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【 密かに語る沖縄独立論 その3 】 [政治]

【 密かに語る沖縄独立論 その3 】

 

自然現象を観察していると、小さな存在が大きな存在に呑み込まれる現象によく出くわします。その方が、エントロピーが大きくなるので自然だとも言えます。

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例えば、高温の溶融金属の冷却過程がそうで、生成した微細結晶(エンブリオ)はやがて大型化していきますが、その過程で周囲の小さな結晶を取り込んでいきます。オストワルド成長と呼ばれる現象ですが、別に金属結晶でなくても一般的に観察できます。例えばビールの表面に浮かぶ泡は時間の経過とともに、微細な泡が合体して大きな泡になっていきます。小さな泡が呑み込まれる瞬間に「長いものには巻かれろ」とつぶやくのが聞こえますが、もちろん気のせいです。

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中国のように、大陸にあって、数千年の歴史を持ち、国境とはその都度移動するものだと考える国は、国家もオストワルド成長して当然だと考えています。つまり中国の周辺に存在する小国は、中国に呑み込まれて当然だと考えています。かつてのソ連もそうでした。

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その中国の目の前に独立国家琉球国が登場すれば、瞬時に呑み込まれます。現時点で沖縄の人は中国語を話しませんから、属国あるいは自治領として扱います。そして中国語教育を徹底したあとは、中国の一部として取り込むのです。しかし、琉球の民は本当の中国国民にはなれず二級市民として扱われます。

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別の国ですが、プエルトリコは何時までたっても、米国の自治領で、州に昇格できません。プエルトリカンは二級市民で差別の対象です。州になれない理由のひとつは、公用語がスペイン語で、英語ではないから・・ということです。

中国は、チベットでの北京語教育に全力を挙げ、チベット語の抹殺におおわらわです。ほどなく、チベット語は地上から姿を消すでしょう。そしてチベット族は差別されます。玉城デニーが目指す沖縄の将来も中国との同一化だとすれば、愚かなことです。

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すると、必ず反論がでてきます。「大国の隣に小国があるのはアジアだけではない。欧州の例はどうなのだ?」と言われます。確かに、欧州にも小国は存在します。サンマリノ、アンドラ、リヒテンシュタイン、モナコ、バチカン、ルクセンブルク・・・。

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金属の結晶も、結晶粒界に窒化アルミのように硬い金属間化合物が析出したりしますが、それと似て、欧州の大国の周辺に小国が存在します。しかし、優雅に見えるそれらの小国では独立を維持するために、必死の努力をしています。

隣の大国からの有形・無形の圧力に堪えながら、自己のアイデンティティというか、独立を維持しています。多くの場合、国家元首と言うか、国の象徴となる家系(モナーク)を有し、それを維持することが鍵になっています。

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ずいぶん昔の話ですが、フランスは、豊かで風光明媚な地中海沿いの小国であるモナコ公国を自国に取り込みたくて仕方ありませんでした。様々な圧力をかけ、もしモナコのレーニエ大公と妃のグレースケリーの間にお世継ぎの王子が生まれなければ、モナコ公国はおとり潰しで、フランスに併合するという厳しい条件が付きつけられました。

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モナコ国民は、第一子の誕生を、固唾を飲んで見守り、王子が生まれたと聞いて、大喜びし、そして安堵したとのことです。一見ほほえましいエピソードですが、そんな江戸時代の幕藩体制みたいな前時代的なことが20世紀の先進国でもあったのです。

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沖縄が独立しても、その独立を維持するのは、日本からの独立よりも難しいでしょう。国家と国民の象徴として、旧琉球王朝を担ぎ出す方法もあるかも知れませんが、それは止めた方がよいでしょう。象徴となる王の政治利用は、日本でもタブーです。琉球王朝の先祖は、タマウドゥン(玉陵)の中に静かに眠らせておくべきでしょう。

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実際のところ、現代の中国が昔の琉球王朝に敬意を払い、併合をためらうとはとても思えませんから・・・。

 

以下 次号


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【 密かに語る沖縄独立論 その2 】 [政治]

【 密かに語る沖縄独立論 その2 】

 

大国から小国が分離独立することは稀にありますが、アジアの場合、その理由には2種類あります。第一には、国内での地域差別、いじめが酷く、それから逃れるために独立する場合。第二には、背後に大国が存在してその思惑で分離する場合です。

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第一の例として、私の記憶に残るのは、東パキスタンが西パキスタンと分かれてバングラディッシュになった例があります。その前、西パキスタンは東パキスタンをほとんど植民地化して、搾取していました。それに反発したアワミ連盟が、東パキスタンを独立させてバングラディッシュにしたのですが・・・相変わらず最貧国のままです。

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マレーシアから分離独立したシンガポールも、リー・クアン・ユー氏の「私の履歴書」によれば、マレーシアから冷たく放り出される形で独立した・・とのことですが、経済的繁栄はシンガポールの方が先に享受しています。

インドネシアから東チモールが分離独立した際も、インドネシアからの迫害を逃れて独立・・と日本のマスコミが紹介しましたが、実態はかなり違うようです。東チモールについて書くと長くなるし、本題から外れるので書きませんが、日本のマスコミの説明はだいぶ実態からずれています。

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日本の左派系のマスコミは、中国やロシアに都合のいい独立運動なら、迫害を逃れるための正義の独立としますが、中国やロシアにとって都合の悪い独立運動ならこれを反乱として扱います。例えば、チェチェンがロシアから独立しようとした時、日本のマスコミは極めて冷淡でした。ウィグルやチベットでの独立運動は、無視するか過激派の暴力行為とされます。

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民主化の女神であるアウンサンスーチー氏が率いるミャンマーがロヒンギャ族を虐待しても、彼らに同情して独立運動につなげる発想はありません。一方イラク政府やトルコ政府と対立するクルド人は正義の人達で、パレスチナ独立政府を守るパレスチナ人も正義の人達です。分かりやすいと言えば、分かりやすいのですが、左派系のマスコミの白黒の付け方は単純でかつ愚かです。

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では沖縄の場合はどうか? 玉城デニー氏や翁長氏が考える沖縄独立論は、第一のケース、つまり一方的に虐げられる立場からの脱出です。しかし、それは妥当なのか?沖縄は第二次大戦で筆舌に尽くしがたい困難を経験した悲劇の島であることは事実です。また多くの米軍基地を引き受けているのも事実です。しかし、それをあまりに強調し、日本本土から虐げられている被害者という立場から議論するのはナンセンスです。

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特ア三カ国がそうであるように、過去に被害者であったことや、現在被害者であることを、あまりに強調し、同情をひこうとしたり、物理的な利益を得ようとするのは下品です。私はそれを「当たり屋のふるまい」と呼びます。私の母は「傷痍軍人のふるまい」と呼んでいました。

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沖縄を語るストーリーでは、ヤマトンチュウ(本土の日本人)は、加害者で無責任な悪者であり、アメリカ人は極悪人の犯罪者、ウチナンチュウ(沖縄人)は善良で気の毒な被害者という構図が一般的です。あまりにステロタイプですが・・。

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話を単純化したいマスコミは、日本の米軍基地の7割が小さな沖縄に集中していると言います。しかし、それは本当か?

7割という説明の横に小さな字で、「米軍だけが使用する基地では」とあります。

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先日、私は横須賀の軍港に行きました。この軍港は太平洋沿岸では米国のサンディエゴと並ぶ大規模なもので、もちろん沖縄にはそれに匹敵する軍港はありません。その大半を米軍が使用しますが、自衛隊も一部使用しているので、7割の計算の分母には含まれません。

佐世保の海軍基地も同様です。

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厚木には東洋最大で、米国のミラマーと並ぶ海軍航空隊の基地がありますが、これも計算に入りません。自衛隊が少しだけ使っているからです。岩国にある海兵隊の航空基地も同様です。同じ米国の海兵隊でも、普天間飛行場は計算に入り、岩国基地は除外されるように巧妙に工夫されているのです。三沢の空軍基地も同様です。嘉手納や横田(これは本土)の空軍基地は計算に入れるのに、三沢は入れないのです。

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もし自衛隊や民間航空も共用する基地も計算に入れれば、沖縄に集中する米軍基地は、50%以下になります(面積ベースで)。(それでもかなりの集中度ですが)。しかも沖縄の米軍占有地には広大なヤンバルの演習地が含まれ、これを米軍基地とみなすべきか・・やや疑問です。つまり、7割が沖縄に集中すると声高に語る人達は、沖縄が被害者で米軍と日本政府が加害者であるという構図を強調したいがために、不自然な数字を用いているのです。

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これはつまり、トランプが語るところのフェイクニュースです。沖縄の本当の未来は、過大な被害者意識から脱却するところから始まります。せっかく知事に就任する玉木デニー氏にはそれを期待したいのですが・・・

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では、小国の独立は現実的なのか? それについては次号で考察します。


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【 密かに語る沖縄独立論 その1 】 [政治]

【 密かに語る沖縄独立論 その1 】

 

私は、選挙が終わるまでは、候補者や政治思想についてブログで語るのを慎んでおります。今回の沖縄県知事選挙についても開票が終わるまでは、このブログをアップできませんでした。今、選挙結果が確定し、玉城デニー氏が当選した訳で、それにケチをつけるのは気が進みませんが、私がぼんやりと感じている問題点を下記します。

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世のマスコミは選挙の争点は、辺野古沖への普天間飛行場移転の是非だったと言います。それに賛成か否かで候補者の意見は分かれ、沖縄県民の意思も分かれます。

言うまでもなく、辺野古移設推進派は佐喜真氏で、移設反対派の代表は玉城デニー氏です。

それは確かにそうなのですが、移設反対派については、その根底には別の考えがあります。本当の問題は単に辺野古沖への基地移転問題ではないのです。

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当然ながら、辺野古移転反対派も普天間飛行場の現状がそのままでいいとは思っていない訳で、日本政府がもくろむ、辺野古への移設による基地の近代化と固定化を阻止した後は、普天間飛行場の廃止と跡地の日本への返還を考えている筈です。しかし、それにとどまらず、やがては沖縄からの米軍の全面的な撤退までを視野に入れているのでしょう。

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自国内に外国の軍事基地があるなど、どう考えても不自然で不愉快な事ですから、その気持ちは素朴なものとして理解できます。しかし、その先には、別の思いが透けて見えます。

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以前のフェイクニュースに関する弊ブログで、故翁長沖縄県知事と中国の関係が不明だと語りました。彼が中国政府と何等かの連絡をしていたのは事実ですが、その内容は、彼が墓場まで持って行ってしまいました。でも推測する根拠はあります。

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翁長氏は中国を複数回訪問した後に、ニューヨークの国連総会で演説しています。その内容は、本来沖縄の民族と、日本本土(という言い方も変ですが)に暮らす民族は異なり、別の国であったのに、それが日本に征服され日本の一部に組み込まれている。・・という被害者意識に基づいた説明であり、沖縄独立論を匂わせるものでした。(日本国内では演説の内容はほとんど報道されませんでしたが・・・)。

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この主張は、本来沖縄(琉球)と日本は別の国家・民族であり、沖縄は独立すべきだ・・という中国の主張に沿ったものです。一方、日本政府の考えとは異なり、全く不愉快な演説だったに違いありません。

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本来、国連加盟国の一自治体の首長が、国連総会で演説することなどありえません。太平洋の島国の代表が、例えば、地球温暖化による国土の水没を訴えたり、核実験後の後遺症問題を訴えたりすることはありますが、それは国家の代表として発言するものです。一自治体である沖縄の県知事が、しかも政府の見解と異なる主張の演説をすることなどほとんどありえません。それができたのは、強力な後ろ盾、つまり安全保障理事会の常任理事国である中国が後押ししたからでしょう。

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翁長知事は、その事情を説明しないまま、この世を去りましたが、翁長氏の後継を自ら名乗り、「最低でも県外」と根拠なく提案した鳩山元首相に共鳴した玉城デニー氏ですから、沖縄独立論をこれから展開するでしょう。それは中国にとって極めて好都合なことであり、日本の左派系のマスコミもそれを歓迎するでしょう。

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選挙期間中にデニー氏は、「一国二制度」という」驚くべき制度に言及しています。すでに中国に使嗾されているということでしょうか?

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一国二制度を、実際に採用しているのは中国です。周辺の別の国家を吸収併合した時に激変緩和措置として、2つの政治制度を残す、あくまで便宜的で過渡的な措置です。香港、マカオ、台湾について適用しましたが、チベットやウィグルでは適用せず、中華人民共和国のルールを押し付けました。

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香港を返した英国や、香港市民は、一国二制度は恒久的なものだと信じたようですが、中国はどんどん香港の中国化を進め「あれは過渡的なものさ」と語ります。「だまされた」と気づいても、もう遅いのです。いくら傘をさしてデモしても、民主主義は弾圧され、人民解放軍は送り込まれ、書店の主人は拉致されて行方知れずになるのです。共産主義の中国では民主主義は唾棄すべき存在です。

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その様子を見ている台湾は「その手は桑名の焼き蛤だ」と考えていますが、中華民国政府の存続はだんだん難しくなっていきます。台湾危うし!

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話が脱線しましたが、一国二制度というのは、前述の通り、分離独立する際ではなく、吸収統合する場合の便宜的処置です。玉城デニー氏は、沖縄を独立させたいのでしょうが、その場合に二制度とは?理解に苦しみます。一体何をしたいのか

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天皇を象徴とする現行憲法を廃したいのか? 通貨を日本円でなく沖縄人民元にしたいのか?公用語を北京語にしたいのか?それともひょっとして自動車を右側通行に戻したいのか?

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確実に言えることは、幾つかあります。まず日本を離れたら、その瞬間に沖縄はド貧乏国になります。日本政府からの地方交付税がなくなる分を、新たに徴税することはできません。米軍基地の見返りとして政府から支給される予算もなくなります。米軍基地を追い出せば、米軍から落ちるお金も入りません。

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沖縄は日本への施政権返還以降、他の都道府県より多くの予算が注ぎ込まれましたが、しかし県民の生活はあまり豊かになりません。県民所得が一番少ないのは沖縄県、失業率が一番高いのは沖縄県、高校進学率、大学進学率が一番低いのも沖縄県、医学部が最後まで無かったのも沖縄県、人口当たりの医師数が一番少ないのは沖縄県・・・・。一体、多くの予算を貰いながら、これまで沖縄県の行政は何をしていたのか? 県知事は、米軍基地反対を叫ぶだけで、建設的な政治・行政を何もしてこなかったのか?観光以外にめぼしい産業が無いのはなぜか?

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おそらく、玉城デニー氏も米軍基地反対だけを叫び、他の事はしないでしょう。しかし、仮に、彼とその支持者が望む、一国二制度の仕組みの後、沖縄独立が実現したとしても、そのままでは済みません。軍事力と政治力の空白ができたら、その瞬間に入ってくる国があります。それは中国です。これは単に中国が周辺の国を取り込む膨張主義だからではありません。宮古島の海峡は、中国海軍が太平洋に進出するために通らざるを得ない海峡であり、また波照間島や与那国島は、台湾進攻に必要な存在です。中国は沖縄が欲しいのです。

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それに迎合する玉城デニー氏は、中国とどうつきあうのでしょうか?

 

それについては次号で・・。


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【 最低賃金論 その2 】 [政治]

【 最低賃金論 その2 】

 

意見はいろいろありましょうが、賃金は職種や職能によって異なります。 最低賃金とは誰でもできる(というと語弊がありますが)非熟練の作業を前提とし、非正規の使用人が対象となるものです。

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日本では、それらの職種の賃金が、安すぎるのは事実であり、これは改善する必要があります。 具体的には・・・・。

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ある賃金が高いか安いかを議論する場合、外国との比較、他の職種との比較など、いろいろな見方ができますが、憲法で保障された、健康で文化的な最低限度の生活を営む上で必要十分かという点も重要です。

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ここでいう「最低限度の生活」というのは飢え死にしない程度・・・という北朝鮮級のレベルではありません。ちゃんと結婚して家庭を築き、子育てをして、次世代に子孫を残し、かつ貧困の連鎖を断ち切れるレベルです。 「年越し派遣村」で有名な法政大学の湯浅誠教授が提唱する「タメのある生活」を実現できる生活水準です。普通にまじめに仕事をしている人達なら、普通に幸福な生活をする権利があるという発想です。

最近は、幸福追求権なんて変な言葉を使いますが、昔からあった考えです。

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なぜ、今、それが重要かと言えば、日本で長く続いた、就職氷河期に学校を卒業し、正社員として就職できなかった人たちが、派遣社員や非正規の勤労者のまま、40代を迎え、マスジェネレーションとして存在するからです。 それらの人たちには、不本意な形で、非正規の勤労者になり、本来最も充実した社会人であるべき時期に、最低賃金額が影響する仕事に就いている人も多くいます。

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非正規であることは、単に手取りの収入金額が少ないことだけではありません。 技術や技能を身に着け、昇進し、責任ある立場になることが望めないということでもあります。 正規と非正規の違いだけではありませんが、職種・職能の違いは至るところに存在し、注意深く眺めれば目に見えない問題が格差として見えてきます。

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例えば建設現場。

手っ取り早く就業でき、特に資格がいらないとび職、鉄筋工などの人々、資格を持つ専門職だが必ずしも組織には属さないクレーン運転士などの専門職、終身雇用の大会社の社員であるゼネコンの職員・・・。実に多くの雇用形態が存在し、働く人の待遇はさまざまですが、すべての人が揃わなければ、工事は進まず、建築は完成しません。

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病院や療養施設も同じです。

組織の頂点に立つ医師、専門職の看護師やその他のパラメディック、低賃金がしばしば問題となる介護職の人々、その介護職も資格によって、何段階ものヒエラルキーが存在します。もちろん給料には大きな開きがあります。

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同じ施設で働いていても、それぞれに待遇は異なり、生涯所得も大きく異なります。 様々な職種の中で最も所得の少ない人の賃金をまず上げる必要がありますが、組織あるいは職場の中の格差や階層を無くすことは現実的ではありません。

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格差や所得差が残るなかで、いたずらに最低賃金をいじっても限界があります。あとは本人次第と言うと、正確ではありませんが、本人がより高収入の仕事や、より責任の重い仕事にチャレンジできる環境を作る方が重要なのではないか?と思います。

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雇用の流動性を確保し、労働需要の変動に対応できる社会が必要です。働く人の立場から言えば、何歳でも、何時でも、新しい仕事や資格にチャレンジして未来を切り開ける社会が必要です。社会に活気が戻り、人々も生き生きとする社会を目指すべきです。それは具体的にはどういうことか?と言えば・・・。

 

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例えば、建設工事現場でとび職や玉掛作業をしている職人が、クレーン運転の免許を取ってクレーン運転士になりたい・・と言ってくることがあります。クレーン運転士の不足に悩むクレーン会社は、その申し出を歓迎し、運転免許取得を応援します。働く本人にとっても、より高度な資格を得て、新しい世界を切り開ける訳ですから、これはすてきなことです。しかし、これは職業全体でみると稀な事例でしょう。

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海外の人気ドラマERの主役の一人は、看護師から医学生になり、今は医師として活躍しています。日本では看護師から助産師になる人はたくさんいますが、看護師が医学部に入って医師を目指す例は少ないようです。 司法書士になった人が弁護士になる例も少ないようです。

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それは一旦職業人になったら、別の職種にチャレンジするだけの時間的、精神的余裕がないからでしょう。政府が推奨するリカレント教育も、一般教養を深める学習が中心で、職種の変更に役立つ専門教育が対象ではないようです。

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最低賃金の引き上げによる、勤労者の報酬の底上げも重要ですが、各個人が自分でステップアップして高賃金の職種に移れることも重要です。

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学校を卒業した後の最初の就職で一生が決まるような社会の仕組みは、もはやナンセンスです。

今、社会に活気があり、経済成長率も高い国では、労働力も流動的であり、勤労者も複数の職種を経験します。「職業を転々とする」という表現では、どうも辛抱が足りない人、或いは、どの職場でも通用しなかった人・・というニュアンスになりますが、これからは、より高賃金、より大きな責任を負う仕事にステップアップする、ポジティブな場合が一般的になるでしょう。

ちょうど、“A rolling stone gathers no moss”に悪い意味といい意味の2種類があるように・・・。

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日本の少子高齢化による労働人口の減少は、もはやプラスの経済成長を維持するのが難しいほどになっています。労働人口の絶対数を増やすのは困難ですが、せめて雇用のミスマッチ(産業界が必要とする人材がいない)を解消するために、勤労者の再教育と、転職・職種転換の機会を、行政は確保すべきです。 勤労者(とりわけ就職氷河期を経験して機会を得られなかった人々)を豊かにするためには、最低賃金の底上げより、その方がずっと重要だと私は考えます。 

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産業の競争力や、労働分配率のバランスも失業率も考えず、ただ闇雲に最低賃金を上げる愚は、隣の国の大統領に任せておけばいいのだ・・と私は思います。


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【 最低賃金論 その1 】 [政治]

【 最低賃金論 その1 】

 

アベノミクス・・・以前にも書きましたが、国の政策に自分の名前を付けて自画自賛するのは、どうもいただけません。かつて米国でレーガン大統領が推進した経済政策・・減税を進め、小さな政府を目指し、サプライサイドを重視した政策をレーガノミクスと呼びましたが、これは他の経済評論家などが名付けたのであり、レーガン自らそう呼んだ訳ではありません。安倍首相が自分の考えや政策を従来の経済政策と区別して説明するのは結構ですが、自分が率先してアベノミクス・・と呼ぶのはどうもねぇ。自分自身をレーガン大統領になぞらえて考えるのも全くいただけません。

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そのアベノミクスの評価は、人によって違います。どの指標を取るかで評価が分かれる訳ですが、地方創生というか、地方経済の活性化にこだわる石破氏などは、さびれる一方の地方経済を目の当たりにして、どうしても批判を強めねばならない・・というところでしょう。

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一方、有効求人倍率をみると、ここ数年は大幅に改善されています。新卒者の就職事情をみると、空前の売り手市場で、学生は好きな会社を選べる状況です。デフレが続いた時代の就職氷河期が嘘みたいです。地球温暖化は困るが、就職戦線の温暖化は大歓迎・・という学生もいます。アベノミクスさまさまです。

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学卒のホワイトカラー以上に求人難なのは、現業の人たちです。トラックの運転手が足りず、日本国内の物流に支障がでています。建設現場では、人手不足のために、プロジェクトに遅れがでています。本当はオリンピックまでに完成したかった一部の建設プロジェクトが後回しになり、オリンピック以降に取り組むことになっています。肝心のオリンピックに間に合わないのは残念ですが、建設業界としては、仕事量が平準化され、オリンピック後の落ち込みが緩和されるので、業界の中には歓迎する人もいます。

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製造業の生産現場の人手不足も深刻です。製造業離れ、3K職場敬遠の中で、工場には若い人が集まらず、本来なら年金生活を楽しむはずの70歳のベテラン工員が、辞めるに辞められない状況です。こんなことは、高度成長期にもバブル経済の頃にもありませんでした。

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そこでふと考えます。こんなに人手不足で、求人難なのに、給料が上がらないのはなぜか?

ノーベル経済学賞を受賞したルイス教授の学説では、近くに潤沢な労働力の供給源がある場合は、経済が好調でも賃金は上昇せず、人手不足になって初めて賃金水準が上昇する・・とのことです。なんだか当たり前の話で、これでノーベル賞が貰えるのか?と思うのは、いまだ日本が経済学賞を受賞できず、かつ私がノーベル賞学者を輩出していない学校の卒業生だからかも知れませんが・・。

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それにしてもルイス教授の学説では、人手不足が深刻化している日本では、賃金が上昇してもいいはずです。それに賃金を決定するもう一つの要因である、企業収益も好転しています。東証一部上場の大企業の半分近くは、過去最高の好決算を出し、内部留保の金額も最大になっているのです。

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それなら、「少し働く人にも分け前をよこせよ!かつて盛んだった労働分配率の議論があまり聞かれないのはどうしてなのか?」と言いたくなります。その労働分配率の議論があまりないのは、本来労働者の味方であるはずの革新系の野党が、小党に分裂し、ひたすら弱いからでしょう。自民党が圧倒的に強く、なかでも安倍一強という状態だからかも知れません。

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しかし、それ以外にも理由はあります。

賃金上昇を決定するもう一つの要因は、経済成長率ですが、安倍政権下の日本は本当にGDPが増大しているのか??少し微妙です。バブル崩壊後やデフレ時代のマイナス成長に比べればましですが、プラス成長といっても3%未満の値では、本物の経済成長とは言えません。為替相場いかんでどうにでもなり、ドルベースでは違う値になります。前述の空前の人手不足も、少子高齢化で労働人口が急激に減り出したためと考えれば、ルイス教授の学説とはあまり矛盾しません。賃金は必ずしも上昇するとは言えないのです。

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だから賃金が増えなくても文句が言えないのか?・・と納得する訳にはいきません。解決可能な問題もあり、手が打てるはずです。行政は、自治体ごとに最低賃金の金額を設定し、これを毎年改定しています。自治体によって異なりますが、昨年の最低賃金上昇率は最高でした。経済を自然に任せておいても、なかなか勤労者の所得が増えないので、法律で縛って底上げしてやろう・・という発想です。

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これは労働者を保護するものですが、この方法には問題がたくさんあります。一つは最低賃金法が規定するのは、あくまで最低額のガイドラインであり、平均的な給与所得者の賃金に与える影響は限定的だということです。もう一つは、地域間格差の問題です。この法律は地域によって賃金水準が異なることを認めるわけで、そうすると、雇用は低賃金の地域に流れます。私はシェンゲン協定が成立する前後のEUを眺める機会がありました。シェンゲン協定によって、EU域内の人の移動が自由になると、賃金水準の低いスペイン人のトラック運転手は、フランスで引っ張りだこになりました。一方賃金の高いフランス人運転手のトラックは商売あがったりになり、EU政府に泣きつきました。

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日本でもトラック運賃の地域差はあるようですが、トラック運送業界で問題は顕在化していませんし、製造業でも、沖縄の最低賃金額が東京のそれより低いから・・といって、すぐ工場が沖縄に移動することにはなりません。しかし、地域間格差を肯定してしまうことは、やがて禍根となりえます。

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もうひとつ、賃金を国家権力が恣意的に操作することの問題です。本来は市場経済の合理性というか「神の見えざる手」が経済をバランスさせる訳ですが、国家権力が深い思慮無しに介入すると失敗します。その一つが韓国の例です。

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韓国の文大統領は、以前から国民の間の所得格差が大きいことを憂い、かつ一部の財閥だけが儲かり、零細企業が取り残されている韓国経済をなんとかしたいと思っていました。その志はよいのですが、それに加えて、韓国人のエトスとも言うべき日本への対抗心から、最低賃金を日本のそれより高くする政策決定をしました。具体的にはソウルでの最低賃金は1時間1万ウォン(=1000円)です。

「ついに賃金水準で韓国は日本を抜いた。ワハハ」

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安倍政権を貶すことを生き甲斐にしているかのような元通産官僚の古賀氏は、それをもって、「ついに韓国は日本を抜いた。安倍政権の経済政策はダメだ」と主張しています。

https://dot.asahi.com/dot/2018072100022.html

しかし、その結果、韓国は大変なことになりました。

最低賃金が上がったために、労働コスト増を製品価格に転嫁できない零細企業は人を雇えなくなり、倒産や解雇が増え、失業者が増大しました。人を減らした企業に残った勤労者には、著しい労働強化が待っていました。一方、製品価格に転嫁できる会社は製品価格を上げたために、国際競争力がなくなり、韓国の輸出産業は弱くなりました。韓国国内では失業率が上がったのに、物価は上がる状況になり、一歩間違えば、景気の後退と物価上昇が同時に進むスタグフレーションになります。

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もともと韓国では若年労働者の失業率が高く、国家経済の宿阿と言うべき状態だったのですが、さらに失業者が増えます。大学を出ても、就職できず、(コンビニが潰れたために)コンビニの店員にもなれない・・というバカげた事態になりました。

http://news.livedoor.com/article/detail/14178518/

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日本の大手企業では、長い間、ベースアップは、労働生産性の向上分にとどめる方針が春闘での暗黙の了解になっています。しかし、韓国の賃上げは生産性の向上代とは無関係であり、賃上げさえ実現できれば、会社が潰れても構わない・・・という無茶な方針で賃上げ闘争を行います。

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最低賃金だって、ひたすら上げればいいというのなら簡単です。時給1万円だって、時給10万円だって構わないのですが、それで経済が回らない場合、かえって国民は貧しくなります。文大統領には、その点が理解できなったのかな?

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韓国はともかく、日本で賃金水準を上げ、かつ失業率を低く維持し、好景気を維持するにはではどうすればいいのか?

 

ポイントは、雇用の流動性と、求人側と求職側のミスマッチの問題です。

それについては次号で


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【 おから奨学金の提案 】 [政治]

【 おから奨学金の提案 】

 

最近、学生時代に借りた奨学金が返済できず、自己破産する若者がいるそうです。

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3815/1.html

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「本当かね?」私がそう話しかけた相手は、畏友Y君です。実はY君も私も母子家庭で育ち、日本育英会の奨学金を貰って学校を卒業しました。特別に成績が優秀なY君と、特別に貧乏だった私は、特別奨学生となり、返済は半額免除だったのです。だから社会人になった後、返済に特に苦労した記憶はありません。しかし、今問題になっている奨学金は、そんなレベルではありません。

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Y君は「そりゃ大人が悪いのさ。返せるかどうか判断できない高校生に、甘いことを言って、法外な金額を貸し付けて、後で取り立てる。奨学金と言えば聞こえはいいが、こりゃあ悪徳金融の手口さ。普通に考えれば、大学進学が難しい子供に、バラ色の学生生活を紹介し、君も奨学金を貰えば、その大学生活が手に入り、卒業後は大卒として就職できる・・と言葉巧みに借金をさせるのだから、あこぎなことさ」と語ります。

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名前は伏しますが、別の知り合いは、もっと辛辣な言い方で、この問題を評論します。

「そもそも優秀な学生には、然るべき奨学金制度や学費減免制度などがあって何とか進学の道は開け、問題は無い。一方、本来大学に進むべきではない学力の生徒が無理して大学に行こうとすれば、お金のかかる私大に入るしかない。それでも親に経済力があればいいが、そうでなければ大学が用意する高額の奨学金に頼ることになる。しかし、返済時の負担は非常に大きい。一流大学ならともかく、Fランクの大学なら、いい就職も難しく、高収入は得られない。その結果、自己破産の憂き目にあう。これは一種の自業自得ではないか?経営の厳しい私立大学が、何としても学生を集めたくて、罪作りな奨学金制度を作ったのも悪いが、返済の見通しも立てずに借金する本人、そしてその親も悪い」。

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この理屈は、分からないでもないのですが、私にはひっかかります。成績の悪い生徒は大学に行くな。あるいは経済力の無い家庭の子は大学に行くな・・と言っているのと同じだからです。

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本来、教育とは初等教育から高等教育まで、国民にはそれを受ける権利があり、基本的人権の一部だと私は思います。まして幸運にも大学で学ぶ機会を得た人が、他の人に、「あんたには大学に行く資格はないのだよ」と語っても説得力がありません。鼻持ちならぬエリート意識という程ではありませんが、抵抗を感じます。

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翌日、山手線の電車の広告を眺めて気づきました。壁に、無名のというかFランクの大学の入学案内が貼ってあります。公園のようなキャンパス、近代的でスマートな校舎をバックに、清楚な女子学生が、本を胸に抱えて微笑んでいる写真です。右下には奨学金制度完備とあり、年額百数十万円が貸与されるとあります。これなら、確かに、親に頼らなくても、奨学金とバイトで大学生活がおくれそうです。でも返す時には、ざっと六百万円が必要になります。そして失礼ながら、Fランクのこの大学からは一流企業への就職は難しいでしょう。文字通り、「大学は出たけれど」厳しい社会が待っています。

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私学の経営の厳しさは分かりますが、これじゃ悪徳金融に近いじゃないか・・と思ったところで、気づきました。広告が貼ってあるところは、少し前までサラ金の広告が並んでいた場所です。同じ場所に同じように「民を網する」広告が並んでいるのです。

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ではどうするべきか? 所詮Fランクの大学など・・と馬鹿にするのは馬鹿者です。大学に行きたい少年の夢を何とかかなえ、そして人生に躓かない方法を考える必要があります。

やっぱり「出世払い」の仕組みの奨学金が必要です。

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そこで、私が思い出したのは、講談や落語でおなじみの「徂徠豆腐」です。これこそが、「出世払い」の奨学金の元祖だと私は思います。例によって、無粋を承知で粗筋を申し上げます。

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江戸時代の儒学者で、将軍の諮問役まで上った荻生徂徠は、若い書生時代、貧しい生活を送っていました。ある日、空腹に堪えかね、豆腐屋で無銭飲食をします。しかし、豆腐屋は苦学生の徂徠に同情し、かつその将来を見込み、無銭飲食を許すと同時に、何時でも食事してもいいことにし、その払いは出世払いとします(実質的には無料です)。但し、毎回豆腐という訳にはいかず、豆腐を製造したカスであるオカラなら何時食べてもいいよ・・という条件です。

時は流れ、ある時、その豆腐屋の前に立派な駕籠が到着し、中から出世した荻生徂徠が降り、恩のある豆腐屋に報いた・・という話です。私が奨学金制度の元祖と考える話です。

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実は、そこで話は終わりません。荻生徂徠は、火事で焼け出された豆腐屋に店の再建の資金を提供しようとしたのですが、吉良邸討ち入り後の赤穂浪士に同情する豆腐屋は赤穂浪士全員の切腹を進言した徂徠に反発し、彼の援助を拒否します。そこで、徂徠は豆腐屋に彼の考える刑事罰の理屈を説いて納得させます。当時、巷で人気があった赤穂浪士の賛美助命論を否定した徂徠は、ある意味で悪役だった訳ですが、「徂徠豆腐」では、彼の主張を紹介することで、彼を擁護し、幕府の判断におもねる形となっています。

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赤穂浪士の処分について、当時の学者達の意見が真っ二つになり、大きな議論になったのは事実のようです。

赤穂浪士を賛美し、助命嘆願する側に回ったのは、新井白石に取り立てられた室生鳩巣らです。一方、朱子学の教条主義的な側面を重視した荻生徂徠らは、処刑を主張します。巷に人気があったのは、前者の室生鳩巣らです。私自身は郷土である金沢に縁がある室生鳩巣に肩入れしたくなりますが、今考えると別の見方ができます。

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当時は刑法のよりどころとなる倫理学が確立されず、情状酌量の考えや被害者の処罰感情などをどう量刑に反映させるかが、決まっていなかったようです。その結果、刑法学的な発想からは遠い武士道の倫理観や庶民感情によって、判断が流されることを荻生徂徠は警戒していたのかも知れません。

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話が脱線しましたが、近代的な法体系が確立して百数十年が経つ日本でも、まだ法律に不備が残っているように思えます。例えば、民事の問題ですが、前述の「出世払い」というのは、金銭の貸借契約では非常にあいまいでやっかいな問題があるようです。

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ある時払いの催促無しというのは、本当の貸借と言えるのか? 実質的には贈与ではないのか?返済を求めうる条件を具体的にどの様に規定するのか? 難しいことだらけです。

私が提案したい「おから奨学金」とは、豆腐屋が荻生徂徠に提供した食事に想を得たもので、「出世払い」型の貸与奨学金ですが、よく考えると法律的に詰めるべき点が多すぎて、簡単ではないみたいです。思いつきの「おから奨学金」の実現は困難です。

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それならいっそ、安倍政権が提案する「給付型奨学金」の充実の方が手っ取り早いのも事実です。しかし、そうなると大学に進学しない青年との不公平が生じますし、国庫財政にも負担となります。はてさてどうしたものか?

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皇室の某内親王と婚約した「海の王子」は、「出世払い」に近い形で提供された借金を踏み倒したと言われ、スキャンダルになりました。その彼は、スキャンダルを逃れるかのようにアメリカに留学しますが、今度はその費用を誰が出すのか‥憶測が飛んでいます。

問題がこじれたのは、「出世払い」という古くからある、日本の美徳ともいえる援助制度を、法律で明確に規定してこなかったからです。銀の匙を咥えて生まれてきたような、日本の政治家には、奨学金は無縁の存在かもしれません。しかし、彼らの怠慢は今問題として顕在化しています。三百年前の荻生徂徠が聞いたら、いったい何というでしょうか?


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【 農業のメタモルフェス その2 】 [政治]

【 農業のメタモルフェス その2 】

 

完全にコンピューター制御されたオランダの農園は、しばしばTVに登場しますが、コンピューターシステムは、単に作物の栽培環境を最適に制御するだけではありません。各作物の需要動向を随時把握・予測し、市場で必要とされるものを、最も価格が高い時期に出荷し、利益の極大化をもたらすのも、コンピューターシステムです。農業が一番遅れていたマーケッティングにおいて、優れた成果を出しているのです。

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残念ながら、この分野では日本は遅れています。その理由はこれまで稲作に極度に依存した日本の農業構造にあると思います。柳田國男の時代、コメは絶対的に足りず、コメを作れば売れました。そして戦後の日本で長く続いた食管制度は、営農家が本来持つ顧客志向のマーケッティングの感覚を鈍麻させました。無理もありません。とにかく、国との契約で作った分だけ自動的に決められた価格で買ってもらえるのですから。

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しかし、本来的に農業経営とは先物市場を睨んだビジネスでなければなりません。種を播いてから収穫までに数カ月あるいは半年を要する農業では常に先を見越す必要があります。POS(販売時点管理)で、その瞬間に市場が求めているものを把握し、手配すればいい小売業とは違い、より高度な判断が求められます。

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天候に左右される農業では、先のことは誰も分からないよ・・と考える人もいますが、それは違います。今は長期の天気予報もかなり正確です。世界中の農地の直近の作柄状況も人工衛星の情報等でかなり正確に把握できます。各作物の収穫高あるいは供給量は月単位でかなり正確に予測できます。 問題は需要家動向です。都市近郊型の農業では、今、どのような野菜が売れるのか?どの料理が流行しているのか?といった事情を把握して、タイムリーに市場に投入する必要があるのです。

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以前に見たTVニュースでは、北海道で搾ったばかりの牛乳をこれみよがしに捨てていました。牛乳の消費が伸びず、せっかく搾った牛乳を廃棄せざるを得なくなったのです。消費量が伸びないのなら、搾らなければいいではないか?と思いましたが、そうもいかず、乳牛の場合、適切に搾乳してやらなければ、健康を害するのだそうです。だから仕方なく搾り、そして捨てていたのです。

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そういえば、製鉄所の高炉も似たところがあります。景気が悪く「鉄冷え」の状態になっても、高炉は安定操業のために、一定量の銑鉄を生産し続ける必要があります。近年は減風や短期休風という技術で出銑を抑えることもできますが、下手をすれば、高炉が冷え込み、大トラブルとなります。仕方なしに銑鉄を作り続け、それらは型銑やスラブといった鋼の中間製品で、ヤードに積まれることになります。

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私などは、捨てられる牛乳を見ると、もったいなくてたまりません。日本は大陸の諸外国に比べ、乳製品の消費量がまだまだ少なく、しかも高価です。乳製品の輸入に関税をかけて制限し、国内の価格を高く維持する一方で、牛乳を捨てるなんて! 一体、誰が得をするのだ? 新鮮な牛乳は確かに日持ちがしませんが、バターやヨーグルト、生クリームやスキムミルク(脱脂粉乳)、チーズに加工すればいいではないか?

実際にはバターやスキムミルクの供給量は、行政がコントロールしていて、常にバランスを考える必要があるのだそうですが、それでも私には理解できません。「捨てるくらいなら、僕にくれ!僕はチーズもバターも大好きなのだ!・・脱脂粉乳はそれほど好きではないが・・・」と言いたいところです。

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同じようなことは、野菜でもあります。キャベツの市場価格が暴落して、出荷しても輸送費も出ないと嘆く農家はこれみよがしに、トラクターで畑のキャベツを踏み潰します。

どうしてそんなことをするのか?これは食べ物に対する冒涜ではないか?

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TVニュースでは、農産物の価格は天候などで左右される訳で、豊作貧乏を避けるために、価格の暴落時には行政からの支援が必要だ・・と訴えています。

農業の強い国も弱い国も、自国の農業を保護するために、大なり小なり補助金を出しています。 これを否定することはできません。しかし、本来補助金は一時的な緊急避難処置であるべきです。自由化で輸入品が急増した場合の対策としては有効ですが、長期的に用いるものではありません(これは麻薬と同じです)。

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ではどうするべきか?

補助金の代わりに、農業のIT化あるいはAIの導入にお金を回すべきです。計画的でロスがない生産管理と、価格の安定をもたらす出荷管理を、AIを使って実現するのです。その投資は、日本農業を強靭化するのに役立つ訳で、単なる損失補填の補助金より有用です。

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先物相場の予測へのAIの応用は、すでに金融業界で実現しており、農産物の価格予想は、その派生型で対応できます。さらに現場作業の省力化にも役立ちます。

例えば機械化・自動化が進むジャガイモの生産現場では、選別作業だけが人手による作業として残り、ネックになっていました。しかし、この選別作業は、AIの得意とするところです。農業に応用した事例はすでにあります。

例えば、キュウリの選別作業には、すでにAIが用いられています。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/051100577/?n_cid=nbpnbo_mlpum

囲碁で驚異的な強さを誇るアルファ碁のアルゴリズムの応用だそうです。これを使えば、多くの作物で面倒だった収穫物の選別作業が自動化できそうです。

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第二次産業の製造業は、過去50年以上、合理化と効率化、品質確保に心血を注いできました。これからは農業で改革が進む番です。AIを使えば、牛乳を捨てることも、キャベツをトラクターで踏みつぶすこともなくなります。天候不順の時期に高騰した八百屋の野菜を前にため息をつくこともなくなります。

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TPPの議論の以前から、日本の農業は言い訳の産業でした。 コメも、畜産も、小麦やトウモロコシ、大豆でも、所詮、広大な作付面積を誇る米国やカナダ、オーストラリアに敵わないのは当たり前さ・・・と。しかし日本より稠密な人口密度を持ち、国土も広くないオランダの農業に、日本が敵わないとすれば、言い訳はできません。オランダはハイテクを駆使して規模で勝負する大陸国家の農業に伍しています。ロボット技術に優れた日本も同じ対応ができるはずです。TPPは太平の眠りを貪っていた日本の農業を目覚めさせる黒船だと、理解すべきです。

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日本の農業に競争力がよみがえり、魅力ある産業になれば、多くの人が集まるようになります。都市に人口が集中し、農村が過疎状態になるいびつな人口分布も改善されます。

きっと若くて優秀な営農家が、野良仕事に出る時、90年前の宮沢賢治と同じく、「下の畑におります」と書くでしょう。 ただし、それは黒板に書くのではなく、多分LINEか何かに書くのでしょうが。


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【 農業のメタモルフェス その1 】 [政治]

【 農業のメタモルフェス その1 】

 

畏友Y君からもらった東北地域農政懇談会作成の報告書を読むと、いろいろなことを考えさせられます。 

食と農の復権1s.png 食と農の復権2s.png

この冊子が編集されたのは平成14年とありますから、15年ほど前ですが、内容は今でも通用します。中国の経済力の台頭やカロリーベースで考える食料自給率の問題点等、現在クローズアップされている問題がこの報告書ではすでに言及されています。ということはこれを書いた人はそれだけ先見性があったということか・・・。あるいは当時最先端の話題を取り上げたコンテンポラリーな報告書だったということか・・・。

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最初にひっかかるのは、題名と副題です。題名は、「産業としての食と農の復権」、副題は「東北の食と農の再生」です。

そうか、「復権」とか「再生」というからには、やはり東北地方の「農」は衰えていたのか・・・。

この資料が仙台で編纂されたのは、前述のとおり、東日本大震災の前です。つまり大震災の前から、東北の農業は衰えていて、「復活」すべきものだったのです。

・・・・・・

20世紀の時代、近代化の過程あるいは社会や国が豊かになる過程とは、産業が第一次産業から第二次産業、第二次産業から第三次産業へとシフトする過程でした。跡継ぎになれない農家の次男、三男は、都会に出て、第二次産業や第三次産業に従事した訳ですが、結果的に国家と産業を近代化し、国を富ませる結果につながりました。

現在、世界が、先進国と途上国、豊かな国と貧しい国に分かれているのは、この産業構造のシフトに国によって時間差があったからとも言えます。

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当時、第一次産業より第二次産業、第二次産業より第三次産業の方が、生産性が高く、だから就労者も社会も豊かになれると思われました。学校を卒業して就職する時も、人気があるのは第三次産業です。大自然を相手にする第一次産業は3Kの典型ですし、収入も第三次産業より少ないとなると、人気がなく希望者は少なくなります。その仕事を志す人が少なくなり、優秀な人が集まらなくなると、一定の時間差で、その産業は衰退します。

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1990年代の米国の製鉄産業がまさにそうでした。産業に魅力がなくなり、優秀な人が来なくなると、ますます産業は衰退するという悪循環が進行しました。

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では日本の第一次産業 つまり農業はどうだったか?と考えます。

失礼ながら、東北地方の農業は長い間、魅力ある産業とは言えませんでした。「復活」と「再生」が必要な存在でした。

かつて農学校の教員をしていた宮沢賢治はそれに悩みました。教え子たちが卒業後に従事する農業は苦しみと悩みの多い仕事であり、宮沢賢治はその彼らに農業の喜びと楽しさを教えようとしましたが限界がありました。自分だけ教員というホワイトカラーを続けていていいのか?と悩んだ結果、彼は職を辞し、みずから農民となり畑を耕しました。そうして、彼の住まいの玄関には、「下ノ畑ニオリマス」という札が下がった訳です。

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しかし、今は違う観点から、農業を魅力あるものにする試みが進んでいます。

一つは技術革新の観点から、そしてもう一つは経営者の観点からです。Y君からもらった報告書に登場する話は主に経営者の観点から農業を変革するものです。

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経営の近代化とは、ビジネスモデルの変革であり、情報を有効活用する経営への転換です。そこにはIT技術がふんだんに使われ、マーケティングの良し悪しが経営の浮沈を握ることになります。それはもはや素朴な第一次産業とは言えない訳で、第三次や第四次産業と言われる情報産業と融合した存在です。東大教授だった今村奈良臣氏は、その新しい産業形態を、第一次と第二次と第三次を掛け合わせた新産業として第六次産業と呼んでいます。

(このネーミングにはなんとも首を傾げますが・・)。

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21世紀の現代、昔と同じように、産業を第一次、第二次、第三次と分類するのはナンセンスかも知れません。そして、それらの垣根を取り払い、融合させた産業の形態に新たな成長の可能性がある・・と識者は説きます。

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最初に変革を遂げ、そして現在も進行中なのは、第二次産業の工業です。オートメーションによる大量生産が脚光を浴びたのは1980年代までです。それだけでは、労働コストの安い中進国に負けます。IT化によって、在庫を持たないリーンな生産方式を実現し、製造時間の短縮や歩留まりロスの極少化を実現し、さらに多品種小ロットに対応した顧客志向の生産システムでなければ、メーカーは生き残れません。その世界は、従来の製造技術の世界とは全く違う、システム工学の世界です。

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日本では最近、全てがインターネットにつながった「IoT」を盛んに宣伝していますが、この分野の先駆けとなったのはドイツです。ドイツが提唱する「インダストリー4.0」は、成果を挙げていますが、現在も進行中でもあり、ドイツ製造業を復活させるだけでなく、世界の第二次産業を全く違ったものにする可能性があります。もはやその時点では、第二次産業と呼ぶべきではありませんが、新しい名前はまだありません。

知識集約型で、高度な専門技術を用いて付加価値を高める製造業を、第五次産業と呼ぶ場合もありますが、まだ認知されていません。

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工業がそうなら、農業はどうだ?と言いたくなります。同じような変革は農業でも起きています。今村奈良臣先生が語る第六次産業はまさにそれを意味しています。

Y君の資料に登場する何人かの意欲的な営農家や大学の研究者が目指す新しい農業もまさにその方向にあります。

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ではそのお手本はどこにあるか?

工業ではインダストリー4.0を推進するドイツですが、農業ではその近隣にあるオランダやデンマークを挙げるべきでしょう。

 

以下 次号


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【 フェイクニュースについて考える その2 】 [政治]

【 フェイクニュースについて考える その2 】

 

実際には、ポル・ポトによる大虐殺は犠牲者200250万人とされ、カンボジアの人口800万人が一挙に3/4以下に減った大事件です。犠牲者となったのは一般の国民で、敵対する軍隊でも政治勢力でもなく、単にインテリだから・・という理由でした。人口比で考えるとアウシュビッツのナチスドイツも真っ青になって逃げだす大虐殺が行われた訳ですが、和田記者はそれを根拠もなく否定しました。

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しかし、全く不思議なことに前プノンペン特派員だった和田俊記者は、ポル・ポト勢力がプノンペンに入ったその日にはカンボジアにおらず東京にいました。その事実は朝日新聞の関係者は皆知っています。それなのに、彼は兵士が抱擁しただの、敵兵に「逃げろ」とアドバイスしただの・・その場にいなければ知りえないようなことを長文の記事にしたのです。

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「講釈師見てきたような嘘をつき」と古川柳にありますが、和田記者は現場にいなかったのに、どうしてこんな記事を書けたのでしょうか? 外国にいて、情報収集をしようとしても、どうしても一次情報(自らが取材し入手する情報)には限界があり二次情報(他のメディアで報道された情報のコピー)に頼らざるを得ない場合があります。

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東京にいながらプノンペンの記事を書こうとすれば、どうしても二次情報に頼ることになりますが、その場合、記事を検証しようとすれば、必ず一次情報に辿り着けるものです。元記事を確認して裏付けにできます。しかし和田記者の作文についてはそれを報じる一次情報は全くありませんでした。

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そもそも一次情報にしても二次情報にしても、クメール語はおろかフランス語もできなかった和田記者が、どうしてあんな具体的表現でプノンペンの有様を表現できたのか?理解できません。

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和田記者の捏造記事(つまりフェイクニュース)は、評論家の徳岡孝夫氏らによって、早くから指摘されていましたが、数年後に週刊誌が取り上げ、世間の知るところとなりました。

当時、TV朝日のコメンテーターとしてマスコミに露出していた和田俊記者は、突然理由を明らかにせずに朝日を退社し、山梨県の私大の教授になりました。

しかし、捏造記事に対する世間の指弾がストレスになったのか、しばらくしてガンで亡くなっています。

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問題はこの記事が和田記者だけの個人的犯罪ではないことです。プノンペンにいなかった和田記者が現場に居合わせたような嘘を記事にする段階で、多くの人が気づいたはずですが、それを黙認しました。当時の朝日新聞には本多勝一や井上一久といったポル・ポトや毛沢東の思想を礼賛する記者がいました。このフェイクニュースは朝日新聞が確信犯として流したものです。

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当時はインターネットがなく、和田記者の捏造を見破れたのは、海外のメディアにアクセスできた少数の人達だけでした。今は違います。

従軍慰安婦の記事を捏造した、植村隆記者の場合、その指弾は主にインターネット上でなされました。彼が、女子挺身隊と従軍慰安婦を意図的に混同してフェイクニュースを作ったことは明らかで、さすがの朝日新聞も彼をかばいきれず、記事を誤りと認め、彼を解雇しました。かれは北海道の大学の教員になりましたが、そこでも追及され、その後韓国に移っています。

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和田記者の場合と植村記者の場合で違うのは、インターネットの有無です。現代は情報リテラシーを持つ多くの国民が多くの情報に接して、何が真実かを見抜けるようになったのです。

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スターリン礼賛の記事を捏造し、文化大革命を称賛し、林彪は健在だと嘘をつき、カンボジアの記事を捏造し、慰安婦の記事を捏造し、サンゴ事件を捏造し、教科書の侵略書き換え事件を捏造してきた朝日新聞としては、フェイク記事を暴くインターネットは煙たい存在に違いありません。

しかし、自分たちのフェイクを暴くインターネット情報をフェイクだと指摘する報道こそ最大のフェイクニュースです。

 

朝日新聞がフェイクニュースを批判するとは、「いったいどの口でそれを言うか?」と言いたくなります。

フェイク報道の問題を特集記事にした、田玉恵美氏や菅野俊秀氏にしてみれば、30年も前のカンボジア報道の事件など知らない・・というかも知れませんが、他を非難するなら、その前に自社の歴史を再検証したまえ・・と私は言いたい。

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フェイク報道に惑わされない情報リテラシーを獲得するには、自分のことも、過去のことも知るべきです。

古代の賢者も「汝自身を知れ」と言っています。これはフェイクではなく本当ですよ。


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【 フェイクニュースについて考える その1 】 [政治]

【 フェイクニュースについて考える その1 】

 

最近、フェイクニュースがしばしば話題になります。トランプ大統領は自分に批判的な記事を指して「それらはフェイクニュースだ!」と一蹴しています。その記事が真実であるなら、マスコミに対する大変な侮辱であり、名誉棄損となります。ワシントンポストやニューヨークタイムス、CNNなどが法的手段に訴えるか、私は注目しています。

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日本では、朝日新聞やNHKなどがインターネット上に溢れるフェイクニュースを問題視し、その延長上でインターネット情報全体を否定しようとしています。

https://www.asahi.com/articles/ASL4R62RNL4RUPQJ00D.html

しかし、そこには実に巧妙で狡猾なトリックがあります。

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例えば、朝日新聞は沖縄県の翁長県知事とのインタビュー記事で、インターネット情報を批判しています。県知事に、「私をあたかも中国の手先のように思わせるために虚偽の情報がインターネットに流れています。例えば、私が普天間飛行場移設の問題で東京の政府と対立した後、すぐに中国へ行ったとか、娘二人が中国人と結婚し、相手の一人は人民解放軍に属しているといったニュースがインターネット上に流れました。確かに私には娘がいますが、中国に行ったこともなければ、中国人と結婚もしていません。すぐ調べれば分かるデマを平気で流すのが、インターネットなのです」と語らせています。

これは2チャンネルなどの無責任な記事を指したものでしょうが、この朝日の記事には重大なウソが潜んでいます。

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確かに翁長知事の娘は中国人と結婚していません。そんな事は少しでも情報リテラシーを意識する人ならすぐに確認して理解できることです。しかし、もうひとつの官房長官や防衛大臣との会談後ただちに知事が中国を訪問したことは事実です。そこで中国政府の関係者とどういう話をしたかは不明ですが、彼が上海に行ったことは、事実です。しかし、巧妙な朝日の記事の書き方では、彼が中国を訪問したという情報もウソだと錯覚される表現になっています。翁長知事と中国の関係には不明点が多いのですが、それを隠蔽したい意図がうかがえます。私はそれをもってフェイクニュースと呼びます。

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フェイクは、ただの誤謬ではありません。相手を欺きたいという意思のもとに行う行為や品物です。

かつて朝日新聞で大騒ぎになったサンゴ事件を思い出します。これはカメラマンが自分でサンゴに疵をつけ、「KYって誰だ?」と落書犯人を非難した記事を新聞に載せたものです。この問題の本質はサンゴを傷つけたことではありません。それを元に執拗にかつ徹底的に日本人という民族を貶す記事を捏造したことです。

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「日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。 にしても、一体「KY」ってだれだ」

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この記者は、毀損されたサンゴを報道したかった訳ではなく、とにかく日本人を誹謗する記事が書きたくて、それにサンゴを利用しただけです。つまり、ある意図のための捏造であり、これが典型的なフェイクです。あの事件に憤った人達は、その意図に怒った訳ですが、社内の処分は単なる捏造として処理されました。

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朝日新聞のフェイクニュースを探すと、実に枚挙にいとまない訳ですが、最悪のフェイクニュースは何か?と言えば、和田記者が捏造した、カンボジアのプノンペンの記事でしょう。ポル・ポト勢力を「アジア的優しさをもった共産主義」と讃えた、全編捏造の記事です。

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カンボジアのロン・ノル政権が敗北し、中国共産党の支援を受けたポル・ポト勢力が首都プノンペンを制圧した日のルポを前プノンペン特派員だった和田記者は、署名記事で書いています。

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カンボジア解放勢力のブノンペン制圧は、武力解放のわりには、流血の惨がほとんどみられなかった。 入城する解放軍兵士とロン・ノル政府軍兵士は手を取り合って抱擁。平穏のうちに行われたようだ。しかも、解放勢力の指導者がブノンペンの"裏切り者"たちに対し、「身の安全のために、早く逃げろと繰り返し忠告した。これを裏返せば「君たちが残っていると、われわれは逮捕、ひいては処刑も考慮しなければならない。それよりも目の前から消えてくれた方がいい」という意味であり、敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさに あふれているようにみえる。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、 新生カンボジアは、いわば「明るい社会主義国」として、人々の期待にこたえるかもしれない。
カンボジアは内戦中も、秘密警察的な暗さがなかった。ロン・ノル政府側の要人も、警備にはさして関心を払っていなかった。 政府主催の公式レセプションでも検問所はなく、招待状なしでも要人にやすやすと近づくことができた。 これでよく事件が起きないものだと不思議に思ったが、南国的明るさとは暗殺とはそぐわないのかもしれない。

ロン・ノル政府は七三年春、王族やその関係者を逮捕したことがあった。彼らの自宅には監視のため憲兵が派遣されたが、 外来者を呼びとがめるわけでもなく、暇をもてあまして昼寝ばかりしていた。
そして、しばらくするうち、憲兵はいつの間にか現れなくなった。逮捕された人たちは起訴もされず、罪状不明のまま釈放された。 拘留中も差し入れ、面会自由。酒も飲み放題だったという。

ハン・ツク・ハク首相(当時)の命を受けて、解放勢力側と接触をはかろうとした人物をたずねたときも、 あまりに開放的なのでびっくりした。秘密的なにおいはまったくなく、こうままにどんどん資料を見せてくれた。 その素朴さと明るさは類がない。

カンボジア王国民族連合政府は自力で解放を達成した数少ない国の一つとなった。
民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。
しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式からみて、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか。(和田前ブノンペン特派員)

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さらに別の記事では、和田記者は、「ポル・ポト政権が虐殺を行っているらしいという噂が流布されている。主としてアメリカから流されているが、「らしい」という憶測の情報である。もし真実なら偵察衛星で鵜の目鷹の目で監視しているアメリカが憶測の形で情報を流すはずがない。これはポル・ポト政権を貶すためのアメリカの陰謀だろう」と語っています。

こちらの記事は正確な署名記事ではありませんが、()と記されています。

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以下 次号


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