【 今更ながら 風立ちぬ その2 】 [アニメ]
【 今更ながら 風立ちぬ その2 】
宮崎駿作品に共通する、宮崎駿的なものとは何か? あるいはジブリ作品に共通のジブリ的なものとは何か? 私は幾つも挙げられます。
1. 脱工業社会で自然と慣れ親しむ社会をユートピアとする思想。
(未来少年コナン、風の谷のナウシカ)
2. 多くの作品に登場する飛行機や空を飛ぶことへの憬れ。
(風の谷のナウシカ、紅の豚、未来少年コナン、天空の城ラピュタ)
3. 昭和30年代、あるいはそれ以前の世界への回想と回顧趣味。
→ 私はこれを「三丁目の夕日型ノスタルジア」と言います。
(となりのトトロ、思ひでぽろぽろ、コクリコ坂から、風立ちぬ)
4. ジャンヌダルク型の(色気のない)少女を主人公にして活躍させる少女趣味。
(風の谷のナウシカ、もののけ姫)
5. 欧州的なもの、地中海地域の風景への憬れ
(魔女の宅急便、紅の豚、ハウルの動く城)
6. ファシズム、軍国主義への嫌悪と自由主義への讃歌
(風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、未来少年コナン)
7. 職業的な声優を避け、素人や声優を専門としない俳優の起用
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これらの特徴について、既に宮崎駿は、何本もの作品で主張しつくしてしまったのではないか? 私はそんな気がします。
その結果、最近の作品はこれまでの作品の焼き直しになってしまい、類似した場面が多く登場するようになりました。 それを宮崎は避けたかったのではないか? だから、彼はアニメ制作から引退すると発言したのではないか?
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そして宮崎駿の世界には、他の人の世界と同様、当然ながら矛盾もあります。
反戦思想をうたいながら、人殺しの道具である、戦闘機に憧れます。 その矛盾の極致として、「紅の豚」では戦闘機同士の決戦では機関銃を撃ち合いながら、死者も怪我人も出ません。海賊は優しい海賊で人を傷つけない存在です。 その不自然さを克服することに、かろうじてあのアニメ映画は成功していますが、作品がファンタジーから遠ざかるに従って、それは難しくなります。
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「風立ちぬ」の完成記者会見では、韓国人の記者から「反戦・平和を掲げながら、日本の軍国主義・侵略の象徴であるゼロ戦開発を取り上げるとは矛盾しているではないか?」という愚劣な質問がありました。
宮崎は憮然として「この作品を見て頂ければ軍国主義礼賛でないことは明らか」と答えています。
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ゼロ戦=日本軍国主義、侵略というステロタイプの発想も幼稚ですが、確かにこの質問は痛いところをついています。
男の子は皆飛行機が好きです。なかでも高性能で格好いい戦闘機に憧れます。宮崎駿もその幼稚で素朴な憬れをアニメ作品に投影しているのでしょうが、それは彼が標ぼうする反戦平和とは明らかに矛盾します。戦闘機は人殺しの道具です。彼自身もそれに気づいており、痛いところをつかれた・・というのが本音でしょう。だから嫌気がさして、アニメ制作を辞める・・・ということにはなりませんが・・・。
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そして宮崎駿の引退はスタジオジブリの活動休止につながります。
最近、スタジオジブリは、宮崎駿の個人商店ではないことをアピールすべく、宮崎吾郎、高畑勲、鈴木敏夫といった監督・プロデューサーを前面に打ち出していますが、あまり成功していません。 ジブリに於ける宮崎駿の存在感は依然絶大です。 しかし、スタジオジブリは、もう宮崎駿から卒業すべき時なのです。 彼固有のこだわりを排してでも、新しく、そして良質な映画を提供し続けなくてはなりません。まだまだ挑戦すべき点は多くあります。
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例えば、ジブリ作品の特徴であった美しい絵画のような画面・・も、最近では多くのプロダクションの作品に後れをとっています。 例えば、空や雲の描写では、新海誠の作品にはかないません。 正確な雲の描写や飛行機の画像では、押井守の「スカイクロラ」にかないません。 もはやジブリだけではないのです。
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「風立ちぬ」では、おそらく意図的に、フランスの印象派の絵画のシーンを真似ていますが、油絵風のアニメを作る・・というのなら、それだけで、相当研究する必要があります。まだ世界のアニメ映画では、油絵に対抗できる芸術的な描写を実現していません。
ジブリにはまだまだやるべきことがあります。
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スタジオジブリが、本格的なアニメ映画の制作を休止するという発表は驚きでした。多くのスタッフ・アニメーター達は散らばってしまうのでしょうか? かつて、鉄腕アトムでアニメ作品の先駆けとなった手塚治虫の虫プロは、複数回の倒産を経験しており、その度に多くの優秀なアニメーターが路頭に迷い、日本のアニメ映画は大きく遅れました。 同じことが起こらないように・・・、宮崎駿は最後の知恵を絞るべきです。
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