【 言語が違う その1 】 [コンピューター]
【 言語が違う その1 】
私が学校に通っていた頃ですから、もう40年も前のことですが、ある人文科学の授業で、先生が突然こんなことを言われました。
「そもそも言語とは、その国、地域、民族の歴史・思想・文化・生活等を背景にしたもので、複雑で奥深いものだ。もっと言えば、その民族固有の財産あるいは民族の文化そのものとも言うべきものだ。それなのに、最近は電子計算機の指示命令のコード体系ごときを『言語』と呼ぶ人がいる。語彙と言うほどでもないわずかな単語を羅列するプログラムを言語と呼ぶのは不遜で、いかにも大袈裟だ。電子計算機を開発する人のおごりが感じられる」
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その授業を聞いていたのは工学部の学生で、コンピューターについて学び始めた人も多く混じっていました。聞いていた人は「実際には、『言語』と言っても、日本人が名付けた訳ではなく、Languageを直訳しただけなのに・・」と思っていたはずです。
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学生の一人が手を挙げて質問します。
「先生のおっしゃるのは分かりますが、先生は具体的にどのプログラミング言語を指して言われるのでしょうか? FORTRANですか?COBOLですか?ALGOLですか?先生は貶されましたが、私にとっては、プログラミングは決して易しいものではなく、研究する価値は大いにあると考えるのですが・・・」
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すると先生、少し慌てて「いや、特にどのプログラミング言語という訳ではなく、一般論として述べたものだ」とごまかしましたが、学生の多くは見破っていました。人文科学の先生は、コンピューターのことをほとんど知らずに、プログラミング言語を揶揄したのだと。
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その当時、私はFORTRANを学び始めたばかりでした。0と1を並べるだけのマシン語や、それを整理したアセンブラ語は、コンピューターを専門に学ぶ人のためのもので、コンピューターを使うだけの学生には、英語に近い表記を用いるソースプログラムのFORTRANが適していたからです。
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それにしても、FORTRANにしても、COBOLやALGOLにしても、PL/Iにしても古い名前です。今は・・・使われていないのかな? 私がふとそう思ったのは、息子達とパソコンの話をした時です。 私の息子たちが研究に使うために、プログラミング言語を学ぶというので、何を学ぶのか尋ねるとPythonを勉強すると言うのです。
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「何だね?そのパイソンというのは?お父さんはスラップスティックのモンティ・パイソンしか知らないぞ」とボケの積りで答えると、息子は真面目な顔で「そうだよ。開発者がモンティ・パイソンのファンで、開発したプログラム言語にPythonと名付けたのさ」
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「科学技術計算ならFORTRANは使わないのかね?」
「FORTRAN?知らないなぁ。それは何?」
やれやれ、どうやら「降る雪や昭和も遠くなりにけり」です。
以下、次号
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