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【 春風と初夏の風 その2 】 [金沢]

 【 春風と初夏の風 その2 】

 

私は、栃木県宇都宮市の英語教師にして版画家だった、川上澄生は、もっと評価されてよい芸術家だと思います。

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彼の版画は独創的ですが、棟方志功の作品ほどのインパクトはありません。彼の詩は心に染み入りますが、朔太郎や白秋、藤村の詩には負けます。海外生活を経験していますが、それをあまり文学作品にはせず、英語を教える、ただの地方の「田舎教師」に甘んじています。

<宇都宮高校卒業のT元副社長、コメンナサイ>。

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ある意味で中途半端な彼の詩と彼の版画ですが、それが一緒になると、彼独特の世界が現れます。この彼だけの芸術品は第一級だと思います。

世の中には、詩と絵画が融合した、俳画や柳画があります。その前段階の禅画も、文字と絵の融合に成功しています。

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彼は水墨画の代わりに版画を用い、和歌や俳句の代わりに詩を用いました。その手法は、川上澄生から強い影響を受けた棟方志功に受け継がれ、版画表現の一般的なものになっています。

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彼の詩には好きなものがたくさんありますが、その中の「はつなつのかぜ」は特に好きです。

既に著作権も切れていますから、絵を下に載せます。

「初夏の風」
 かぜとなりたや はつなつのかぜとなりたや
 かのヒトのまへにはだかり かのヒトのうしろよりふく
 はつなつの はつなつの かぜとなりたや

 hatunatu.gif

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私が、その版画と詩を画集で見たのは、ちょうど高校一年生の初夏の季節です。その日の午後、学校から帰っていく同級生の一人の女生徒の後ろ姿を見ていました。その時、初夏の風が彼女の後ろから吹きました。明るい陽射しの中で、彼女は家庭科の授業で作ったつばの広い帽子を被っていたのですが、それが飛ばされそうになり、慌てて手で押さえた様子が見えました。その彼女のしぐさを見て、なぜか、ああ、素敵だな・・・と私は感じました。同級生に異性を感じたのは、その時が初めてかも知れません。

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版画の絵ではマリリンモンローのようにスカートがめくれそうになっていますが、決してそうではなく、押さえたのは帽子と髪の毛だけです。それ以来、私は川上澄生と彼の版画、ひとりの女生徒、そして初夏の風が好きになりました。

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暖かさをもたらす春の風でもなく、涼しさをもたらす夏の風でもなく、ひたすら凍えさせる冬の風でもなく、女の人の帽子と髪の毛を動かすだけの、はつなつの風が、私は好きです。


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【 春風と初夏の風 その1 】 [金沢]

【 春風と初夏の風 その1 】

 

夕方の電車はなかなか到着しません。駅のアナウンスで「本日、強風の為、常磐線の電車に遅れがでております」と案内されます。関東地方は春の突風が吹いているようです。私の帰宅時間が多少遅れても、どうということはありませんが、強風はクレーン屋にとっては困った問題です(今、私はクレーンの会社に勤務しております)。

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高さ数十メートルから百メートル以上に達する大型の移動式クレーンは、強風で倒れる可能性があり、風速15m以上では作業を中止し、安全な姿勢をとります。しかし、それ以下の風速でも問題はあります。数十メートル先の所定の位置に10t以上の吊り荷をピンポイントで揚げ下げするクレーン運転者は、まさに神技を持っていますが、それとて風が吹いては難しくなります。作業中止には至らないけれど、時に風が吹く状況は実に困ったことなのです(腕のみせどころではありますが)。

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だいたい、春風というのはなんとなく生暖かくて気持ち悪いイメージがあります。埃っぽさも気になります。しばしば花粉を飛ばし、大陸から黄砂を運び、最近はPM2.5なんてのも持ってきます。こんな風を喜ぶのは患者が増える眼医者ぐらいではないか?

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では、オヒョウは何時から春風が嫌いになったか?これははっきりしており、中学1年生の時です。入学した中学校の校歌が、「春風そよろと柏の若葉に・・」という出だしで始まる、実におとなしいというか女々しい感じの曲だったのです。「なにが『春風そろよと』ですか、全然勇ましくないじゃないですか、これじゃ学校対抗の試合の応援に使えないではないですか!」と思った訳ですが、今は亡き母が笑いながら言います。

「この学校ができて校歌ができたのは、戦後すぐの頃でGHQの監視もあり、勇ましい歌など作れなかった時代。だから、しかたなくこんな校歌になった」とのことです。

その後、校歌に代わる応援歌ができたと・・風の便りに聞いています。

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世の中、むやみに勇ましい必要はないのですが、軍艦の名前はそれなりに勇ましい方がいいです。しかし、海上自衛隊の護衛艦には「はるかぜ」という爽やかだけど、強そうに思えない名前の艦がありました。でも調べてみれば、旧日本海軍時代の「春風」からの伝統だとか。

そんな軍艦に乗っても士気はあがらないかも知れないし、戦争にも負ける訳だ・・・。

さらに勇ましくない名前は、「はるさめ」とか「はるゆき」です。「はるさめ」なんて月形半平太に馬鹿にされそうですし、お総菜売り場の匂いがします。「はるゆき」なんて美しいけれど、アワアワアワと溶けてしまいそうです。

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脱線しましたが、とにかく、私は春風が苦手です。

でも今、藤の花が咲いて、いちはつの花が咲けば、季節は春から初夏に変化します。吹く風は春風から、初夏の風に変わります。昔は、5月を、風薫る・・という枕詞で語りましたが、今は地球温暖化で4月から初夏の風です。私は、緑に染まる初夏の風が好きです。

では何時から好きなのか?と言えば、これも答えは決まっていて、高校1年生の時からです。その内容については次号で申し上げます。


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【 おーい、ちょっと待ってくれ 】 [金沢]

【 おーい、ちょっと待ってくれ 】

 

勝ち抜けというか、負け残りというか、勝者から先に席を離れるゲームが幾つかあります。トランプの7並べ、ババ抜き、ページワン、ダウトなどもそうですし、双六(すごろく)などもそのひとつです。

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子供の頃、双六で、どうしても上がれず、先に上がった友達が帰ってしまい、実に悔しく寂しい思いをしたことがあります。忘れていたそんな気持ちを、比較的最近に味わいました。

それは、昔の同級生が相次いで他界したからです。

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ひとりは、去年亡くなった正印克夫君、金沢医療センターの脳神経外科部長でした。もうひとりは今年亡くなった前多敬一郎君で東大教授でした。ふたりとも秀才の名をほしいままにして、自分の道を切り開き、60代になったところで世を去った訳ですが、それまでに、多くの業績を残し、後進を育てた上で、旅立ちました。60代前半の年齢を考えると、まだまだ・・とも言えますが、やるべきことをやって「それじゃお先に」となった訳です。

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実は、私も彼らのような研究者の人生を夢見たことがあるのですが、劣等生で、努力もしなかった私は、早々と諦め、方針転換を迫られた訳です。まぶしい存在である彼らを、かつての同級生と呼ぶことはできても、友達・・ということに少し抵抗があるのは、その複雑な思いからです。

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以前、昭和時代の映像が入ったDVDを売り込むために、戦中派をくすぐる惹句として「秀才の君は死に、凡才の僕は生き残った」というセリフを入れて、特攻隊が散華する映像をCMに流していました。戦中派の人たちには、自分は生き残ったという罪悪感というか後ろめたさがあり、それが死者を美化しているのかも知れません。その琴線に触れることを期待したCMでした。しかし、私が感じた寂寥感というかむなしさは全く違います。

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昭和のコラムニストであった山本夏彦は、「老境に入って、旧友が亡くなった時の悲しさというのは、他人の死を悼む悲しさではない」と奇妙なことを言っています。彼によれば、「旧友を失うというのは、過去の記憶を共有する人物の消滅であり、誰かと共に懐かしい過去を語れなくなるということであり、即ち、自分の人生の一部分を失うということ。自分の人生の一部が亡くなるということであり、自身の部分的な死を嘆いているのだ」という説です。

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これはまだ私には分かりませんが、私が80代になり、同世代の人々が次々と他界するようになれば、あるいは実感が湧くかも知れません。でも正印君と前多君の死がもたらした悲しさ、動揺、寂寥感は、山本夏彦が語る喪失感とも違うのです。

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そんなことを考えながら、寝床で眠りについた後、深夜に私は自分の寝言で目が覚めました。自分の寝言で目が覚める・・ということは滅多にないのですが、その時、私ははっきりと「おーい、ちょっと待ってくれ」と叫びました。しかし目覚めても、それまで私が見ていた夢は思い出せません。記憶しているのは、「おーい、ちょっと待ってくれ」という言葉だけです。 その言葉こそが、二人の逝去に対して私が感じた気持ちを端的に表す言葉なのです。

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そのまま、寝付けず、真っ暗な寝室で少し考えました。ところで今日は次男の卒業式に出るために仙台に行く予定です。

(そう言えば、私は社会人になってからずっと、大学へ帰りたい・・という思いを持っていたな。実際には、大学に残って研究を続ける能力も学力も経済力も全く無かったくせに、どうして分不相応な、大学へ帰りたいという思いを持ち続けたのだろうか?)

仕事が厳しいから、現実逃避で大学へ帰りたいと思った訳ではありません。勉強や研究がそれほど好きだった訳でもありません。ではなぜなのか?

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でも寝言のお陰で、ようやく、自分なりに理由が分かりました。それは、かつて同級生だった、まぶしい秀才達が、大学に残って研究者の道を歩いていたからです。「おーい、待ってくれ。僕も仲間に入れてくれよ」私はそう言いたかったのです。

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私は、将来、今の勤務を終え、年金生活に入った時、改めて大学に入ろうかと思っています。今はやりの言葉で言えば、リカレント教育というやつです。自然科学系の学問は、もう私の頭では無理でしょうから、人文科学系、特に中国の古典(白楽天)などを勉強したい・・という思いは、以前のブログにも綴りました。しかし、よくよく考えてみると、そこには昔の同級生と言うか友達がいる学園に帰りたい・・という思いも根底にあるようです。

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しかし、その同級生達も、そろそろ定年を迎えて、学園あるいは研究の場を離れつつあります。今、例え大学に戻っても、浦島太郎のごとく、誰も知った人はおらず、教授ですら私よりすっと若い世代ということになりそうです。潜在意識下の寂寥感は解消されるのか?

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次男が卒業(といっても、大学院に残るので学部の卒業は通過点)する大学の里見総長は、私よりかなり年上で、この3月に定年退官だそうです。私と同年代の先生方もこれから少なくなりそうです。

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「おーい、ちょっと待ってくれ」と叫んで、私が大学に入りなおしても、みんな「それじゃお先に」と言って、去っていくのか・・。私はさらに暗澹とした気持ちになりました。

では次男の卒業式(正確には学位授与式)はどうだったか・・は次号で申し上げます。


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【 餡子(あんこ)の味 】 [金沢]

【 餡子(あんこ)の味 】

 

久しぶりに、北国新聞を読んでいたら、中能登町の観光大使になっている一青妙さんの記事がでていました。2017120日の文化欄です。(著作権の事情でその記事を転載できないのが残念です)。

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あれっ?彼女は南西諸島で歯科医をしていたはずだけど・・・いつの間にか、女優兼エッセイストになっているぞ。彼女は一青窈の姉で、自分達の母親を回想したエッセイ「私の箱子」や「ママ、ごはんまだ?」を元にした映画、「ママ、ごはんまだ?」にも出演しています。

http://mama-gohanmada.com/

余談ですが、私は一青窈のファンで、以前、ブログ【 裸足の歌姫 】でも、彼女について書いています。

http://halibut.blog.so-net.ne.jp/2011-06-21

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母親の残したレシピに、母親の愛情を改めて感じるというのは「四十九日のレシピ」に通じますが、ポイントは日本の石川県に生まれた母親が台湾に嫁ぎ、違う風習や食文化に戸惑いながらも、溶け込んでいき台湾料理をものにすること。それでいて懐かしい故郷の味も決して忘れていないこと。それらは、娘たちにも引き継がれていて、料理が母と娘の絆になっている・・という点が独特です。そして、私が驚いたのは映画には「圓八のあんころ餅」も母親の好物として登場するということです。

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石川県の名物「圓八のあんころ餅」は、子供の頃からの私の大好物です。特に金沢駅のホームで買い求め、列車の中で、賽の目に切ってあるあんころ餅を食べるのが好きでした。あの程よい甘さの餡子が好きで、竹の皮にこびりついた餡子を楊枝で擦って口に運びました。

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人は、子供の頃においしいと感じた食べ物を、終生、最高の味として記憶する・・というのは嘘でしょう。大人になってから、あんころ餅に出会ったとしても、私はあんころ餅を好きになったはずです。

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漫画家の雁屋哲は、「美味しんぼ」の中で、(お菓子などが)ひたすら甘くても許されるという点で甘味は下品な味覚だ・・と断じていますが、これも多分違うでしょう。

和菓子などは、微妙な甘味で勝負します。

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先日、呉で上田宗箇流のお点前でお茶をいただいた際、お茶を飲む前に口に入れたお菓子のおいしさ、絶妙の甘さに、思わず「おいしい!」と言ったところ、ご亭主から「流派によって、お茶とお菓子の順番は様々です。お茶を口にした後で、最もおいしく感じる甘さにしたお菓子、お茶を飲む前に頂いて最もおいしいと感じる甘さにしたお菓子など、様々です」との説明がありました。ちなみに上田宗箇流は、お茶を飲む前にお菓子をいただきます。

すると「お濃茶と薄茶でも本当はお菓子の甘さを加減すべきなのですね?」と私。

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なるほど、お茶の席に登場する和菓子はデリカシーの塊です。特に餡子の甘さはデリケートです。雁屋哲が言うところの「ひたすら甘くても許される味覚」というのはドイツの砂糖菓子くらいじゃないのかな?

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そこで思うのは、一青妙さん一家が暮らした台湾の餡子の甘さはどうだったのかな?と言うことです。 一般に中国のお饅頭などに使われる餡子は日本の餡子と似て非なるものです。 全体に油っこく、色は小豆色というより黒に近く、少ししつこい甘さが印象に残ります。 一方、月餅に用いられる、果実から作った餡は逆に甘さが薄くなっています。どちらも、和菓子とは違う味で、圓八のあんころ餅の餡とは程遠い味です。

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日本では中国風の餡子は今ひとつ人気がなく、中秋の名月の頃の贈答品の月餅が敬遠されるのも、そのせいだと思います。

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では台湾の場合、中国風の餡子なのか、それとも日本風の餡子なのか・・・それが問題です。素朴に考えれば、中国風でしょうが、一青妙一家の実家が財を成した九份はかつて日本人が多く暮らし、日本文化の影響を受けた街です。その様子は傑作映画「非情城市」に登場します。

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姉妹の母親は、嫁ぎ先で台湾料理になじみ、レシピをものにしますが、ひょっとしたら、餡子の味だけは、日本の餡子の味にこだわったのではないかな? 圓八のあんころ餅の味は、単なる石川県への郷愁の味を超えた存在だったのでは?

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しかし、日本の餡子がおいしいとされるのは、日本と日本人だけかも知れません。以前、聞いた話ですが、試しにアンパンをアメリカ人に紹介したところ、評判はさっぱりで、なんとかおいしくしようとシナモンを大量に加えて、アンパン本来の味を消してしまったとか。それに日本人にも餡子が苦手な人もいます。

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でも米国に駐在する多くの日本人には、お土産に貰うアンパンは格別のご馳走だったようで、私の上司だったシカゴ事務所長は、地方にある日系企業のお客を訪問する時は、シカゴの日本人のパン屋さんで作った大量のアンパンをお土産に持参していました。

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そのシカゴ事務所の日系二世の女性秘書は、戦前、実家がカリフォルニア州で和菓子屋を営んでいたことから、餡子は日本の餡子に限る・・と言っていました。米国生まれで米国国籍だったけれど、日系人のアイデンティティを大切にする人でした。ひょっとしたら、日本の餡子の味にこだわったのも、日系人のアイデンティティと関係するのかも知れません。たかが餡子、されど餡子です。

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そんな事を言うと、必ず日本と中国で優劣を議論したくなる輩がでてきて、中国の餡子と日本の餡子、どちらが世界で好まれ、どちらが市民権を得ているか?なんてことを調査して比較する記事が、新聞に出そうです。

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それは困ったことです。 圓八のあんころ餅が大好きな私ですが、中国の餡子も、そして月餅も嫌いな訳ではありません。どれもおいしくいただきます。甘さにこだわりが無いというのは悪いことではないと思うのですが・・・、漫画「美味しんぼ」などでは軽蔑されそうです。 雁屋哲からは

「そうか、下品なのは甘味ではなく、鈍感なオヒョウ君の舌なのだ」と言われそうです。

 

もっとも、下品な味覚しかない私でも、映画「ママ、ごはんまだ?」は楽しめそうです。


【 テトロドトキシン その2 】 [金沢]

【 テトロドトキシン その2 】

スーパーに入ってすぐ、レジの店員に「フグの卵巣はあるか?」と尋ねますが、要領を得ません。奥のベテランの店員に繋いでもらうと、すぐに彼女は冷蔵食品のコーナーに我々を案内しました。そこにあったのは、真空パックしたゴマフグの卵巣です。明太子などと比べるとかなり大型で、もともとのフグもかなり大型だと推測されます。

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そう言えば、これと同じものを以前TVで見ました。東京農大の名誉教授で、醗酵学の権威にして食通である小泉武夫教授が教育TVの市民大学講座で、このフグの卵巣を見せていました。彼は教壇の上で、フグの卵巣には猛毒があると説明したうえで、この食品を紹介し、学生の前でパクリと食いつき、「うまい、うまい」と言って食べてしまったのです。

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本来、私は大学の講義でのパフォーマンスをあまり好きではありません。授業に興味を示さず、退屈している学生を惹きつけるためでしょうが、そうまでして学生に媚びる必要もなさそうです。或いは授業内容の底の浅さを気付かれないよう、糊塗するための、パフォーマンスかも知れません。しかし今回だけはフグの卵巣を食べる演出も仕方ありません。小泉教授は、専門家を目指す学生達だけを相手にするのではなく、TVを視ている一般大衆に対しても語り掛けているのです。だから適度なパフォーマンスはいいのかも知れません。

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それはともかく小泉教授の説明自体も、どこか納得できないものでした。 彼は発酵という現象の神秘さを語るために、猛毒のテトロドトキシンが、発酵によって消滅したことを例として取り上げたのですが、そのメカニズムについては、実は未解明なのです。何等かの酵素によってテトロドトキシンが分解して無毒化するのか、或いは長期間の塩漬けの過程で、毒素が流れ出して失われるのか、他の無毒な物質に変質するのか、判明していないのです。 醗酵現象はミステリーだ・・という点は理解できますが、自然科学としては、メカニズムが不明な分だけ、ちょっと物足りなさを感じます。

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あの小泉教授が食べたものと同じものが、スーパーの商品棚に3個だけ置いてあります。私は、とっさにお土産に幾つ買おうかな?と考えました。 一種の肝試しですが、フグの卵巣をお皿に載せて出した時、私を信用して食べる人、信用せず箸を付けない人、何人か思い浮かべて、棚にあった3つを全部買おうと決めました。

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そこへ、晴耕雨読の人となったT君が「俺も、一つ食べたいな」と言って、一つを自分の籠に入れてしまいました。 私は、結局2つを買って帰り、お土産にしました。 その後暫く経ちますが、まだ私の周りで、亡くなった方はいません。T君も元気なようです。無論、小泉教授もお元気な様子です。

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そこで私はフグ毒について考えます。ご承知かと思いますが、フグの毒はフグ自身が合成するものではありません。フグが摂取するプランクトンなどの他の生物が持つ毒が体内に蓄積されるものです。 だから養殖もののフグは一般に無毒です。またフグの種類によっては、天然物でも無毒なものもあります。

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そこで、一種の特区を設けて、そこでは無毒のフグだけを扱い、免許を持たない料理人にも調理を許可し、かつ絶品と言われるフグの肝(肝臓や卵巣)を食べられるように法律を改正しようという提案が出されましたが、行政から却下されました。

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表向きは、有毒なふぐが、もし特区に混入すれば、大事故になる・・という理由ですが、ふぐの調理師免許を持つ料理人や、ふぐ料理店の既得権を守るため・・というのが本音のようです。

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しかし、実際には、石川県の一部で「ふぐ特区」が成立しているとも言えます。

特殊な醗酵処理で内臓を無毒にする「ふぐ子」は加賀だけのもので、他の土地では作りません。許可が下りないのか、誰も作ろうとしないのか、それは分かりませんが、実質的に石川県だけでフグの卵巣が食べられるのです。伝統的な食文化を尊重して、法律の方が妥協したということでしょうか?

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私は無毒の養殖ふぐがもっと普及すれば、やがて他の地域でも「ふぐ特区」が実現すると考えます。万一の事故を防ぐために、テトロドトキシンをその場で測定・検出できる装置もあります。それを必ず使用する条件付きで特区を認定するのです。

http://www.city.kobe.lg.jp/life/health/lab/kih/kenkyu_shohou/2011/img/2011_HP08.pdf#search='%E3%83%86%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%B3%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E8%96%AC

具体的には、ふぐちりの鍋に内臓を入れる直前にこの装置で分析すればいいのです。ちょっと面倒ですが・・。

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狂言の曲目にある「附子」は、おいしい黒砂糖を食べられまいとして、主人が家来達に猛毒である・・と嘘をつくのですが、それがばれて食べられてしまうという話です。今も昔も、おいしいもの、すばらしいものは、しばしばお上から禁止されている訳ですが、私は法律が禁じている「おいしいもの」の筆頭がフグの肝だろうと思います。

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もっとも、これは嘘ではなく本当に猛毒なのだから仕方ありません。 でもおいしいのなら、法を犯しても食べてみたい・・という輩が必ずいます。 彼らは加賀の「ふぐ子」だけでは満足しないでしょうから、禁断の料理を食べたくなります。そして時々、それは事件になります。

http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/525786/

この種の事故あるいは犯罪をなくすためにも、「ふぐ特区」を早く認めるべきだと、私は思います。 一方で水産学や食品化学を研究する人達は、無毒のフグの普及拡大を図るべきです。やがて「ふぐ子」について「ふぐの卵巣を食べるために、なんであんな複雑な醗酵処理を必要としたのかね?」と不思議がられる時代が来ます。

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その頃には、弊ブログ「笑うオヒョウ」も毒の無い文章になっていると思います。多分


【 テトロドトキシン その1 】 [金沢]

【 テトロドトキシン その1 】

 

先日、金沢で、新聞社を定年退職したばかりの畏友T君と会食する機会がありました。仕事の関係で訊きたいこともあったのですが、「毎日が日曜日」になった友達の様子を確認したい・・という思いもありました。

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欧米なら・・・間違いなくハッピーリタイアメントとして、「おめでとう」と祝福すべきなのですが、ここは日本です。退職の風景には、しばしば寂しさも漂います。果たして彼の場合はどうか?彼は典型的な仕事人間だっただけに、ある種の喪失感や寂寥感に捕われていないか?という懸念もありました。しかし、それは結局杞憂だったのです。

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かつて、拙ブログ【俺達の帰去来の辞】で、定年後に能登で晴耕雨読の日々に入ると宣言していた彼は、それを実現しています。父親から引き継いだ古民家の屋敷をリフォームし、耕運機を買って畑を耕し、今はシイタケ栽培を始めたそうです。 チェーンソーでホダギを切り、切り込みを入れて、雑菌を防止するために消毒してから、種となる菌を植えていきます。さらに暫くしたら、ホダギを逆さまにする作業があります。全く忙しく、かつ快活な様子です。どうやら彼は、定年前から、退職後の生活について周到に計画を練り、準備していたようです。それともう一つは、先年他界されたご父君の屋敷と農地を引き継ぐ必要に迫られた・・ということもありそうです。

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一方、彼と同じ年齢なのに、私がまだサラリーマンをリタイアしていないのは、一言で言えば経済的事情からです。子供が遅く生まれて、2人とも学校に通っているからですが、優雅な老後をおくるには、貯蓄と年金が不十分という事情もあります。現代の中年後期の男達の生活において、時間的なゆとりと経済的事情とは裏腹の関係にあります。もっともこれは中高年だけでなく、若年層でも同じことですが・・。

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心配されるべきは、リタイアしていない私の方だ・・と、苦笑いしながら、私は、彼が案内する香林坊の裏通りにある居酒屋「いたる」に入りました。かすかに雨が降る春先の金沢は「灯ともし頃」の時刻です。

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冷酒「手取川」を飲みながら、彼が低い声で言います。

「この店には例のアレがあるのだよ」

このセリフは、なんだか小津安二郎の映画に登場する、旧友の再会の場面みたいです。映画と違うのは料理が出されるたびに、カメラでパシャリと撮影するT君の仕草です。ご承知の通り、Facebookに載せるためだと思いますが、ひょっとしたら摂取カロリーを管理するために、その日食べたメニューを全部、細君に報告しなければならないのかも知れません。そうだとすれば憂鬱なことです。

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出された料理の写真を撮るのは、最近、レストランや居酒屋で見かける当たり前の光景ですが、これは、料理を作る板前にとっても、緊張を強いられると同時に、励みにもなります。日本料理はもともと見てその美しさを愛でる・・という点で他国の料理と違いますが、写真撮影が流行になって、ますます美しく盛り付けようという意識が盛り上がるのではないか?と思います。

そこで私も、「ようし、今度、僕もいつも行く牛丼屋で写真を撮ってみよう」と思った次第です。

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カウンター越しにT君は若い料理人に小声で言います。

「今日は、アレはあるかい?」

「ああ、ふぐ子ですね。残念ですが今日はありません。 あれを扱う板前が今日は本店の方にいまして、入荷の方も分からないのですよ」

ふぐ子とは、以前の拙ブログにも紹介しましたが、猛毒中の猛毒、ごまふぐの卵巣の粕漬けです。 「しまった、あれに期待してきたのになぁ」

若い料理人は、T君の耳に口を近づけ、

「でもお客さん、ふぐ子なら当店でなくても、この先の角にあるスーパーマーケットでも売っていますよ」 なんと?猛毒のふぐの卵巣を、スーパーで売っているだと?

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代わりに出されたブリの煮付けを食べ、適量の日本酒を飲んでご機嫌になった我々は、お勘定を済ませた後、「いたる」を出て、そのスーパーマーケットに向かいました。

 

以下、次号


【 獺祭と手取川 これはステマではありません 】 [金沢]

【 獺祭と手取川 これはステマではありません 】

 

私事ですが(ブログに私事を書くのは当たり前ですが)、先日、私の次男が成人式を迎えました。その前に20才になった誕生日から、或はその前から、彼は酒をたしなみはじめていました。

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そこで、長男と次男が揃った時に、「お前たち、どんなお酒が好きなのか?」と尋ねました。おそらく回答は「ビールが好きだ」とか「ワインが好きだ。焼酎も飲む」といったものだろうと予想していたのですが、あてが外れました。

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子供達は「獺祭が好きだ。それから手取川もおいしかったので大好きだ」と日本酒の銘柄で答えてきたのです。「うーむ、まだ20代の前半で学生だというのに、なんて生意気なのだ」とは思いましたが、「ほー、そうか、そうか」と答えるしかありません。

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「獺祭」はかなり有名なお酒ですし、どこかで飲む機会があったのでしょう。「手取川」の方は、金沢のホテルで法事をした時に、その後の会食でだされた冷酒を飲んで、その味に感銘を受けたようです。これは私の故郷のお酒です。実は「手取川」は石川県の造り酒屋で醸造している清酒で、その経営者は、オヒョウの中学、高校、大学の同級生なのです。

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「手取川」は全国的に名前が知れたお酒とは言えませんが、通好みの本格的な日本酒です。その一方で、日本酒の初心者にもなじみやすい、口当たりの良いお酒です。

20代で、この2種類の銘柄を挙げるとは、末恐ろしいことだ・・・)。

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しかし考えてみれば、この2種類の銘酒は、おいしいという共通点はあるものの、性格は正反対です(最近、正反対の代わりに真逆という怪しげな日本語を使うのが流行りますが、私はその表現が嫌いです)。

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「手取川」の方は、代々伝わる製法を守り、昔からの杜氏を大切にして、その勘と感覚に頼って酒造りを行うのに対して、「獺祭」の方は敢えて杜氏を廃し、全ての行程をデータ化し、コンピューター管理で酒造りをしています。原料の米粒にしても、獺祭は、大胆に削り落とし、従来の日本酒とは違う味を出しています。

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酒造りを「守・破・離」の3段階に分けるなら、「手取川」は「守」をどこまでも追及しているように思えます。一方、「獺祭」の方は、「破」から「離」に差し掛かっているように思えます。 そう言うと、「獺祭」の方が先を行っているかのようですが、そうではありません。

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日本の芸を習う過程では、守から破、そして離へと進む進化がありますが、酒造りでは、必ずしも「破」、「離」に進む必要はありません。要は飲み手が、どちらを好むかです。

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酒の名前にひねりがあるのは「獺祭」の方です。既に二度、弊ブログでも申し上げたので、くどい・・と言われるかも知れませんが、獺祭というその名前を私は好きです。

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ニホンカワウソは、川で魚を獲っても、すぐに食べません。 川岸の岩の上に獲物を並べて、「さてどれから食べようかな?」と、小首をかしげて思案するような様子を見せるのだそうです。その可愛らしい仕草が、まるで神様にお供え物をしてお祈りしているようだ・・という事から「カワウソの祭り」と呼ばれます。

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それが転じて、選択肢が多くて、選ぶのに迷う・・という、嬉しい悲鳴というか心が弾む情景を獺祭というのだそうです。

ハンサムなボーイフレンドの候補者が多くいて、その中から誰を選ぼうか・・とか、喫茶店のメニューを見ながら、チョコレートパフェにしようかフルーツサンデーにしようか迷うとか、伊藤忠商事と住友商事の内定通知を前にしてどちらを選ぼうか考える・・といった具合です(書いていてアホらしくなりました)。

盃を手に、「今度は手取川を飲もうか、獺祭を飲もうか?」なんてのも獺祭かも知れません。

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さらに言えば、論文やレポートを書く際、資料として活用できるデータやグラフがたくさんあって、その中からどれを選んで、どういう順番に配して、どういうストーリーで理論を展開しようか・・と頭を巡らす状態というのも、一種の「獺祭」でしょう。研究者や執筆家にとっては至福の時間です。

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残念ながら、オヒョウには、満足な論文を書く機会などほとんどなく、レポートを書こうにも資料となるデータが殆ど無い中で、呻吟しながらストーリーを空想するという苦い経験しかありません。 私には獺祭は常に遠い夢だったのです。

獺祭を愛する息子達は、幸いにして、いい学習環境に恵まれ、立派な勉強をできそうです。 長男は、いい指導教授のもとで、意欲的な研究を進めているようです。

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多くの紙の資料に囲まれて、一種の至福の時を過ごした教養人も、その環境を獺祭に例えました。愛媛県の生んだ最高の俳人 正岡子規がそうです。 彼は自分の書斎を「獺祭書屋」とし、自らを獺祭書屋主人としました。

これは夏目漱石の書斎「漱石山房」や芥川龍之介の書斎「餓鬼窟」に比べれば、ずっとセンスのあるネーミングであると思います。

(紙屑で散らかった勉強部屋を獺祭書屋と呼んでいいのなら、私の勉強部屋も十分に獺祭書屋の資格があります)。

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書斎はともかく、「獺祭」は、多くの獲物を前に、心弾むひと時を過ごす際に飲む酒かも知れません。では「手取川」はどうなのか。 地元を流れる川の名前をそのままお酒に付けたストレートさは、潔いと思えるのですが、ではどういう心持ちの時に飲む酒なのか?と訊かれると、その名前からは判断できません。

まあ、飲兵衛というものは、どんな時にもおいしい酒を飲むのだからどうでもいいのですが・・・。

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そして、これもどうでもいいことですが、ニホンカワウソは1970年代に恐らく絶滅したと言われています。最後に目撃されたのは、愛媛県で、当地では今でもニホンカワウソは存在していると信じている人が多いそうです。カワウソがいなくなれば、獺祭の言葉の意味も失われます。 やがて、Dassaiというお酒の名前として残り、カワウソは忘れ去られるでしょう。 でもそれでいいのかも知れません。

 

「ふるさとの酒の歯にしむ獺祭忌」

 

獺祭忌とは、無論、カワウソ絶滅の日ではありません。正岡子規の命日です。

たしか9月だったような。


【 ルビーロマン批判 】 [金沢]

【 ルビーロマン批判 】

石川県産の超高級ブドウ ルビーロマンがいろいろなところで話題になっているようです。私の知己のブログにもお祝いにいただいたルビーロマンを食べた・・という話が登場しますし、NHKの情報番組でも、ルビーロマンを紹介しています。農家が手間暇をかけて慈しんで育て、しかも摘果を繰り返して選び抜いたエリートの作物である事を強調し、さらに、収穫後にノーキョーの厳密な審査をパスしたほんの少量の房だけがルビーロマンのラベルを貼れることなどを説明します。

それに続いて、ルビーロマンのプロジェクトに関わった人が、苦節20年の開発秘話(・・というほどではないただの雑談)を語り、そして最後に、ルビーロマンの粒を出演者が頬張り、そのおいしさに大袈裟に驚く・・という番組構成です。

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食べ物を口にして、そのおいしさに大袈裟に驚いてみせる・・というのは昨今のTV番組のお約束ですから、視聴者の方は驚きませんが、全編を通じて感じるのは、この高級品種の価格が妥当であり、それなりに根拠があることを強調しているかのような番組の筋立てです。

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単なるおいしい食べ物の紹介にとどまらず、商品が高価であることの弁解にNHKの番組が利用されているのです。

ちなみに、ルビーロマンの価格は、JAの通販価格で、一房12,310円だそうです。

子供の頃に読んで感動した名作童話「一房の葡萄」を書いた、有島武郎も驚く価格です。

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オヒョウ自身は、このルビーロマンについて、10年くらい前に畏友T君から聞いたことがあります。なかなか元気の出ない能登の農業を活性化させるための起爆剤として超高級品種のブドウを開発している・・と言う情報でした。

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しかし、この高価格の果物の話を聞いて、私はなんとなく不愉快になり、昔の記憶が蘇りました。金沢の小学校に通った頃、同級生の病院長の息子がお正月にスイカを食べたことを自慢していました。

「お正月にスイカとは珍しい・・」と答えると、「夏にスイカを食べても当たり前さ。雪の降る季節に食べるから面白いのさ。オヒョウは食べた事ないのかい?」との返事です。

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「スイカなんざ、暑い季節にセミの声を聞きながら食べてこそ風情があるのに、冬に食べておいしいものかい・・」と反発したくなるのを我慢しました。高価で珍しい食べ物を食べられない負け惜しみと思われるからです。

その後、米国や中国に暮らし、普通に冬でもスイカを食べました。大陸にある両国は、冬でも、南方で収穫されるスイカを北に運べるから、いつでも食べられるのです。シカゴで食べたスイカは、メキシコやアリゾナ産で、昆山で食べたスイカは広西省や海南島産でした。結論から言えば、冬に食べてもスイカはスイカで、何の違いもありませんでした。

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高価で珍しい果物が登場すれば、また子供達の間で、食べたことを自慢する子や、引け目を感じる子ができるとすれば、罪な話だ・・・。値段の高い果物ほど、罪な存在はないのではないか?

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東南アジアの男性は果物の王様ドリアンを買うために、女房を質に入れるそうですし、映画「男はつらいよ」では、マスクメロンの一切れを争って、家族中が大喧嘩になります。

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だいたい、一房(それも10粒くらいしか付いていない)が12,310円とは・・・一体誰がその価格を決めるのか?

生鮮食料品の場合、生産にかかったコストの積み上げで、価格が決まる訳ではありません。 市場が価格をおのずと妥当な価格に導きます。法外に高い値段を付けても、売れなければ鮮度が落ちて価値は急速に下がり、売れ残ればゴミになります。損をするのは強気な価格を付けた生産者です。だから、自然に妥当な価格に収斂していきます。 

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どんなに高価でも、刹那に鮮度が下がり、傷んでしまえば価値が消滅するものに高い値段を付けることを、経済社会はどうして許すのか?

今回、このような価格設定をしたということは、それでも買うお客がいると見込んでの事でしょうが、いったいどのような客を想定しているのでしょうか? アベノミクスでにわか成金になった人が家族と一緒に食べるためか? 病院経営者が息子に学校で自慢させるために買うのか? いやそうではないでしょう。多くは贈答用、もしくは東京の高級料亭用でしょう。 贈答用・・といえば聞こえはいいですが、つまり一種の賄賂です。 越後屋が悪徳代官に渡す箱の中身です。

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ご承知の通り、高額商品・・というか高級贈答品が飛ぶように売れているのは、日本より中国です。 ローレックスのような高級時計、110万円以上もする高級な白酒(日本の白酒ではありません。バイチュウです)やフランスワインが飛ぶように売れていたそうですが、これは中国の人々が軒並みお金持ちになったからではありません。

全て賄賂用です。 事実、習近平国家主席が腐敗撲滅の号令をかけたとたん、それらはピタリと売れなくなりました。 ルビーロマンも似たようなものでしょう。

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中国に持って行って贈答品にするには、鮮度の問題もあって、難しいのですが、日本国内でももっぱら贈答用でしょう。そして、そのブドウは本当にブドウの味を愛する人の口に入るとは限らないのです。生産者は果たしてそれをよしとするのか?

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そもそも、生産者は、1万円以上するブドウの出荷を誇らしげに語りますが、高コスト・高価格であることは自慢することなのか? オヒョウが従事する鉄鋼の世界では、いかに生産コストを下げるかに心血を注ぎます。 安く製造して自社にとっても顧客にとっても利益となる商品を開発すれば・・・ひいては社会が豊かになるという自負があります。

一方、本来、全ての人に食べてもらい、万民の飢えを癒すのが農作物なのに、いたずらに高級品志向に走る農家の姿勢はそれとは正反対のようです。

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一部のお金持ちか、賄賂を貰う人の口にしか入らない果物を生産することが、能登の果樹園農家の誇りなのか? と、問いただしたくなりますが、そのあたりで止めます。

くどくなると、オヒョウのひがみや負け惜しみと理解されるからです。ご承知の通り、負け惜しみの事を、英語では「酸っぱいブドウ」と言います。無論、イソップ物語の寓話に由来します。

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それはともかく、アベノミクスでも一向に豊かにならない庶民の口には、ルビーロマンなど入らないでしょうし、賄賂を潔しとしない日本で、もしこのブドウが全く売れなかったら、どうしましょう? 強い意気込みをもって、このブドウに賭ける能登の農家は困ってしまいます。さらにもう一段の宣伝をNHKにお願いするしかありません。

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いっそ、能登の食材をPRしようとして、かえって能登のイメージを損ねている、あの連続TV小説「まれ」にルビーロマンを登場させてはどうでしょうか?

貧乏人のためのケーキ作りという主人公のスローガンを放棄して、今度は一部の特権階級のためのフランス菓子作りに挑戦するのです。ルビーロマンを一粒ケーキの上に載せて、15000円でお金持ちのためのケーキとして売り出すのです。

ケーキの名前はもちろん「怒りのブドウ」です。


【 まれに見る ダラケ?について考える 】 [金沢]

【 まれに見る ダラケ?について考える 】

NHKの朝の連続TV小説の「まれ」に注目しています。私の出身地である石川県が舞台であることも理由ですが、低迷する大河ドラマと違い、最近、朝の連続TV小説は面白くて人気があるのです。

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人気がある理由のひとつは、東京や大阪のような大都会だけでなく、地方を舞台にして、登場人物の中に、そこに生きる人々を上手に織り込ませる演出の手腕です。朝の連続TV小説の魅力の1/3はヒロインを演じる女優の人気と器量、1/3は原作のストーリー、最後の1/3は演出と脚本だと思います。ここ数年は、その演出と脚本で成功していると、私は思います。

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地方を舞台とするからには、その地方独特の方言を取り上げ、そのキーワードを流行語にするのが話題づくりの早道です。 三陸を舞台にした「あまちゃん」では「ジェジェジェ!」、 山梨が舞台の「花子とアン」では、「コピッと」、広島県竹原の出身者が多く登場した「マッサン」では「じゃけぇ」でしょうか? それが、能登が舞台の「まれ」ではどうなるか?

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私は、今回、キーワードとなる方言は「ダラ!」ではないかと思います。「ダラ」とは鱈ではなく、バカもしくは阿呆、間抜けに近い、罵りの言葉です。 「ダラ」ではなく「ダラブチ」と言うこともあります。 自慢にもなりませんが、私などは子供の頃、失敗をする度に、親から「本当にダラブチやねぇ」と言われて育ちました。ドラマの中では、さしずめ、大泉洋が演じる父親が「このダラブチ!」と罵られる対象でしょう。

「バカか?」という疑問文での非難の言葉に相当するのは、「ダラケ?」です。

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しかし、そこにひとつの疑問があるのです。一地方の方言の象徴というかキーワードとして用いる言葉に、罵る単語を用いるのはいささか下品ではないか? しかもその方言に詳しくない俳優/女優がその言葉を口にするのは、果たして愉快なことなのか?不愉快ではないのか?

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そこで私は思い出します。竹原市も登場した「マッサン」が、当地広島では今ひとつ人気が無かったことを。

その理由について呉に住む人はこう解説します。

「俳優(女優)が話す、広島弁(竹原弁)が本物ではなかった。広島弁は、少し荒っぽいというか、強い口調の話し方なので、それを真似て真似しきれていないと、なんだか広島人がからかわれているというか、侮辱されたような気がして面白くなかった」。

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たしかに、真似した方言が上手でない場合、地元の人には、なんとなく不愉快なものです。 少し前ですが、民放で「ゼロの焦点」を放送した時、木村多恵が話す金沢弁が全く不自然で興ざめしたのを思い出します。 本人が一生懸命、金沢弁を話そうとする意気込みは伝わるのですが、それがかえって違和感をもたらします。それまで木村多恵という女優が好きだったのに、なんだか彼女まで嫌いになってしまいました。

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関西弁(これも、大阪、京都、神戸で大きく違いますが)や博多弁のように、なじみのあるメジャーな方言ならば、気にならないのに、地方のマイナーな方言だと気になるのです。例えば「マッサン」に登場した大阪弁の場合、堤真一の関西弁がへたくそでも、本物の大阪弁を話す西川きよしが横にいれば許せるのです。 でも金沢弁や能登弁はそうは行きません。

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作品によっては、必ず地元出身の俳優や声優を配して、指導させたり、バランスを取らせる場合もあります。例えば、ジブリのアニメ映画「海がきこえる」では地元高知出身の声優、島本須美を高知弁のコーチとして起用しています。

だから、「まれ」でも石川県出身・・いや能登出身の役者を起用すべきではないか?と思うのです。

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そこで、気がつきます。県外出身の俳優/女優でも、能登弁を上手に真似る人とそうでない人がいることに。 同じように「ダラ!」と言わせても、田中泯や田中裕子の「ダラ!」は本物なのに、他の役者が言うと、偽者と言うか、うそ臭く聞こえるのです。微妙なアクセント、イントネーションの違いです。

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でもこの違いは、役者さん本人達にはきっと分からないだろうな・・と考えた時、これは“ゲレンデの法則”が当てはまる・・・と気づきます。

“ゲレンデの法則”というのは、オヒョウの造語ですが、自分より上位の人たちの優劣は分からない・・というものです。 スキーの初心者には、自分より上手な人たちの優劣は判断できません。 オリンピック級のレーサーも、パラレルやボーゲンがやっとできるだけの人も、とにかく転ばずに斜面を滑って降りてくるのだから、皆同じく素晴らしい・・・ということになります。一方、上手な人から眺めると、転ばずに滑る人の中にも、ウェーデルンの達人もいれば、パラレルがやっとの人、ひたすらボーゲンで滑る初心者と、千差万別で、その優劣というか上手下手の序列は明らかです。

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これはスキーに限らず、多くの習い事、スポーツ、学問で成立することですが、役者さんの世界でも同じだろうと思います。方言を真似て、正確に発音することだけが役者の才能ではありませんが、このドラマの役者の上手下手は石川県人には分かるのです。本人達にはわからないだろうけれど・・・・。

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方言に限らず、言語の世界は常に“ゲレンデの法則”が成り立ちます。先日、それを感じたのは、中国語の達人達の集まりです。 オヒョウ以外は、皆さん中国語の専門教育を受けた人達で、私とは全くレベルが違います。彼ら/彼女らが中国語で話し始めると、全く私はついていけません。 しかし、その彼らの中にも、中国語の上手下手があるようです。 数多くある母音の識別、四声と呼ばれる複雑なイントネーションの使い分けなどは、日本語の方言の難しさと共通します。 さらに圧倒的な語彙の数や表現方法、地方ごとの方言の知識などで優劣がつくのですが、それはもはや私の知覚しえない世界です。

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ああ、やはり私がコメントできるのは金沢弁と能登弁ぐらいだ・・・・(あっ、それに茨城弁も)。

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ところで石川県固有の言葉である「ダラケ?」を別の場所で目にしたことがあります。それはリーダーズダイジェスト誌に載っていた小噺なのですが・・。

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ある高名な牧師がアメリカから日本に招待されて、やってきました。

長野県の高原にある教会でスピーチをしてもらうべく、お連れする途中、田舎道を走りながら、揺れる車内で、運転手が話しかけます。

「石ころだらけの道路でどうもすみません」。日本語が多少分かる牧師は、「“石ころだらけ”とはどういう意味ですか?」と運転手に尋ねます。

運転手氏は、「石ころpebble stones、“だらけ”はso manyの意味です」と答えます。牧師は「わかりました。ありがとう」と答えます。

やがて、満員の聴衆を前に牧師は話し始めました。

「このダラケの皆さん、こんにちは・・・・」、聴衆はあっけに取られ、次の瞬間大爆笑でスピーチは和やかでユーモアのあるものとなりました。

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石川県出身の私には、ダラケ“はちょっと特別な響きがあり、この小噺が少し面白く感じられます。

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やはり言葉は難しい。当分、私は知ったかぶりで中国語について語るのを止めにしよう・・・。ところで、中国語で”ダラ“は何と言ったっけ? 笨蛋(ベンタン)でいいのかな? ああ、罵る言葉の語彙には事欠かない、そんな喧騒の日々を中国で送っていたことを、私は思い出しました。


【 ブルーノ・タウト的ゲテモノ 】 [金沢]

【 ブルーノ・タウト的ゲテモノ 】

 

19世紀から20世紀、日本はいろいろな面でドイツを尊敬しお手本にしてきました。

よく言われるとおり、医学や化学はドイツ流が手本とされましたし、旧陸軍もそうでした。

法律もドイツの法律が参考にされ、明治憲法はプロイセン憲法を範としました。

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昭和の時代の話ですが、東北大学の教授で民法の大家であった中川善之助先生の学生時代のエピソードを本人から聞いたことがあります。彼もドイツを模範とした人物の一人です。

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第一次世界大戦でドイツが敗北したことを受けて、専攻対象としてドイツ法学を選ぶべきか迷った時、先生から「ドイツは敗北しても、ドイツ法学は死なず」と諭されて思い直し、ドイツ法学を選んだ・・という話です。 多分、そう諭した先生は、同じくドイツ民法の泰斗である穂積重遠教授だと思います。 私はこの逸話を1回聞いただけですが、Y教授によると、金沢の人の間では、中川善之助先生のこの話は有名なのだそうです。

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中川善之助教授は金沢の出身ですが、残念ながら私の母校の先輩ではありません。

私は、この話を中川先生が亡くなる少し前、金沢大学の学長だった頃に聞きました。

ちなみに、先日、弊ブログで、国親主義について言及しましたが、この国親主義は米国の思想を導入したものです。ほぼ同時期に、中川善之助先生は少年法の思想とは別に、家族法や身分制度の観点から各自治体の青少年条例について反対していますが、こちらはドイツ流の思想によるものではないか?と考えます。

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中川教授が教鞭を執った東北大学にはその名を冠した中善通りがありますが、なぜか現役の学生である、私の次男はその存在を知りませんでした。

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以上、前置きというか、脱線が長くなりましたが、ここからが本題です。

日本人がドイツを尊敬し高く評価する一方で、ドイツ人で、日本に憧れ日本文化を高く評価した人たちもいます。しかし、第二次大戦前の人たちについては、少しフィルターにかけて考える必要があります。 ナチスドイツが同盟国である日本におべっかを使い、日本人の心に取り入るために、日本文化を賛美した可能性があるからです。 実際、ナチスドイツの人たちで日本文化を本当に理解した人がどれだけいたかは疑問です。

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だから戦前のドイツ人で、非ナチス・反ナチスの人でなおかつ、日本文化を愛した人を探さねばなりません。 そうなると、やはり「日本美の再発見」を著したブルーノ・タウトとなります。彼は特に昔からの日本建築の素晴らしさに最初に感動した西洋人かも知れません。彼は桂離宮を「発見」し、東北地方の美を「発見」し、飛騨地方の「美」を発見し、「伊勢神宮」を発見しました。

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今、TVでは、日本の古民家を紹介したり、社寺仏閣を評価する番組が増えています。

一昨年の伊勢神宮の式年遷宮もブームのきっかけのひとつかも知れません。

しかし、それらの紹介番組に、古くからの日本美(特に建築の美しさ)を、最初に海外に紹介したブルーノ・タウトの名前は、なぜか全く登場しません。

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今、中学生向けの教科書に採用されている、京都や奈良を含めた日本の伝統美を紹介する文章は、和辻哲郎か亀井勝一郎あたりだと思いますが、彼らの文章は少々哲学的で分かりにくいのです。 むしろ直截的な表現で明快に語るブルーノ・タウトの「日本美の再発見」の方がいいのになぁ・・と思います。

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その日本美を愛したブルーノ・タウトが蛇蝎のごとく嫌ったのは、無神経な「和洋折衷」と無分別な洋風建築です。美意識のかけらも無い・・というか、無思慮に、日本的なものと西洋的なものを合体させた建築や品物、或いは単に西洋を模倣しただけの下品なエピゴーネンを、彼は「ゲテモノ」と呼びました。 彼の著作は、原文はドイツ語で、私は日本語訳で読んでいるのですが、ゲテモノ・・の元の言葉を知りたい。

多分、Ein Fälschungぐらいだと思いますが、私は中国語と同じくドイツ語にも暗いので、自信はありません。

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私は、彼の「日本美の再発見」を読んでから、彼の価値観が、私の美意識にとってひとつのモノサシになっています。東北や北陸を旅する時など、どこかに「ゲテモノ」は無いか?という目で見てしまいます。

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すると、悲しいかな、日本は「ゲテモノ」だらけなのです。例えば、旧赤坂離宮の迎賓館です。これはフランスのベルサイユ宮殿の模倣です。政府はこれを迎賓館として国賓級の客人を招きます。しかし、彼らはフランスの本物を見ています。だから、日本の迎賓館を見て驚きます。でも決して褒める訳にはいきません。どんなに豪華であっても、美しい装飾を施していても、その建物は偽物だからです。タウトなら「ゲテモノ」と一刀両断にしたはずです。

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もし、中国が北京の郊外・・・例えば頤和園あたりに、日本の桂離宮のコピーを作り、外国の要人を招いたらどうでしょうか?おそらく誰も褒めず、密かに中国を軽蔑するだけでしょう。同じ事を日本はしているのです。

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今、新幹線の開通により、世の中はちょっとした北陸ブームです。私の故郷石川県が多くのメディアで紹介されるのは、決して不快ではありません。でも、何時の間にか私の知る石川県、あるいは金沢がちょっと変質しているようです。 近江町市場などは庶民の台所で、もっと地味な存在だったのですが、何時の間にか観光客相手の派手な・・もっと言えばケバケバしい存在になっています。

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いろいろなレストランや新しい料理も紹介されています。例えば、ピザパイですが、なんと九谷焼の皿に載せてあります。ピザの上にはなんと金箔が載せてあります。

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名前は「加賀百万石 金のピザ」です。

他人の作品を貶すのは、このブログの本意ではありませんが、ピザと九谷焼のとりあわせは、どうなのでしょうか?

石川県といえば、九谷焼、輪島塗、金箔・・という、ステロタイプというかワンパターンの思考は観光客相手なら仕方ありませんが、そればかり、前面に打ち出すのはいかがなものか?

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そもそも加賀百万石とか金箔というものは、奢侈の象徴です。 一方、ピザはイタリアの農家の昼食用料理から始まった、もともと質素な料理です(今、日本では結構値段が高いですが)。そのアンバランスを作者はどう考えているのか?

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ブルーノ・タウトなら、あまりに日本的な九谷焼は、やはり日本料理用だと考えるでしょう。その器に無理やりイタリアのピザを載せることを彼は評価したでしょうか?あるいは食べ物と器の関係に特にこだわった北大路魯山人なら、なんと言うでしょうか?

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北陸地方、或は石川県だけのピザをアピールするなら、金箔など載せずに、能登半島で獲れた新鮮な魚介類を載せたシーフードピザにするとか、加賀野菜をトッピングしたピザにするとか、石川県だけで生産されるフグの卵巣を載せるとか、あるいは富山湾のホタルイカや白エビを載せるとか、いろいろなアイデアがあるはずです。器はイタリアから取り寄せた、素朴なお皿でいいのです。

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まあ、輪島のアワビをスライスしてピザに載せて美味しいかどうかはわかりません。フグの内臓を載せるとなると、これは海のゲテモノを載せることになりますが、金沢のゲテモノピザ・・というのも、ひょっとしたら評判になるかも知れません。ブルーノ・タウトも、この手のゲテモノなら、歓迎するのではないか?と私は思います。


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