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【 第二次大戦の結果か? その2 】 [政治]

【 第二次大戦の結果か? その2 】

 

英国の諺に、「争いに於いて、力で相手を屈服させるのは、たかだか半分勝ったことにしかならない」というものがあります。

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第二次大戦の結果・・とロシアが口にする場合、どうしてもその諺を思い出します。

日本の敗戦が濃厚な194589日、ソ連は日本からの和平の仲介の依頼への回答を保留したまま、突然、日ソ不可侵条約の破棄と日本への宣戦布告を行いました。 日本のポツダム宣言受諾の815日以降も樺太や千島への進軍を続け、9月にそれらを占領するまで、侵攻を止めなかったソ連、さらに戦後多くの抑留者を帰国させず、多大な犠牲者を生み出したソ連に対する一般の日本国民の感情は極めて冷淡です。

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前述の英国の諺に照らして言えば、「たかだか半分勝っただけ」なのがソ連です。

一方、中華民国は蒋介石総統が「暴に報いるに暴を以てせず。暴に報いるに徳を以てなす」という有名な声明を出し、大陸で武装解除された日本軍将兵の帰還を真っ先に行い、そして賠償請求もしなかったのです。ちなみに中華民国とはサンフランシスコ講和会議ではなく、その翌年1952年に日華平和条約を締結しています。

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俗に「盗人にも三分の理がある」と言いますが、それまで日中戦争について日本側にも言い分がある・・という人もいたでしょうが、この蒋介石の言葉を聞いて、何も言えなくなりました。 英国の諺流にいえば、

「相手を感服させ、自分の非を認めさせ、敗北やむなし・・と納得させた時点で100%の勝ちと言える」となりますが、中華民国はまさに100%日本に勝ったのです。

実際の戦闘ではほとんど日本軍が中国軍に勝利していた訳ですが、戦争は完敗でした。

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しかし奇妙なことに、今の中国では、その「暴に報いるに暴を以てせず」の言葉は周恩来がしゃべったことになっています。時期的にみて中華人民共和国建国以前の言葉であり、それはあり得ないのですが、中国の歴史教育では、多少の矛盾は気にしないようです。

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そして、中国の国民には、賠償請求を放棄したことについて、少なからず不満を持っている人がいます。中国政府は、日本に圧力をかけたい時は、上手にその市民感情を利用し、彼らを焚き付けて反日暴動を画策します。 その都度、日本政府は折れて、不合理な経済協力を強いられた訳で、今考えると結局高くついたことになります。

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一方、ソ連は「たかだか半分勝っただけ」という結果の為に大損をしています。東西冷戦時代、日本は西側の有力メンバーだった訳ですが、極東で日本を敵に回したことがソ連にとっていかに大きな失策であったか・・・。 経済が疲弊する社会主義体制の中で、日本からの経済協力が限られ、シベリア開発も遅れ、しかも極東に一定の軍事力を張り付ける必要があったのです。ソ連にとって、日本列島は非常に厄介な存在でしたが、そうしたのは、スターリンのソ連自身です。

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半分勝って大損をしたソ連、完全勝利して大儲けした台湾と中国、左翼系のマスコミは口にしませんが、「第二次大戦の結果」をロシアが口にするなら、このことを思い出さない訳にはいきません。

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話を元に戻します。

日本はサンフランシスコ講和会議で、樺太の南半分の領有権を放棄しています。もっと言えば、ポツダム宣言受諾時に放棄することを認めています。しかし、国家間の決め事は両方が合意して初めて成り立ちます。 ポツダム宣言受諾を無視し、サンフランシスコ講和会議に参加しなかったのはソ連/ロシアであり、そう考えれば樺太の南半分の帰属はまだ確定していません。 私が子供の頃の世界地図では樺太の南半分は白色に塗られていました(帰属が未定だという意味です)。

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それなのに・・・、最近あるTV番組で、出演者が「樺太・・・」と言いかけたところ、若いアナウンサーが「サハリンですね」とたしなめた場面を見ました。今のマスコミは樺太という名前を禁じて、敢えてサハリンと言わせているのか? そこまでロシアに媚びる理由は何なのか? 南極に置き去りにされたタロとジロのことを、彼らは樺太犬と呼ばず、サハリン犬とでも呼ぶのか?

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ロシアが「第二次大戦の結果を認めよ」というのなら、まずサンフランシスコ講和会議に出席しなかった非を認め、「第二次大戦の結果」を両国間で議論する必要があります。樺太の南半分、千島列島の帰属についても、ロシア側の占領を当然の事実とするのではなく、仕切り直しで確認する必要があります。その上で北方四島の話に入れます。

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そこで初めて、日ロ平和条約の締結が可能となるのですが、サンフランシスコ講和会議に出席した他の戦勝国に対して70年遅れの外交となります。ソ連との国交回復自体はサンフランシスコ講和会議の後、1954年に鳩山一郎がソ連を訪問し、日ソ共同宣言を出すことで実現しましたが、その時は多くの日本人シベリア抑留者を人質に取られた状況下だったので、正常に交渉が行えたとは言えません。共同宣言も平和条約に比べれば軽い存在で、途中段階のものです。

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孫の鳩山由紀夫は首相就任時に、鳩山一郎の訪ソ以来60年停滞している日ソ外交/日ロ外交について、鳩山家の宿題であり、自分が前進させる・・と言いましたが、全く何もしませんでした。 外交をするにはぶれない精神と、相手からの尊敬と信頼が必要ですが、方針がぶれまくり、オバマ大統領から「大丈夫か?」と心配されるような、鳩山由紀夫には、所詮、無理でした。

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「第二次大戦の結果」を日ロ両国が認めたとしても、さらに問題があります。日本側の根底にある、ロシアとの条約への不信感を考える必要があります。 ソ連は、日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、継戦能力が無くなった日本に一方的に攻め込んだ訳で、日ロ平和条約を結んだところで、いつ反古にされるか分かったもんじゃない・・という疑心が、昭和世代の日本人にはあります。

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これについて、かつてエリツィン大統領(当時)が弁明したことがあります。

たしか「対日宣戦布告は、ヤルタ会談での決定内容に基づくもので、ソ連一国の意思ではなく、米国、英国も責任を持つものだ。それに、枢軸国側は、ナチスドイツが独ソ不可侵条約を一方的に破ってソ連に侵攻した経緯があるので、ソ連だけを責めるのはおかしい」という理屈でしたが、どちらも日本とは無関係の事情です。

ソ連が日本との約束を一方的に破ったという事実は否定できませんし、日ロ平和条約を締結したって何時破られるか分からない・・というのでは、結ぶ意味がありません。

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もっとも、今のプーチン大統領なら、こう言うかも知れません。

「条約を結んだって、平気でそれを無視したり否定したりする非常識な国は、現実にあるぜ。 日韓基本条約を平気で無視し曲解する韓国はどうなんだい。 俺なら韓国とはあんな条約は結ばないぜ」

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繰り返しになりますが、サンフランシスコ講和会議に参加しなかった国の相手は面倒です。さらに言えば、「たかだか半分しか勝っていない国」の相手は面倒です。

ゆっくりと時間をかけて粘り強く交渉を重ねるしかありません。焦りは禁物です。

 

もっとも、戦争をした訳でもないのに、戦争被害国を気取り、自国を戦勝国と錯覚する国の相手はもっと面倒ですが。


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【 第二次大戦の結果か? その1 】 [政治]

【 第二次大戦の結果か? その1 】

 

いささか旧聞ですが、先日のモスクワでの日ロ首脳会談は空振りだったようです。

日本側は北方四島の返還に向けて何等かの前進を、ロシア側は日ロ平和条約の締結に向けての成果や経済協力を期待した訳ですが、双方の思惑はすれ違いでした。

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ロシア側からは愚痴が聞こえてきます。面白いのはラブロフ外相の発言で「日本は世界で唯一、第二次大戦の結果を受け入れていない国だ」というものです。プーチン大統領も「日本は第二次大戦の結果として、南クリル諸島(北方領土のこと)がロシアに帰属している現実を受け入れねばならない」という言い方をします

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表現は穏やかですが、「敗戦国の日本が、国力が回復したからといって、今更領土を返せと言うのはずうずうしい」ということでしょう。

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では第二次大戦の結果とは何でしょうか?

ロシアの言う戦争の結果とは、ヤルタ会談でソ連が他の連合国から承認を取り付けた、樺太の南半分と千島列島全体のソ連への帰属化です。日本の右翼勢力がその打破を唱える「ヤルタ=ポツダム体制」です。しかし、それは正しいのでしょうか?

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一方、日本側が拠り所とするのは1951年のサンフランシスコ講和会議の結果です。この講和会議で、日本は多くの国と平和条約を結び戦争は終結しました。私に言わせればこれは画期的な会議でした。

普通、多くの戦勝国が集う戦後処理の会議は紛糾し、長引きます。ナポレオンのあとの欧州の会議もそうでしたし、第一次世界大戦のあとのパリ講和会議もそうでした。戦勝各国の思惑が衝突しもめるからです。まさに「会議は踊る。されど進まず」となります。しかし、サンフランシスコ講和会議は非常にスムーズでした。

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それは、敗戦国である日本が非常に殊勝で、戦勝各国がそれに敬意を表し、早く友好関係を回復したいと望んだから・・ではないようです。米ソの冷戦が勃発し、早く日本を西側の一員として取り込んで復活させる必要があったからでしょう。さらに言えば、戦勝国はたくさんあるけれど、本当に勝利したと言えるのは米国だけで、米国のリーダーシップのもとで日本との講和を促されると誰も逆らえなかったということでしょう。

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このサンフランシスコ講和会議で日本は樺太の南半分と千島列島の領有権を放棄しています。ただし、その千島列島はシムシュ島から得撫島までで、国後、択捉、色丹、歯舞は含まないというのが日本政府の見解です。

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スムーズに進んだサンフランシスコ講和会議ですが、禍根を残すこととなります。それは、ソ連が参加しなかったことです。スターリン指揮下のソ連は、もともと樺太はおろか北海道の北半分を手に入れたいと考えていたようです。それなのに北海道を得られないなら署名できない・・と出席を拒否したと言われています。もっともこの点は、私は公的な資料で確認した訳ではなく、本当のところはわかりません。本当は米国主導の講和会議で、西側の枠組みに取り込まれることを嫌がったからかもしれません。

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日本を取り囲む国々で、サンフランシスコ講和会議に参加しなかった国は他にもあります。中華人民共和国がそうですし、韓国と北朝鮮もそうです。それらの国がサンフランシスコ講和会議に参加しなかったことは、その後の半世紀の間、日本外交の禍根となりました。中華人民共和国については、建国の2年後で、当時、世界が相手としたのは中華民国(台湾)だったからです。

今、思えば特アと呼ばれる3カ国はサンフランシスコ講和会議に参加していません。彼らの国家戦略としての反日は、70年前からの筋金入りなのでしょうか?

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そもそも、中華人民共和国は第二次大戦当時、存在せず、日中戦争の相手国とは言えません。韓国はサンフランシスコ講和会議に参加しようとしましたが、米国に拒否されています。

「韓国は、第二次大戦の戦勝国ではない。そもそも韓国は日本と戦争していないのにどうして講和する必要があるのだ?」

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実のところ、韓国は、戦争中は日本の一部であり、枢軸国側だったと言えます。ここで確認したいのは、日韓の多くのマスコミが、「日本は韓国を植民地にした」と言っていることです。日韓併合は、朝鮮を日本の一部としたもので、西欧諸国がアジアとアフリカで設けた植民地とは違います。

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韓国以外にも、第二次大戦の初期の段階では枢軸国側だったのに、戦争が終わった時点では戦勝国に紛れ込んだ蝙蝠のような国はあります。例えばイタリアですが、それらの話は別稿に譲ります。

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サンフランシスコ講和会議に参加しなかった国とも講和する必要があるため、日本は多くの苦労を経験しました。

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韓国とは1965年の日韓基本条約締結まで、本当の意味の国交が復活しませんでした。今また韓国のムンジェイン大統領は、それを否定しちゃぶ台返しをしようとしています。やれやれ。

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中華人民共和国とは1972年の国交正常化まで、待たなければなりませんでした。その際、中華民国の蒋介石にならい、周恩来は日本に賠償を請求しませんでした。しかし、逆にそれが負い目となって、常に日本は弱い立場に置かれています。中国は、都合のいい時に、国内で反日活動を扇動し、自国に有利なように外交を進めます。日本から中国に流れたお金は軽く3兆円を超え、それ以外にも宝山製鉄所への協力など、有形無形の援助が行われました。

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戦後、戦勝国の中で、日本に賠償を求めなかった米国、中華民国、中華人民共和国の3国と、北海道の北半分を要求したソ連は、まったく正反対の対応だった訳ですが、サンフランシスコ講和会議から70年近くが経過して、もう一度そのことを考えてみる必要がありそうです。

 

それについては次号で。


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【 言語が違う その2 】 [コンピューター]

【 言語が違う その2 】

 

調べてみれば、最近はいろいろなプログラミング言語が百花繚乱のごとく存在します。

GoScalaPythonPHPKotlinTypescriptRRubySwiftPerlC++Javascript

この中で私が聞いたことがあるのは、CC++)ぐらいです。Rubyは日本人の天才が開発したもので、開発者は英雄視されているそうです。

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もはやVisual BASICTRONも過去の遺物(死語の世界)に入ってしまったようです。

ここで半可通の知ったかぶりを許して頂ければ、今から50年近く前に開発された言語smalltalkをきっかけに、オブジェクト指向という概念ができ、今から四半世紀ぐらい前からオブジェクト指向言語が次々と登場し、プログラム言語の世界はガラリと変化したようです。前述したPythonPHPC++も、オブジェクト指向言語です。ではオブジェクト指向とは何か?と言われると答えに窮します。

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ものの本には、データとそのデータを扱う手続きを一緒にして、ひとつのオブジェクトと考えるプログラミングの考え方・・と書かれていますが、自分でプログラムを書かない私にはよくわかりません。

具体的には、前に作ったオブジェクトをそのまま使えば、プログラミングの手間が省けるとか、データを変更した場合の影響範囲がオブジェクト内に限られるので、修正がしやすいとか、プログラムの行数が減るという具合に、プログラムを作成する人にありがたい特長を持った言語です。しかし問題もあります。

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今はオブジェクト指向言語が、爆発的に増えてしまいました。多くのプログラマーは自分の専門の言語が決まっていますから、プログラム言語毎に技術者を集めなければなりません。この為、膨大なプログラマーが必要になります。

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もともと、ソフトウェア開発の工数が大きくなりすぎる危機を回避する救世主だったはずのオブジェクト指向言語ですが、これでは皮肉なことに人手不足が増すばかりです。

人々が違う言葉を話すようになって、計画が頓挫したのは、あのバベルの塔ですが、プログラム作成も、早晩バベルの塔になりそうです。

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もう一つの問題は、オブジェクト指向以前のプログラム言語を学んだ人と、オブジェクト指向以降の言語を学んだ人の間で一種の断絶ができてしまうことです。オブジェクト指向以前にも、プログラムのモジュール化は重要な概念として存在し、FORTRANのサブルーチンもその一つと言えます。プログラムのクラス化や階層化ももちろんありました。しかし、今のオブジェクト指向とは別の存在です。FORTRANのサブルーチンはStatic Typingでデータの型式が厳しく規定されていましたが、PythonDynamic Typingで、コンパイル段階でデータの型式を厳密に決める必要はないようです。かなり感覚が違います。このジェネレーションギャップゆえに、もはや、コンピューターについて、昭和人間の私は愚息たちと語り合う事ができなくなりました。

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もっとも、親子間のコミュニケーションが断絶するのは、プログラム言語の問題だけではありませんが・・・。

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今、改めてコミュニケーションの難しさを感じるのはお隣の国の政府です。火器管制レーダーの照射という、これは悪戯レベルではない一種の犯罪についての、日本と韓国のやりとりを見ていると、両国間のコミュニケーションの難しさを改めて感じます。

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朝鮮語と日本語は似ている部分もありますが、言語の構造がそもそも違います。残念ながら日本語と類似した構造の言語はほとんどありません。かつて日本語はウラル・アルタイ語族とされ、中央アジアに類似した言語があるとされましたが、今は否定されているようです。

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いや、文法や発音などの技術的な問題以前に、絶対に非を認めない文化、もめごとがあれば相手を糾弾して謝罪を求める文化とは話が噛み合いません。プロトコルの違いと言いますが、これはもう言語が違う・・ということになります。FORTRANしか知らない私がJavascriptPythonの話を聞くようなものですが、もっと問題は深刻です。

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「やはり、言語とはその民族のすべてが反映されたもので複雑で難しいのさ」と40年前の教室で先生がニヤリと笑ったような気がしました。


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【 言語が違う その1 】 [コンピューター]

【 言語が違う その1 】

 

私が学校に通っていた頃ですから、もう40年も前のことですが、ある人文科学の授業で、先生が突然こんなことを言われました。

「そもそも言語とは、その国、地域、民族の歴史・思想・文化・生活等を背景にしたもので、複雑で奥深いものだ。もっと言えば、その民族固有の財産あるいは民族の文化そのものとも言うべきものだ。それなのに、最近は電子計算機の指示命令のコード体系ごときを『言語』と呼ぶ人がいる。語彙と言うほどでもないわずかな単語を羅列するプログラムを言語と呼ぶのは不遜で、いかにも大袈裟だ。電子計算機を開発する人のおごりが感じられる」

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その授業を聞いていたのは工学部の学生で、コンピューターについて学び始めた人も多く混じっていました。聞いていた人は「実際には、『言語』と言っても、日本人が名付けた訳ではなく、Languageを直訳しただけなのに・・」と思っていたはずです。

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学生の一人が手を挙げて質問します。

「先生のおっしゃるのは分かりますが、先生は具体的にどのプログラミング言語を指して言われるのでしょうか? FORTRANですか?COBOLですか?ALGOLですか?先生は貶されましたが、私にとっては、プログラミングは決して易しいものではなく、研究する価値は大いにあると考えるのですが・・・」

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すると先生、少し慌てて「いや、特にどのプログラミング言語という訳ではなく、一般論として述べたものだ」とごまかしましたが、学生の多くは見破っていました。人文科学の先生は、コンピューターのことをほとんど知らずに、プログラミング言語を揶揄したのだと。

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その当時、私はFORTRANを学び始めたばかりでした。01を並べるだけのマシン語や、それを整理したアセンブラ語は、コンピューターを専門に学ぶ人のためのもので、コンピューターを使うだけの学生には、英語に近い表記を用いるソースプログラムのFORTRANが適していたからです。

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それにしても、FORTRANにしても、COBOLALGOLにしても、PL/Iにしても古い名前です。今は・・・使われていないのかな? 私がふとそう思ったのは、息子達とパソコンの話をした時です。 私の息子たちが研究に使うために、プログラミング言語を学ぶというので、何を学ぶのか尋ねるとPythonを勉強すると言うのです。

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「何だね?そのパイソンというのは?お父さんはスラップスティックのモンティ・パイソンしか知らないぞ」とボケの積りで答えると、息子は真面目な顔で「そうだよ。開発者がモンティ・パイソンのファンで、開発したプログラム言語にPythonと名付けたのさ」

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「科学技術計算ならFORTRANは使わないのかね?」

FORTRAN?知らないなぁ。それは何?」

やれやれ、どうやら「降る雪や昭和も遠くなりにけり」です。

 

以下、次号


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【 児島惟謙と韓国の大法院 その2 】 [政治]

【 児島惟謙と韓国の大法院 その2 】

 明治24年、日本を旅行中だったロシア皇太子ニコライ(後のロシア最後の皇帝ニコライ二世)は、大津で突然、津田三蔵巡査によって斬り付けられ、重傷を負います。当時、日本にとって欧米列強は脅威であり、ロシアとの戦争になれば国家が滅ぶ可能性もありました。 伊藤博文は真っ青になって大津に駆けつけ、ニコライを見舞いました。

 

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ロシアの手前、犯人は処刑してお詫びするしかありません。政府は大審院(今の最高裁)に圧力をかけ、津田三蔵を死刑にするよう慫慂しました。しかし津田は精神を病んでおり、刑事責任を問えるか微妙な状況にあり、単なる殺人未遂では死刑は難しいところです。政府は皇族に対する刃傷ということで皇室罪(大逆罪)を適用しようとします。これなら有罪なら死刑判決しかありえません。

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外務大臣、青木周蔵はロシア公使に対して、「犯人は大逆罪で死刑にする」と説明しています。伊藤博文、松方正義、西郷従道らは、何とか死刑判決にするよう大審院(最高裁)に圧力をかけました。

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しかし、大審院院長の児島惟謙は、大逆罪は日本の天皇や皇族への犯罪にのみ適用され、外国の皇族は対象外であるとし、謀殺未遂罪を適用して、無期徒刑(無期懲役)判決を下しました。

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そして、政治権力の圧力から司法の独立を守ったということで、児島惟謙は日本の司法の守護者として、後世、多くの人から称えられることになります。

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ロシアの脅威に怯える日本政府は、この判決を苦々しく思ったに違いありません。ロシアとの板挟みになった外相の青木周藏は責任を取って、辞職に追い込まれています。まったく余談ですが、青木周藏の子孫も外交官になり、駐ペルー大使として赴任している時に、ペルーの極左集団による大使公邸占拠事件に巻き込まれています。

監禁中の態度が他の人質から不評だったり、救出直後の第一声が不謹慎だったとして、話題になりました。

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その後、紆余曲折を経て、日露戦争が始まりました。敵国の皇帝はニコライ二世です。

大津事件の時、あれほどロシア皇太子ニコライに申し訳なく思い、傷の回復を祈った日本人達は複雑だったに違いありません。犯人の津田の行為を認める訳にはいきませんが、彼に極刑を科さなかった児島惟謙を評価する声は高まります。

一方でロシアを恐れ、ロシアにおもねり、法を曲げようとした、伊藤博文や西郷従道は逆に評価を下げます。

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また、大津事件の副産物と言うべきですが、日本は三権分立が確立した法治国家であるという認識が諸外国に広まり、明治政府の悲願であった、不平等条約の改正に向けて弾みになったという説もあります。

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問題は被害者であるニコライがどう感じたかですが、これは分かりません。 ただ、司馬遼太郎の小説では、日露戦争が勃発した際、ニコライの脳裏には、抜刀して襲い掛かってくる津田三蔵のイメージが重なり、日本に対する恐怖を感じた・・ということになっています。

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今の時代になって、いろいろと考えてみると、児島惟謙の対応が本当に正しかったのかは不明です。 外国を恐れて、国内の司法を歪めてはいけないという毅然とした態度は評価すべきですが、国家あっての司法です。 もしその結果、ロシアから戦争を仕掛けられたり、法外な賠償金を要求されたら、明治20年代の日本国そのものが破綻していました。

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また、薩長藩閥政治の中で、いろいろな派閥が存在し、児島は派閥力学の中で忖度しただけという、うがった見方もできます。どれが正しいかは分かりませんが、彼の判断で日本の司法は救われました。

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今回、日本政府が徴用工の判決問題で韓国政府に「何とかしろ」と要求しているのは、大津事件でのロシアの死刑要求の圧力とは全く異なります。

今回の韓国の判決は、歴代の韓国政府の見解を覆すだけでなく、国内法よりも上位にある国家間の条約に違反するものです。 つまり法律に照らし合わせて、その誤りを指摘されるべき性質のものです。

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もともと韓国は、親日法などという事後法を作り、過去に遡って適用したり、法の合理性より国民感情を優先して判決を出すなど、近代国家とは思えない点があります。

その韓国が、「日本人は三権分立を知らないのか?」と語るのは笑止ですが、世界は冷静に観ています。

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前述の児島惟謙の判決は、諸外国に、日本が歴とした法治国家である事を知らしめましたが、今回の韓国の大法院の判決は、韓国が平気で国際条約を反故にし、一貫した理念を持たず、不合理な賠償請求を繰り返す国であることを世界中に知らしめました。

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これまで日本と韓国の間の多くの係争事案について、中立的な立場をとっていた諸外国が、これで日本の主張に理解を示すようになる可能性は大です。文大統領は難しい舵取りを迫られますが、このままでは、廬武鉉元大統領や日本の鳩山元首相と並んで、最も信用されない首脳になってしまいます。

文大統領の友人は既に金正恩しかいませんが、ここで手を打たなければ、韓国はさらに孤立し、経済的にも追い詰められます。

彼と韓国国民は、日本企業への賠償請求を認める判決を一大欣快事のように考えていますが、実は禍根であり、非常に高くつくことに気付くべきです。


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【 児島惟謙と韓国の大法院 その1 】

【 児島惟謙と韓国の大法院 その1 】

 

再び、日本と韓国の間がぎくしゃくとしています。内容をみると韓国側から、あえて反日的な行動を取り、日本を挑発しているように見えます。慰安婦問題の財団を解散したのも韓国、国会議員が竹島に強硬上陸したのも韓国、海上自衛隊の軍艦旗を拒否したのも韓国、そして日韓基本条約を全く無視して、徴用工の裁判で新日鐵住金や三菱重工に賠償を命じたのも韓国です。それに加えて駆逐艦による対潜哨戒機へのレーダー照射事件も発生しています。

 

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レーダー照射事件以外は、いずれも昔からくすぶっていた問題ですが、日韓関係を損ねたくない従来の韓国政府は、それをあえて先送りしていた訳です。でも北朝鮮寄りの外交を進める文大統領としては、反日の姿勢を明確にしても構わない・・と判断したのでしょう。

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それにしても、まるで油の染み込んだ紙に火を付けるように、簡単に反日活動が燃え上がるのはなぜでしょうか? 私は大きな理由は2つあると思います。

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ひとつは、これまで日本が韓国に対して行ってきた賠償や、繰り返し行ってきた公式の謝罪を、韓国政府や韓国のマスコミが国民に正しく伝えていないこと。1965年に5億ドルが日本から支払われたことや、歴代の日本の首相が数回にわたって謝罪の声明をだしていることを、多くの韓国民は知りません。その方が韓国政府にとって都合がいいからです。

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もうひとつは、反日活動のみを存在理由というか拠り所にしている勢力や個人が韓国に存在することです。不思議なことに、何かに反発することだけに生きがいを感じたり、何かを貶し非難することに自分の存在意義を見出す人がいます。日本でも、一部の野党には反対のための反対をし、とにかく権力に反対することだけが存在目的の「抵抗政党」が存在します。

韓国には、反日のためだけに存在する悲しい組織や個人が存在するのです。彼らには常に反日のための材料が必要です。

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今回の、いわゆる徴用工への賠償を求めた韓国大法院の判決は、国家間の条約を完全に無視し、過去の韓国の政権の見解を無視し、国際法に違反し、韓国の国内法でも説明できない奇妙なもので、単に国民感情に阿った不可解なものと言えます。

日本国内では、「韓国に民主主義はあるのか?」とか「信頼できる近代国家と言えるのか?」という最大級の批判がされています。

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民主主義とこの判決にどう関係があるのか?という点ですが、私は韓国の民主主義は西欧の近代国家のそれとはかなり違う存在であり、それが端的に表れたのが今回の判決だ・・と考えます。もっと言えば、韓国の民主主義とは国民感情に迎合する単なるポピュリズムです。一方で、逆に政府が国民世論をリードする面もあるので、政府と国民の両方で加速された考えが暴走することになります。これは本当の民主主義ではありません。政府と国民の両方に都合のいい話・・とは常に外に敵を求めることであり、それは反日運動だったり、反米運動だったりします。

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どうしてそうなるのか?と考えると、韓国固有の事情があります。国民の直接選挙で選ばれる大統領ですが、実は、道州制を敷く韓国の、一地域の代表にすぎません。大統領は政党の領袖でもありますが、出身地域の利益代表でもあります。地域ごとに大統領候補が立ち、多数決で勝った候補者が韓国全体を統べることになるのですが、自分の地盤となる地域以外では、常にアゲンストの風が吹きます。だから、選挙に敗れて大統領を退いた後、後任の大統領のもとで、刑事訴追されるのです。

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常に国民の顔色を伺いながら、迎合する政治を行う大統領、そして大統領が交替すれば、前任者の仕事は全て否定される・・という仕組みが韓国の政治です。それなのに、大統領に権限が集中しすぎています。韓国には、本当の民主主義はまだありません。

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徴用工問題の判決に反発した日本政府は、韓国政府に対して、なんとかしろ!・・と圧力を掛けていますが、今のところ、韓国の反発を招き、逆効果のようです。

韓国のマスコミには「日本人は三権分立を知らないのか?行政が司法に圧力を加えることなどできない」 という論調がありますが、これほどの詭弁はありません。

一見、韓国政府は大法院の判決と無関係で、これを静観しているようですが、それは嘘です。実は、この判決は韓国の大統領が、許可し、認めたものだからです。韓国の司法は行政に従属し、独立しているとは言えません。

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朴槿恵大統領時代から、韓国政府は、大法院のこの判決が出るのをずっと先延ばしにしていました。そして文大統領は賠償を命じる判決が出ることも把握していました。つまり、対日カードのひとつとして温存し、北朝鮮や中国との関係を見ながら、反日に舵取りしてもいいタイミングを見て、判決を出させたのです。

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三権分立といいながら、韓国の最高裁(大法院)は常に、大統領の顔色を見ています。

今の最高裁の長官は、弁護士だった文大統領の研究会の元メンバーで、最高裁判事ですらない下級裁判官でしたが、文大統領に大抜擢されて就任しています。その思想は文大統領に非常に近い、(つまり急進的左派)とされます。

一方、前政権に忠実だった法務官僚は、大統領が交代すると強烈に批判されます。 今回、最高裁判所の前の判事は意図的に徴用工判決を遅らせたとして刑事訴追されています。

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日本には、最高裁判事に対する国民審査があります(あまり機能している様子はありませんが)。 韓国には国民が裁判官を選ぶ仕組みがなく、大統領が任免権を持つとなると・・・・司法の独立などありえません。

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大統領が最高裁の判決を導き、外交に責任を持つ行政府が意図的にサボり、判決への対応の遅れを批判した日本政府に対して、韓国の政治家が「政府は判決に干渉できない。日本人は三権分立を知らないのか?」とうそぶくのは、まったく理解に苦しむところで、モンテスキュウが聞いたら呆れるでしょう。

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では、日本の場合はどうか?

司法は行政や立法から独立しているのか? 三権分立は確立しているのか?と考えると、こちらも問題は多くあります。 過去の事例を探すと、外交問題から、政府が司法に強い圧力をかけたけれど、司法がそれを跳ね除けた例がひとつあります。

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ロシア皇太子のニコライに斬り付けた大津事件の犯人、津田三蔵に大逆罪を適用すべきかで揉めた、児島惟謙の例です。

それについては次号で考えてみます。


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【 窮理の船 (今回は私事です) 】 [雑学]

【 窮理の船  (今回は私事です) 】

 

申し遅れましたが、私は10月中旬から福井県の北部にある鋼管工場に勤務しております。62才になってなお、「うちで仕事をしないか」との声がかかったのがありがたく、東京の勤務先には不義理をして、福井県に赴いた訳ですが、入ってみれば、いやその忙しいこと、1月に1回、鹿嶋の自宅に帰るという予定は、ままならないかも知れません。

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その中で、11月下旬の勤労感謝の日の3連休には、鹿嶋に帰ることを決めていました。東京でお会いしたい人もたくさんいますし、それに1123日は、愚息2号(つまり次男)の誕生日です。その次男は、今年、南極観測に出かけることになり、1125日に成田から出発するのです。実は南極観測船「しらせ」は既に日本を出発していますが、観測隊員は飛行機で後から出発し、オーストラリアのフリーマントルで乗船する予定なのです。

https://www.asahi.com/articles/ASLC87X66LC8UTIL078.html?iref=comtop_list_nat_n04

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そして成田から出発する次男を見送るために、私と家内、それに北海道の研究所にいる愚息1号も集まることになったのです。南極に行くのは、次男一人ですが、その少し前から、私も家内も南極と南極観測船「しらせ」に興味を持ち、ファンになりました。極地研究所の一般公開があれば出かけて見学し、「しらせ」の見学会があれば、横須賀まで出かけて乗船し、だんだんわくわくしてきました(自分が行く訳でもないのに)。そしてちょっと嬉しくなって親戚にも報告しました。

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早速、横須賀に暮らす家内の叔父からは、東京湾に浮かぶ美しい「しらせ」の写真が送られてきました。観音崎の先、走水を通過し、南極へ向かう「しらせ」の写真です。

 

shirase2.jpgshirase4.jpg

 

 

写真の中には、陸上から旗旒信号を振る男性の後ろ姿の写真もあります。(残念ながら肖像権の確認が取れていないので、その写真は掲載できません)。

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その旗旒信号は、「御安航ヲ祈ル」という、UW旗です。一昨年の弊ブログにも登場しました。お忘れの方は下記のURLをご覧ください。

https://halibut.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04

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「海上自衛隊には、一隻だけ 明るい色で塗装した船があるのですよ。分かりますか?」と話すのは、海上自衛隊の幹部だったNさんです。「それは南極観測船「しらせ」です」。 何度も「しらせ」に乗船(乗艦?)したNさんによれば、海上自衛隊のほとんどの水上艦は、暗いグレーに塗られているそうです。そして潜水艦は黒色です。(これは喫水線より上の部分です)。

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軍艦は戦闘の際、敵に視認されない方がいい訳で、保護色を使うのです(ローヴィジと言うそうです)が、戦闘艦でなければ、その必要はありません。むしろ発見されやすい方がいい訳で、「しらせは」は甲板より下は明るい柿色、甲板より上はクリーム色です。

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初代の南極観測船「宗谷」は海上保安庁に属していたのであてはまりませんが、海上自衛隊に所属した「ふじ」「しらせ(初代)」も今の「しらせ」と同じ色です。

 

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これは、初代の「しらせ」です。

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「しらせ」の甲板に立つ自衛隊員に尋ねると、「しらせ」の乗組員は、全員が志願者で、選ばれて乗船するのだそうです。なぜ志願者が多くいるのか?

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南極という場所に行ってみたいという好奇心もあるでしょうし、もっぱら戦闘訓練に明け暮れる通常の艦隊勤務と異なり、平和な船に乗ってみたいという思いもあるでしょう。でもひょっとしたら、暗い色の船ではなくカラフルな船に乗ってみたいというそんな気持ちもあるのかも知れません。

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ところで1110日に出港した「しらせ」ですが、軍人より科学者や研究者を多く載せたこの船をなんと呼ぶべきか? 私は50年前に教わった「窮理の船」という言葉を思いつきました。私が中学生のころ、音楽の授業で、針谷茂先生がなぜか讃美歌を教えてくださいました。「月なき美空に・・」で始まる讃美歌312番ですが、その中に「窮理の船」という歌詞が登場します。

http://www.worldfolksong.com/hymn/friend-jesus.html

同級生の誰かが、「「窮理の船」とは何ですか?」と質問すると、針谷先生は、少し考えて「今、飛んでいるアレだよ。真理を探究するために進んでいる宇宙船も一つの窮理の船さ」と答えられました。ちょうどその頃、アポロ宇宙船が月面に着陸していたのです。

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本当は、窮理とは哲学的真理を探究することで、自然科学に使っていいのか?という疑問はありますが、なぜかその時は納得した記憶があります。

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すると、今ならさしずめ、南極観測船「しらせ」こそが「窮理の船」だな・・と、50年後の現代の私は思いました。

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窮理の船に心躍らせて乗る次男は、修士課程の1年生です。南極で何を学び、何を経験してくるのか、門外漢の私には分かりませんが、彼もまた人生の船出の時期を迎えます。 南極から帰り、修士課程を修了した後、彼がどの道を選び、どういう人生を送るかは分かりません。 ただ、自分で道を切り開き、困難を克服して自己実現してほしいと祈るばかりです。 次男だけでなく、若い学生や研究者の卵たちは、「しらせ」に乗ろうが乗るまいが、皆さん「窮理の船」の乗組員です。 私はただ「御安航ヲ祈ル」という旗を振るばかりです。

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海原に、白き航跡現れて 南を目指す 窮理の船は

 

天際に緋色の船を見送れり Bon Voyageの旗を振りつつ

 

うーむ 駄作です。私には短歌はやっぱり無理みたいです。


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【 ノーベル賞枯渇論に駁す 】 [雑学]

【 ノーベル賞枯渇論に駁す 】

 

元の東北大学総長でミスター半導体とも呼ばれた西澤潤一博士が他界されました。オヒョウには電気工学や電子工学は専門外なので迂闊なことは言えませんが、西澤博士が考案したとされる光ファイバーの理屈はとても面白いと思った記憶があります。

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そして一時期、西澤博士は、日本人研究者ではノーベル賞に最も近い位置にいたとされます。

残念ながら、その機会はなく、東北大学でははるか後輩の田中耕一さんが化学賞を受賞するのを祝福し、今年は京都大学の本庶佑教授の生物医学賞受賞を見届ける形で亡くなった訳で、本人の胸中はどうだったかな?と、ふとそんな事を考えます。

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最近のノーベル賞は、下馬評を報道するマスコミのせいか、門外漢でも名前は聞いたことがある有名な先生が受賞することが多いようです。iPS細胞の山中伸弥教授やニボルマブ(オプジーボ)の本庶佑教授、青色発光ダイオードの中村修二氏などは、早くからノーベル賞候補として噂されていました。ソフトレーザーによる質量分析技術で受賞した田中耕一さんのようなダークホースは稀です。

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そして、今年の本庶教授の受賞にあたっても登場しましたが、毎年報道されるのは「日本のノーベル賞枯渇論」です。

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即ち、「最近の70代の受賞者は30代、40代の頃の研究が評価されて受賞するので、30年の時間差がある。30年前は、優秀な科学者がたくさんいたし、文科省の予算も潤沢で先進的な研究ができた。しかし今は駄目さ。子供達の理科系離れやゆとり教育で、理工系の学部の人気も質も大幅に低下した。科学者の数も質も低下した。文科省の科研費も削減される一方で、増え続けるのは博士の数ばかり。彼らはパーマネントポストを獲得するのにきゅうきゅうとして、ノーベル賞に値するような大研究をする余裕も能力も無い。だから、今がピークで、将来は日本からはノーベル賞は出ないね・・・」という悲観論です。

「昔は良かった。それに引き換え今は・・」というのはいわゆる下降史観です。

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それに続いて「だから文科省は基礎研究予算をもっと手厚くするべきだ」と続く場合もあります。

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日本の自然科学研究が沈滞傾向にあり、ダメになっていくのか?というと、私にはよく分かりません。しかし、斜に構えた下降史観にすなおに与することはできません。そもそも、自然科学全般(特に、ノーベル賞の対象となる物理、化学、医学、生物学)で、最先端の研究がどのように行われているのか、あるいはその中で、日本人研究者の存在感はどうなのか、といったことを、全て理解している学者や評論家はいないはずです。それにも関わらず、ノーベル賞級の研究が減った・・などと言うのは倨傲にすぎます。

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実は、「ノーベル賞枯渇論」は今に始まった話ではありません。私の記憶では、1981年に福井謙一博士がフロンティア電子理論で化学賞を受賞した頃からです。当時、日本にノーベル賞受賞者はまだ少なく、物理学賞が主でした。

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その時からノーベル賞枯渇論は存在したのですが、その主張とは、以下の通りです。

「かつての理論物理学では湯川秀樹博士や朝永振一郎博士のように、紙と鉛筆さえあれば研究できた。だから敗戦後の貧乏国だった日本でも世界に通用する研究ができ、ノーベル賞も受賞できた。しかし今はダメさ。大掛かりで高価な実験装置を駆使し、国家プロジェクトで研究を進める時代では、日本の研究者は太刀打ちできない。それに全共闘世代以降は、日本の研究者のレガシーも破壊され、日本の自然科学研究はもう終わりだね。福井先生が最後さ」

たしか、こんな意見を朝日新聞で読んだ記憶があります。

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しかし、実際はどうかといえば、全く違います。

福井謙一先生が受賞されたころには、山中伸弥教授は大学一年生ですし、田中耕一さんも大学生でした。福井先生の後に研究を開始した人達も、立派にノーベル賞学者になっています。日本人受賞者は増える一方です。当時の「ノーベル賞枯渇論」は的外れでした。

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理科系のノーベル賞について、全てを把握した訳ではありませんが、共通するのは、一種の偏執狂のように一つのことに拘る天才科学者が人生を掛けて成し遂げた研究だということです。そして紙と鉛筆だけで・・・というのは、半分は正しいのですが、半分は誤りです。物理学では理論と実験は表裏一体だと聞いています。

湯川秀樹博士が中間子の理論でノーベル賞を受賞したのと前後して、米国のアンダーソン博士と英国のセシル・パウエル博士が受賞しています。

湯川博士は中間子の存在を予測しましたが、アンダーソン博士とネダマイヤー博士は宇宙線の中から中間子を発見し、セシル・パウエル博士は、原子核の崩壊を観察して中間子を発見したのです。それら三位一体での受賞であり、やはり大掛かりな実験は必要でした。もっとも、湯川博士が予言した中間子と発見された中間子は別物だったのですが・・。

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最先端の高エネルギー物理学では、巨大で高価な実験設備が必要なのは事実ですが、そればかりではありません。小柴昌俊教授や梶田隆章教授らのカミオカンデやスーパーカミオカンデは、巨額な費用を要する加速器が望めない中で、巨大な水槽を利用してニュートリノを捕まえようとしたもので、設備は巨大ですが、大型加速器と比べて、それほど巨額とも言えません。

むしろ、高エネルギー加速器研究機構のTRISTANKEKBのプロジェクトでのノーベル賞受賞者が小林誠教授だけ・・というのは少し寂しいところです。

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物理の世界は、今でも、湯川秀樹、朝永振一郎、南部陽一郎、益川敏英といった紙と鉛筆で研究する人と。小柴昌俊、戸塚洋二、梶田隆章のように、実験で研究する人が車の両輪のように存在し、ノーベル賞は両方に授与されています。

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冒頭で西沢潤一教授の例を挙げましたが、ノーベル賞は、その背後に母集団とも言うべき沢山のノーベル賞級の研究があり、その中で特に優れたもの、あるいは特に幸運だったものが受賞の名誉を受けます。日本の場合、門外漢のオヒョウが知るだけでノーベル賞級の研究は日本に沢山あり、その母集団がなくならない限り、日本からの受賞者が途絶えることはないと思います。

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いずれにしても、日本のノーベル賞枯渇論は根拠が薄弱であり、心配の必要はないと思います。

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話は変わりますが、自分が研究者でなくても、ノーベル賞受賞の話は嬉しいものです。同じ郷里の出身者だったり、母校が同じだったりすれば、とても誇らしく思えたりします。しかし、日本人の受賞者を数えて外国と比較したり、日本の科学技術のレベルを評価するのに、受賞の数を議論するのはナンセンスでしょう。

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科学技術のグローバル化は進んでおり、日本一国だけの研究と言えない場合が多いからです。実は例外はあるものの、自然科学の分野でノーベル賞を受賞した日本人研究者の多くはなんらかの形で、英語圏で研究し、評価されています。国籍が既に日本人でない人もいます。日本の・・・、或いは日本人の・・とこだわる必要はあまりないのです。

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これからはむしろ日本で研究した外国人留学生や研究者の受賞を喜ぶべき時代かも知れません。例えば、つくばの高エネルギー加速器研究機構に留学した英国人研究者が受賞したとか、京都大学で研究した中国人留学生がノーベル賞を受賞した・・ということを喜ぶべきかも知れません。しかし、実際には、そんな例はまだ無いのです。

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ところで、西澤潤一教授には、西澤泰二教授という弟がおられ、東北大学の金属学の先生でした。合金の状態図を理論的に説明する研究の第一人者です。かなり強い東北弁訛りの話し方が特徴で、西澤潤一教授とは、少しイメージが違います。

兄弟なのに、どうして違うのか? 少し気になるのですが、兄弟のタイプの違いを研究してもノーベル賞にはならないでしょうね。

 

イグノーベル賞にはなるかも知れませんが。


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【 毒薬 その2 】 [中国]

【 毒薬 その2 】

 

私が子供の頃、産業がなりたつための、3要件というものを学びました。すなわち、土地(工場建設用地)、金(設備投資)、人(工場で働く人)の3つが揃わなければ、起業はできないという考えです。土地が要件となるのは、国土が狭く平地が少ない日本固有の事情です。

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広い土地があり、潤沢な労働力がある中国では、資金さえあれば、第二次産業はすぐにでも発展し、世界の工場になれるのに・・・という時代が、文化大革命以降、しばらくつづきました。その後、改革開放経済のもと、一定の資金力ができると、中国の製造業は爆発的に成長し、実際に世界の工場になりました。

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しかし、そこに新たな問題がでてきました。経済の成長に必要なのは、お金と人だけでなく、技術革新や新技術も必須だ・・・という意見です。たとえ成熟した市場でも、世界が様変わりするような、あるいはゲームチェンジするような革新的技術が登場すれば、その産業は成長する。一方、低い労働コストだけが売り物で、安価に大量生産するだけの産業は、いずれ行き詰まる・・という理論です。

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今年、ノーベル経済学賞を受賞したニューヨーク大学のポール・ローマー教授が、技術水準を高めるための努力が重要で、経済発展には技術水準の向上が不可欠と説明しています。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36247190Z01C18A0I00000/?nf=1

少子高齢化の中で、市場も成熟し、もう昔のような高度成長が望めない・・と諦めたくなる日本経済を鼓舞するような言葉です。 イノベーション(発明や新製品開発)は日本の得意とする分野だったからです。

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一方、中国では逆にイノベーションは苦手で、海外で開発された製品をOEMで製造するか、劣化コピーを作るのが主流でした。しかしその中国も人件費の高騰で価格競争力は失われつつあります。 多くの先進国から知的財産権の侵害を指摘・非難され、世界の工場である中国の重商主義も行き詰まりが見えてきました。ローマー教授の唱える技術水準の向上が不可欠なことは、誰の目にも明らかです。とりわけ、習近平は、中国経済が更に発展するには、自前の技術開発が必要だと痛感しているはずです。

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そんな中、習近平国家主席が東北地方3省(遼寧、吉林、黒竜江)を視察した・・というのは、何か意味がありそうです。東北地方3省は、早くから工業化が進み、文化大革命当時は最大の工業地帯だったところです。北方は工業化が進み、南部は農業主体・・というのは実はかつての米国と似ていますし、イタリアの経済構造とも似ています。

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実は、中国の東北地方で第二次産業(工業)が発展したのは、日本の影響もあります、鞍山の鉄鉱石、撫順の良質な石炭を持つ遼寧省は、鉄鋼産業に適しています。日本は東北地方を満州国にした後、積極的に鉱工業に投資しました。戦後、日本は去りましたが、その産業インフラは残り、文化大革命の時代、東北3省は唯一の工業地帯とも言えました。典型的なのは、長春の自動車産業などです。

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しかし、当時の産業インフラは既に全く老朽化しています。その生産設備の改善には、共産主義国だったソ連の指導を受けていますが、彼らは資本主義諸国ほど効率を重視せず、生産する製品も、あまり魅力的ではなかったのです。

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現在、自由経済を取り込み、成長発展を遂げつつある中国で、東北3省の工業は時代遅れであり、お荷物なのは事実です。最新の生産技術を導入し、ハイテク分野にも注力している華中、華南の産業地域に比べ、東北3省は遅れています。単に設備が老朽化したということではなく、産業自体が低付加価値で重厚長大で時代遅れなのです。

https://www.oricon.co.jp/article/573921/

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米国では五大湖南岸の「錆のベルト」という地帯がそれに該当しますが、ちょうどこれは、トランプ大統領の支持基盤と重なります(どうでもよいことですが)

経済成長の鈍化を憂慮する習近平としては、東北3省の産業構造を切り替え、より近代的で付加価値が高く、環境負荷が低い産業にシフトさせたいところです。しかし、ローテクからハイテク、重厚長大から軽薄短小に切り替えるには、多くの知的財産が必要です。外国から気軽に先端技術を教えてもらえた日々は遠く、産業スパイを活用してノウハウを入手できる日々も過去になりつつあります。

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今回、米国が西側諸国にばらまいた毒薬(poison pill)は、外国の科学技術を利用して荒稼ぎする中国に対する最後通牒かも知れません。今後の行方しだいでは、東北3省のリノベーションにも影響を与えます。だから、特に中国にとっては深刻な問題です。

中国の指導部は、「効率が悪くても、もはや、自前で技術開発をしなければならない」と理解しているはずです。

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実際、中国の科学技術分野での存在感は、年々大きくなっていきます。最近、私は金属凝固の数値解析の権威であるE博士とお話する機会があったのですが、E博士が語るには「雑誌に載る中国人研究者の論文の質と量は、ここ数年著しくアップしており、鉄鋼や金属の学会での中国の存在感は増すばかりだ。それに引き換え、日本の研究は質・量とも低下しており、日本の存在感は減る一方だ」とのこと。鉄鋼の生産量ではとっくに主導権を握っている中国ですが、金属工学の技術でも、中国が主導権を握る時期が近づいています。

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繰り返しになりますが、教育を受けた多くの人が都会で生活する中国の科学技術開発力を決して侮っては行けません。

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「彼らには模倣しかできない」「中国人の民度の低さでは、自前の技術は持てない」という根拠のない妄言を信じるべきではありません。米国が各国にばら撒く毒薬のお陰で、中国は覚醒しつつあります。

一方、日本は米国の毒薬に気づかず、ライバルとして急速に台頭する中国の存在にも気づいていません。気づいたら、自由貿易は消えてなくなり、世界はブロック経済に移行し、日本の各産業のヘゲモニーが中国に握られていた  というのでは困ります。

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本当に怖い毒とは、それが毒だとは気づかない毒なのです。


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【 毒薬 その1 】  [アメリカ]

【 毒薬 その1 】 今回はロイター通信の記事について考察します。

 

今は昔、バブルが弾けて間もない頃、円が安くなり、日本企業は海外からの買収・乗っ取りに怯える日々を送りました。新日鉄や住金(当時)の経営陣は、日本国内での競争や需要家との交渉以前に、アルセロールミッタルからの買収(M&A)に備えることばかり考えていました。

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対策には、いろいろな方法があり、敵対的な株の買収に対してはWhite Knight(白馬の騎士)に助けてもらうとか、買収した側が後で「こんなはずではなかった」と臍(ほぞ)を噛むPoison Pill(毒の錠剤・・・日本人だったら独饅頭の方がピンとくる)といった対策が検討されました。結局、NKKと川鉄、新日鉄と住金の合併で海外勢に対処した訳ですが、どうでもいいけれど、株屋というのは、センスの無い名前をつけるなぁ・・と少し嗤った記憶があります。

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後で「こんなはずじゃなかった」と思わせるPoison Pillとは、既存の株主に、相場より安い価格で大量に株式を売りさばく方法です。乗っ取った側は、株価は下がるし、発行株式の増加で価値は希薄化するし、過半数が取れなければ経営の主導権を取れず・・・となり、乗っ取りは失敗となります。シイタケだと思って食べたら、ツキヨタケだった・・・という訳です。(脱線しますが、私が武田泰淳の「ひかりごけ」を読んだ時は、これはツキヨタケのことかと思ったのですが、ひかりごけは「ヒカリゴケ」であり、全く違いました)。

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その懐かしい名前であるpoison pillが、米商務省のRoss長官の声明に登場しました。

https://jp.reuters.com/article/trade-nafta-china-idJPKCN1MD053

https://www.reuters.com/article/us-usa-trade-ross-exclusive/exclusive-u-s-commerces-ross-eyes-anti-china-poison-pill-for-new-trade-deals-idUSKCN1MF2HJ

これは、M&Aとは全く無関係で、中国包囲網を築くための措置です。即ち、NAFTAの同盟国であるカナダとメキシコに対し、「人権抑圧、不公正な貿易や知的財産権の侵害を行う中国と、個別の貿易協定を結んだら、米国が罰則を科すぞ(NAFTAのちゃぶ台をひっくり返すぞ)」と脅す内容です。

「うっかり、中国と貿易協定を結んだ後に、米国とのNAFTAの条約が障害になることに気づき、慌ててももう遅いよ。君は毒薬を飲んだのだよ」とRoss長官が笑う訳です。

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TPPを拒否し、2か国間協定(FTA)に拘る米国が、中国との2か国間協定を妨害するとはまさに矛盾です。昔、小学校の教室で、ガキ大将が自分に従わない児童を村八分にするために、子分の児童達に脅しをかけたのと似ています。さらに、米政府はこれをEUにも申し入れる見込みです。

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米国単独の経済制裁では限界があると考え、新しいABCD包囲網を築こうという考えです。実際のところ、米中の貿易戦争は、中国に勝ち目はないとされています。米国は輸入額が大きいだけに、まだ課税を追加する余地がありますが、中国にはもうありません。しかし中国はプライドの国です。打つ手が無くなったからと言って、米国に頭を下げる可能性はありません。貿易戦争は泥沼化します。

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以上のように説明すると、中国が善玉で米国が悪玉のようですが、事情はやや複雑です。中国が知的財産権を軽視し、他国の顰蹙をかっているのは事実だからです。

典型的な例として日本の新幹線があります。新幹線を導入する条件として、JR東日本は中国への技術移転を求められ、中国国内の使用に限って知的財産を提供した結果、中国は海外でその技術の売り込みを図り、日本のライバルになっています。

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中国側はいろいろ抗弁しますが、基本的に彼らが知的財産権を尊重していないのは事実です。米国や日本、ドイツの技術を盗んで、それを世界中で売りまくるとなると、複数国間で連携して、中国の暴挙を抑え込む必要があります。それには、この毒薬は案外有効かも知れません。

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それはともかく、中国包囲網が北米だけでなく、EUにも及ぶとなると、さすがの中国も孤立し、貿易は大幅に減る可能性があります。米中貿易戦争の勃発で、他の国も一斉にブロック経済に進み、自由貿易化の流れは逆行するでしょう。その場合、日本だけが無傷でいることは現実的ではありません。

https://www.reuters.com/article/us-usa-trade-ross-autos-exclusive-idUSKCN1MF2IE

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日本は、洞ヶ峠を決め込んで、自分から動く様子はありませんが、中国は積極的に打開策を練っています。それについては次号で。


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