【 事故と管理者責任 その3 】 [鉄道]
【 事故と管理者責任 その3 】
現場で事故が発生した場合、オペレーターが刑事罰の対象となり、経営トップは罪に問われない・・という実態には、幾つかの問題があります。
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まず、オペレーターに刑事責任を問うという点に異を唱える人は多くいます。その代表は、ノンフィクション作家の柳田邦夫です。彼は事故の責任をオペレーターに負わせることに反対です。その理由は、
1.刑事責任を前提に調査したのでは、本人から真実を聞けない可能性がある。
証言者に オペレーターは免責にすべきだ。
2.オペレーターは使用人として与えられた業務を行っているだけで、その責任は有限であるべき。特に最善を尽くしてもなお事故が防げなかった場合などに、過重な責任を負担させるのは不合理。
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一方で、刑事責任が及ばない経営者レベルはどうなのか?という問題があります。
経営者はそれなりに責任を取っている・・という意見もあります。 前回、ご紹介した三河島事故とそれに続いた鶴見事故では、十河信二国鉄総裁が引責辞任しています。かれは下山初代総裁に並ぶ国鉄広軌論者で、東海道新幹線の開通に心血を注いだ人物です。 しかし、2つの大事故のために、昭和39年の開通の直前に引退したのです。
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開通記念式典のパーティの片隅でひとりポツンの立っていた十河氏を誰かが見つけ、中央に引っ張り出しました。十河氏は「私は晴れがましい舞台に立つ訳にはいかないのだ」と固辞しますが、「何を言うんだ。新幹線はあんたが作ったようなものじゃないか」と周囲が言葉を掛けて祝福したという話が、あります。
私はこの話を顧問として住友金属に迎えられた島技師から聞いた記憶があります。
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実は、磯崎総裁も、北陸トンネル列車火災事故の後、辞職しています。表向きはマル生運動の失敗と組合対策の不首尾の責任を取って・・となっていますが、本当は大事故の責任をとっての辞職です。
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それに比べると、分割民営化後のJR西日本の経営者は、潔さに欠けます。信楽高原鉄道の事故ではお咎めなしですし、福知山線の脱線事故では、経営者達は降格処分を受けたものの、JRを辞めてはいません。 私はもっと厳しい責任の取り方を検討すべきだと思います。
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具体的には、JR退職と同時に、ほぼ全資産を賠償に充て、余生を送るには生活保護が必要なレベルまで供出してもらいます。そして公民権は残しますが、要職には10年以上就けないくらいのペナルティが必要です。
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これは経営者をいじめようという発想ではなく、そのくらいにしないと、経営者は真剣に安全対策に取り組まないのではないか?という危惧を持つからです。
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現在、責任を一身に負っている現場のオペレーター(運転士や操作者)の責任を軽くし、故意による事故などよほど悪質な例を除き、刑事責任を問わないようにし、一方で経営者に対する処罰を厳しくするべき・・・・。
柳田邦夫氏や私だけでなく、多くの人がそう思い、時代の流れはその方向で動いています。
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今年は福島第一原発の事故について、注意義務を怠った東京電力の歴代社長の刑事責任について最終結論が出ます。 彼らには、昨年検察審査会により起訴相当との判断が下っており、強制起訴されていました。 その裁判の判決が予想されるのです。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/31/tepco-fukushima-nuclear-power-_n_5636648.html
こちらは製鉄所や鉄道の事故と違い、国策として原子力を推進した経緯、大規模な地震と津波の予測可能性、原子炉爆発による直接の死者がないこと、原発反対派の主張に多分に政治色があること、被害額が桁違いに大きいこと・・等、考慮すべき事情が多く、非常に複雑で同列に論じることはできません。
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しかし、経営者としての責任の取り方という点では、共通するものがあり、技術論とは別に、経営者とはいかにあるべきかを問う事案です。 日本全体のコモンセンスがどの方角に向かうかを、東電の旧経営者への判決で判断できると私は思います。
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製鉄会社も鉄道も電力会社も、経営者は事故の持つ重みをもっと感じて欲しい・・・それが私の率直な考えです。
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