SSブログ

【 蚊を撲滅する その2 】 [俳句]

【 蚊を撲滅する その2 】

 

ミカンコミバエやウリミバエでは大成功した、不妊虫放飼作戦が、蚊の場合にうまくいかないのか?

以下のURLに分かりやすい解説が載っています。

http://wired.jp/2008/01/29/%e8%9a%8a%e3%82%92%e7%b5%b6%e6%bb%85%e3%81%95%e3%81%9b%e3%82%8b%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ae%e3%80%8c%e9%81%ba%e4%bc%9d%e5%ad%90%e7%b5%84%e3%81%bf%e6%8f%9b%e3%81%88%e8%9a%8a%e3%80%8d/

実は、不妊虫放飼は、オスの個体そのものを不妊にする訳ではありません。

ハエやハチの場合は、オスの成体に、放射線を当てます。 コバルト60やセシウム137の放射線を当てると遺伝子が傷つき、その子供として生まれた個体は生殖可能になる前に、死んでしまうのです。 そうして1世代後に個体数を激減させるという恐ろしい技です。

・・・・・・

しかし、蚊でこの方法を用いると、放射線で被爆した個体が死んでしまうのだそうです。それでは意味がありません。とりあえず、メスと交尾してもらわなくてはならないからです。そこで、ミバエでは大成功したこの方法を蚊については諦めるしかないか・・と思った訳です。

・・・・・・

話は脱線しますが、福島第一原発の爆発事故では莫大な量のセシウム137が放出され、福島県内には立入制限区域が残っています。マスコミや原発反対派は、汚染地域は依然有害であり、環境も破壊された・・と主張します。しかし、生体にどれだけ有害な環境か?といえば、明確な証拠がありません。 それなら蚊の生息数を調べてみてはいかがでしょうか? 前述の通り、か弱いオスの蚊は、セシウムの放射線で容易に死にます。もし、福島県の蚊の数が少なくなっていれば、反対派の言うとおりでしょう。蚊の生息数に変化がなければ、反対派の主張は嘘っぱちかも知れません。放射線の恐怖を誇大に語るのは、第五福竜丸以来の日本のマスコミの伝統ですから。

でも・・、誰も福島県の浜通りの蚊の生息数を知らないかも知れない・・・。

・・・・・・

話を元に戻します。蚊には使えない不妊虫放飼ですが、放射線の代わりに薬品で処理する方法を思いついた人がいるそうです。

・・・・・・

その薬品で、遺伝子を傷つけた場合、生まれてくる子供は、抗生物質のサイトカインを摂取しなければ・・・まもなく死ぬ運命にあります。 天然の蚊が抗生物質を摂取することはありえませんから、こちらも生殖活動の前に死に絶えることになり、不妊虫放飼が成功します。

・・・・・・

これを全世界規模で行えば、天然痘と同じように、マラリアも撲滅できるかも知れません。 すでに、このプロジェクトのために、世界の低緯度地域に蚊の大量生産工場が建設される見通しで、中国にその1個目に工場ができるそうです。 そこで生産し放たれる蚊は、処理をしたオスの蚊ですから、直接、人を刺すことはありません。無害な蚊を放散することになります。

・・・・・・

このプロジェクトが成功すれば、温帯地域の蚊の対策にも適用して欲しいものです。

日本には犬のかかるフィラリアがありますが、これも蚊が媒介します。沖縄には人の罹るフィラリアもありますし、八丈小島にはマレー糸状虫の寄生虫病があります。

熱帯に話を戻せば、象皮病もありますし、大村教授の研究で有名になったオンコセルカもあります。蚊さえいなくなれば、実に多くの人が苦しみから解放されます。

・・・・・・

いや、蚊だけではありません。日本には咬まれると強烈に痒いヌカカやブユがいます。アフリカには恐ろしい眠り病を媒介するツェツェ蠅がいます。それらを不妊虫放飼の方法で撲滅できたら、どんなに素晴らしいことか・・。

・・・・・・

かつて北海道大学農学部の梅谷献二教授と、九州大学農学部の安富和男教授は、「毒虫の本」の中で、人に都合の悪い害虫を絶滅させるというのではなく、棲息空間を分離して相互に忌避することで、共存できないか?という提案をしています。でも、マラリア蚊やツェツェ蠅のような獰悪な種族と共存共栄は不可能でしょう。なにせ向こうが、人の生命を脅かしてくるのですから絶滅もやむをえないか・・と思います。

・・・・・・

ここで再び放しは脱線します。 うるさくて、不快で、嫌な昆虫である蚊を詠みこんだ俳句はたくさんありますが、一番有名なのは夏目漱石の

「叩かれて 昼の蚊を吐く 木魚かな」 でしょう。

時期的には漱石が鎌倉の円覚寺で座禅していた頃の句かと思います。彼の句は無論、川柳ではなく、正統の俳句ですが、どことなくおかしみというか滑稽さがあり、それが彼の俳句の真骨頂になっています。

・・・・・・

それにしても、座禅しながら、心と頭を空っぽにせず、俳句をひねっていたなんて、漱石先生ずるいぞなもし・・・となぜか松山弁で夢想したところで、私は警策にピシャリと叩かれました。 座禅しながら、ブログの原稿を考えていた私の方が、ずるかったようです。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。