【 尾道映画資料館 その2 】 [映画]
【 尾道映画資料館 その2 】
尾道映画資料館の前には、尾道市役所の駐車場が広がっています。市役所を挟んだ反対側、つまり映画資料館の対面には、尾道市の公会堂があります。土曜日で市役所は閉まっており、公会堂の方はその日、催し物がなかったので、海に面した駐車場はすいていました。
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「これは幸運だ」私は駐車場に車をとめて、向かいの映画資料館に入りました。
そこは昭和の匂いがプンプンとする世界です。
かつて映画館に掲げられた多くのポスターが壁に並びます。そこには映画ポスター独特の不思議な絵画が描かれています。つまり写真を元に、絵筆で模写した独特の絵で、私はこれを「映画ポスター様式」と呼びます。昭和時代を知る人には不思議なノスタルジーと既視感をもたらす美術です。
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中心となる展示内容は、やはり「東京物語」にちなんでの小津安二郎と「裸の島」にちなんだ新藤兼人です。価値のある資料もあるのですが・・・ちょっと不満です。
気になるのは、なんだか、2人の映画監督を大御所として祀り上げすぎているな・・・という違和感です。
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日本の映画界は、黒澤明をはじめとして、巨匠とされる映画監督が多くいます。一旦巨匠になってしまうと、まるで無謬であるかのように扱われ、批評は許されなくなります。小津安二郎も新藤兼人も、素晴らしい監督には違いないのですが、持ち上げすぎじゃないかな?
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私にとって、未消化の部分が多く、よく理解できていないのは、新藤兼人の方です。
特に、彼と音羽信子の関係をどう理解すべきなのか?
映画界には、監督がある女優に特別の思い入れを持ち、ヒロインにしばしば起用する例があります。女優の方も監督の期待に応え、ある特定の監督の作品で特に名演技する場合があります。
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その組み合わせは、小津安二郎と原節子(私は原節子よりも杉村春子の方を挙げたい)、山田洋次と倍賞千恵子、佐々木昭一郎と中尾幸世、など様々ですが、当然ながら、監督とその女優が結婚する場合もあります。
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篠田正浩と岩下志麻、周防正行と草刈民代、大島渚と小山明子の場合は、下世話な言い方ですが、映画監督が職権を乱用して、美人女優をものにしたな・・としか感じないのですが、そうでない場合もあります。 新藤兼人と音羽信子の場合は、男女の恋愛というより、同じ志を持った者同士の結びつきのように思えるのです。(決して音羽信子が美人じゃないという意味ではありません)。
同じような映画監督と主演女優の夫婦と言えば、中国山西省の巨匠である賈樟柯(ジャ・ジャンクー)と趙濤(チャオ・タオ)の組み合わせしか思い当りません。
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私はもっと新藤兼人について知るべきなのか? 残念ながら私が知る新藤兼人とは、現役最長老の監督としてマスコミに登場する不機嫌そうな老人です。今村昌平も似たようなものです。
そんなことを考えながら、尾道映画資料館を後にして、私は駐車場へ戻りました。時刻は午後4時半。秋の陽は既に傾きつつあります。これから呉に戻るには、西日に向かってのドライブがしばらく続きます。車に乗ろうとして、私はふと考えました。
「出発する前にトイレに行こう」
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駐車場の入口には親切にも、「尾道公会堂のトイレを使ってください」という看板があり、入り口に向かって→があります。そして公会堂の扉にも表示があります。
「これは土曜日で市役所のトイレが使えないためかな?」
私はそんなことを考えながら、ロビーに入り、半地下の階にあるトイレに入りました。周囲には誰もいません。
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突然、バチンと音がして照明が消え、あたりは真っ暗になりました。
しかし、用を足している最中ですから飛び出すこともできません。 少し恥ずかしかったのですが、大声で「オーイ、まだここに一人いるぞ」と叫びましたが、シーンと静まり返って返事がありません。
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「おいっと呼べども返事がない・・・というのは『草枕』の冒頭だったな。そこで『まるで生ける屍のようだ』と続けば、これはドラゴンクエストか・・」と、くだらないことを思いながら、しかたなく、薄明りの中で手を洗い、私は正面玄関ロビーに出ました。
そこには誰もおらず、全ての電燈も消えていました。 少しイヤな予感がしました。
果たして玄関のドアは全て施錠されていました。開錠するためのドアノブもありません。おそらく遠隔操作で電気的に全てのドアが一度に施錠されたもようです。
どこにも出口はありません。
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「なんてこった。トイレに入った一瞬の隙に鍵を掛けられ、閉じ込められてしまった」。
外を見れば、まだ暮色が迫らない風景が広がりますが、歩く人はまばらで遠くを歩く人ばかりです。 彼らは私に気づきません。
50mほど先には尾道市役所の入り口があり、守衛室にはガードマンがいますが、
寝ているのかTVを見ているのか、或はゲームをしているのか、外の様子には
全く注意が及ばないようです。 さて困った。
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私は意を決して、割れない程度にガラス戸を両手でどんどん叩きました。
ちょうど映画「卒業」でダスティン・ホフマンが、教会の2階のガラスをドンドン叩いたように。 映画ではキャサリン・ロス演じるエレインがすぐに気付いて振り向き、答えるのですが、私が直面している現実はそうではありません。誰も気づかないのです。
「そういえば、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』という曲があったな・・・」と心の片隅でのんきなことを思いながら、私は事態の深刻さを感じ始めました。
以下 次号
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