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【 卒業式 2 】 [雑学]

【 卒業式 2 】

 

卒業式の会場に向かう地下鉄の車内は、一目でそれと分かる若者達がたくさんいます。女性は華やかな和服で袴を穿いています。足元を見ると白足袋に草履の人もいますが、ブーツを履いた人もいます。「ありゃ? 袴にブーツというのは坂本龍馬みたいだね」と言うと、家内が、「あの装いはね、『ハイカラさんが通る』以降、市民権を得たのよ」と、私には遠い世界の話をします。

今日は春うららの陽気ですが、東北の仙台の3月です。もし天気が悪ければ、袴にブーツというのは名案かも知れません。

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男性陣を見ると、こちらはリクルートスーツと言うのか、新しい背広にネクタイです。藤山一郎の「青い背広で心も軽く・・」と口ずさみたくなりますが、昭和の歌を知っている人は少ないでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=p5sF-QgyfEA

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プロが着付けをした女性陣と異なり、男性陣は、まだスーツが体になじんでいない人もいます。ワイシャツの襟が上着の上に飛び出していたり、ネクタイが曲がっていたりします。

前回ご紹介した、西島三重子の「ローリングストーンは来なかった」にある「まだネクタイが似合わないんだ」という歌詞を思い出します。仙台だけれど、みんなが伊達男と言う訳じゃないのだな・・・。でも誰もが笑顔で楽しそうです。

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会場の入り口付近は卒業生とその家族、見送る後輩たちで大混雑です。はじける笑顔がいたるところにあり、笑い声がどこからも聞こえます。こんなに底抜けに明るくて、ハッピーな空間は結婚式ぐらいです。

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学園を去ることがこれほど嬉しいとは・・。学園生活は監獄生活みたいだったのかな?この大学は宮城刑務所か?とくだらないことを考えます。

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それにしても、卒業式につきものだった湿っぽさというか、惜別の涙などは全くありません。首都圏に就職する人もいるだろうに、みんな友達と別れる寂しさはないのか?学園を離れる寂寥感はないのか?将来についての不安はないのか?

周りを見れば、みんなスマホを取り出して、写真を撮ったりLINEで通信しています。そうか、今の時代、ネットで友達は繋がっており、遠隔地に行っても別れるという実感は無いのだな・・と妙に納得します。

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去年の就職戦線は空前の売り手市場でした。そのお陰で、皆さん希望通りの就職先を見つけ、社会人になる不安はなさそうです。それにしても涙を見せる人は一人もいません。

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数学者の藤原正彦は「アメリカには涙が無い」と語っています。現実にはそうでもないのですが、確かにドライな社会です。アメリカの大学の卒業式もこんな感じなのかな?と想像しますが、アメリカの大学とは無縁だった私には分かりません。

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会場に入ると大学の室内管弦楽団が、ワーグナーのニュルンベルグのマイスタージンガーの前奏曲を演奏し出しました。てっきり大学祝典序曲(その昔、大学受験ラジオ講座のテーマ曲でした)だと思っていた私は、意表を突かれましたが、この曲も厳かで雰囲気にあっています。「しかしマイスタージンガーの前奏曲ということは、これから始まる式典は喜劇だということか?」と、またまたくだらないことを考えます。

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卒業式のハイライトは、総長(学長)の祝辞です。昔から名演説が多くあります。私の母が女学校を卒業した時などは、校長先生から「皆さん、今日からは互いに集って仲良くしないように」という面白い祝辞があったそうです。

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東大の場合、例えば、「太った豚になるよりは、むしろ痩せたソクラテスになれ」とか「諸君、ただ酒だけは飲まないように」という分かりやすいものもあります。残念ながら、完全に太った豚になってしまい、ただ酒となると喜んで参加するオヒョウなどは、実に耳が痛いところですが、まあ、私は東大じゃないからいいか・・と思っています。

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里見総長の祝辞は格調高く威厳に満ちたものでした。祝辞ですから湿っぽい話はできません。自分の定年退官になぞらえて学園を去る寂寥感に触れるぐらいです。

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しかし、それはともかく、卒業生に送る言葉(いわゆるcommencement speech)で秀逸だったのは、スティーブ・ジョブスが亡くなる少し前にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチです。あれを聞いて大いにencourageされた卒業生もいたはずです。

https://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4

彼の演説は、私の会社員生活にも幾らかの影響を与えました。日本語で読んだ後、改めて原文を読みたいと思ったのは、ケネディの演説とジョブスの演説だけです。

スティーブ・ジョブスは「性格狷介にして、人柄に難あり」とされましたが、演説を聞く限り、彼は尊敬に値する男だと思います。

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里見総長の演説も後半は英語で語られ、数多くの留学生に配慮したものになっていました。そういう時代になったのだなぁ・・と思いながら私は会場を後にしました。

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会場の外は、再びお祭り騒ぎで大混雑です。写真を撮る人や胴上げされる人もたくさんいます。トイレに行くと、胴上げされて着崩れたのか、卒業生の青年がネクタイを直しています。やっぱり「まだネクタイが似合わないんだ・・・」ということのようです。

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そこで鏡を見れば、なんと私のネクタイも曲がっています。

「やれやれ学校を出て40年近く経つけれど、僕はまだネクタイが似合わない」と苦笑いしながら、ふと思います。

「でもね君たち、ネクタイが様になって、外見がやたら格好いい伊達男になったとしても、そんなのつまらないぜ。ネクタイで眼底血圧が上がるかも知れないし・・・」

 

そんなことを考えながら、私は帰り道を歩き、地下鉄の駅に向かいました。


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おじゃまま

大学の卒業式は、いい就職が出来て満足してる人しか行かないから、
涙もないのかもしれません。
by おじゃまま (2018-04-06 16:56) 

笑うオヒョウ

おじゃまま様 お久しぶりです。コメントありがとうございます。おっしゃる通り、卒業式に限らず、街で笑顔でめだっているのは幸運な人、幸せな人ですね。その背後には目立たない不運な人がいることを我々はかみしめるべきかと思います。でも笑顔の秀才達も卒業後にこんなはずじゃなかった・・ということもあるかも知れません。小津安二郎風に言えば「大学はでたけれど」ですが、それについて次回の拙稿で申し上げたいと思います。多分明日脱稿します。

それについてのまたのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2018-04-07 00:44) 

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