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【 赤光 (しゃっこう)】 [金沢]

【 赤光 (しゃっこう)】

私が呉の勤務先の工場で仕事をしているとメールが入りました。 金沢にいる母の容態が悪化し、緊急入院したとのこと。嫌な予感がしました。

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その日の夕方、さらに「家族は至急来られたし」との病院からの連絡も入りました。そこで、翌日の予定を全て取りやめ、「会社には母の容態が悪くなったのでお休みをください」とメールを打ち、次の日の夜明け前の呉線の電車に乗りました。

山陽新幹線から北陸本線に乗り換え、金沢へ向かいます。前日は寝ていないのですが、胸騒ぎというか、少し興奮していて疲れも感じません。やがて冬の日本海が車窓に見えた頃、唐突に私は奇妙なことを考えました。「赤光」とは何だろうか?

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私は短歌には全く暗い人間です。短歌の話をされても、全くついていけないのですが、文学に詳しい友人によれば、アララギ派の詩人、斎藤茂吉の最高傑作は、歌集「赤光」だというのです。山形県出身の秀才だった斎藤茂吉は東大医学部を首席で卒業(と本人は言っているだけ・・と北杜夫は書いています)し、精神科医として活躍する一方、歌人としても日本文学に大きな足跡を残しました。その彼が、山形に残した老母が重体との連絡を受け、山形へ帰り、母を見送るまでをつづった詩が「死にたまふ母」であり、それを修めた詩集が「赤光(しゃっこう)」です。

http://www.izu.co.jp/~jintoku/mokiti.htm

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しかし、その「赤光」の意味が分かりません。私は、最初、母の亡骸を荼毘にふす時の炎の色が赤かったのではないか?と思いました。実際、短歌の中に「赤赤とした炎」が、登場します。でもどうも違うようです。

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赤い光には仏教の世界で特別な意味がある・・とのこと。仏説阿弥陀経の冒頭に「赤光」が登場し、斎藤茂吉自ら初版本に歌集の名前はそこから採ったと書いています。

だから、全く疑いの余地はなく、「赤光」とは仏説阿弥陀経の一部分なのです。「赤」を「しゃく」と発音するのも仏教風です。

それでもまだよく分かりません。斎藤茂吉がどれだけ仏教に帰依していたかは私には分かりません。また彼の他の作品に仏教的な啓示がある作品があるかも知りません。

仏教的な意味だけなのか?

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ぼんやりと別のことを考えます。白い光や青い光は明るく、眼を射るかのように、視界に飛び込んできます。しかし、赤い光は暗いのです。赤い光は、夜の漆黒の空間でしか、はっきりと見えない場合もあります。 ひょっとしたら天空の星座の中の赤い星の光なのか? それならば、火星、冬のオリオン座のベテルギウス、夏のさそり座のアンタレスなどが思い浮かびます。斎藤茂吉の母が亡くなったのは5月でするから、茂吉が母の葬儀の頃に見たとすれば、火星とさそり座のアンタレスが該当します。

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彼のように、明晰な頭脳を持ち、栄達の道を駆けのぼった人物でも、闇夜を歩くように迷い、目印となる、ほのかなあかりを求めたことがあったのか? そしてそれを「赤い光」と例えたのだろうか? でもそれが彼の母の死とどうかかわるのか?

山形県の老母は彼にとって「赤い光」だったのか?

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私自身を斎藤茂吉に例えるのは、畏れ多いことで、私もそこまで図々しくはありませんが、列車の窓を見ながら、茂吉が「赤い光」として眺めたのは何だったのか?と考えました。

特急電車は手取川を渡り、右側には開通間近い北陸新幹線の車両基地が見え出しました。その瞬間、電車は反対車線の上り電車とすれ違いました。一瞬のことでしたが、その時考えました。 ひょっとしたら「赤光」とは夜行列車の意味もあるのではないか?

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ご存知の通り、列車の最後尾には赤い尾灯が点っています。 夜汽車という存在は、それ自体がもの悲しさと寂しさを感じさせますが、その列車を見送る時、最後に視界から消え去っていくのは尾灯の赤い光です。人を送る時、やはり、心に残るのは赤い光なのだ・・・。

そう言えば、昔の長距離移動は、なぜか夜行列車でした。西日本への旅はよく分からないけれど、北へ行く旅、日本海側へ行く旅はなぜか夜行列車でした。 母の元へ駆けつける斎藤茂吉が乗ったのも夜行列車のはずです。

悲しみを抱えて都会を離れる人、希望に燃えて都会を目指す人、懐かしいふるさとへの家路を急ぐ人、深い疲労感の中に安らぎの地を求めて旅をする人、急を知らせる電報を受け取り不安と悲しみの中で目的地へ急ぐ人、それらを運んだのは夜行列車です。

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今はなぜか違うなあ。北へ行くにも西に行くにも、鉄道の旅は新幹線か昼間の特急列車です。JRは夜行列車を無くし、旅人を真昼の時間帯に猛スピードで運びます。ちょっと詰まりません。

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夜汽車を無くしたのにはそれなりに理由があります。 旅客が体力的に負担の大きい、夜行列車を避けて乗車率が下がったこと、夜間の時間帯を保線の作業に当てたり、走行速度の大きく異なる貨物列車の運行に当てたいということ・・もありますが、最大の理由は違います。 安価で便利な高速夜行バスが登場したからです。 それによって夜行列車の旅はなくなりました。 そして「赤いランプの終列車」の趣は消滅しました。

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元気だった頃のオヒョウの母は博識でした。私は多くの雑学を母から教えてもらっています。可能なら母の意見も求めたいところですが・・それは無理でしょう。

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やがて1113分のサンダーバードは金沢駅に到着しました。ホームに降りると同時に、携帯電話をONにすると、メールが何件も飛び込んでいます。

最後のメールには、「 1113分、亡くなりました 」とだけ書かれています。

不覚にも私は、金沢駅のそのホームで、思わず「ああ」と溜息を漏らしてしまいました。

私は死に目に会えず、老いた母は他界しました。

そして私にとって、「赤光」は依然謎のままです。


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