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【 公人・私人、官と民 その2 】 [雑学]

【 公人・私人、官と民 その2 】

 

高校時代の英語の教科書「England as she is」の中に、英国の学校のシステムを紹介する記事がありました。 早速、私に疑問が湧きました。

「私立なのに、どうしてパブリックスクールというのですか? 私立ならプライベートスクールではないのですか?」 当時私は国立の高校に通っていました。

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岩城谷先生は、「パブリックスクールは、一般に門戸が開けれ、入学試験に合格し、学費を払えば誰でも入学できる。 だからパブリックスクールだ。 英国の場合、家庭教師を雇って教育を受けることもあるし、一般に門戸を開かない学校もある。それらこそ、プライベートスクールと言える」という回答でした。 経営が民間なのかという問題ではないようです。

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学校が私立か公立か・・という点で言えば、英国の場合、一流大学、名門校の多くは私立です。 その国を代表する大学が国立か私立か・・という観点で分類すると、米国や英国は私立派、日本やフランス、中国、韓国は国立派となります。

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その国を代表するエリートを輩出する大学が私立で、高額の学費が必要となると、エリートの子弟しか入学できず、エリート層の再生産が進み、階級の固定化、貧富の差の拡大が進むではないか?と懸念しますが、米国の場合、それほどの問題になっていません。奨学金のシステムなど、学生を経済的に支援する仕組みが充実しているからです。

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話がそれますが、明治時代、公立学校を「国立」とはあまり言わず、「官立」という言葉が普通だったようです。一方、私学は「私立」でしたから、「官」と「私」の構図です。

一方産業界では学校とは違い「官」と「民」という言い方です。

「官」と「私」、「官」と「民」は、それぞれ対立する構図ですが、両者は微妙に違います。

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ここで話が飛躍しますが、製鉄業の場合を考えます。

日本の近代製鉄の発祥を、官営八幡製鉄所に置くか、釜石製鉄所に置くかは意見の分かれるところです(韮山の反射炉を近代製鉄の始まり・・とする意見はほとんどありません)が、どちらも国立、いや官営で始まりました。

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日本だけでなく世界の各国で、19世紀から20世紀にかけて、国家の近代化に不可欠な存在として、一貫製鉄所がありました。巨額の設備投資が必要な製鉄所を官営(国営)とするか、民営とするかで、その国の産業政策の基本方針を占えたのです。

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釜石製鉄所も最初は官営でしたが、早期に民営の製鉄所に変更されています。だからずっと官営だった八幡製鉄所とは生い立ちが違います。両社は一度経営統合しますが、第二次大戦後の経済力集中排除法により、八幡製鉄と富士製鉄に分かれました。その生い立ちゆえに、前者は官営のままで官僚的、後者は民間企業の色彩が強い・・・とされました。

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しかし、やがて再び合併して新日鉄になったのですが、その時に大きな混乱はありませんでした。何の事はない、結局、民間企業の富士製鉄も官営時代の色彩を残し、十分に官僚的だったのです。

21世紀に入り、その新日鉄が住金と経営統合しました。今度の相手は、民間企業を代表する住友財閥の中核企業ですから、新日鉄とは全く風土が違う会社です。

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しかし、合併して分かったことですが、驚いたことに、住金の方がよっぽど官僚主義的だったのだそうです。 前例のないことは拒否する経営判断、学歴重視と減点主義、など。 今、新日鉄住金に生き残っている旧住金出身の役員はほぼ全員東大卒です。

余談ですが、「官」の企業は、「官立」の大学出身者(特に東大と京大)を好みます。

日本の製鉄業の場合、民間企業を装っても、実は官営企業のエピゴーネンだったのです。(JFEについてはよく分かりません)。

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「公」と「私」という分け方では、なんとなく優劣は明らかで、対立の構図にはなりにくいのですが、「官」と「民」となると対立の構図がイメージできます。民主主義の現代、なんとなく「民」を応援したくなります。面白いのは公共サービスを行う企業です。

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春闘の賃上げなどのニュースでは、マスコミは「大手私鉄各社」という具合に私鉄と言います。しかし、東武、西武、小田急などの企業は自らを「民鉄(民営鉄道)」と言います。「決して私的な存在ではなく、広く国民にサービスを提供しているのだから、私鉄ではない。単に経営資本が民間資本だというだけだ」。これは広く生徒を募集するからパブリックスクールだと言う、英国の学校と似た理屈です。

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しかし、この表現にも問題があります。民鉄(私鉄)の相手となるのは国鉄ですが、日本国有鉄道公社はもうありません。JRは株式会社ですから、本質的に民鉄各社と違いはなく、民鉄各社が「我々は民間だ!」と言っても、区別できないのです。

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民鉄各社を「私鉄」と呼ぶ、そのマスコミも問題です。

「ピョンチャンオリンピックの中継放送は、NHKと民放各社で分担する」と言っています。鉄道のことは「私鉄」と呼ぶくせに、自分のことは「民放(民間放送)」と言い、「私放」とは言いません。 そして相手となるNHKも(実態はともかく)国営放送ではありません。(一応)国家権力からは独立しています。 JRと民鉄各社の場合と同じように、NHKと民放各社の場合も明確な対立の構図は無いはずなのですが・・・。

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大学などの学校の場合は「私学」といい、鉄道や放送などの公共事業の企業は「民」を使いたがる、その理由は何なのか?

私は、敢えて「私」を使う学校の場合、「国家権力にはまつろわないで、創設者の志や建学の精神に基づいた教育をするぞ」という私塾の心意気があるから、「私」を使うのだと思います。一方、公共サービスを担う、鉄道や放送事業者の場合は、単に民間資本ですよ・・ということを示すだけですから「民」なのかな?

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でも、考えてみれば、放送事業こそ、自らのバックボーンを明確にして、権力にまつろわない、あるいはおもねらない姿勢が大切ですから、「私」を使うべきです。それよりも自らを「公」の存在として認めてもらいたいという思いの方が強いのでしょうか?

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無論反論は多くあるでしょう。「私立大学と対峙する「国立大学」だって、今は官立ではなく独立行政法人ではないか? 私立と国立で敢えて区別する本質的な違いはない」という声もあるでしょう。

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NHKも国営放送ではないし、JRも株式会社です。国立大学ももはや独立行政法人となれば、ますます企業や事業者を「官」と「民」に分けることは無意味になります。

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企業でなく人の場合、「公」と「私」の区別は残りますが、一個の人格に対して、「君は公人だ」「君は私人だ」というレッテルを貼る事もやがて無意味になっていくでしょう。

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最後まで、選挙で選ばれた政治家を、「公人」として扱うルールは残るでしょうが、選挙で選ばれた訳でもない芸能人を「公人」とするナンセンスな考えは否定されるでしょう。

あっ! でもAKB48は別ですよ。彼女達は確かに全国規模の選挙という洗礼を受けているのですから、立派な「公人」です。


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