【 相撲協会とマイノリティ その1 】 [雑学]
【 相撲協会とマイノリティ その1 】
先日の、日馬富士の貴ノ岩への傷害事件は、刑事罰の対象になる重大な犯罪です。酔って相手を殴ることは、珍しくはないかも知れません。でも、同じように殴っても、行為者は横綱です。相手も関取だったから怪我で済みましたが、一般の人なら命にかかわる暴行で、殺人未遂と言っても大げさではありません。一部に貴ノ岩や貴乃花親方の非をなじる声もありますが、これは倒錯した考えです。可愛い弟子が半殺しの目にあったのですから、警察に届けるのは当たり前です。 そして残念なことに事なかれ主義の相撲協会は信用できる相談相手ではありません。話が飛躍しますが、いじめで子供が自殺した時、親は学校を信用しません。事なかれ主義だからです。相撲協会も同じです。
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しかし、今回の事件を、酒が入ると粗暴になる日馬富士個人の問題に帰着させるのも誤りです。モンゴル人力士会の存在、暴力に寛容だった相撲協会の体質など、白鵬が言及した「膿」はいくつもあるのです。今回のブログではその根本の問題を考えてみます。
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話は変わりますが、日本発祥のスポーツである柔道は、世界に広まり、外国人の選手が増え、国際化する過程で、いろいろな変更があり、いつの間にかオリジナルの日本柔道とはかなり異なった存在になりました。細かい体重別のクラス分けが進み、得点も細分化されて合計点で競うようになる一方で、日本の武道が持つ美学や精神性が損なわれていきました。それを苦々しく思っても「ジュードーは日本だけのものではない」と一蹴されればそれまでです。もっとも、得点については見直しが進み、昔の日本の柔道に戻りつつあるようですが・・・。
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柔道とは全く逆の方向で国際化を進めたのは大相撲です。あくまでも日本国内での興行にとどめ、日本古来の様式を厳格に守る一方で、人材は広く海外に求め、外国人力士がハンディキャップ無しに日本で競技できるようにしました。それは一応成功を収めているようですが・・。
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外国人選手を受け入れているスポーツは他にもたくさんありますが、大相撲は他と違います。例えばプロ野球には助っ人外人がたくさんいますが、彼らはいつまでも助っ人であり、アウトサイダーです。インタビューには通訳が必要であり、日本語をマスターする選手は少数です。サッカー選手も同じことです。
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一方、大イチョウを結う外国人の関取は、みな上手に日本語を話し、日本語を読み書きします。天皇陛下からメッセージを受けて、感激の涙を流す横綱もいて、精神面ではほとんど日本人みたいな力士ばかりです。大相撲に限って言えば、外国人選手は日本人に同化しているかのように見えます。日本人女性と結婚し、引退後には日本国籍を取得し年寄株を手にする力士が多くいます。それが、日本相撲協会流の国際化です。しかし、本当にそうなのか?
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しかし、一見成功しているように見えますが、この相撲協会の外国人力士の育て方には、疑問符が付きます。以下に管見を述べます。
外国人力士の草分けは、ハワイ出身のジェシー・クアウルハ、帰化後は渡辺大五郎となった高見山です。彼の成功で外国人力士の採用と育成が大きく進みました。ハワイとは民族が異なりますが、同じポリネシアということで、トンガから何人かの青少年を力士として育成したことがあります。トンガ国王のお墨付きを得ておこなった育成プログラムでしたが、うまくいきませんでした。原因は日本の冬の寒さがこたえた・・・ということもあるでしょうが、絶対的な上下関係が存在し、理不尽な「可愛がり」が存在する相撲社会が苦痛だったのでしょう。彼らは日本語をマスターする前に帰国しました。
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その後は再びハワイアンの小錦、曙が活躍しました(高見山とは民族が違いますが)。そしてその後は、モンゴル出身の力士が活躍する時代になりました。ソ連崩壊後の旧東ヨーロッパからも多くの力士が来日して頑張っていますが、やはり頂点に辿り着くのはモンゴル人力士です。これはなぜか?
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モンゴルでは伝統的なモンゴル相撲が盛んで日本の相撲になじみがあること。
モンゴロイドの中でも特に日本人とモンゴル人は似ていて、日本人社会の中で心理的抵抗が少ないこと・・などが挙げられますが、どれも説得力に欠けます。
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私はモンゴル人力士会という一種の互助会が関係しているのでは?・・と思います。
以下、次号
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