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【 3月15日 上野 】 [鉄鋼]

【 315日 上野 】

 

今回は、2か月前に書きかけてお蔵入りしていた原稿を取り出して、書き上げたものを掲示します。季節感の違いなどは、どうかご容赦願いたいと存じます。

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以前、私が中国にいた頃に作った駄句中の駄句「窓を開け、チュンテンライラとつぶやけり」を思い出しました。上野駅を降りて上野公園を歩いていると、桜はまだ蕾ですが、確実に春の陽気です。歩きながら考えます。

チュンテンライラとは春天来了で、つまり春が来たという完了形ですが、ライラ(来了)がいいのか、タオラ(到了)がいいのか、ちょっと迷います。

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普通、タオラ(到了)は動物以外の主語に用い、ライラ(来了)は人や動物の場合に使いますが、春という季節がやってきた場合も使います。電話がかかってきた時も、電話来了と言います。 だからライラでもタオラでも、中国語としては正しいはずですが、詩としてはどちらがいいのか・・? まあ、どちらにしても出来の悪い句ではありますが・・。

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私が唐の詩人賈島なら、「僧は推す」がいいか「僧は敲く」がいいかで悩み、出会った韓愈にアドバイスを仰いで「僧は敲く」を選ぶところですが、さて私は誰に相談すべきか?上野に俳句のアドバイスを貰える詩人はいるかな? などと考えているうちに、私は東京藝大の美術学部に到着しました。

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正直なところ、学生時代に勉強しなかった私には、大学のキャンパスというのは、敷居が高い場所ですが、なかでも東京藝大は敬遠したい学校であり、私には無縁の存在です。東大やお茶の水大学と並んで、私には入学できない・・・・遠い存在でした。

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その藝大になぜ私が行ったかといえば、藝大で教鞭をとる鉄冶金熱力学や冶金工学の研究者である永田教授の最終講義とたたら製鉄の実演があるからです。

東京工大名誉教授でもある永田和宏先生は、日本古来の製鉄方法であるたたら製鉄の研究と和鉄の文化の継承に長く取り組んで来られました。

彼の博士論文は、ジルコニアの固体酸素電池による鋼中の酸素量測定の研究だそうですが、製錬中の酸素量の同定は、たたら操業にも非常に重要な技術です。

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門を入ると、正面の掲示板に、入学試験の合格者が張り出されています。「ああ、合格発表の季節なのだ・・・」懐かしくもほろ苦い思い出ですが、最近の合格発表では掲示板を見に来る受験生は少ないのです。 正確には見に来るのは合格した受験生だけです。不合格の受験生はインターネットで合否を確認したあと、大学に来ることはありません。掲示板の前にはチラホラと合格者が訪れ、掲示板の写真を撮り、そして入学手続きをするために学生部の方に歩いていく若い人達をぼんやりと眺め、私の時代とは随分変わったな・・・と思います。

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それとも東京藝大固有の雰囲気なのかな? よく言われることですが、東京藝大というのは、全く性格の違う2つの学校をむりやり一緒にして大学だということです。

道路を挟んで向かい側にある音楽学部とこちら側の美術学部では全く雰囲気も学生のタイプの異なるのですが、今はなぜか同じ大学です。

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そう言えば、ある会社の経営者が言っていました。「とにかく全く違う会社を一緒にして、ホチキスでガチャッと綴じたような会社だよ」とぼやいていました。どこの会社だったかな・・。確か鉄鋼業界の会社でしたが。どこの会社だったっけ?

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それにしても鉄鋼の研究者である永田教授がなぜ東京藝大の芸術学部なのか?その理由は、私なりに分かります。前述のとおり、永田先生が研究していておられるのは和鉄なのです。和鉄は、日本古来の鋼であり、日本刀や高級な包丁など、特殊な用途に用いられる金属材料です。

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現代の製鉄所で製造される近代的な鋼と比べると、たたら製鉄での製造コストは数百倍にもなり、とても工業材料として経済的に成り立つ存在ではありません。その反面、美術品の材料として和鉄は珍重されるのです。日本刀だって、平成のこの時代、刃物ではなく美術品なのです。 だから、永田先生は藝大で教鞭をとられたのか・・。

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美術学部の中庭に行くと、かなりのひとだかりです。そこには見慣れたシャモット煉瓦を組み上げたたたらの炉があります。 既にヒブセ(火伏)の段階に来ており、ケラ(金へんに母と書きます)の取り出しも、もうすぐみたいです。 実は私は、10年以上前に鹿島製鉄所でたたら製鉄の実験をして、平成の大直刀の製作に関わったことがあります。だから、たたらの風景は見慣れたものです。

人だかりの中心でムラゲ(村下)の装束を身に着けているのは永田教授です。

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その周りを囲んでいるのは、たたらの同好会の人々と学生たちです。 ああ、若い人がたくさんいて、活気があるな・・やはり大学なのだ・・。 後ろに立って、まじめな顔でじっと見つめている人がいます。誰かと思えば、生身の人間には非ず、高村光雲の胸像です。 ちょうどその視線の先に、シャモット煉瓦を積み上げたタタラの炉があるのも、ちょっと滑稽です。

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タタラの操業は順調に推移し、なにがしかのケラを回収して無事終わりました。

まだ夕方というには早い時刻です。明日は永田教授の最終講義です。私はそれを聞きに明日もこの藝大に来る予定です。 それには、オヒョウ同様、東京藝大とは縁がなさそうな、川崎のご隠居も一緒に参加する予定です。

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春の暖かな午後の空気の中、上野の国立博物館の裏を歩きながら考えます。

今の時代になぜ、タタラなのか?そして、和鉄なのか?

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工学の世界では、しばしば温故知新が試みられます。鉄冶金の世界でもそうです。20世紀の後半、製鋼技術は目覚ましく進歩しました。 純酸素上吹き転炉、連続鋳造、真空脱ガス、溶銑予備処理・・・・、ルネッサンスとも言うべき革新的技術が登場し、しかもその殆どが日本で実用化されました。21世紀の現代も日本の鉄鋼業が世界をリードできるのはそのお蔭です。 でもその技術革新が、1990年代以降、急ブレーキがかかったように、滞りだしました。製鋼技術の研究者は、皆新技術を開発しようともがいているはずです。

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だから、そういう時は、古代の製鉄を顧みて、温故知新の考えから突破口を探るのも一案かも知れません。 永田教授にそんな考えがあるかは分かりませんが、タタラにこだわる冶金屋の一部にはそんな考えがあるのではないか?

 

そんな考えを持ちながら、私は、上野駅に向かいました。

 

以下、次号


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