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【 人望論 】 [雑学]

【 人望論 】

昭和の論客の一人だった山本七平の本が書店にあり、題名を見れば「人望の研究」とあります。面白そうなので買って読んでみたら、なるほど・・というか、今も昔も変わらぬ問題について解説してあります。彼は、日本社会特有の、曰く言い難いファジイな現象や特性を抉り出すことに優れていました。 彼を有名にした「日本人とユダヤ人」では、ユダヤ人との比較論で、日本人と日本社会の特性を鋭く描いています。

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凡百の日本人論は、西欧と比べて、だから日本はだめなのだ・・と貶すか、逆に日本はこんなに素晴らしいのだ・・と持ち上げるかのどちらかで、冷静に客観的に眺める評論は少ないように思われます。しかし彼の意見は常に客観的で、着眼点も独特です。「空気の研究」では、戦艦大和を無謀な特攻に行かせたのは、「空気」だ・・という、面白い解釈をしています。

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彼が今回研究した「人望」という概念も、曖昧模糊として、よく分からない存在ですが、実は日本の社会で重要な意味を持つ存在だ・・という彼の指摘には納得させられます。

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出世競争に参加する人も参加しない人も、集団の中で暮らす限り、人望の有無は重要です。 人物を評価する場合、客観的な試験で点数を付け、人に序列を付けるのはせいぜい20代の半ばまでです。 それ以降の評価は、もっと曖昧なもので決まります。 そこで決定的な意味を持つのは人望の有無です。山本七平も書いていますが、人望の有無はしばしばマイナス評価の際に議論され、「彼には人望が無いからな」の一言は、その人の全人格と能力を否定し、将来を閉ざす事になります。

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では日本社会では人望のある人が上に行き、リーダーとなるのか?と言えばそうでもありません。 逆に人望のある人が上に行けば、その組織は成功するのか?と言えば、これもそうとは限りません。 具体例を挙げれば枚挙に暇がありませんが、人望があるリーダーの元で成功した・・という例は、むしろ少数派かも知れません。豊臣秀吉などは文句なく人望があって成功もした例ですが、西郷隆盛などは人望がありましたが、挫折しました。

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以上は日本の場合ですが、外国でも人望の有無はリーダーを選ぶ際に最も重要なポイントとなります。 そしてリーダーは人望を失った瞬間に、その地位を追われます。

端的な例は、韓国の朴槿恵大統領です。全ての国民が、自分達の投票で選んだ大統領である彼女を悪し様に罵り怒っています。

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自分達が選んだのだから、自分達にも責任があるだろうし、そこまで非難するというのは天に唾することにならないか?と私などは思うのですが、この問題が選挙権を行使した国民の責任論に至らないところが、この国の民主主義の限界かも知れません。

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一方で、米国ではあまり人望があるとは思えない人物が大統領に就きます。私の独断と偏見で言えば、過去に選挙で選ばれた大統領の中では最も人望のない人物かも知れません。 しかし、そのトランプ氏も選挙で選ばれたのですから、相当の支持者はいて、人気はあるのでしょう。しかし、果たして人望はどうなのか?人気と人望は違います。在任中に、彼の人気を人望に転換できるか否かで、トランプ氏の鼎の軽重が問われることになります。 

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では人気と人望はどう違うのか? どちらも抽象的で曖昧ですから、明確に定義して比較することはできません。 しかし、私の解釈は以下の通りです。

人望:周囲からその人の人格が尊敬され能力が信用された時に得られるもの。

彼の下で働きたいとか、彼をリーダーにしたい・・と思わせる何か。

基本的には損得勘定や打算は抜き。

人気:好意的な感情には違いないが、人望より浅い感情。

しばしば打算や損得勘定も影響する。

その人の思想や人格に敬服する・・といった深い理解は前提としない。

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民主主義が未熟な国で選挙をすれば、人望よりも人気で票が集まります。いえ、外国のこととは限りません。 日本も同じです。 参議院選挙でも、政策も公約も持たない知名度だけのタレント議員が多数当選しています。

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そして民主主義の成熟した国でも成熟していない国でも、しばしば大衆受けを狙った人気取りの政策が行われます。それらはポピュリズムの現れですが、人気取りの政策では、文字通り人気は得られますが、人望は得られません。

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では人望が全てか?といえば、そうでない場合もあります。

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かつて日本では、人望を超越した存在として天皇が存在しました。

「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と明治憲法にありますが、現人神であれば、人望だの親近感とは無縁で、ひたすら畏れ崇める対象とでした。

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しかし、その天皇陛下も人間宣言をして、国家の象徴ということになれば、人々から親しまれる存在に変貌します。今上天皇が口にされる「国民とともにある皇室」は、もはや単に君臨する存在ではなく、国民からの信頼と人望がなくては皇室も天皇も存在しえないという意味だと思います。

これは日本だけではありません。日本とは全く形態が異なるので、単純比較はできませんが、英国の王室も同じようなものです。 国民から親しまれ、支持されなければ、存立しえない存在です。

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昭和天皇は、その公平無私なお考えと謹厳さゆえに国民から尊敬され、“人望”がありました。 タイのプミポン前国王も似ているかも知れません。 

今の天皇陛下と皇后陛下も、“人望”という点では問題ないでしょう。多くの国民から敬慕の念を持たれています。

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しかし、その後の世代が少し心配です。今の皇太子殿下と皇太子妃殿下が天皇と皇后に就かれた際、これまでと同じように、国民から敬慕の念、或は“人望”を得られるか、甚だ心配なのです。 

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今の皇太子殿下は皇太子妃の雅子さんにプロポーズする際、「あなたを守ります」と約束したそうです。 彼女を一体何から守るのでしょうか? まさか国民から?

彼が守るべきは国民であり、国の社稷であるはずですが、優先順位は雅子さんの方が上なのか?

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そして問題は皇太子妃の方です。彼女に皇后として国母になる覚悟があるか?という点が問題です。民間出身で皇太子妃となった今の皇后陛下には、ある種の覚悟“がおありでした。嫁いだ後は、一度も実家の正田家に里帰りされていません。

無論、ご病気という事情もありますが、雅子さんからは、その“覚悟”が感じられません。 しかし人望を勝ち得るにはその“覚悟”が必要なのです。

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今、世の中は、今上天皇のご高齢と健康に配慮して、生前退位の検討が進み、元号も変えようという話になっています。しかし、本当に重要なのは、これから国父・国母と仰ぐ方々に“覚悟”があるかどうかであり、国民からの人望が得られるか否か・・・だと思います。


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