【 2つの映画 その2 】 [映画]
【 2つの映画 その2 】
シカゴから東京への帰りの飛行機で観た映画のひとつは、山田洋次監督の「小さなおうち」です。 私は、実は、あまりこの映画には期待していませんでした。それでも「男はつらいよ」シリーズが終わった後、山田監督はどちらの方を向いていくのか・・定点観測してみたい・・という思いが私にはあり、この映画を選んだのです。
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結果は予想通り・・というか、期待しなくてよかった・・というものです。以前「東京家族」を見た時と同じ印象でした。がっかりです。 山田洋次はやはり「寅さん」を超えられないままだな・・。そのストーリーを話してしまえば、ネタバレになってしまいますから、詳しくは語れないのですが・・・これは戦前の中産階級の家に仕えた女中の視点から眺めた作品です。
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これとちょっと似たシチュエーションの作品で傑作があります。 戦後の中産階級の家に仕えた女中と、その家の息子との心の交流を描いた、「女中っこ」という作品で、1955年の映画で主演は轟夕起子、その後に四方晴美主演でリメイクされています。
(リメイク品の方はさっぱりです)。
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「女中っこ」と似た感覚を期待したのですが、全く期待外れでした。
主なストーリーは、その一家の奥様とその夫の部下の不倫について、同じ男性に密かに憧れる女中が思い悩む・・というもので、どちらかというと市原悦子の「家政婦は見た」の世界です。ただ、多少上品には描いていますが・・。
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無論、褒めるべき点はあります。 戦後世代が色眼鏡で見ている戦前という時代を比較的正確に表現し、ステレオタイプで眺める若い世代をたしなめています。
戦後の一部の人々は、戦前の(つまり昭和の初期)の日本を暗黒時代と考え、政治は民主的でなく、思想は弾圧され、人権は抑圧され、庶民の生活は困窮を極めた・・と思っているようですが、それは正確ではありません。
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中産階級の家庭には普通にいたという女中(昭和30年代に「お手伝いさん」と改称されましたが)もそれほど悲惨なものではなく、奴隷のような存在と錯覚する孫に、かつて女中だった祖母が憤慨する場面もでてきます。
その場面の表現が原作に由来するものか、山田監督の提案なのかは分かりませんが、その指摘によって、戦前の日本をひたすら否定したがる一部の進歩的映画とは一線を画することに成功しています。
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しかし、それだけです。他には、なるほど・・と思う場面が全くありません。
強いて言えば、外出から帰宅した奥様の帯の向きが逆になっていて、「ああ、奥様は、今日、外出先で帯を一度ほどいたのだ・・・」と女中が理解し、彼女の不貞を知るという場面だけです。そんなことを知っても何の意味もありませんが・・。
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戦前の日本にも、東京の郊外に暮らす幸せな一家がいて、そしてその家族は東京の空襲で失われたのだ・・・という事が理解できた訳ですが、そんなことは昭和世代の人達は昔から知っています。 平成生まれの人については分かりませんが。
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そしてまた、溜息をつきたくなるのは、山田洋次監督の劣化です。彼も他の凡百の監督やプロデューサーと同じく、使い慣れた身内の役者ばかりを起用します。
「男はつらいよ」シリーズの残党・・というか、生き残りを駆使していますが、倍賞千恵子の老婆役や、米倉斉加年の老人役は、正直なところ、あまり見たくないのです。
俳優や女優にしてみれば、老人役もこなして新しい世界を切り開いていく必要があるでしょうが、山田組でそれをしなくてもいいのではないか?
倍賞千恵子は山田洋次監督のもとでは、あくまで妹さくらであり、庶民の若奥さんなのです・・。
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不器用な俳優、米倉斉加年も、まだ老人役がうまくできる段階ではありません。 その不器用さゆえに、若い頃から上手に老け役をこなした笠智衆と同じに考えてはいけません。
車椅子に載った米倉が、戦時中の父母を回顧して慚愧と悔しさの涙を流す場面は、かつて「井上成美」を演じた小林桂樹が戦死した部下を思って涙を流した場面に似ていますが、それに比べるとまだまだ・・です。
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この作品は、現代を生きる若者が、戦中、戦前世代を生きた祖父/祖父の生き方を探り、知らなかった世界を知る・・・という構成になっており、その点では往路の機内で観た「永遠のゼロ」と同じですが、そのレベルは全く違います。 「永遠のゼロ」は多くのことを考えさせますが、「小さなおうち」は、何も残りません。 ある程度昭和を知っている私には新たな感動はありません。
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そしてやはり考えなくてはならないのは山田洋次の小津安二郎へのオマージュです。この作品では、小津作品とのアナロジーを考えるべき場面はあまりありません。強いて言えば、祖母の弔いの後の火葬場の場面は、小津の「小早川家の秋」を彷彿とさせますがそれだけです。 しかし、この作品が小津的であることは、否定しようがありません。
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第一に、この映画は山田洋次があれほど嫌った中流家庭(中産階級)が舞台です。そしてインテリで中流の人々を肯定的に描いています。小津的です。
「晩春」や「秋刀魚の味」を評して、「中産階級の娘が嫁に行くだけの話の、一体何が面白いんだ」とキネマ旬報で語っていた、山田洋次は宗旨替えをしたのか?
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初期の「男はつらいよ」では、徹底して庶民を主人公に据え、庶民階級と気取った中流の人々の対比、知識階級と無教養な主人公の対比で観客の心を掴もうとした監督は老境を迎え、やはり小津安二郎は正しかった・・と理解したのかな?
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老境に入ってからの山田洋次は、作品「おとうと」で市川崑のオマージュにも挑戦していますが、残念ながらこちらも成功していません。市川作品の方が感動的です。
まだまだ才能が枯渇したとは思えない山田洋次がどうして、かつての先輩や同僚の監督の模倣に走るのか?その理由が分かりません。
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小津は60才の誕生日に他界しています。一方、山田洋次は既に80代の半ばに達しています。 今頃、小津の心境が分かり、そのオマージュをするというのはいささか遅いのはないか?
それとも、東大法学部卒の山田洋次が、中学校卒の小津安二郎から多くを学んだ・・というのなら、それは無学な人情家の寅さんが、インテリに優る・・・という「男はつらいよ」や「泣いてたまるか」のモチーフを実践することになるので、それはそれで一貫しているのですが・・・。
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気圧が低く、頭の回転速度が極度に低下した状態で、私はそんなことを考えました。
お早うございます。
拝読。
面白かったです。
相変わらず町興ししてます。「引出」が1つ、2つと増えて、楽しいです。
by 夏炉冬扇 (2014-05-05 08:15)
夏炉冬扇様
コメントありがとうございます。
ながらくブログをお休みしていて申し訳ありません。
書き掛けの文章がいくつもありますので、徐々に
復活していこうと思います。
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2014-05-09 02:42)