女平等に競技に参加できることが最重要とされます。 これについては後述します。

 

3. 興行・娯楽としての性格

これはプロレスと似た性格になります。 スターが必要で、ルールやフェアさよりも派手な演技が喜ばれます。善玉・悪玉がはっきりした方が観客は喜びます。地方興行となると、地元のボスとの付き合いも必要になり、かつては反社会勢力との接触がうわさされ、賭博や八百長もありました。相撲協会のかつての経理の不明朗さの一因もそこにあります。女相撲なんてのも興行としてはありです。

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男女の差別・区別という観点で考えた場合、1.と2.の矛盾は際立ちます。

行司は、思わず1.の理屈を採用したのでしょう。 しかし、この男女を区別する伝統は墨守すべきものなのか?時代に応じて変更していくべきものなのか?

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ここで参考になるのはオリンピックの歴史です。 

以下次号


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【 なぜテニュアトラックを活用しないのか その2 】 [政治]

【 なぜテニュアトラックを活用しないのか その2 】

 

テニュアトラックとは、博士号取得後5年以内の若手研究者を対象に、5年間、研究の機会と俸給を与え、期間終了時に、その成果を評価し、無期雇用の大学教員のポストを与えるシステムです。大事なことは、成果の評価を可能な限り、公明正大に行うことです。

詳しくは下記をご覧ください。

http://www.jst.go.jp/tenure/sympo.html

この制度を採用している大学には、日本を代表する有名大学もありますが、その人数枠は少なく、どちらかというと、知名度は低いけれど知る人ぞ知る優れた研究をしている玄人好みの大学が多く参加しています。

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現在、複数あって、その条件・内容が統一されていないポスドクの制度や、大学毎に異なる教員採用の手続きを統一して、数多くの博士に平等に機会を与え、日本の大学教員の質を高めるには、テニュアトラックは最も適したシステムだと、私は思います。

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大学教員だけではありません。前回、紹介しました理化学研究所をはじめ、独立行政法人となった多くの国立の研究所もテニュアトラックを採用すべきだと思います。そうすれば、理研の松本理事長などが、いちいち任期制研究員のことで悩まなくてもよいのです。

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大学教員や研究所の研究員の質が揃えば、大学間、大学と研究所間の人事交流もしやすくなります。もしテニュアトラックの審査を通らなければ、早めに研究員の道をあきらめ、方針転換することが可能です。ちょうど将棋連盟の奨励会を突破できなかった人が、別の分野に進むようなものです。

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テニュアトラックで実績を積んだ研究者がどんどん大学に入ってくれば、それまで無期雇用のポストにいた教官が席を失うという問題が発生します。ではどうすればよいのか?

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ここで考えるのは、研究業務と教育・指導業務の分離と、人材の割り当てです。

前回、申し上げましたが、米国の大学は研究型と教育型に分かれ、特に全米にある州立大学は主に教育に力点を置いています。日本の大学は、一つの大学が研究と教育の両方を行い、両者は車の両輪になっています。

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自然科学の場合、研究者が最も脂がのっていて、バリバリ研究できるのは、20代後半から30代後半ぐらいまでだそうです。30代の初めにテニュアトラックを通過し、新進気鋭の研究者として、研究に従事したあと、40代の半ば以降は、教育に専念するという道があります。ひとつの大学の中で、そういう役割分担ができれば、人事の停滞や閉塞感は解消できます。勿論、先生方には反論もありましょう。生涯現役の研究者でいたい・・・という方も多いでしょうが、そこはどう考えるかです。

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プロのスポーツ選手やプロの棋士は、自分で引退時期を決める場合と、あるシステムに従って引退する場合の2種類がありますが、引退後に後進の指導者や監督として成功する人も多くいます。将棋連盟のプロ棋士がフリークラスになったり引退しても、街の将棋道場でアマを教えることは可能ですし、そちらで才能を発揮する人もいます。それと同じように、研究者が教育者に転じるコースも整備すればいいのです。

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博士号を取得した人達は、単なるインテリではありません。知的生産業務に於いて、優れた能力を持つと証明されたエリートであり、そして彼らの教育には多くの国費が注がれている訳です。彼らを有効活用しなければ、国家の損失です。特にこれからの日本の成長は、創造型の産業が支えることになり、科学技術の革新が不可欠です。もはや独自技術なしで、単に大量生産でコストをさげて勝負する工業製品では、アジア諸国に適いません。そういう時代ではないのです。だから、街と大学に溢れる博士たちを活かす方法を考える必要があると思うのです。 その最初のシステムはテニュアトラックだと私は思います。


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【 なぜテニュアトラックを活用しないのか その1 】 [政治]

【 なぜテニュアトラックを活用しないのか その1 】

 

理化学研究所が制度を変更し、任期制の研究員を減らし、無期雇用(つまり定年まで勤務できる)研究員を増やすそうです。

https://www.jiji.com/sp/article?k=2018040501081

なるほどね・・・。これは小さいニュースですが重要なことです。

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インターネット上では、すぐにいろいろな意見が登場しました。研究者の身分が保証されることを好意的にとらえた意見は、

1.これで腰を据えて、研究に打ち込める人が増える。長期のテーマにも取り組める。結婚もできるし、将来設計ができる。

2. 身分の不安定さを嫌って理研への就職をためらっていた優秀な人が集まる。

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一方、批判的な意見は、研究の活力がそがれるのを危惧するというものです。

1. パーマネントポスト(定年までいられる地位)を確保するまでが競争になり、その後は仕事をしなくなる人がでてくる。

2. 若い研究者や後輩にポストが回らなくなる。大学などとの人事交流もなくなってしまう。

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実は私の長男からも、理研の問題について聞いたことがあります。

今北海道にいる長男が、大学院生だった頃の話です。ある時、研究室の指導教授と理化学研究所に入った先輩と息子の3人で、徹夜で飲んだそうです。研究者として将来を嘱望されて、理化学研究所に送り込まれた先輩ですが、いろいろ問題があるそうで、彼の悩みや愚痴を、先生と息子がじっくりと聞く形の飲み会だったようです。

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問題の一つは不安定な身分、つまり将来が保証されていないことだそうです。任期制の研究者は、研究を終えた後の自分がどうなるかを常に考えなくてはならず、落ち着いて研究に打ち込めません。期限内に研究をまとめなければ、成果が上がらなかった・・ということで次の段階に進めません。その結果、短期間に何らかの成果が見込める、小さな研究テーマを選び、こじんまりとした仕事ばかりになります。成果がでるかどうか分からない博打のような研究テーマを選ぶこともできません。他にも悩みはたくさんあるようです。理研は仁科芳雄博士が創設した、自然科学では最高峰とも言うべき研究所ですが、「中の人」は、しばしば憂鬱なようです。

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この種の問題は、いろいろな研究機関に存在します。例えば京都大学の山中伸弥教授が所長を勤めるiPS細胞研究所も、研究者の多くは、任期制のスタッフで、その身分は不安定です。考えてみれば、一般の会社の非正規雇用の従業員よりも不安定な立場です。

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所長の山中教授は若い研究員の将来を考えて、いろいろ心を砕いているそうですが、学界の至宝とも言うべき科学者に、部下の人事や就職の心配をさせていいのか?・・とも思います。

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今、多くの研究機関や大学で、研究者や教員の任期制が導入されています。いったん大学の先生になれば、定年まで象牙の塔の上であぐらをかいていられる時代ではありません。

常に競争にさらされ、常に成果を求められ、成果があがらなければ退場です。この厳しいシステムは、プロスポーツの選手の世界に似ています。そして、このシステムは米国から来たのかも知れません。

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米国の大学は、研究型大学と教育型大学に分けられますが、研究型大学の方は常に厳しい競争の世界です。 私は、竜巻博士として有名なシカゴ大学の藤田教授がご存命の頃、シカゴで食事をしたことがあります。私が「アメリカの一流大学で、思う存分、研究に打ち込める人生は素晴らしいし羨ましい」と申し上げたところ、「いやあ、オヒョウさん、そんなにうらやむようなものではないですよ。今でこそ、終身の名誉教授で身分も安定しましたが、若い頃は、3年ごとに契約が見直される立場だったので、それは大変でした。必死で研究して成果を出さなければ解雇される訳ですから、常にストレスがありました」

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物理学と経済学の分野では、野球チームが幾つもできるくらい、ノーベル賞学者を輩出しているシカゴ大学でも、いやシカゴ大学だからこそ、研究者は競争にさらされるのかも知れません。

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米国で発生したトレンドは、時間差を置いて日本でも流行ります。日本でも自然科学の分野では研究者のポスト争いの競争が激化しました。理由は文科省が打ち出した大学院を充実・強化させる施策で、博士課程の定員が増やされ、大量に博士が輩出されるようになったことです。

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その昔(オヒョウが学校にいた頃)、大学院博士課程に進学するのは、医学部や歯学部を除き、ごく一部でした。とびきりの優等生だけが大学院に残るよう慫慂され、残った場合、その学生は順番待ちで教授のポストに到達できる仕組みでした。博士課程を持つ大学も限られ、博士課程の無い地方大学にとびきりの秀才が現れた場合は、留学のように都会の総合大学の博士課程に入りました。

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今、大学院を修了する人は大学に溢れています。そしてそれらの博士たちは、決して多くない無期雇用の研究者のポストを目指します。そしてあぶれたオーバードクター達は、露頭に迷います。

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政府は慌てて、それらの人達の為にポストと仕事を用意しました。例えば学振が用意した博士研究員(学振PD)などがそれで、一般にはポスドクと呼ばれています。ただし、それらは任期制で、期間も待遇も、種類によってまちまちです。総じて不安定な立場であることは間違いありません。そして、最終的に目指す無期雇用の研究者のポストが増えなければ、任期制のポスドクは、時間稼ぎというか、問題の先送りに他なりません。そして大学院で博士号を取得する人は増加傾向にあり、ポスドクの数は増える一方です。

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一方で、大学の教官/教員の採用や人事は、必ずしもオープンではありません。人脈・コネ・縁故・情実で不公平な人事も行われているようです。一応、国立大学(国立大学法人)では、オープンで、広く教官を募っているようですが、問題なしとは言えません。

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入学試験のように、数値化された得点で優劣をつけるのなら簡単ですが、研究者(あるいは研究者の卵)の場合、論文の数や学会発表件数や被引用件数ぐらいしか客観的に評価できません。その内容や質についての比較は難しく、最後は人脈というか人間関係で決まります。これでは、大学に溢れるポスドク達は納得できません。

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ではどうするか?若い研究者を適切に育成し、公平に機会を与え、公明正大に大学教員の採用人事を行うシステムが必要です。それがテニュアトラックです。

 

その具体的な内容については、次号で報告いたします。


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【 卒業式 2 】 [雑学]

【 卒業式 2 】

 

卒業式の会場に向かう地下鉄の車内は、一目でそれと分かる若者達がたくさんいます。女性は華やかな和服で袴を穿いています。足元を見ると白足袋に草履の人もいますが、ブーツを履いた人もいます。「ありゃ? 袴にブーツというのは坂本龍馬みたいだね」と言うと、家内が、「あの装いはね、『ハイカラさんが通る』以降、市民権を得たのよ」と、私には遠い世界の話をします。

今日は春うららの陽気ですが、東北の仙台の3月です。もし天気が悪ければ、袴にブーツというのは名案かも知れません。

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男性陣を見ると、こちらはリクルートスーツと言うのか、新しい背広にネクタイです。藤山一郎の「青い背広で心も軽く・・」と口ずさみたくなりますが、昭和の歌を知っている人は少ないでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=p5sF-QgyfEA

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プロが着付けをした女性陣と異なり、男性陣は、まだスーツが体になじんでいない人もいます。ワイシャツの襟が上着の上に飛び出していたり、ネクタイが曲がっていたりします。

前回ご紹介した、西島三重子の「ローリングストーンは来なかった」にある「まだネクタイが似合わないんだ」という歌詞を思い出します。仙台だけれど、みんなが伊達男と言う訳じゃないのだな・・・。でも誰もが笑顔で楽しそうです。

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会場の入り口付近は卒業生とその家族、見送る後輩たちで大混雑です。はじける笑顔がいたるところにあり、笑い声がどこからも聞こえます。こんなに底抜けに明るくて、ハッピーな空間は結婚式ぐらいです。

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学園を去ることがこれほど嬉しいとは・・。学園生活は監獄生活みたいだったのかな?この大学は宮城刑務所か?とくだらないことを考えます。

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それにしても、卒業式につきものだった湿っぽさというか、惜別の涙などは全くありません。首都圏に就職する人もいるだろうに、みんな友達と別れる寂しさはないのか?学園を離れる寂寥感はないのか?将来についての不安はないのか?

周りを見れば、みんなスマホを取り出して、写真を撮ったりLINEで通信しています。そうか、今の時代、ネットで友達は繋がっており、遠隔地に行っても別れるという実感は無いのだな・・と妙に納得します。

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去年の就職戦線は空前の売り手市場でした。そのお陰で、皆さん希望通りの就職先を見つけ、社会人になる不安はなさそうです。それにしても涙を見せる人は一人もいません。

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数学者の藤原正彦は「アメリカには涙が無い」と語っています。現実にはそうでもないのですが、確かにドライな社会です。アメリカの大学の卒業式もこんな感じなのかな?と想像しますが、アメリカの大学とは無縁だった私には分かりません。

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会場に入ると大学の室内管弦楽団が、ワーグナーのニュルンベルグのマイスタージンガーの前奏曲を演奏し出しました。てっきり大学祝典序曲(その昔、大学受験ラジオ講座のテーマ曲でした)だと思っていた私は、意表を突かれましたが、この曲も厳かで雰囲気にあっています。「しかしマイスタージンガーの前奏曲ということは、これから始まる式典は喜劇だということか?」と、またまたくだらないことを考えます。

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卒業式のハイライトは、総長(学長)の祝辞です。昔から名演説が多くあります。私の母が女学校を卒業した時などは、校長先生から「皆さん、今日からは互いに集って仲良くしないように」という面白い祝辞があったそうです。

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東大の場合、例えば、「太った豚になるよりは、むしろ痩せたソクラテスになれ」とか「諸君、ただ酒だけは飲まないように」という分かりやすいものもあります。残念ながら、完全に太った豚になってしまい、ただ酒となると喜んで参加するオヒョウなどは、実に耳が痛いところですが、まあ、私は東大じゃないからいいか・・と思っています。

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里見総長の祝辞は格調高く威厳に満ちたものでした。祝辞ですから湿っぽい話はできません。自分の定年退官になぞらえて学園を去る寂寥感に触れるぐらいです。

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しかし、それはともかく、卒業生に送る言葉(いわゆるcommencement speech)で秀逸だったのは、スティーブ・ジョブスが亡くなる少し前にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチです。あれを聞いて大いにencourageされた卒業生もいたはずです。

https://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4

彼の演説は、私の会社員生活にも幾らかの影響を与えました。日本語で読んだ後、改めて原文を読みたいと思ったのは、ケネディの演説とジョブスの演説だけです。

スティーブ・ジョブスは「性格狷介にして、人柄に難あり」とされましたが、演説を聞く限り、彼は尊敬に値する男だと思います。

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里見総長の演説も後半は英語で語られ、数多くの留学生に配慮したものになっていました。そういう時代になったのだなぁ・・と思いながら私は会場を後にしました。

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会場の外は、再びお祭り騒ぎで大混雑です。写真を撮る人や胴上げされる人もたくさんいます。トイレに行くと、胴上げされて着崩れたのか、卒業生の青年がネクタイを直しています。やっぱり「まだネクタイが似合わないんだ・・・」ということのようです。

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そこで鏡を見れば、なんと私のネクタイも曲がっています。

「やれやれ学校を出て40年近く経つけれど、僕はまだネクタイが似合わない」と苦笑いしながら、ふと思います。

「でもね君たち、ネクタイが様になって、外見がやたら格好いい伊達男になったとしても、そんなのつまらないぜ。ネクタイで眼底血圧が上がるかも知れないし・・・」

 

そんなことを考えながら、私は帰り道を歩き、地下鉄の駅に向かいました。


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【 卒業式 その1 】 [映画]

【 卒業式 その1 】

 

マイク・ニコルズ監督の青春映画「卒業」は封切りから50年経っても、色褪せない傑作です。原題は「The Graduate」ですから、正確には「卒業式」だという人もいます。私は、卒業生(対象を特定しなければ不定冠詞のAが付きますが、特定の卒業生=ダスティン・ホフマン演じるベンジャミン・ブラドックを指すならTheが付きます)を意味するのではないか?と思います。実際、映画には、卒業式のシーンは登場しません。

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物語は、東部の大学を卒業したベンが故郷に戻り、少しフラフラした後、一つの決断をしてそれを実行する訳で、その流れ全体を、大人に脱皮する一つの通過儀礼と考えるなら、たしかに題名は「卒業」または「卒業式」となります。でもやっぱり、卒業生の方がいいように思いますが・・。まあ、どうでもいいことですが。

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この映画のラストには、ちょっとした工夫があります。

花嫁の奪取に成功し、追手も振り切った安堵感と達成感で笑顔のダスティン・ホフマン演じるベン、彼の愛を確認した喜びと逃避行への期待で微笑むキャサリン・ロス演じるエレイン。普通ならそこで映画は終わるのですが、そうは問屋が卸しません。

監督はなかなか「カット!」を言わず、カメラは長回しを続けます。だんだんダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスは不安になり、笑顔は消え、落ち着かない表情になり、戸惑っている様子です。そこで監督は初めて「カット!」の声を掛け、画面は走り去るバスのお尻に変わり、Endのサインが現れます。

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映画解説者は、さまざまに解釈します。

1.卒業は、終着点ではなく、次の人生の始まりだ。当然、不安や戸惑いもあるはずで、それを表現しなくては「卒業」ではない。だから二人の不安な表情が欲しかったのだ。

2.1960年代のアメリカはベトナム戦争まっさかりで、大学を卒業した青年にも徴兵と戦場が待っている訳で、ノー天気に喜んでいられる時代ではなかった。ダスティン・ホフマンの不安そうな表情は、ベトナム戦争を暗示している。

3.戦後、空前の好景気が続いた米国経済も陰りが見えだし、大学を卒業しても、いい仕事にありつけるか分からない不透明な時代だった。だから監督は敢えて、ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスの表情が曇るのを待ち、それをフィルムに納めたのだ。

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いろいろ意見はありましょうが、未来への不安というのは何時でも誰にでもあります。1960年代に米国の大学を卒業した人だけではないのです。でもそうはいうものの、とりわけ、期待と不安が混ざった複雑な気持ちになるのは学校を卒業する人々でしょう。

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学校を卒業しても、いろいろな思いから社会人になることをためらい、能力があるのに就職しない人がいます。西海岸の実家に帰ったベンもその一人ですし、日本にも昔からいます。

明治時代、夏目漱石が小説に登場させたそれらの人達は高等遊民と呼ばれました。昭和の時代は、慶応大学の小此木啓吾氏がそれらの人々をモラトリアム人間と呼びました。そして平成の現代、彼らの名前はフリーターまたはプー太郎です。

もっとも、現代のフリーターは、高等遊民のように経済的余裕があるとは限りませんし、就職したくてもできなかった不本意な人も多い筈です。

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ではモラトリアムな人達にとって、大学の卒業式はどんな感じなのか? 卒業へのためらいや抵抗はあるのか?

西島三重子が歌う「ローリングストーンズは来なかった」は若者たちの屈折した心情を表現した歌です。大学生(とおぼしき)カップルが社会人になることに、ためらいと抵抗を感じながらも流されていく内容です。この歌では、卒業は必ずしもハッピーではありません。

「ねえ、明日は卒業式ね」という言葉に対して、「まだネクタイが似合わないんだ」と答えます。「ねぇ、髪を切るのは止めて」という言葉には、「もう青春は終わりなんだよ」と非常にネガティブな答えです。私が「『いちご白書をもう一度』型フォークソング」と呼ぶ、それらの作品は、ひたすら暗く、去り行く青春を嘆く歌詞です。

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惜春は俳諧の重要なモチーフですが、惜青春はシャンソンとともにフォークソングの重要なテーマです。もはやそれらの歌は流行りませんが、現代の大学生はどう考えるのか?

そんなことを考えていると、あっという間に新幹線は仙台駅に着きました。

 

以下 次号


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