【 官僚の人事権とゆとり教育 その1 】 [政治]
だいぶ昔のことですが、小泉内閣で田中角栄の娘の真紀子が外務大臣だった時、田中真紀子外相と野上事務次官以下の官僚の軋轢が激しくなりました。官僚は全員そっぽを向いた状態となり、彼女は孤立しました。
そこで彼女は言うことを聞かなかったり、逆らった部下を馘首しようとしましたができません。他の省庁から出向で来ている官僚については、古巣に帰って要職を与えられますし、外務省プロパーの官僚についても、クビにはできないのです。閣議で彼女はその問題を取り上げ、「それはひどい」と憤慨する閣僚もいたそうですが、どうにもできません。
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不思議なことですが、大臣には部下である官僚の人事権が無かったのです。国家公務員は全体への奉仕者であり、誰か特定個人に忠誠を誓うというものではありません。そしてその身分は保証されます。
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結局、喧嘩両成敗ということで小泉首相自身が、野上次官から辞表をとりつけるのと同時に田中真紀子を罷免する形で決着がつきました。首相自身が乗り出さなければ、官僚の人事は動かなかったのです。
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今にして思えば、田中真紀子は外務大臣として全くの無能で、失敗ばかりを重ねました。父親は人たらしで優秀な部下を使いこなしたのに、娘は部下の使い方を知らず、どなりちらすばかりでした。本来、人の上に立つべき人ではなかったのです。自分が部下を管理できない醜態を閣議で明らかにするというのもみっともないことです。
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しかし、このエピソードはひとつの疑問を抱かせました。省庁のトップである大臣に決められないのなら、高級官僚の人事は誰がおこなうのか?人事権は誰が持つのか?
戦前なら高級官僚は、親任官、勅任官、判任官に分かれ、任免権者が明確でした。形だけですが、親任官と勅任官は天皇から任命されていました、
今、各省の大臣に人事権がないとすれば、官僚が暴走する可能性があります。戦前の陸海軍がそうであったように、自分の組織を守ることが目的化し、内向きの活動が評価され、組織が肥大化します。
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それを防止するために、一部の高級官僚の人事権を内閣に移動する対応がとられました。平成14年に発足した内閣の人事局がそれです。
すると、マスコミは、一斉に反発しました。官僚が政治家の顔色ばかりうかがうようになり公平で適切な行政が行なえなくなる・・というのです。
これは奇妙なことです。かつて民主党政権のころは、行政を官僚の手から政治家の手に取り戻せ!だの、政治主導で清新な行政を!と訴えていたのに・・・。当時、官僚は「箱物」ばかり作り、天下り先を生み出すと同時に土木建築の業界の既得権益を守る・・ということで、悪者にされ、民主党のスローガンは「コンクリートから人へ」でした。菅直人元首相などは、「官僚はバカばかりだ」と公言して憚らず、それがまたマスコミうけしていました。
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それが自民党政権になったとたんに、今度は政権に逆らう官僚がヒーローになりました。政治家が悪者で官僚は善玉です。民主党政権の時と全く逆です。朝日新聞などには、理屈ではなく、自民党政権に逆らう人がヒーローなのです。
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私は、官僚であろうが、民間のサラリーマンであろうと、目を光らせる存在、生殺与奪の権限を持つ存在がなくなれば、組織は肥大化し、判断は独善化し、人は暴走すると思います。だから3すくみのように、牽制しあう権力構造が望ましいと思います。官僚の上に立つ政治家も必要ですし、民間人の監視も必要です。何より官僚の査定と評価には、国民のまなざしでの審判が必要であろうと思います。
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では今回、政府という権力に盾つき、総理大臣のスキャンダルの鍵を握るとされるマスコミのヒーローである前川前事務次官はどうなのか?
次報で彼の業績を洗います。
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