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【 将棋を指しながら 】 [雑学]

【 将棋を指しながら 】

 

先日、久しぶりに川崎のご隠居と将棋を指す機会がありました。結果は私のボロ負けで、高段者と九級氏(初心者=オヒョウのこと)の差を見せ付けられたのですが、指しながら、「将棋の強い人と弱い人の違いは何だろうか?」と考えました。

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そんなことは、このブログで述べなくたって、将棋の指南書やプロの解説で詳しく説明されています。それなのに敢えてそれを書いてしまう愚かさを考えますが、それでも書くのが「笑うオヒョウ」です。

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巷間、言われるところでは、将棋の上手下手を隔てるのは、以下の能力のようです。

1.大局観:盤面を一目見て、形勢・優劣を判断したり、弱点や攻めるべき点に気付く能力。

2.深く読む力:無駄な選択肢を切り落としながら、何手も、何十手も先を読む洞察力。

3.過去の定跡(定石)の知識と再現力。

4.ポカミスをしない緻密な計算力:頓死や反則をしない確実さ(プロでもたまにポカはあります)。

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1.から4.までは、実は囲碁と将棋に共通する能力です。しかし、次の項目は囲碁にはない将棋だけに求められる能力です。

5.駒の力と価値を知る能力。 これについて考えます。

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対局中、川崎のご隠居は、チラチラと駒台を眺めます。 駒台・・と言ったって、私の場合、プラスチックの駒箱の蓋をひっくり返しただけですが・・・。 常時、自分の持ち駒を確認している訳ですが、これはなぜか? 目を瞑って将棋が指せるご隠居としては、駒台に乗っている駒など、確認する必要もないのですが・・、持ち駒の能力と活用方法を常時案じているに違いありません。

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それぞれの駒の動き方など、小学生の時から知っている訳で、今更、持ち駒の価値や働きなど考える必要もない・・と思うのが、初心者である九級氏ですが、どうやらそうではありません。それぞれの駒の動き方を知っていても、それらの活用方法を理解し、マスターしているとは限らないからです。

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持ち駒の価値や活用方法を、本当に理解するのは、かなり難しそうです。

例えば・・ご隠居は、

3枚歩を持ったら端攻めをしたいな・・」

「桂馬があるから、角道が通るなら、美濃囲いのコビンにその桂馬を打って攻めよう」とか、中盤以降では、「3枚桂馬を手にしたら詰め将棋モードに入ろう」とか、「詰めの最終段階では、金気(カナケ)が必要だから、金銀を残しておこう」といった具合に、持ち駒の使い方を考えて、必要な駒を取ったり、質駒にして確保したり、打たずに我慢する対応をします。

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これは単に駒の動き方を理解しているだけの九級氏とは、かなり違う点です。初心者の私などは、頭の丸い(まっすぐ進めないという意味)桂馬などは使いにくい駒ですが、上級者には便利で強力な駒です。 桂馬の使い方が上手なので、大橋宗桂という名前を貰った棋士もいます。

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この持ち駒についての理解・・というのは言うまでもなく日本の将棋固有の考え方です。外国のチェスでは、取った駒(Captured Chessmen)というのは、つまり死んだ存在であり、考慮の対象外です。盤上に残った駒が全てです。

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獲得した駒を自分の手駒として再利用できるシステムが、日本の将棋を複雑にし、他国の将棋・チェスと一線を画する所以である・・とは、よく言われることです。以前は、だから日本将棋は他国の将棋より難しいので、コンピューターには負けない・・と言われていたのですが、近年はプロ棋士もコンピューターに勝てなくなりつつあり、「将棋よ、お前もかぁ」と言われています。もっとも直近では「囲碁よ、お前もかぁ・・」という、ため息の方をよく聞きますが。

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しかし、考えてみれば、持ち駒の重要性について理解が求められるのは将棋だけではありません。 適材適所、人員の最大限の有効活用というのは、実際のビジネスに於いても、最重要視されるべき経営課題です。将棋に通じる点が多いのです。特にリストラが進み、少数精鋭化していく組織の中で、この点の重要度が増しています。

しかし、多くの経営者において、この能力は欠落しているように思えます。

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今、経営者や管理職者は、自分が部下として持つスタッフの能力を本当に把握しているのか?あるいは本当に適材適所の配置ができているか? 現在、持っている部下の活用方法や潜在的な可能性を顧みずに、人材不足を嘆き、部下のパフォーマンス不足を問題視する人が多いのではないか?

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「ああ、A君なら、学校の専門は、××工学で、図面もCADで書ける。現場のマネジメントも部下○○人までは経験があるし、問題なくこなしている。 外国語はTOEICが何点だから、海外出張もOKだ」といった、皮相的なレベルで、部下を見ていないか?

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それでは、桂馬の駒の動き方しか知らず、桂馬を活用する攻め方(定跡)を知らずに、将棋を指す、九級氏と同じになってしまいます。

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では捕獲した駒を再利用しない、欧米のチェスの世界はどうか?

私ごときが、欧米の企業の人事育成システムについて言及するのはおこがましいのですが、考えてみます。 欧米の大企業でも社内教育で人材を育てていくシステムはありますが、日本ほど徹底していません。そして個人の能力は客観的指標のみで図られます。つまり、桂馬の動き方は把握されますが、どの作戦のどの局面で桂馬を有効活用するかという適材適所論・・・はあまり無いようです。

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その代わり、人材の企業間の流動性は極めて高く、特に労働市場価値がある人材は、頻繁に企業を移り、自分に本当に適した仕事とポストを探します。

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では中国はどうか? 実は中国も同じです。 中国将棋(象棋)も西洋のチェスと同じく、捕獲した駒を再利用することはありません。 そして中国の勤労者も、よりよいポストとより高い給料、より自分の価値を認めてくれる会社を求めて、頻繁に転職します。経営側も、オーナーの息子でもない限り、社内で育てて、将来活躍して貰おう・・という考えは希薄です。せっかく、会社の負担で教育したのに、簡単に辞めるなんて・・と雇っている日本企業が落胆するくらいです。

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日本式と欧米式、中国式・・のどちらがいいのか? もし経営者や管理職者に、部下への深い理解があり、本当の適材適所が実現するのなら、日本式が優っているに違いありません。 しかし、持ち駒(部下)について、九級氏程度の理解しかないなら、これは勤労者にとっても企業にとっても不幸なことです。 むしろ、欧米式の方がましです。

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今、日本でも終身雇用システムが崩壊し、労働市場の流動化が始まっています。以前は少なかった、中高年のスカウトや転職も、当たり前になりつつあります。

これは、日本の経営者に九級氏レベルの人が多いからなのか、それとも単にアメリカ方式が、時間をおいて日本でも普及しているだけなのか?

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よく分かりませんが、いずれにしても、持ち駒が大事な日本の社会では、「へぼ将棋、王より飛車をかわいがり」のような経営者は困ります。まあ、私などにはとても無理な話で、私に経営者は勤まりません。

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いや、それ以前に、対局中にこのように余計なことを考えるようでは、将棋に勝てるはずもありません。川崎のご隠居の呵呵大笑が聞こえるようです。

 

唐突に話は変わりますが、また日本を代表する芸術家がひとり他界しました。

 

いちはつ散りて 蜷川の去ぬ 沙翁かな


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