【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その1 】 [雑学]
【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その1 】
相撲協会の問題がつぎつぎと明るみに出て、ワイドショーをにぎわせています。面白いといっては不謹慎ですが、巡業先の舞鶴で、挨拶で土俵に立った市長が倒れ、救護に駆け寄った女性看護師に対して、行司が「女性は土俵から降りろ」とアナウンスした事件は、相撲協会の問題のある体質を象徴的に示しています。
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話はかわりますが・・・・、
明治4年に断髪令が出され、日本の男子はちょん髷を結うことが許されなくなりました。世界の歴史を見ても、男子の髪型が法令で規定された例はあまりないようです。
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有名なのは、中国が清王朝だった時代、満州族が漢民族を支配し、男子に辮髪を強制した例です。従わなければ死罪となりますから、男子は仕方なく、全員が辮髪となったのです。今でも西欧に行って中国人のイメージを訊けば、吊り上がった目と辮髪と髭の男性、そして宦官となります。この屈辱的な風体が、カリカチュアとして用いられることに、なぜ中国政府がクレームしないのか疑問です。習近平のイメージが、熊のプーさんに似ているという、くだらない理由でプーさんのキャラクターを禁止する暇があるなら、そちらをするべきではないか?と思います。
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辮髪を近代化前の悪しき中国の象徴だと考えこれを嫌い、いち早く切り落とした男達がいます。太平天国の乱に参加した人達もそうですし、魯迅などの知識人もそうです。
辮髪の切り落としは、中国近代化の一つの象徴だったのです。(20世紀の話です)。
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話が脱線しましたが、明治新政府は、外国で日本男子の髪型(つまりちょん髷)が馬鹿にされたことがよほど悔しかったのか、それとも中国人の辮髪が馬鹿にされているのを見て、これはまずいと思ったのか、いずれにしても早急に髪を切って西洋風の髪型にするよう断髪令をだした訳です。
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国民の多くに理解してもらうために、戯れ歌さえ作って流行らせています。
「半髪(ちょんまげ)頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪(長髪)頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
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しかし、ここで例外的に髷を許された人々がいます。それが相撲取りです。普段はちょん髷を結い、場所中の関取は大銀杏を結います。序の口の力士や学生相撲から転じた幕下付け出しの力士は、髪の毛が伸びるのが間に合わず、総髪(長髪)で土俵に上ったりしますが、いずれ髷を結います。
逆に引退する時は、仰々しく断髪式なるものを行い、髪を短くして現役力士の自分に別れを告げます(昔はそんなものは無かった)。
悲惨なのは、禿げあがってしまい、髷が結えなくなったために、仕方なく引退した力士です。個人の名誉のために具体例は挙げませんが、何人か、そういう力士がいたそうです。
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どうして、相撲取りだけが断髪令を免れたのか? 私には理解できません。 相撲解説者の中には、もっともらしく、長髪で髷がある方が、頭を保護して脳震盪にならないなどと言う人がいますが、大ウソです。頭を保護するなら、アメフト選手のヘルメットやラグビー選手やボクシング選手のヘッドギヤの方がはるかに有効です。
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誰も信用しませんが、私の卒業研究は頭蓋骨に衝撃を与えた時の脳組織の挙動がテーマでした。
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要は、日本の伝統様式を守るのが重要であり、そのために髷が必要だとしたのでしょう。 当時、他にも伝統様式を継承しなければならない職業は幾つもありました。しかし、
1.僧侶はもともと剃髪なので無関係。
2.歌舞伎役者は、以前から鬘を被っているので無関係。
3.神主などの神職は烏帽子や冠をつけているので、これも髪型は無関係。
ということで、伝統を守るために、髷が必要という議論にはならなかったのです。
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江戸時代まで、日本の社会では髪型でその人物の職業や地位を判断できました。
一種の記号論の世界です。 武士は武士(武士にもいろいろ種類がありますが)、町人は町人、医者は医者の髪型、学者先生や道場の師範は総髪、そして関取は大銀杏といった具合です。四民平等といった概念からも断髪は必要と判断されました。唯一の例外は伝統を守りたい相撲取りです。
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しかし、ここで相撲協会が守ろうとした伝統とは何だったのか? それは外見で表象されるものだったのか? 実は明治の文明開化のチャンスに、大相撲が近代化し損ねた点はちょん髷だけでなく、他にもあります。
・部屋・親方制度を維持し、徒弟制度の下で力士を育成するシステム。
・谷町からのご祝儀に多くを頼る、ゴッチャン式の不明朗経理。
・先輩・後輩の上下関係を最大限強調し、暴力をも是認・許容する風土。
・学校教育の重要性を鑑みず、少年力士の進学を重視しなかったこと。
(代わりに相撲教習所という独自の学校がありましたが)。
・男女差別とされるしきたりを残したこと。
・和服、和装を重視し、洋服を排したこと。
などです。
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実は、この150年前の近代化のチャンスを逸したことが、今日禍根になっている部分があります。 土俵上に女性が上がってはいけない・・という、奇妙なタブーももっと早い時点で見直さなければならなかったのに、ちょん髷と同様、相撲界だけは「まあいいか」と見逃されてきた訳です。
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ではなぜ、そうなったのか? 根本的な理由は、大相撲には3種類の性格・目的があり、それらがアンビバレントというか相互に矛盾していたからです。
1. 神技として神の前で奉納する伝統的儀式としての性格
野見宿禰以来の伝統で、国技とされる大相撲が批判されると、必ずこの意見がでて反撃します。女性を土俵に上げないなどのタブーもそれに由来します。
2. 純粋な競技スポーツとしての性格
勝ち負けが重要で、優勝劣敗を決めることが最終的な目的となります。その前提としてフェアであること、スポーツマンシップが尊重されること、等多くの制約があります。
オリンピック競技の選択基準もほぼ一致します。それに倣えば、競技は体重別にクラス分けされるべき、とか、競技者やコーチからの判定への異議申し立てを認めるべき、とか いろいろな要改善点がでてきます。
最近のオリンピックの傾向を考えれば男女平等に競技に参加できることが最重要とされます。 これについては後述します。
3. 興行・娯楽としての性格
これはプロレスと似た性格になります。 スターが必要で、ルールやフェアさよりも派手な演技が喜ばれます。善玉・悪玉がはっきりした方が観客は喜びます。地方興行となると、地元のボスとの付き合いも必要になり、かつては反社会勢力との接触がうわさされ、賭博や八百長もありました。相撲協会のかつての経理の不明朗さの一因もそこにあります。女相撲なんてのも興行としてはありです。
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男女の差別・区別という観点で考えた場合、1.と2.の矛盾は際立ちます。
行司は、思わず1.の理屈を採用したのでしょう。 しかし、この男女を区別する伝統は墨守すべきものなのか?時代に応じて変更していくべきものなのか?
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ここで参考になるのはオリンピックの歴史です。
以下次号
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