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【 ヨナ抜き音階と沖縄音階は嫌いだ 】 [雑学]

【 ヨナ抜き音階と沖縄音階は嫌いだ 】

 

かつて昭和の時代、NHKに「あなたのメロディー」という番組がありました。これは素人の作曲家・作詞家が作った曲をプロの歌手が歌い、プロの音楽家が楽曲のできを審査するというものです。中にはプロ顔負けの作品もあり、トワエモアの「空よ」はこの番組で登場しています。

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その番組の審査委員長は、作曲家の高木東六氏で辛口の講評で知られていました。ある時は、素人が作曲した演歌調の曲に対して、

「僕はね、演歌と軍歌が嫌いなの。4と7の音を抜いたヨナ抜きの音階で適当に音符を並べると、そりゃみんな演歌になるけれど、こんなのは正統な音楽じゃない」と手厳しかったのです。

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正確に言えば、高木氏が演歌と軍歌を嫌いなのは、ヨナ抜きで安直に作られるメロディーが嫌いだっただけでなく、演歌と軍歌が背景に持つイメージを嫌ったからです。演歌と言えば、必ず、酒場と水商売の女性、そして失恋と涙、屈託を抱えたチョイ悪風の男か、挫折感の漂う堅気ではない男が登場する暗いパターンが前提になります。

一方、軍歌といえば、ひたすら勇ましいか、悲壮感を全面に出したマイナーなイメージになります。彼はそういう型に嵌った音楽を不愉快に思っていたそうです。

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その高木氏が戦時中に軍歌を作ることになり、従来の軍歌とは違うものにしよう・・と作曲したのが、「空の神兵」です。ご承知の方も多いでしょうが、この曲は普通の軍歌とは全く異なる不思議な曲です。この曲をして、作曲家高木東六の反骨精神の発露とか面目躍如という人もいます。

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それはともかく、ヨナ抜き節は、作曲の楽理を学ばなくても、適当にメロディーができてしまう訳ですが、これは日本特有の音楽かな?と私は思っていました。しかし韓国にも日本の演歌に類似した音楽があるのを知り、日本だけではないのか・・と理解した次第です。Wikipediaによれば、ヨナ抜き音階はアジアのある地域に存在し、日本の場合は、奄美大島の南、徳之島まで続くそうです。そこから先、つまり沖永良部島から沖縄本島にかけては、沖縄音階/琉球音階になります。こちらはヨナ抜きではなく、ドレミファのレとラが抜けた音階です。

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我々は、小学校でドレミファソラシドを習い、この西洋音階に馴染んでいます。だから、演歌を聞けば、そのメロディーで演歌と分かりますし、沖縄音楽を聴けば、即座に沖縄の曲だ・・と分かります。それは欠落した音階の存在に無意識で気付くからです。

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微妙なのは奄美大島に伝わる「島唄」で、これは沖縄音階とは違います。前述の通り、ヨナ抜きと沖縄音階の境界は徳之島の南で、奄美大島は沖縄音階ではないからです。

私は元ちとせのファンですが、彼女は奄美大島出身ですから彼女の基本となる音楽も沖縄音階ではありません。

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私が中学校1年で針谷茂先生から学んだ音楽も、正統な西洋音階です。 だから、ヨナ抜き音階や沖縄音階には欠陥がある・・・と私は漠然と理解し、意識下に刷り込まれました。その後、大人になって、演歌のよさも、民謡のよさも、島唄のよさも、それなりに理解できるようになったのですが、それでもヨナ抜きの音階はあまり好きにはなりません。そして、沖縄の音楽には、どうしても生理的に抵抗があります。

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沖縄の人が沖縄音階で音楽を奏でたり、歌うのは結構なのですが、本土の人(ヤマトンチュウ)が、敢えて沖縄音階の曲を取り上げるのは、なんだか背後に思想的なものを感じます。

沖縄が第二次大戦の激戦地で、悲惨な経験をし、今もなお、多くの米軍基地を抱える悲劇の土地であるのは事実です。しかしそのために、反戦平和を装った、反米、反日運動のシンボルとして、沖縄は利用されます。そして その際、沖縄の文化や生活、料理、食品などもそれに利用されます。

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沖縄料理や沖縄の音楽を大袈裟に賛迎する時、そこにしばしば政治的な主張が潜んでいます。沖縄は明らかに日本の一部なのに、ある人々が沖縄の独自性を強調して沖縄独立論を語る時、沖縄音階のメロディーが流れたりします。だから私は沖縄音階に抵抗があるのです。

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東日本大震災の復興応援歌もしくは鎮魂歌として「花は咲く」という曲が、流れます。 先日の震災5周年の時期にも、頻繁にNHKTVに流れました。受信料を払い、常に新しい情報を求めてNHKを視ている私としては、何度も何度も、この歌を聞かされるのは、時間の無駄に思えるのですが・・、ある時、インターネットに「東北地方の復興応援歌なのになぜ沖縄音階なのか?」というコメントがありました。

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菅野よう子作曲のこの曲は、上記の通り、レとラを抜くという沖縄音階の定義からは外れますから、沖縄音階/琉球音階ではありません。でもどことなく、沖縄調に聞こえることは事実です。

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なぜ、そう聞こえるのか? 無論メロディーもその理由でしょうが、その背後にある偽善の匂いも、沖縄調に聞こえる理由かも知れません。東北出身というだけで、震災復興の為に何ら汗を流していない芸能人が、ワンフレーズだけ歌を歌う事で、善人を装っている有様が、なんだか反日、反米の道具として沖縄を利用する平和論者の偽善に通じるように感じるのです。

本当に被災地で苦闘している人々は、TVに流れるあの曲を聞いて、果たして励まされるのだろうか?私にはそうは思えません。

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西洋音階から特定の音の抜けた音楽を、不完全音階として蔑視するのは、不適切かも知れません。前述の通り、子供の頃の考えを改め、今の私は、民謡も島唄も演歌もあまり抵抗がありません。 でも、歌に特定の思想を潜ませ、偽善の人が歌う音楽は嫌いです。

そして、高木東六氏が本当に嫌ったのも、不完全な音階ではなく、特定の思想に染まり、ある種の匂いがする音楽であろうと思います。

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泉下の高木東六氏が、「花は咲く」を聞いたら、どう思うか訊いてみたいところです。


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