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【 産業の老いる日 その2 】 [鉄鋼]

【 産業の老いる日 その2 】

その現象は、まず大学のキャンパスで、あるいは高校の教室で起こります。 最初に学生や生徒が、自分の専攻分野として、鉄鋼・冶金・金属を選ばなくなります。 それから10年、20年後に、その分野での研究成果が減っていきます。学会が盛り上がらなくなります。 同時期に各企業の設備投資や研究開発費が減っていきます。 最後に企業の利益が減り、産業全体の規模が縮小していきます。米国ではその現象が起こりました。

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米国ではかなり前から、優秀な学生が鉄鋼業界に集まらなくなっています。30年ほど前に聞いた話ですが、エリート中のエリートとも言えるハーバード大学ビジネススクールを卒業したMBAの新人は、当時大会社であったUSスチールに誰も入らなかったのです。 

では理工系の学生達はどこへ行ったのか? IT業界でベンチャーを立ち上げたり、金融の世界に入る人もいます。 そして医学部へ進み医師になる人も多くいます。実際に物を作る機械や材料の分野は・・・あまり人気がありません。アメリカにも3Kの業界を嫌う傾向があるようです。

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一方、泥臭い技術の塊りである鉄鋼業界の方も、逆に学校秀才を敬遠したようです。ニューコアの創業者で伝説的な経営者であるケン・アイバーソンは、その自叙伝の中で、ニューコアとMBAとの相性が良くない・・と語っています。ものづくりの原点から離れたところで勉強した秀才は、製鉄所には不向きだったというのです。

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実は同じことが、大手高炉メーカーだったLTVでもありました。外からスカウトしたMBAは製品の値上げで、短期的に収益を上げることはできても、長期的な視野で製造業のビジョンを描けなかったのです。四半期毎の決算報告で瞬間的に良い数値を出せても、産業全体を見渡したり、長期的な計画を立てることができませんでした。

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アメリカの製鉄会社は研究開発部門を閉鎖し、そこにいた優秀な研究者は大学の教授に転じました。しかし、そこで研究が継続した訳ではありません。カーネギーメロン大学でもピッツバーグ大学でも、イリノイ大学でも、研究のスポンサーは製鉄会社です。産業の縮小は大学の研究にも影響を与えました。 そしてその大学の研究室で実験をして論文を書いていたのは、もっぱらアジアからの留学生です。彼らは研究がまとまると母国に帰ってしまい、米国での研究は、教授の引退とともに途絶えてしまいます。

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私は、自分でいうのもおこがましいですが、20年ほど前、重厚長大産業の衰退を米国と英国で見てきました。閉鎖されて錆びついた製鉄所、従業員の過半数がリストラされ、ガランとした厚板工場の事務所。閉鎖され、窓ガラスが割れた製鉄会社の研究所の建物。

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アメリカの現状は厳しい・・。20年ほど前、そう考えた私は、学会でシカゴに来られた京都大学のM教授にそのことを訴えました。M教授はマルテンサイト変態の研究で知られる気鋭の研究者でした。その後、住金の顧問や鉄鋼協会の会長も経験されています。

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シカゴのステーキハウスで夕食を取りながら、私は

M先生、米国の鉄鋼業は衰退の傾向にあります。まず若い人が鉄鋼業界を目指さなくなり、それが時間差を置いて、ボディーブローのように鉄鋼業の弱体化を招いています」 と言いますと、M教授は、

「それはね、日本でも起こりつつある問題だよ。まだまだ日本の鉄鋼各社は元気で、研究開発も盛んにおこなわれ、世界の鉄鋼業界をリードする立場にあるけれど、若い学生たちに、金属・冶金・鉄鋼の人気が無くなってきている。米国の現象と同じように、時間差を置いて、将来、鉄鋼業全体で、研究開発の低迷や、世界での日本鉄鋼業の地位の低下が懸念されるよ」

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京都大学のM先生は、その状況をひしひしと感じて危機感を持たれていました。

京都大学の工学部で、入学試験の合格ラインが低いのは金属工学科でした。東京大学の理科一類からの進学先で、金属工学科は早くから「底なし」でした。つまり、定員割れをきたし、成績順で選んだ場合、誰でも入れるという状態でした。

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M先生は 「だから学科名から、金属だの冶金だのという名前を廃して、材料工学とかマテリアル工学という名前にして、研究対象を広げたり、視点を変えたりしているのだけれど、あまり効果はないのだよ」

私は 「どうも金属とか冶金というと、実験はきついし、あまりスマートではないし、学生に敬遠されるのですね。 私の友人などは、長時間かかる平衡実験のために寝袋を抱えて、実験室に泊まり込む冶金の学生を揶揄して、『彼らは冶金専門で鉄屋を目指すと言うけれど、本当は夜勤専門で徹夜を目指しているのさ』と言っていましたよ」

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M先生は、「いや言葉遊びの問題ではない。僕だって、学科の名前を変えたところで、それで希望する学生が増えるなどとは考えていない。本当は金属学の面白しさと奥深さを学生や生徒に説明して理解してもらう事が重要なのだが・・・・。実験が大変なのは、理工系ならどの分野でも同じだよ。 根気と辛抱が必要なのはどの学問も同じだよ。でも、このまま金属・冶金を希望する学生が減っていったら、大学の研究室は外国からの留学生ばかりになってしまうね」と語って、肉の塊をパクリと口に入れました。

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実はこの問題は、金属・冶金だけの問題ではありません。日本では、理科系の大学を目指す高校生が減りつつあります。その理科系の学部でも人気のある医学部や、理学部、農学部に比べて、工学部の人気は低落傾向にあるそうです。

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理科系に進んだ、私の愚息二人を引き合いに出すのも、おこがましいのですが、一人は農学部、一人は理学部に入り、工学部には行きませんでした。

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今、日本鉄鋼協会の雑誌「鉄と鋼」や「ふぇらむ」を読むと、日本の金属学や鉄鋼の研究は、依然盛んです。 私が言うのも生意気ですが、研究レベルが低下しているとは思えません。 でも、1980年代のように革新的な技術が次々に出現する時代でもなさそうです。そして大学の研究室を覗くと、昔、米国の大学で見た景色と同じで、そこでは多くの留学生が活躍しています。 M教授が予測した通りです。

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強い既視感を感じながら、M教授の言葉を思い出します。

「本当は、金属学の面白しさと奥深さを学生や生徒に説明して理解してもらう事が重要なのだが・・・・」。

日本の鉄鋼業が、米国や英国の鉄鋼業の轍を踏まないために、行うべき事は多くありますが、時間的余裕はあまり無い・・・・。私はそう思います。


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