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【 公人・私人、官と民 その1 】 [雑学]

【 公人・私人、官と民 その1 】

 

昨年来、森友加計スキャンダルで安倍首相が国会で追及されています。一連の報道で思うのは、学校経営者というのも、ずいぶん胡散臭い存在だね・・・ということです。学校の創設者というと福沢諭吉や大隈重信、新島襄らを連想し、人格高潔にして教育界のリーダーとなる人物を想像しますが、末流の学校の場合はどうやら違うようです。

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それはともかく、スキャンダルのカギを握る人物が安倍首相の昭恵夫人であることは間違いありません。その首相夫人を公人とみなすか私人とみなすかで、首相官邸と野党は国会で綱引きをしています。公人であれば証人喚問で糾弾することができますが、私人であれば、そこまではできない・・という理屈です。公人なら社会に対する責任も私人より大きく、国会や司直の追及に真摯に対応しなければならないという理屈でしょう。 では昭恵夫人は公人なのか私人なのか?

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この議論をする前に、公人とは何かを規定しなければならないのですが、それが曖昧です。首相・官邸は、公職選挙法に則った選挙で選ばれ、公職にある人を公人と言いたいようですが、実はそうでない人も一種の公的権力を持ち、業務を執行します。

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公務員採用試験に合格して官庁に入り、公務員となった人は、選挙と無関係に公的権力を持つ訳で、一種の公人です。公務員試験に合格しなくても、自衛官のような特殊公務員、国立大学の教官、職員、公立病院の職員も、公立学校の教員も、考えてみれば一種の公人です。外交官試験や司法試験に合格して採用された人も公人でしょうし、地方公務員ももちろん同じです。

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問題は、首相夫人です。公人の配偶者がまた公人である・・という理由はありません。彼女は選挙で選ばれた訳でも、公務員試験や司法試験、外交官試験に合格した訳でもありません。しかし、彼女にはSPが付き、その発言には影響力があり、しばしば公的権力を使います。彼女の権力は一体誰が承認し、付与したものなのか? という疑問が湧きます。

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米国でも同じ問題があります。民主党のクリントン大統領の時代、型破りのファーストレディとして、ヒラリー・ローダム・クリントン女史が活躍しました。彼女は別に選挙で選ばれた人物ではありませんが、実質的に副大統領のように振るまいました。

彼女の前にも、フランクリン・ルーズベルト大統領夫人だったエレノア・ルーズベルトの例があります。彼女たちは夫に影響を与えただけでなく、自分自身の意思で政治的な活動をしました。

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選挙で選ばれた訳ではない大統領夫人(つまり私人)が大きな公的権力を持つことを問題視する意見は米国にもあった訳ですが、スキャンダルになった訳ではありません。でも日本の場合、昭恵夫人の行動と発言には、懸念すべき点があり、今、何等かの形で、首相夫人の位置づけを明確にすべき時が来たと私は思います。

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その一方で、一人の人間を公人と私人に区別することに意味はあるのか?と思います。

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公人と私人を区別し、前者をより貴な存在と考える思想は、古代中国に由来するのかも知れません。厳格で権威ある試験に合格した人を選良として公人にする科挙のシステムは中国で採用され、アジアの一部の国に広まりました。一方、公的な手続きである選挙で選び、民意が反映された形で選良を公人とする民主主義的な発想もあります。こちらは古代ギリシャが先駆けでしょう。

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日本は科挙を導入しませんでしたが、官尊民卑の思想は受入れ、そして近代は民主主義を取り入れています。その中で公人と私人の位置づけが今ひとつ分かりにくいのです。

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そんなことを考えていたら、タレントの大竹まことの娘が覚せい剤所持で逮捕されるという事件が起きました。それについての大竹まことの発言が面白いのです。

「(自分は公人だからプライバシーを暴かれても仕方ないけれど)、娘は一般人(私人)だから勘弁して欲しい」と発言したのです。

http://www.jprime.jp/articles/-/11628

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世の中には、本物の芸を持たないタレントが、自分のプライバシーを切り売りして収入を得ていることは知っていますが、彼らを公人と言えるかどうか・・私には疑問です。

公人とは、マスコミに追及され、プライバシーを侵害されても仕方ない人・・ではなく、民意に基づいて選ばれて公的職位に就き、私的利益ではなく、全体の利益及び全体の公平の為に仕事をする存在だと思うからです。

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自分のプライバシー情報を公共の電波に乗せているだけで、自分のギャラのために仕事をしているタレント達が「自分達は公人だ」とのたまうとすれば、それは思い上がりというものです。芸能人が芸能人以外の人を指して「一般の人」という言い方をしますが、メディアに露出するというだけで、自分達は特別の存在だ・・とでも思っているのでしょうか? ひょっとしたらパスポートも芸能人用は特別なのかね?

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民主主義であろうが全体主義であろうが、世間はとかく公私の区別を大切にします。

それ自体は結構なのですが、その定義や境界が乱れているのです。

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なんとなく「公」に対して「私」は劣るもの、正式でないもの、隠すべきものというイメージがあります。 「公」をとても大切にする東洋の儒教精神に由来するものか?と考えましたが、そうでもないようです。 「私的」にあたる英語の“private”にも正式でないもの、隠すべきもの・というニュアンスが含まれます。

今は使われませんが、嫡出でない子供のことを、以前は「私生児」と呼びました。生まれた時から、「お前は公の存在ではない」と否定するようなひどい言葉です。

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その対立する概念である「公」と「私」を交錯させると、面白い何かが生まれます。

NHKが不定期で放映する、「極私的ドキュメントにっぽんリアル」は、タレントの営業用のプライバシーとは違う、本物のプライバシーを一般人がさらけだす番組で、一部のファンに好評です。「公的なもの」であれば、必ずそこに脚色や装飾が付きますが、「私的なもの」であれば、そこに飾りはなく、同じレベルで眺める視聴者の共感が得られるのです。「公」と「私」をクロスオーバーさせることに成功した作品です。

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私は特に、青年期の終わりに、安定した収入が無いまま社会に放り出されることになった佐藤寛朗君の困惑を描いた第一回が好きです。

https://www.messiahworks.com/archives/3641

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曖昧な「公」と「私」を、個々人のレベルで議論するのは、さほど難しくありません。しかし、組織論として「公」と「私」を論じるのは、かなり難しいです。そして組織論となれば、「公」と「私」だけでなく、「官」と「民」という類似した概念も登場します。

 

それらの違いについては次号で


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