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【 転失気 について考える その1 】 [医学]

【 転失気 について考える その1 】

 

先日、5年ぶりの大腸内視鏡検査を受けました。レガシーというか、前回受診したクリニックで検査を受けるのが良かろうと思い、今回も東京駅の横のクリニックで前回と同じ先生にお願いしました。

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内視鏡と一緒に相当量のガスを腸内に送り込み、おなかはカエルのそれのように膨らみます。鏡はないけれど、もしあれば、自己嫌悪に陥る見苦しい様であったに違いありません。筑波山のガマガエルなら脂汗を流すところです。

3人の看護師が私のおなかをさすりながら、「苦しかったらガスを出してください」と声をかけてきます。しかし、なぜかおならは出ません。若い女性4人を前にしておならをすることに無意識に抵抗があるのか、出口を内視鏡に塞がれているためか、よく分かりませんが。

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以前も思ったのですが、放屁は何時から羞恥の対象となったのか?と考えます。日本の場合、少なくとも江戸時代以前からです。

誹風柳多留には「嫁の屁は五臓六腑をかけめぐり」 という川柳があります。当時から、放屁が人を憚るものであったことは間違いありません。とりわけ、嫁ぎ先でおならをするなど、若い女性には堪えられないことで、おならを我慢するのに苦しんだのだろうと推測されます。人々は文化的になった結果、おならを慎むようになったのかも知れません。だとしたら不自由なことです。

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かつてオランダでは国王がおなら解禁令を出し、フォーマルな席でもおならをしてよいことになったそうです。つまり、何時でもどこでも、おならをしてよいことになり、国民はその結果、大変健康になったとのことです。(本当かね?)

後述しますが、おならを我慢した場合、いずれガスは体内に吸収されるようです。おならに含まれる成分は、食べ物と一緒に飲み込む空気(窒素と酸素)、消化器官での発酵によるメタン、CO2、硫化水素、インドールやスカトールなどです。硫化水素やインドール、スカトールが体内に吸収されれば、健康にいいとは思えませんが、体内にそれほど強力な毒ガスがあるとも思えません。オランダでおならを解禁した結果、国民が健康になったというのは、ストレスから解放された精神衛生面に拠る部分が大きいのではないか?・・・・。おならを待ちながらそんなことを考えます。

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「ご気分はいかがですか?」とC医師。抜群の記憶力を誇る読者諸兄であれば、前回も同じ質問をされた私が「ドジョウになった気分です」と答えたことをご記憶かも知れません。今回はドジョウでもカエルでもなく、インド象になった気分でした。

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東武動物園の名物園長であった西山登志雄氏は、動物園日記を残していますが、その中に便秘になったインド象の話がでてきます。

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象用の浣腸液などありませんから大量の石鹼水をバケツに用意し、それを獣医師がサイホンの原理でゴムホースを通して肛門に注ぎ込みます。一方で数人の飼育係が象のおなかの下に入り、全力で腹をマッサージする訳です。やがて雷鳴かと思う大きな音とともにガスが放出され、それと同時に大量の排泄物が、あわれな飼育係たちの頭上に降り注いだとのことです。

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考えてみれば、象のおなかの下に入って刺激するというのは大変危険な作業です。浣腸で排泄物を浴びただけで済んだのは幸運だったのかも・・・。

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「うーむ、なかなか屁が出ません」と言おうとして、一瞬私は迷いました。若い上品な女性達を前にして、「屁」だの「おなら」だのという下品な言葉を言うのは失礼ではないか?そこで私は消え入るような声で「テンシキが出ません」と答えました。「テンシキ?」

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古典落語の傑作「転失気」は、気取った言い回しが誤解されドタバタを招くというストーリーです。無粋を承知でそのあらすじを述べれば・・・・・、

和尚を診察した医師が、「おならは出ますか?」と尋ねるところで、「テンシキはありますか?」と尋ねました。相手がインテリで上品な僧侶なので、「屁」だの「おなら」だのというのをためらい、難しい表現である「転失気」を用いたのです。しかし、和尚はその意味を知らず、こっそり小僧に調べさせます。すぐに屁の意味だと分かりますが、それを和尚は屁ではなく瓶(へい)だと勘違いして、またそこで滑稽なやりとりになって大爆笑するという噺です。

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古典落語の主要なテーマのひとつはインテリと非インテリの対峙です。普通はインテリの代表は大家さん、非インテリの代表は八つぁん熊さんですが、「転失気」では両方ともインテリです。そして、知ったかぶりを茶化すことで、インテリを嗤ってやろうという趣向です。その複雑なテーマを「転失気」というわずか一つの単語に凝縮した作家は見事です。

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この構図は、古典落語をおおいに参考にした映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんにも登場します。この作品の初期のテーマの一つはインテリと非インテリの対立です。作品の中に小林桂樹扮する考古学者と、渥美清の寅さんが、樫山文枝を争って恋のさや当てをする話があります。相手がインテリだと判ると、反射的に拒絶反応と対抗意識を示す寅さんは、相手の知識を試そうとします。そこで「屁のことを英語で何て言うんだい?」と尋ねます。例えとして下品な言葉しか思い浮かばないところに非インテリの悲しさがある・・と山田監督は思ったのかも知れません。

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しかし、小林桂樹は「英語ではファーだ。中国語ならピーだ。ドイツ語なら、フランス語なら・・・」と説明し「どうだ参ったか?」と寅さんをやり込めます。

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寅さんはグウの音も出ませんが、見ている人には小林桂樹の方が大人気ない・・と映ります。インテリは同情されないのです。おならという意味の外国語を知っていても、果たして自慢になるものか?

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検査は終わりましたが、おなかは膨満感があるままです。おなら、もとい「転失気」は出ません。休憩の椅子にいると、そこに看護師が現れました。

 

以下、次号


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