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【 ボルスタレス台車 その1 】 [鉄道]

【 ボルスタレス台車 その1 】

 

以前から地下鉄車内で盛んに宣伝していた銀座線の新型車両1000系がローレル賞を受賞しました。地下鉄車両がローレル賞を受賞するのは初めてだそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130529-00000003-rps-bus_all

http://enttamenewsetc.net/287.html

私は、1000系の受賞には深い意味があると思います。大袈裟に言えば、この受賞は鉄道車両の設計思想の一つの転換点であると考えられるからです。

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鉄道ファンの方には言うまでもないのですが、鉄道の新型車両が受賞する賞にはブルーリボン賞とローレル賞の2つがあります。ブルーリボン賞は鉄道友の会の会員が投票して選ぶもので、昨今のようににわか鉄道ファン(特に撮り鉄)ブームになる前からある賞であり、AKBの選挙が登場する前から存在する人気投票です。

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ローレル賞の方は、ファン投票ではなく委員会が選ぶ賞であり、画期的な新技術を採用した場合や、設計の斬新性が評価された場合に授与されます。今回、銀座線の1000系が受賞したということは、新技術を導入したその先進性というか、エポックメーキング性を評価したものと私は考えます。

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少し、本題を外れますが・・。

昭和40年代、日本の鉄道車両設計に一つの流れができました。それはひたすら軽量化を指向するという思想です。それまで日本の鉄道といえば、蒸気機関車に代表されるように、重くても頑丈にできていることが取り柄でした。しかし、新幹線が完成して、設計思想が飛行機のそれに近づきました。時速210Kmだった初代新幹線が、時速300Kmを目指すには、どうしても軽量化が必要であり、300系以降は車体を7000番代のアルミ合金にするなど、飛行機に近づけて軽さを追及しました。

設計技師の中心に島秀雄技師がいた頃です。

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それでも強度と剛性を維持するのが、設計屋の腕の見せ所でした。軽量化の究極は、国鉄総研(現JR総研)で研究していたリニアモーターカーで、プロジェクトリーダーはあまりに軽量化をしつこく唱えることから、アダ名はカルーセー京谷とまで言われました。

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そして、速度追及のための軽量化はやがて、省エネの重要手段となり、それを真っ先に導入したのは営団地下鉄(今の東京メトロ)です。

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まず、車体を軽合金にしたりステンレスにして軽量化を図りました。軽合金はともかく、どうしてステンレス化で軽くなるかと言えば、塗料がいらないからです。さらに、車台(ボギー)をボルスタレスにして軽量化しました。ボルスタレス台車とは住友金属(当時)が開発した軽量台車です。ボルスターとは長枕という意味ですが、台車の場合、車両を支えるコイルばねの受け皿になる横に伸びた板です。このボルスターのお陰で横方向の変位や水平方向の旋回(ヨーイングと言います)を吸収し、カーブで車両が脱線したり横転するのを防ぐことができます。

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ボルスタレス台車とは、そのボルスターを無くし、代わりにエアクッションのような空気ばねを置いたものです。ボルスターの廃止により、台車1個あたり1t程度の軽量化に成功しました。 それにより、地下鉄車両は大幅に軽量化され、省エネも進みました。

http://www1.plala.or.jp/kurikou/railway/trivia/daisha-2.html

ご興味のある方は、上記のURLでご確認ください。

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しかし、それでいいのか? ボルスタレス台車は、ボルスターの持つ横揺れ吸収特性を完全に担保したものではありません。

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ボルスターはある方がいいのか?ない方がいいのか? 鉄道関係者の間には2つの意見があり、論争になりました。その論争は30年以上も続き、その間、鉄道事故で多くの人命が失われました。 銀座線の新型1000系は最新型のボルスターを備えた車両で、この成功は、ボルスター要否論争に一つの結論を出したものだと私は思います。

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軽量化した地下鉄が起こした事故の第一号は、東西線の荒川橋梁で発生した旋風による電車横転事故です。1978年に発生したこの事故では死者は出ませんでしたが、20人以上の怪我人が発生しました。これは予測困難な疾風が発生したことが原因とされ、車両の軽量化が原因であるという意見はあまり出ず、その後は少し風が吹くと速度規制や運転停止が行われています。

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その次の軽量化車両の事故は2000年に発生した日比谷線中目黒駅構内の脱線衝突事故です。 5人が犠牲となりましたが、その中のひとりである17才の男性は、麻布高校の生徒で、ボクシングジムに通うスポーツマンでした。初の東大出身のプロボクサーを目指す有為の少年は、この事故で夢を絶たれました。

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日比谷線の事故では、脱線の原因について、多くの人々が議論しました。急激に変化する線路の曲率、脱線防止のレールが敷設されていなかったこと・・・という問題点と同時に、電車の台車に問題があるのではないか?という意見も出ました。 しかし、TVのニュース番組ではボルスタレス台車の問題には言及せず、全く無関係な台車の溶接部の亀裂を見つけて、大騒ぎしたりしていました。台車は住友金属のボルスタレス台車ですが、マスコミはメーカー名を隠しました。 理由は不明です。住友金属からマスコミに何らかの圧力があったのか、鉄道関係者がボルスタレス台車の問題に触れられるのを嫌がったのか、あるいは単に記者が無知だったからか・・でしょう。

しかし、私は、あの日比谷線の事故は、ボルスタレス台車の性能上の欠陥が原因で起こったものだと考えています。

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そして2005年にJR福知山線のカーブで電車の脱線衝突事故が発生しました。犠牲者は100人を超えました。直接原因はカーブでの速度の出し過ぎという単純なものですが、この電車もボルスタレス台車です。ボルスタレス台車は、横方向に強い荷重が加わった場合、脱線しやすくなるはずです。 もしこの電車がボルスタレス台車でなければ、この事故は防げた可能性があると私は思います。

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安全上疑問点の多いボルスタレス台車は、一部の鉄道では会社の方針として使われません。 例えば京浜急行です。横浜から横須賀にかけて、急カーブが連続する京浜急行本線は、車両も16m車両と地下鉄並みに短く、そして脱線の恐れのあるボルスタレス台車は使用しません。 日比谷線の事故の時、インターネット上では京浜急行の技術者の慧眼を評価する声もありましたが、マスコミには登場しませんでした。

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時間は前後しますが、JR/住友金属は、ボルスタレス化を推進し、1992年には山形新幹線つばさ(400系)にも、ボルスタレス台車が採用されました。 新幹線にもボルスタレス台車が採用されたことを住友金属は喜び、鹿島製鉄所の脇にある桜公園には400系新幹線の台車の実物が展示されました。

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しかし、これは非常に危ないのではないか?と私は密かに危惧しました。

通常の新幹線と違い、ミニ新幹線は曲率も大きく、脱線の危険性は増します。幸いにして、ミニ新幹線の走行区間は速度を落とすため、事故は発生していません。

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いつか、ボルスタレス台車の問題点と性能を総括し、その適否について、結論をだすべき時が来るはずと私は考えていました。

そして今回、最もボルスタレス台車にご執心だった東京メトロが、新型ボルスターを搭載した銀座線1000系を登場させたことは、一つの回答であり、その車両がローレル賞を受賞したということは、やはりボルスターが必要だと、鉄道技術界が認めたということでしょうか? そこで、はたして住友金属はどう考えているのか?と考えて思い出しました。 既に社名が変わり、住友金属という名前の会社はないのです。

そしていつの間にか、鹿島の桜公園に置かれていた400系新幹線のボルスタレス台車は撤去されました。

それが住友金属の回答かも知れません。

 

次号では、最近の地下鉄事情に管見を述べます。


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