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【 獺祭と手取川 これはステマではありません 】 [金沢]

【 獺祭と手取川 これはステマではありません 】

 

私事ですが(ブログに私事を書くのは当たり前ですが)、先日、私の次男が成人式を迎えました。その前に20才になった誕生日から、或はその前から、彼は酒をたしなみはじめていました。

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そこで、長男と次男が揃った時に、「お前たち、どんなお酒が好きなのか?」と尋ねました。おそらく回答は「ビールが好きだ」とか「ワインが好きだ。焼酎も飲む」といったものだろうと予想していたのですが、あてが外れました。

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子供達は「獺祭が好きだ。それから手取川もおいしかったので大好きだ」と日本酒の銘柄で答えてきたのです。「うーむ、まだ20代の前半で学生だというのに、なんて生意気なのだ」とは思いましたが、「ほー、そうか、そうか」と答えるしかありません。

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「獺祭」はかなり有名なお酒ですし、どこかで飲む機会があったのでしょう。「手取川」の方は、金沢のホテルで法事をした時に、その後の会食でだされた冷酒を飲んで、その味に感銘を受けたようです。これは私の故郷のお酒です。実は「手取川」は石川県の造り酒屋で醸造している清酒で、その経営者は、オヒョウの中学、高校、大学の同級生なのです。

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「手取川」は全国的に名前が知れたお酒とは言えませんが、通好みの本格的な日本酒です。その一方で、日本酒の初心者にもなじみやすい、口当たりの良いお酒です。

20代で、この2種類の銘柄を挙げるとは、末恐ろしいことだ・・・)。

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しかし考えてみれば、この2種類の銘酒は、おいしいという共通点はあるものの、性格は正反対です(最近、正反対の代わりに真逆という怪しげな日本語を使うのが流行りますが、私はその表現が嫌いです)。

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「手取川」の方は、代々伝わる製法を守り、昔からの杜氏を大切にして、その勘と感覚に頼って酒造りを行うのに対して、「獺祭」の方は敢えて杜氏を廃し、全ての行程をデータ化し、コンピューター管理で酒造りをしています。原料の米粒にしても、獺祭は、大胆に削り落とし、従来の日本酒とは違う味を出しています。

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酒造りを「守・破・離」の3段階に分けるなら、「手取川」は「守」をどこまでも追及しているように思えます。一方、「獺祭」の方は、「破」から「離」に差し掛かっているように思えます。 そう言うと、「獺祭」の方が先を行っているかのようですが、そうではありません。

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日本の芸を習う過程では、守から破、そして離へと進む進化がありますが、酒造りでは、必ずしも「破」、「離」に進む必要はありません。要は飲み手が、どちらを好むかです。

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酒の名前にひねりがあるのは「獺祭」の方です。既に二度、弊ブログでも申し上げたので、くどい・・と言われるかも知れませんが、獺祭というその名前を私は好きです。

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ニホンカワウソは、川で魚を獲っても、すぐに食べません。 川岸の岩の上に獲物を並べて、「さてどれから食べようかな?」と、小首をかしげて思案するような様子を見せるのだそうです。その可愛らしい仕草が、まるで神様にお供え物をしてお祈りしているようだ・・という事から「カワウソの祭り」と呼ばれます。

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それが転じて、選択肢が多くて、選ぶのに迷う・・という、嬉しい悲鳴というか心が弾む情景を獺祭というのだそうです。

ハンサムなボーイフレンドの候補者が多くいて、その中から誰を選ぼうか・・とか、喫茶店のメニューを見ながら、チョコレートパフェにしようかフルーツサンデーにしようか迷うとか、伊藤忠商事と住友商事の内定通知を前にしてどちらを選ぼうか考える・・といった具合です(書いていてアホらしくなりました)。

盃を手に、「今度は手取川を飲もうか、獺祭を飲もうか?」なんてのも獺祭かも知れません。

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さらに言えば、論文やレポートを書く際、資料として活用できるデータやグラフがたくさんあって、その中からどれを選んで、どういう順番に配して、どういうストーリーで理論を展開しようか・・と頭を巡らす状態というのも、一種の「獺祭」でしょう。研究者や執筆家にとっては至福の時間です。

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残念ながら、オヒョウには、満足な論文を書く機会などほとんどなく、レポートを書こうにも資料となるデータが殆ど無い中で、呻吟しながらストーリーを空想するという苦い経験しかありません。 私には獺祭は常に遠い夢だったのです。

獺祭を愛する息子達は、幸いにして、いい学習環境に恵まれ、立派な勉強をできそうです。 長男は、いい指導教授のもとで、意欲的な研究を進めているようです。

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多くの紙の資料に囲まれて、一種の至福の時を過ごした教養人も、その環境を獺祭に例えました。愛媛県の生んだ最高の俳人 正岡子規がそうです。 彼は自分の書斎を「獺祭書屋」とし、自らを獺祭書屋主人としました。

これは夏目漱石の書斎「漱石山房」や芥川龍之介の書斎「餓鬼窟」に比べれば、ずっとセンスのあるネーミングであると思います。

(紙屑で散らかった勉強部屋を獺祭書屋と呼んでいいのなら、私の勉強部屋も十分に獺祭書屋の資格があります)。

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書斎はともかく、「獺祭」は、多くの獲物を前に、心弾むひと時を過ごす際に飲む酒かも知れません。では「手取川」はどうなのか。 地元を流れる川の名前をそのままお酒に付けたストレートさは、潔いと思えるのですが、ではどういう心持ちの時に飲む酒なのか?と訊かれると、その名前からは判断できません。

まあ、飲兵衛というものは、どんな時にもおいしい酒を飲むのだからどうでもいいのですが・・・。

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そして、これもどうでもいいことですが、ニホンカワウソは1970年代に恐らく絶滅したと言われています。最後に目撃されたのは、愛媛県で、当地では今でもニホンカワウソは存在していると信じている人が多いそうです。カワウソがいなくなれば、獺祭の言葉の意味も失われます。 やがて、Dassaiというお酒の名前として残り、カワウソは忘れ去られるでしょう。 でもそれでいいのかも知れません。

 

「ふるさとの酒の歯にしむ獺祭忌」

 

獺祭忌とは、無論、カワウソ絶滅の日ではありません。正岡子規の命日です。

たしか9月だったような。


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