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【 風樹の嘆 】 [雑学]

【 風樹の嘆 】

 

「風樹の嘆」という言葉を教えてくれたのは、昔、ニュースセンター9時のお天気博士と呼ばれた倉嶋厚博士です。彼は、それまでのTV番組の天気予報のコーナーを大きく変えました。倉嶋氏が登場する前の天気予報とは、新米のアナウンサーが訓練も兼ねて担当するのが普通でした。決められた文字数を決められた時間内に正確に聞きやすく発音することだけが求められ、無味乾燥の機械的な情報番組でした。

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それが、倉嶋氏の登場で変わりました。彼は解説の中に歳時記の説明を取り込み、分りやすく文学を解説し、そして暖かい言葉で視聴者の健康を気遣いました。彼が説明すると真冬の北風も、春のそよ風のように感じられたことがあります。

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彼の登場で、無機質な天気予報を聞く時間は、上質のエッセイを読む時間に切り替わりました。もっと拡大していえば、どんなに単純で機械的な情報伝達作業も、工夫一つで、血の通った視聴者に訴えかける解説に変身することを彼は証明したのです。

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ちなみに気象学を修めた科学者で文学的にも優れた人物を3人挙げよ・・と言われたなら、私は寺田寅彦と新田次郎、そして倉嶋厚博士を挙げたいと思います。

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その倉嶋氏がある日、奇妙なことを言いました。

「明日は各地で風が吹くでしょう。 木々が風になびいて揺れるのを見るにつけ、亡き父母を思って嘆く・・という意味の言葉で、「風樹の嘆」があります。明日は各地で木々が風にそよぐ様が見られるでしょう」

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その時私は、なぜ倉嶋博士がそんな言葉を口にしたのか、理解できませんでした。しかし、それから何年もして、彼が書いたエッセイを読み、そして幾らか理解できたのです。 倉嶋博士の父親は、ある時、深い懊悩と屈託から、仕事を退き、山の中に一軒のお堂を立てて、その中に籠って暮らし始めました。その頃、学生だった倉嶋氏は父の気持ちが理解できず、困惑したとのことです。

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それが今、隠遁した父親の年齢を過ぎて、自分にはなんとなく分かるようになったと、倉嶋氏は自著の中で吐露していたのです。 彼が「風樹の嘆」という言葉を口にしたのは、父親の気持ちを理解できないままでいた自分の悔恨の念として表現したのだ・・。 私はそう理解しました。

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親孝行というのは、どんなに尽くしても、これで充分というものではないようです。皆さん、親に死なれてから思い返してみて、必ず悔いが残るそうです。 まして親不孝の連続だった私の場合、後悔ばかりが残るのですが・・・、では最大の親不孝とは何か?

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それは親の気持ちを理解してあげなかったことではないか?と私は思うのです。 子供の頃に親の気持ちを理解するなんて無理です。 でも大人になってから思い出して、その時の親の気持ちを忖度する・・ということは可能で、誰もがすることです。それが一種の親孝行であり、それができなければ親不孝というのが私の理解です。「風樹の嘆」は親孝行の言葉ではないか?と私は考えます。

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自分が子供を持って初めて親の気持ちが分かる・・と俗に言いますが、それは一般論の世界です。 自分が子供を持つかはそれほど問題ではないかもしれません。 それぞれの家庭、それぞれの親子関係には固有の世界があり、そして、それぞれに独特の思い出と感情があります。 

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それらの記憶を反芻し、敢えて口に出さなくても、親の気持ちが理解できたと思えれば、残された子供は、親との一種の紐帯を見出したように感じ、そして幾らかの安堵感に浸れます。母親の棺に蓋をしてから、私がなすべき作業は、それかも知れない・・。そう私は感じました。

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話を元に戻します。倉嶋厚のお天気コーナーは評判になり、各TV局は、天気予報は視聴率を取れると気づきました。 そしてさまざまな趣向を凝らした天気予報番組が登場しました。 その内、気象予報士という不思議な国家資格ができ、国家が認めた人でなければ天気予報ができない(・・のかな?)事態になりました。

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同じ天気予報でも、気象予報士が読み上げれば的中率が高くなり、普通の人が読み上げれば当たらない・・というのか、或は国が認めた気象予報士なら外れた場合も国が責任を持つ・・というのでしょうか?

その内、街角の易者にも国家資格ができて、国が認めた高嶋易学士の占いなら、国が保証するとか、「当たるも八卦当たらぬも八卦」の代わりに「当たるも国家当たらぬも国家」と言う時代が来るかも知れません。

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またまた話は脱線しましたが、その結果、各TV局はこぞって美人の気象予報士を採用して天気予報を担当させ、番組のショーアップに余念がありません。気象学の専門家なのか、アナウンサーなのか、はたまたアイドルタレントなのか判然としない人物がたくさん現れました。彼女たちが愛くるしい表情で、冬の寒さを訴えると、私などは思わず、自分が寒さを感じているように錯覚します。(彼女たちのおかげで若い男性の天気予報視聴率はあがったに違いありません)。

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しかし、一方で、味わい深い倉嶋博士のようなお天気解説は聞かれなくなりました。天気予報を説明しながら、亡き親を思う心情を、サラッと滑り込ませる名解説はもうありません。でもその代りに、博士のホームページで、名エッセイを読むことができます。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/kurashima/

いつか倉嶋博士に、「風樹の嘆」を解説した時の思いを伺ってみたい・・と思います。


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