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【 図式百番 】 [雑学]

【 図式百番 】

 

以前、プロ棋士の誰かが言った言葉ですが、奨励会3段リーグを突破してプロ棋士になった少年を見て、先輩のプロが「この子は将来名人になる」と思った子は、必ず名人になるのだそうです。「この子」あるいは「少年」と表現しましたが、実際のところ将来名人になる天才は、ほとんど10代、それも中学生でプロになっています。まさに「栴檀は双葉より芳し」ですが、そうなると逆のことも考えます。20代になって奨励会の3段リーグを突破してプロになった人は、所詮名人にはなれないのか・・・ということになります。

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それはともかく、彗星のように現れた天才少年藤井聡太四段は、普通に考えて将来の名人・竜王の最有力候補なのに、誰もそれを口にしません。変なプレッシャーになってもいけませんし、彼以外の若手棋士にとっても愉快なことではありませんから、誰もその予想を口にしないのがマナーなのでしょう。 竜王はともかく、名人に挑戦するには、まだ数年はかかるので、今から名人候補とはやし立てるのも無粋です。

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しかし、私オヒョウは敢えて言います。藤井聡太四段はいずれ名人になるであろうし、それに備えて、一つの準備をして欲しい・・と。その準備とは図式百番の復活です。

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図式百番については、内藤国雄九段の解説書などもあるので、詳しくは触れませんが、将棋が家元制で江戸城のお城将棋があったころに、名人の称号を持つ家元が、畢生の作品として完成させ将軍に献上した長手順の詰将棋100問のことです。単に長手順作品というだけでなく、芸術品ともいうべき高度で難解なパズルになっている必要があります。誰でも作れるというものではありません。それを一生かけて100問作成し、自分の詰め将棋研究の集大成にしたわけですが、歴代の名人全員がそれを完成できた訳ではありません。100番揃う前にこの世を去った名人もいます。

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近世の実力名人制になってからは、図式百番に取り組む名人はいません。長くても10数年で世代交代して名人から陥落する現代の仕組みであれば、名人在位中に図式100番を作ることは不可能です。それに実際、大山名人以降、名人は恐ろしく忙しいらしいのです。現役の名人を下りた後の時間を考えても難しそうです。現在、永世名人の資格を持つ人は数人いますが、彼らが図式百番に挑戦しているという話は聞きません。

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将棋と詰将棋では、微妙に求められるセンスが違うようです。詰将棋の造詣が深く、第一人者とされるのは内藤国雄九段ですが、彼はそもそも将棋名人にはなっていませんから、図式百番を編む資格がありません。

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そうなると図式百番を復活できるのは、将来名人になることが確実視される若い人材で、かつ詰将棋が抜群に強い棋士・・・ですから、藤井聡太四段ということになります。

彼が四段デビューした時に、「彼は将来名人になる!」というだけでなく、「彼は名人になって図式百番を復活させる!」と予言できたら素晴らしかったのですが。

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では、なぜ、図式百番の復活を、私は今主張するのか? それは将棋の芸術性をあきらかにするためです。

天才 羽生3冠も、ヒフミンこと加藤1239段も、「プロの棋士が作る棋譜は一種の芸術作品である」と言っています。(アマチュアの棋譜は芸術作品ではないみたいです)。羽生3冠に至っては、世界的なチェスプレーヤーをモーツァルトに例えています。

そこにプロ棋士の矜持というかプライドを感じますが、素人には棋譜の価値はよくわかりません。むしろ詰将棋の方が「作品」としてその価値が分かりやすいのです。

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A級のプロ棋士が激闘するA級順位戦の棋譜よりも、「煙」のように盤面から駒が姿を消していって、最後に詰みあがる詰将棋の方が、その芸術性を理解しやすいのです。まさにアートです。(といってもオヒョウには図式百番は解けませんし、その芸術的価値は分かりませんが・・・)。

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だから、棋譜を芸術作品というのなら、難解な詰将棋作品で、芸術を作成してくださいと、天才棋士集団に申し上げたい。

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でもね、藤井少年が一生をかけて、図式百番をこしらえても、コンピューターのポナンザは一瞬で解いてしまうのでしょうね。 詰将棋のプログラムのアルゴリズムは、通常の将棋ソフトとは違います。すべての手順をシラミツブシで追いかけることが可能なので、人よりはるかに高速で正解にたどり着いてしまうのです。それどころか、瞬きする間に、「図式千番」を作り上げてしまうかも知れません。

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コンピューターの世界には似たエピソードがあります。かつて数学者ルドルフなどが一生をかけて計算した円周率の桁数を、コンピューターは一瞬で計算してしまいました。円周率を手計算で追究していた研究者の努力は全く無になってしまいました。

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せっかく人間が詰将棋を研究して製作しても、その努力はコンピューターによって無になってしまいます。だから、コンピューターがでしゃばる前に、人間によって数学的芸術である図式百番を完成させて欲しい・・と私は思います。

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人間の棋士が天才的能力を発揮できる期間は限られています。しかし、棋譜や詰将棋は長期間残ります。 図式百番は歴史に残ります。

まさに “Art is long, Life is short.”です。

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もっとも、この諺の解釈には複数あります。 

奥深い芸術を極めるには人生はあまりに短いという解釈もあります。

「将棋の神様、囲碁の神様の足元にも、我々は及ばない・・」と藤沢秀行は語っています。天才棋士が頑張っても、一生の期間ではその研究は完了しないのです。しかし高性能なコンピューターを使えば、将棋の神様に近づけます。遠い将来、将棋が先手必勝のゲームでその必勝手順が判明するかも知れません。その時は新しい諺の誕生です。

“Art is long for human life, but it is not so long for Artificial Intelligence.”

その前に、藤井少年、どうか頑張ってください。

 

そして、もうひとつ、藤井システムの創始者である藤井猛九段のこともたまには思い出してあげてください。


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