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【 意趣返し その1 】 [雑学]

【 意趣返し その1 】

 

韓国の反日活動が止まりません。2国間で揉め事があった場合、普通は政府当局が、過激に走らないようブレーキをかけたり、火消しに走るものですが、韓国政府は、反日活動を鎮めるどころか煽る一方です。徴用工問題にしてもいわゆる慰安婦問題にしても、大統領自身が確信犯として扇動している状況ではとてもブレーキはかかりません。

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相手国(つまり日本)は冷静に見過ごすのが大人の対応と言えますが、個々の民間企業の資産が差し押さえを受ける事態となっては静観できません。日本から外圧をかけて反日活動にブレーキをかける必要がありますが、あまり気持ちのいい仕事ではありません。

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やられたらやり返す仕返し、或いは報復という概念は、しばしば幼稚な対応とされ、紳士たるべき先進国の外交ではありません。しかしここまで来ると、もはややむをえません。

では韓国に対してどういう制裁を行うべきか?

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仕返しの手段を考える時、人々はしばしば暗い情念にかられます。制裁や復讐の手段を考えるとき、密かに喜びを覚える時すらあります。私は喜びを感じることはありませんが、韓国政府に対してどういう制裁が可能で適当かを考える意味はありそうです。

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国と国の境を無くし仲良くなる場合、ヒト、モノ、カネの移動を自由化し垣根を無くすのが普通です。ヨーロッパでEUが存在感を強めた1990年代、マーストリヒト条約やシェンゲン協定を通じて、EU域内のヒト、モノ、カネの移動を自由化していきました。逆に、今脱退する英国はその垣根を再び構築するその手続きに悩んでいます。日本と韓国も関係が冷却化し、日本から制裁を加えるとなると、ヒト、モノ、カネの往来に制限をかけることになります。

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日本のマスコミも政治家も、ヒト、モノ、カネのそれぞれで規制をかけることを考えています。

まず、ヒトの往来について考えてみます。

政府が考えるのは、マルチビザや短期滞在型ビザの発給の厳格化・制限です。あるいは日本からの渡航自粛です。これはすぐに実行でき効果てきめんです。

しかし、問題も多くあります。韓国人の多くは、必ずしも反日ではありません。反日なのは、韓国政府と一部の過激思想の持主だけで、彼らが蛇蝎の如く日本を嫌い憎んでいるだけです。敢えて日本に来ようという人は必ずしも反日ではなく、彼らを苦しめてどうするのか?ということになります。人の往来に制限をかけることは必ずしも得策ではありません。

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もうひとつの対策は日本で不法就労する韓国人の炙り出しと強制送還です。これは現在の法律を厳格に適用するだけで実行できます。

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紳士淑女の読者諸兄はご存知ないでしょうが、日本の風俗産業(つまり売春業界)で働く女性の相当数は韓国人です。これには理由があります。以前韓国で売春が徹底的に取り締まられた際、多くの春をひさぐ女性達は海外に逃れました。一部は米国に行き、一部は日本に来ました。米国の西海岸では、当局が定期的に売春婦狩りをしますが、捕まる女性の多くは韓国人です。

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日本の場合は・・・どこにいるのか私は知りませんが、風俗産業にたずさわる韓国人を摘発すれば、相当数になるはずです。彼女達の行為は当然違法であり、ビザの種類によらず、強制送還の対象となります。 そして彼女達を摘発することは、いかに韓国人売春婦が多いかを世界に知らしめる効果があります。即ち、従軍慰安婦なるものの多くが、実は従軍売春婦だったのではないか?と気付かせる効果があります。

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アメリカなどには、今でも、アフリカの奴隷狩りのように、済州島で日本の官憲が両家の子女を一斉に拘束して無理やり慰安婦にしたと信じている人がいます。当時、韓国では売春婦がありふれた存在で、ふんだんに供給されたのなら、どうして堅気の少女を拘束して慰安婦にする必要があるのか?という疑問がわきます。従軍慰安婦は強制された存在ではなかったのではないか? と聡明な人々に気付いてもらえるかも知れないのです。

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しかし、これにも問題があります。

風俗産業で働く人にも人権があります。彼女達には韓国の家族に仕送りをしている人もいるでしょうし、皆必死に働いて生活しているのに、国と国の仲が悪くなったからといって、彼女達を追い返していいのか?と思います。違法行為とはいえ、彼女達が働いて日本で稼ぐということは、日本の社会に需要があり、役立っているということでもあります。そう考えると、これも上策とは言えません。

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次はモノの行き来をストップする作戦です。これについては次号で。


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【 窮理の船 (今回は私事です) 】 [雑学]

【 窮理の船  (今回は私事です) 】

 

申し遅れましたが、私は10月中旬から福井県の北部にある鋼管工場に勤務しております。62才になってなお、「うちで仕事をしないか」との声がかかったのがありがたく、東京の勤務先には不義理をして、福井県に赴いた訳ですが、入ってみれば、いやその忙しいこと、1月に1回、鹿嶋の自宅に帰るという予定は、ままならないかも知れません。

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その中で、11月下旬の勤労感謝の日の3連休には、鹿嶋に帰ることを決めていました。東京でお会いしたい人もたくさんいますし、それに1123日は、愚息2号(つまり次男)の誕生日です。その次男は、今年、南極観測に出かけることになり、1125日に成田から出発するのです。実は南極観測船「しらせ」は既に日本を出発していますが、観測隊員は飛行機で後から出発し、オーストラリアのフリーマントルで乗船する予定なのです。

https://www.asahi.com/articles/ASLC87X66LC8UTIL078.html?iref=comtop_list_nat_n04

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そして成田から出発する次男を見送るために、私と家内、それに北海道の研究所にいる愚息1号も集まることになったのです。南極に行くのは、次男一人ですが、その少し前から、私も家内も南極と南極観測船「しらせ」に興味を持ち、ファンになりました。極地研究所の一般公開があれば出かけて見学し、「しらせ」の見学会があれば、横須賀まで出かけて乗船し、だんだんわくわくしてきました(自分が行く訳でもないのに)。そしてちょっと嬉しくなって親戚にも報告しました。

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早速、横須賀に暮らす家内の叔父からは、東京湾に浮かぶ美しい「しらせ」の写真が送られてきました。観音崎の先、走水を通過し、南極へ向かう「しらせ」の写真です。

 

shirase2.jpgshirase4.jpg

 

 

写真の中には、陸上から旗旒信号を振る男性の後ろ姿の写真もあります。(残念ながら肖像権の確認が取れていないので、その写真は掲載できません)。

UW.png

その旗旒信号は、「御安航ヲ祈ル」という、UW旗です。一昨年の弊ブログにも登場しました。お忘れの方は下記のURLをご覧ください。

https://halibut.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04

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「海上自衛隊には、一隻だけ 明るい色で塗装した船があるのですよ。分かりますか?」と話すのは、海上自衛隊の幹部だったNさんです。「それは南極観測船「しらせ」です」。 何度も「しらせ」に乗船(乗艦?)したNさんによれば、海上自衛隊のほとんどの水上艦は、暗いグレーに塗られているそうです。そして潜水艦は黒色です。(これは喫水線より上の部分です)。

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軍艦は戦闘の際、敵に視認されない方がいい訳で、保護色を使うのです(ローヴィジと言うそうです)が、戦闘艦でなければ、その必要はありません。むしろ発見されやすい方がいい訳で、「しらせは」は甲板より下は明るい柿色、甲板より上はクリーム色です。

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初代の南極観測船「宗谷」は海上保安庁に属していたのであてはまりませんが、海上自衛隊に所属した「ふじ」「しらせ(初代)」も今の「しらせ」と同じ色です。

 

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これは、初代の「しらせ」です。

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「しらせ」の甲板に立つ自衛隊員に尋ねると、「しらせ」の乗組員は、全員が志願者で、選ばれて乗船するのだそうです。なぜ志願者が多くいるのか?

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南極という場所に行ってみたいという好奇心もあるでしょうし、もっぱら戦闘訓練に明け暮れる通常の艦隊勤務と異なり、平和な船に乗ってみたいという思いもあるでしょう。でもひょっとしたら、暗い色の船ではなくカラフルな船に乗ってみたいというそんな気持ちもあるのかも知れません。

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ところで1110日に出港した「しらせ」ですが、軍人より科学者や研究者を多く載せたこの船をなんと呼ぶべきか? 私は50年前に教わった「窮理の船」という言葉を思いつきました。私が中学生のころ、音楽の授業で、針谷茂先生がなぜか讃美歌を教えてくださいました。「月なき美空に・・」で始まる讃美歌312番ですが、その中に「窮理の船」という歌詞が登場します。

http://www.worldfolksong.com/hymn/friend-jesus.html

同級生の誰かが、「「窮理の船」とは何ですか?」と質問すると、針谷先生は、少し考えて「今、飛んでいるアレだよ。真理を探究するために進んでいる宇宙船も一つの窮理の船さ」と答えられました。ちょうどその頃、アポロ宇宙船が月面に着陸していたのです。

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本当は、窮理とは哲学的真理を探究することで、自然科学に使っていいのか?という疑問はありますが、なぜかその時は納得した記憶があります。

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すると、今ならさしずめ、南極観測船「しらせ」こそが「窮理の船」だな・・と、50年後の現代の私は思いました。

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窮理の船に心躍らせて乗る次男は、修士課程の1年生です。南極で何を学び、何を経験してくるのか、門外漢の私には分かりませんが、彼もまた人生の船出の時期を迎えます。 南極から帰り、修士課程を修了した後、彼がどの道を選び、どういう人生を送るかは分かりません。 ただ、自分で道を切り開き、困難を克服して自己実現してほしいと祈るばかりです。 次男だけでなく、若い学生や研究者の卵たちは、「しらせ」に乗ろうが乗るまいが、皆さん「窮理の船」の乗組員です。 私はただ「御安航ヲ祈ル」という旗を振るばかりです。

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海原に、白き航跡現れて 南を目指す 窮理の船は

 

天際に緋色の船を見送れり Bon Voyageの旗を振りつつ

 

うーむ 駄作です。私には短歌はやっぱり無理みたいです。


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【 ノーベル賞枯渇論に駁す 】 [雑学]

【 ノーベル賞枯渇論に駁す 】

 

元の東北大学総長でミスター半導体とも呼ばれた西澤潤一博士が他界されました。オヒョウには電気工学や電子工学は専門外なので迂闊なことは言えませんが、西澤博士が考案したとされる光ファイバーの理屈はとても面白いと思った記憶があります。

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そして一時期、西澤博士は、日本人研究者ではノーベル賞に最も近い位置にいたとされます。

残念ながら、その機会はなく、東北大学でははるか後輩の田中耕一さんが化学賞を受賞するのを祝福し、今年は京都大学の本庶佑教授の生物医学賞受賞を見届ける形で亡くなった訳で、本人の胸中はどうだったかな?と、ふとそんな事を考えます。

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最近のノーベル賞は、下馬評を報道するマスコミのせいか、門外漢でも名前は聞いたことがある有名な先生が受賞することが多いようです。iPS細胞の山中伸弥教授やニボルマブ(オプジーボ)の本庶佑教授、青色発光ダイオードの中村修二氏などは、早くからノーベル賞候補として噂されていました。ソフトレーザーによる質量分析技術で受賞した田中耕一さんのようなダークホースは稀です。

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そして、今年の本庶教授の受賞にあたっても登場しましたが、毎年報道されるのは「日本のノーベル賞枯渇論」です。

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即ち、「最近の70代の受賞者は30代、40代の頃の研究が評価されて受賞するので、30年の時間差がある。30年前は、優秀な科学者がたくさんいたし、文科省の予算も潤沢で先進的な研究ができた。しかし今は駄目さ。子供達の理科系離れやゆとり教育で、理工系の学部の人気も質も大幅に低下した。科学者の数も質も低下した。文科省の科研費も削減される一方で、増え続けるのは博士の数ばかり。彼らはパーマネントポストを獲得するのにきゅうきゅうとして、ノーベル賞に値するような大研究をする余裕も能力も無い。だから、今がピークで、将来は日本からはノーベル賞は出ないね・・・」という悲観論です。

「昔は良かった。それに引き換え今は・・」というのはいわゆる下降史観です。

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それに続いて「だから文科省は基礎研究予算をもっと手厚くするべきだ」と続く場合もあります。

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日本の自然科学研究が沈滞傾向にあり、ダメになっていくのか?というと、私にはよく分かりません。しかし、斜に構えた下降史観にすなおに与することはできません。そもそも、自然科学全般(特に、ノーベル賞の対象となる物理、化学、医学、生物学)で、最先端の研究がどのように行われているのか、あるいはその中で、日本人研究者の存在感はどうなのか、といったことを、全て理解している学者や評論家はいないはずです。それにも関わらず、ノーベル賞級の研究が減った・・などと言うのは倨傲にすぎます。

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実は、「ノーベル賞枯渇論」は今に始まった話ではありません。私の記憶では、1981年に福井謙一博士がフロンティア電子理論で化学賞を受賞した頃からです。当時、日本にノーベル賞受賞者はまだ少なく、物理学賞が主でした。

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その時からノーベル賞枯渇論は存在したのですが、その主張とは、以下の通りです。

「かつての理論物理学では湯川秀樹博士や朝永振一郎博士のように、紙と鉛筆さえあれば研究できた。だから敗戦後の貧乏国だった日本でも世界に通用する研究ができ、ノーベル賞も受賞できた。しかし今はダメさ。大掛かりで高価な実験装置を駆使し、国家プロジェクトで研究を進める時代では、日本の研究者は太刀打ちできない。それに全共闘世代以降は、日本の研究者のレガシーも破壊され、日本の自然科学研究はもう終わりだね。福井先生が最後さ」

たしか、こんな意見を朝日新聞で読んだ記憶があります。

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しかし、実際はどうかといえば、全く違います。

福井謙一先生が受賞されたころには、山中伸弥教授は大学一年生ですし、田中耕一さんも大学生でした。福井先生の後に研究を開始した人達も、立派にノーベル賞学者になっています。日本人受賞者は増える一方です。当時の「ノーベル賞枯渇論」は的外れでした。

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理科系のノーベル賞について、全てを把握した訳ではありませんが、共通するのは、一種の偏執狂のように一つのことに拘る天才科学者が人生を掛けて成し遂げた研究だということです。そして紙と鉛筆だけで・・・というのは、半分は正しいのですが、半分は誤りです。物理学では理論と実験は表裏一体だと聞いています。

湯川秀樹博士が中間子の理論でノーベル賞を受賞したのと前後して、米国のアンダーソン博士と英国のセシル・パウエル博士が受賞しています。

湯川博士は中間子の存在を予測しましたが、アンダーソン博士とネダマイヤー博士は宇宙線の中から中間子を発見し、セシル・パウエル博士は、原子核の崩壊を観察して中間子を発見したのです。それら三位一体での受賞であり、やはり大掛かりな実験は必要でした。もっとも、湯川博士が予言した中間子と発見された中間子は別物だったのですが・・。

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最先端の高エネルギー物理学では、巨大で高価な実験設備が必要なのは事実ですが、そればかりではありません。小柴昌俊教授や梶田隆章教授らのカミオカンデやスーパーカミオカンデは、巨額な費用を要する加速器が望めない中で、巨大な水槽を利用してニュートリノを捕まえようとしたもので、設備は巨大ですが、大型加速器と比べて、それほど巨額とも言えません。

むしろ、高エネルギー加速器研究機構のTRISTANKEKBのプロジェクトでのノーベル賞受賞者が小林誠教授だけ・・というのは少し寂しいところです。

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物理の世界は、今でも、湯川秀樹、朝永振一郎、南部陽一郎、益川敏英といった紙と鉛筆で研究する人と。小柴昌俊、戸塚洋二、梶田隆章のように、実験で研究する人が車の両輪のように存在し、ノーベル賞は両方に授与されています。

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冒頭で西沢潤一教授の例を挙げましたが、ノーベル賞は、その背後に母集団とも言うべき沢山のノーベル賞級の研究があり、その中で特に優れたもの、あるいは特に幸運だったものが受賞の名誉を受けます。日本の場合、門外漢のオヒョウが知るだけでノーベル賞級の研究は日本に沢山あり、その母集団がなくならない限り、日本からの受賞者が途絶えることはないと思います。

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いずれにしても、日本のノーベル賞枯渇論は根拠が薄弱であり、心配の必要はないと思います。

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話は変わりますが、自分が研究者でなくても、ノーベル賞受賞の話は嬉しいものです。同じ郷里の出身者だったり、母校が同じだったりすれば、とても誇らしく思えたりします。しかし、日本人の受賞者を数えて外国と比較したり、日本の科学技術のレベルを評価するのに、受賞の数を議論するのはナンセンスでしょう。

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科学技術のグローバル化は進んでおり、日本一国だけの研究と言えない場合が多いからです。実は例外はあるものの、自然科学の分野でノーベル賞を受賞した日本人研究者の多くはなんらかの形で、英語圏で研究し、評価されています。国籍が既に日本人でない人もいます。日本の・・・、或いは日本人の・・とこだわる必要はあまりないのです。

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これからはむしろ日本で研究した外国人留学生や研究者の受賞を喜ぶべき時代かも知れません。例えば、つくばの高エネルギー加速器研究機構に留学した英国人研究者が受賞したとか、京都大学で研究した中国人留学生がノーベル賞を受賞した・・ということを喜ぶべきかも知れません。しかし、実際には、そんな例はまだ無いのです。

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ところで、西澤潤一教授には、西澤泰二教授という弟がおられ、東北大学の金属学の先生でした。合金の状態図を理論的に説明する研究の第一人者です。かなり強い東北弁訛りの話し方が特徴で、西澤潤一教授とは、少しイメージが違います。

兄弟なのに、どうして違うのか? 少し気になるのですが、兄弟のタイプの違いを研究してもノーベル賞にはならないでしょうね。

 

イグノーベル賞にはなるかも知れませんが。


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【 北海道のブラックアウト その3 】 [雑学]

【 北海道のブラックアウト その3 】

 

北海道の地震でもうひとつ問題だったのは、通信手段が麻痺して、その復旧が遅れたことです。携帯電話の中継設備の電源が失われたこともありますが、急増した通信需要に設備容量が追い付かなかったことも原因です。

なぜそうなったか?と言えば、人々の通信がインタラクティブになったからです。カタカナ英語は苦手なので、日本語に言い換えれば、人々が使う情報伝達手段が双方向になったから ということです。

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かつて、一般の人は受け身の立場にあり、情報とは放送や新聞によってもたらされるものでした。皆が同じ情報を同時に受けとりますが、逆に自らが発信することはありません。つまり一方通行の情報です。 通信手段としては、最小限度のAMラジオとアナログの固定電話があれば十分でした。例え停電しても、乾電池で動くトランジスタラジオは、停電時も使えました。

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乾電池がなくても、鉱石ラジオやゲルマニウムラジオを使えば電源なしで聞こえます。

台風接近も、ラジオで知ります。天気概況の「御前崎 西の風 風力3・・・」といったアナウンサーの声で、自分で天気図を書いたりしました。

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今はそうではありません。圧倒的な情報量が押し寄せます。スマホの画面を押せば、気象衛星の雲の画像や、気圧、降水量、気温のパターンが現れます。通信量は膨大です。

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それだけではありません。人々は情報の発信者になりつつあります。 地震や台風の現場の状況は、普通の人々がスマホで撮影してインターネットにアップします。以前は、インターネット情報を無責任で質の悪い情報だとして嫌っていたマスコミも、視聴者が撮影した携帯やスマホの映像をそのまま使います。

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それに加えて、地震や台風の災害が発生すれば、人々は家族・友人・知人の安否を確認するために、電話します。あるいはLINEで通信します。通信の主役は双方向の通信になります。全員が情報の発信者になれば、飛躍的に通信量は増え、回線はパンクします。今、インターネットの回線の性能を言う時、必ず上りと下りの通信速度が表示されますが、昔の電話回線には上りも下りも無かったのです。時代はインタラクティブです。

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かつて固定電話しか無かった頃、回線がパンクして電話がかからなくなっても、人々は辛抱しました。 今、携帯電話が通じなければ、その不便さは堪えられるものではありません。 我々が我儘で贅沢になったのか、それともそれが当たり前なのか?

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では、どうすればいいのか?

災害発生時などの緊急事態に、通信量が増えてしまうのは、ある意味仕方ないことです。皆さん、家族や知人の消息を知りたい訳ですから。 しかしその場合でも、通信量を節約することは可能です。

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長い文章は不要です。長い会話も不要です。動画もいらないでしょう。ただ生きているということを示すために、笑顔の自撮り画像を一枚送信すれば、全てを物語ります。実際には家が壊れたり、怪我をして泣きたい気持ちであっても、にっこり笑って自分の顔を送りましょう。それだけで、心配してくれている人達は安堵します。

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通信は、長時間かけて送信しても冗長になるだけで本当の意味での情報量が増えない場合があります。むしろ短時間に送る限られた情報が、とりわけ笑顔の顔写真が、全てを物語る場合もあるのです。

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20世紀の後半、パロアルト研究所の所長だったネグロポンテ博士は、「やがて有線の通信手段は無線になり、無線の通信手段は有線になる」というネグロポンテスイッチを予言しました。21世紀の初め、実際にそうなりましたが、2010年代はさらに変化しています。 高速インターネットは既に、幹線部分は光ファイバーになり、抹消部分はWiFiBluetoothの無線を用いる複合型になっています。通信もハイブリッドの時代です。無線は5Gの時代になりつつありますが、光ファイバーの性能もさらに向上するでしょうから、ハイブリッド型通信はこれからも続くでしょう。

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そこで、地震や台風、洪水や停電に強い通信システムは?と訊かれても、門外漢の私には分かりません。 でもとにかく回線の数を増やし、冗長性を持たせる事が重要だと思います。 それも、単に変調方式を工夫して、1本のケーブルの中の回線数を増やすのではなく、物理的にケーブル(ファイバー)の本数を増やすことが重要です。

また長時間の停電時に中継地点の機能を失わないために、長時間の放電に耐えるマグネシウム電池など、多様な非常電源装置を持つことも重要です。

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通信量の急増に対してパンクしないシステム、停電や災害に対して強いシステム、停電し、電話が通じない静寂の中で、そんな事を考えるのもいいかも知れません。


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【 北海道のブラックアウト その2 】 [雑学]

【 北海道のブラックアウト その2 】

 

原発再稼働の問題はさておき、今、日本全体で発電所が足りないのは、東日本大震災後の原発全停止の経験にもとづくもので、余裕がないカツカツの状態でもなんとかやれるじゃないか・・という楽観論が登場したからです。「新しい発電所はいらない。たかが電気のために環境を犠牲にするな」と唱えた音楽家もいました(本人はアメリカ在住でしたが)。

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ちょっと脱線しますが、原発完全廃止論の小泉元首相が、「現にあの時、原発ゼロでもちゃんと社会は機能し、生活はできたじゃないか。だから原発ゼロでも何ら問題は無い」と語ったのを聞いた時、私は耳を疑いました。この文系の元首相は、何も理解していない・・・。電力不足がどれだけ人々を苦しめ、国力を疲弊させたか・・。

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東日本大震災の後、原発ゼロになった瞬間、一部の地域では強制停電を強いられました。停電でなくても、全国で節電が叫ばれました。TVでの大相撲観戦が、生活の楽しみだった老夫婦が、促されてTVを消し、暗い部屋で冷たいコタツに入っている映像が流されました。3月~6月だったからよかったものの、もし今年の8月のような酷暑の時期だったとして、エアコンを使用するな・・と、政府は号令をかけたのでしょうか?

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あの時、本来なら休止して定期点検し部品交換を行うべきだった、蒸気タービン式の火力発電所や、ガスタービン発電所もフル稼働しました。またLNG発電を増やすために、世界中のガス田で天然ガスを買い付けましたが、完全に足元をみられ、他国に比べて法外に高い価格で買わざるを得ませんでした。化石燃料の輸入代金の増加で、年間数兆円ものお金を日本は失ったのです。景気の悪化と節電の要請で第二次産業はシュリンクし、工場の操業は止まり、あのトヨタでさえ赤字で税金も払えないという事態になりました。

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あの非常事態はあくまでも一時的なもので、永久に続けられるものではありませんでした。事情を知る人なら「原発がなくても問題なかったじゃないか」とは口が裂けても言えないはずです。もっとも「では原発があればいいのか?」と訊かれると、返答に窮するのですが。

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東日本大震災後に、定期点検と部品交換を先延ばしした発電設備はいたみ、寿命を相当短くした可能性があります。それによって、ブラックアウトの危険性は増大したのです。ブラックアウトの遠因は、東日本大震災後の電力政策にあると私は考えます。

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では、どうして苫東厚真の発電所は停止したのでしょうか?蒸気漏れや破損・火災が見つかったのは、ボイラーとタービンの両方だとのことですが、私に言わせれば、それは超々臨界圧型だったからです。

普通、外燃機関の火力発電所は、再熱再生ランキンサイクルという方法で発電しますが、言うまでもなく、水蒸気をより高温高圧にした方が、熱効率がよくなります。では高温・高圧化を図る上でのネックは何か?と言えば、ボイラーチューブやタービンブレードのクリープ現象です。

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クリープとは、高温環境下で金属などが、負荷によって緩慢に塑性変形する現象で、変形が大きくなれば、交換する必要があります。なるべく高温・高圧にしたい超超臨界圧のボイラーでは、ボイラーチューブも最高級品が使われます。しかし、それでも持たないのです。私の後輩が所長をしている発電所で交換後の飴のように曲がってしまったボイラーチューブを見て、超超臨界圧とはすごいものだと感心しました。タービンブレードも同じで、強烈な遠心力の環境下でクリープが発生しますし、ベアリングも痛みます。

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金属材料の限界付近で操業している現代の発電所は、当然地震のような負荷には弱くなります。昔の効率が低かった頃の発電所は、温度も圧力も低く、耐震性にも余裕があったかも知れません。あくまで仮定ですが、苫東厚真が超々臨界圧でなければ、震度7でも故障しなかったかも・・・と思います。

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奇妙な話ですが、原発ではこの問題はあまりありません。沸騰水型軽水炉の場合、原理的に蒸気をそれほど高温にはできません。熱効率は悪いのです。そしてタービンブレードやボイラーチューブのクリープ問題は、化石燃料を燃やす火力発電所ほど深刻ではないのです。

「それなら、原発の方が火力発電所よりも地震に強いのか?」と言われると、それも違うので、答えに困ります。必要なのは多様な発電手段で、多くの発電所を維持し、電力供給に余裕を持つべきだ・・ということです。予想だにしない自然災害に備えるにはそれしかありません。そしてその場合、電力料金の値上げは、ある程度覚悟する必要があります。

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北海道の場合、電力供給が苫東厚真の石炭火力に集中しすぎており、音別のガスタービン発電や奈井江の石炭火力、京極の揚水発電、石狩湾の新港発電所が、停電抑止に役に立たず、知内の石油火力発電所が間に合わなかったことが原因です。

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蓄電設備であるレドックスフロー電池やNAS電池を活用すべきだという人もいますが、

これらは補完的な貯蔵設備であり、揚水発電所と同じです。絶対的な発電能力の不足を解消するものではありません。太陽光と風力は重要ですが、地滑り的というか雪崩のようなブラックアウトには、ほぼ無力です。

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便利な電気はふんだんに使いたい。しかし発電所は必要最小限にして新設には反対・・・という我儘はやがて大自然にしっぺ返しされます。

米国でエンロン事件があり、カリフォルニアで大停電があった時、日本人は嗤いました。「日本じゃあんな間抜けなことは起きないよ」しかし、今は誰もアメリカを嗤えません。日本で発電所の建設が遅れている現状を見ると、まさに「お先真っ暗」です。 

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ああ、なるほど「お先真っ暗」のことを英語でブラックアウトと言うのかな?

 

以下 次号

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【 北海道のブラックアウト その1 】 [雑学]

【 北海道のブラックアウト その1 】

 

いささか旧聞ですが、朝、5時台のTVのニュースで、北海道の地震を伝えていました。寝ぼけ眼で考えます。そういえば、その昔も朝起きたら大地震のニュースをしていたことがあったなと思いだします。あれは阪神淡路大震災の時でした。

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「今度は北海道・・・か。胆振が震源地というが、十勝にいる長男の辺りは大丈夫かな?」

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メールで地震の被害について尋ねると、すぐに返信が来て、「揺れの被害はなかったけれど、停電が続いているので困っている」とのこと。停電中ならスマホの充電も難しかろう。あまりメールのやり取りもしない方がいいだろう・・と思い、「生きていればOK」と7年前のメールを再送して通信を終えました。大した地震ではなかったのかな?

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実際には、この地震では震度7の地域もあり、多くの人命や財産が失われ、社会インフラも大打撃を受けたことが、後でだんだん分かってきました。その中で大きな問題として浮上したのは、停電からの復旧が遅れたことと、インターネットや携帯電話の回線がなかなか元に戻らなかった事です。

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北海道は、大地震が多い土地です。十勝沖地震だけでも数十年おきに発生し、大きな被害をもたらします。しかし、前回(2003)までの十勝沖地震では停電問題はそれほど深刻ではなく、通信途絶も大きな問題ではなかったと思います。(当時はスマホなどありませんでしたが)。

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そこで今回は、停電と通信途絶の両方から、今回の大震災を考えてみたいと思います。まず停電問題です。

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一つの発電所のトラブルが、他の発電所のトラブルを招き、連鎖的に発電所が停止し、その結果広範囲にわたって停電が発生する事態をブラックアウトというのだそうです。

米国では、複数の発電所の連鎖的トラブルで、広範囲な停電が発生していましたが、それをブラックアウトと呼ぶとは知りませんでした。夜間なら照明が消えるから確かにブラックアウトだけれど、昼間でもブラックアウトなのかな?とくだらないことを考えます。

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アメリカでブラックアウトが発生するのは、電力需要に対して発電能力がギリギリで余裕がないからです。製造業では、在庫を持たず、必要最小限の設備で必要量だけを生産するリーン生産方式が最も低コストとされます。代表的なものはトヨタの看板方式です。電力会社の場合も、新しく発電所を建設するとなると莫大なコストがかかるので、既にある発電所をフル稼働させて需要を賄う方が合理的で安価です。しかしフルに発電しても足りないという場合も生じます。その場合は、近隣の発電所から臨機応変に電力を融通してもらって対応します。そのネットワークこそがスマートグリッドで、電力コストの低減に役立っています。AIを使って、電力需要予測を精確に行い、そして発電所のネットワークをどう運用すれば最適かを判断する訳です。しかし余裕がない・・という実態は変わりません。しばしば破綻をきたします。

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つまりリーンなシステムはロバスト(堅牢)ではない訳で、ひとつ発電所が停止すれば、電圧と周波数を維持できなくなって連鎖的に発電所が停止し、ネットワーク全体がダウンするのです。この典型的な例はカリフォルニア電力危機事件です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E5%8D%B1%E6%A9%9F

(この事件では単純ではなく、エンロンの電力価格吊り上げや架空売り上げなどのスキャンダルも原因です)

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今回の北海道の大停電は、だいぶ事情が違います。道内の消費電力の半分近くを賄っていた、苫東厚真の火力発電所が、緊急停止したことが直接原因で、連鎖反応的な発電所トラブルによるブラックアウトとは微妙に違いますが、発電余力が無かったという点は共通です。

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https://toyokeizai.net/articles/-/236938

そもそも論ですが、北海道電力に余力が無いというのは意外でした。本州と北海道の間には北本連系という、電力を融通しあうシステムがあります。これは東日本大震災以降の原発停止で電力不足の懸念がある本州に、余力のある北海道側が、電力供給するのが目的でした。海底送電線ケーブルを使い、たしかその能力は60KWでした。しかし、今回は苫東厚真の停止で、本州側から電力を融通しようとした訳で、全く逆でした。そしてその電力供給に失敗したのです。

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ご存知の方には当たり前の話ですが、大電流を長距離送電する場合は、直流送電の方が有利です。長い送電線とアースが一つの巨大なコンデンサーを構成するため、交流だとインピーダンスのロスが生じるからです。だから、北本連系では直流送電を行います。しかし、発電所側も需要家側も交流ですから、入り口と出口でサイリスターによる交直変換が必要となります。今回の大地震では、北海道側でサイリスターを駆動する電力が停電で失われたため、使えなかったのです。電力不足に対応するための融通装置なのに、停電すると使えなかったのです。何だか停電で緊急炉心冷却装置が動かず、メルトダウンした原発に似ています。

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今回は間に合わなかったのですが、北本連系には、能力増強の予定があります。青函トンネルを使ってさらに30KWの容量を追加するのです。しかし私に言わせれば肝心のサイリスターやインバーターの電源が無ければ無意味ではないか?ということです。

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せっかく、北本連系を強化するなら、もっと先進的な試みをすべきです。青函トンネル本坑ではなく、現在使われていない先進導坑を全面的に使い、最新の超電導ケーブルを使って、電力ロス無しの大電流送電を実現すべきです。もちろん、超低温を維持するための冷却装置は必要ですが、技術的には確立しています。突発停電に対処するには、超電導コイルに電気を蓄えるSMESを使用すればOKです。なぜ、電中研や各電力会社はそれに挑戦しないのか?

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しかし、北本連系はともかく、根本的な問題は、発電能力の絶対的な不足です。

 

それについては次号で管見を述べます。


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【 身体髪膚これを父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり その2 】 [雑学]

【 身体髪膚これを父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり その2 】

 

りゅうちぇる君は、妻と我が子に愛情を注ぐ、幸せいっぱいの男性と、温かい家庭のイメージを売り物にしたいようです。実際、彼の笑顔は彼が優しい男性であることを表しています。しかし、問題はその後です。家族への愛情を他人に見せつけることの是非、それを形にして示さなければならないという発想が、多くの人に理解されません。

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かつて直截的な愛情表現は第三者にとっては「臆面もない」ものであり、慎むべきものでした。例えば、作家の川口松太郎が妻の「三益愛子」を病で失った時、「愛子愛しや」という追想作品を出版しました。もともとあまり上品な文学を書く人ではありませんでしたが、読者は「なんと臆面もない表現だ」と眉をひそめた訳です。

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どうでもいいことですが、「臆面もない」を英語で表現する方法を知りません。もともと英米人は「臆面もない」という概念がないのかね?

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りゅうちぇるは、自分の愛情を目に見える形、しかも永続性のある形にして示したかったようです。それが刺青だった訳です。

確かにアメリカ人などは愛情表現を目に見える形にしたがります。私の米国時代の記憶をたどります。彼らのオフィスの机の上には必ず家族の写真がありますし、夫婦は、人前で普通に抱擁し、接吻します。誕生日や結婚記念日には、いい年をした夫婦がプレゼントを交換します。私は聞いたことがないけれど、アメリカ人の夫は妻に、のべつ「愛してる」と言わなければ許されないようです。

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そういう目に見える形で愛情を示さなければ、安心できないのか? 彼らの家族愛とは、そこまで危ういものなのか? 私はいぶかしく思いました。実際、アメリカ人夫婦の離婚率は日本人夫婦のそれよりかなり高かったのです(当時)。

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でも日本人は違います。りゅうちぇるだけでなく、妻子を本当に愛している男性は、多分日本に何千万人もいますが、彼らは日常的に抱擁したり、さらには名前の刺青をしたりしません。それは日本人が含羞の文化を重んじるからでも、愛情表現が下手だからでもありません。多分、愛情を目に見える形にする必要を感じないからです。

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日本人の心の底にある、形あるものを信じない、そして永続的な存在を信じない仏教の精神があるからだろうと思います。これはまだ、りゅうちぇる君には多分わからない。

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人生も後半戦になるといろいろな事に気づきます。時には、目に見えるもの、あるいは形あるものが「虚」であり、目に見えないもの、あるいは形のないものこそが「実」であり本質であることを思い知らされたりします。

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初めて般若心経を読んだ時、私は「色即是空、空即是色」の意味が理解できませんでしたが、今は、目に見えるものは空、見えないものこそ実・・という意味なのか・・と勝手に解釈しています。人と人の愛情などは、まさに目に見えない「実」の典型でしょう。それを無理やり、形にしようとしても空々しいだけです。

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そしてその愛情の証を永遠なものにしたい・・という考えが刺青を思いついたのでしょうが、無常観の中に生きる我々には、永遠なものというのも同じく空空しいだけです。

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りゅうちぇる君には不愉快で失礼な質問だろうけれど「君の妻への愛情は永遠のものかね?」と尋ねたいところです。永遠の愛を誓った沖縄出身の大物タレント達も、離婚したり、配偶者の不貞(不倫)に苦しんだりしています。君達もいつか離婚するのではないかね?その時は肩に彫り込んだ刺青を、レーザー光線で焼き消すのかね?

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聞くならく、レーザー光線で刺青を焼き消すのは、さほど痛くはないそうだけれど、りゅうちぇる君が、刺青を消す時は、さぞかし痛いだろうね。勿論、痛むのは肉体ではなく心です。堅気の人も凶状持ちの人も、刺青を入れた人の多くが、後で後悔するそうです。その後悔は即ち、焼き消す時の心の痛みになります。

 

でも逆説で考えれば、その深い後悔をもたらすことで、人生を理解させる・・それが刺青の価値かも知れません。

りゅうちぇる君が後悔しないで済むことを祈ります。


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【 身体髪膚これを父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり その1 】 [雑学]

【 身体髪膚これを父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり その1 】

 

いささか旧聞ですが、タレントだかモデルだか知りませんが、りゅうちぇるとかいう若い男性の行為が話題になっています。目の下、頬の上の辺りをピンクに染め、髪の毛は金髪にしてバンダナでまとめるという奇抜な容姿で評判ですが、彼が愛妻と愛息の名前を両肩に入れ墨したことをSNSで報告したところ、それを非難するコメントが殺到し、それに本人が反論しているのです。

https://www.asahi.com/articles/ASL910G5QL80UTIL06G.html?iref=pc_rellink

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180822-00000073-spnannex-ent

自分がした行為を正しいと信じ、それを批判する意見を偏見と断じ、そんな偏見だらけの世界を変えてやる・・という、上から目線の対応は、多分あまり支持されず、彼の芸能界での寿命を縮めることになりそうです。すでに多くの人が論評していますが、彼の考え方と世間常識の齟齬について、今回は考察します。

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彼の行為が批判される理由は2つあります。

一つは、刺青(入れ墨)へのアレルギーというか、刺青を入れるという行為が反社会的なものだという認識です。ご承知のとおり、日本では、刺青はアウトローであることを自ら誇示するための手段です。また前科者のシンボルでもありました。

http://yanakaan.hatenablog.com/entry/2018/06/23/101910

日本に限りませんが、世の中は記号論の世界です。外見の全ては、自分がどういう存在であるかを示す機能を持っています。おそらくりゅーちぇるという沖縄出身のタレントにはその意識が無く、西洋風のかっこいいtattooを身に着けるという感覚なのでしょう。

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ではなぜ、日本では、刺青が反社会的で禁忌とされるのでしょうか?

以前、私のブログにも書きましたが、昔の日本人のバックボーンには孔子の思想があり、孔子が孝経に書いた「身体髪膚、これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」という教えに、刺青が反するからです。この観点から刺青タブー論を展開する方は私以外にも多くいます。

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下記の前原氏のブログのように、フロイトが分析し「死の欲動」と名付けた攻撃欲求を、刺青の理由とすることには、やや論理の飛躍を感じますが、孔子の思想と刺青タブー論を結びつけることには賛成です。

https://akizukiseijin.wordpress.com/2008/09/26/%E3%80%8C%E8%BA%AB%E4%BD%93%E9%AB%AA%E8%86%9A%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%8C%E3%82%92%E7%88%B6%E6%AF%8D%E3%81%AB%E5%8F%97%E3%81%8F%E3%80%81%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%A6%E6%AF%80%E5%82%B7%E3%81%9B%E3%81%96/

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これは日本だけでなく、東洋共通かも知れません。中国でも刺青は、黒社会のシンボルであり、堅気の人間がするものではありませんでした。

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では孔子は、単に刺青が身体を傷つける行為だから、これを禁じたのでしょうか?私は他にも理由があると思います。春秋戦国時代の中国は中華思想が盛んだった時代です。中原に暮らす漢民族から見れば、周囲は全て野蛮な夷敵です。そしてそれらの夷民族はしばしば刺青をしていたらしいのです。それに対し、いち早く文明を築いた中華民族は刺青などしない・・という思いがあったのでは?と私は推測します。

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確かに未開の民族、文明から遠いところで暮らす民族はしばしば刺青を好みます。日本のヤマト民族だって縄文時代は普通に刺青をしていたかも知れません。しかし、ここで気を付けなくてはならないのは、現代人に関しては優等民族と劣等民族、あるいは文明人と未開の民族という物差しで考えてはいけないということです。ニュージーランドのマオリ族は刺青を好みますが、知的で文明的な社会に暮らしています。日本のアイヌ民族も近世まで刺青が普通でした。それをもってアイヌを非文明的とするのは全くナンセンスです。その昔、野蛮人が刺青をした・・という理屈が成立しても、刺青をするから野蛮人だ・・という逆の論理は、少なくとも現代は成り立ちにくいのです。

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そして孔子の教えとは無縁な西洋社会、とりわけ肌の色が明るい白人の社会では、刺青へのアレルギーはあまり強くないようです。あまりアウトローの象徴ではないようです。公衆浴場で刺青をした人を断るというルールを、外国人には適用しないという意見もあります。和彫りはダメだけれど、西洋風のtattooならOKにすべき・・という不思議な意見もあります。

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Tattooは、欧米では市民権を得ている。だから現代の日本でもOKなはず・・とりゅーちぇるが考えたかどうかは分かりませんが、現実の日本社会はもっと保守的です。そこに彼の錯覚がありました。Tattoをした芸能人は彼以外にもいます。他の人は、それを隠そうとしているのに、彼はそれを誇示しました。そこに愚かさがあるのですが、彼だけを叩くのもかわいそうです。

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しかし、彼の行為にはもう一つ問題があります。それについては次号で。


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【 輪中、水屋とメガフロート そしてスキポール空港 】 [雑学]

【 輪中、水屋とメガフロート そしてスキポール空港 】

 

関西を直撃した台風21号では、猛烈な風と高潮のために深刻な被害がでました。中でも経済的に大打撃だったのは関西新空港の被害です。

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過去、最悪だった第二室戸台風の潮位を参考にして、それに耐えうる5mの防潮壁を築いたけれど、海水はそれを超え、A滑走路と第一ターミナル付近が特にひどく冠水しました。

専門家が語るには、滑走路や周辺の水が引いたとしても、特殊車両や多くの設備が海水に浸かり、使えない状態なので、復旧にかかる時間とコストは想像もつかないとのことです。さらに悪いことに、本土と空港をつなぐ1本しかない連絡橋に貨物船が衝突してしまいました。

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後から批判するのは、誰にでもできることで、オヒョウの好むところではありませんが、どうしても30年前を思い出してしまいます。それは関西新空港を建設した時のことです。

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当時、関経連などの関西の経済界は、関西圏に24時間離発着が可能な国際空港を切望していました。伊丹空港ではどうにも狭く、限界があったのです。成田空港の失敗から陸上空港は無理だと考え、海上に建設することになった訳ですが、そこで従来型の埋め立て方式にすべきか、鋼材で巨大な「浮き」を作って並べるメガフロート方式にするかで意見が真っ二つになりました。埋め立て方式は各地で実績がありますが、常に地盤沈下に悩まされ、膨大な土砂を必要とするため、土砂の採取場所の確保とその運搬手段が問題となります。

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一方、新しい造船技術であるメガフロートを本格的に採用したいという意見もありました。特にポンツーン方式は海上空港に適しており、工期の短縮も期待できました。

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当時、製鉄会社にいた私は、膨大な量の造船用厚板の需要がでると期待して、メガフロートに賛成だったのですが、その時の上司は、「たかがメガフロート一つくらいの鋼材需要では製鉄業の景気に与える影響は限定的だ。鋼材が売れるか否かよりも、その新空港で関西の景気が浮上するか否かの方がはるかに重要だ」との意見でした。私の勤務先は、今はなき関西系の製鉄会社でした。

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結局、冒険はせず実績のある工法を・・ということで、従来型の埋め立て方式になったのですが、背後に土砂の採掘、運搬、漁協への漁業補償に関する巨大な利権が存在したのも事実です。オヒョウはちょっと悔しい思いをしました。

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その関空のⅠ期工事は難工事でした。地盤沈下が止まりません。一計を案じた技術者は和歌山製鉄所から膨大な鉄鉱石を運び、埋め立てに用いました。鉄の酸化物である鉄鉱石は普通の泥よりずっと重く、早く沈みます。早く沈んで、地盤が締まり、早く沈下が止まって欲しい・・という素朴なアイデアですが、本当のところ、どれだけ効果があったか分かりません。

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空港は何とか、開港に漕ぎ着けましたが、その後も地盤沈下は止まりません。今回A滑走路の冠水がひどく、B滑走路が冠水を免れたのは、新しくできたB滑走路がまだそれほど沈下していないだけかも知れません。

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「数十年経っても、地盤沈下に悩まされるのなら、やはりメガフロート方式の方が良かったのではないか? それと、万が一、冠水することを予想して、それなりの対策を取っておくべきだったのに、それをしていない・・・」と私は思います。

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私は以前、愛知県弥富市で暮らしていました。木曽川の下流の輪中が残る地域です。輪中は洪水時に水の侵入を防ぐために、堤防で集落を囲っていますが、その中には水屋といって、ひときわ高くなった場所があります。万一堤防が決壊して、あるいは水位が堤防を越えても、最低限、水屋に逃げれば命だけは助かる・・という安全装置です。

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今回、関西空港では、特殊車両の多くは海水に浸かり、地下に設けた廃水ポンプの装置も海水に浸って故障してしまいました。なぜ、水屋を設けて、そこに重要な装置を避難・退避する仕組みにしていなかったのか? 私には分かりません。

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福島第一原発は、巨大地震後、津波が来ると分かっていながら、非常電源であるディーゼル発電機を高台に避難させませんでした。その結果、発電機は海水に浸かって故障し、緊急冷却装置が止まった原子炉はメルトダウンし、建屋は爆発しました。「まさかあの堤防を越える津波が来るとは・・」という言い訳に、私はうっすらと怒りを覚えました。

関西空港の責任者も「まさか第二室戸台風を超える高潮が来るとは思わなかった」とでも言い訳するのでしょうか? それからせっかく、関空、伊丹、神戸と3つも空港があるのに、連携して補完する機能を果たしていません。 国際線を関空に集中させ、他の空港に国際線を振り替えられない・・というのもマヌケな話で、外国では考えられないお粗末さです。

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過去の失敗にケチをつけるだけでは「笑うオヒョウ」ではありません。ではこれからどうするか? が重要です。関西空港だけでなく、埋め立て型の海上空港は日本にたくさんあり、同じ自然災害に見舞われる可能性があるのです。

中部新空港(セントレア)、長崎大村空港、神戸空港、新北九州空港・・・、それらに水屋に相当する、高台の避難所を設けるとして、では避難対象とする装置をどう選ぶか、冠水後の復旧を合理的に行うためのダメージコントロールをどうするか? 考えるべきことはたくさんあります。

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ここはひとつ、この問題に長く取り組んでいる先輩の国を見習うべきです。「神は海を造りたもうたが、人は陸を造った」と言われるあのオランダです。オランダは、海の埋め立てというより、アイセル湖という海を干拓して土地を切り開いた訳で、日本の埋め立て地とは微妙に違いますが、国土のかなりの面積がゼロメートル以下の海抜にあるのも事実です。

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そして、オランダには、スキポール空港というヨーロッパを代表するハブ空港のひとつが存在します。万一スキポール空港が水没すれば、その損害は計り知れません。ここはオランダに教えを請うて、冠水防止策やダメコンについて、ノウハウを仕入れるべきでしょう。(どうでもいいことですが、現地での発音はスキポールではありません。私にはシュッポールと聞こえました)。

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ことは、空港だけではありません。地球温暖化のためかどうかは分かりませんが、海水面の上昇は世界中で大問題です。観光客が集まるイタリアのベニスも水浸しになっていますし、南太平洋やインド洋の島国は、国土は消滅するかという「いまここにある危機」に直面しています。

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地球規模の災厄に悩む彼らから見れば、不完全な埋め立て工法で禍根を残し、冠水に見舞われた関西空港など、自業自得に見えるでしょう。

中国の書経には「天の作せる孽は猶違くべし,自ら作せる孽は逭るべからず」

(てんのなせるわざわいはなおさくべしみずからなせるわざわいはのがるべからず)

とあります。平たく言えば、「本当の天災なら何とかなるけれど、人災の方は救いようがない」という意味です。ちなみに孽は現代中国語では「ニエ」という発音で、災いを意味します。

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ここは災い転じて福となす必要があります。 世界中の智慧を集めて、高潮災害を避ける技術を開発し、以前より強靭な空港を作る必要があります。

それができなければ、地盤沈下していくのは空港ではなく、関西の経済、いや日本国の存在そのものかも知れません。


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【 造船業と安全保障 その1 】 [雑学]

【 造船業と安全保障 その1 】

 

世界の主要な造船会社と造船所という括りで、インターネットで調べると、驚いたことに米国からは2箇所しか選ばれません。いずれも東海岸のノーフォークとニューポートです。どちらも米海軍の艦艇を製造する造船所で、有名な艦船を製造しています。

世界初の原子力空母であるエンタープライズは、ニューポートで建造され、ノーフォークを母港としています。最新の原子力空母であるジェラルドRフォードもニューポートで建造されています。実は、空母の核燃料を交換できる港はニューポートだけで、ニューポートの造船所をなくすことはできません。ニューポートとノーフォークだけとなると、どうやら、民需に頼る造船所は駆逐されたようです。

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ちなみに、エンタープライズの加圧水型原子炉は、あの東芝を破綻に追い込んだウェスチングハウス製ですが、最新のジェラルドRフォードでは、ベクテル製に切り替わっています。原子炉の世界も栄枯盛衰が激しいようですが、これについては別稿で申し上げます。

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米国では、大型の正規空母を建造する技術と原子力船/艦を製造する技術の維持・継承が必要であり、どうしても上記のニューポートとノーフォークを残す必要があるのでしょうが、この2箇所のドックだけでは・・・実際のところ大規模な戦争に堪えられるか不明です。

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今から20年以上前、私が石油掘削リグを建造する造船所を探して、南部(メキシコ湾岸)を回った時には、アーカーガルフマリーン(コーパスクリスチ)やアボンデール(ニューオーリンズ)の造船所にはまだ活気がありましたが、今はもはや、米国には民間の大型船舶を製造する造船所は生き残っていないようです。

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米国には民間船舶として、大型客船や石油掘削リグ、LNGタンカー、コンテナ船などの高付加価値船舶の需要が一定量あります。(ここで高付加価値船舶)とは、トン当たりの単価が比較的に高い船舶を意味します。一番高いのは漁船で、一番安いのは石油のタンカーだそうです)。しかし、もはやそれらの船舶を国内で製造することはなさそうです。

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では、今、それらの船を建造するのはヨーロッパの造船所かな?と思えば、欧州の造船所も全く元気がありません。経営状態は惨憺たるもので、吸収合併と合従連衡を繰り返して、2大グループに集約されたのですが、経営は火の車です。

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大型客船の建造では優れた技術と実績を誇るイタリアのフィンカンティエリは、経営破綻し国家の管理のもと、再建中です。

https://www.fincantieri.com/en/

デンマークのODENSE造船所は、船殻のレーザー溶接に関しては先進的な技術を持ち、コンテナ船やRo-Ro船の建造では、一目置かれる存在でしたが、MAERSKグループの傘下に入った後、大赤字を出した造船部門として切り捨てられました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Odense_Steel_Shipyard

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フィンランドのバルチラ(トゥルク造船)も大型客船の建造に実績があり、また推進ポッド方式など、革新的な船舶設計に挑みましたが、経営的には厳しく、STXグループの傘下に入った後、ドイツのマイヤー・ベルフトに吸収合併され、厳しいリストラを受けています。ちなみに、バルチラは造船業だった頃の住友重機と技術提携の関係にあり、昔の私の上司もフィンランドに派遣されていました。

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大型の石油掘削船を建造したイタリアのベレーリは90年代の初めに倒産し、今は跡形もありません。結局、欧州の造船会社は、ドイツのマイヤー・ベルフトグループとイタリアのフィンカンティエリグループの2大グループに分かれました。前者はバルト海沿岸を中心とした北海岸グループ、後者は地中海沿岸を中心とした南海岸グループと言えますが、どちらも経営は厳しく、国家の保護が前提となります。それなしでは、即刻倒産かも知れません。

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日本の三菱重工が、大型客船の建造に進出し、あるトラブルから2000億円の損失を出し、会社の経営が傾いた時、世間は天下の三菱重工がなんというヘマをしたのだ!と驚きましたが、何のことはない、三菱だけでなく、大型客船を製造している造船会社はどこも巨額の赤字を出しているのです。

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では、欧米や日本の造船会社から逃げた新造船の引き合いはどこへ行ったか?と言えば、韓国と中国を含むアジア諸国です。特に中国と韓国の幾つかの造船所が世界中の大型船需要をかき集めたために、他の国の造船会社は苦境におちいったのです。

全ての製造業の競争力はQCDのバランスで決まります。日本の造船会社は、Q品質、D納期管理では他の追随を許しませんし、欧米の造船会社の技術力に定評がありますが、Cコストとなると中国にはまるで敵いません。適者生存・・の原則で考えれば先進国の造船所は滅び、中進国の造船所が生き延びるのは、理の当然ですが、これでは安全保障上の問題が生じます。

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20世紀ならともかく、21世紀の現代、造船所の有無が安全保障に影響するか? と言えば、これは大ありだと私は思います。

以下次号


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