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【 原鉄道模型博物館について考える その3 】 [鉄道]

【 原鉄道模型博物館について考える その3 】

 

文学であれ、芸術作品であれ、他人様に鑑賞していただく作品に共通に言えることですが、優れた作品とは、異なった立場の人、違う視点の人が見て、それぞれに感銘を受け、評価できるものだと思います。

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例えば、川柳でも、多面的な面白さがある川柳が最高であると私は考えます。

5・7・5の文字の背景にある事情をよく理解した人にも面白く、またそれらを知らない人にも別の意味で面白く感じられる作品が奥の深い作品と言えます。

例えば夏炉冬扇様の川柳のように。

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小説だって、若い頃に読んで感動した作品を、中年になって読み返し、新たな感動を覚えるということがあります(最近は全く読んでないけれど)。映画も同じです。 そして文学でも芸術でもありませんが、鉄道模型もそうなのです。

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模型の列車が卓上の線路の上を疾走するのを見て、子供達は目を輝かせて歓声をあげます。 そして分別のある大人も喜び、面白がります。これは決してその大人が幼稚なのではなく、眺める視点、感じるポイントが違うのです。

幼稚園児から大学教授まで、多面的に楽しめる趣味が鉄道模型です。

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子供達は単に動くおもちゃとして、喜びます。

大人たちは、その精密な技工に感嘆します。

機械工学の専門家は作者の工夫を面白がります。

それだけではありません。 

中年のカップルは自分たちが旅行したヨーロッパの風景を思い出して懐かしみます。

そして老年期にさしかかった人達は、自分達が若かった頃に、一緒に活躍し、今は引退した蒸気機関車に郷愁と共感を覚えます。鉄道は単なる機械ではなく、鉄道模型は単なる玩具ではないのです。

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しかし、今後もそれが続くか?と言えば、それは微妙です。

鉄道ファンおよび、鉄道模型ファンというのは昭和の人々が主体です。かつて、昭和30年代まで、人々の移動の手段、交通機関は鉄道が主体でした。その頃に少年時代を過ごした人々に鉄道ファンは多いのです。 その後、各家庭に自動車が普及し、飛行機での旅行も普通になりました。若い人々にとって鉄道への思い入れは昔ほどではありません。鉄道模型を持つ子供は増えたかも知れませんが、所詮おもちゃです。 近年、にわかに鉄道ファンが増え、撮り鉄だの鉄女などと言いますが、あれは一時のブーム、流行り廃りでしょう。本当の鉄道ファンとは無縁の存在です。

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原鉄道模型博物館も、本当のファンは中年以上の世代なのではないか?と私は思います。 鉄道模型趣味のもうひとつの問題は、どうしてもヨーロッパ志向になるということです。日本は鉄道王国ですが、鉄道文化あるいは鉄道模型文化の本当の奥深さを感じさせるのはヨーロッパの鉄道です。これはいたしかたない。

したがって、鉄道趣味を高じさせていくと、どうしてもヨーロッパに行き、ヨーロッパの鉄道の模型を作ることになります。

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しかし、そこに何とも言えぬスノブさが漂います。昭和の時代、ヨーロッパに気軽に旅行に出かけられる人は限られていました。つまり、鉄道模型趣味とは限られた人だけの、お金がかかる貴族趣味だ・・ということになるのです。 鉄道を追求していくとヨーロッパになる・・というのは、ある意味で致命的です。

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ドイツの傑作と言うべき、103型電気機関車を運転する原信太郎氏の写真、或いは家族全員でオリエント急行の豪華な車室にいる写真は、鉄道趣味が特権階級だけのものであることを示しています。 これが家族全員で山手線の電車の中で撮った写真ならそうはならないのですが・・・。

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鉄道趣味、あるいは鉄道模型趣味はこれから廃れていくでしょう。鉄道はますます高速・高性能になり、便利になるでしょうが、味気ないものになり、鉄道旅行にロマンを感じる人は減るはずです。(JR九州の「ななつ星」号みたいな、あだ花は咲くでしょうが)。

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しかし、私には鉄道趣味の将来はどうでもいいのです。原鉄模型博物館にはもっと別の意味があると私は考えます。

それはひとりの男性が一生をかけて追求した趣味の集大成を披露することの意味です。 裕福な家に生まれ、高等教育を受け、サラリーマンとしても成功した幸運な人物の生き方は、一般の人々の参考になる訳ではありません。 

しかし、この博物館を訪れた人は、誰もが「あなたは一生を貫いて追い求める何かがあるのか?」という問いかけをされるのです。 即座に回答できる人は多くないでしょう。

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定年を迎えて、仕事を辞めてからでは遅いのです。原信太郎翁はその是非はともかく、少年時代から鉄道趣味を続けました。一生を貫くものは始めるのに早すぎることはありません。 私は定年まで幾ばくかの時間がありますが、世の中の団塊の世代は一斉に退職しだしました。 多くの人が、持て余すほど膨大な残余の日々を前に立ち尽くしているはずです。 原信太郎翁のように幸福な老後を過ごせるだろうか?

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私もぐずぐずしてはいられません。私は何を追求しようか?

もっと皆様に読んでいただける中身のあるブログ作成にかけようか? それともそんな事は考えず、退職のその日まで仕事に全てを捧げようか・・? 私だけでなく同世代の多くの人が考えているはずです。

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「さて次に私は何をすべきか?」 博物館を出て、横浜駅に向かって歩きながら、私は考えました。でも本当は頭の中では、既に決まっていました。

「せっかく横浜に来たのだから崎陽軒の焼売弁当でも食べようかな?」

 

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【 原鉄道模型博物館について考える その2 】 [鉄道]

【 原鉄道模型博物館について考える その2 】

模型の価値の一つは、どれだけ精密に実物を再現しているかです。その意味では、原信太郎翁の鉄道模型は、本物以上に本物らしいくらいで、模型としては満点に近いでしょう。 本物以上に本物らしいというのは、彼が製作した台車(ボギー)のことです。 

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 鉄道模型のこだわりは幾つもありますが、原信太郎翁が特にこだわったのは台車(ボギー)です。板ばねの板一枚一枚を自分で作るなんてのは、普通の模型ファンのレベルではありません。 そして彼は横揺れ安定用のバーまで取り付けています。 

かつて日本の本物の鉄道の台車にも取り付けてありましたが、いつの間にか軽量化と設計の単純化のためになくなってしまいました。しかし、彼の模型にはまだ残っているのです。実際、凹凸のある線路を走行する車両の映像を見るとこの安定装置の効果は明瞭です。

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 私が本物以上に本物だ・・と言うのはこの点です。 そしてそれが可能なのは、1番ゲージという、普通の鉄道模型では最大級のサイズだからです。 普通の一般家庭で少年が趣味として楽しむHOゲージやNゲージでは全く不可能です。

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 さらに、ただの模型趣味人と違い、機械工学的な工夫もされています。ビデオに登場する原信太郎翁は、「僕はウォームギヤが嫌いだ」と発言します。これは鉄道模型に限らない話ですが、ウォームギヤは力の伝達方向が一方向で、逆の方向には力が伝わりません。 それだけならラチェット歯車などと同じなのですが、ウォームギヤの場合、逆方向に力を加えた場合、或いは力がかからなくなった場合、位置が固定され、動きません。 これを嫌う機械技師は確かにいます。

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これは何を言いたいのかというと、電源を切った瞬間に鉄道車両が停止してしまうということです。スイッチを切って惰性で走行するという、電車では当たり前の動きがウォームギヤを用いた模型では再現できないのです。この問題を解決するために、翁は様々な工夫をしています。コアレスモーターの採用など、感心するばかりです。

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実は鉄道模型で難しかったのは、低速運転です。実物に近い雰囲気を出すためにはポイントや駅のホーム進入時にゆっくりと走らせたいのですが、模型用の直流モーターでは難しいのです。そして惰性走行させながらブレーキはゆっくりとかけたいのですが、普通の模型ではそれができません。 原翁の模型はそれができる・・・。

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それ以外にも着目すべき点は多くあります。電気機関車のモーターから車軸に回転を伝達する方式の一つにブッフリ式歯車がありますが、これを忠実に再現しています。たしかこの方式の機関車はヨーロッパにしか無いはずだけれど、欧州の鉄道によほど思い入れがあるのだな・・と思います。

しかし、難点を言えば、本物のブッフリの歯車はインボリュート歯車だけど、原鉄道模型のそれはサイクロイド歯車みたいです。もっとも、ショーケースの外から肉眼で見ただけで定規を当てた訳ではないので自信はありませんが・・。

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 他にも気づいた点を挙げれば、鉄道模型ファンなら一度は夢見る架線集電方式も、実際に採用しています。私の場合、他に架線集電をしている鉄道模型は、昔交通博物館(今はもうない)で見ただけです。

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 そしてもうひとつの点は、レールに鋼材を使用していることです。普通模型の鉄道のレールは押出成形が容易な柔らかい金属、つまり真鍮またはアルミを用います。鋼を用いるのは模型ファンの強いこだわりですが、彼はどうやって模型サイズの鋼製レールを手に入れたのでしょうか? おそらくは輸入でしょうが・・。実はレールの断面形状は用途によって違います。軽便鉄道のレールと新幹線のレール、天井クレーンのレールでは、太さだけでなく断面形状も異なるのです。 しかも彼のレイアウトでは、締結方法も通常の鉄道と同じ方法です。彼はどうやってあのレールを手に入れたのか? 仮に入手可能だったとしても、相当高価なものになったはずです。驚くばかりです。

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 一方で多少、雑だな・・と気づく点もあります。 粗探しをするのは上品な趣味ではありませんが、何点か指摘したいと思います。

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 ひとつは連結器(模型ではカプラーと言います)。これは実物をそのまま模型の縮尺に小さくすることが難しく、実物とは違う形の模型用カプラーを用いることが多いのです。 それに、連結器の方式は、地域や車種によって違います。 TEEのような国際特急では統一されますが)。

 原模型では、衝突時の緩衝装置は正確に再現されていますが、カプラーの方は本当に本物に忠実とは言えません。

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 そして、国籍不明のレイアウトの問題があります。1番ゲージとしては世界最大のレイアウト(というよりジオラマと言うべき)は、それは見事なものですが、国籍不明です。 欧州のどこかの都市をイメージしていますが、それがフランスなのか、スイスなのか、ドイツなのか分かりません。なぜならジオラマには文字が登場しないからです。 フランスのパリのリヨン駅を模した駅にスイス国鉄の機関車が到着しています。

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 そんなことどうでもいいではないか・・と言う人もいるでしょう。でもそうではありません。日本の鉄道が、韓国や中国の鉄道と全く違うように、ヨーロッパでは国ごとに鉄道の形も方式も違います。 そしてそれぞれの国の鉄道ファンは自国の鉄道を誇りにしています。

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 欧州の鉄道は、一部を除き、ゲージ(線路幅)は新幹線と同じ標準軌で統一されていますが、極論すれば、統一されているのはそれだけです。 電源電圧、周波数、集電方式は全く違います。 フランスとイギリスを結ぶ国際特急ユーロスターが登場した時、この違いのためにしばしば故障し、私も被害に遭いました。 そして、国による最も大きな違いは信号方式です。スイスには、ドイツの高速特急ICEもフランスの高速特急TGVも乗り入れていますが、両者の信号方式の違いに苦慮したと聞いています。

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 しかし、信号方式は、日本国内でも鉄道会社によってさまざまに違うのです。かつて信楽鉄道で信楽鉄道の列車とJRの列車が正面衝突して多くの犠牲者が出た事故がありましたが、その原因も信号方式の違いが絡んでいます。

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 原鉄道模型博物館の巨大レイアウト(ジオラマ)では、自動式の閉塞信号システムを導入しており、これはJRの方式に似ているのですが、信号の色が意味する内容が不明です。赤は止まれ・・という点は分かりますが・・・。 これは一体どの国の信号システムなのか? 非常に地味な点ですが、原信太郎翁なら、当然、拘っているはずなのですが、説明がありません。

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 そして、もうひとつ指摘するならば駅舎の建築です。

 建築の世界では、駅舎というのはひとつのジャンルに数えられ、世界中に優れた鉄道建築があります。ニューヨークのグランドセントラル駅、シカゴのユニオンステーション、ロンドンのセントパンクロス駅、ローマ駅、そしてパリのリヨン駅、どれも素晴らしい建築です。 それなのに、原鉄道模型博物館にあるリヨン駅風の建築模型は、彼の車両作品ほどの精緻さはありません。あくまでリヨン駅風であり、リヨン駅ではありません。

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 ああ、それに加えて、日本の長浜駅の旧駅舎、門司駅、改築前の京都駅、そして戦災にあう前の東京駅も見事です。どこの国の駅でもいいから、実物の似た駅舎を作ってもらえたら、本当にすばらしかったのに・・・。

 以下 次号

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済みません。館内撮影禁止だったのでパンフレットの絵を貼ります。


【 原鉄道模型博物館について考える その1 】 [鉄道]

【 原鉄道模型博物館について考える その1 】

世の中には「大人の趣味」というものがあります。 正確には「大人も夢中になる趣味」と言うべきですが、本論では、大人だけが行う骨董収集や、芸能やスポーツなどの習い事は含まず、もともと子供向けなのに、大人も夢中になる趣味や遊びを取り上げます。

そして、「大人の趣味」という表現の意味するところは2つです。

1. 本来なら子供が夢中になる遊びだが、意外に奥が深く、大人にも楽しめるレベルの高い趣味であり、決してバカにできない・・という肯定的な見方。

2. いい年をした大人が趣味に時間とお金、情熱をかけるのはいかがなものか・・。嗜む人はお金と時間に余裕があるのだろうが、もっと社会の役にたつことに使えばいいのに・・という否定的な見方。

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鉄道模型というのは、まさしく「大人の趣味」であり、上記の1と2の2つの見方がある遊びです。お金もかかり、子供の頃にはなかなか本格的に取り組むことができません。それに、夢中になるのは結構ですが、勉強に忙しい学生が時間を多く割くことはできませんし、社会人でも仕事に忙しい人には無理な趣味です。

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時間に余裕があり、そしてお金もふんだんに使える人が楽しめるのが、鉄道模型であり、これは「大人の趣味」の典型です。

つまり、分別と教養のある大人が、子供と同じ次元で玩具を眺める不思議な世界が鉄道模型なのです。

かつて、ダグラス・グラマン事件で国会の証人喚問を受けた日商岩井副社長の海部八郎は、密かにアパートの1室を借り、そこに鉄道模型のレイアウトを組立て、電車を走らせて楽しんでいたそうです。マスコミは、社会的地位のある男性の奇妙な行動として取り上げていましたが、私には決して奇怪な行動には思えません。ストレスの多い仕事をする男が息抜きを求めていた・・と考えると、自然なことに思えます。

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では鉄道模型の趣味にハマる大人をどう考えるべきか? その回答を求めて、私は横浜駅の近くにある原鉄道模型博物館に行ってきました。

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この博物館について、今更申し上げることもありません。必要ならホームページをご覧願います。原信太郎という人物についても私が論評することはありません。

http://www.hara-mrm.com/

そこには昭和の時代、鉄道に憧れた男のこだわりの世界があります。 僭越ながら私も一部を共有する世界です。

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博物館に入って、並んでいる模型や写真を見ると、私は思わず驚きの声をあげたくなりました。

イタリアの特急列車セッテベロ(セッテベルロ)号の写真があります。 私が子供の頃に憧れましたが、しかし実物を見たことがない列車です。

私がイタリアの某ステンレスメーカーを訪問した際、鉄道の話題になり、私がこのセッテベルロ号の話をしたのですが、私より若いイタリア人は、誰もそれを知らず、新型の振り子電車であるペンドリーノの錯覚と思われたのにはがっかりしました。 その古いイタリア特急の写真を、横浜の博物館で見るとは思いませんでした。

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欧州の鉄道は、時代的に分類すると、TGVICEなどの時速200kmを超える高速鉄道網が広がる前と後に分かれます。高速鉄道が登場する前にも、国際特急TEEが欧州を走っていました。 昭和の鉄道ファンは、そのTEEに憧れます。もちろんTEEの前のオリエント急行も素晴らしいのですが・・。欧州の旅行は鉄道に限ります。

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そうかと思うと、アメリカの高速ディーゼル特急バーリントンゼファーの模型もあります。これは画期的な列車でした。当時まだ新しい機関であったディーゼルエンジンでどこまで高速を出せるかを追求した列車です。長距離間を平均時速180km以上で営業運転する驚くべき戦前の特急列車です。

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列車の構造は、フランスのTGVや韓国のKTX、日本のNSE(小田急ロマンスカー)と同じ連接台車の構造で、カーブの少ない線路上での高速走行を可能にしています。 

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そしてバーリントンゼファーは美しいステンレス鋼で全体を包んだ流線型の列車です。 私はこの実物をイリノイ鉄道博物館で見ました。イベントのある日は走行し、食堂車として開放されるそうですが、残念ながら私が訪れた日は走らない日でした。しかしそれでもバーリントンゼファーは私に衝撃を与えました。

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原鉄道模型博物館の説明には、ステンレス鋼のスポット溶接の技術が確立されたので、この列車が実現した・・とあります。 これには少し補足説明が必要です。ステンレス鋼は古くて新しい素材です。優れた金属材料であるステンレス鋼が発明された後、実に60年も実用化されませんでした。

これは溶接の難しさだけでなく、加工硬化が著しいこの素材を塑性加工することが難しかったのも実用化を遅らせた理由です。いずれにしても、ステンレスが本格的に使われ出したのは1930年代と聞いています。そして鉄道車両にステンレスを用いるという画期的な技術の先駆けが、バーリントンゼファーであり、その素晴らしさに原信太郎氏も気づいていたのです。

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ここで少し脱線しますが、日本のステンレス車両について、管見を述べます。

日本で最初にステンレス製の車両が登場したのは、実は関門トンネルです。海底トンネルでは天井から滴下する雫は海水であり、普通鋼ではたちまち車体が錆びてしまうのです。海底トンネル専用の電気機関車EF30は、ステンレスの外板を持ち、異色の銀色の機関車でした。

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それに続いて、ステンレスの車両が登場したのは、首都圏と関西圏の私鉄です。なぜか、新技術や新材料の取り込みに意欲的なのは国鉄(当時)ではなく、大手私鉄だったのです。 各私鉄では、ステンレスカーだけでなくアルミカー(ジュラルミンカー)も採用されました。

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昭和30年代、幼稚園児だった私は、横浜駅で東横線を銀色の電車が走っているのを見て驚いた記憶があります。 しかし、その後ステンレスカーは耐食性よりも軽量化の手段として注目されます。 首都圏と関西圏の私鉄では、ステンレスの車体は塗装を省略できることから、メンテナンスフリー化と軽量化に有利とみて、導入を進めました。次は地下鉄です。車体の軽量化が省エネのカギとみた地下鉄はあっという間に銀色になりました。

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それに続いて、JRの通勤電車や郊外電車がステンレス化され、つぎつぎと銀色の車体になっていきました。その結果、どの路線の電車かを識別するには、ほんの申し訳程度に塗られている帯状の塗装の色を見るしかありません。 最近では、あの京浜急行さえ、銀色の電車を走らせています。 しかし、本当にそれが正しいのか? 私は疑問に思います。

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さらに一段の軽量化を求める新幹線はステンレスではなくアルミ合金(ジュラルミン)を採用しています。そして車体は銀色ではなく塗装されています。

ステンレス化は軽量化のためでなく、車体の美麗さを追求するためではないのか?

あまりに美しいバーリントンゼファーの車体を見て、私はそう考えました。

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アメリカでは、鉄道はずっと前から斜陽産業ですが、その歴史を考えるとアムトラック誕生前と誕生後に分かれます。 個人的な意見ですが、長距離旅客を一手に扱うアムトラックが登場する前の方が、アメリカの鉄道は面白かったです。 各社がそれぞれにデザインを競い面白い車両を製作していました。そしてアムトラックになる前もアムトラックになってからも、北米の鉄道車両はステンレスです。

塗料をけちって軽量化するというみみっちい目的で作られた日本のステンレスカーは何となく安っぽいのに対して、北米のステンレス車両は安っぽくありません。 それはなぜか? よくよく考えると鉄道車両に限らず、欧米と日本、あるいは中国で、ステンレス鋼についての根本的な考え方が違うみたいです。 そのあたりは別の機会に触れるとして、話は鉄道模型に戻ります。

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車両展示と、写真の部屋を過ぎると、大きなレイアウト(ジオラマ)が登場します。

そこで私は考え込みました。

以下、次号


【 JR北海道の地獄変 】 [鉄道]

【 JR北海道の地獄変 】

芥川の地獄変では、地獄の様子を表すために、牛車に女性を乗せて火を着け、燃え上がる恐ろしい様子を描こうとします。

実際、京都や滋賀の伝説には炎をあげた牛車に乗った妖怪が登場します。

「炎をあげて燃え盛る牛車とは、なんとも恐ろしいではないか」と、国語の先生は言いますが、高校生にはピンときません。のろまな乗り物の代表のような牛車が燃えたところで何が恐ろしいの?と思ったりします。

牛は驚いて暴れるかもしれないけれど、乗客は飛び降りればいいだけではないか?

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しかし乗り物の火事が恐ろしいのは、事実です。 飛行機でもバスでも鉄道でもそうです。 バスや鉄道の場合、とにかく車両が走っている間は脱出できないので、言ってみれば密室の火事ですし、それに停まった後でも脱出できる出口は限られているので、すこぶる危険です。

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ですから日本の鉄道の場合、昭和の時代に車両火災を防ぐことに心を砕いてきました。車両の難燃化、不燃化は当然のこと、火気を遠ざけることも重要な対策です。

車内の禁煙化もその一つですし、鉄道の電化も防火に寄与しています。

つまり、蒸気機関車 ⇒ ディーゼル ⇒ 電気鉄道の流れは、防火、防災にも寄与しているのです。

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しかし、敢えてその流れに逆らっている会社があります。それはJR北海道です。(他にもありますが・・)。

JR北海道は、鉄道の電化よりも、高性能なディーゼルカーの導入を急ぎます。電化に必要な変電所などの設備を設置する場所はふんだんにあるのに、電化を急がず、未電化のままです。それはなぜか?

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どうやら、ディーゼルから電車に切り替えるための、社員の転換教育がうまくいかないからではないか?と私は勘ぐります。問題は、昭和の時代、旧国鉄時代に遡ります。

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戦後、エネルギー革命の後、いち早く日本の石炭産業は、競争力を失い、存続を許されない状況になりました。しかし日本有数の大炭田を多く抱えた北海道では国内炭を活用しようと考え、蒸気機関車(SL)を多く残して走らせました。長万部の機関区には多くのSLが並びました。しかしやがて国鉄経営は逼迫し、分割民営化を迫られました。 旅客が少なく、採算の悪いJR北海道は多くの人員合理化を迫られ、長万部の人達も旅客の多い首都圏への異動・配転を求められました。

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ボイラー技士の資格を持つ誇り高いSLの機関士は、ただの電車の運転士にならざるを得ません。住み慣れた土地を離れなければなりません。当然組合は猛反発し、大騒動となりました。結局、穏健で経営側の指示に従順な社員は首都圏への異動を受け入れ、反発した先鋭な活動家らは北海道に残りました。一種のゴネ得です。

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北海道は分割民営化で人員を削減しましたが、その結果経営に好都合な人は去り、経営に非協力的な人が残り、組合はいよいよ先鋭的になりました。

その間の経緯は、NHKの「その時日本は」に紹介されています。解説者である山室英夫は多分に組合に同情的で国鉄の分割民営化に批判的でしたが、確かに北海道に禍根を残したのは事実です。

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一部の組合員は定時運行に非協力的だったり、設備の近代化や合理化に反対したりします。一時期のように破壊活動やストライキ、サボタージュはしなくなりましたが。

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一方、本州の各鉄道会社はどうしたか?

国鉄末期に非常に先鋭化した組合活動では、国労と動労が突出し、反成田闘争や、ベトナム反戦活動など、鉄道事業と無縁の活動を行い、国鉄を混乱させていました。

スト権獲得ストという、矛盾した活動もありました。しかし、それらが国民の支持を得られないと分かり、支持母体の社会党が衰退すると、国労と動労は日和りました。

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先鋭的だった動労は、極めてラジカルな動労千葉をのぞいて、穏健派に転向し、新JRに協力的になりました。活動家が集まったその動労千葉もやがて追い詰められ、老いた自称「活動家」は、分社化して第三セクターになった「いすみ鉄道」などに集められました。ていよく封じ込めに成功したのです。左翼のシンパだった堂本千葉県知事(当時)は、「いすみ鉄道」を可愛がり、左翼の仲間を社長として送り込みましたが、

(一応、公募の形はとりましたが)、なかなか経営はうまくいきません。

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JR北海道では、今になって安全の問題が噴出します。現場の状況が経営幹部に伝わらない状況、風通しの悪さが原因である・・とのことですが、これは組合活動が活発だった頃の旧国鉄と同じです。

組合は、自分達の労働強化を極端に嫌います。保線作業もなしで済ませられるなら、済ませたいと思います。線路のゲージが広がっていても、脱線しなければいいではないか・・、規則通りに仕事をしていたら疲れるし、黙っていれば分からない。隠しておけばいいではないか・・・。経営幹部も見て見ぬふりで腫れ物には触りません。

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普通の企業なら、安全上しなければならない作業を先送りしているうちに忘れた‥・なんて事はありえません。もしそうなら、担当者は懲戒解雇の対象です。でもJR北海道ではそうではありません。報道するマスコミは半ばあきれ、経営陣を非難しますが、現場の活動家を非難することはありません。問題の本質に迫れません。旧国鉄時代と同じです。

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ディーゼルカーから出火し、車両が燃えて火事になるというのも信じられないことです。燃料が漏れて引火した・・という事故原因が驚きもなしに語られますが、理解できません。 自動車に給油したあと、ガソリンタンクの給油キャップを締め忘れて、ガソリンを漏らして火事になるなんてことは、日本のまともなドライバーならありえません。ありえない事をプロの社員がしたのなら、処罰の対象になりますが、JR北海道ではうやむやになり、社長が自殺しただけです。

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今も昭和の残滓のような組合活動家が残り、安全対策に非協力的だったりサボタージュを繰り返しているなら、これは本当に恐ろしいことです。そしてそれに対して、マスコミが意図的に触れないのなら、それはさらに恐ろしいことです。問題の本質を把握し、それを剔抉しなければ、JR北海道は安全にはなりません。

炎があがる牛車よりも、炎をあげるディーセルカーの方がずっと恐ろしいのです。


【 ボルスタレス台車 その4 】 [鉄道]

【 ボルスタレス台車 その4 】

 

個人的に言えば、地下鉄にはまだまだ安全上の問題があり、ある意味で怖い存在だと言えます。まだ日本の地下鉄は安全な方ですが、ロンドンの地下鉄、韓国の地下鉄、ニューヨークの地下鉄などには、問題が多くあります。

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例えば、ロンドンの場合、1975年、ムーアゲート駅事故では地下鉄電車が終点で止まらず、トンネルの終端に激突して43人が死亡しました。 実はその事故の原因はまだ特定されていません。原因が不明でも安全対策はたてられるのですが、ロンドンの地下鉄では全く不十分です。

この事故の教訓を元に英国当局は、有名な "Moorgate Control"という安全基準を設けましたが、私には全く不十分なものに思えます。

電車の走行制御なら、普通の運転士による運転操作に加えて、ATSで強制的にブレーキを掛けることも可能ですが、それでは不十分です。 根本的に技量や正確性に欠ける、ロンドンの地下鉄乗務員の問題を排除するために、ファジイ制御による無人運転にした方が遥かに安全です。しかし当局はそれを実施しません。

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そしてここから後は、鉄道火災について、管見を述べさせていただきます。

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ロンドンでは1987年にキングス・クロス駅/セント・パンクラス駅のエスカレーターが燃えるというとんでもない火災事故があり、31人もの人が亡くなっています。エスカレーターを軽くするためか、旧式なためか、木製のエスカレーターを用いており、それに何らかの火が点いた事が原因です。その後、防火対策としてロンドンの地下鉄のエスカレーターは金属製に換わりましたが、それで事足りるとする当局の姿勢は理解できません。エスカレーターは火事になるけれども、電車は火災にならないとでも、思っているのでしょうか?

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日本でも、鉄道火災で何度か悲劇に見舞われています。

最も有名で最も悲惨なのは、1951年の桜木町事件です。垂れた架線とパンタグラフとの間の火花が電車に燃え移り、死者106人を出したもので、それ以降、鉄道車両の難燃化、不燃化は急速に進み、さらに乗客の緊急脱出についても、多くの安全対策が基準化されました。

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非常時に乗客がドアを開けられる非常コックの設置は当然ですし、窓ガラスに鉄格子を嵌める事も禁止されました(その昔は窓から乗り降りする輩がいたのです)。非常時の乗客の行動を考えて配慮することは重要です。最近の通勤電車のドアは、なるべく車両端近くに設けられ、車両終端部にデッドエンドゾーンができないように工夫されています。緊急脱出時に乗客がドアに殺到した場合、車両端部に乗客が取り残される事を防ぐためです。より重要なのは、車両間を移動する連結部の通路です。桜木町事件では、火災車両から隣の車両に脱出しようとした乗客が連結部に殺到しましたが、そのドアは手前に引いて開けるドアでした。後ろから押された乗客はそのドアを開ける事ができず、そのまま絶命しました。その後、日本の電車では、連結部のドアは全て横に開ける引き戸方式になっています。引き戸の戸袋を確保できない、小型のカマボコ型車両の場合(大江戸線など)はドアを取り除いています。

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しかし、ロンドンの地下鉄では、そんな安全対策を全く無視しています。前述の通り、可燃性の床と椅子、それに加えて、デッドエンドスペースの設置、手前に開けるドアの存在・・・・、日本での列車火災事故の教訓をバカにしているのか、乗客の生命を軽んじているのか、あるいはよほど予算が無いかのどれかでしょう。

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日本では地下鉄の先頭車両は貫通式になっており、運転席から真正面に外に降りられるようになっています。これは地下鉄のトンネルが狭く、駅のホーム以外では車両側面のドアからは外に出られないからなのですが、ロンドンの地下鉄の旧式車両ではそれすら守っていません。理解に苦しむところです。

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実は日本の車両火災対策が、桜木町事件の後でも不十分だったことが、やがて思い知らされます。それは1972年の北陸トンネル列車火災事故を経験したからです。

死者30人を出したこの事故では、車両の不燃化、難燃化が不十分だったことも思い知らされましたが、それ以上に人間系のエラー、マニュアルの不備が指摘されました。

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深夜の食堂車でのタバコ火の不始末が発火原因というお粗末さは、やがて全列車・電車の禁煙化という流れを作りました。 長大トンネル内で火災が発生した場合は走り抜けろというマニュアル、架線焼失による電源喪失を防止せよという、あまりに当たり前の方針は、その時やっと正式に認められたのです。

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それ以降、火災に関しては、日本の鉄道はかなり安全になりました。しかし外国では違います。ある意図の元に日本の安全基準を無視する国がいくつかあります。例えば韓国、そして中国。

2003年、韓国大邱市駅で起きた地下鉄放火事件では、死者192人が出ています。

これは火災原因が放火ですから、通常の事故と同一に論じることはできませんが、地下鉄ホームで反対側の電車で火災が発生したことに驚いた運転士は、電車を発車させずに駅に停め、架線が燃えて、電気が止まったと分かると、わざとドアを閉めたまま、自分だけ脱出避難したために、取り残された乗客が脱出できずに亡くなるという異常な事件です。

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なぜ、乗客は開放コックを開かなかったのか?それは日本と違い、安全基準が無く、脱出用の非常コックが無かったからです。21世紀だというのに。

車両は一部に難燃性の材料が用いられていましたが、高温になると溶け落ちるというもので、窓もゴムが燃えて、脱出できないばかりか、全編成に火を広げました。

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なぜ、電車は火災の発生した駅に進入し、なぜ、火災を避けるために発車しなかったのか? 日本と違い、火災区間を通り抜けたり、電源喪失前に脱出するというマニュアルがなかったからです。 北陸トンネル火災事故の教訓は全く活かされていませんでした。日本での安全基準は、彼の国では敢えて無視するべきものだったのです。

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中国上海には、日本の首都圏に匹敵する地下鉄電車網があります。

しかし、私がいた頃は地下鉄3号線までしかありませんでした。

地下鉄1号線は、ドイツのシーメンスの技術をとりいれたものです。国民にはあまり言っていませんが、内容はドイツの鉄道そのものです。それに日本の鉄道関係者が少しアドバイスをしました。

「 地上から駅の地下階へ降りる入り口の階段は、一旦、1段だけ上に上げて、その後に下に下る構造にした方がいいよ」

当然ながら、プライドの高い中国の鉄道技術者はその勧めを無視しました。しかし、やがてその理由を彼らは思い知ることになりました。雨が続き、道路が冠水した時、道路の水は容赦なく地下鉄の駅に流れ込み、地下鉄を水没させました。

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上海の地下鉄2号線は、シーメンスではなくカナダのボンバルディアの技術を導入しています。少し知識のある人が見れば、1号線と2号線の違いは明瞭です。そして2号線の方は、日本の地下鉄と同じように、駅の入り口の階段は1段上がってから降りる構造になっています。 勿論、日本のアドバイスを聞き入れたなどとは、おくびにも出しません。

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シーメンスとボンバルディアの車両の不燃化は、非常に高いレベルで徹底しています。しかし、これからが心配です。これから建設される新しい路線、そして新しい車両は、中国の国産になります。そこでは必ず設計と製造の劣化があり、安全基準もないがしろにされます。

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先日、大学の研究室のOBが集まる会がありました。そこには日本の自動車各社の安全設計の責任者になった技術者が多く集まりました。(実は誰も信用しませんが、私は人間工学と安全工学が専門なのです)。 彼らに訊くと、

「オヒョウさん、車体の防火対策や難燃化、不燃化というのは、決して簡単なものではありませんよ。例えば自動車のシート素材にしたって、膨大な研究の成果として得られたものなのです。 歴史の無い国が簡単に自主開発できるものではないのですよ」

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韓国や中国がつまらないプライドにこだわって、日本の安全工学の成果を無視するなら、やがて悲惨な事故が起こり、乗客が犠牲になります。近い将来中国で悲惨な列車火災事故が起こらなければいいが・・と私は思います。

ご承知の通り、中国は列車のことを火車と言います。私は冗談で中国人の友人に

「この単語は中国では、鉄道を意味するのだが、日本では国家財政のことを意味するのだよ」と言いますが。文字通りの列車火災については御免こうむると・・私は言いたいのです。


【 ボルスタレス台車 その3 】 [鉄道]

【 ボルスタレス台車 その3 】

 

かつて物理学者寺田寅彦は、コップ1杯の水の中に多くの物理現象が現れ、それらを勉強するだけで、多くの初等的な物理学が理解できると語っています。例えば、対流、蒸発、凝固、凝結、表面張力、アルキメデスの原理、光の屈折と反乱・・・数え上げたらきりがありません。

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同じように、地下鉄ひとつをみても、実に多くの工学的課題があるのです。

実際、たかが地下鉄ですが、そのシステム全体をみると、機械工学で扱う多くの科目が盛り込まれている事に気づきます。そして、その多くの科目で、銀座線1000系は先端を行くと言えます。

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前回、紹介した地下鉄の冷房をどうするか?という問題については、クーラーを電車に付けるか、駅のホームにつけるかという選択ではなく、回答は全く違うところにありました。 電車からの発熱そのものを減らすことが重要という結論であり、超省エネ型の車両を導入することが、本質的な解決策だったのです。

エアコンが発生する熱よりも、モーターが発生する熱量やブレーキで発生する熱量の方が問題であり、その発熱を防止したり、熱ではなく電力で回収することで、発熱を防止でき、地下鉄のトンネルを暑くしないで済むことになります。

これは、地下鉄温暖化の問題をクリアすると同時に、省エネを実現することでもあります。

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従来は、回生ブレーキで発生した電流を抵抗器で熱に変えて放散していたのですが、近年のタイプは架線に電流を返して、近くを走行する電車で使用する電力の足しにするのが普通です。最近の銀座線1000系では回生ブレーキで回収するエネルギーを

極限まで増やしています。

問題は、近くを走行する電車がなければ、回生ブレーキで回収した電力が無駄になることですが、それについては今後新しい技術が登場するはずです。

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銀座線の場合、モーターはIGBTの素子を用いたVVVFインバータ制御で高効率にしていますし、強力な永久磁石を用いた小型モーターは冷却の必要がなく、密閉して静かになっています。

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これは地下鉄の問題に限りません。 発熱を抑えることで、冷却の負担を減らし、省エネと温暖化防止を同時に達成するというのは、全ての省エネの王道です。しかし、この単純な理屈はなかなか理解されていません。 なぜなら効率的な冷却と、効率的な熱回収(つまり省エネ)は互いに矛盾するからです。

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製鉄所で高温の鋼塊に水をかけて冷却する仕事をしているとよく分かります。

効率よく冷却するには高速で大量の水をかけますが、得られるものは、湿った蒸気と温度の低い水です。そこからはエネルギーを回収できません。一方、エネルギーを回収するには、少量の水をかけ、乾いた蒸気と高温の水を回収しますが、それでは効率的かつ適切に鋼塊を冷やすことはできません。

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つまり効率的に冷却したり加熱することと、エネルギー回収効率を上げることは、相互に矛盾し、ジレンマとなります。 熱機関での本当の省エネ技術とは、そのジレンマの中でバランスを取ることです。その妥協点がないのなら、最初の熱発生を抑制するしかありません。

この省エネの要諦とも言うべき考え方は、世界的にみると、あまり理解されていないようです。 省エネとは、単に節約して消費量を減らすことや我慢すること、あるいは太陽光などの不安定な自然エネルギーに頼ることだ・・という発想が一般的で、熱機関の設計を最適化することこそ重要という考えは専門家にしかないようです。

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私が訪れた国で、一般市民の間で省エネについて適切な理解が得られているのは・・、日本の他ではドイツ、フランスそれから北欧のスェーデンぐらいです。

全くダメなのは米国、中国です。彼らは湯水のごとくエネルギー資源を浪費しています。 英国もだめな方に入ります。

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話を地下鉄に戻します。

では、既に暑くなってしまった古い地下鉄の冷房をどうするか?

私だったら、下記の2つの方法を提案します。

1. 回生ブレーキの電力を一時的に蓄える装置を適当な間隔に設置し、回生電力を有効活用する。

回生ブレーキで発電しても、近くにモーターを回している電車がなければ、その電力は無駄になります。 一時的にキャパシターという電力貯蔵設備に蓄えて、電車が接近したら放電すれば良いのです。距離的なギャップを時間的なギャップに置き換えればいいのです。電力貯蔵技術は近年急速に発展しています。

駅毎にリチウムイオンキャパシタあるいは、超電導の電力貯蔵設備SMESを用いることもできます(SMESではコスト的にペイしないかも知れませんが)

現在の乗り物は、ハイブリッドカーのように電力貯蔵用の電池を車両に積載しますが、これでは車両が重くなり、ペイロードが小さくなり、効率も悪くなります。

鉄道の場合、電池/電力貯蔵設備を外に置けるのが強みです。

2. 長期間に亘って温暖化してきたトンネル内の空気を冷却するには、大規模河川の水を利用します。

地下鉄網のある世界の大都市には、しばしば大きな河が流れています。

ロンドンのテムズ川、パリのセーヌ川、ニューヨークのハドソン川、東京の隅田川、モスクワのモスクワ川という具合で、大河川がないのは北京ぐらいです。

しかし、河の水をそのままトンネルに流す訳にはいきません。

河の下を通るトンネルから、川底の少し下の位置まで、何本ものヒートパイプを通すのです。それで浸水や冠水の問題なしに、熱交換できます。

実は河川工学では、明確な川底というものは定義できません。川底の砂礫の中も水が流れており、固相率70%くらいまでは、水流があると考えられます。

それをダルシー流れと言いますが、ヒートパイプの先端をダルシー流れが洗う形にすれば、トンネル内の空気は冷却されます。

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それでは地下鉄網の内、河と線路が交差する箇所だけしか冷却されないようですが、心配ありません。 トンネル内を電車が走行すれば、それがピストンになり、地下鉄網の中で空気を循環させ、全体を冷却してくれます。 電力も化石燃料もいらず、稼動部もない超省エネの冷却が可能になります。

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地下鉄は、理論的にはもっと省エネができるはずで、まだまだ改善の余地があります。 地下鉄の電車に乗りながら、いろいろな事を考えます。 乗客から省エネのアイデアを公募してはどうでしょうか? コンテストの形にして、優秀なアイデアには賞金を出してもいいかも知れません。

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おっと、話題が省エネの問題に集中しましたが、地下鉄の問題は他にもあります。もっと大きな問題は、安全性の問題です。 実は世界の地下鉄には、まだまだ危ない地下鉄が多いのです。 それについては、次号で管見を述べたいと思います。


【 ボルスタレス台車 その2 】 [鉄道]

 【 ボルスタレス台車 その2 】

その昔、やかましい場所の代表と言えば、地下鉄の車内でした。空港の近くの航空機騒音を示す場合、何ホンだの何デシベルだのと言われてもピンときませんが、地下鉄の車内に匹敵する騒音だといわれると、なるほど・・と納得したりします。

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しかし、その地下鉄が最近静かになりつつあるように思います。

東京の場合、銀座線、日比谷線、丸ノ内線などの古い路線はそこそこやかましいのですが、新しい路線はそれほどでもありません。昨年から、久しぶりに地下鉄通勤に戻ったオヒョウですが、なんだか電車の騒音が小さくなったような気がします。

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多分、それは気のせいではなく、多くの理由があると思います。

 

1. 新しい地下鉄ではカーブの曲率半径が大きいこと

初期の日本の地下鉄の多くは地上の路面電車の代わりに建設されました。撤去される路面電車と同じルートを通り、工事方法は道路を掘り返して掘削する工法でした。当然、交差点では曲率の大きい(つまり曲率半径が小さい)カーブが必要になります。その急カーブを通過する際、車輪のつば(フランジ)がレールをこすり、耳障りなキーキー音がします。

 

しかし、新しい地下鉄は古い地下鉄と交差するため、より深い地中を通ります。工事方法はシールド工法で、地上の道路とは無関係に路線を引きます。その結果、カーブを緩くとれるようになり、カーブ走行時のキーキー音も減少したのです。

 

2. ロングレールの採用

まだ敷設区間は限られていますが、ロングレールを採用した区間は、走行音が静かです。レールの継ぎ目を超える際のガタゴト音が無いのです。地下鉄のトンネル内は、直射日光も当たらず、気温もそれほど変化がありませんから、ロングレールに適した環境です。

 

3. モーターの改良

かつての地下鉄は、直流モーターを二次抵抗で制御する方式でモーター音も大きく、走行もスムーズではありませんでした。現代の地下鉄はVVVF制御(一部はGTO制御)で加減速も滑らかで、静粛性も昔に比べて優っています。リニアモーターを使う都営大江戸線などは、モーターそのものも減速機も無くしてしまいました(その割には大江戸線はやかましいですが)。

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最新の銀座線1000系はさらに静粛性を追及します。

この電車が備えているボルスターは、一種のステアリング機能を持ち、カーブでは能動的に台車の向きを制御するのです。これによって、フランジがレールをこするキーキー音はさらに低減します。既に急カーブが多くある路線である銀座線でキーキー音を無くすには、この方法が有効なのですが、鉄道の台車でそこまでこるか?・・という思いがあります。

・・・・・・

鉄道は線路のレールに沿って動くしかないので、車両側が能動的に姿勢や向きを制御する必要性はありません。しかし、最新の技術は、能動的に車両を傾けたり、台車の向きを制御(つまり自動車のステアリングと同じです)します。

曲率の大きな線路でも高速で走行できる振子電車は、日本で開発され、世界中の高速電車に採用されましたが、最近の振子電車は受動的ではなく、能動的に、つまりカーブにかかると自分から傾きます。

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そして台車の向きをカーブに沿って動かし、内外輪差の問題を解消し、フランジとレールの摩擦音を解消する技術が新しい銀座線の電車1000系に導入されました。

これで車輪とレールは長寿命化し、省エネにもなり、何より乗客はキーキー音から解消されました。

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ところで、地下鉄と言えば・・・・・、30年以上前に、その温暖化が問題提起されました。 地球温暖化問題よりずっと前から、地下鉄トンネル内に熱がこもる問題が指摘されていたのです。

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地下鉄を動かす電気エネルギーは最終的に全て熱になります。モーターも発熱しますし、ブレーキも発熱します。モーターを発電機に切り替える回生ブレーキも以前は、抵抗器で発生する電気を熱に変えていました。 しかし、地下鉄のトンネル内の熱は出口が無く、中にこもります。

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新路線ができて間もない頃は、地下鉄は冬暖かくて、夏は涼しいという評判なのですが、開通後数年経つと、冬は生暖かく、夏は耐え難いほど暑い・・という事になります。 事実、年々地下鉄内の温度は上がっていったのです。これは日本だけではありません。

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世界で一番古いロンドンの地下鉄も暑くなっています。 その方が小動物には棲みやすいのか、ホームから線路の脇を走るドブネズミをしばしば見ました。なんだかペストにでも罹りそうな気がして、ドブネズミを見た日は一日気分が悪かったのを覚えています。

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ロンドンは冷涼な気候ですから、地下鉄に冷房はありません。しかし日本の鉄道には当たり前に冷房があります。 では、暑くなった地下鉄の電車に冷房を付けるべきか? 実は単純に思えるこの問題は、人によって回答が違うのです。

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世の中には、熱力学の入門者を惑わすへんてこな問題が幾つもあります。

 

例えば、「気温が人間の体温より高くなるインドの夏では、おしくらまんじゅうをした方が涼しくなる・・という話は本当か否か?」という問題があります。

熱力学の法則を知らない人は、答えに一瞬迷うかも知れません。仮に熱力学を知っていても、冶金の熱力学では役に立ちませんから、やっぱり答えに迷うでしょう。

それ以外に、おしくらまんじゅうの問題の派生系として、「地下鉄の電車ではクーラーをかけた方が涼しくなるか、暑くなるか?」という問題があります。

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実はヒートポンプ以外のクーラーでは、室内を涼しくする以上に、室外を暑くします。

(正確には、室内で吸収される熱量以上の熱量を外に排出すると言えます)。

つまり、地下鉄の電車の車内を暑くする一方でトンネルの中を暑くするのです。

トンネル内の熱の逃げ場がなく、中にこもるのであれば、電車にクーラーを付けるのは長期的には逆効果になるという訳です。

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この熱力学的な問題は、地下鉄の問題として知られています。 しかし、当時、ある漫才師が地下鉄の電車はどこから入れるのか・・と考えて夜も眠れない・・と言うギャグを飛ばしたことから、地下鉄の問題とは、そちらを指すことになりました。

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では、エアコンを地下鉄に付けるのではなく、駅のホームなどに付け、トンネル全体を冷やし、熱は地上の大気に放出すべきだ・・という意見がでました。今でも大阪の地下鉄などではホームに大型のエアコンを装備した駅が多くあります。

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しかし、駅のホームにエアコンを付けて、トンネル全体を冷やすから、各車両にはクーラーを付けないでよいか?と言われれば、そうもいきません。

多くの地下鉄は、郊外で地上に出て、地上の私鉄などと相互乗り入れするのが普通になったからです。乗り入れする私鉄の電車の場合、地上を走っている時はエアコンをかけて、地下に潜ったらエアコンを止める・・というのは、なかなか乗客の理解を得られません。

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地下鉄の方の車両も地上区間を長距離走るとなると、エアコン無しでは殺生です。第一、ホームにいくら大型エアコンを付けても、トンネル全体を冷却するには全く非力で能力不足です。 結局地下鉄の電車も普通にエアコンを装備し、トンネル内でも普通にエアコンをかけるようになりました。

 

では、年々暑くなる地下鉄の温度をどうすればいいのか?実際にどう対処したのか?

それについては次号でご説明いたします。

 

 


【 ボルスタレス台車 その1 】 [鉄道]

【 ボルスタレス台車 その1 】

 

以前から地下鉄車内で盛んに宣伝していた銀座線の新型車両1000系がローレル賞を受賞しました。地下鉄車両がローレル賞を受賞するのは初めてだそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130529-00000003-rps-bus_all

http://enttamenewsetc.net/287.html

私は、1000系の受賞には深い意味があると思います。大袈裟に言えば、この受賞は鉄道車両の設計思想の一つの転換点であると考えられるからです。

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鉄道ファンの方には言うまでもないのですが、鉄道の新型車両が受賞する賞にはブルーリボン賞とローレル賞の2つがあります。ブルーリボン賞は鉄道友の会の会員が投票して選ぶもので、昨今のようににわか鉄道ファン(特に撮り鉄)ブームになる前からある賞であり、AKBの選挙が登場する前から存在する人気投票です。

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ローレル賞の方は、ファン投票ではなく委員会が選ぶ賞であり、画期的な新技術を採用した場合や、設計の斬新性が評価された場合に授与されます。今回、銀座線の1000系が受賞したということは、新技術を導入したその先進性というか、エポックメーキング性を評価したものと私は考えます。

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少し、本題を外れますが・・。

昭和40年代、日本の鉄道車両設計に一つの流れができました。それはひたすら軽量化を指向するという思想です。それまで日本の鉄道といえば、蒸気機関車に代表されるように、重くても頑丈にできていることが取り柄でした。しかし、新幹線が完成して、設計思想が飛行機のそれに近づきました。時速210Kmだった初代新幹線が、時速300Kmを目指すには、どうしても軽量化が必要であり、300系以降は車体を7000番代のアルミ合金にするなど、飛行機に近づけて軽さを追及しました。

設計技師の中心に島秀雄技師がいた頃です。

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それでも強度と剛性を維持するのが、設計屋の腕の見せ所でした。軽量化の究極は、国鉄総研(現JR総研)で研究していたリニアモーターカーで、プロジェクトリーダーはあまりに軽量化をしつこく唱えることから、アダ名はカルーセー京谷とまで言われました。

・・・・・・

そして、速度追及のための軽量化はやがて、省エネの重要手段となり、それを真っ先に導入したのは営団地下鉄(今の東京メトロ)です。

・・・・・・

まず、車体を軽合金にしたりステンレスにして軽量化を図りました。軽合金はともかく、どうしてステンレス化で軽くなるかと言えば、塗料がいらないからです。さらに、車台(ボギー)をボルスタレスにして軽量化しました。ボルスタレス台車とは住友金属(当時)が開発した軽量台車です。ボルスターとは長枕という意味ですが、台車の場合、車両を支えるコイルばねの受け皿になる横に伸びた板です。このボルスターのお陰で横方向の変位や水平方向の旋回(ヨーイングと言います)を吸収し、カーブで車両が脱線したり横転するのを防ぐことができます。

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ボルスタレス台車とは、そのボルスターを無くし、代わりにエアクッションのような空気ばねを置いたものです。ボルスターの廃止により、台車1個あたり1t程度の軽量化に成功しました。 それにより、地下鉄車両は大幅に軽量化され、省エネも進みました。

http://www1.plala.or.jp/kurikou/railway/trivia/daisha-2.html

ご興味のある方は、上記のURLでご確認ください。

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しかし、それでいいのか? ボルスタレス台車は、ボルスターの持つ横揺れ吸収特性を完全に担保したものではありません。

・・・・・・

ボルスターはある方がいいのか?ない方がいいのか? 鉄道関係者の間には2つの意見があり、論争になりました。その論争は30年以上も続き、その間、鉄道事故で多くの人命が失われました。 銀座線の新型1000系は最新型のボルスターを備えた車両で、この成功は、ボルスター要否論争に一つの結論を出したものだと私は思います。

・・・・・・

軽量化した地下鉄が起こした事故の第一号は、東西線の荒川橋梁で発生した旋風による電車横転事故です。1978年に発生したこの事故では死者は出ませんでしたが、20人以上の怪我人が発生しました。これは予測困難な疾風が発生したことが原因とされ、車両の軽量化が原因であるという意見はあまり出ず、その後は少し風が吹くと速度規制や運転停止が行われています。

・・・・・・

その次の軽量化車両の事故は2000年に発生した日比谷線中目黒駅構内の脱線衝突事故です。 5人が犠牲となりましたが、その中のひとりである17才の男性は、麻布高校の生徒で、ボクシングジムに通うスポーツマンでした。初の東大出身のプロボクサーを目指す有為の少年は、この事故で夢を絶たれました。

・・・・・・

日比谷線の事故では、脱線の原因について、多くの人々が議論しました。急激に変化する線路の曲率、脱線防止のレールが敷設されていなかったこと・・・という問題点と同時に、電車の台車に問題があるのではないか?という意見も出ました。 しかし、TVのニュース番組ではボルスタレス台車の問題には言及せず、全く無関係な台車の溶接部の亀裂を見つけて、大騒ぎしたりしていました。台車は住友金属のボルスタレス台車ですが、マスコミはメーカー名を隠しました。 理由は不明です。住友金属からマスコミに何らかの圧力があったのか、鉄道関係者がボルスタレス台車の問題に触れられるのを嫌がったのか、あるいは単に記者が無知だったからか・・でしょう。

しかし、私は、あの日比谷線の事故は、ボルスタレス台車の性能上の欠陥が原因で起こったものだと考えています。

・・・・・・

そして2005年にJR福知山線のカーブで電車の脱線衝突事故が発生しました。犠牲者は100人を超えました。直接原因はカーブでの速度の出し過ぎという単純なものですが、この電車もボルスタレス台車です。ボルスタレス台車は、横方向に強い荷重が加わった場合、脱線しやすくなるはずです。 もしこの電車がボルスタレス台車でなければ、この事故は防げた可能性があると私は思います。

・・・・・・

安全上疑問点の多いボルスタレス台車は、一部の鉄道では会社の方針として使われません。 例えば京浜急行です。横浜から横須賀にかけて、急カーブが連続する京浜急行本線は、車両も16m車両と地下鉄並みに短く、そして脱線の恐れのあるボルスタレス台車は使用しません。 日比谷線の事故の時、インターネット上では京浜急行の技術者の慧眼を評価する声もありましたが、マスコミには登場しませんでした。

・・・・・・

時間は前後しますが、JR/住友金属は、ボルスタレス化を推進し、1992年には山形新幹線つばさ(400系)にも、ボルスタレス台車が採用されました。 新幹線にもボルスタレス台車が採用されたことを住友金属は喜び、鹿島製鉄所の脇にある桜公園には400系新幹線の台車の実物が展示されました。

・・・・・・

しかし、これは非常に危ないのではないか?と私は密かに危惧しました。

通常の新幹線と違い、ミニ新幹線は曲率も大きく、脱線の危険性は増します。幸いにして、ミニ新幹線の走行区間は速度を落とすため、事故は発生していません。

・・・・・・

いつか、ボルスタレス台車の問題点と性能を総括し、その適否について、結論をだすべき時が来るはずと私は考えていました。

そして今回、最もボルスタレス台車にご執心だった東京メトロが、新型ボルスターを搭載した銀座線1000系を登場させたことは、一つの回答であり、その車両がローレル賞を受賞したということは、やはりボルスターが必要だと、鉄道技術界が認めたということでしょうか? そこで、はたして住友金属はどう考えているのか?と考えて思い出しました。 既に社名が変わり、住友金属という名前の会社はないのです。

そしていつの間にか、鹿島の桜公園に置かれていた400系新幹線のボルスタレス台車は撤去されました。

それが住友金属の回答かも知れません。

 

次号では、最近の地下鉄事情に管見を述べます。


【 韓国 東大邸(トンテグ)駅の風景 】 [鉄道]

【 韓国 東大邸(トンテグ)駅の風景 】

もともと、私がいけなかったのです。 大邸にあるメーカーを訪問した時、訊かなくてもいい質問をたくさんして、滞在時間を長引かせてしまったのは私なのですから。

我々が乗った自動車が東大邸駅前に到着したのは、列車が発車するたった8分前です。

駅の入り口の石畳の広場を走り、やっとコンコースにたどり着いた時は、もう6分前でした。

・・・・・・

私達は、そこから韓国の超特急KTXに乗ってソウルに向かう予定だったのです。

自動出札機はもう〆切っています。 後は駅員が応対する出札口しかありません。

私達はそこへ走りました。 日本でいうところの「みどりの窓口」です。

しかし・・・そこには切符を買う人の1本の長い列がありました。

お昼時の東大邸駅、窓口はたくさんあるのに、係員がいるのは3つ程。お客を待たせています。ああ、そうか、韓国はまだ国有鉄道なのだ・・と妙なことに納得しますが、感心してはいられません。列について順番を待っていては確実に乗り損ねます。

・・・・・・

案内役の韓国人青年K君が日本語で提案します。

「ここは列に割り込んで、切符を先に買わせてもらうしかありません」

彼は、列の先頭に行き、並んでいる婦人に声を掛けました。

極めて丁寧な口調で、

「申し訳ありません、次の特急に乗らなくてはなりません。恐縮ですが、順番を譲っていただけませんか?」

自慢でもありませんが、私は韓国語も全く分かりません。上記の言葉はK君から後で聞いた内容です。

・・・・・・

すると、それを聞いた中年の女性は、にわかに表情が険しくなり、怒鳴るような口調でK君に言い返しました。後で聞くと

「そんな事は知ったことじゃないわ。私だって忙しいのよ」 とのことです。

彼女はK君を突き飛ばすように押しのけ、窓口に行きました。

しかたなくK君は次の人に話しかけます。こちらも中年の女性です。

彼女は、目の前のやり取りを聞いていたらしく、K君が話しかけるのを遮って、「そんなの私の知ったことじゃないわよ」と言って、順番を譲る気配はありません。

・・・・・・

仕方なく、K君はその女性もやり過ごし、次の人に話しかけました。こちらは甘いマスクの青年です。 おそらくは徴兵前の大学生でしょうか?おとなしい優しそうな青年です。

・・・・・・

余談ですが、韓国には徴兵制度があります。兵役を終えて帰ってきた青年はなんとなく、顔つきも物腰も変化し、なんだか別の人格のようです。だから韓国では、若い男性を兵役前と兵役後で、容易に分けることができます。・・・(私はそう思います)。

・・・・・・

今度は、K君は自分より若い男性が相手とあって、ちょっと強気に頼み込みます。

その様子は韓国語の分からない私にも分かります。 頼まれた気の弱そうな青年は、しかたなく首を縦に振り、K君を割りこませました。

そしてK君はやっと出札口の前に立ったのですが、既に発車3分前になっていて、窓口でも切符の発券は終わっていました。

・・・・・・

我々は列車に乗り遅れたのです。

「さてどうしましょうかね?」と言ったのは日本人のKさんの方です。

「仕方ありません。次の列車の切符を取りましょう」と言うのは韓国人のK君です。

彼は携帯電話で、ソウル駅で会う予定の相手に連絡して、次の列車に変更する旨を伝えました。 そして再び、出札口の列に並び、切符を求めようとしました。

しかし、彼は実に困った顔で手ぶらで戻って来ました。

・・・・・・

「どうしました?」と尋ねる私に、

彼は「困りました。次の列車の指定席は既に満席です」

彼はしばらくの間、迷っていましたが

「仕方ありませんね。自由席に乗って頂きます。私が乗車券とお弁当を買いますから、お二人はホームに並んでいてください」

・・・・・・

ご承知の方も多いでしょうが、韓国の駅には改札口がありません。超特急の発車するホームまで、関門なしで行くことができます。在来線と新幹線の区別もありません。フランスの駅と同じです。 我々はキャりーバッグをゴロゴロと引きずりながら、ホームの端にある自由席車両の場所まで移動しました。 ちょっと遅れてK君が切符とお弁当を持って現れました。

やがて電車が到着し、自由席車両に乗り込みます。昼下がりの特急列車は空いており、空調もきいていて実に快適です。

・・・・・・

列車は静かに滑るように発車しました。 着席すると同時に私には幾つかの疑問点が湧いてきました。 いったいこれはどういうことか?

「ねえKさん、先ほど割り込みを拒否したおばさんですけどね、様子から見てソウル行の超特急に乗車するようには見えなかったよね。ローカル列車で近くまで出かける様子だったけれど、ローカル列車の発車までには随分時間があったじゃないですか。

彼女は『自分達も忙しくて時間がないのだ』と言っていたけれど本当かなぁ?」

・・・・・・

日本人のKさんは答えます。

「自分達も忙しい・・というのは多分ウソでしょう。 何の見返りも無く他人に権利を譲ることに反射的に拒絶反応を示しただけでしょう。言いたくはないけれど、そういう風土と考えるべきかも知れません」

「では若い男性が順番を譲ったのは?」

「韓国は儒教の国ですからね。長幼の序というものが実にはっきりしています。だから少しでも自分より年配の人から頼まれたら、いやとは言えない雰囲気があります。そういうことだと思います」

・・・・・・

私は、また別のことを考えます。

「でも、自由席がこんなに空いていて、快適なのなら、何も指定席にこだわることはなかったのじゃないか?  もし自由席でよいというのなら、1本前の電車に予定通り乗れたかも知れない。 なにせ改札口はなく、乗車券なしで電車に飛び乗り、車内で切符を買う事ができたのだから・・。それなら間に合ったかも知れない」

「そもそも、この列車の指定席だって売り切れていたのだから、1本前の列車だって同じだったかも知れない。 仮に、出札口でおばさんが順番を譲ってくれたとしても、指定席は売り切れだったかも知れない」

・・・・・・

それまで、心の狭いおばさん達に対して不愉快な思いを持っていた私ですが、そう考えると、彼女達への悪感情は消えてしまいました。 悪いのは彼女達ではない・・・。

冒頭で申し上げたとおり、もともと悪いのは私なのですが、今度は、指定席にこだわったK君について怪訝に思えてきました。 私とはなんと他罰的な男なのか・・。

・・・・・・

「どうして、K君は指定席を取ることにこだわったのかな?」

「それはですね」と日本人のKさんは答えます。

「彼は、韓国人が席を取り合い、奪い合う見苦しい様子を、オヒョウさんに見せたくなかったのではないかな?」

韓国人のK君は日本にも長く暮らし、日本人の考え方をよく理解している人です。

だから、韓国人の見苦しい、あるいはあさましい様子を日本人に見せたくない・・と思った可能性は確かにあります。

・・・・・・

「今回はたまたま自由席の方が空いていたけれど、もし混んでいたら不愉快な光景を見ることになるかも・・と彼が判断した訳か・・。なるほど」

でも、日本で毎朝、通勤時に地下鉄の座席を我れ先にと争う日本人サラリーマンを観ている私は「そんなこと、気にしなくていいのに」 と思ってしまいます。

( 僕はそんなことで呆れたりしない。韓国の人を悪く思ったりしないよ。日本だって同じだよ。・・いや目に見えないところではもっと醜いかも知れない )。

・・・・・・

帰国して暫くすると、他の会社の人事の話が飛び込んできました。ある会社の本社部長級の新人事が発表になったのです。

秋に合併するN製鉄とS金属で、存続するのはN製鉄、吸収されるのはS金属ですが、鋼管部門では、本社の部長級ポスト5つの内、4つをS金属の人が占めたというのです。 それが巷の話題になっています。

限られた少ない席を争って、どんな駆け引きや争いがあったのかは知りませんが、詰まらないことです。 大会社のエリートコースに乗り、ずっと指定席に座っていた人が、会社の合併というハプニングで、電車の乗り換えの際に、自由席の座席を争ったのです。

・・・・・・

「何時だって、どこだって同じさ。決して韓国の人を笑うことはできない」

本当は、私は、超特急KTXではなく、特急セマウル号、いや各駅停車の旅が向いている。 そして指定席でなく空いた自由席で旅がしたいのです。 列の割り込みなど気にしなくていい、そんな旅に憧れます。


【 鉄道の復旧 その2 】 [鉄道]

【 鉄道の復旧 その2 】 

実は被災地の人々の生活を回復するには、新幹線よりも、ローカル線の復活の方が重要です。被災地で暮す人々は、スーツを着て東京に出張に出かけるビジネスマンではありません。地方都市の病院に診察を受けに行き、薬を貰いに行く人であったり、隣町に暮す、同じく被災民である家族・友人・親戚を訪ねる人達だったりします。そして彼らの普段の交通手段である自動車は津波で流されています。

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だから、災害支援で交通インフラの復旧を考えるなら、まずローカル線と言いたいのですが、簡単ではありません。ローカル線の被害は、トンネルや橋梁の崩落、道床ごとの線路の流出、車両の喪失など、資本規模から考えたら、幹線鉄道のそれよりも甚大です。もともと採算的には厳しく大規模な設備投資など不可能な路線が殆どですから、そこに新規に鉄道を建設するのに等しい復興費用がかかるとなると、経営母体である自治体は二の足を踏みます。

http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=13040072147628

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しかも、自治体に余裕がある訳ではなく、他にも復興予算を回さなくてはなりません。自治体の首長の中には「これを機会に赤字のローカル線を廃止できるなら、それも一つの選択肢」と考える人もいそうです。

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大震災をチャンスと考えるやりかたは、いかがなものか?と思いますが、これまで多くの問題を抱えながら、しかし抜本的な対策を打てずに、ずるずるときていた地方公共交通機関の問題に、大ナタをふるえる機会であることは事実です。


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この際、地域の住民にとって最適の公共交通機関とは何かを考えるべきです。鉄道は、本来交通量が比較的多い地域で最適の交通機関です。過疎地には向いていません。一方、過疎地に向いている(つまり採算性の良い)交通機関は、利用者には不便な場合が多いようです。

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利用者が異口同音に語る、バスより鉄道の方が便利だ・・という声は、どこまで本音なのか疑問ですが、鉄道の代替手段として路線バスというのは安直な発想です。

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この際、過疎地や郊外での利便性を確保しながら、コスト的にも安価になる交通手段を考えるべきです。具体的には、

1. 軌条を使用する場合も、通常の列車ではなくレールバスにする。

2. 鉄道とバスの両方の機能を持つ、DMVDual Mode Vehicle)を採用する。

3. 軌条より安価で、津波に対して安全なモノレールにする。

4. 便数の少ないバス路線の利便性を確保するために、デマンドバスにする。

5. 軌条を使用する場合は、高齢者にも適した低床型のLRTにする。

6. 鉄道でも、ディーゼルカーではなく、燃料費が安く低公害の二次電池型の車両にする。

といった、改善策が考えられます。茨城県以北の太平洋側にある、全てのローカル線について見直しが可能で、それぞれ事情に応じた最適の改善策があるはずです。

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被害を受けたローカル線は、とりあえず代行バスを走らせる一方、並行して復旧工事を続けています。当たり前ですが、工事完了の目標期限を定めて全速力で取り組んでいますが、原状回復ができればそれでよい・・とは私は考えません。自治体にとっては頭痛の種である、赤字路線が残るからです。

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「転んでも只では起きない」という発想で、ここは斬新なアイデアを出すべきタイミングだと、私は考えます。


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