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【 なんのためにスポーツをするか その2 】 [雑学]

【 何のためにスポーツをするか その2 】

 

高校時代の恩師である、高瀬允先生は、論語の授業の中で、西洋と東洋の違いの一部を示されました。生活の規範を東洋では個人の道徳感に求めるのに対して、西洋では法律(つまり皆で決めた規則)に求める。どちらが妥当かは分からないが、明確な違いがある・・とおっしゃったのです。

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「東洋の道徳観に依拠する行動規範では、短い文章ですべてが足りる。一方、西洋の場合、社会や生活が複雑になれば、その都度、新たな法律(規則)を設けて対応しなければならない。その結果、法律はひたすら増えるばかりで、それらを全てマスターしなければ法曹の仕事ができない・・となると大変だ。司法試験に通るには自分の身長の高さの法律書を読んで理解・記憶しなければならないというが、それも道理だ。

一方、東洋の素朴な道徳感は、時代が変化しても変化しない。実に、「思邪無」の一言で多くの行動規範が網羅される。自らに省みてやましさがあるかないかで、正邪が自ずと判断できるはず・・・」と言うことです。

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西洋流の、全ての尺度に法律を用いる考え方では、裁判では、その行為が法律に抵触しているか否かがポイントになります。抵触していなければ、どんなに邪悪な行為でも処罰はされません。善悪の判断は二の次です。その結果、悪人はいかに法律の穴を見つけるかで悪知恵を絞り、悪徳弁護士は、どうやって法律をかいくぐって悪事を無罪とするかで才能を競い、裁判は一つのゲームになっています。

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同じことはスポーツにも言えます。西洋に起源を求める、多くのスポーツは規則を明確に規定します。野球の敬遠はルールに則った正当な作戦です。いくら「卑怯なり。正々堂々と勝負しろ」といっても無駄です。敵の強打者を全打席敬遠するのもありです。

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サッカーやバスケットボール、柔道などの時間制限のある競技で、リードして終盤を迎えた時に消極的な行動に出て時間を稼ぐというのも、当然ありです。西洋に起源を持つ、ルールが全てのスポーツ競技なら当然です。

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もっとも、柔道などの格闘技の場合は、あまりに逃げまわったり、消極的な態度を取れば、指導や警告が入り、さらには相手の得点になったりしますが。

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では、精神の鍛錬と人格の陶冶を目的とした青少年のスポーツで、ルールに違反していなければ何をやってもいいという考え方が適切か?と言えば、それは疑問です。

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青少年が学校で学ぶべきは、勝利至上主義でも、姑息な手段をよしとする生き方でもないはずです。スポーツを通じて学ぶべきは、スポーツマンシップを尊び、時には相手を思いやり、自らについては潔さを旨とする態度でしょう。

これは洋の東西を問いません。

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では何か良い具体例はないか?と考えて思いつくのは、その昔の清水善造の「誉のテニス試合」です。戦前の修身の教科書にも載っていたそうですが、彼が1920年のウィンブルドンに挑戦者決勝戦(今の準決勝戦)に出場した時の武士道精神にあふれたプレーは、英国でも絶賛されました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%96%84%E9%80%A0

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接戦の中、相手のチルデン選手が転んだ時、彼は敢えてやさしい球を打ち、敵に情けをかけたのです。彼は優勢を保ち勝利は目前になりましたが、しかしたったひとつのプレーを境に逆転し彼は敗退しました。しかし、全ての観客は敗者の清水選手を絶賛し、拍手を送ったのです。このエピソードには尾ひれが付き、アメリカ人の線審が日本人を勝たせないために嘘のジャッジをしたという話が登場しましたが、それはどうやらフィクションだったようです。また彼が放ったやさしい球というのも、単に清水選手のミスだったという説もあるそうです。しかし、彼はにっこり笑って語らなかったそうです。負けた方が称賛された・・という点では、松井秀喜の星稜と明徳義塾の甲子園での試合に似ていますが、内容は全く逆です。

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清水選手のプレーを、100年後の今の日本人ならどう言うでしょうか? 日大アメフト部の内田監督や明徳義塾野球部の馬淵監督なら「勝たなきゃ意味ないよ。ばっかじゃないの」とでも言うのでしょうか?

でも、私がスポーツ選手なら、そんな監督たちに、指導されたくはないな・・と思います。


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【 何のためにスポーツをするか? その1 】 [雑学]

【 何のためにスポーツをするか? その1 】

 

世のスポーツ選手がスポーツをする理由は様々です。プロ選手はお金を貰って生活するためですし、アマチュアの中には、健康維持を目的にする人もいます。気分転換やストレス解消を目的にプレーする人もいます。仕事を引退した後の生き甲斐だと言う人もいますし、友達や仲間を作るための手段とする人もいます。

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青少年の場合は、心身を鍛えることが最大の目的とされます。特に学校でのスポーツは、体育とは言いますが、体だけでなく、精神の鍛錬、人格の陶冶が大きな目的とされます。

そして、一部の中学校や高校では、部活に参加することが半ば強制され、学校によっては、しばしば知育・徳育よりも体育が優先されます。

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人は、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と言い、体を鍛えることで優れた人格が得られると語ります。しかしこれは多分、嘘でしょう。現実には、身体は極めて丈夫で健康的なのに、精神は至って不健康という人物が多くいます。本音を言えば、「健全なる精神が健全なる肉体に宿って欲しい」という一種の願望ではないか?と私は思います。

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実際には、この青少年のスポーツには、多くの問題があります。コーチや監督を頂点とする絶対服従の理不尽な上下関係、シゴキというか、ひたすら身体をいじめることで成長するという非科学的で怪しげな精神論。そしてフェアプレーの精神を逸脱した勝利至上主義の横行・・・。もし、青少年に道徳を説くだけの資質も覚悟も無い大人が、指導者になり、いたずらに勝利至上主義に走ると、どうなるか?

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先日、たまたま、日大のアメリカンフットボール部の悪質な反則の場面がインターネットに流れ、日大全体を揺るがす大問題に発展しました。余談ですが、旧来のマスコミは「インターネットの情報など、所詮、便所の落書き」と言っていましたが、この事件が全国ニュースになったのはインターネットの動画のお陰です。

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ここで問題となったのは、日大の監督が、犯罪とも言うべき暴力行為を選手に命じたことや、選手起用を決定する監督に対し、選手は何も言えない弱い立場であること、それを利用して理不尽な圧力を選手にかけていたこと・・・・などですが、程度こそ異なるものの、類似した例は各種の学生スポーツに見られます。

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監督は常に絶対的な権限を持ち、選手は自ら考えて判断することを許されず、盲目的に監督コーチの指示に従わざるを得ない・・という状況が、しばしば問題を惹起します。

以前、ラグビー選手をラガーと呼ぶべきか、ラガーメンと呼ぶべきかを弊ブログに書きましたが、自ら考えて判断し能動的に動く選手はラガーであり、何も考えずコーチの指示に従うだけの将棋の駒のような選手はラガーメンでしょう。ちなみに将棋の駒を英語ではChessmenと呼びます。日本の団体スポーツは、将棋の駒だらけです。

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今、甲子園で熱戦が繰り広げられている高校野球もそうです。

チームによっては、打者は一球ごとに不安そうにベンチの方を振り向き、監督のサインや表情を伺います。自分自身で考えて、エンドランでもバントでも、好球必打でも良いから判断すればいいのに、自分では決められないようです。もし日大の内田何某のような監督がいて、投手にビーンボールを投げろ、あるいはスパイクを野手に向けて滑り込めと走者に指示したら、彼らは唯々諾々と従うのでしょうか?

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犯罪でなくても、スポーツマンシップに反する行為を、監督の命で行うこともあります。

今、高校のバレーボールの試合では、相手のミスの場合でも、得点したら喜び囃し立てる風景が当たり前です。ある時、相手のミスを喜ぶとは、スポーツマンシップにもとるではないか?とある人(名野球選手だった豊田泰光)が質問したら、選手は「コーチから相手のミスでも喜べと指示された」と回答したとのこと。選手には、潔さとかスポーツマンシップを考える余裕や智慧はなく、コーチの発言が全てなのです。

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その問題が最も端的に表れたのは、1992年の夏の甲子園、2回戦の金沢星稜高校と明徳義塾高校の試合です。有名なエピソードですから皆さんご存知でしょうが、この試合で星稜高校の松井秀喜選手は5打席とも敬遠され、星稜高校は敗退しました。大会開始の際の選手宣誓では、スポーツマンシップに則り正々堂々と戦う事を誓ったはずですが、明徳は少し違いました。この事件は、25年以上経った今も語り継がれ、新聞にも登場します。

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/special/CO033691/20180806-OYT8T50036.html?from=ytop_os1

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5打席全ての敬遠は、明徳の馬淵史郎監督の指示であり、バッテリーの判断ではありません。馬淵監督は、日本中の観客の前で、自チームの投手は実力が足りないから松井を倒せないと宣言した訳で、無能と宣告された投手は屈辱的な敬遠の指示を忠実に実行しました。しかし、一応、故意四球をカムフラージュするために捕手を座らせたままの敬遠という姑息な方法を取りました。

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今年の百回大会の始球式に登場した松井秀喜は、5打席敬遠の話を昔のエピソードとして笑顔で朗らかに語ります。星稜の山下監督との師弟関係は今も続き、松井は生涯の師として尊敬しています。

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一方、この試合で精神的にボロボロになった明徳義塾は、次の試合で惨敗して甲子園をさりました。敬遠策のお陰で、甲子園で1試合分だけ勝ち残ることはできましたが、全体としては惨めな思い出だけが残ったはずです。5打席敬遠のボールを投げた河野投手のその後は杳として分かりません。

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試合後、馬淵監督は「選手に責任は無い、責任は全部俺が取る」と言いましたが、彼は責任を全く取りませんでした。ひとつのポーズとして学校にいったん辞表をだしましたが、すぐに撤回し、アマ野球界で順調に出世を重ね、拓大の監督から拓大の理事になっています。どうでもいいけど、私大の理事というのは不思議な存在です。学問の府であるのに、スポーツ畑出身で、知性も教養も品格も感じさせない御仁が幅を利かせて威張っています。あるいは某医科大学のように、寄付金欲しさに入学試験を歪める金の亡者もいます。

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また、馬淵監督は、「敬遠はルールに認められた正当な作戦であり、何ら恥じることはない。敬遠しなければ負けたはずで、それでは相手が喜ぶだけだ。一方、星稜は一人だけプロ選手が混じっていた」と語り、作戦の正当性を主張し、むしろ星稜側に非があるような口調で語りました。

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脱線するけれど、明徳義塾と名乗るからには、生徒に義を説く学校ではないのかい?それがスポーツマンシップを軽んじる発言をしてどうする?

世の中に、「何とか義塾」と言う名前の私学は多いけれど、義とは何か?を語らない学校なら、それは義塾ではない。単に慶応義塾の名前を真似ただけの学校だと思います。

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私は、監督の命のもとに敬遠せざるをえず、深く傷ついた明徳の投手に今も同情します。

すると、必ず奇妙な反論がでます。

「敬遠はルールに認められた正当な作戦。それを行って何が悪い?禁止されていないのなら、何ら恥じることはないし、非難されるいわれはない。むしろルールで禁止されない方法を上手に利用するのは巧妙だし馬淵監督の発言は正しい」

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この点については、次号で管見を申し上げます。


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【 山の神とオコゼ 】 [雑学]

【 山の神とオコゼ 】

 

あるゼネコンの会合で私より年長のAさんと出会いました。聞けば、彼は根っからのトンネル屋で、日本の数多くの長大トンネルの掘削工事を経験されました。「笑うオヒョウ」で紹介したNATM工法や鍋立山トンネルにも詳しい方です。

http://halibut.blog.so-net.ne.jp/2016-11-04

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その彼がポロリと漏らしました。「どうもトンネル掘削現場に女性は馴染まないんだよね」

実は、今、多くの建設工事現場で女性の進出が目立っています。

ゼネコンの建築技師や土木技師はもちろんのこと、トラックや大型特殊車両の運転手、クレーンのオペレーターにも女性は登場してきています。建設会社も彼女たちを「建設小町」と呼んだりして大切にしています。女性用の更衣室やトイレはもちろんのこと、殺伐としていた現場にフラワーポットを並べたりしています。

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建設業界が女性の進出を積極的に応援するのは、深刻な人出不足に対応するためと同時に男女雇用機会均等法以降の、ポリティカルコレクトネスに留意しているからです。そしてそれ以上に、女性を積極的に起用すれば、3Kの代表で昔の土建屋的なネガティブなイメージを払しょくできると期待しているのです。

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しかし、トンネル掘削工事だけはそうはいきません。一時期、女性が工事に参加しようとしたのですがうまくいかず、今もトンネル掘削現場は男たちばかりの世界です。

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「それはなぜですか?」

「結局は山の神を恐れてのことでしょうね。山の神が女性を嫌い、災いをもたらすという迷信です。でも何か事故があった時、男性の作業員から白い眼で見られれば、居心地も悪いでしょうし・・・」。これは相撲協会が女性を土俵に乗せない・・というような普通の男女差別とは微妙に異なります。

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トンネル掘削現場での禁忌について、吉村昭は小説「高熱隧道」の中で触れています。例えば坑道の中で口笛を吹いてはいけないという戒めがあります。ひょっとしたら口笛による空気の振動が岩盤に亀裂をもたらす可能性もある・・という無理筋の説明をしていますが、多分違うでしょう。日本では暗闇の中での口笛を不吉なものとしているのです。トンネルだけではありません。では山の神とは何か?

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一瞬、箱根駅伝の青山学院大学の選手を思い浮かべたオヒョウはかなり間抜けですが、それはともかく、このヤマは単なる山ではなさそうです。鉱山の坑道、あるいは隧道の掘削現場の意味を持つようです。それなら形状は凹であり、陰陽で言えば陰にあたり、つまりヤマの神は女性なのだ・・・と勝手に納得します。

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「山の神は女神で、同じ女性が現場に来ると、嫉妬するのだそうです。無論、単なる迷信ですが、縁起をかつぐことは他の社会でもあるでしょう。それだけ危険な職場にいるという自覚が作業員にあり、少しでも縁起の悪いことは避けたいという訳です。さらに言えば、相手とする大自然に対する畏敬の念を常に彼らは持っています。トンネル掘削の現場では自分たちにはどうしようもない現象で、事故や災害が発生します。だから彼らは自然を畏れ、迷信にもこだわるのです」。

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大自然を相手にする仕事は、トンネル屋以外にもたくさんありますが、皆自然の前では謙虚で素直に恐れています。なるほどねぇ。

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山の神の嫉妬・・と聞いて、次に私が連想するのは、「山の神、オコゼを喜ぶ」という伝説です。博覧強記の怪物であった南方熊楠と、民俗学の巨人柳田國男に親交があり、手紙をやりとりしていたのは有名ですが、その文通の最初に登場するのは「山の神、オコゼを喜ぶ」という逸話です。

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例によって、粗筋を紹介してしまうのは、無粋の極みですがお許しください。

山の神は女神で、地域の村人たちにいろいろな恵みを与えていますが、実は大変な醜女(しこめ)です。本人(本神?)はそれを知らなかったのですが、ある時、水面に映った自分の顔を見てショックを受け引き籠ってしまいました。それ以来、村には厄災ばかりが起こります。とりわけ、同性の女性が山に入ると、自分の容貌のコンプレックスから、ますます荒れ狂い、村には大災害が発生します。

困り果てた村人たちは、対策を考えました。「そうだ!山の神より醜い生き物をお供え物にして出せば、山の神は優越感を感じて、心が晴れるかも知れない。問題は、その醜い生き物だが・・・そうだオコゼだ! オコゼをお供えしよう!」

その結果、山の神はおおいに喜び、村には平穏と豊穣の日々が訪れたとのことです。

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私が、この話を最初に聞いた時は、三重県の尾鷲の話だったと思いますが、同じ話は西日本の各地にあるようです。

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「どうでしょうかね。トンネル掘削の切羽に、オコゼの剥製かなにかをお供えして、山の神をなだめ、安全祈願をしてから、女性の技師や作業員を入れるというのは? 山の神も喜ぶし、男性作業員も安心するし、女性陣も気持ちよく仕事できるとなれば、いいことづくめではないですか?」

私はそう話しかけようとしたのですが、Aさんはその日のうちに新潟に帰らなくてはならないそうで、私の最後の提案を聞く前に席を立ってしまいました。

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私はおつまみを口に運びながら考えました。まだ私は食べたことがありませんが、オコゼは大変おいしい魚だそうです。

「こんど、家内を誘ってオコゼ料理でも食べに行こうかな。家内も喜ぶに違いない」

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念のために申し上げますが、「我が家の山の神」が喜ぶだろうと言うのは、おいしい料理だからで、他意は全くありません。誤解ありませんように


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【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その2 】 [雑学]

【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その2 】

 

ギリシャの古代オリンピックは男性だけのもので、裸体で競技されました。女性は観戦することすら許されませんでした。

近代オリンピックの第1回もギリシャのアテネでしたが、こちらも選手は全員男性です。

こちらは着衣で競技しています。女性は観戦することはできましたが、参加は許されませんでした。

今現在、IOCのバッハ会長は男女が平等・均等であることに特にこだわります。

新たな競技種目を選ぶ時、競技人口が偏っていないか?男性だけの競技になっていないかが注目されます。

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それと並行して、かつては男性だけだった競技にどんどん女性が進出しています。 柔道、陸上のマラソン、棒高跳び、スキーのジャンプ、その他もろもろです。オリンピックの男女同権の思想を受け入れる形で、女子種目が増えていったのです。

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この変化は、オリンピックの存在理由というか性格を考えれば、よく理解できます。

古代オリンピックは、戦争のシミュレーションでした。だから参加する人は兵士の代わりであり、男性に限定されました。

近代オリンピックが始まったころのスポーツとは、西欧の貴族階級あるいは有閑階級のたしなみでした。 そしてその頃、過激なスポーツをたしなんだのは、もっぱら男性でした。

現代のオリンピックは、国威発揚目的だの商業化したプロ選手の集まりだのと言われますが、根底には「社会的公平の実現」があります。 当然ながら、肉体的性差はあるものの、男女は同権で等しく参加する権利を持ちます。

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オリンピックがそのように変化していくなら、大相撲だって変化して構わないはずです。既に外国人力士の採用という、大変革を行ったのですから・・。

余談ですが、外国人力士の元祖をハワイから来た高見山だと考えていましたが、よく考えれば横綱大鵬だって白系ロシア人の血が入っています。 相撲協会はかなり前から、人種や民族にはこだわらなかったのです。

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人種民族を問わないのなら、相撲を日本人だけのものと考えるのはナンセンスです。即ち、相撲を神事と考え、日本人のエトスにかかわるものとするのもナンセンスです。

それなら女性を土俵に上げてどこが悪い?という考えに至ります。

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今回、八角理事長は、人命救助という緊急事態なのに、大相撲のタブーを優先したのが誤りであったと謝罪しています。つまり人命はしきたりよりも大事なのに、その判断を間違えたという言い方ですが、これは問題を矮小化するものです。

つまり、土俵に女性をあげてはいけない・・というタブーそのものの是非には言及せずに幕引きを図り、タブーを残そうとしています。これはかなり姑息な対応です。

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やっぱり相撲界のちょん髷頭を叩いてみれば、因循姑息の音がするのです。

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しかし、現役時代から実直な人柄が評価された八角理事長ですが、彼の代になって特に苦労が多いようです。同情を禁じ得ません。その昔は相撲協会の理事長といえば、天覧相撲で両陛下のお相手をするぐらいの優雅な名誉職だったのですが、最近は矢面に立たされ、謝罪する役回りです。相撲協会の積年の問題点が、最近の数年間に一気に噴き出した感があります。 これはやっぱり、八角という名前が良くないのでは?

そもそも八角といえば、雷電為右衛門に突き飛ばされて亡くなった力士です。

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しかし、ここは考え方次第です。暴力事件、貴乃花問題、女性を土俵から降ろそうと放送した問題などを、一挙に解決して、相撲協会の近代化に成功すれば、しめたもので、雨降って地固まるというか、土俵が固まる形になります。

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女性は誰でも土俵に上がれるよう、規則を変更すべきでしょう(ただし、ピンヒールの靴は土俵に穴を開けるのでダメですが)。

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いっそ、相撲協会は、大改革のシンボルとして「平成の断髪令」を出して、ちょん髷や大銀杏を止めてしまう荒療治もありです。因循姑息の音がしないようにするのです。

勿論、反対意見は多いでしょうが、強いちじれっ毛で、ストレートパーマをかけないと髷が結えないポリネシアンやアフリカ系の力士には歓迎されるでしょう。 あと、額がどんどん後退し、髪の毛が少なくなっている力士からも歓迎されるでしょう。

いずれにしても、八角理事長には頭を使って知恵を出してもらわねばなりません。 そうでなければ、「相撲取りの頭は、考えるためでなくちょん髷を結うためにあるのか?」と言われそうです。


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【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その1 】 [雑学]

【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その1 】

 

相撲協会の問題がつぎつぎと明るみに出て、ワイドショーをにぎわせています。面白いといっては不謹慎ですが、巡業先の舞鶴で、挨拶で土俵に立った市長が倒れ、救護に駆け寄った女性看護師に対して、行司が「女性は土俵から降りろ」とアナウンスした事件は、相撲協会の問題のある体質を象徴的に示しています。

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話はかわりますが・・・・、

明治4年に断髪令が出され、日本の男子はちょん髷を結うことが許されなくなりました。世界の歴史を見ても、男子の髪型が法令で規定された例はあまりないようです。

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有名なのは、中国が清王朝だった時代、満州族が漢民族を支配し、男子に辮髪を強制した例です。従わなければ死罪となりますから、男子は仕方なく、全員が辮髪となったのです。今でも西欧に行って中国人のイメージを訊けば、吊り上がった目と辮髪と髭の男性、そして宦官となります。この屈辱的な風体が、カリカチュアとして用いられることに、なぜ中国政府がクレームしないのか疑問です。習近平のイメージが、熊のプーさんに似ているという、くだらない理由でプーさんのキャラクターを禁止する暇があるなら、そちらをするべきではないか?と思います。

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辮髪を近代化前の悪しき中国の象徴だと考えこれを嫌い、いち早く切り落とした男達がいます。太平天国の乱に参加した人達もそうですし、魯迅などの知識人もそうです。

辮髪の切り落としは、中国近代化の一つの象徴だったのです。(20世紀の話です)

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話が脱線しましたが、明治新政府は、外国で日本男子の髪型(つまりちょん髷)が馬鹿にされたことがよほど悔しかったのか、それとも中国人の辮髪が馬鹿にされているのを見て、これはまずいと思ったのか、いずれにしても早急に髪を切って西洋風の髪型にするよう断髪令をだした訳です。

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国民の多くに理解してもらうために、戯れ歌さえ作って流行らせています。

「半髪(ちょんまげ)頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪(長髪)頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」

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しかし、ここで例外的に髷を許された人々がいます。それが相撲取りです。普段はちょん髷を結い、場所中の関取は大銀杏を結います。序の口の力士や学生相撲から転じた幕下付け出しの力士は、髪の毛が伸びるのが間に合わず、総髪(長髪)で土俵に上ったりしますが、いずれ髷を結います。

逆に引退する時は、仰々しく断髪式なるものを行い、髪を短くして現役力士の自分に別れを告げます(昔はそんなものは無かった)。

悲惨なのは、禿げあがってしまい、髷が結えなくなったために、仕方なく引退した力士です。個人の名誉のために具体例は挙げませんが、何人か、そういう力士がいたそうです。

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どうして、相撲取りだけが断髪令を免れたのか? 私には理解できません。 相撲解説者の中には、もっともらしく、長髪で髷がある方が、頭を保護して脳震盪にならないなどと言う人がいますが、大ウソです。頭を保護するなら、アメフト選手のヘルメットやラグビー選手やボクシング選手のヘッドギヤの方がはるかに有効です。

  • 誰も信用しませんが、私の卒業研究は頭蓋骨に衝撃を与えた時の脳組織の挙動がテーマでした。

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要は、日本の伝統様式を守るのが重要であり、そのために髷が必要だとしたのでしょう。 当時、他にも伝統様式を継承しなければならない職業は幾つもありました。しかし、

1.僧侶はもともと剃髪なので無関係。

2.歌舞伎役者は、以前から鬘を被っているので無関係。

3.神主などの神職は烏帽子や冠をつけているので、これも髪型は無関係。

ということで、伝統を守るために、髷が必要という議論にはならなかったのです。

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江戸時代まで、日本の社会では髪型でその人物の職業や地位を判断できました。

一種の記号論の世界です。 武士は武士(武士にもいろいろ種類がありますが)、町人は町人、医者は医者の髪型、学者先生や道場の師範は総髪、そして関取は大銀杏といった具合です。四民平等といった概念からも断髪は必要と判断されました。唯一の例外は伝統を守りたい相撲取りです。

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しかし、ここで相撲協会が守ろうとした伝統とは何だったのか? それは外見で表象されるものだったのか? 実は明治の文明開化のチャンスに、大相撲が近代化し損ねた点はちょん髷だけでなく、他にもあります。

・部屋・親方制度を維持し、徒弟制度の下で力士を育成するシステム。

・谷町からのご祝儀に多くを頼る、ゴッチャン式の不明朗経理。

・先輩・後輩の上下関係を最大限強調し、暴力をも是認・許容する風土。

・学校教育の重要性を鑑みず、少年力士の進学を重視しなかったこと。

 (代わりに相撲教習所という独自の学校がありましたが)。

・男女差別とされるしきたりを残したこと。

・和服、和装を重視し、洋服を排したこと。

などです。

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実は、この150年前の近代化のチャンスを逸したことが、今日禍根になっている部分があります。 土俵上に女性が上がってはいけない・・という、奇妙なタブーももっと早い時点で見直さなければならなかったのに、ちょん髷と同様、相撲界だけは「まあいいか」と見逃されてきた訳です。

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ではなぜ、そうなったのか? 根本的な理由は、大相撲には3種類の性格・目的があり、それらがアンビバレントというか相互に矛盾していたからです。

 

1. 神技として神の前で奉納する伝統的儀式としての性格

野見宿禰以来の伝統で、国技とされる大相撲が批判されると、必ずこの意見がでて反撃します。女性を土俵に上げないなどのタブーもそれに由来します。

 

2. 純粋な競技スポーツとしての性格

勝ち負けが重要で、優勝劣敗を決めることが最終的な目的となります。その前提としてフェアであること、スポーツマンシップが尊重されること、等多くの制約があります。

オリンピック競技の選択基準もほぼ一致します。それに倣えば、競技は体重別にクラス分けされるべき、とか、競技者やコーチからの判定への異議申し立てを認めるべき、とか いろいろな要改善点がでてきます。

最近のオリンピックの傾向を考えれば男女平等に競技に参加できることが最重要とされます。 これについては後述します。

 

3. 興行・娯楽としての性格

これはプロレスと似た性格になります。 スターが必要で、ルールやフェアさよりも派手な演技が喜ばれます。善玉・悪玉がはっきりした方が観客は喜びます。地方興行となると、地元のボスとの付き合いも必要になり、かつては反社会勢力との接触がうわさされ、賭博や八百長もありました。相撲協会のかつての経理の不明朗さの一因もそこにあります。女相撲なんてのも興行としてはありです。

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男女の差別・区別という観点で考えた場合、1.と2.の矛盾は際立ちます。

行司は、思わず1.の理屈を採用したのでしょう。 しかし、この男女を区別する伝統は墨守すべきものなのか?時代に応じて変更していくべきものなのか?

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ここで参考になるのはオリンピックの歴史です。 

以下次号


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【 卒業式 2 】 [雑学]

【 卒業式 2 】

 

卒業式の会場に向かう地下鉄の車内は、一目でそれと分かる若者達がたくさんいます。女性は華やかな和服で袴を穿いています。足元を見ると白足袋に草履の人もいますが、ブーツを履いた人もいます。「ありゃ? 袴にブーツというのは坂本龍馬みたいだね」と言うと、家内が、「あの装いはね、『ハイカラさんが通る』以降、市民権を得たのよ」と、私には遠い世界の話をします。

今日は春うららの陽気ですが、東北の仙台の3月です。もし天気が悪ければ、袴にブーツというのは名案かも知れません。

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男性陣を見ると、こちらはリクルートスーツと言うのか、新しい背広にネクタイです。藤山一郎の「青い背広で心も軽く・・」と口ずさみたくなりますが、昭和の歌を知っている人は少ないでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=p5sF-QgyfEA

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プロが着付けをした女性陣と異なり、男性陣は、まだスーツが体になじんでいない人もいます。ワイシャツの襟が上着の上に飛び出していたり、ネクタイが曲がっていたりします。

前回ご紹介した、西島三重子の「ローリングストーンは来なかった」にある「まだネクタイが似合わないんだ」という歌詞を思い出します。仙台だけれど、みんなが伊達男と言う訳じゃないのだな・・・。でも誰もが笑顔で楽しそうです。

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会場の入り口付近は卒業生とその家族、見送る後輩たちで大混雑です。はじける笑顔がいたるところにあり、笑い声がどこからも聞こえます。こんなに底抜けに明るくて、ハッピーな空間は結婚式ぐらいです。

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学園を去ることがこれほど嬉しいとは・・。学園生活は監獄生活みたいだったのかな?この大学は宮城刑務所か?とくだらないことを考えます。

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それにしても、卒業式につきものだった湿っぽさというか、惜別の涙などは全くありません。首都圏に就職する人もいるだろうに、みんな友達と別れる寂しさはないのか?学園を離れる寂寥感はないのか?将来についての不安はないのか?

周りを見れば、みんなスマホを取り出して、写真を撮ったりLINEで通信しています。そうか、今の時代、ネットで友達は繋がっており、遠隔地に行っても別れるという実感は無いのだな・・と妙に納得します。

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去年の就職戦線は空前の売り手市場でした。そのお陰で、皆さん希望通りの就職先を見つけ、社会人になる不安はなさそうです。それにしても涙を見せる人は一人もいません。

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数学者の藤原正彦は「アメリカには涙が無い」と語っています。現実にはそうでもないのですが、確かにドライな社会です。アメリカの大学の卒業式もこんな感じなのかな?と想像しますが、アメリカの大学とは無縁だった私には分かりません。

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会場に入ると大学の室内管弦楽団が、ワーグナーのニュルンベルグのマイスタージンガーの前奏曲を演奏し出しました。てっきり大学祝典序曲(その昔、大学受験ラジオ講座のテーマ曲でした)だと思っていた私は、意表を突かれましたが、この曲も厳かで雰囲気にあっています。「しかしマイスタージンガーの前奏曲ということは、これから始まる式典は喜劇だということか?」と、またまたくだらないことを考えます。

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卒業式のハイライトは、総長(学長)の祝辞です。昔から名演説が多くあります。私の母が女学校を卒業した時などは、校長先生から「皆さん、今日からは互いに集って仲良くしないように」という面白い祝辞があったそうです。

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東大の場合、例えば、「太った豚になるよりは、むしろ痩せたソクラテスになれ」とか「諸君、ただ酒だけは飲まないように」という分かりやすいものもあります。残念ながら、完全に太った豚になってしまい、ただ酒となると喜んで参加するオヒョウなどは、実に耳が痛いところですが、まあ、私は東大じゃないからいいか・・と思っています。

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里見総長の祝辞は格調高く威厳に満ちたものでした。祝辞ですから湿っぽい話はできません。自分の定年退官になぞらえて学園を去る寂寥感に触れるぐらいです。

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しかし、それはともかく、卒業生に送る言葉(いわゆるcommencement speech)で秀逸だったのは、スティーブ・ジョブスが亡くなる少し前にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチです。あれを聞いて大いにencourageされた卒業生もいたはずです。

https://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4

彼の演説は、私の会社員生活にも幾らかの影響を与えました。日本語で読んだ後、改めて原文を読みたいと思ったのは、ケネディの演説とジョブスの演説だけです。

スティーブ・ジョブスは「性格狷介にして、人柄に難あり」とされましたが、演説を聞く限り、彼は尊敬に値する男だと思います。

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里見総長の演説も後半は英語で語られ、数多くの留学生に配慮したものになっていました。そういう時代になったのだなぁ・・と思いながら私は会場を後にしました。

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会場の外は、再びお祭り騒ぎで大混雑です。写真を撮る人や胴上げされる人もたくさんいます。トイレに行くと、胴上げされて着崩れたのか、卒業生の青年がネクタイを直しています。やっぱり「まだネクタイが似合わないんだ・・・」ということのようです。

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そこで鏡を見れば、なんと私のネクタイも曲がっています。

「やれやれ学校を出て40年近く経つけれど、僕はまだネクタイが似合わない」と苦笑いしながら、ふと思います。

「でもね君たち、ネクタイが様になって、外見がやたら格好いい伊達男になったとしても、そんなのつまらないぜ。ネクタイで眼底血圧が上がるかも知れないし・・・」

 

そんなことを考えながら、私は帰り道を歩き、地下鉄の駅に向かいました。


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【 相模民俗学会 】 [雑学]

【 相模民俗学会 】

 

3/18、既に咲き始めた桜の花を眺めながら、私は川崎の市民ミュージアムに向かいました。相模民俗学会の定例会を聴講するためです。

民俗学を勉強したこともなく、勿論会員でもない私が参加するというのは、冷やかしでしかないのですが、今回は理由があります。

柳田國男がテーマで、我が畏友Y教授が発表を行うので、それを聞きたかったのです。

Prof Y.JPG場所は川崎市中原区で、これも我が畏友である「川崎のご隠居」の地元ですが、彼は所用があって参加できません。(後の懇親会には出席しましたが)。

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民俗学の泰斗である柳田國男について、オヒョウは一体何を知っているのかね?と問われると、民俗学自体を知らない私は、何も言えませんが、しかし彼が異色の官僚というか、2足の草鞋を履いたサラリーマンの元祖のような男であったことに興味があるのです。

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農水省出身の山下一仁氏が著した書物によれば、彼は農商務省の官僚として、日本の農業の実態に強い危機感を抱き、建白書とも言うべき提言を幾つかしています。(勿論これは戦前の話です)。しかし、その内容を見ると、21世紀の今日でも通用することが多いのです。

農業経営はどうあるべきか、農産物の貿易自由化に日本はどう対応すべきか。現在のTPPの議論に通じます。山下氏は戦前の柳田の時代と、現代を比較し、その共通点と相違点を明らかにしています。(それについては別稿で申し上げます)。

yanagida kunio S.png

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しかし、それは柳田が農商務省の官吏として仕事をした時代です。その後、彼は内閣法制局の参事官になり、そこで神社の合祀(つまり、合併と統合)を進める政府の方針に反対しています。その活動のバックボーンには、彼の民俗学的な思想があったはずです。そしてその柳田の活動について、日本大学の岸本先生と小松短大の由谷先生が研究した内容を報告するのが今回の会だったのです。柳田國男とは比べるべくもありませんが、2足目の草鞋を探してウロウロしている私には興味があることです。

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役所に勤めながら、ライフワークと言うべき研究テーマを持ち、業績を残した人はたくさんいます。

ナポレオン研究の第一人者であった、通産次官の両角良彦

森鴎外研究の第一人者で、日銀の理事だった吉野俊彦

都庁を退職後、上杉鷹山を調べて小説を書いた童門冬二

気象庁の研究官を続けながら、山岳小説のパイオニアとなった新田次郎

でもよく考えると、その先駆けは柳田國男だったと私は考えます。

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しかし、神社の合祀反対活動に関して、彼の活動には、一つの類型的な見方がされています。

即ち、石川県出身の内務官僚であった井上友一が、神社合祀を積極的に推進したのに対し、農商務官僚である柳田國男はそれに反対し、対立したという見方です。

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歴史的にみて、神社合祀が失策であったという前提で考えると、柳田が善玉、そして井上が悪玉・・・という分かりやすい構図ですが、実態はそんなに単純な話ではない。と岸本・由谷の両先生は説明されます。

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井上と柳田は、同志として同じ活動で協力したこともあり、親しかったはずです。しかも柳田の発言を時系列的に追いかけると、神社合祀に反対する内容と賛成する内容の両方があり、よく分かりません。あたかも彼が変節漢であるかのごときです。

両先生は、明確な証拠を提示しています。代表的なものでは、神社合祀に反対するものとして、南方熊楠との往復書簡、賛成(もしくは肯定するものとして)埼玉県岩槻の諏訪神社と愛宕神社の合祀記念碑文が挙げられます。両方とも動かぬ証拠です。

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そこから考えると、柳田は、賛成・反対で色分けできる硬直した思考をしていたのではなく、柔軟な思考の持ち主だったと考えるべき・・ということでしょうか?

戦時下の思想統制で、柳田が仕方なく合祀賛成に転じざるを得なかった・・・という可能性については証拠がないので何も言えません。個人的には、そんなことは無いだろうと思いますが。

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ここで留意したいのは、柳田と井上の対立の構図を作り上げた背景です。私が考えるのは内務官僚と農商務官僚の対立の構図です。

柳田の幾つかの発言は法制局の参事官になってからなので、この構図は必ずしも正確ではありません。これもまた私の畏友である、元農水省のY君に訊くしかないでしょう。

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私は明治期に山形有朋らが進めた社寺仏閣(というより神社)の整理統合は、地域社会の無用な対立を無くし融和を図ると同時に、人材の合理化・リストラも理由だったのではないかと推測します。

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明治維新で大量の武士が失職しましたが、彼らの再就職は容易ではありません。地位があり教養がある人物として何らかの公的ポストを用意できればいいのですが、地方の町村ではそうもいきません。その中で神職というのは最適でした。神主や宮司に転職した士族はたくさんいたはずです。しかし、明治も20年代に入り、世代交代も進み、士族の再就職問題も一段落し、教養のある人々にふさわしい新しい職業も生まれました。そこで雇用対策としての神社は役割を終えたのではないか? 神社の維持に必要な費用負担も、地方の町村には負担だったはずです。それが合祀推進の理由だったのではないか?と私は思います。

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そして、私が特にこだわるのは南方熊楠の意見です。彼は神社のリストラによって、日本の原生林が失われるのを非常に危惧しています。日本は森の国であり、昔からの照葉樹林を大切にしてきた国ですが、その中心にあるのは神社の鎮守の森であり、ご神体としての山林であり、御杣山(みそまやま)など神社が所有する山林です。大陸に渡り、韓国や中国に行けば、その森林の乏しさに驚きますが、その理由の一つは、かの地には神社が無いことです(と私は思います)。

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この南方熊楠の発想は現代も受け継がれています。人工的に植林された針葉樹林ではなく、昔からその土地に存在した植生を大切にして慈しもうという活動が全国に見られます。特に、国立公園に指定された地域や人が住まない山奥ではなく、里山の自然を大切にすること、鎮守の森を守ることや、原生林をサンクチュアリとすることは自然保護運動の重要なスローガンです。

神奈川県であれば、真鶴半島の自然林などが、熊楠が考えた保護すべき対象でしょうし、茨城県鹿嶋であれば、鹿島神宮の境内の自然林が保護すべき対象でしょう。

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ところで、この鹿島神宮の樹林ですが、昔はもっと広かったものと推測されます。なんでも常陸国風土記によれば、大昔は鹿島郡(今の鹿嶋市+α)全体が、神領であったとのこと。おそらくは、広大な自然林が鹿島神宮を囲んでいたものと思われます。

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しかし、鎌倉時代以降、たびたび神領侵犯の憂き目にあい、神領はかなり小さくなったようです。現在の鹿嶋市宮中地区は、その名前から察するに昔は境内だった可能性がありますが、今は商店街と住宅地です。記憶に新しいところでは、昭和の時代、鹿島神宮の背後にあった広大な松林(鹿島神宮の所領ではない)がマツクイムシで枯れた際、そのまま港ヶ丘と名前を変えて住宅地になってしまいました。

今、宮中や港ヶ丘には近くの製鉄所に勤務する人達が暮らしています。

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柳田や熊楠が聞いたら、「何たることか! 彼らに里山の自然を保護する思いや「敬神」の気持ちは無いのか?」と嘆くかも知れませんが仕方ありません。有為転変は世の常です。 それにしても「滄海変じて桑田となる」は中国の故事ですが、「鎮守の森転じて住宅街となる」が日本の諺・・・というのはなんとなく嫌ですね。


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【 公人・私人、官と民 その2 】 [雑学]

【 公人・私人、官と民 その2 】

 

高校時代の英語の教科書「England as she is」の中に、英国の学校のシステムを紹介する記事がありました。 早速、私に疑問が湧きました。

「私立なのに、どうしてパブリックスクールというのですか? 私立ならプライベートスクールではないのですか?」 当時私は国立の高校に通っていました。

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岩城谷先生は、「パブリックスクールは、一般に門戸が開けれ、入学試験に合格し、学費を払えば誰でも入学できる。 だからパブリックスクールだ。 英国の場合、家庭教師を雇って教育を受けることもあるし、一般に門戸を開かない学校もある。それらこそ、プライベートスクールと言える」という回答でした。 経営が民間なのかという問題ではないようです。

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学校が私立か公立か・・という点で言えば、英国の場合、一流大学、名門校の多くは私立です。 その国を代表する大学が国立か私立か・・という観点で分類すると、米国や英国は私立派、日本やフランス、中国、韓国は国立派となります。

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その国を代表するエリートを輩出する大学が私立で、高額の学費が必要となると、エリートの子弟しか入学できず、エリート層の再生産が進み、階級の固定化、貧富の差の拡大が進むではないか?と懸念しますが、米国の場合、それほどの問題になっていません。奨学金のシステムなど、学生を経済的に支援する仕組みが充実しているからです。

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話がそれますが、明治時代、公立学校を「国立」とはあまり言わず、「官立」という言葉が普通だったようです。一方、私学は「私立」でしたから、「官」と「私」の構図です。

一方産業界では学校とは違い「官」と「民」という言い方です。

「官」と「私」、「官」と「民」は、それぞれ対立する構図ですが、両者は微妙に違います。

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ここで話が飛躍しますが、製鉄業の場合を考えます。

日本の近代製鉄の発祥を、官営八幡製鉄所に置くか、釜石製鉄所に置くかは意見の分かれるところです(韮山の反射炉を近代製鉄の始まり・・とする意見はほとんどありません)が、どちらも国立、いや官営で始まりました。

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日本だけでなく世界の各国で、19世紀から20世紀にかけて、国家の近代化に不可欠な存在として、一貫製鉄所がありました。巨額の設備投資が必要な製鉄所を官営(国営)とするか、民営とするかで、その国の産業政策の基本方針を占えたのです。

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釜石製鉄所も最初は官営でしたが、早期に民営の製鉄所に変更されています。だからずっと官営だった八幡製鉄所とは生い立ちが違います。両社は一度経営統合しますが、第二次大戦後の経済力集中排除法により、八幡製鉄と富士製鉄に分かれました。その生い立ちゆえに、前者は官営のままで官僚的、後者は民間企業の色彩が強い・・・とされました。

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しかし、やがて再び合併して新日鉄になったのですが、その時に大きな混乱はありませんでした。何の事はない、結局、民間企業の富士製鉄も官営時代の色彩を残し、十分に官僚的だったのです。

21世紀に入り、その新日鉄が住金と経営統合しました。今度の相手は、民間企業を代表する住友財閥の中核企業ですから、新日鉄とは全く風土が違う会社です。

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しかし、合併して分かったことですが、驚いたことに、住金の方がよっぽど官僚主義的だったのだそうです。 前例のないことは拒否する経営判断、学歴重視と減点主義、など。 今、新日鉄住金に生き残っている旧住金出身の役員はほぼ全員東大卒です。

余談ですが、「官」の企業は、「官立」の大学出身者(特に東大と京大)を好みます。

日本の製鉄業の場合、民間企業を装っても、実は官営企業のエピゴーネンだったのです。(JFEについてはよく分かりません)。

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「公」と「私」という分け方では、なんとなく優劣は明らかで、対立の構図にはなりにくいのですが、「官」と「民」となると対立の構図がイメージできます。民主主義の現代、なんとなく「民」を応援したくなります。面白いのは公共サービスを行う企業です。

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春闘の賃上げなどのニュースでは、マスコミは「大手私鉄各社」という具合に私鉄と言います。しかし、東武、西武、小田急などの企業は自らを「民鉄(民営鉄道)」と言います。「決して私的な存在ではなく、広く国民にサービスを提供しているのだから、私鉄ではない。単に経営資本が民間資本だというだけだ」。これは広く生徒を募集するからパブリックスクールだと言う、英国の学校と似た理屈です。

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しかし、この表現にも問題があります。民鉄(私鉄)の相手となるのは国鉄ですが、日本国有鉄道公社はもうありません。JRは株式会社ですから、本質的に民鉄各社と違いはなく、民鉄各社が「我々は民間だ!」と言っても、区別できないのです。

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民鉄各社を「私鉄」と呼ぶ、そのマスコミも問題です。

「ピョンチャンオリンピックの中継放送は、NHKと民放各社で分担する」と言っています。鉄道のことは「私鉄」と呼ぶくせに、自分のことは「民放(民間放送)」と言い、「私放」とは言いません。 そして相手となるNHKも(実態はともかく)国営放送ではありません。(一応)国家権力からは独立しています。 JRと民鉄各社の場合と同じように、NHKと民放各社の場合も明確な対立の構図は無いはずなのですが・・・。

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大学などの学校の場合は「私学」といい、鉄道や放送などの公共事業の企業は「民」を使いたがる、その理由は何なのか?

私は、敢えて「私」を使う学校の場合、「国家権力にはまつろわないで、創設者の志や建学の精神に基づいた教育をするぞ」という私塾の心意気があるから、「私」を使うのだと思います。一方、公共サービスを担う、鉄道や放送事業者の場合は、単に民間資本ですよ・・ということを示すだけですから「民」なのかな?

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でも、考えてみれば、放送事業こそ、自らのバックボーンを明確にして、権力にまつろわない、あるいはおもねらない姿勢が大切ですから、「私」を使うべきです。それよりも自らを「公」の存在として認めてもらいたいという思いの方が強いのでしょうか?

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無論反論は多くあるでしょう。「私立大学と対峙する「国立大学」だって、今は官立ではなく独立行政法人ではないか? 私立と国立で敢えて区別する本質的な違いはない」という声もあるでしょう。

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NHKも国営放送ではないし、JRも株式会社です。国立大学ももはや独立行政法人となれば、ますます企業や事業者を「官」と「民」に分けることは無意味になります。

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企業でなく人の場合、「公」と「私」の区別は残りますが、一個の人格に対して、「君は公人だ」「君は私人だ」というレッテルを貼る事もやがて無意味になっていくでしょう。

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最後まで、選挙で選ばれた政治家を、「公人」として扱うルールは残るでしょうが、選挙で選ばれた訳でもない芸能人を「公人」とするナンセンスな考えは否定されるでしょう。

あっ! でもAKB48は別ですよ。彼女達は確かに全国規模の選挙という洗礼を受けているのですから、立派な「公人」です。


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【 公人・私人、官と民 その1 】 [雑学]

【 公人・私人、官と民 その1 】

 

昨年来、森友加計スキャンダルで安倍首相が国会で追及されています。一連の報道で思うのは、学校経営者というのも、ずいぶん胡散臭い存在だね・・・ということです。学校の創設者というと福沢諭吉や大隈重信、新島襄らを連想し、人格高潔にして教育界のリーダーとなる人物を想像しますが、末流の学校の場合はどうやら違うようです。

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それはともかく、スキャンダルのカギを握る人物が安倍首相の昭恵夫人であることは間違いありません。その首相夫人を公人とみなすか私人とみなすかで、首相官邸と野党は国会で綱引きをしています。公人であれば証人喚問で糾弾することができますが、私人であれば、そこまではできない・・という理屈です。公人なら社会に対する責任も私人より大きく、国会や司直の追及に真摯に対応しなければならないという理屈でしょう。 では昭恵夫人は公人なのか私人なのか?

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この議論をする前に、公人とは何かを規定しなければならないのですが、それが曖昧です。首相・官邸は、公職選挙法に則った選挙で選ばれ、公職にある人を公人と言いたいようですが、実はそうでない人も一種の公的権力を持ち、業務を執行します。

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公務員採用試験に合格して官庁に入り、公務員となった人は、選挙と無関係に公的権力を持つ訳で、一種の公人です。公務員試験に合格しなくても、自衛官のような特殊公務員、国立大学の教官、職員、公立病院の職員も、公立学校の教員も、考えてみれば一種の公人です。外交官試験や司法試験に合格して採用された人も公人でしょうし、地方公務員ももちろん同じです。

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問題は、首相夫人です。公人の配偶者がまた公人である・・という理由はありません。彼女は選挙で選ばれた訳でも、公務員試験や司法試験、外交官試験に合格した訳でもありません。しかし、彼女にはSPが付き、その発言には影響力があり、しばしば公的権力を使います。彼女の権力は一体誰が承認し、付与したものなのか? という疑問が湧きます。

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米国でも同じ問題があります。民主党のクリントン大統領の時代、型破りのファーストレディとして、ヒラリー・ローダム・クリントン女史が活躍しました。彼女は別に選挙で選ばれた人物ではありませんが、実質的に副大統領のように振るまいました。

彼女の前にも、フランクリン・ルーズベルト大統領夫人だったエレノア・ルーズベルトの例があります。彼女たちは夫に影響を与えただけでなく、自分自身の意思で政治的な活動をしました。

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選挙で選ばれた訳ではない大統領夫人(つまり私人)が大きな公的権力を持つことを問題視する意見は米国にもあった訳ですが、スキャンダルになった訳ではありません。でも日本の場合、昭恵夫人の行動と発言には、懸念すべき点があり、今、何等かの形で、首相夫人の位置づけを明確にすべき時が来たと私は思います。

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その一方で、一人の人間を公人と私人に区別することに意味はあるのか?と思います。

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公人と私人を区別し、前者をより貴な存在と考える思想は、古代中国に由来するのかも知れません。厳格で権威ある試験に合格した人を選良として公人にする科挙のシステムは中国で採用され、アジアの一部の国に広まりました。一方、公的な手続きである選挙で選び、民意が反映された形で選良を公人とする民主主義的な発想もあります。こちらは古代ギリシャが先駆けでしょう。

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日本は科挙を導入しませんでしたが、官尊民卑の思想は受入れ、そして近代は民主主義を取り入れています。その中で公人と私人の位置づけが今ひとつ分かりにくいのです。

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そんなことを考えていたら、タレントの大竹まことの娘が覚せい剤所持で逮捕されるという事件が起きました。それについての大竹まことの発言が面白いのです。

「(自分は公人だからプライバシーを暴かれても仕方ないけれど)、娘は一般人(私人)だから勘弁して欲しい」と発言したのです。

http://www.jprime.jp/articles/-/11628

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世の中には、本物の芸を持たないタレントが、自分のプライバシーを切り売りして収入を得ていることは知っていますが、彼らを公人と言えるかどうか・・私には疑問です。

公人とは、マスコミに追及され、プライバシーを侵害されても仕方ない人・・ではなく、民意に基づいて選ばれて公的職位に就き、私的利益ではなく、全体の利益及び全体の公平の為に仕事をする存在だと思うからです。

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自分のプライバシー情報を公共の電波に乗せているだけで、自分のギャラのために仕事をしているタレント達が「自分達は公人だ」とのたまうとすれば、それは思い上がりというものです。芸能人が芸能人以外の人を指して「一般の人」という言い方をしますが、メディアに露出するというだけで、自分達は特別の存在だ・・とでも思っているのでしょうか? ひょっとしたらパスポートも芸能人用は特別なのかね?

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民主主義であろうが全体主義であろうが、世間はとかく公私の区別を大切にします。

それ自体は結構なのですが、その定義や境界が乱れているのです。

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なんとなく「公」に対して「私」は劣るもの、正式でないもの、隠すべきものというイメージがあります。 「公」をとても大切にする東洋の儒教精神に由来するものか?と考えましたが、そうでもないようです。 「私的」にあたる英語の“private”にも正式でないもの、隠すべきもの・というニュアンスが含まれます。

今は使われませんが、嫡出でない子供のことを、以前は「私生児」と呼びました。生まれた時から、「お前は公の存在ではない」と否定するようなひどい言葉です。

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その対立する概念である「公」と「私」を交錯させると、面白い何かが生まれます。

NHKが不定期で放映する、「極私的ドキュメントにっぽんリアル」は、タレントの営業用のプライバシーとは違う、本物のプライバシーを一般人がさらけだす番組で、一部のファンに好評です。「公的なもの」であれば、必ずそこに脚色や装飾が付きますが、「私的なもの」であれば、そこに飾りはなく、同じレベルで眺める視聴者の共感が得られるのです。「公」と「私」をクロスオーバーさせることに成功した作品です。

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私は特に、青年期の終わりに、安定した収入が無いまま社会に放り出されることになった佐藤寛朗君の困惑を描いた第一回が好きです。

https://www.messiahworks.com/archives/3641

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曖昧な「公」と「私」を、個々人のレベルで議論するのは、さほど難しくありません。しかし、組織論として「公」と「私」を論じるのは、かなり難しいです。そして組織論となれば、「公」と「私」だけでなく、「官」と「民」という類似した概念も登場します。

 

それらの違いについては次号で


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【 截金(キリカネ)ガラスの魅力 】 [雑学]

【 截金(キリカネ)ガラスの魅力 】

 

私は石川県金沢市の出身です。そしてこの町はいろいろな工芸美術で長い伝統があります。その中で、金沢で盛んな金箔や金粉、砂子、金泥を用いた装飾技術と、輪島塗や山中塗の漆塗りを組み合わせた、石川県ならでは伝統工芸、即ち沈金、蒔絵、螺鈿などが有名です。

ちなみに、他界した私の母は、あまり金ピカでない上品な沈金が特に好きでした。

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しかし、金箔工芸の中で、金沢には無く京都にのみ存在するものがあります。それが截金(キリカネ)です。仏像の衣装の文様などに用いられる幾何学模様を細線にした金箔で描くもので、その繊細さと金色があまり目立たない上品さがすてきです。しかし金沢育ちで京都には縁が無い私は、截金の装飾をした仏像を見る機会がありません。だからあまり興味が無かったのですが・・・。

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截金を仏像にではなく、ガラスに施した截金ガラスなる芸術品があることをTVで知り、これは面白いと思いました。早速ネットで調べると、沈金を超える繊細さ、ガラスの透明感と金属の明るさのコントラストが目に映ります。

https://akane-glass.com/

(済みません、著作権の理由で写真を載せられないので、URLを書きました)

精密で幾何学的なガラス工芸というと、薩摩切子や江戸切子を連想しますが、その上を行く精密さときらびやかさです。

「これは素晴らしい、一度、現物を見てみたい・・」と思いましたが簡単ではありません。

截金ガラスを製作する芸術家はほぼ一人しかおらず、京都のアトリエで製作される作品は多くはありません。

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截金ガラスの作家である山本茜氏は、金沢生まれだそうですから、やはり金沢の金箔工芸の流れを汲んでいるのか?と思いましたが、さにあらず、彼女は大阪の高校を卒業して京都の大学で美術を学んでいます。そして京都の截金作家の元で修業しています。

なんだ、金沢は関係ないのか・・と、ちょっとがっかりですが、ガラス工芸は富山の学校で学んでいます。やっぱり北陸の工芸技術を基礎においているのかな?とちょっと期待したりもします。 やはり現物を見なくては分かりません。

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お正月の気分が残る16日、私は栃木県佐野市の、吉澤記念美術館を訪問しました。そこでは「キラメク工芸 カガヤク日本画展」という名の、金箔を用いたキラキラ美術品の展覧会を開いており、山本茜氏の作品が4点、展示してあったのです。

ただし、美術館の所蔵ではなく、寄託品となっています。

スキャン_20180115m.png

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彼女の截金ガラスだけでなく、金箔を多用した多くの芸術品が並んでいますが、板谷波山の陶芸品と同じ部屋に展示された、彼女の作品はやはり別格です。(板谷波山も金沢にゆかりのある作家ですが、彼とその作品については、稿を改めて報告したいと思います)。

http://www.city.chikusei.lg.jp/data/hazan/top.html

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山本茜氏の截金ガラスは、「二人静」と題した菱形の作品1点と、源氏物語にちなんだ名前を付けた作品3点「桐壺」「藤裏葉」「御法」ですが、その緻密な造形と美しさに圧倒されるだけでなく、いろいろな疑問点が湧いてきます。

「彼女はいったいどんな技法でこの作品を作ったのだろうか?」

・・・・・・スキャン_20180115 (2).png

 

そもそも論で言えば、高温では金属とガラスの相性はよくありません。溶けた鉄と溶けたガラスは、表面張力の関係で反発します。製鋼工場ではその性質を利用し、溶けた鉄の上にスラグという一種のガラスを載せて、介在物を吸着したりします。また圧延工場では絞り加工する際に、ガラスを一種の潤滑材として用います。つまりガラスは鉄にくっつきにくいのです。それにガラスと金属では熱膨張率も違います。降温過程で剥離します。

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金箔や銀箔を高温のガラスに貼り付ける手法は以前からあります。藤田喬平氏が製作するガラス箱は、管の先の赤熱したガラス塊を金属箔に押し付けて接着させる手法ですが、ガラスの変形に伴い、金属箔は破れて、バラバラに千切れます。そして箔の表面は酸化で変色します。出来上がったガラス箱は、その模様が面白いとも言えるのですが、繊細とは言い難い表面です。

https://www.ichinobo.com/museum/

今回の美術展にも飾筥が出品されています。

・・・・・・

でも截金ガラスは全く違います。表面張力も金属箔面の酸化も関係ありません。

彼女が、細い筋状に刻んだ金箔とガラスを密着させたのは、高温ではなく常温に違いない。

そうすると、ガラス用の接着剤あるいは水ガラスを使用したのだろうか?

・・・・・・

でも普通、クリスタルガラスに用いる鉛ガラスと、凝固した後の水ガラスは屈折率が異なり、接合面ははっきり見えてしまいます。でも、彼女の作品では接合面が全く目立ちません。

彼女はどんな方法を用いているのだろうか?それに彼女の作品の「御法」などを見ると、接合面は湾曲しています。2つのガラスを研磨し、曲面をピタリと接合するのは容易なことではありません。しかもその間に金箔を挟むのです。

彼女が使用するガラスは普通のクリスタルガラスではないのだろうか?

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疑問は次々に湧いてきます。

柔らかい鉛ガラスであるなら、筋状に疵を付け、そこに金粉や砂子を埋め込んで、沈金にできるのではないか? その場合、截金と沈金のどちらが美術品として面白いかな? などと妄想をたくましくします。

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しかし、それ以上に気になるのは作品の名前です。京都にアトリエを置いて、京都の大学で教鞭をとりながら製作を続ける山本茜氏は、源氏物語の世界に強くインスパイアされて、作品を続けます。しかし、その作品と源氏物語の名前が私にはしっくり来ないのです。

「桐壺」はともかく「御法」の段は、悲しく寂しい物語です。景色は秋で、紫の上がこの世を去る悲しみのストーリーで、作品は、秋の哀愁に満ちた色合いがふさわしいのですが、彼女の作品「御法」は華やかできらびやかです。ちょっとしっくりしません。

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私の発想は、至って単純、かつ幼稚です。春ならピンク色、秋なら紅葉の色、冬なら白と黒と、勝手に色を決めたくなります。しかし、彼女の作品はそうではありません。

なぜなのか?

「どこかで質問する機会があればいいのに・・」と思いながら、美術館を出ようとすると、

学芸員の女性が話しかけてきました。

「たしか、昨年、山本茜さん本人がこの美術館に講演にお見えになりましたよ。残念ながら今年はその予定はないのですが・・・」

(しまった、それは惜しいことをした)と思いながら、(いや会わない方がいいかも知れない。作品だけを見て素直に感動すればいいので、作者から、言葉での説明を受けるべきではない)と思いました。

そしてもう一つ、作者に会いたくない・・と思ったのは、作者が美しい女性だったからです。(いらぬ雑念が入って、截金ガラスに抱く思いが影響を受けても詰まらない)。

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作者が美しい女性であっても、年老いた男性であっても少年であっても、截金ガラスの価値は違わないのですが、私の場合、惑わされる恐れがあります。

(やれやれ、まだまだ修行が足りない)。 そう思いながら、私は冬の陽光が光る道を駐車場に向かいました。


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