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【 ルパシカ その1 】 [雑学]

【 ルパシカ その1 】

朝の連続TVドラマをブログに取り上げるのは、あまり気が進みません。なぜなら、多くの優秀なブロガーやツィッター利用者が、秀逸のドラマ評論をインターネット上に開示されているので、私ごときがコメントすることなど全く無いからです。

特にエキレビに書かれている木俣冬さんのエッセイは秀逸です。

http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20160913/E1473697713757.html

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それらの評論と、笑うオヒョウを比較されると、私のブログの幼稚さが思い知らされ、落ち込みます。それでも敢えて今回は書きます。 NHKの「とと姉ちゃん」には全くじれったくなるのです。

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なぜ、主人公 小橋常子と星野は結ばれないのか? あんなにお似合いのカップルは無いじゃないか?二人とも愛し合っているし、二人の子供も常子を慕っているし、周囲の全ての人々は、二人を暖かく見守り、二人が結ばれることを願っています。反対する人、邪魔をする人は一人もいないし、障害なんてどこにもありません。

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子供のいる男やもめが再婚する場合、最大の問題は、継母と継子の関係がうまくいくかです。 でも幼い子供達にはやっぱり母親がいた方がいい。 その難しい条件にぴったりと当て嵌まる女性など滅多にいないのが現実の世界なのに、ドラマの世界にはいます。それなのに、二人は結ばれず、星野は名古屋に転勤します。

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視聴者の誰もが、ふたりの結婚を期待しますが、それがうまくいかないのです。この種のフラストレーションが溜まる恋愛ドラマを、私は「君の名は」コンプレックスと呼びます。勿論、新海誠の作品ではなく、ドラマの中で常にすれ違いが続いた菊田一夫作品の方です。

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モデルとなった大橋鎮子女史は生涯独身だったことは知られていますから、予想はつくのですが、常子と星野が結ばれないことについては、何で?という疑問が残ります。 昭和の時代、働く女性は結婚か仕事かの二者択一を迫られる理不尽な環境にあったのだ・・と訴えたいのか、それとも主人公の生き甲斐である雑誌の発行は、恋愛や結婚にも優るのだ・・と訴えたいのか?

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しかし、小生、主人公の小橋常子が静かに泣くところを見るのが辛いのです。高畑充希はほぼ無表情のまま涙を流すのですが、彼女は泣く演技が上手な女優だと思います。

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一方で唐沢寿明の花山・・・これはどうもいけません。 個性的なキャラクターを必死に演じているのでしょうが、どうも薄っぺらに思えてなりません。 上に立つ男性が、笑顔を見せず、常にどなっていれば、大物に見える・・・訳ではありません。

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主人公の常子が、商品テストを続けると宣言した時に、唐沢は「鳥肌が立った」と、その感動ぶりを説明しますが、これが最初に引っかかります。

今でこそ、「鳥肌が立つ」というのは、感動した時、魂を揺さぶられた時のポジティブな意味でも使われますが、以前は、おぞましいものを見た時、恐ろしい経験をした時のおののく様子を表す言葉でした。例えば、大きなクモがゴキブリを食べているところを目撃した時の形容詞です。ちなみに関西では鳥肌ではなくサブイボと表現します。

はるき悦巳の漫画「じゃりン子チエ」では、ガラスを爪で引っ掻く音を、サブイボの出る音・・と表現しています。

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「とと姉ちゃん」の時代には、「鳥肌が立つ」とは不快な事を形容するネガティブな意味しかなかったのに、脚本家も唐沢もそのことには無頓着です。誰も気づかないのか?

そして、もっと無頓着なのは、彼が着るルパシカです。これには何の意味があるのか?

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モデルとなった花森安治に奇妙な趣味があり、スカートを着用したり、女性のヘアスタイルをしたりというのは有名な逸話ですが、それが女性読者の心理を研究するためだったのか、それとも倒錯的な趣味によるものかは知りません。しかし唐沢寿明に毎回スカートを穿かせるわけにも行かず、スカート着用は1回だけで、それ以外はなるべく奇抜な衣装を・・ということで、ロシアのルパシカを着せたりしています。しかしこれはどうなのか?

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ルパシカの着用には他の服装とは違う意味があります。木俣さんは確かトルストイ主義者・という言い方をしていましたが、その通りです。ロシア文学にあこがれたり、マルクス・レーニン主義に共鳴した人達の、一種の記号がルパシカです。

昭和30年代、それらの人達は、ウクレレよりバラライカを好み、歌声喫茶ではロシア民謡を歌い、そしてサモワールで沸かしたお湯でジャムの入ったお茶を飲んでいました。 加藤登紀子が若かった頃です。

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戦前の話ですが、劇作家の菊田一夫がルパシカを愛用していたところ、先輩の北條秀司(だったかサトウ・ハチローだったか)に、「服装ばっかり気取っていてもだめだ。ちゃんとした考えが無ければ意味がない」と諭され、目が覚めた・・と語っています。

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つまり、明確な思想的背景や思い入れもなしに、ルパシカだけ着用するのは不可・・ということです。花森安治に、その種の(マルクス・レーニン主義に傾倒する)思想や、ロシア文化を愛する考えがあったとは聞いていません。

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NHKの演出家がルパシカを選んだ理由は何なのか? 理解できません。

そして、もっと言えば、マスコミの姿勢が問題です。常子は「あなたの暮らし」は、何者かと戦う・・と主張します。 おそらくは不良品を世の中に出す悪徳メーカーと戦うというものでしょうが、それは危なくないでしょうか?

マスコミが、何かと戦ったり、正義を振りかざすのは甚だ危ういのです。

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かつて毎日新聞は、中国大陸で100人斬りを争う2人の将校を英雄として報道しました。少しでも鉄を知る人なら、1振の日本刀で100人を斬れる訳はないと思うのですが・・・。この捏造記事の結果、その2人の将校だけでなく、日本人全体が野蛮な民族としてレッテルを貼られ、中国の国民にも無用な悲しみと屈辱感をもたらすことになりました。 朝日新聞は、日本軍が韓国済州島で娘狩りを行い、何万人もの若い女性を強制的に従軍慰安婦にしたという捏造記事をだしました。その一方で、北朝鮮による拉致を否定し、カンボジアでのポルポトの虐殺を否定しました。中国の文化大革命をいまだに礼賛している新聞です。 どの記事も正義感旺盛な記者が書いたものです。

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ペンの力で悪と戦い正義を貫く と新聞やその他のマスコミが主張する時に限って、この種の捏造記事が登場します。 「あなたの暮らし」は自分達の商品試験結果は正しいと胸を張りますが、その試験方法は全く杜撰です。 大量の工業製品から抜き取りで試験品を選び、複数の集団の差異の有無を検定するには、F検定などの手続きを行いますが、サンプリングすべき個体数などは数学的に決められます。

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何万台も製造される電気製品の評価試験をたった数台のサンプルで評価することは可能なのか? そこを押さえておかなければ、得られた結果の尤もらしさ(尤度)が保証されません。また工業製品の品質や性能には、個体差に基づくものと、設計や製造方法に起因し全個体に共通のものの2種類があります。それをどう判別すべきか?

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その辺りの議論が「とと姉ちゃん」のドラマでは欠落していますが、本当の「暮らしの手帖」でも欠落していました。本物の花森安治も多分、統計学について学んでいなかったものと思います。 

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しかし、「暮らしの手帖」の本当の問題は別のところにあります。仮に試験結果に誤りがなかったとしても、それをそのまま開示することが正義であり、正しいとは限りません。社会的背景を考慮して判断してこそ、はじめて正しい記事となります。

一体、何を言いたいのかって? それについては、次回、ご説明いたします。


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