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【 東京物語と東京家族 】 [映画]

【 東京物語と東京家族 】

 

久しぶりに飛行機の中で映画を観ました。しかし、近距離便なので、最後までは観られません。 帰りの機内で後半を観ましたが、それでも、物語の最後までは観られません。

物語が佳境に入ったところで、成田に到着し、この続きはレンタルビデオ店で借りて見るしかありません。 しかし、私はもうその映画を見る気がなくなりました。

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その映画とは山田洋次監督の「東京家族」です。

小津安二郎監督ファンがこよなく愛する傑作「東京物語」のリメイクですが、ひたすら醜悪な偽物になっています。

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若いころ、山田洋次は小津安二郎を徹底的に嫌っていました。「晩春」などを指して「中流階級の娘が嫁に行くだけの話のどこが面白いのか?」と言い、登場人物が中流以上に限定される映画の、プチブル礼賛のような上流趣味に反発したりしていました。

しかし、山田洋次も、日本の家族、家庭というものをいかに描くかを一生のテーマとし、その苦闘の過程で小津安二郎を認めるに至ったのだと思います。

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しかし、小津へのオマージュとしても、そのやり方が露骨で下手です。あまりに似た設定で、全く同じセリフを言わせています。ホテルをそうそうに退散した老夫婦が言う

「とうとう宿なしになってしもうた」

「紀子さん、あんたはええひとじゃ」 などは「東京物語」そのものです。

勿論、山田洋次が意識して同じセリフを言わせているのですが、元の映画を知っている人には、あまり愉快に思えない細工です。

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山田洋次は、「東京物語」だけでなく「秋刀魚の味」からも名場面を盗んでいます。それは飲み屋の女将が亡妻に似ているので、なんとなく通いつめてしまう・・といった場面です。

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小津の「東京物語」を模倣しただけなら、単純に2つの映画を見比べるだけで、コメントを出せます。しかし、小津の複数の作品から、切り貼りのように幾つかの場面を取り出して嵌め込むと、どこからどこまでが小津の模倣で、どこからどこまでが山田のオリジナルなのかが分かりませんから、簡単に評価できません。

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現存する小津の全作品を舐めるように眺めて暗記した一部のファンだけが、正確に評価できるというのは、無茶な話です。ある意味でスニークと言うかカンニングであり、私は愉快ではありません。そして彼はその他のいろいろな点でも小津を模倣しています。

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例えば、人のいない廊下をじっと写したり、建物の外壁などの屋外風景を短時間装入したりする手法です。しかし、小津の場合、緻密な計算で、0.1秒未満、一こま一こまの単位でそのカットの長さが規定されているのですが、山田洋次の場合はそうではありません。(小津も編集者の意見を取り入れて長さを変更したこともあります)。

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そして小津固有の、低いカメラアングルからの固定した画面も、山田洋次は真似していますが、微妙に角度が違います。それにしても、何の酔狂で小津の真似にこだわったのか? 個人の遊びでやるならいいが、なぜそれに観客をつきあわせるのか?

山田洋次のキャメラマンにもプライドがあるはずですが、監督の「小津を真似しろ」という理不尽な指示になぜ唯々諾々と従ったのか? どうにも疑問です。

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そしてストーリー展開です。小津安二郎、野田高梧の脚本には、紀子三部作と呼ばれる作品群があり、いずれもストーリーではヒロイン紀子が重要な役割を果たしています。演じているのは原節子です。 山田洋次の「東京家族」でも優しい性格の娘、紀子が登場します。山田洋次は、勿論ひとつの暗号として、「紀子を登場させた以上、彼女が重要な存在であることに、気づく人は気づくはず」と言いたいのでしょうが、それは余計なお世話です。観客を試すような態度は不愉快です。

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その「東京家族」の紀子を演じるのは蒼井優です。彼女は好感度の高い女優としてCMにも多く登場します。しかし、敢えて、異常なほど平坦な額と水平な眉毛を強調した顔の造作は、古典的な美人を前提にした映画女優のそれとはずれています。彼女を起用した監督の感覚を疑います。

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山田洋次の思想とストーリーは、半分見たところで容易に想像できます。

堅気のサラリーマンにならず、不安定な舞台の美術(大道具)の仕事を続け、かってにガールフレンドと付き合っている次男(妻夫木聡)を、頼りなく不快に思う父親(橋爪功)ですが、実は、一番思いやりがあり、尽くしてくれたのはその次男のカップルだった・・・という意外性は、「東京物語」と同じです。「東京物語」では実の子でなく、息子の嫁で未亡人だった原節子が最も尽くしてくれたのです。

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その種の意外性を持った家族の物語を、私は「リヤ王型ストーリー」と呼びます。

かつて末娘への偏愛を「コーデリアコンプレックス」と名づけましたが、誰も支持してくれません。 多分「リヤ王型ストーリー」という名前も、誰からも支持されないでしょうが・・・・。「東京物語」も「東京家族」も同じモチーフであり、それはシェークスピアに続くのです。

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そして、映画界、演劇界の巨匠である山田洋次が、舞台の大道具や美術の仕事を貶すはずがありません。医学博士の長男よりも演劇界の裏方を務める次男の方が実はまともで人間的に上なのだ・・と言いたい訳です。

普通の真面目なサラリーマンを上等とし、演劇人を下等とする、世の中の価値観に反発したかったのでしょうが、そのメッセージが強すぎます。

山田洋次は、長年「男はつらいよ」で、非インテリ、非就業者(遊び人)の立場を擁護・弁護してきましたが、彼自身は高学歴のエリートです。矛盾を抱えているのは彼自身です

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それ以外にも、無理やり小津安二郎を真似たために露出する矛盾点が、この映画には多くあります。 今時の初老の夫婦が、お上りさんとして東京に来ても、自分で宿を探せないなんてことがあるでしょうか?妻は和服を着て、ホテルの宿泊に馴染めないとか、昔の知り合いを訪ねて一夜の宿を請うとか、事前にメールや電話をしてないとか、ちょっと不自然です。 もう、山田洋次には現代の描写は無理なのか?

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そして、限界を感じる配役についても一言言いたいです。

橋爪功も妻役の吉行和子も一流の役者です。しかし笠智衆でも東山千栄子でもありません。西村雅彦も一流の俳優ですが、山村聡ではありません。もともと違う存在であり、無理な比較をされるいわれは無いのに、なぜこの理不尽な役を受けたのか?

役者たちには残酷な映画です。

そして、ああ、林家こぶ平の存在です。彼は役者でも声優でもバラエティタレントでもありません。全てに不器用です。 この存在は何なのか?少なくとも落語家の真打ではなく、大看板「林家正蔵」でもありません。彼をシリアスな映画に出演させるなど、観客を馬鹿にしているのか?

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小津へのオマージュとして山田洋次個人の思い入れで製作した「東京家族」ですが、無理が随所にあり、観客をそれに付き合わせるのは、困難です。

映画の宣伝のコピーには、「これは、あなたと、あなたの家族の物語です」とありますが、こんなにずうずうしい惹句を見たのは久しぶりです。 そしてこの映画を途中まで見てその思いをますます強くしたオヒョウです。


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夏炉冬扇

今晩は。
気になっていた映画ですが…
月曜少し暑いほど。
お仕事オツカレサマ。
by 夏炉冬扇 (2013-04-22 18:53) 

笑うオヒョウ

夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。

どうしても辛辣な批評を書くと、文章全体が下品になってしまい、後味の悪さが残ります。 次回は、ベタ褒めの映画感想を書こうと思いますが、あいにくいい映画があまりありません。

またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2013-05-04 03:20) 

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