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【 清朝の愛妻家 】 [中国]

【 清朝の愛妻家 】

 

昔、中国の江蘇省昆山市にある公園に遊んだ時です。園内に中国の偉大な人物20傑という碑がありました。日本でも知られている人物ばかりですが、その中に林則徐がいました。

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彼は、衰えていく清朝で大活躍した官僚ですが、日本ではアヘン戦争での中国側の当事者として知られています。その実像はどうなのか?

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福建省福州出身の彼は郷党の期待を担って、20代で科挙に合格し、進士となりますが、成績は特によかった訳ではなく、あまりエリートとは言えない存在だったようです。

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地方に派遣され、湖北省湖南省などの地方長官を歴任しますが、赴任先で農村改革を推進し、治水から農業経営の改善に取り組みます。特に江蘇省にいた頃の治水事業の実績が認められ、北京に戻され、欽差大臣に抜擢されます。江蘇省と言えば「水の蘇州」の名前があるとおり南部には水郷地帯が広がり、中国のパン籠というべき穀倉地帯です。彼はそこの治水事業で実績をあげたのです。

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当時の林則徐の業務内容を見ると、農水省の業務と国土交通省(旧建設省)の業務、総務省の業務(旧自治省)の業務までをこなす、スーパーマンだったようです。そしてその後、外務大臣の仕事も行い、戦時には彼は防衛大臣兼統合参謀本部議長としても活躍するのです。

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欽差大臣に任じられた彼はアヘン対策を担当します。彼は諸悪の根源は国内にはびこるアヘンにあり・・と判断し、厳しい取り締まりを皇帝に進言し、許可を得て実行します。具体的には英国商人のアヘンを全て没収し、海水に浸し石灰に混ぜて処分します。これに反発した英国人が武力に訴えたのが、ご存知、第一次アヘン戦争です。

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考えてみれば、アヘン戦争というのは、どうみても英国に非がある戦争です。中国から膨大な量のお茶や絹を輸入するものの、その代わりに英国から輸出するものが無いものだから、植民地のインドで作らせた麻薬を押し付け、それを禁じられたら、因縁をつけて戦争に持ち込む・・というのですから、場末のヤクザでも、顔を赤らめて行わない恥知らずな行為です。

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近代史において、義の無い、醜い戦争を3つ挙げろと言われれば、第一次アヘン戦争と第二次アヘン戦争(アロー号事件)、そしてボーア戦争となりますから、19世紀の大英帝国など、暴力団みたいなものでした。しかし、私が英国人に訊くと、勝利したアヘン戦争もボーア戦争も正義の戦いと考えている人が多いようです。勝てば官軍か?

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皇帝の信任が篤い林則徐は、清国の2大要職である軍機大臣と欽差大臣を交互に経験していますが、しかしアヘン戦争に敗れると「林が余計なことをしたために、英国に攻められ、国家が辱められ、莫大な損害が生じた」とばかりに、林を疎む声がでます。そして彼は新疆ウイグル自治区のイリに左遷されます。これについては、英国商人から莫大なワイロを受け取っていた官僚達が、林則徐がアヘン密輸を禁止した事を恨み、彼を排除したという説もあります。清国の為に活躍した彼の本当の敵は実は中国人だったようです。

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私の推測ですが、戦争勃発前に林則徐と交渉した英国側が、彼を手ごわい相手と考えて、南京条約の交渉前に彼を遠ざけるよう画策したのではないか?と考えます。

実際、アヘン戦争では、英国艦隊は林則徐が守りを固める広東を避け、渤海沿岸の天津に現れています。手ごわい相手を避け、敵国の勢力から外すというのは、孫子の兵法です。

大坂城を攻めた徳川家康も片桐勝元を豊臣側から遠ざけていますが同じ論法です。

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左遷された林則徐は、新疆ウイグルで善政を布き、絶大の人望と高い評価を得ることになります。その後太平天国の乱の勃発で、彼は再び第一線に呼び戻されるのですが、しかし辺境に左遷された林が愉快だったはずもなく、鬱屈した日々だったことは予想されます。

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小説「阿片戦争」を著した小説家陳舜臣によれば、なんと彼は単身赴任先での孤独で憂鬱な想いを妻に手紙で書き送っていたとのことです。陳舜臣はそのことに驚いています。当時、林則徐は新疆ウイグルのイリにいて、家族は陝西省西安にいた訳ですから、かなり遠距離の単身赴任です。その間を手紙が往復したのです。

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陳舜臣がなぜ驚いたのかは不明ですが、当時の女性の識字率が高かったとは思えず、夫と漢字ばかりの手紙(当たり前ですが)を頻繁にやり取りしていたというのは、確かにちょっと意外です。でも唐代や宋代の漢詩には女性の作品も多く、男女の恋文も多く残されていますから、女性の手紙のやり取りに驚くというのも少し変です。

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おそらくは仕事上の憂鬱を妻に打ち明けるという行動が、当時の官吏としては意外だったからではないか?と私は思います。これは19世紀だけではありません。20世紀も21世紀も、働く男性は仕事の悩みや愚痴を妻には語らないのが普通です。多分、日本でも中国でもそうでしょう。彼がそれを妻に伝えていたということは、それだけ妻を信頼し、心を通わせていた・・ということで、陳舜臣の驚きはそこにあります。林則徐はその心境を漢詩にも詠んでいます。

https://kknews.cc/history/46emgkg.html

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林則徐の時代の問題を考えると、現代中国の問題も見えてきます。例えば、南京条約や北京条約では、キリスト教の中国内での布教が認められます。しかし今の中華人民共和国が認めるキリスト教とは、共産主義の指導の下に活動する宗教であり、唯物論を前提としたキリスト教です。本物のキリスト教は地下に潜り、そして弾圧されています。また林則徐が善政を布いた新疆ウイグル自治区は、北京政府に弾圧されています。ウイグル族だけでなく回族も含めてイスラム者は皆弾圧の対象です。その反動として起こるテロや反政府活動に政府は悩んでいます。 そして林則徐の足を引っ張った腐敗官僚は今もいます。習近平政権にとって官僚の腐敗は解決すべき大きな課題ですが道半ばです。英国やフランスに対するコンプレックスもまだ残っています。そして中国最大の問題である農村改革は、非常に遅れています。林則徐の時代から2世紀近くが経ちますが、その間に中国で実現したことといえば、アヘンの取り締まりぐらいでしょうか? 泉下の林則徐が聞いたら苦笑いでしょう。

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林則徐の出身地である福州には彼の記念館があります。そして中国海軍のソブレメンヌイ級の駆逐艦には「福州」があります。しかし旧式艦であり、もし英国や米国と戦えば、また負けそうです。

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それにしても・・と別のことを考えます。清朝末期に活躍した林則徐も李鴻章も科挙には合格していますが、優等生だった訳ではありません。しかし国難に当たっては大活躍します。林則徐を支えアヘン戦争で戦死した関天培は科挙に合格もしていません。

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余談ですが、かつて行われた科挙の試験の解答用紙は巻紙でした。合格者の答案の巻物をお盆に載せて天子(皇帝)に献上する訳ですが、最優秀者の答案を一番上に載せて献上しました。つまりトップ合格の答案が他の答案の上に乗るので「圧巻」という言葉が生まれました。「圧巻」の働きをした林則徐は、実は「圧巻」の官僚ではなく、そしてその彼にも清朝を救うことはできませんでした。

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ところで、中国の強い影響を受けた昔の日本ですが、中国から導入しなかったものが4つあります。それは宦官と纏足とアヘンと科挙です。しかし日本に科挙はなくても、戦前には高等文官試験、現代は国家公務員上級甲種試験があり、「圧巻」の官僚が毎年誕生します。

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日本の「圧巻」の官僚達は今一体何をしているのか? やはり国難にあたって活躍するのは「圧巻」の官僚ではなく、もっと普通の官僚なのか? 最近ニュースで報道される事務次官や局長級の官僚達の不誠実な仕事ぶりをみると、そんな事をふと考えてしまいます。


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【 夜光杯(イェゴンペイ) 】 [中国]

【 夜光杯(イェゴンペイ) 】

 

電車通勤をしていたころ、車中で、スマホを使い、NHKのラジル★ラジルの聞き逃し番組を聞いていました。その中に、「カルチャーラジオ 漢詩を読む」があります。テキストを読まずに聞くだけなのですが、頭の中で漢字を探しながら、漢詩を追いかけるのはちょっとした頭の体操になります。

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講師は國學院大學の赤井益久学長で、韻文の解説なのに、情緒的にならず、たんたんと大学の講義のように解説されるのが面白く、電車の中でも思わず聞き入ってしまいます。

また落ち着いた加賀美幸子氏の朗読も大好きです。

その講義の中で、ひとつ引っかかったことがあります。

それは赤井先生が夜光杯について簡単に説明された時です。取り上げたのはあの有名な王翰の「涼州の詞」です。日本人が大好きな「葡萄の美酒、夜光の杯」で始まる詩です。

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葡萄の美酒は分かるけれども、夜光の杯とは何だろう?と最初に読んだ人は不思議に思います。そこで赤井先生は、夜光の杯とは玉の一種で作られた玉杯である・・と解説されました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E5%85%89%E6%9D%AF

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確かに夜光杯は玉杯の一種なのですが、少し引っかかります。中国で言うところの玉とは、宝石というより、貴石または半貴石で、装飾品や食器、杯、彫刻などに使われる材料全体を指しますが、主にヒスイ(実は翡翠にも複数の種類があるのだそうですが)を指します。本物のヒスイは立派な宝石なので、玉と言えない場合もありますが・・。

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しかし、夜光杯はヒスイではありません。実は夜光杯にも複数の種類があり、やや複雑なのですが、私が西安のホテルの土産物店で見たものは乳白色や暗緑色の不透明な地色の中に薄墨というか黒い帯状の模様が広がっているもので、全体的には暗く黒い杯です。決して夜に光を透過して輝くという石ではありません。かなり薄く磨き込んであり、玉をここまで磨くのは大変だろうな・・と思わせる労作でした。

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甘粛省などの西域で生産され、決して光を放つまばゆい存在ではない夜光杯がもてはやされ、人気があるのは、ひとえに王翰の漢詩が日本で人気があるからです。そしてもうひとつ、夜光杯が磁石にくっつくという面白い性質があるからです。ご承知の方も多いでしょうが、気の利いたお店には磁石が置いてあり、杯を寝かせて磁石の方に転がる様を見せます。「何で磁石が必要なの?」と店員が怪訝な顔をする店は偽物の夜光杯を置いている店です。

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ではなぜ磁石にひっつくのか?と言えば、石の中に磁鉄鉱が含まれるからです。磁鉄鉱は砂鉄と同じ黒色の鉄の酸化物です。黒錆とも呼ばれます。化学式ではFe3O4となります。つまりこれはスピネル構造です。スピネル構造とは遷移金属の原子3個に対して酸素原子4個が結合して、M3O4の形をとる結晶構造です。この結晶はしばしば斉一で透明度が高く、そして美しく、コバルトスピネルなどは宝石として扱われています。磁鉄鉱はひたすら暗くて不透明ですが・・・。そしてスピネルは電磁的にはしばしば特異的な性質を示します。

鉄の酸化物の中で、磁鉄鉱は特に磁性が高いのです。

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磁鉄鉱Fe3O4はたたら製鉄の原料にもなりますが、それほど科学的に安定ではありません。500℃以上の酸化性の雰囲気の中に長時間置くと、赤鉄鉱(Fe2O3)になってしまいます。つまり赤錆で、これは美しくなく、そして磁性を持ちません。

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夜光杯の面白いのは、他の結晶の中に、あまり安定でないスピネルが閉じこまれていることです。ヒスイもアルミニウムなどの酸化物および水酸化物ですが、スピネル構造ではありません。ヒスイの中にはスピネルの磁鉄鉱は存在しないでしょう。つまりヒスイは磁石にひっつかない・・というだけのことですが、だから何なの?となります。

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石の外観を見れば、鮮やかな碧色で透明度も高い派手なヒスイの方が、ひたすら暗くて地味な夜光より遥かに貴重に思えます。敦煌あたりの中国人の中にはなぜ夜光杯がここまで日本人の間で珍重されるのか分からない・・という人もいるでしょう。

一方、日本人の中には薄墨を流したような独特の文様に美を見出す人もいるでしょう。

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日本人が夜光杯を好む思想の根底には、中国の玉というものに対する憧れがあるのではないか?と思います。歴史を見ると、日本でも早くからヒスイが採取されています。また水晶も多く取れています。またベリルと総称される、ルビーやサファイヤのような宝石もごくわずかですが産出します。しかし、中国で珍重される玉とは何なのだろうか?夜光とは何なのだろうか? 日本では採取されないものなのだろうか?と思ったかも知れません。

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その疑問は憧れでもあります。矢野勘治作詞の旧制一高の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」では冒頭に「嗚呼玉杯に花うけて、緑酒に月の影宿し」とあります。

おそらく矢野勘治は、王翰の涼州の詞にインスパイアされたのでしょう。

夜光杯の代わりに玉杯、葡萄の美酒の代わりに緑酒としたのです。

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しかし、緑酒とは何か? オヒョウの乏しい知識ではアブサンかメロンリキュールぐらいしか想像できません。昔の一高生はアブサンなんか飲んでいたのかな?一説では、あれには毒があり、強烈に悪酔いするという話だが・・。

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昔の日本人が葡萄の美酒とは何ぞや?と思ったのと同様、現代の私は緑酒とは何か?と考えてしまいます。

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赤井先生が、夜光杯について詳しい説明を省略されたのは、詩の本質とは関係ないと判断されたからでしょう。また夜光杯について語りだすと、切りがないと判断されたのでしょう。

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でも日本と中国で落差のある、夜光杯の評価について、もう少し解説されてもよかったのでは?と思います。 果たして、中国での夜光杯の評価はどうなのか?

これを確認するには、中国の全ての財宝が集められたとも言われる故宮博物館に行くべきです。実際、故宮博物館には素晴らしいヒスイの芸術品がたくさんあるそうです。果たして、故宮博物館に夜光杯はあるのか? それとも夜光杯は卑なるものとして博物館にはないのか?

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残念ながら、私が訪れた北京の故宮博物館にはろくな宝物がありませんでした。宝石や玉、多くの芸術品は台湾の故宮博物館にあるのです。果たして夜光杯は台湾の故宮博物館にはあるのか?

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敦煌の日本人観光客向けの土産物店にある夜光杯ではなく、中国の皇帝も愛でた夜光杯が、もし台湾の故宮博物館にあるのなら、是非見てみたいものです。

 

「いつか、台湾を訪問したいな・・・」赤井先生のラジオの講義を聞きながら、そんなことを考えました。


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【 毒薬 その2 】 [中国]

【 毒薬 その2 】

 

私が子供の頃、産業がなりたつための、3要件というものを学びました。すなわち、土地(工場建設用地)、金(設備投資)、人(工場で働く人)の3つが揃わなければ、起業はできないという考えです。土地が要件となるのは、国土が狭く平地が少ない日本固有の事情です。

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広い土地があり、潤沢な労働力がある中国では、資金さえあれば、第二次産業はすぐにでも発展し、世界の工場になれるのに・・・という時代が、文化大革命以降、しばらくつづきました。その後、改革開放経済のもと、一定の資金力ができると、中国の製造業は爆発的に成長し、実際に世界の工場になりました。

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しかし、そこに新たな問題がでてきました。経済の成長に必要なのは、お金と人だけでなく、技術革新や新技術も必須だ・・・という意見です。たとえ成熟した市場でも、世界が様変わりするような、あるいはゲームチェンジするような革新的技術が登場すれば、その産業は成長する。一方、低い労働コストだけが売り物で、安価に大量生産するだけの産業は、いずれ行き詰まる・・という理論です。

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今年、ノーベル経済学賞を受賞したニューヨーク大学のポール・ローマー教授が、技術水準を高めるための努力が重要で、経済発展には技術水準の向上が不可欠と説明しています。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36247190Z01C18A0I00000/?nf=1

少子高齢化の中で、市場も成熟し、もう昔のような高度成長が望めない・・と諦めたくなる日本経済を鼓舞するような言葉です。 イノベーション(発明や新製品開発)は日本の得意とする分野だったからです。

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一方、中国では逆にイノベーションは苦手で、海外で開発された製品をOEMで製造するか、劣化コピーを作るのが主流でした。しかしその中国も人件費の高騰で価格競争力は失われつつあります。 多くの先進国から知的財産権の侵害を指摘・非難され、世界の工場である中国の重商主義も行き詰まりが見えてきました。ローマー教授の唱える技術水準の向上が不可欠なことは、誰の目にも明らかです。とりわけ、習近平は、中国経済が更に発展するには、自前の技術開発が必要だと痛感しているはずです。

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そんな中、習近平国家主席が東北地方3省(遼寧、吉林、黒竜江)を視察した・・というのは、何か意味がありそうです。東北地方3省は、早くから工業化が進み、文化大革命当時は最大の工業地帯だったところです。北方は工業化が進み、南部は農業主体・・というのは実はかつての米国と似ていますし、イタリアの経済構造とも似ています。

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実は、中国の東北地方で第二次産業(工業)が発展したのは、日本の影響もあります、鞍山の鉄鉱石、撫順の良質な石炭を持つ遼寧省は、鉄鋼産業に適しています。日本は東北地方を満州国にした後、積極的に鉱工業に投資しました。戦後、日本は去りましたが、その産業インフラは残り、文化大革命の時代、東北3省は唯一の工業地帯とも言えました。典型的なのは、長春の自動車産業などです。

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しかし、当時の産業インフラは既に全く老朽化しています。その生産設備の改善には、共産主義国だったソ連の指導を受けていますが、彼らは資本主義諸国ほど効率を重視せず、生産する製品も、あまり魅力的ではなかったのです。

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現在、自由経済を取り込み、成長発展を遂げつつある中国で、東北3省の工業は時代遅れであり、お荷物なのは事実です。最新の生産技術を導入し、ハイテク分野にも注力している華中、華南の産業地域に比べ、東北3省は遅れています。単に設備が老朽化したということではなく、産業自体が低付加価値で重厚長大で時代遅れなのです。

https://www.oricon.co.jp/article/573921/

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米国では五大湖南岸の「錆のベルト」という地帯がそれに該当しますが、ちょうどこれは、トランプ大統領の支持基盤と重なります(どうでもよいことですが)

経済成長の鈍化を憂慮する習近平としては、東北3省の産業構造を切り替え、より近代的で付加価値が高く、環境負荷が低い産業にシフトさせたいところです。しかし、ローテクからハイテク、重厚長大から軽薄短小に切り替えるには、多くの知的財産が必要です。外国から気軽に先端技術を教えてもらえた日々は遠く、産業スパイを活用してノウハウを入手できる日々も過去になりつつあります。

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今回、米国が西側諸国にばらまいた毒薬(poison pill)は、外国の科学技術を利用して荒稼ぎする中国に対する最後通牒かも知れません。今後の行方しだいでは、東北3省のリノベーションにも影響を与えます。だから、特に中国にとっては深刻な問題です。

中国の指導部は、「効率が悪くても、もはや、自前で技術開発をしなければならない」と理解しているはずです。

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実際、中国の科学技術分野での存在感は、年々大きくなっていきます。最近、私は金属凝固の数値解析の権威であるE博士とお話する機会があったのですが、E博士が語るには「雑誌に載る中国人研究者の論文の質と量は、ここ数年著しくアップしており、鉄鋼や金属の学会での中国の存在感は増すばかりだ。それに引き換え、日本の研究は質・量とも低下しており、日本の存在感は減る一方だ」とのこと。鉄鋼の生産量ではとっくに主導権を握っている中国ですが、金属工学の技術でも、中国が主導権を握る時期が近づいています。

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繰り返しになりますが、教育を受けた多くの人が都会で生活する中国の科学技術開発力を決して侮っては行けません。

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「彼らには模倣しかできない」「中国人の民度の低さでは、自前の技術は持てない」という根拠のない妄言を信じるべきではありません。米国が各国にばら撒く毒薬のお陰で、中国は覚醒しつつあります。

一方、日本は米国の毒薬に気づかず、ライバルとして急速に台頭する中国の存在にも気づいていません。気づいたら、自由貿易は消えてなくなり、世界はブロック経済に移行し、日本の各産業のヘゲモニーが中国に握られていた  というのでは困ります。

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本当に怖い毒とは、それが毒だとは気づかない毒なのです。


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【 牛肉と豚肉 】 [中国]

【 牛肉と豚肉 】

 

北朝鮮では牛肉を食らうと死刑になるのだそうです。

http://www.zakzak.co.jp/soc/news/180513/soc1805130003-n1.html

恐るべき世界というべきですが、実は中世までは英国もそうだったかも知れません。

牛肉とは王が食らうもので、一般の人たちの口には入らなかったようです。では牛肉の代わりはといえば鹿肉を食べていたようです。鹿は家畜ではありませんから、つまりジビエを食べていたのですね。英国の小説アイバンホーには、御馳走として鹿肉のパイを食べる場面がしばしば登場します。でもそれは騎士階級の人たちの生活であり、恐らく庶民は肉を食べることは滅多になかったようです。

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例外的に、功績のあった軍人が退役した後、その労に報いて牛肉を食べることが許されたようです。それがビーフイーターと呼ばれる人たちで、今はなぜかド派手な服を着て、ロンドン塔のガイドをしています。夏目漱石の「倫敦塔」にも登場しますし、おいしいジンのラベルにもビーフイーターは登場します。

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アイバンホーが書かれたのは19世紀ですが、その舞台は中世です。そして中世の中国で書かれた水滸伝にも、肉まんじゅうは登場します。登場する英雄豪傑が食べるご馳走として「肉まんじゅう」が登場しますが、こちらは豚肉ではなく、牛または水牛の肉です。

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私などは、中華まんじゅうの肉といえば、豚肉を連想しますが、牛肉まんじゅうも当然あります。 でも、全般に中国の人達は確かに豚が大好きで、牛肉より豚肉を多く食べます。

前回、弊ブログに登場した東大の今村奈良臣教授は、「牛より豚の方が肥育の効率がよく、より短期間でより少ない飼料で成育するので、中国人は豚を好むのだ・・」と語ります。確かに中国人はプラグマティストで効率を最大限重んじるのは事実ですが、家畜の成育効率まで厳密に考えて豚肉の方を好む・・とも思えません。単に中華料理は豚肉に合っているということではないでしょうか? でも、前述の通り、牛肉も好まれます。実際、水滸伝に登場する好漢・烈士だけでなく、普通の人も牛肉を食べます。

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オヒョウが中国昆山の街を、腹を空かせて歩いていた頃を思い出します。表通りからちょっと入った路地の目立たない「一膳めしや」に入ります。「ニューローメン(牛肉麺)ヨォメイヨォ(有没有)?」と尋ねれば、「ヨォダ!」と返事があり、1杯百円に満たない安価な肉そばが、汚いどんぶりに入って出されます。麺の上には、申し訳程度の牛肉の切り身が乗り、(香菜)パクチーが乗っかっています。大好きな味なのですが、どんぶりは汚かったし、割りばしを洗って使いまわすのは、どうも気が進みませんでしたが・・・。

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しかし、その店で、「ニューローチャーハン(牛肉炒飯)ヨォメイヨォ?」と尋ねても、「メイヨォ(没有)」という答えになります。牛肉入りの炒飯を食べるには、さらに奥の、もっと場末のお店に行くことになります。

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そこでは白い帽子を被ったフィ(回)族の男が、牛肉料理を作っています。壁には中央アジアのどこかにあるのだろうモスクの写真があり、「清真」という言葉があります。お分かりの通り、イスラム教徒の店ですから、豚肉料理は食べられません。中国の肉料理は、豚肉か牛肉か、あるいは鶏肉、羊肉となりますが、どの肉を食らうかは宗教でも決まるのです。そして豚肉を食べない人たちは、この国ではマイノリティとして暮らしています。

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この国では表向きは、全ての民族が平等ですが、実際にはイスラム教を信奉する回族やウィグル族は肩身の狭い思いをしています。豚肉を出さない彼らの店は、表通りではなく裏通りにあります。

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豚肉を多く食べる漢民族、豚肉は食べないイスラム教徒の少数民族。それなら、この国での牛肉・羊肉と豚肉の消費量のバランスを見れば、回族やウィグル族の勢力が分かるか?と訊かれれば「それは難しい」という答えになります。

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経済成長の著しい中国沿海部では食事の西欧化も進み、ビフテキにワインという食事を好む人が増えています。漢民族もまた牛肉の大量消費を始めました。

だから、イスラム教徒の勢力と無関係に、漢民族が豊かになって牛肉をたくさん食べるようになれば、牛肉消費量は増えることになります。

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しかし、そこに落とし穴があります。いつの間にか、中国は大豆の大輸入国になっています。

そして大豆だけでなく、デントコーンなど、家畜の飼料の多くを輸入しており、輸入飼料に頼る牛肉の消費量の増大は、食糧供給の首根っこを外国に抑えられることを意味します。実は日本も同じ状況なのですが、中国の場合はさらに深刻です。なぜなら、家畜の飼料の多くはアメリカからの輸入だからです。経済大国となった中国は、あらゆる場面で米国をライバル視し、しばしば利害や意見が対立します。その相手国に弱みを握られることになるのです。

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中国の人は、貿易赤字に悩むアメリカから飼料作物を大量に輸入してやるのだから、感謝されるだろう・・と思うかも知れませんが、米国は飼料ではなく牛肉を買えと言ってくるでしょう。(すべて日本が経験したことです)。

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かつて、国民にふんだんに牛肉を食べさせようと考え、農政に失敗し失脚した男がいます。旧ソ連のフルシチョフ書記長です。 同じ轍を中国の指導部が踏む可能性があります。

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一度、豊かになり、牛肉の味を覚えた国民に、「これは王の食べる肉であって、庶民は口にしてはならぬ」とする訳にはいきません。猛烈な勢いで豊かになり、猛烈な勢いで都市化が進む中国では、ブレーキをかけることができないのです。北朝鮮とは異なります。

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私が米国の大統領だったら、係争中の相手国に鉄鋼やアルミに関税をかけたり、国境に壁を作るような愚策はとりません。 軍艦を派遣して恫喝することもしません。対立する国の国民にふんだんにご馳走(具体的には牛肉)を食べさせればよいのです。究極の太陽政策です。飼料の自給ができない国の食料供給、農政を牛耳ることができます。

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かつて豚肉を食べていた中国人民は、牛肉の味を覚えたばかりに米国に屈することになります。

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私が知る限り、この作戦が通用しないのは、ヒンドゥー教徒の国、インドだけでしょう。


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【 中国の少子化問題  その2 】 [中国]

【 中国の少子化問題  その2 】

 

私の持論は、世の中の考え方とは逆です。我が子に幸せな人生を歩ませるには、とにかく幸せで楽しい子供時代を過ごさせることが重要です。大人になってから、自分の少年時代/少女時代には楽しい思い出がたくさんあったなぁ・・・と思い出せるような、そんな子供時代が必要なのです。

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子供の頃、遊んでばかりいても大丈夫か? 進学競争に負けやしないか?泳げない男の子やピアノも弾けない女の子では、将来困らないか? などとくだらない心配は要りません。お金もかかりません。

毎日、外で暗くなるまで、男の子なら三角ベースの草野球を楽しみ、女の子はゴム跳びでも石蹴りでもして遊べばいいのです。雨が降れば、自宅で遊ぶか、図書館で児童書でも漫画でも読めばいいのです。休みの日には、近くの里山に探検に出かければいいのです。夏休みの宿題なんか放っておきましょう。あんなものは大人の自己満足のためのものです。

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では、私がそれを主張するのはなぜか?

人は自分が楽しい子供時代を過ごせば、子供を産んで子供たちにも楽しい経験をさせようと思うからです。

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昔のブログにも紹介しましたが、小児科医で児童心理学者だった松田道雄博士は、その著書「私は二歳」の中で、人は幸福な子供時代を過ごすために生まれてきたのかも知れない・・と述べています。私は、子供時代が幸せなら、大人になってからも心豊かな人生を送れるのではないか?と考えます。 物質的に恵まれるかは分かりませんが、それは人生の良し悪しを決める本質ではありません。

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エッセイストで社会学者である木村治美氏はロンドン時代に、子育てについて面白いことを語っています。

「子育ての醍醐味は、自分の子供時代の楽しい記憶を、子供との暮らしを通して追体験できることである」

このエッセイを書いた頃の彼女の年齢については、良く知りませんが、中高年に達した人の、日々の思考のある部分は、若かった頃の思い出を反芻することで占められます。 楽しい思い出、懐かしい記憶が多くあるほど、幸福な日々を過ごせるのです。

残念ながら、それらの記憶はどんどん忘れ去られますが、日々成長していく我が子の生活を通して、それが追体験できれば、素晴らしいことです。

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子育ては苦痛ではなく、楽しみになります。 子育てが、人生に新たな幸福の日々をもたらしてくれる・・となれば、自然に子供を産む人は増えます。

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残念ながら、私が見た中国の子供も、韓国の子供も幸せそうではありませんでした。

中国の場合、都市の裕福な家庭では、子供は塾通いと受験勉強の日々です。農村部の貧しい家庭の子や民工の子供は、早くから労働者となります。

韓国の子供も受験勉強の日々です。受験に失敗すれば、人生の落伍者のように言われ、それまでの勉強の日々が無意味だったように言われます。

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これでは楽しい思い出もできません。 どうか、世の中の父親・母親は、子供を遊ばせ、そして、自分達も子供の遊びに加わって、自分の子供時代の楽しい記憶を反芻してください。それが最良の子育てだと思います。

 

もっとも、我が家の場合、二人の息子が成人するまで、その子育てをほとんど妻にまかせっきりだったオヒョウは、偉そうなことは何も言えないのですが・・。

 

幼きは、幼きどちのものがたり、葡萄のかげに月かたぶきぬ


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【 中国の少子化問題 】 [中国]

【 中国の少子化問題 】

 

中国の出生率が低いままです。有名な「一人っ子政策」を見直し、2人以上子供を産めるようになったのに、今度はなかなか子供を産む夫婦が増えないのです。

直近の出生率は、少子高齢化が問題になっている日本よりさらに低い値で、近い将来、日本以上の少子高齢化が進み、2030年以降は人口の急激な減少が始まるかもしれません。

https://forbesjapan.com/articles/detail/20511

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大きな国で人口が急激に減少するという事態は、ペストなどの疫病や大戦争を除けば、過去に例がありません。

そして、人口の急激な自然減は、単に国家規模の縮小という問題だけではありません。減少の過程で深刻な社会問題をもたらします。年齢別の人口構成を示す人口ピラミッドが逆三角形になりますが、これは社会福祉の破綻を意味します。

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中国の「一人っ子政策」の初期の段階では、一人の子供は6つの財布を持つと言われました。つまり両親、両祖父母が、かわいい孫や子供にお金を注ぎ込んだのです。一人っ子は大切にされ、甘やかされた子供たちは「小皇帝」と呼ばれました。

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しかし一転、その子達が大人の勤労世代になった頃、今度は一人で6人の老人の福祉負担を背負わねばならないのです。中国は儒教文化のもと、伝統的に老人を敬う国ですが、この状態が続けば、年金も破綻し、老人医療も高齢者福祉も頓挫します。中国の富裕層には様々な事情により、海外移住(というより脱出)を目指す人がいます。その脱出の理由の一つは早晩予想される、中国の老人福祉政策の破綻でしょう。

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私が中国の昆山にいたころ、週末に2人以上の子供を連れた家族が街を歩いていると、周囲の人が羨望の目で見ていたのを思い出します。訳を聞くと、2人以上の子供を連れた家族というのは台湾人だとのこと(昆山には台湾企業が多くありました)。台湾人は一人っ子政策の対象外で、何人でも子供を持てたのです。

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それをうらやむ中国人夫婦がいたことを覚えています。だから、中国政府が一人っ子政策を廃止した・・と聞いて、私は思いました。「これは良かった。これで男の子が欲しい夫婦も、女の子が欲しい夫婦もチャンスが増えるし、台湾人をうらやましく思う必要もない・・。出生率はあがり、生まれる子供の数は増えるだろう・・・」。

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しかし、現実は違いました。冒頭で言いましたように、一人っ子政策を止めてからも、子供の数は増えません。それはなぜか? 私は一つの理由は、中国が中途半端に豊かになってしまったからだと思います。

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20世紀の終わりの頃、先進国で出生率の低下が問題になり始めました。調べてみると、出生率が低いのは、日本、ドイツ、スェーデン、オーストリア、イタリアなどで、世の中では「第二次大戦の枢軸国だった国で出生率が低下している。これはなぜか?」という議論になったのですが、はっきりとした理由はわかりませんでした。

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今、考えると、先進国の豊かな生活をしている民族では、おおむね出生率が低下しています。人口増が続く米国だって白人だけをみれば、出生率は高くなく、高いのは黒人やヒスパニックです。フランスもアフリカ系の出生率が高くなっています。枢軸国も連合国も関係なかったのです。

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なぜ、豊かな国では出生率が低く、そうでない国や民族では出生率が高いのか?

理由は主に経済的な事情です。

前のブログにも書きましたが、貧しい家庭や社会では、子供はベネフィットです。子供が生まれれば働き手が増えることになり、家計は楽になるのです。子供は幼い内から、労働して収入を得ます。働けない子も妹や弟の子守はできます。そして親の負担を軽くするのです

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一方、豊かな家庭や社会では、子供はコストです。教育費はかかりますし、就労するまでの期間(つまり就学期間)は、貧しい家庭や社会より長くなり、親の負担は増加します。

貧しい社会では少しでも楽になるために子供を産みます。豊かな社会ではそうではありません。

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しかし貧しい社会では、子供は早くに就労しますが、教育を受けていないため、専門性の高い職業や、高い生産性をあげる仕事には就けません。つまり、高賃金の仕事にはありつけません。長い目で見れば生涯所得は少なく、低所得の生活が世代交代しても続きます。

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一方、豊かな社会では、女性の社会進出が進み、勤労世代の女性にとって母親や専業主婦以外のオプションも増加します。子育て以外にも自己実現や生き甲斐を見出せます。つまり子供を産まないというオプションも出てくるのです。

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子供はコストだ・・という考え方は、中国や韓国では特別な意味を持ちます。

かつて科挙のシステムを採用したこの2つの国では、難しい試験にパスし、エリートの学校を卒業することが立身出世の早道でした。家柄や出自によらず、試験さえ通れば、偉くなれるし、裕福で幸せになれる・・・(という幻想)の元、閉塞感の漂う庶民階級は子供の教育に熱を入れます。これは昔から現代まで、中国や韓国の、教育に注力できる人々(つまり中産階級)に共通した事情です。

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今後、中国の都市戸籍と農民戸籍の区別は見直されるでしょうが、現在、農民戸籍の人は裕福になれる機会が乏しい極めて厳しい閉塞感の中で暮らしています。その農民戸籍を脱出する数少ない方法が大学を卒業することなのです。社会は急速に豊かになっても、取り残される庶民は、子供に英才教育を施します。親の子供にかける期待は高まり、孟子の母親以来の伝統である教育ママが登場します。しかし、これは子供と両親にとって大変な心理的プレッシャーであり、金銭的な支出も伴います。現代の科挙は、コストを強いるのです。

塾や家庭教師、習い事で子供も大変ですが、親も大変です。

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韓国もおおむね同じです。若年失業率が常に高いこの国では、下手をすれば「大学は出たけれど」仕事にありつけません。あるいは兵役を終えて娑婆に出ても職がありません。一部のエリート大学を卒業しなければ、未来は開けないのです。勢い、受験戦争は激化し、本人と家族の負担は大きくなります。入学試験の時は家族全員で心配し、不合格だったら家族全員で落胆します。自分の時の記憶から、受験戦争の心理的な負担はもうこりごりだという人は子供を産みません。或いは一人だけしか産みません。

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豊かな社会では、子供はコストだと言いましたが、実は本当に豊になりきっていない中途半端な社会で暮らす、特に上昇志向の強い人々にとって、子供は最も大きな負担になるのです。

中国や韓国で暮らす庶民も、子供の世代は今よりも豊かで幸せであって欲しいと願います。その結果、少子化は進みます。

 

ではどうすればいいのか?

 

それについては、私には持論がありますが、次回 申し上げます。


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【 LCCの人々 その2 】 [中国]

【 LCCの人々 その2 】

 

こちらも私には馴染みがある成田空港第3ターミナルで発生した事件です。格安航空ジェットスターで上海へ帰国しようとした中国人団体客が、天候不良による欠航で足止めとなり、それに怒った乗客が深夜にターミナルビルで騒ぎ、挙句に女性職員に暴力をふるって怪我をさせたうえ、犯人を連行しようとした警察官に対して、中国国歌を合唱して威圧した・・というのです。

http://www.sankei.com/affairs/news/180130/afr1801300052-n1.html

http://www.sankei.com/premium/news/180131/prm1801310008-n1.html

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騒ぎを聞いた駐日中国大使館の領事部の職員が深夜に成田空港へ駆けつけ、食事券を配って、群衆をなだめて、一件落着しましたが、この事件は、各方面に反響を呼びました。

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この事件は中国でも報道され、インターネット上には両方の意見が溢れました。

http://news.searchina.net/id/1652650?utm_source=searchina.net&utm_medium=content-text&utm_campaign=scn_ranking_all

 

http://diamond.jp/articles/-/157917

ひとつの意見は、中国人は被害者であり、非はなく、逮捕連行した日本の警察を非難するものです。無辜の中国人が連行される事態とは「辱華行為」であり、国家が辱めを受けているのだから、日本にもっと強く抗議せよ・・というものです。

(歴史的に考えると、アヘン戦争など、中国が侮辱された行為や時代は枚挙にいとまありません。それらは全て歴史に傷跡を残す大事件です。それらと比べれば、空港で乱暴な行為に及んだ人を連行しただけの、実に些細な出来事を、どうして辱華と考えるのか?) これは中国の人の心の底にある強烈な被害者意識の問題と言えます。

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もう一つの意見は、あえてLCCを選んだのだから、欠航時のフォローが無いのは当たり前で、自分達で解決すべき問題なのに、航空会社や空港当局の対応が悪いと非難するのはおかしい。理屈や公平性と関係なく、とにかく大声を出して騒げば、自分の望む回答が得られるという、幼児的な発想は中国国内では通用しても外国では通用しない。と騒ぎを起こした中国人旅行者をたしなめる意見です。これは実に大人の考え方と言えます。

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実は、私も以前、ジェットスターの最終便が土壇場でキャンセルとなり、おおいに慌てたことがあります。だから怒りたくなる気持ちも、騒ぎたくなる気持ちもわかるのですが、ここは落ち着いて行動した方が、尊敬されます。

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それ以外に、170人もいて、誰も日本語が話せないとは情けない。(正しくは英語を話せる中国人もいなかったらしい)という意見もあります。

さらには、普段仕事をしない中国大使館の領事部がよく動いたと、褒める意見もあったそうです。

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それはともかく、どうして彼らは、騒いだのでしょうか?

私に言わせれば、それは、中国が特アだからです。 特アの意味や定義を理解せずに、「隣国を差別しヘイトするのはいけない。特アという言葉は悲しい」と訴える悲しい新聞があります。毎日新聞です。

http://andreagritti.hatenablog.com/entry/2013/10/31/195022

しかし、特アは単に隣国である中国・韓国・北朝鮮の3か国を指すのではありません。国策として或いは国是として反日を認め、政治的に反日を利用する国を特アと言うのです。

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反日の人は世界中にいます。英国にもオランダにも、米国にもいます。しかし、政府が反日を正しいとし、それを奨励し、国内政治の問題点の隠蔽や、国内の政治勢力の結束に利用したり、或いは日本との外交交渉を有利にするために、それを利用する・・という特殊な国は、世界中を見渡しても、この3国だけです。

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だから、彼らは他の国で不当な扱いを受けたり、不利益を受けても沈黙しますが、日本では声高に騒ぐのです。

一つ、言い忘れましたが、特アにはもう一つ特徴があります。自分の主張は、例え理不尽な物であっても、虚偽であっても、とにかく声高に訴えるべき・・という考えです。

これが個人のレベルから政府のレベルまで一貫しています。

尤も、この特徴があるのは、特アだけではありませんが・・。

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中国国内の空港で足止めをくっても、誰も騒がないくせに、日本の空港だと暴れる・・というのはなぜか? 恨みのある日本でなら狼藉を働いても許されるという発想があるようです。この(愛国無罪=日本での狼藉は許される)という発想は特ア固有の感覚です。

そして、もう一つは警察の在り方の違いです。名にし負う警察国家である中国には、泣く子も黙る武装警察があります。そして武装していなくても公安とは常に恐ろしい存在です。天安門事件以来、中国で(政府が指導しない)デモを企てたり、騒ぎを起こせば、逮捕連行は当たり前です。逮捕権の濫用・・なんて言葉はありません。でも日本の警察は一応民主警察で、法律に則った対応をします。そして中国人旅行者はそれを理解しています。だから平気で騒ぐ訳ですが・・・。

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しかし、ここで我々が本当に注目すべきなのは、その事件の際、周囲にいた中国人旅行者達が一斉に、中国の国歌「義勇軍行進曲」を歌ったということです。

暴力行為に及んだり、シュプレヒコールをするより、ずっとおとなしくて紳士的だと解釈するのは、全く間違っています。

外国で、そしてその公権力の前で、大人数で自国の国歌を歌う・・というのは特別の意味を持ちます。 一種の治外法権を要求する極めて威圧的で挑戦的な行為なのです。

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異国で自国の国歌を歌って、敵対する人々をひるませる・・という場面は、映画「カサブランカ」に登場します。フランスがナチスドイツに降伏し、ビシー政権ができた後、フランス植民地のモロッコも、ドイツの支配下に入ります。それに反発するフランス人達が、酒場でドイツ音楽を歌うドイツ人の前で「ラ・マルセイエーズ」を歌い出し、やがてそれは大合唱になり、ドイツ人将校達をうろたえさせます。

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おそらくは自堕落で無節操な生き方をしている酒場の女性も、毅然としてフランス国歌を歌うのです。 この映画の中でも印象的な場面ですが、これは伝家の宝刀です。簡単に使ってはいけないのです。一種の国際問題と言えます。

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中国の国歌「義勇軍行進曲」は抗日戦争の時に作られた歌(本当かな?)で、本来的に反日の要素を持っています。それを日本で、警察が公務を執行する場面で歌うというのは、大変な威圧です。公務を妨害せよとアジテートする行為です。

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それにしても、何と攻撃的で好戦的な歌詞であることか・・・。

起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血肉で築こう新たな
長城を!
中華民族に最大の危機せまる、
一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
起て!起て!起て!
我々すべてが心を一つにして、
の砲火をついて進め!
敵の砲火をついて進め!
進め!進め!進め!

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日本で国旗国歌法が議論された際、朝日新聞は徹底的に反対しました。「君が代」はアジアの侵略戦争に利用された「血塗られた」歌で、アジア人の犠牲を想起させる歌だ・・というのです。でも、見渡せば、国歌で血塗られていない・・というか生臭くない国歌などほとんどありません。 ドイツや英国の国歌は、君が代と同じく平和的な内容ですが、それでも外敵を倒して国を守れと訴えています。

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世界を見渡して、「君が代」ほど平和的な国歌はありません。それでも特アの人々、或いは特アに使嗾される日本人には不快なのだろうなぁ。

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普通、外国では国歌は尊重され、もっと大切にされます。一方、日本ではぞんざいに扱われます。大切にするとはどういうことかと言うと、歌うべき機会(T.P.O)を選ぶということです。外国でどのような機会に国歌を歌うかについては、また稿を改めて論じたいと思います。

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立場を換えて考えてみましょう。

中国の空港のLCCのターミナルで、不当にも日本人が連行されたとして、仲間の日本人が一斉に日本国歌を歌ったらどうなるでしょう? 彼らも連行されるか? おそらくそうはならないでしょう。

「君が代」は厳かなメロディーではあっても、勇ましくはなく、攻撃的でもありません。聞いている中国人警官は、キョトンとして、「あの歌は何だ?」と尋ねるでしょう。

そして物知りの同僚が答えるでしょう。

「あれは日本の大相撲で千秋楽の日に歌う『オスモウの歌』だよ」


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【 濁り酒 】 [中国]

【 濁り酒 】

 

白楽天が詠んだ漢詩を少しずつ読んでいます。官僚生活が長かった彼の詩には宮仕えをする男の哀歓など詠み込まれ、現代のサラリーマンとのアナロジーができて面白いな・・と思ったります。

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その彼の詩に、「府酒 變法」という不思議な作品がありました。

https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BA%9C%E9%85%92%E4%BA%94%E7%B5%95%EF%BC%9A%E8%AE%8A%E6%B3%95

 

白紙文集 第58巻 第2896

 

府酒 變法    (日本語は恥ずかしながら、私の解釈です)

 

自慙到府来周歳  赴任地に到着してから一年。

恵愛威稜一事無  民を愛し慈しみ威厳を持って接するも何ら業績を上げていない

唯是改張官酒法  ただ、一つだけ実現したのは酒の造り方を改善したことだ。

漸従濁水作醍醐  これで濁り水のような酒がようやく醍醐の味になってきた

 

官僚が自分の拙い仕事を恥じ、しかし、そう言いながらこれだけは成し遂げた・・という実は自慢話・・は、漢文でしばしば見かけるパターンです。白楽天は赴任先の地酒の品質を上げたことがうれしいようです。

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しかし、その内容がよく分かりません。白楽天は杜氏でもなければ醸造技師でもありません。文科系の官僚である彼ができることは、劣悪な酒を取り締まることや酒税法の改正ぐらいです。それで酒の品質は良くなるのか?

・・・・・・

唐時代の中国の酒は発酵酒で、今の日本の白酒程度のアルコール度数だったのではないか?と思います。 だから「李白一斗詩百篇」と聞いて、李白は酒を一斗飲んでも平気だったのか・・と驚くほどのことはありません。ただし、品質の悪い発酵酒では悪酔いしたでしょうが・・・。

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ではこの時代の酒の品質を良くする・・としたら、どんな事が考えられるでしょうか?

かってに想像します。

1. 酵母の管理をもっと洗練させて、品質の安定した醸造酒にする。

醸造酒と発酵酒は本来同じものですが、工業的に管理された状態で発酵させたものを便宜的に醸造酒として区別します。ただ醸造技術の向上には、長年に亘るいろいろなノウハウが必要であり、ポッとやってきたお役人が号令をかけて実現するものではありません。

2. アルコールを抽出して濃度を上げた蒸留酒とする。

蒸留装置が必要であり、昔は難しかったと思います。TVドラマの「マッサン」ではウィスキーを国産化しようとするマッサンが、銅製の蒸留塔を作るのに苦労しました。

3. 濁り酒(どぶろく)を清酒にする。

これが興味深い点です。

ひょっとしたら、白楽天は、「どぶろく」から清酒を作るのに成功したのではないか?

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この詩を読んだ時、私はふとそう思いました。

では、実際に「どぶろく」から清酒への切り替えが実現したのは何時の時代なのか?

中国の時代は知りませんが、日本の場合は戦国時代と聞いています。

<以下の説はあくまで俗説であり、多分・・・嘘でしょうが>

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戦国時代、柴田勝家の家来だったある武将が、賤ケ岳の戦いに敗れて、いくさが嫌になりました。そこで侍を辞めて、造り酒屋を始めたそうです。当然、造るのは濁り酒(どぶろく)です。ある日、雇っていた小僧を何かの理由で叱りつけたところ、反発した小僧が、店を飛び出しました。その際、嫌がらせに灰をひとつかみ握って、酒の入った甕(かめ)に投げ込んで、走り去ったのです。主人は、苦り切った表情で「やれやれ、酒が一瓶分ダメになってしまった」と嘆きながら、その瓶を覗き込んでみると、なんと白濁していた液体が清水のように澄み渡り、透明な酒が出来上がっていた・・というのです。 それが日本の清酒の始まりとか・・ほんとかね?

・・・・・・

一体、何が起こったか? 中学あるいは高校時代の化学を思い出せば、想像ができます。濁り酒を不透明にしている粒子は疎水コロイドだったのです。コロイドとは流体中に浮遊する直径数十ミクロンくらいの粒子群です。不透明な牛乳もお醤油もコロイド溶液です。不透明な液体がコロイド溶液か否かを確認する簡単な方法は、光線を当てた時に、その光条が筋として見えるチンダル現象があるかどうかです。

・・・・・・

コロイドは疎水コロイドと親水コロイドの2種類に分類されますが、疎水コロイドは少量の電解質を加えることで、すぐに凝集して沈殿します(凝析と言います)。多分、小僧が投げ入れた灰はアルカリの電解質ですから、濁り酒のコロイド粒子はすぐに凝析して透明なお酒ができたものと思われます。

・・・・・・

現代の清酒は、もちろん電解質を入れたりせず、フィルターで濾過している訳ですが、この濾過というのがそれほど簡単ではありません。試しに牛乳やお醤油を布やろ紙で濾過して、透明になるか確認されてもいいかも知れません。 布が醤油色になるだけで、お醤油は透明にはなりません。

・・・・・・

清酒が登場した後、濁り酒は、なんとなく未完成のもの、あるいは粗雑な二級品のように扱われてきたようです。これは日本だけでなく、多分、外国でもそうだったのではないか?と思います。

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島崎藤村の「千曲川旅情の歌」には「濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」という一節があります。 旅先の決して上等ではない環境の中で、我が心を慰めようとする屈託を表していますが、ここは濁り酒(どぶろく)でなければならないのです。

草を枕にし、飯を「椎の葉」に盛らねばならぬ不自由さが旅なのであり、鬱屈した旅人は清酒を飲んではならないのです。

・・・・・・

一方、若山牧水の

「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」の方は、多分、清酒です。 

彼は自分の歌の中で、お酒を白玉に例えていますが、白玉とは透明な水、または白露であり、不透明な濁った存在ではありません。 (多分、そうだと思います)。

・・・・・・

実際、この詩の中で、牧水が口に含むお酒が清酒か「どぶろく」かによって、随分、詩の趣は変わってきます。清酒である方が、この詩をすんなりと理解できます。

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今、時代は変わり、日本酒の「どぶろく」もワインの「濁りワイン」も独特の風合いが珍重されて市民権を得ています。濁り酒を飲むのは決して屈託を抱えた酒飲みだけでなく、お酒を本当においしいと思う愛飲家です。

IMG_1408.JPG

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そして思うのは、清酒と「どぶろく」、この2種類のお酒を、それぞれに楽しめるのはありがたいことだ・・ということです。 そしてこの2種類のお酒を造った先駆けが、酒を愛した詩人白楽天だというなら、これも面白いことだと思います。

 

もっとも、この辺りは、ただの一篇の漢詩から私が考えた妄想なのですが。


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【 白楽天と金沢文庫 その1 】 [中国]

 

【 白楽天と金沢文庫 その1 】

 

 

 

還暦を過ぎると、それまでの仕事を整理したりまとめたりする人がいます。私にはまとめるべき何ものもありませんが、研究者だった方は、個人名を冠した「××博士論文集」を作りますし、著述業の方は全集をまとめたりします。我が畏友Y教授も論文集をまとめ始めたようです。そろそろ引退するつもりなのかな? そういえば、どこの図書館の壁際の書架にも、豪華な装丁を施した××全集が並びます。全集には、作者自身が編集したものと、故人になったあとに他人が編集したものの2種類があります。

 

後者にはシェークスピア全集とか夏目漱石全集など、多くの作家の全集がありますが、作者存命の間に完成した全集もあります。

 

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作家の高橋和巳は、30代ですでに全集を作っています。そのあと、彼は胃癌で早世しますが、(河出書房によれば)自分の全集ができたことは彼にとって大きな喜びだったようです。死を予感したのか、それとも、単に30代という異例の若さで全集ができたことに達成感を感じたのか、どちらかは知りませんが。

 

では、存命の間に自分の全集を編んだ最初の文学者は誰か?と考えると、これは白楽天こと白居易ではないか?と私は考えます。彼が自らの作品をまとめた白氏文集は全75巻という大作ですが、それだけではありません。

 

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唐だけでなく平安時代の日本も含めて当時の教養人必読の書となったのです。ではベストセラーだったのか?といえば、そうではなく、印刷技術が無かった当時、手書きで書き写した数少ないコピーを奪い合って読んだものと考えます。

 

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遣唐使が日本に持ち帰った白氏文集のコピーは、まさしく値千金だったでしょう。ごく限られたコピーしかない状態で、白氏文集を読むことができたのは、特権階級あるいは貴族階級に限られたはずです。第一、当時文字を読み書きできたのは限られた人達だけでした。

 

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文字を読解し、貴重な白氏文集のコピーに触れることができ、かつその内容を理解したのは本当にごく一部のエリートだけだったはずです。そして、そのエリートたちの間では白氏文集を読んでいることは、ある種の必要条件でありステータスでした。

 

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そう考えると、清少納言の「枕草子」に登場する「香炉峰の雪いかならむ」という文章も、ペダンティックなエリート自慢の話のように聞こえてしまい、少しがっかりです。中宮定子が「香炉峰の雪いかならむ」と問うたのに対して、清少納言だけが御簾を上げて、白氏文集にひっかけたなぞなぞに答えたというのは、彼女の機知というより、知識のひけらかし、もっと言えば、白氏文集のコピーにアプローチできる特別の立場を自慢しているだけのことです。

 

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同様に、紫式部の源氏物語にも白氏文集が登場しますが、これも同じことです。清少納言と紫式部、二人のライバル意識が垣間見えます。

 

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貴重な文学・文献に触れ、それを読むことができるのは特権階級だけ・・という考え方は近年まで残っていました。1960年代~1970年代、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れましたが、高等教育あるいは教養とはブルジョアのみが独占するもので、それらは否定されなければならない・・ということでインテリは大変な迫害を受け、多くの文献が廃棄されました。中国ではこの2000年の間、繰り返して焚書坑儒が行われています。

 

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文化大革命のせいではありませんが、白氏文集関連の資料で、中国の原典は既に失われ、日本や韓国にそのコピーが存在する・・というものも幾つかあります。いつだったか、その話を中国人の友達としたら「すべての文化について言えるが、中央で失われたり変化した後も、辺縁地域にはオリジナルに近いものが残る」と笑っていました。確かにその通りでしょうが、日本を辺境のように言われて、少し引っ掛かったのを覚えています。

 

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ところで、12世紀の日本の教養人にとってバイブルだった白氏文集ですが、現代はどうでしょうか? オヒョウ自身について言えば、白楽天に関する知識は、恥ずかしい限りです。 長恨歌など、一部の作品は知名度も高く、私自身も読んだことがありますが、あくまでも断片的な知識です。教養のレベルには至りません。彼の作品全体を見渡した知見を持っている訳でもありません。 全75巻の白氏文集の内、私が知っているのは、ホンの数ページかも知れません。

 

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先日の弊ブログで、彼の「黒潭の龍」を取り上げましたが、それも、たまたま聞きかじった(あるいは読み齧った)知識を書き散らしただけです。 それでも自己弁護するなら、これはオヒョウだけではない・・という事が言えます。多分、中国でも同じではないか?と思います。

 

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私が中国で暮らした、江蘇省の南、長江下流の地域は、唐時代、多くの文人が暮らし、多くの詩を詠んだ地域です。この地で人気があり、人口に膾炙しているのは、杜甫、李白、杜牧などで、昆山賓館のロビーには、杜牧の「江南春」の詩が梅の画と一緒に掛けてありました。素晴らしい画です。 でも白楽天の詩はあまり見ません。

 

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人生の懊悩や別離の悲しみを訴えたり、風景の美しさを賛美した詩には、ファンが多いのですが、社会や政治に対する警句や批判を詩にしたり、あるいは男女間の愛情をしつこく表現する詩(長恨歌のこと)にはあまり人気がないようです。

 

詩の種類の問題なのか、詩人の問題なのか、私には分かりませんが。

 

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しかし、白楽天は軽視してよい詩人ではありません。白氏文集75巻(現存は71巻?)は一生をかけて研究する価値のある、巨大な存在です。例えば、仕事を定年で引退した後、白氏文集の勉強に没頭する・・という生き方も、ありかも知れません。12世紀の教養人が聞いたら「まさか九百年後に?」と驚くかも知れませんが。

 

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私自身の興味でいえば、彼の詩作だけでなく、仏教との関わり方も知りたいところです。 当時の唐の知識人は例外なく仏教と関わり、思索の礎に仏教思想を置いていたと聞きます。 杜甫の詩にも「仏教にすがるしかない・・」という詩があります。

 

そして晩唐の頃、新しい哲学として登場した禅宗とも彼らは関りがあったはずです。

 

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道林禅師と白楽天の「三歳児にも判る」という問答は有名ですが、白楽天が禅に帰依した後、彼の作風がどのように変化したか? 禅と漢詩の関係はどうなのか?

 

彼の代表作「長恨歌」には禅の趣は見られません。一方、「心静即身涼」という白楽天の一句は禅に根差したものだと聞きますが、他はどうなのか?気になるところです。

 

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おそらく、唐時代の詩人は禅の影響を受け、また禅も唐詩を取り込んだのでは?と思います。 同じ漢詩でも、宋時代に下ると、蘇東坡の「柳緑花紅真面目」を肯定すべきか、疑うべきか・・という問題が禅の入門者には悩みの種となり、両者の関係は微妙に変化します。

 

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話が脱線しましたが、私には白楽天全体を把握することは無理としても、白楽天と禅の関りを調べることは、我が余生でもできるかも知れない・・・。そう考えました。

 

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そこで文献を調べることにしましたが、日本での白氏文集の研究はやはり京都と首都圏が主体のようです。 最も貴重な資料は、金沢文庫に所蔵されていた白氏文集のコピー(いわゆる金沢文庫本)です。(但し、かつて北条氏がまとめて金沢文庫に収納したというだけで、現在はお金持ちのコレクターが入手してそれぞれの美術館に納めたりしてバラバラになりました)。

 

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それでも、とにかく金沢文庫に行けば、白氏文集に関する多くの資料を閲覧できそうです。

 

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「金沢文庫かぁ」 称名寺と金沢文庫は、私には懐かしく思い入れのある場所です。50年以上前にその町で暮らしていた頃、私は白氏文集も北条実時も知らない小学生でした。 「久しぶりに金沢文庫へ行ってみよう」

 

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私は晩夏の柔らかい陽光が窓から射す京浜急行に乗って、横浜へ向かいました。

 

 

 

以下 次号

 

 

 


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【 大慶油田 】 [中国]

【 大慶油田 】

 

かわぐちかいじの漫画「ジパング」に面白い場面が登場します。この漫画は自衛隊の最新鋭のイージス艦が太平洋戦争中にタイムスリップするという荒唐無稽な作品ですが、部分的に興味深い内容があります。例えば、イージス艦の図書室で、戦後の歴史を学んだ旧日本軍の海軍士官が、中国東北部(旧満州)で発見された大慶油田のことを知って、悔しがる場面が登場します。

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「そうか、満州に大油田があることを知っていたら、(日米の)開戦は避けられたのに・・」。

ご承知の通り、日本はハルノートの要求を受け入れず、さらに米国から石油の輸出を止められて、やむなく真珠湾攻撃に至りました。しかし、当時の日本の年間消費量を上回る産油量が期待できる大慶油田が満州国にあれば、石油の禁輸など痛くも痒くもなかったのです。大慶油田さえ、戦前に見つかっていれば、歴史は変わったのに・・という意見は、説得力があります。

・・・・・・

黒竜江省の大慶油田は、中華人民共和国建国後に、中国が独力で発見し、開発したものです。文化大革命当時、鉱工業の一大成功例として、宣伝に用いられ、「農業は大寨に学べ、工業は大慶に学べ」というスローガンが掲げられました。

・・・・・・

私が学校を出て就職した時、世界の油田で鋼管がどう使われているかを学ぶために、NHKの石油開発の特集番組を見たのですが、そこに中国の大慶油田が登場しました。ナレーションはNHKの勝部アナウンサー(当時)です。

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番組では突発的に噴き出した原油を止めるために、急いでセメントを注入する作業が登場します(もちろんヤラセでしょうが)。セメントの攪拌が間に合わず、思い余った紅衛兵がセメントの攪拌槽に飛び込んで、自分の体でセメント粉と水の攪拌を始めます。強いアルカリが彼の皮膚を刺激しますが、ひるみません。すると、周囲にいた紅衛兵が次々とセメントの攪拌槽に飛び込んで、自分の体でセメントをかき混ぜだしたのです。そうして、セメントの調合ははかどり、原油の噴出は止まり、事故は防がれた・・という話です。

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紅衛兵の英雄的行動のおかげか否かは分かりませんが、一時期、大慶油田は中国経済の発展に大きく寄与しました。経済成長に石油は不可欠ですが、輸入しようにも貧しかった頃の中国には原油代金も大きな負担だったからです。 しかし、大慶油田には大きな問題がありました。

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それは重質油の比率が高く、パラフィンを多く含む・・・、つまり油質が上等でなかったうえに採油も難しかったという問題です。

それぞれの油田で、その埋蔵量と採取可能量と、実際に採取される量には大きな違いがあります。

新しい油田は、自噴しますし、採油にそれほどの難しさはありません。しかし、採油が進むと、圧力も低下し、岩盤の隙間に染み込むように広がった原油を集めて採取する難しさがでてきます。

そこで、リバイタライジングという油田の活性化を行って、再び石油を取り出せるようにします。

具体的には、油井の周囲に高圧で塩水や炭酸ガスを送り込んで、残った石油を油井付近に集め、搾り取れるようにするのです。 これで油田の寿命は倍ぐらいに伸びます。こう書くと簡単なことのようですが、これはハリバートンやシュランベルジェなど、油田操業に独特の経験とノウハウを持つ会社だけが可能な特殊技術です。

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換言すれば、米国など、西側世界の油田だけで高度なリバイタライジングが行われ、旧東側の油田はそうでなかったということです。 旧ソ連を代表する油田だった、第一バクー油田も第二バクー油田も、この技術が無かったために、一説では埋蔵量の半分以下しか採掘できず、短命だったとのことです。 埋蔵量の割には少ない量しか採取できなかったのです。

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そして大慶油田も、その埋蔵量の割に、急激に採油量が減り、中国の石油消費をとても賄えなくなりました。 一方で中国は経済成長とモータリゼーションの進行で、石油の消費量が大幅に増えたのです。 中国は石油輸入大国に名前を連ねることになりました。

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化石燃料全体をみれば、中国は恵まれた国です。 中国には豊富な石炭があり、西域には豊富な天然ガスがあります。(それなのに、東シナ海の日本のEEZの隣接区域で天然ガスを採掘したり、石油資源が予想される尖閣諸島の領有権を主張したり、中国はかなりせこい)。

しかし、石炭と天然ガスは、主に火力発電用で、自動車の燃料にはなりません。やはり石油が必要です。

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20世紀に言われた仮説ですが、もし中国人の所得水準があがって、米国と同じくらいの自動車普及率になり、中国の人々が米国と同じようにガソリンを消費するようになれば、ほんの数年で世界の石油は枯渇し、世界経済は破綻する。 だから、中国は米国ほどには豊になれないし、そうさせてはならない。

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実際はそうではありませんでした。まだ人口当たりの自動車台数では米国に及びませんが、中国は自動車の生産台数も販売台数も世界一です。でも石油は枯渇しません。日本車をはじめ、自動車の燃費もよくなりました。他の産業も省エネが進んでいます。一方、石油資源もそれなりに発見されて、なかなか枯渇には至りません。仮に従来型の油田の埋蔵量が減ってきても、豊富なシェールオイルやタールサンドがあります。

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世界的にみれば石油資源にいくばくかの余裕があるとしても、中国にとっては石油の不足は大問題です。もし、中国が石油を輸入できなくなれば、庶民の暮らしや産業は危機に瀕し、政権は転覆します。だから、中国はインド洋から南シナ海にかけてのシーレーンの確保を急ぎます。シーレーンを守るのは中国の海軍です。

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ジブチに自国の巨大な海軍基地を設け、スリランカの港も勢力下に置き、インド洋をパトロールして、中東から中国の沿海部に来るタンカーを守ろうという訳です。

海路だけではありません。 西域にある大ガス田から沿海部へ天然ガスを運ぶ西気東輸は、完成しましたが、今度は一帯一路と称して、西アジアの石油を運ぶルートの確立に余念がありません。

もはや、中国では石油は自製するものではなく、輸入するものになり、大慶油田の影はどんどん薄くなります。

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そこに、大慶油田の名前が久しぶりに登場しました。中国が北朝鮮に恵んでいる石油が大慶油田から来るのだそうです。

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この油田は、北朝鮮に圧力を掛けたい日本や米国、韓国には迷惑な存在ですが、北朝鮮にとっては命の綱です。今回の水爆実験を受けて、日米韓の3か国は、中国に対して北朝鮮への石油輸出禁止を迫るでしょう。しかし、中国は何等かの見返りが無ければ、絶対に動きません。ひょっとしたら米国は見返りとしてシェールオイルやシェールガスの採掘技術を中国に与えるかも知れません。ちなみに油田のリバイタライジングの技術は既に中国に入っています。

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そうなれば、中国も嫌とは言えず、大慶油田の蛇口を締めて、北朝鮮への供給を止めるかも知れません。 北朝鮮はもはや崩壊に向かうしかありません。戦えば負ける事が自明の戦争ですが、北朝鮮は火ぶたを切るでしょう。 多分戦闘は短期間で終わり、ピョンヤンの金王朝は滅亡することになります。滅亡の間際、金正恩は思うかも知れません。

「ああ、大慶油田さえ我が方にあれば、戦争しなくて済んだのに」。


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