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【 ジャ・ジャンクー(賈樟柯)とその世界 】 [映画]

【 ジャ・ジャンクー(賈樟柯とその世界 】

 

最近、マスコミに頻繁に登場する中国なる国家、どうも気に入りません。明らかに日本を下に見て、ちょうどジャイアンのようなガキ大将が、弱虫の子供に接するがごとくに、アジア諸国に接します。「実に無礼で強引でけしからんではないか! 一体どういうことなのだ?」と、多くの人に訊いたところ、中国が尊大に振る舞うのは、それこそ4,000年の伝統だというのです。実に困ったものです。

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では、国家としての中国には顔をしかめるとしても、一人ひとりの中国人はどうなのか?と考えてみます。 すると、一部の政治家や、芸能人、作家、成金の企業経営者のような著名人以外は、自分が中国人のことを殆ど知らないことに気づきます。私は136000万人の殆どを占める、ごく普通の中国人については無知なのです。

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そんなことはないだろう。いつもオヒョウは自慢っぽく、中国人との会話をブログに書いているだろう・・と言われそうですが、実は、私が付き合う中国人は、本当の意味で普通の中国人ではありません。私が付き合うのは、英語や日本語が話せたり、日本企業で働いていたり、日本をよく知っていて、日本人に対して好意的な人々ばかりで、それが一般的な中国人であるとは限りません。

まして、彼らが日本人の私に語りかける時、日本について本音を語るとは限りません。多少の遠慮と多少の外交辞令、お世辞をまじえる可能性があります。彼らが本当の気持ちを表現するとは限りません。

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何とか、ごく普通の中国人の、素朴な気持ちを知ることはできないものか?

解答の一つは、「ジャ・ジャンクーの映画を観ればよい」というものです。

彼の映画には、中国のありふれた庶民の哀歓が凝縮されて表現されています。

実は映画人にとって、普通の人々のごくありふれた日常を表現する事は至難なのです。多くの映画監督が挑戦し、失敗しています。

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二枚目俳優ロバート・レッドフォードは、自らメガホンを取り、その名も「普通の人々」という、ごく普通の全く魅力の無い駄作を作ってしまいました。 しかし、彼のチャレンジ精神は認めるべきです。 普通の庶民の暮らしには、客を興奮させるドラマツルギーも無いし、心ときめくハプニングも無い一方で、退屈さと辛さだけはあります。それに真正面から取り組んだのですから。

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日本の山田洋次も、普通の人々の、普通の暮らしを描いたかのような作品を作っています。しかし、そう見せているだけで、実は全く普通ではない登場人物が、全く普通ではないストーリーを演じています。普通の家庭に倍賞千恵子みたいな美人がそんなにいるものか・・。

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その中で、普通の人々の、普通の暮らしの哀しみを描いて成功した映画監督がいます。それがジャ・ジャンクー(賈樟柯です。 但し、彼が描いたのは中国の人々であり、文革を経て、その後の激動の時代を生き抜き、今また経済の高度成長期の歪の中で生きている庶民の生活を描いています。彼の映画には英雄は登場しません。品行方正な共産党員も、大金持ちも登場しません。そして、胸躍るドラマチックなストーリーもありません。それでも印象に残るのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%88%E6%A8%9F%E6%9F%AF

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過去の作品では「プラットホーム」、比較的最近の作品では「長江エレジー」、「四川の歌」が特に必見です。

彼の映画は中国だから成功したとも言えます。登場する庶民がドラマチックな人生を送らなくても、社会の方が激変し、かってにドラマを作ってくれます。

だから脚本家は楽なのです。そして中国の万人の観客が共感するのです。

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中国人だけではありません。 異邦人である私も共感します。

生産性が悪く、閉鎖になった工場が取り壊され、その後に高層マンションが建設される風景は、中国ではごく当たり前の風景です。 多くの都市で同じ風景を見ました。 日本に帰った後の私にも鮮やかな既視感をもたらすシーンですが、その工場で長年働いていた人々の哀感にまでは思いが及びませんでした。「うーむ。そうだったのか」と映画を見て気づきます。

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風景を見ても、そこに暮らす人々の気持ちが分からない・・そのモヤモヤした気持ちを吹き飛ばしてくれたのが映画「四川のうた」なのです。

この映画で監督は実験をしています。 ストーリーはすべて実話に基づき、インタビュー形式で多くの人々の人生が語られます。 自然な語り口といい、化粧っ気の無い顔といい、当然本人が出演しているのだとばかり思いますが、実はそうではなく俳優が演じていたのです。

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病床で点滴を受けながら、その昔、中国の東北地方から四川の成都まで引っ越した途中で、子供を亡くした話をある時は涙ながらに、ある時は無表情に語る元工員の老婆は、実は女優だったのです!

リアリズムを追求すれば、俳優/女優と一般人の境界などなくなるはずだ。普通の人を描くなら、普通の人を演じられない役者ではだめだ・・ということでしょう。

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「長江エレジー」の方は、これは役者が演じていると分かります。 国家プロジェクトであった三峡ダムの工事現場は、全国から多くの人たちが集まり、様々なドラマがあります。 妹を探しに来て、立ち退き家屋の解体工事に従事する中年男、単身赴任で仕事をしている夫に、離婚を告げに来る妻・・・。そういえば中国は離婚が多いそうです。

最近の日本も少なくはありませんが・・・。

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ああ、中国でも市井の人々は、日々の哀歓の中で、まじめに暮らしている。日本と同じだ・・。そう思うと、中国という国家は嫌いでも、中国人には親近感がわきます。

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市井のどこにでもある、ちょっとした悲劇、あるいは喜劇を描いて、感動を与えるというのは、優秀な監督にしかできません。 その意味でジャ・ジャンクーは大した男です。

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しかしひとつだけ、ひっかかることがあります。彼の一連の作品に常連として出演する、チャオ・タオ(趙濤)という女優がいます。決して抜群の美人ではありませんが、ごく普通の中国人女性を演じさせて秀逸の女性です。 彼女はずっと長い間、彼の映画の主演女優をつとめていますから、いつかチャオ・タオとジャ・ジャンクーは結婚するのだろうと、多くのファンが予想したのですが、なかなか結婚しません。 

それが最近、さんざんファンをやきもきさせて、やっと結婚しました。 どうせ映画監督と女優はいつか結婚するのだから、早く結婚すればいいのに・・と思ったしだいです。

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でも、見渡せば、早く結婚すればいいのに・・・とやきもきさせるカップルは、私の周囲にもあります。 芸能人のように、すぐにくっついたり離れたりの人ばかりではなく、ゆっくり生きている人がたくさんいます。 やっぱり、ジャ・ジャンクーはありふれた人々の生き方を、そのまま演じているのだ・・と私は思います。


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