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【 マツダランプの謎 】 [雑学]

【 マツダランプの謎 】

中国に暮らした頃、電球の寿命が短いのに悩みました。取り替えたばかりなのにすぐ切れますし、ひどいのになると、最初から球が切れていました。誰も電球を信頼せず、なんと電器店やスーパーのレジには、購入する前に電球が灯るかどうかを試す台がありました。

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それに比べると日本の電球は優秀だなぁ・・なんて思いましたが、既に日本では蛍光灯が圧倒的で、白熱灯は減っていました。その蛍光灯も今はLEDに主役の座を譲りつつありますが・・・。

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電球の寿命を考えた場合、良品の寿命はt-分布曲線に沿った分布を示します。寿命を規定するのは、フィラメントに用いるタングステン線の径が一定で介在物が無いこと、フィラメントは正確な2重螺旋形状を呈すること、架台となるモリブデン線の径や接着が正確で、しっかり固定してあること、封入してあるアルゴンガスの気圧が正確で、不純物としての窒素や酸素の分圧が低いこと等、多岐にわたります。勿論、電球側の事情だけでなく、電力側も電圧と周波数が正確かつ一定であることが求められますし、頻繁にON/OFFをするかも重要な因子です。

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電球の品質を調査した「暮らしの手帖」がどこまで踏み込んだ商品試験をしたかを知りませんが、日本の電球の品質は戦前から優れていたそうです。 それはマツダランプのお陰です。 私の子供の頃、電球の底のスリガラスには「マツダ」とカタカナで書かれていました。

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その「マツダ」を見ていた私に、母が不思議な話をしてくれました。それは「ユダヤ禍の世界」という奇書の話です。 第二次世界大戦の前、日本がナチスドイツと友好な関係にあり、日独伊三国同盟を結ぼうかという時です。 どこの国にも政府の権力に阿ろう(おもねろう)とする学者がいるものです。それを後に吉田茂は「曲学阿世の徒」と呼びましたが、その曲学阿世の学者が、反ユダヤ主義についての本を著しました。

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この本はナチスの反ユダヤ主義に迎合するもので、日本の政府にとっても都合のいい主張でした。この本には、どの世界にもユダヤ人の陰謀が潜んでおり、密かにその国の経済を乗っ取ろう・・としていると書かれていたのです。

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その本の中で、一例としてマツダランプが取り上げられていました。

「これは、あたかも日本人の松田さんが経営する会社の製品のように見えるが、さにあらず。マツダはゾロアスター教の光の神であるMAZDA神に由来する。 そのメーカーの経営者はユダヤ人であり、外国資本の会社なのに、あたかも日本の会社を装って、日本の電球市場を牛耳っているのだ」 と書いてあったそうです。

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このユダヤ陰謀論には、びっくりです。大人になってから調べてみると、最初にマツダランプを始めた人がユダヤ人か否かは不明でしたが、これはGEのブランドであり、日本では長らく東芝がそのライセンスを受け取って生産していたとのこと(他の企業がマツダランプの商標を用いたこともあるらしい)

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つまりGEのマツダブランドは、海外の企業も使えたのですが、高級・高品質な製品にのみ与えられ、品質は保証されていたそうです。 何のことはない、東芝の電球だったのですが、マツダブランドが日本のものではなく、「松田」と紛らわしいのは事実でした。やがて東芝は、Toshibaと筆記体でロゴを入れるようになりました。

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その後、広島の東洋工業がマツダに社名を変え、ローマ字表記をmazdaにした際、CMで「ゾロアスター教の光の神・・・」と説明しているのを聞いて、私は思わず苦笑いしました。

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それはともかく、電球は品質管理が難しく、ある意味でその国の工業技術の水準を評価するバロメーターになりえました。 その中で日本の電球は優秀でした。 米国でゴルフをして、ひどいスコアを出してしまうと、上司から米国製の100Wの電球をプレゼントされました。 そしてその時のスピーチは、

「米国の電球はよく切れる。 君も早く100を切るように・・ということで100Wの電球をあげよう」

私などは、「早く100を切るように・・・というのは体重のことですか?」とまぜっかえしてしまいそうですが。

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しかし、時代はソリッドステートです。ガラス管の電気部品(タマ)はいたるところで姿を消しつつあります。アンプに用いた真空管はトランジスターになり、TVのブラウン管は液晶パネルになり、電灯もLEDライトになりつつあります。TVカメラの撮像管はCCDやイメージセンサーになりました。残っているのはコピー機の陰極管とスーパーカミオカンデぐらいです。メーカーもウシオ電機と浜松ホトニクスぐらいになりました。

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そう言えば電気工学科で、半導体でなく真空管を研究していた学生が、「僕はイシヤではなくタマヤになる」なんて言っていましたが、彼は今頃何をしているのでしょうか?

ひょっとして花火師になっているかも?なんて水銀灯の下で大輪の花火を見ながら考えます。 もっとも「た~まや~」なんて掛け声はありますが、玉屋そのものはとうに無くなったそうですが。 ちなみに打ち上げ花火の品質・性能においても、日本は随一だそうです。 こちらはユダヤ人関係なしで純粋な日本製です。

「橋の上、玉屋、玉屋の声ばかり、なぜに鍵屋と言わぬ情なし (錠無し)」


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