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【 相撲協会とマイノリティ その2 】 [雑学]

【 相撲協会とマイノリティ その2 】

 

モンゴル人力士会ができたのは一種の必然です。

言葉も通じない異国に来た少年が、集団の中の最下位の地位でこき使われて、くじけずに頑張るには、仲間同士の励ましあいが大きな意味を持ちます。モンゴル人力士の草分けである旭鷲山や朝青龍の時代から、モンゴル出身者同士が助け合い、励ましあうシステムができ、上位に出世する力士が多いのではないか?と私は考えます。

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更に言えば、モンゴル人力士達は、かつてマイノリティの弱い集団だったのです。実はトンガ人の相撲取り(取的でしたが)たちも同じようにグループを作っていました。なぜかハワイ系や東欧系は無いようです。群れる力士と群れない力士・・、群れる存在は弱いのか? ここから話は脱線します。

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昔のブログに書いたことの重複になりますが、多人種、多民族が暮らす社会では、弱者は集団を作って暮らします。人種のルツボだとかサラダボールと言われる米国ではそれを実感できます。

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シカゴの北西部からインターステーツ94号で市内に入っていくと、屋根にポーランドの国旗を描いた建物が目に入ります。「あれは何か?」と尋ねると、「ポーランド人街だよ」と当たり前の答えです。「どうして、ポーランド人街があるのさ?」と訊くと、「ポーランド人は白人だけれど、最後に新大陸に渡ってきた人たちで、いわば弱者なのさ。そして弱い人たちは群れて暮らすのさ」。

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ポーランドからの移民は、第一次、第二次の大戦の戦火を逃れてきた人、あるいはナチスの弾圧を逃れてきた人達で、難民に近い形でアメリカ大陸にやってきました。映画「ソフィーの選択」や「カサブランカ」を見ればわかります。WASPと呼ばれる人たちに比べれば弱者なのです。

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「日系人は群れないのかい?」と訊くと、「初期の頃に移民してきた人たちは、ハワイやカリフォルニアに集落を作った。ロサンゼルスにあるリトルトーキョーはその名残だけれど、戦後に日本人街は無くなった。今は別のアジア系の人が主に住んでいて、日系人はほとんどいない。日系人は強制収容所に入れられて財産を没収されたこともあるけれど、2世、3世と代替わりする度に地位が上がって強い存在になったから、日本人街ではなく、お金持ちの白人が住むエリアに混じって暮らすのさ」

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確かに、一世の時代は、ストロベリーファーマーと呼ばれた農夫、あるいはガーデナー、鉄道工事の工夫、洗濯屋などをしていましたが、無理してでも子供達を上級学校に進学させ、今の日系人は、弁護士、医師、教師などの知識階級として君臨しています。

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今のロサンゼルスでコミュニティが見られるのは、ベトナム戦争後にたくさん入ってきた韓国人のコリアンタウンや、最初にやってきたアジア系である中国人のチャイナタウンです。弱い立場だけれど、数が多すぎてマイノリティとは言えないヒスパニックや黒人はカリフォルニア全土を覆い始めていて、特定のコロニーとは言いにくいのです。

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話を相撲の世界に戻します。

弱者の集団であったモンゴル力士会は、ある日、大きな変貌を遂げます。横綱をはじめ、番付上位の優秀な力士を輩出し、誰もが一目置くどころか羨望のまなざしで見る強者の集団になったのです。スポーツの世界の素晴らしいところは、家柄・門閥・出自と関係なく実力さえあれば認められることです。

しかし、弱者の集団が強者の集団になった時に、大きな摩擦が生じます。ちょうど氷山がひっくり返る時に巨大な波が発生するように、モンゴル力士達は問題を起こしました。

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それまで、日本の価値観、相撲道の美学を唯々諾々と聞いていた力士達は、自分たちの考えで行動します。なぜ選手である力士は、行司軍配に対して物言いができないのか? なぜ、優勝インタビューで自分の意見を言えないのか?

なぜ、現役時代に自分より弱かった親方の言うことに従わなくてはならないのか?

なぜ土俵の外では窮屈な紳士でなくてはならないのか?

それに疑問を感じ、そして隠れていたモンゴル流が現れると、摩擦になるのです。

白鵬の一連の不規則発言の背景にはそれがあると私は思います。

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モンゴルに限らず、あれだけ日本に溶け込んでいた外国人力士には、スキャンダルに巻き込まれ、有終の美を飾れなかった人が多くいます。 相撲は喧嘩だ・・と放言した小錦。暴力事件で角界を去った朝青龍。大横綱になれたのに、挫折してプロレス界へ逃げた曙。

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やはり、相撲協会は外国人力士の育て方を間違っているのではないか? 無理やり日本人の価値観を押し付け、髷を結わせて着物を着せ、日本語を学ばせましたが、バックボーンは日本人にならないままの力士達。彼らが角界の頂点に至った時、隠れていた何かが現れるのではないか? マイノリティで弱い集団であった外国人力士をどう育てればよいのか?

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しかし、マイノリティの存在は、マジョリティの問題を映し出す鏡にもなります。暴力事件の根底には、相撲協会の、もっと言えば日本のスポーツ界、あるいは日本の社会全体に横溢する、弱いものいじめや、しごき、理不尽な上下関係などがあります。逆説的ですが、モンゴル人力士の暴力は、日本のその悪しき習慣を受け入れた結果なのかも知れません。

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かつて角界では、ムリヘンに拳骨と書いて兄弟子と読むのだ・・という乱暴な表現がありました。これからは、ムリヘンにビール瓶と書いて親方と読み、ムリヘンにリモコンと書いて横綱と読むことになります。

モンゴルとの外交問題になりかねない今回の事件について、日本相撲協会はモンゴルに説明する責任があります。 その背景にある角界のこの「空気」も理解してもらう必要があるのですが、しかし、これをモンゴルの大統領に説明することは無理でしょう。なぜならモンゴルには漢字が無いからです。

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それにしても、相撲協会は世界中から人材を集めるのではなく、なぜか時代によって力士を募る国を変えていきます。ちょうど日本企業が安価な労働力を求めて工場を移転させるように、ある時期、ある国から集中してスカウトするのです。

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これも外国人力士の問題を大きくし、複雑化する理由です。 もしオリンピックのように世界中の様々な国から力士が集まれば、問題は希薄化すると私は思います。

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それにしても、理解できないことがあります。日本人と外観が似ている中国や韓国からの力士が少ないのはどういうことでしょうか?

あの2つの国ほど、ムリヘンに拳骨という漢字が似合う国はないのですが・・。


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【 相撲協会とマイノリティ その1 】 [雑学]

【 相撲協会とマイノリティ その1 】

 

先日の、日馬富士の貴ノ岩への傷害事件は、刑事罰の対象になる重大な犯罪です。酔って相手を殴ることは、珍しくはないかも知れません。でも、同じように殴っても、行為者は横綱です。相手も関取だったから怪我で済みましたが、一般の人なら命にかかわる暴行で、殺人未遂と言っても大げさではありません。一部に貴ノ岩や貴乃花親方の非をなじる声もありますが、これは倒錯した考えです。可愛い弟子が半殺しの目にあったのですから、警察に届けるのは当たり前です。 そして残念なことに事なかれ主義の相撲協会は信用できる相談相手ではありません。話が飛躍しますが、いじめで子供が自殺した時、親は学校を信用しません。事なかれ主義だからです。相撲協会も同じです。

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しかし、今回の事件を、酒が入ると粗暴になる日馬富士個人の問題に帰着させるのも誤りです。モンゴル人力士会の存在、暴力に寛容だった相撲協会の体質など、白鵬が言及した「膿」はいくつもあるのです。今回のブログではその根本の問題を考えてみます。

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話は変わりますが、日本発祥のスポーツである柔道は、世界に広まり、外国人の選手が増え、国際化する過程で、いろいろな変更があり、いつの間にかオリジナルの日本柔道とはかなり異なった存在になりました。細かい体重別のクラス分けが進み、得点も細分化されて合計点で競うようになる一方で、日本の武道が持つ美学や精神性が損なわれていきました。それを苦々しく思っても「ジュードーは日本だけのものではない」と一蹴されればそれまでです。もっとも、得点については見直しが進み、昔の日本の柔道に戻りつつあるようですが・・・。

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柔道とは全く逆の方向で国際化を進めたのは大相撲です。あくまでも日本国内での興行にとどめ、日本古来の様式を厳格に守る一方で、人材は広く海外に求め、外国人力士がハンディキャップ無しに日本で競技できるようにしました。それは一応成功を収めているようですが・・。

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外国人選手を受け入れているスポーツは他にもたくさんありますが、大相撲は他と違います。例えばプロ野球には助っ人外人がたくさんいますが、彼らはいつまでも助っ人であり、アウトサイダーです。インタビューには通訳が必要であり、日本語をマスターする選手は少数です。サッカー選手も同じことです。

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一方、大イチョウを結う外国人の関取は、みな上手に日本語を話し、日本語を読み書きします。天皇陛下からメッセージを受けて、感激の涙を流す横綱もいて、精神面ではほとんど日本人みたいな力士ばかりです。大相撲に限って言えば、外国人選手は日本人に同化しているかのように見えます。日本人女性と結婚し、引退後には日本国籍を取得し年寄株を手にする力士が多くいます。それが、日本相撲協会流の国際化です。しかし、本当にそうなのか?

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しかし、一見成功しているように見えますが、この相撲協会の外国人力士の育て方には、疑問符が付きます。以下に管見を述べます。

外国人力士の草分けは、ハワイ出身のジェシー・クアウルハ、帰化後は渡辺大五郎となった高見山です。彼の成功で外国人力士の採用と育成が大きく進みました。ハワイとは民族が異なりますが、同じポリネシアということで、トンガから何人かの青少年を力士として育成したことがあります。トンガ国王のお墨付きを得ておこなった育成プログラムでしたが、うまくいきませんでした。原因は日本の冬の寒さがこたえた・・・ということもあるでしょうが、絶対的な上下関係が存在し、理不尽な「可愛がり」が存在する相撲社会が苦痛だったのでしょう。彼らは日本語をマスターする前に帰国しました。

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その後は再びハワイアンの小錦、曙が活躍しました(高見山とは民族が違いますが)。そしてその後は、モンゴル出身の力士が活躍する時代になりました。ソ連崩壊後の旧東ヨーロッパからも多くの力士が来日して頑張っていますが、やはり頂点に辿り着くのはモンゴル人力士です。これはなぜか?

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モンゴルでは伝統的なモンゴル相撲が盛んで日本の相撲になじみがあること。

モンゴロイドの中でも特に日本人とモンゴル人は似ていて、日本人社会の中で心理的抵抗が少ないこと・・などが挙げられますが、どれも説得力に欠けます。

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私はモンゴル人力士会という一種の互助会が関係しているのでは?・・と思います。

 

以下、次号


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