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【 緩和ケアについての誤解 】 [医学]

【 緩和ケアについての誤解 】

先日、高速湾岸線を走っていた時です。左手にがん研究会有明病院が見えました。今はがん(癌)という名前をどうどうと看板に掲げるようです。その昔、昭和の時代、「がん研」に回されるということは死の宣告でした。地元の一般病院が匙を投げ、「がん研」に紹介されるというのは、生還を期待し得ない事態であり、患者とその家族は覚悟を迫られました。だから「がん研」という名前は憚られたのです。

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確かに昔は「がん研」の門をくぐった後、回復(もしくは寛解)して退院する患者は多くなかったのかも知れません。 ダンテの神曲の地獄篇にある「この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ」という言葉が、門の看板に書いてあるかのような状況だったはずです。

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「がん研」ではありませんが、オヒョウの親友であるM君が研修医を終えて、東北大学の抗酸菌研究所に入った時です。「抗酸菌」とは難しい名前だねと尋ねると、「なに、抗酸菌と言ったってこれは結核菌のことさ。かつて結核が死の病だった頃、結核という名前を聞いただけで意気消沈する患者さんがいたので、それをごまかすために、抗酸菌という名前にしたのさ。その結核が治る病になり、国民病としての比重が小さくなったから、今はもっぱらがんの研究と治療をしているのだがね。そして今度はがんという名前を忌み嫌うので、抗酸菌研究所という名前をそのまま用いている訳だ」と答えたのを記憶しています。

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でも今は、がんは治る病気であり、完治して帰ってくる人も多くいます。患者や家族が、「がん研」や「抗酸菌研」の入り口で、その重苦しさに圧迫され、屠所の羊のごとくになる必要は全くありません。「がん研」という名前にも悲観する必要はなくなったはずです。

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でもそうは言っても、がんが死に至る病であることは今も変わりません。今生きている我々の三人に一人はやはりがんで死ぬのです。現代の国民病はがんです。残念ながら、一部の進行したがんについては、完治は望めず、最終段階の治療は、終末期の医療などと呼ばれます。その段階の患者さんを多く診ていたM君が「僕がやっているのは敗北の医学さ」とポツンとつぶやいたのを覚えています。まだホスピスなる存在が無かった頃です。

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そこで登場したのが、緩和ケアに対する誤解です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140630-00000004-mai-soci

どうやら、今後のがん治療の重要な柱になる「緩和ケア」という言葉が誤解され、進行したがんまたは治療困難ながんで完治を諦めた場合に、苦痛を緩和するための消極的な医療を意味するものと解釈されたようです。或いはリハビリ段階での医療を指すものと誤解された可能性があります。

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しかし、それが誤りなのは間違いありません。がんに限らず、全ての病気に言えることでしょうが、治療中であろうと治療後であろうと、治癒可能な疾病であろうと不治の病であろうと、闘病中のQOLQuality of Life)を高くすることは当然であり、患者にはそれを求める権利があります。それが緩和ケアであると思います。

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しかし、何故か日本には、治る病気の場合、治療のために苦痛を我慢する義務があるように錯覚する発想があります。「良薬は口に苦し」という言葉の本来の意味とはずれますが、治療過程の苦痛は我慢して当然、もしくは苦痛が大きいほど治療効果が期待できるという迷信もあります。東洋医学の発想なのか・・お灸をすえられる時の発想でしょうか?

だから緩和ケアというと、これは治る見込みがないから、せめて余命の期間は苦痛を軽くしてやろう・・ということかと勘繰ってしまうのです。

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でもそれは全くナンセンスです。 同じ効果があるお薬なら苦い薬より甘い薬の方がいいに決まっています。リハビリだって、体が楽で楽しい方がいいですし、手術や注射は痛くない方がいいに決まっています。治療優先なのは当然ですが、生きている間は苦痛を軽くし、楽しめる人生にする必要があります。だから全ての病について、闘病開始の時点から緩和ケアを考えるべきだと私は思います。

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もうひとつの問題は、激痛緩和に用いられたブロンプトン・カクテルの影響などで、鎮痛剤の副作用を警戒する考えです。 鎮痛剤の主成分にモルヒネが用いられることから、意識や人格に影響を与えるのではないか? とか、正常な意識に戻れなくてもよしとする終末期の医療行為に限って用いられるべきではないか?という意見です。

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これについて、医師ではないオヒョウが論評することはできません。しかしそれでも言えることは、近年ペイン・コントロールの技術は急速に進歩しており、現代では、その時の容態や状況に応じて、最適の疼痛緩和がなされるということです。痛みを我慢することは少しも美徳ではなく、最適の鎮痛剤を用いて、闘病中も病後もQOLを少しでも上げることこそ美徳だと思います。

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そもそも緩和ケアとは、重病の患者だけが対象になるものではないでしょう。

人はみな何時か死にます。早いか遅いかだけです。 換言すれば、見た目は健康であっても、誰もが「死に至る病」の患者であると言えます。

哲学者のハイデッガーは、「人はみな、死というトンネルに向かって驀進する機関車だ」と言っています。そこまで極端に死を積極的に考える必要はないでしょうが、がんなどの病に罹れば、そんな気持ちになるかも知れません。 それなら生きている時間を有意義に快適に過ごしたいと考えるのが当然であり、緩和ケアとはそれを実現するための有力な手段だと思います。緩和ケアは積極的で希望に満ちた医療行為です。

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どうせ死ぬなら、疼痛コントロールが詳しく研究され、緩和ケア技術が発達したがんで死にたいな・・と思う時代が来るかも知れません。がんで死ねて幸せだな・・と思う時代が来るかも知れません。

それどころか、がんが日常的になり、かつ致死率が劇的に低下する時代が来るかも知れません。やや汚いたとえですが、がんが痔や水虫と同じようになり、不愉快な疾病ではあるものの、うまくつきあって長い寿命を享受できるそんな時代が来るかも知れません。

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その時、がんと向き合う医学は「敗北の医学」ではなくなり、がん研有明病院の玄関は、地獄の門ではなくなります。 いや、その頃「がん研」は名前を変えて、別の難病研究の機関になっているかも知れません。

そう言えば、東北大学の抗酸菌研究所は、とっくの昔に名前を変えて、今では加齢医学研究所になっています。


【 泥鰌について考える 】 [医学]

【 泥鰌について考える 】

 

私事で恐縮ですが(ブログに私事を書くのは当たり前ですが)、先日の健康診断で便に潜血反応がでてしまいました。そこで大腸の内視鏡検査を受ける事になりました。

全く気の進まないことですが、仕方ありません。

しかも、担当は若くて美しい女医さんです。 今更若い女性にお尻を見られて恥ずかしがる年齢でもないのですが、やはり少し抵抗があります。

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検査当日は、下剤と大量の水で、大腸を空っぽにして検査台の上に乗りますが、なんだか少し残便感があり、腹部の膨満感があって、少し心配です。まだお腹の中に排泄物が残っていて、それを内視鏡で見られるのも恥ずかしいなぁ。

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やがて強烈な光を発する細い蛇のような内視鏡が肛門に入ってくるのが分かります。

本来、出す方の穴に異物が入ってくるというのは気持ち悪いものです。しかも自分の体内が画面に映しだされるのです。実に奇妙な感覚です。

「痛くもない腹を探られる」というのは、言い得て妙だな・・と思います。

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画像を見やすくするために、大量の空気が大腸内に送り込まれます。それはオナラとなって体外に出てくるはずですが、私の場合は出てきません。出口である肛門を内視鏡に塞がれて出にくい・・という事情もありますが、人前でオナラをすることに抵抗があって無意識にオナラを防ごうとしているのかも知れません。まして回りにいるのは若い女性たちです。

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C医師 「 緊張しないで楽にしてください。空気が中に溜まると診察もしにくいので」

腸内のガス圧が高まると大腸も硬直化して内視鏡を進めにくいようです。

オヒョウ「 別にオナラが出ないように踏ん張っている訳ではないのですが・・」

(お医者さん相手にオナラと言うのはどうかなぁ?やはりここはテンシキと言わなくてはいけないのか?)と古い落語を思い出します。

突然、二人の看護師が私の下腹を押さえて、ガスを出そうとします。

私が、思わず「ウウッ」とうめくと、C医師が 「ご気分はどうですか?」

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実は、その瞬間、私は悪童にいたずらされた蛙を連想していたのです。

おしりに麦わらを挿し込まれ、息を吹きこまれてお腹が膨らんだ哀れな蛙を連想したのです。だから「蛙になった気分です」と答えようかな?とも思ったのですが、それではあんまりですし、C医師には分からないでしょう。

だから、私は答えました。「なんだかドジョウになった気分です」

「はぁ?ドジョウですか?」とC医師の声は怪訝そうです。 顔は見えません。

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「ドジョウは腸呼吸をしますからね」

「はあ、そうなんですか。 あなたはドジョウを飼っているのですか?」

「いえ、そういう訳でもないのですが・・・。ドジョウはときどき水面に上がってきて、宙返りをしてまた潜っていきますね。 プクッと泡を出してまた潜っていきますが、あのドジョウのオナラは、腸呼吸なのですよ」

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真剣な検査の途中ですから、それ以上雑談はできませんでしたが、私はドジョウのことを考え続けました。ドジョウはなぜ腸呼吸するのか?

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脊椎動物の呼吸には下記の種類があります。

1. 鰓呼吸

2. 肺呼吸

3. 皮膚呼吸

4. 腸呼吸

 

実はそれほど細かく呼吸器官を分類する必要はないはずです。私のかってな判断ですが、粘膜の内側に血管が集まっていれば、体外の空気または水の酸素分圧に応じて、血中に酸素が取り込まれるはずで、これは中学校の理科の教科書にあるヘンリーの法則にのっとった現象です。ヒトの大腸の上皮細胞も粘膜ですから、大腸からだってごく一部は酸素が取り込まれるはずですが・・・、腸呼吸と言えるほどではありません。

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これは私の推測ですが、ドジョウには立派なエラがありますから、必要な酸素の大半は鰓呼吸で得ており、腸呼吸で得る酸素は、全体の数分の一だろうと思います。

しかし、水中で暮らしていて、どうしても鰓呼吸だけでは酸素が足りない事態が生じます。ドジョウが棲むのは流れが速くないか全くない淡水で、あまり澄んでいない濁った水の中でも生きています。濁って澱んだ水であればBOD(生物学的酸素要求量)が高くなり、水中の溶存酸素量は少なくなります。海中でこの現象が起きれば赤潮だの青潮だのと言って大騒ぎですが、池や沼の小規模な水域ではしょっちゅう発生します。その過酷な環境下で生きるために、ドジョウは進化しました。

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水中に溶けている酸素量に比べれば、大気中の酸素は豊富です。なにせ大気の20%は酸素ですから・・・だから澱んだ水の中の多くの魚は大気からの酸素を欲します。

ハイギョは、魚なのに肺を持ち空気から酸素を取り込みますし、ウロコの外側に粘膜を持つウナギは最大限皮膚呼吸を利用して酸素を取り込みます。

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そしてドジョウは、苦肉の策で腸から空気を取り込み、不足する酸素を補っている・・というのが私の解釈です。

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検査を終えた後、私はトイレの中でオナラをしながら考えました。

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実は、呼吸で得る酸素というのは、人間社会で企業や個人が必要とするお金に似ています。これをしばらく取り込まないでいると、苦しくなり、死に至ります。さりとて、濁った水の中のドジョウのような環境にいると、必然的に酸素不足(金欠)になる訳で、副業というかアルバイトで、お金を稼ぐ必要が出てきます。 大気中には豊富に酸素があるので、できれば浮かび上がって楽に空気(お金)を得たい・・・・。

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企業が多角化と称して、いろいろなビジネスに手を出すのは、主にバブルなどの景気のいい時です。そちらに投資するお金が潤沢にあるからです。一方、景気が悪い時代もそれなりに、人減らしや食い扶持稼ぎのために、新規事業をします。たいして儲かりませんが、少しは腹の足しになる・・という副業を見ていると、私はドジョウの腸呼吸を連想します。我々は澱んだ水の経済環境下にあるのだ・・・。

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酸素不足あるいは不況の抜本対策は、腸呼吸をすることではありません。

魚の場合、急流に棲むアユやヤマメなどは腸呼吸をする必要がありません。高速の水流が効率よくエラから酸素を供給してくれるからです。

さらに、高速で海洋を泳ぐ回遊魚の場合、エラを動かす必要さえありません。自動的にエラを通過する海水が十分に酸素を供給してくれます。その代り、泳ぎを止めれば死にますが・・。

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経済の場合はお金の循環を速くすることです。急流に棲む魚や大海の回遊魚のように、大量の水がエラを通過する環境を行政が用意すればいいのであり、それが景気を良くするということです。そして水中の溶存酸素量を増やす・・つまりBOD値を下げることは、強いて例えれば物価の水準を適正に戻しデフレを脱却することです。

酸素量の少ない水を高速で流しても魚は窒息します。同じように、デフレを脱却しないと、経済も「利益なき繁忙」に振り回されることになります。

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アベノミクスが順調にいけば、我々は見苦しいドジョウの腸呼吸をしなくても済みます。清流のアユや大海のマグロのような酸素に困らない生活ができます。果たしてそうなるか?

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えっ?経済よりも何よりも、情報管理の方が問題だって? 特定秘密保護法の成立で国民の知る権利が脅かされ、ものも言えなくなり、窒息しそうだって? うーむ、ブログで戯言を言うような、息抜きというか、一種の腸呼吸が必要になるかな?

でもね、中国の友達がPM2.5のスモッグの中から、マスクをした顔で訴えます。

「日本の皆さん、本当に窒息しそうだ・というのは、中国大陸に暮らす我々のことですよ」

彼が窒息しそうだ・・というのが、深刻な大気汚染のことなのか、当局による言論統制のことなのかは、分かりません。


【 アマゾネス達の乳房剔抉(ちぶさてっけつ) 】 [医学]

【 アマゾネス達の乳房剔抉(ちぶさてっけつ) 】

 

先日の報道で、女優のアンジェリーナ・ジョリーが将来乳癌になる事を予想して、予防措置として両乳房を剔除(てきじょ)する手術をおこなったと知りました。(正確には乳腺の摘出であり、乳房全体ではないそうですが)。また日本でも予防的に癌のない乳房を剔除する手術を予定しているとの報道がありました。尤も、これはアンジェリーナの場合とは異なり、片方の乳房が癌になり、さらに遺伝子的な検査を行った結果、もう片方も癌になる可能性があると判断して、その切り取りを倫理委員会に諮るというものです。

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アンジェリーナの場合も、遺伝子や親の病歴を詳細に調査した結果、将来的に発癌の可能性が非常に高いことが判明した事と、かつ癌になってから取り除く場合と健康な内に取り除く場合の、メリット・デメリットを比較した結果から、乳腺剔除を判断した訳で、合理的な判断であり、勇気ある決断だと、私は思います。

どの世界でも、健康な乳房を自ら切り取ろうなどという決断をする勇敢な女性がそう多いとは思えません。

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これまでも乳癌になった後、病巣の無い健全な卵巣も摘出するという手術は一般的でしたが、癌の無い段階で乳房を取り除くというのは寡聞にして聞きません。

世はなべて、予防医学のキャンペーンまっさかりです。即ち、「病気になってからでは遅い。健康な内から病気にならないよう心掛けるべきだ」というスローガンです。生活習慣病の対象年齢ど真ん中で、かつ極めて不健康、かつ病的な肥満の状態にある、私などは、予防医学キャンペーンの標的になっています。

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病気にならないための予防医学には基本的に大賛成ですが、それが外科的侵襲を伴うものとなると、ちょっと待てよ・・と思います。 病気にならないために、自分の体にメスをいれて臓器を取り出すというのは、なんだか本末転倒ではないか?

子供の頃から、「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」と暗唱してきた私には、健康な体を傷つけることに素朴な抵抗を感じます。

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そして、予防処置としての乳房剔除(乳腺摘出)は、2つの意味で考えるべき大きな問題があります。

一つは、どこまでが治療行為であるかという問題。

もう一つは、現時点で無害であっても、将来禍根となりうるものを取り除くという思想の是非です。

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病気になった結果として乳房を切り取った場合、その再建手術までを含んで治療行為と言えるでしょうし、日本の場合、当然健康保険の対象となるでしょう。

乳房の存在は女性には非常に重要であり、その再建は当然の治療行為と言えるからです。

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しかし、遺伝子診断で、現在は健康だけれど、将来発病するかも知れない・・という段階での行為は疾病に対する治療行為とは言えません。健康保険はどう判断するのでしょうか? また、摘出手術までは治療行為と認めても、その後の再建手術は治療行為とは認められないかも知れません。そうなると、健康保険の対象から外れます。

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そうなると、どうなるか?

患者の費用負担に大きな違いが生じます。アンジェリーナ・ジョリーのような映画スターなら、費用の心配は無いでしょうが、一般人の場合は考えねばなりません。

癌になってからなら保険適用だけれど、癌になる前だったら全額自己負担・・・となると、これは大きな違いです。

メリット・デメリットを比較して手術に踏み切ろうというのに、それではできなくなります。

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そこは行政が考えるべき課題だと、私は思います。政府としては、国民の総医療費を抑えて、かつ国民が健康で、高いQOLを確保することが重要ですから、その為に乳房の事前手術が好ましいなら、すぐにでも保険適用すべきです。その方が医療費全体としては安くなるのですから。

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乳房の再建手術について、私は全く知りませんが、シカゴでお会いした女医のヨシさんは、乳房の再建を専門にする形成外科医でした。彼女の話では、患者さんの乳房を失った喪失感はとても強く、乳房を取り戻したいという熱意は大変なものだそうです。ただ、盛り上げるだけではなく、ニップルも必要だというので、同じように色素が沈着したラビアマイノーラから切除して移植した・・とか、私にはさっぱり分からない話が、シカゴからウィスコンシンまでの間続きましたが、とにかく大変な手術をしてでも乳房を取り戻したいと願う患者さんがいるそうです。

健康体で取り除いた場合も、乳房の再建手術を保険適用対象にすべきでしょう。

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そして、もうひとつの問題、つまり将来禍根となりうる存在を事前に排除するという考え方については議論すべき点があります。

人間の体はいつか病気になるものです。 いずれ病気になるのなら、事前にとってしまおう・・とか、不必要なものなら取ってしまおうという考え方は、かなり乱暴で、下手をすると、勇み足になります。 例えば盲腸はあまり役には立たないし、将来虫垂炎になるかも知れないから、子供の内に取ってしまおう・・ということになったらどうしましょう?或いは、将来胃癌になったら生命にかかわるから、胃を最初から摘出しよう・・とか、肺や腎臓は2つもあると、その分肺癌や腎臓癌になる可能性が高まるから、初めから1つ摘出しておこう・・なんてことになったらどうしましょう?

最後は、生きていると将来癌で死ぬかも知れないから今の内に自殺しとこう・・なんて極論になるかも知れません。まあ、冗談ですが。

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病気にならないために、予め外科的侵襲(つまりメスを入れること)を行うことには、矛盾と抵抗を感じるのですが、もし行うなら優先順位があります。乳房の手術の前に行うべきことがあります。それは男子の割礼です。割礼によって、ペニスの周囲にスメグマ(恥垢)がたまらず、清潔に維持され、ヒトパピローマウィルスの感染は少ないとされています。 実際、宗教的な理由で割礼を行うユダヤ教徒や一部のキリスト教徒では、子宮頸癌も陰茎癌もほとんど発生しないそうです。 重篤な副作用を伴う場合もある子宮頸癌ワクチンの接種よりも、男子の割礼の方が確実で安全ですが、日本でこれを提案する人はいません。 やはり宗教上の理由からでしょうか?

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不必要なもの、禍根となるものを排除しようという思想は、医学だけではありません。

一般社会、企業の中でも大流行です。

成績の悪い人、非生産的な人物をリストラして組織の効率をあげ、収益を向上させようという発想ですが、これはしばしば失敗します。

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巨額の赤字に苦しむパナソニックやシャープは、現在リストラを推進中ですが、彼らがリストラをするのはこれが初めてではありません。これまでもリストラを重ねながら、かえって業績は悪化して今日に至ったのです。将来禍根になる人物を排除したつもりが、逆にお金を稼ぐ人を放り出し、負債を作る人を社内に残したのです。

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かつてシャープは液晶テレビに経営資源を集中させ、他の部門を大幅に合理化(つまりリストラ)しました。現在、液晶テレビが大赤字で、会社が倒産しようかという事態で

それに代わる収益の柱が見当たりません。過去にリストラしたからです。

パナソニックも、かつてプラズマテレビに力を入れた時、他の部門を絞りました。今テレビに頼る経営からの脱却を図っていますが、過去のリストラが仇になっています。

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病気になる可能性がある組織を手術で取り除いたはずなのに、切り取ったのは正常な組織で、将来の病巣は別のところにあった・・という訳です。 本当の医学でもそんな事態が起こりうるかも知れません。

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話が脱線しましたが、では自分の体で将来、禍根となりうるものは何か?と考えてみます。 すぐに思い当たるのは、舌です。

舌禍と言いますが、私の場合もまさに災いのもとであり、将来の禍根と考えれば、今の内に取り除いた方がいいのかも知れません。 でも、それはできません。

今の内に舌を取ってしまうと、あの世に行ってから、閻魔様に引っこ抜いてもらう舌がなくなってしまいますから。


【 獲得形質 その2 】 [医学]

【 獲得形質 その2 】

 

その昔、はるき悦巳の「じゃりン子チエ」という漫画がありました。その中で、主人公のチエちゃんが遺伝のことで悩む場面があります。 ガサツで粗暴で知性のかけらもない父親のテツの遺伝を受け継ぎ、やがて父親みたいになる・・と考えて落ち込むのですが、唯一、頼りになるインテリの花井先生は「ああ、遺伝か? エンドウ豆の話やな?」とトンチンカンな応答で、相談相手になりません。 結局、チエちゃんは、徒競走で優勝し、優しくて運動神経抜群の母親の遺伝子も引き継いでいる事を実感して救われるというストーリーです。

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はるき悦巳は、エンドウ豆の話を出してメンデルの遺伝学だけでは、多くの問題をとても解決できない・・と言いたかったのかも知れません。 だからといってルイセンコ学説を支持する訳にも行きませんが・・。

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話を獲得形質の論争に戻します。20世紀に否定された獲得形質の遺伝が、近年注目されているようです。 それは飢餓を経験した世代の子供の世代で糖尿病が増加しているという現象です。 ある個人が若い頃に飢餓や栄養失調を経験して、体質が変化し、その結果、後年糖尿病になったというのなら、なんとなく理解できます。

しかし、この形質は世代間を超えて出現するのです。

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20世紀の前半にあった第二次世界大戦は、多くの参戦国に飢餓をもたらしました。オランダもその一つです。そして厳しい空腹を経験した人々の子供の世代(つまりオヒョウの世代ですが)が、生活習慣病の対象年齢になった頃、急激に糖尿病の患者数が増えてきたのです。(勿論2型の糖尿病です)。

2型の糖尿病については、もともと遺伝的要因があり、また民族や人種によって傾向に違いがあるようで、同じように親の世代が飢餓を経験した日本ではこの現象は起こっていないようです。

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そうなると、獲得形質も遺伝する・・ということになり、私はおおいに混乱します。

2型糖尿病に関係すると言われる遺伝子は、ミトコンドリアDNAの特定箇所にあります。だから、ルイセンコの唱える細胞質遺伝とは全く別の理論で考察する必要があります。

それにしても、親の経験や環境が遺伝情報に変化を与え、子孫に引き継がれる・・というのは、私にはすんなりとは理解できません。

まさに「親の因果が子に報い」になってしまいます。

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日本ではあまり注目されていない、飢餓世代の後世代に糖尿病が多発するという現象は欧米では注目されています。 でもオランダだけでは、判断できません。 そこで特に注目されているのは、ナイジェリアのビアフラ地区の研究です。 

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20世紀の飢餓で最も凄惨だったのはビアフラ内戦での飢餓地獄であると言われます。1960年代、ナイジェリアのイボ族は民族的対立とビアフラに石油資源があることから、独立してビアフラ共和国を建国します。しかしナイジェリアは独立を認めず、ビアフラと外界との交流を遮断して兵糧攻めを開始しました。 その結果200万人の餓死者が発生し、指導者のオジュク大佐は降伏し、ビアフラは崩壊しました。

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この時、かろうじて生き残った人々の子孫が、生活習慣病の年齢になりつつあります。 ナイジェリアは産油国であり、現在は飢餓はありません。ですからナイジェリアのイボ族で今後、糖尿病が増加するかどうか・・で、飢餓経験による糖尿病の発現遺伝子が世代を超えて残るかが判断できます。もう少しで結果がでると思います。

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もう一つの飢餓経験は中国です。大躍進時代に2000万人を超える餓死者を出していると、西側では推計しますが、中国は正式な数字を発表しません。そして今、中国の中高年では、糖尿病が増えているとのことです・・・。 しかし、確かな事は分かりません。 資料が手元にありません。 そもそも、中国に糖尿病について正しい統計的データがあるのか否か、私は知りません。 私の友人は「糖尿病が増えたのは、単に中国が豊かになって、カロリー摂取量が増えると同時に運動不足になったからだろう・・」と言いますが、本当のところは分かりません。

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そして飢餓と言えば、なんと言っても、今の北朝鮮です。金正日時代から、何度も飢饉に見まわれ、長年餓死者を出し続けています。 近い将来、体制が崩壊するか、南北統一が実現し、北朝鮮の国民が一斉に飢餓から解放されたら、一体どんな現象が起こるのか・・・不謹慎ながら興味があります。

日本人に近い民族であり、もともと2型糖尿病にはなりにくい体質かも知れませんが、今の北朝鮮の次の世代で糖尿病増加が予想されます。そうなれば獲得形質の遺伝がより強固に証明されます。

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実に皮肉な話ですが、細胞質遺伝による獲得形質遺伝を主張するルイセンコの農業で飢餓に陥った北朝鮮が、その後の世代で、ミトコンドリアDNAによる獲得形質遺伝を証明することになるのです。

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私が長男と議論した際、この糖尿病の現象のことが頭をかすめましたが、頭の中で整理されていなかったので、言及せず、私は獲得形質は遺伝しない・・と主張したのです。

そして、長男と別れた後、私はチラッと考えました。

「ひょっとしたら、私の長男が言いたかったのは、ミトコンドリアDNAによる獲得形質遺伝の可能性だったのかな・・・」

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ああ、私も遺伝と聞いて、メンデルのエンドウ豆の実験しか連想できなかった花井拳骨先生と同じになってしまった。


【 チョコパンが食べたい 】 [医学]

【 チョコパンが食べたい 】

 

いささか旧聞ですが、先日市川團十郎が亡くなった翌日、フジテレビの職場に大塚範一アナウンサーが笑顔で復帰しました。ご存知の方も多いでしょうが、フジテレビの良心とも言うべきこのフリーのアナウンサーは1年以上の白血病との闘いの後、完全寛解に至り、復活したのです

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一方、團十郎の方は、直接の死因については知りませんが、彼も長年白血病に苦しみ、その治療の過程で、免疫力が著しく低下し、死の病に至ったものと思われます。発達した現代の医学でも、白血病は難病であり、幸運にも生還出来る人と、不運にして亡くなる人に分かれます。

その差を分けるものは何なのか? 運の善し悪しで片付けるにはあまりに深刻な問題です。

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しかし、死に至る病といえども、大人の白血病はまだましです。悲惨さと言えば、子供の白血病こそ悲惨です。 小児がんは全て悲惨ですが、小児白血病もその一つです。 近年、特効薬ができ、治癒率(寛解到達率)が著しく上がったというものの、いたいけな子供がどうしてこんな辛い病気を体験しなくてはならないのか・・と考えてしまいます。

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そして小児白血病が悲惨なのは、患者本人だけでなく、その両親にも過酷だからです。人の親になれば分かります。自分の病気以上に子供の病気は辛いものです。ましてそれが、重病であれば・・。

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私の人生の先輩とも言うべきHさんのご自宅に呼ばれてごちそうになった時のことです。

玄関からリビングルームまでよたよたと歩いて現れた一匹の老犬に出会いました。 静かに餌を食べるその犬の名前は“チェロ”で、年齢16歳だそうですから、室内犬としてもかなりの高齢です。

「なぜチェロと言う名前なのですか?」

「それは、長女の趣味がチェロで、彼女の飼い犬にも、好きな楽器の名前を付けたのです」

お嬢さんは、御年32歳、既に結婚して家を出られています。「犬の年齢が16歳、お嬢さんの年齢が32歳ということは、 お嬢さんが16歳の高校生だった頃に、この犬が生まれて飼い始めた訳ですね?」 

例によって、つまらない計算をして納得しようとする私ですが、Hさんは、ちょっと真面目な顔になって、その犬を飼い始めた時のエピソードを話し始めました。

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「実は、娘は高校生の時に白血病に罹ったのです」

「当然、治療方法として骨髄移植を考えたのですが、困ったことに適合する骨髄の型を持つ人がどうしても見つかりません。 なかなか骨髄提供者が見つからず、ほとんど絶望という状態でした。

そんな時、父親の私の型が完璧に一致することが分かったのです。 普通は親といえども型は合わないのですが・・。 医師が不思議な顔をして訊いてきました。『ひょっとしてイトコ同士のご結婚ですか?母親と父親が近縁だと稀に子供さんと型が一致するのですが・・・、』。 私達は全くの他人同士の結婚でしたから、父親の骨髄の型が一致するということは、全くの奇跡だったのです」

早速、父親から骨髄が取り出され、娘に移植され、彼女は奇跡的に回復しました。

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「その時、医師が不思議な事を言ったのです。 『実は、昨日夢を見ましてね。お嬢さんが、元気になって茶色の子犬を遊んでいる光景を、夢で見たのです。実に不思議な夢ですが、正夢になるといいですね』。 私は、娘の退院にあわせて、大至急で茶色の子犬を求めました」

その後、お嬢さんは健康になり、娘時代をその犬チェロと過ごし、結婚して巣立って行きました。

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お嬢さんの成長と結婚を見届けて、役割を果たした茶色の犬は、静かに余生を送っている訳です。 チェロは、眠りながら、飼い主のお嬢さんと遊んだ子犬時代の記憶を反芻しているのかも知れませんが、犬の記憶力がいかほどのものか・・私は知りません。 そして、この犬が果たした癒しの役割については、その場にいなかった私には想像できませんが、彼女を勇気づける強い力になったはずです。

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私には女の子がいませんから、Hさんの娘を思いやる心情についてはよくわかりません。 でも生後間もない赤ん坊を連れて3人家族で海外赴任した時の苦労話などを聞くと、他人事とも思えません。私の場合は男の子でしたが・・。

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そして、大病を患う娘への父親の気持ちは、傑作映画「震える舌」に表現しつくされている・・と私は思います。 Hさんが茶色の子犬を求めた時の気持ちを、私は「震える舌」の渡瀬恒彦の演技になぞらえて想像しました。

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では「震える舌」とは、どんな映画か?

ネタばらしになって申し訳ないのですが・・・、これは破傷風を患った子供の話です。

破傷風は、予防注射をせずに罹った場合、非常に致死率の高い病気です。 主人公の少女は、ごくささいな傷から破傷風に感染し発病してしまいました。 少女を見守る女医役は中野良子、少女の父親役は、渡瀬恒彦です。

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少女は幾度も危険な状況になり、観客はハラハラするのですが、ついに少女は危機的な状況を脱し、意識を取り戻します。 そして目覚めてまだ朦朧とした意識の中で、最初につぶやいた言葉が「チョコパンが食べたい」でした。 その言葉を聞いた父親は脱兎のごとく病室を飛び出し、売店に走り、チョコパンを買い求めます。歓喜と安堵で顔をクシャクシャにして・・。

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余談ですが、その演技を見て、私は「ああ、渡瀬恒彦は兄である渡哲也を超えたな」と思いました。 「震える舌」は彼の名演技の一つです。

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おそらく、子犬を求めたHさんは、チョコパンを買い求めた渡瀬恒彦と同じだったのではないか?

そう言えば、ネジネジの巻貝のようなパンの中にチョコレートクリームを入れた、あのチョコパンを最近は見ません。 私が見ないだけなのか、世の中から姿を消したのか?

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破傷風は予防接種で完全に防げる病気ですが、負担が重く予防接種は普及していません。 残って欲しいチョコパンはなくなりましたが、消え去るべき破傷風はなくなっていません。

でも将来は子宮頸がんワクチンなどと共に、全国民が予防接種し、破傷風が無くなる時代が来るかも知れません。 そして、白血病の治療方法も進歩し、全ての人が生還できる日も遠くないと私は信じます。

いつまでも奇跡に頼る医療なんて科学とは言えません。

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未来の歌舞伎ファンが 「12代目の團十郎は、なんと白血病で死んだのか。へえー今なら考えられないことだがね」と語る日が来るかも知れません。 山中教授には、もうひと頑張りしていただきたい・・と一庶民の立場で思います。


【 日和見感染 】 [医学]

【 日和見感染 】 

中村勘三郎が死去しました。 私と同世代の男たちもそろそろ向こう側へ渡り始めたということです。 戦中派の人々は同期の友達の訃報が出始めると「至近弾が届き始めた・・・」と言ったそうです。戦後生まれの我々はどう表現すればいいのか・・。

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実は私は彼の歌舞伎があまり好きではありませんでした。死者の悪口を言うようで、気が引けるのですが、彼の歌舞伎はオーソドックスではありません。彼が成功させたというニューヨーク公演もゲテモノでした。そして客席は満席だったというものの観客の多くは日本人であり、アメリカ人に歌舞伎を理解してもらえたとするのは言い過ぎです。それにもし彼のニューヨーク公演を観たアメリカ人が、歌舞伎とはこんなものだ・・と錯覚したなら、罪深いことです。

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もっと言えば、私は歌舞伎全般が嫌いです。嫌いな理由は多々ありますが、ここでその議論はしません。

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歌舞伎であれ、落語であれ、日本の伝統芸能は、型にはまった先人のスタイルを模倣するところから始まります。常に創始者が最高の芸を極めたとされ、後に続く人達は、どこまで究めても、彼に追いつけず、極め尽くせないほど奥が深いのが伝統芸能とされます。現代人はどんなに頑張っても先達には追いつけないのだ・・という考え方は、昔の方を尊いとする一種の下降史観です。

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当然ながら、それに反発する若い人はいて、彼らなりに改革を試みます。改革者には2通りいて、古典を究めた上で実験する人と、古典は最初の部分だけをおさらいし、後は前衛というか、実験に走る人の2種類です。 おそらく18代目の中村勘三郎はどちらかと言えば後者であったのだろう・・と私は思います。 そして歌舞伎界に於いて、彼は最も多くの実験をした先駆者の一人であったと考えます。

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彼が改革者であったことは、それはそれで讃えるべきですが、それは彼の芸が至高であったことを意味しません。亡くなった後の報道を見ると、勘三郎は広い交友関係をもって、人格識見教養とも申し分なく、歌舞伎界の至宝であったことになっていますが、果たしてそうか?

評論家の徳岡孝夫氏は、中村勘三郎(当時は勘九郎)で歌舞伎役者らしいと評価できるのは、その下に膨らんだ頬の形だけだ・・と語っていますが、私も同感です。

彼は、顔だけは歌舞伎役者の顔でした。

なにせ彼の後に登場した、今の海老蔵や中村獅童などは、どこの凶状持ちか?と思う人相ですから・・。

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彼の悪口はそのあたりにして、気になるのは彼の死因です。ARSDとは急性の呼吸困難ですから、それが死因というのは、ちょっと変です。 例えば急性心停止は、死亡そのもので死因ではありえませんが、急性呼吸困難もそれに近い印象があります。

問題は、なぜ呼吸困難になったかです。

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マスコミの報道では、長時間の手術で食道癌を剔抉することに成功したものの、その外科的侵襲による体力の低下や、抗癌剤の影響による免疫力の低下で、日和見感染の肺炎になり、それが悪化して亡くなったとのこと。

よく言われる「癌は完治したけれど、そのために生命を失った」というパターンです。

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私は免疫力の極度の低下で肺炎に罹ったと聞いた時、カリニ肺炎か?と思いました。

しかし、カリニ肺炎は、特殊な真菌に感染した場合の病名であり、日和見感染の肺炎が全てカリニ肺炎という訳ではないそうです。

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勘三郎の病名について、それ以上の詳しい報道はなされておらず、議論することはできないのですが、私が考えたのは、・・「カリニ肺炎という言葉は忌み嫌われ、使われなくなったのかな?」ということです。

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カリニ肺炎は癌の化学療法などでも発生しますが、何と言っても有名なのはHIVに感染してエイズを発症した際に罹ることです。 ですからカリニ肺炎などと言おうものなら、彼はエイズだったのか?と妙な誤解を招くことにもなります。

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病気は須らく災難であり、どの病についても恥じるところは無いのですが、やはりエイズという名前は憚られます。 エイズでないのにエイズと疑われるのは困ったことに違いありません。だから勘三郎の周囲の人々はカリニ肺炎という名前を避けたのか?と私はかんぐったのです。私から見れば、カリニ肺炎だろうと他の感染症であろうと同じ事で、日和見感染という厄介な問題を背負った患者に同情するだけなのですが。

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それにしても、日和見感染というのは不愉快な存在です。

普段は無害のふりをして、何食わぬ顔で人体に寄生しているくせに、いったん宿主の体力が衰えると、ここぞとばかりに暴れまくる病原体ほど卑怯な存在はありません。

人体を蝕む病原体は全て凶悪ですが、日和見感染の病原体くらい凶なるものは無いと私は思います。 それに蝕まれた勘三郎の無念を思います。

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そしてこの卑怯な日和見感染は人体の病気だけではありません。 人々の社会、政治の世界にもあり、そして外交関係にもあります。

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近年、中国、韓国、ロシアが領土問題で強気にでて、日本の国土を脅かし始めていますが、これは畢竟 一種の日和見感染です。

日本の経済力、国力が衰え、相対的に周辺諸国の国力が増したタイミングを見計らって、これまでより尊大で無礼で強引な態度に出てきたのです。 一般に国家間の外交では相応の慇懃さがプロトコルとして求められますが、一旦、日本は組みやすしと判断されると、慇懃さも礼儀も関係ありません。無礼で強引な方が、自国の国内受けが良いと判断されるので、必要以上に日本を貶めようとします。

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日本は単に経済力が衰えただけではありません。 総理大臣がコロコロ代わり、一貫した政策がないこと。 外交には全く素人で、日米関係を損なう一方で、周辺諸国には宥和的な態度を取るしかない民主党政権であることも、つけいらせ、日和見感染を助長する理由です。

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いやしくも、隣国を病原体と同じ扱いにするのは失礼ではないか?という意見もあるでしょうが、外交の世界はえげつないのです。 むしろ挑発と侮辱を繰り返す国々と一緒にしては、真菌やばい菌に失礼というものです。

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ではどうすればいいのか?

国家間の外交問題では、有効な抗生物質もありません。ひたすら体力を養う事が重要ですが、時間がかかります。ここは日米同盟を強化し、さらには、対中国で同じ問題を抱えるアジア諸国との連携を強化することです。それしかありません。

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いわゆる平和主義者“は憲法九条を理由に外国と同盟を組む事や集団的自衛権を行使することに反対しますが、一方で憲法の前文には、諸外国と協力して、外国からの尊敬を得られる国を目指すとなっています。 これは矛盾であり、どちらの考えを取るかを判断せねばなりません。

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ただひとつ言えるのは諸外国から尊敬を得ようとすれば、脅威や挑発に対して毅然とした対応をとることが重要です。同じような問題を抱えた弱小国が勇気を得て、日本を範とするような対応が必要です。 同盟を組むことは、諸外国の尊敬を得る上で有効ではあっても障害にはなりません。

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今、私がいるベトナムは、単純な親日国という訳ではありませんが、中国の脅威に対峙する存在として、日本に親近感を持ち、中国からの圧力に日本がどう対応するかを注視しています。 ベトナムにも中国にも友人がいる私としては複雑な思いですが、ベトナムの日本に対する期待のようなものを感じると、やはり日本は頑張らねば・・と思います。

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日本が中国の圧力に屈し、日和見感染にやられてしまったとなると、これはカリニ肺炎などより遥かに外聞の悪いことになります。

泉下の中村屋も浮かばれないだろう・・と、私は考えます。


【 増殖 】 [医学]

【 増殖 】

 

ノーベル賞学者の山中教授が、すぐにでも実現したい事としてiPS細胞バンクを提案しています。彼の研究はノーベル賞を受賞した時点で一段落というのではなく、これからがまさに佳境のようです。

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iPS細胞は誰でも自分の細胞から作れるのですから、バンクのようなものは不要ではないか?むしろバンクを要らなくするのがiPS細胞ではないのか?と、私などは考えましたが、そこが素人の浅はかさでした。

iPS細胞を製作し、それをさらに様々な器官にまで成長させるには、非常に長い時間が必要です。再生治療を必要とする患者は急いでおり、悠長に待つことはできないのです。

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そこで他人のiPS細胞をプールしておいて、必要な時に使おうという考えですが、それじゃ、免疫問題はどうなるのだ? 他人の細胞が移植に使えないから、自分自身のiPS細胞に頼るのではないか?と、再び素人の疑問が湧きます。

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山中教授によれば、ほんの僅かですが、多くの人に免疫反応なしで細胞を供給できる人が存在するのだそうです。その人達のiPS細胞を用いれば、たかだか20人程度のiPS細胞で日本人の数十パーセントをカバーできるとのこと。その人達を見つけ出し、iPS細胞バンクに保存すれば、患者さんひとりひとりが自分のiPS細胞を作らなくても良いのだそうです。率直に言ってこれは驚きです。

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厳密な意味で再生治療と言えるかわかりませんが、白血病の治療として行われる骨髄移植は、これまで大きな問題を抱えてきました。骨髄細胞の型が患者のそれと完全に一致する提供者を探す事が決め手ですが、これは非常に稀な存在であり、患者にとっては極めて低い確率に挑むことになります。一種の宝くじに当たる事を狙うようなものです。一攫千金の淡い期待の元に宝くじを買う人は、外れても苦笑いするだけですが、白血病患者が挑むこの「宝くじ」はそうではありません。命を賭けた厳粛なものであり、適合する提供者が見つからない時の悲壮感というより絶望感は想像にあまりあります。

その対策として骨髄バンクがありますが、それでも完全ではありません。

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骨髄バンクに代わるiPS細胞バンクができて「どなた様でもこのiPS細胞から作った骨髄細胞をお使いください」ということになれば、ガラリと世界が変わります。

では一体、夏目雅子や本田美奈子の死はなんだったのだ?ということになります。

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iPS細胞バンクはすぐにでも設立すべきでしょう。ぐずぐずしていれば、外国に先を越され、白血病患者は皆、外国に行って治療を受けることになります。かつて臓器移植を待つ患者が日本で治療を受けられず、肉体的負担と経済的負担を負いながら外国へ行ったように。

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しかし、そこで私は全く別のことを考えます。

他人のiPS細胞で任意の器官、臓器、細胞を、取り替える事ができるようになると、どんな事がおきるだろうか?

山中教授によると、iPS細胞バンクでは、少数の人のiPS細胞で多くの人をカバーできるようになるということですから、みんなが同じ人物の形質を共有する事態になります。IPS細胞の移植を受け、部分的とはいえ同じ遺伝子を持つ人が増えるという事は、厳密には不正確なたとえですが、クローン人間が増殖することになります。

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そこで思い出したのは、昭和の時代のYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のアルバムのジャケットです。「増殖」というタイトルのそれは、YMOのメンバーのフィギュアが(つまり同じ顔の人形)が延々と並ぶ写真です。 同じ顔の人が延々と登場してくるのか・・。これはなんだか嫌だな・・。

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脱線しますが、YMOを御記憶の方も多いでしょうが、テクノポップというものが全盛だった頃に、一世を風靡したバンドです。今でもやや奇異に思うのは、アルバムには「公的抑圧」とか「東風」とか「増殖」といった具合に、欧米から当時の中国を眺めたイメージを意識した名前が付けられています。 演奏会では何を思ったのか、真紅の人民服を着て現れ、中国文化へのオマージュらしきものを表現していました。

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70年代当時、中国は文化大革命の時期でしたが、それらに傾倒している事を装うことでちょっとインテリらしく見えたこともあります。 YMOのメンバーがその頃の中国にどれだけシンパシーを感じていたかは不明ですが・・。

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西欧社会から見た当時の中国は神秘の存在です。個人として名前が知られていたのは毛沢東だけです。そのほかは、同じ顔で個性を持たない、十数億の人民として扱われていました。 当時のアメリカの雑誌の漫画に皮肉られています。戦争に押し寄せる膨大な数の人民服の兵隊には「消耗品」と書かれています。 個性を持たず、ひとりひとりの存在感のない国が、人間の数だけを頼りに西欧社会と対峙しようとする事を、半ば軽蔑し、半ば驚きをもって、アメリカ人は眺めていました。

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私から見れば、その悪しきイメージは中国の人々にとって、不名誉な事にほかならないのですが、YMOがどう考えているかは不明です。 そして、iPSバンクのおかげで「増殖」のジャケットの世界が実現するなら、ちょっと不気味です。

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人間は、皆共通の祖先を持ち、一組のカップルから誕生したという考えが一般的です。それが、東アフリカの霊長類の一種なのか、アダムとイブなのか、イザナギとイザナミなのかは知りませんが。しかし、数が増え、分化していく過程で、遺伝子に多様性が生まれ、それぞれが個性を持ち、一人として同じ人がいない世界になりました。

現代は多様性を尊重する時代です。

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それがまた多様性を失い、ごく少数の遺伝子に収斂していくという先祖返りは是か否か? 山中教授は細胞の初期化だけでなく人類の初期化も考えているのかも知れません。これは神に近づく技とも言えるかも知れません。

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更に研究が進み、幾人かのiPS細胞が多くの人をカバーするのではなく、誰のiPS細胞でも受け入れられるようになり、どの他人の器官・臓器も、自分の体の中で再現できるようになれば最高です。

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私などは・・・、手足はボルトのそれを貰い、顔の造作はキムタクから貰い、脳みそは山中教授から貰い、舌と心臓は政治家から貰い、胃袋は・・・まあ、自分のでいいや・・なんて想像してしまいます。

iPS細胞の研究が更に進む事を期待します。


【 ジェネリックと生活保護 その1 】 [医学]

【 ジェネリックと生活保護 その1 】

生活保護世帯は、医療費が減免されるそうですが、その代わり受ける医療の内容が規定され、処方される薬についても行政から干渉を受ける事になりそうです。

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個人的には、生活保護をもらわない人でも受けられない場合もある高額医療について、制限を受けるのはやむをえないかも知れませんが、健康保険が適用される一般的な医療行為が制限されるのは・・ちょっとどうかな?と思います。

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お金持ちも貧乏人も命の値段は同じであり、病気の治療や出産については皆が平等に同じサービスを受けられたらいいのに・・と誰もが思います。医療福祉の原点はそこにあります。 医療だけは万民公平にという発想は、日本の場合、奈良時代の光明皇后による施薬院の設立に始まり、江戸時代の小石川療養所などに引き継がれているので、日本はこの面に於いて、西欧の福祉先進国に遅れているとは言えません。

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国民皆保険制度という点では、日本はアメリカよりも進んでいますが、医療費が無料である英国には遅れをとっています。

もっとも医療費無料の国では、無料で得られる医療の質は悪く、少しでも質の高い医療行為を希望する人は、保険の効かない、自由診療を受ける必要があり、それをカバーするための民間の保険を購入したりしています。

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総じて、日本の医療福祉はさほど悪くない・・とオヒョウは思っていました。

今回、生活保護世帯に課される制限とは、具体的にはジェネリック薬品の使用を優先するという事のようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BA%E5%8C%BB%E8%96%AC%E5%93%81

http://news.goo.ne.jp/hatake/20080429/kiji1696.html

(すみません、ブログ作成が遅くなったため、元記事の方はリンク切れのようです)

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この短い情報は、非常に重要な問題を複数包含しています。

ちょっと考えても、以下の点が気になります。

1.ジェネリック薬品(以下、後発医薬品)は、新薬に比べて、その効能が劣るのか?

あるいは危険なのか?後発医薬品を使う事のデメリットは何か?

2.なぜ、後発医薬品と新薬の違いについて、行政は一般に情報開示しないのか?

3.医師や薬剤師は、この問題について、どう考えているのか?

4.生活保護を受けている人で、薬の横流しでお金を稼いでいる人をどうするのか?

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まず後発医薬品を使う場合のデメリットは何か?について考えます。

もし、本当に後発医薬品の性能が劣り、新薬を使う場合に比べて、患者の予後が悪かったり、治療が長引いたり、苦痛が大きいというのなら、これは大問題です。そして生活保護者にそんな後発医薬品の使用を強制するならこれは人権問題です。

しかし、それならそもそも、そんな医薬品が認可されるはずもありません。

本当に後発医薬品は、劣るのか?

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新聞に載る、ある医師の発言によると・・・、同じ薬品、同じ効能というけれど、微量成分では、オリジナルの新薬とは微妙に違う可能性がある。錠剤の場合は、その形状、色、糖衣の厚さも違うので、確かに効能に違いがある可能性がある(だから私はジェネリックを使わない)。

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この医師の意見はどうも嘘くさいです。錠剤の形や色、微量成分の差が極端に効能に影響を与えるとは思えません。そして、その医師は具体例を示しません。

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製鉄会社が製造する鋼材は、製鉄所や製造方法によって、微量成分が異なります。

しかし、鋼材の性能に影響を及ぼすような違いはありません。ここで言う微量成分とは、意図的に添加しない元素(トランプエレメント)の事です。おそらく医薬品も同様で、効能に違いがあるなら医薬品とは認可されないはずです。

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新薬メーカーに抱き込まれた医師が、ことさらにジェネリック薬品を貶しているように思えます。

もうひとつ、無視できない意見があります。オヒョウの知り合いの医師の意見ですが、

「新薬の場合は、MRから効能や副作用などについて最新の情報が提供されるけれど、旧知の医薬品であるジェネリックの場合は、それがない。医師としては責任を持てないので、ジェネリックは使用したくない」というものです。

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日進月歩の医学では医療従事者が必要とする医薬品の知識も増大する一方で、常に最新のものが必要とされます。それを供給するのがMRですが・・、オヒョウには理解できません。

MRは、製薬会社が教育し、社内で資格を認定する職種ですが、公的機関で医学教育を受けた人ではありません。 医学部を卒業した訳でも薬学部を卒業した訳でもなく、医師でも薬剤師でもありません。 そのMRから得る知識を元に判断する医療行為の責任は、誰にあるのでしょうか?

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医療活動は、多くの専門職の人がチームワークで行う行為です。それをひとつのオーケストラに例える人もいます。そしてそのチームを率いるのは医師です。つまりオーケストラの指揮者にあたるのは医師です。全ての楽器の音を聞く指揮者と同じように、ある意味でオールマイティでなければならない医師が、公的な医学教育を受けていないMRの意見を参考にするというのは、理解できません。

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MRが説明しない医薬品は不安だ・・というのは、どこか奇妙です?

例えば、肺ガン治療薬イレッサは、重度の間質性肺炎という副作用がよく理解されないまま認可・使用され、製薬会社とそれを認可した国の責任が問われています。臨床の現場で使用した医師の責任は問われていませんが、彼らは患者に対する最終責任を持つ専門家です。それが医学の専門家ではないMRの助言・慫慂に従って危険な医薬品を使用した・・というなら、本来、責任は免れるものではありません。

MRの助言があるから安心だし責任も取れる。MRがいなければ不安だし責任は取れない」というのなら医師の専門知識とは何か?という事になります。

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これらの医師の発言は、どうにも苦しい言い訳と奇妙な理屈で構成されており、信用できません。基本的にジェネリック薬品がある場合は、そちらを使う方が合理的であると、オヒョウは考えます。そして、その対象は生活保護世帯だけでなく、健康保険で治療を受ける全ての患者です。

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日本の病院の医薬分業は見せかけだけで、医療機関は薬の販売で利益をあげており、薬九層倍の商売をする製薬業界に医療が操られているから、ジェネリック薬品は伸びないのだ・・という邪推をしたくなるのが、オヒョウです。

本来、厚生労働省が「後発医薬品も新薬と同じ安全性、同じ効能ですよ」とアナウンスすればいいのですが、それもありません。

日本医師会は、民主党政権を支援する事を表明しており、今の政府は開業医の収入減につながる事を表明できない状況です。

つまり、政府が正面からジェネリック薬品を推奨したり、効能に問題が無い事を言えない状況なのです。これは医療費抑制を標榜する政府方針と明らかに矛盾します。

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お役所も政治家も製薬会社にまるめこまれているのかな?それなら報道機関はどうか?製薬会社はマスコミの有力なCMスポンサーであり、マスコミはこの問題に言及しません。ジェネリック薬品のCMも流す一方で、新薬を作る会社のCMもしており、あまり触れたくない・・というところでしょう。

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ところで、オヒョウはジェネリック医薬品の問題は、別の次元で考える必要があると思います。それについては次号で申し述べます。




【 王様の病 】 [医学]

【 王様の病 】

 最近、ある人から郵送された書類は、ビニールのケースに入っていました。ふと見ると、そのビニールケースは萬有製薬のもので「ジャヌビア」と書いてありました。気になって調べてみると糖尿病の薬の名前です。そう言えば、最近、糖尿病に関する報道が多いな・・と思っていたところ、1114日は、世界糖尿病デーだったのだそうです。そんな日があるとは知りませんでした。

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かつて昭和の時代、オヒョウが子供の頃に、贅沢病と言われた病気が2つあります。糖尿病と痛風です。どちらも豪華な食事と運動不足(労働不足)が原因とされ、それらにかかってもあまり同情してもらえない・・という雰囲気がありました。

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しかし、最近では、この2つの病気を贅沢病とか、王様の病気とか言わなくなりました。 これは社会全般が豊かになり、痛風や糖尿病をもたらす食生活が決して特別なものではなく、あたりまえになってきたことや、生活習慣病に関する認識が改まり、単純に美食家がなる病気であるという考えが間違っていた事が知られてきた事によるものと思います。

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オヒョウ自身も、自分がいろいろな病気に対して無用な偏見を持っていた事を理解しました。

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例えば、痛風・・。痛風は尿酸値が高くなると発症するという事で、その尿酸値を上げるのがプリン体と書いてあります。そして、肉類、フルーツ、フルーツジュースにビールが尿酸値を上げると書いてあります。そう聞くと、なんだかレストランでナイフとフォークで食べるごちそうを思い浮かべますが、実際は豪華とも言えない普段の食事と密接に関係しています。 例えばイワシです。イワシを食べると尿酸値が上がり、痛風の危険性が増すと書いてあります。イワシといえば、庶民の魚の代表であり、オヒョウの好物でもあります。

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かつて、東芝とIHIの経営を立て直し、国鉄民営化を断行した土光敏夫もメザシが大好物で、メザシの土光として、彼が庶民派であった事を象徴する食べ物とされています。 また昭和の末期、つまり昭和天皇が御不例の時、陛下がイワシが好物だと聞いて、驚いた事があります。高貴な方から庶民まで幅広くファンがいるイワシが、痛風の原因になるなんて・・。痛風をお金持ちや美食家の病気とするのは、間違っているようです。

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糖尿病も・・・いろいろ社会学的に研究する余地がありそうです。経済発展著しいインドでは、糖尿病患者が激増しているそうです。http://dankaisedai.iza.ne.jp/blog/entry/471788/http://www.dm-net.co.jp/calendar/2008/02/006710.php

この問題について、解説する記事は多いのですが、その原因解析はバラバラです。ちょっと見ただけで、下記の通りです。

1.インド人はカレーを食べるから糖尿病になる。

2.インド人はカレーの様に辛いものを食べるから、その分、デザートやお茶は甘くして糖分を過剰に摂取する。

3.インド人は油をたくさん摂取するからだ。

4.インドでは太っている事への嫌悪感がないのが原因。

5.インドでは経済成長によって、移動手段が機械化され、運動不足になった結果、糖尿病になり易くなった。

6.インド人は菜食主義者が多いから糖尿病になりやすい。

7.インド人はもともと民族的に糖尿病になりやすい。

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どれも首を傾げる議論です。ご存知の通り、糖尿病には2種類あり、インスリン依存のⅠ型、非インスリン依存のⅡ型に分かれます。

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食習慣や運動不足が原因ならⅡ型が主体ですが、遺伝的に糖尿病になり易い民族だという説ならⅠ型です。どちらがインドで増えているかといえば、Ⅱ型です。でもカレーを食べたら、糖尿病になるというのは本当でしょうか?もし本当なら大変です。オヒョウはカレーもイワシも肉も好きですから、糖尿病と痛風の両方になりそうです。

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オヒョウは、インド人=カレーというステレオタイプの発想が、このカレーが原因という仮説を生み出しているのではないか?と思います。その証拠にあまりカレーを食べない中国でも、糖尿病が激増しているのです。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0326&f=national_0326_016.shtml 

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人口でも経済成長率でも、世界一を争う、中国とインドで揃って糖尿病が激増しているという点が面白い・・・と思います。そして、両国に共通するのは、ほんの30年前まで餓死者がでていた飢餓の国だった事です。 それが経済発展に伴い、急に飽食の時代に突入したのです。

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どうやらⅡ型の糖尿病については、単純な美食ではなく、かつて飢えていて栄養不足だった人々が急に糖分摂取を増やしたり、高カロリーの食事を摂るようになった時に、増加するようです。インドや、中国の例を見ると、その影響は、2世代に及ぶようです。つまり、親が栄養失調だった場合、子供が糖尿病になるようです。なんとも親の因果が子に報い・・という話ですが、NHKも同じように考えて、飢餓世代の後の子供に糖尿病が多いという説明をしています。

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そして、戦争で一時的に栄養失調を経験した親の子供たちが糖尿病になるという、仮説を説明しています。具体的には、第二次大戦中、深刻な栄養不足に見舞われたオランダの戦後世代で糖尿病が多い事を例にしています。 しかし、オヒョウは個人的には、それだけで戦争中の一時的な飢餓とその後の世代の糖尿病との関係を議論するのは牽強付会ではないかと思います。

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なぜなら、第二次大戦の欧州戦線の食糧不足は、20世紀の戦争飢餓の中では、まだ軽い方であり、もっと広範囲で長期間続いた飢餓について検証しなければ、説得力が無いと思うからです。

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20世紀の戦争で、最も飢餓が著しかったのは、ナイジェリアの内戦です。独立を目指したビアフラ地域が、兵糧攻めにあい、多くの餓死者を出しています。ナイジェリア自体は産油国であり、基本的な生活水準は比較的に高く、内戦終結後は、栄養失調から開放されています。しかし、ビアフラで、その後糖尿病が増加したという報告はありません(報告がないだけ?)。 また第二次世界大戦の飢餓は、ロシア(ソ連)戦線やアジア太平洋戦線の方がひどかったとされています。また枢軸国側の方が連合国側よりひどい飢餓を経験していますが、旧ソ連、ドイツ、日本で、戦後、糖尿病が急増したという報告はありません。 実際には、戦後世代に糖尿病が現れるのは、戦後40年以上経ってからですから、戦時中の食糧不足と糖尿病の関係を検証するのは難しいと、オヒョウは考えます。

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戦争中の一時的な飢餓は除外して、ある国家や民族の栄養状態がよくなったタイミングで、Ⅱ型糖尿病が多発するとするなら、日本の場合、その分岐点は何時だったでしょうか? 日本では江戸時代までは餓死者がでました。 飢饉から開放されたのは明治時代です。その頃に糖尿病が多発した可能性がありますが、資料がありません。当時、糖尿病はあまり知られていなかったようです。一説には、明治天皇崩御の原因も糖尿病だったとされていますが、確証はありません。

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いずれにしても、飢えを経験した親が、子供だけはひもじい思いをさせまい・・と育てた結果が糖尿病なら、これは悲劇です。親の思いはともかく、今のオヒョウが痛風や糖尿病にならないためには、肉、魚、フルーツ、甘いもの、ご飯などの摂取量を減らすしかありません。

そういえば、アメリカの諺にあります。「世の中のすばらしいものとは、全て禁じられているか、不道徳か、食べると体に悪い」


【 子宮頸ガンワクチンは、ガン対策の曙光 】 [医学]

【 子宮頸ガンワクチンは、ガン対策の曙光 】 

栃木県大田原市で女子児童に対する、子宮頸ガンワクチンの一斉接種が始まるそうです。 画期的な事です。評論家は、費用対効果の面で、ガンの予防ワクチンは優れていると絶賛します。

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人の生死にかかわる医療行為に、費用対効果という言葉がなじむとは思えないのですが、確かに医療コスト面でも子宮頸ガンワクチンは優れているそうです。病気に罹ってからの治療に要するコストの事を考えれば、一見高そうに思えるこのワクチンは確かに安価です。

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ガンの制圧は、これまでの内閣のスローガンにもありましたが、まじめに取り組んできたか・・は疑問です。喫煙と発ガンの因果関係が明確なのに、政府はタバコの販売を認めています。せいぜい行政の取り組みというのはガン研究に多くの予算を付ける・・・といった事ですが、その予算がタバコの税金から捻出されているのであれば、こんな皮肉はありません。

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また、政府がガンを制圧すると宣言しても、実際に出来る事は限られています。言うまでもない事ですが、癌の医療は下記の4段階に分かれます。 

1. 予防対策

2. 早期発見のシステム

3. 疾病の根本治療

4. 3.が不可能でも、延命すると同時にQOLを確保する治療 

実際には、医学的に限界があるので、全ての段階で十全な医療行為が可能な訳ではありませんが、患者の幸福度からいっても、社会全体のコスト負担からいっても、可能であるなら、1の予防対策が一番にいいに決まっています。

・・・・・・

その1.の予防対策がいよいよ本格的に行われるのですから、慶賀すべきですが、実は対象が子宮頸ガンであるという事に、いろいろな問題があります。 マスコミの多くは、決してそれに触れませんが、私には気になる点が多くあります。

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1.子宮頸ガンを性行為感染症とみなすべきか?

このガンの多くはヒトパピローマウィルス(HPV)が原因で発症するそうです。そしてHPVは性行為によってパートナーの男性から感染します。今回のワクチン開発で、子宮頸ガンが性病であると認知される可能性があります。

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性行為感染症(性病)は、昔から恥ずかしい病気とされてきました。つまり、社会の道徳規範に則って生活すれば、リスクは小さいはずなのに、その病気に罹ったという事は、本人の自己責任があるのではないか・・という発想です。政府が公費でのワクチン接種に今ひとつ消極的なのは、ひょっとしたらこのせいもあるのかも知れません(穿ち過ぎかも知れませんが)。

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AIDSの場合に見られる様に、性病の患者・感染者は同情の対象以前に、不当な差別・蔑みの対象になる恐れがあります。 そして子宮頸ガン患者が新たに差別の対象になりかねません。

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そしてその事が、病気を隠し予防を難しくさせる事にもつながります。今回、女子児童にワクチンを接種するにあたって、学校は一体どう説明するのでしょうか?

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「このワクチンは君たちが性行為を経験する前に接種せねばならない。中学生になれば、君たちのなかには、経験する人も出てくるだろうから、小学生の内に、接種する必要がある・・・」などと言うのでしょうか?

まさかね。

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2.男性が原因者(加害者)で、感染する女性は被害者か?

受動喫煙の場合と同様に、原因者と被害者(患者)の関係が成立すれば、責任問題が生じます。 本来、予防対策は、男性側がするべきではないのか?という議論です。 また他の性病と同様、病気をうつされた人は、原因者に対して、賠償請求できるかも・・という議論になります。生死にかかわる病気ですから、加害者・被害者という関係ができると、責任問題は深刻です

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3.ワクチン以前にも対策はあったか?HPVが原因であるとすれば、ワクチンよりも素朴な対策が可能です。HPVはスメグマ(恥垢)の中にあり、性器を清潔にすれば、感染被害をある程度防止できます。 男性性器が包茎であればリスクは増大しますし、割礼によって包茎をなくせば、リスクは低下します。実はHPVワクチン開発以前から、宗教的理由で割礼するユダヤ人の間では、子宮頸ガンは少なく、陰茎ガンも少ない事が知られていました。

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何だ、それならワクチン云々以前に、割礼を奨励すればいいではないか・・・という事になりますが、それは簡単ではありません。宗教や民族の習慣にもよりますが、日本ではワクチン以上に難しいでしょう。将来、虫垂炎になる可能性があるから、生まれた時に盲腸を手術して切り取っておこうか・・という発想に近い訳で、現実的ではありません。文化人類学の研究者で、男子や女子の割礼を研究する人はたくさんいますが、ガン予防の観点から割礼を議論した論文を見た経験はありません。(医学論文は別ですが)。

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しかし、包茎は治療すべきもの・・という認識が広がる可能性はあります。 それに子宮頚ガン以前に、陰茎ガンと包茎の関係も明白なのですから。

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発ガンの原因と対策が明白になるのは、結構な事ですが、いらぬ偏見が増えるのは困った事です。将来、若い女性が子宮頸ガンに罹れば、「 あの娘は、男性関係が奔放だったのだろう・・」とか「 ワクチンもうたなかったのかしら 」と噂され、既婚者がこの病気に罹れば、「 ご主人は包茎で、局部を不衛生な状態にしていたのかしら・・ 」と噂されてしまうかも知れません。

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ある医師の言葉では、ガンの医療はこれまで「敗北の医学」または「守りの医学」でした。 しかし、がん予防ワクチンのおかげで「勝利の医学」または「攻めの医学」に転向できます。

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評論家諸氏も 「これを嚆矢にして、他のガンについてもワクチンを開発して欲しい」と言っていますが、同感です。まさに暗かったガンの世界に曙光がさす思いですが、一方でくだらない偏見と戦う必要も生じます。

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もっとも、太古の昔から医療とは迷信や偏見との戦いでもあると、オヒョウは思っていますが・・・。


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