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【 日和見感染 】 [医学]

【 日和見感染 】 

中村勘三郎が死去しました。 私と同世代の男たちもそろそろ向こう側へ渡り始めたということです。 戦中派の人々は同期の友達の訃報が出始めると「至近弾が届き始めた・・・」と言ったそうです。戦後生まれの我々はどう表現すればいいのか・・。

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実は私は彼の歌舞伎があまり好きではありませんでした。死者の悪口を言うようで、気が引けるのですが、彼の歌舞伎はオーソドックスではありません。彼が成功させたというニューヨーク公演もゲテモノでした。そして客席は満席だったというものの観客の多くは日本人であり、アメリカ人に歌舞伎を理解してもらえたとするのは言い過ぎです。それにもし彼のニューヨーク公演を観たアメリカ人が、歌舞伎とはこんなものだ・・と錯覚したなら、罪深いことです。

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もっと言えば、私は歌舞伎全般が嫌いです。嫌いな理由は多々ありますが、ここでその議論はしません。

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歌舞伎であれ、落語であれ、日本の伝統芸能は、型にはまった先人のスタイルを模倣するところから始まります。常に創始者が最高の芸を極めたとされ、後に続く人達は、どこまで究めても、彼に追いつけず、極め尽くせないほど奥が深いのが伝統芸能とされます。現代人はどんなに頑張っても先達には追いつけないのだ・・という考え方は、昔の方を尊いとする一種の下降史観です。

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当然ながら、それに反発する若い人はいて、彼らなりに改革を試みます。改革者には2通りいて、古典を究めた上で実験する人と、古典は最初の部分だけをおさらいし、後は前衛というか、実験に走る人の2種類です。 おそらく18代目の中村勘三郎はどちらかと言えば後者であったのだろう・・と私は思います。 そして歌舞伎界に於いて、彼は最も多くの実験をした先駆者の一人であったと考えます。

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彼が改革者であったことは、それはそれで讃えるべきですが、それは彼の芸が至高であったことを意味しません。亡くなった後の報道を見ると、勘三郎は広い交友関係をもって、人格識見教養とも申し分なく、歌舞伎界の至宝であったことになっていますが、果たしてそうか?

評論家の徳岡孝夫氏は、中村勘三郎(当時は勘九郎)で歌舞伎役者らしいと評価できるのは、その下に膨らんだ頬の形だけだ・・と語っていますが、私も同感です。

彼は、顔だけは歌舞伎役者の顔でした。

なにせ彼の後に登場した、今の海老蔵や中村獅童などは、どこの凶状持ちか?と思う人相ですから・・。

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彼の悪口はそのあたりにして、気になるのは彼の死因です。ARSDとは急性の呼吸困難ですから、それが死因というのは、ちょっと変です。 例えば急性心停止は、死亡そのもので死因ではありえませんが、急性呼吸困難もそれに近い印象があります。

問題は、なぜ呼吸困難になったかです。

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マスコミの報道では、長時間の手術で食道癌を剔抉することに成功したものの、その外科的侵襲による体力の低下や、抗癌剤の影響による免疫力の低下で、日和見感染の肺炎になり、それが悪化して亡くなったとのこと。

よく言われる「癌は完治したけれど、そのために生命を失った」というパターンです。

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私は免疫力の極度の低下で肺炎に罹ったと聞いた時、カリニ肺炎か?と思いました。

しかし、カリニ肺炎は、特殊な真菌に感染した場合の病名であり、日和見感染の肺炎が全てカリニ肺炎という訳ではないそうです。

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勘三郎の病名について、それ以上の詳しい報道はなされておらず、議論することはできないのですが、私が考えたのは、・・「カリニ肺炎という言葉は忌み嫌われ、使われなくなったのかな?」ということです。

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カリニ肺炎は癌の化学療法などでも発生しますが、何と言っても有名なのはHIVに感染してエイズを発症した際に罹ることです。 ですからカリニ肺炎などと言おうものなら、彼はエイズだったのか?と妙な誤解を招くことにもなります。

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病気は須らく災難であり、どの病についても恥じるところは無いのですが、やはりエイズという名前は憚られます。 エイズでないのにエイズと疑われるのは困ったことに違いありません。だから勘三郎の周囲の人々はカリニ肺炎という名前を避けたのか?と私はかんぐったのです。私から見れば、カリニ肺炎だろうと他の感染症であろうと同じ事で、日和見感染という厄介な問題を背負った患者に同情するだけなのですが。

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それにしても、日和見感染というのは不愉快な存在です。

普段は無害のふりをして、何食わぬ顔で人体に寄生しているくせに、いったん宿主の体力が衰えると、ここぞとばかりに暴れまくる病原体ほど卑怯な存在はありません。

人体を蝕む病原体は全て凶悪ですが、日和見感染の病原体くらい凶なるものは無いと私は思います。 それに蝕まれた勘三郎の無念を思います。

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そしてこの卑怯な日和見感染は人体の病気だけではありません。 人々の社会、政治の世界にもあり、そして外交関係にもあります。

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近年、中国、韓国、ロシアが領土問題で強気にでて、日本の国土を脅かし始めていますが、これは畢竟 一種の日和見感染です。

日本の経済力、国力が衰え、相対的に周辺諸国の国力が増したタイミングを見計らって、これまでより尊大で無礼で強引な態度に出てきたのです。 一般に国家間の外交では相応の慇懃さがプロトコルとして求められますが、一旦、日本は組みやすしと判断されると、慇懃さも礼儀も関係ありません。無礼で強引な方が、自国の国内受けが良いと判断されるので、必要以上に日本を貶めようとします。

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日本は単に経済力が衰えただけではありません。 総理大臣がコロコロ代わり、一貫した政策がないこと。 外交には全く素人で、日米関係を損なう一方で、周辺諸国には宥和的な態度を取るしかない民主党政権であることも、つけいらせ、日和見感染を助長する理由です。

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いやしくも、隣国を病原体と同じ扱いにするのは失礼ではないか?という意見もあるでしょうが、外交の世界はえげつないのです。 むしろ挑発と侮辱を繰り返す国々と一緒にしては、真菌やばい菌に失礼というものです。

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ではどうすればいいのか?

国家間の外交問題では、有効な抗生物質もありません。ひたすら体力を養う事が重要ですが、時間がかかります。ここは日米同盟を強化し、さらには、対中国で同じ問題を抱えるアジア諸国との連携を強化することです。それしかありません。

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いわゆる平和主義者“は憲法九条を理由に外国と同盟を組む事や集団的自衛権を行使することに反対しますが、一方で憲法の前文には、諸外国と協力して、外国からの尊敬を得られる国を目指すとなっています。 これは矛盾であり、どちらの考えを取るかを判断せねばなりません。

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ただひとつ言えるのは諸外国から尊敬を得ようとすれば、脅威や挑発に対して毅然とした対応をとることが重要です。同じような問題を抱えた弱小国が勇気を得て、日本を範とするような対応が必要です。 同盟を組むことは、諸外国の尊敬を得る上で有効ではあっても障害にはなりません。

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今、私がいるベトナムは、単純な親日国という訳ではありませんが、中国の脅威に対峙する存在として、日本に親近感を持ち、中国からの圧力に日本がどう対応するかを注視しています。 ベトナムにも中国にも友人がいる私としては複雑な思いですが、ベトナムの日本に対する期待のようなものを感じると、やはり日本は頑張らねば・・と思います。

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日本が中国の圧力に屈し、日和見感染にやられてしまったとなると、これはカリニ肺炎などより遥かに外聞の悪いことになります。

泉下の中村屋も浮かばれないだろう・・と、私は考えます。


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