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【 アマチュアリズムからの離脱 その2 】 [雑学]

【 アマチュアリズムからの離脱 その2 】

 

なぜレスリングがオリンピック種目から外されたか? その理由の一つはレスリングにはプロがいないからです。「何を言うか?プロレスというものがあり、それと区別するためにアマレスと言うくらいではないか?」というご意見もあるかも知れませんが、プロレスとアマレスは全く別物です。レスリングにはプロ選手はいないと考えるべきです。

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実は、19世紀末に近代オリンピックが始まった頃、スポーツとはアマチュアのものでした。プロスポーツとは、一種の興行つまり見世物であるか、レッスンプロとして他人に教える先生であり、マイナーな存在でした。

当時そのアマチュアスポーツを支えていたのは、欧州では、軍人か学生、そしてスポーツを楽しめる有閑階級の人々でした。一般庶民は、生活のために働き、スポーツどころではなかったのです。

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職業上の理由から、身体能力を鍛える必要があった軍人を別にして、学生といい、有閑階級といい、日々の生活の為にあくせくしなくて良かった人達は、お金の為にする行為をさげすみました。そしてお金儲けとは無関係な事に努力する事を尊びました。アマチュアスポーツの精神はその延長上にあります。潔さや正直さ、公正さとともに、お金の為ではないことが重要です。

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クーベルタン男爵が近代オリンピックを提唱した際、軍人用の種目として近代五種や射撃を入れた以外は、アマチュアリズムを象徴する種目がほとんどでした。

当然レスリングも含まれました。

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しかし、20世紀の2つの戦争が状況を変えました。

第一次世界大戦と第二次世界大戦、あるいはロシア革命は、欧州の貴族階級を没落させ、庶民の声を大きく反映させる世の中になりました。するとオリンピックに象徴されるスポーツのアマチュアリズムに批判の声があがってきました。アマチュアスポーツとは上流階級のためのものではないか?

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一方で、オリンピック選手に世界最高のプレイを求める声も高くなりました。 これは困ったことです。 いくらオリンピックの体操でウルトラCを連発して金メダルを取っても、それはあくまでアマチュアの世界のことで、本当の実力は、ボリショイサーカスや上海雑技団、シルク・ドゥ・ソレイユのサルティンバンコのサーカス団員の方が上だとなると、金メダルの価値も疑われます。

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所詮金の為・・と貴族階級に蔑まれたプロ選手でも、実力はアマ選手より遥かに上というのが、勝負の世界です。 例えば、大相撲の関取がアマチュア選手に負けるとはとても思えません。巨人の1軍選手が、高校野球のPL学園に負けるとも思えません。スポーツではないけれど、将棋のA級棋士がアマチュアの将棋指しに負けることもありえません。 それほどプロとは厳しい世界です。

プロとアマの実力差がそれほどないのは、自転車(競輪)やゴルフぐらいかな?

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実力で勝るプロを排除し、生活にゆとりのある人だけが参加できるアマの世界にこだわることが是か非か?という議論がオリンピックにもでてきました。

貧しい国も含めて、より多くの人が参加できるオリンピックを・・と考えた時に、ヨーロッパ的貴族趣味を基本においたアマチュアリズムを信奉すべきではない・・という発想です。

実際、アマといっても、東側諸国は国威発揚の為に、国家が丸抱えし、優勝すれば、終身での生活と地位を保証するステートアマを登場させました。 日本だって、ノンプロという奇妙な名称で呼ばれる、セミプロ集団がアマチュアの試合に参加しています。

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クーベルタンの思想は「勝ち負けではなく、参加することに意義がある」であり、「政治思想は持ち込まない」であり「金銭的利益を求めない」だったのですが、それは貴族趣味であるとして排除され、最高のプレイで勝利することだけが重視されだしました。

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20世紀の後半から、世の中はプロスポーツに対して寛容になり、アマチュアスポーツの優位性を否定するようになりました。

やがて、オリンピック選手からは「こんなにしんどい思いをするなら報酬を貰わなければ割に合わない」とか「最高の技術を身につけ、世界一になるためには、お金がかかるから、それを補償してもらわなければ・・」という声が出始めました。 

オリンピックに於ける、最後のアマチュアリズムの権化とも言うべき、ブランデージ会長が引退してからは、より技術が優れ、より強ければ、プロが出場しても良いではないか・・というという意見が主流になりました。

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多くの競技は、オリンピックとは別にプロも参加するワールドカップ(世界大会)を持っており、そちらの方がレベルが高く、オリンピックの権威が損なわれるという問題もでてきました。

同時に、オリンピックの大会運営には巨額の費用がかかり、このままでは裕福な国しか開催できない・・。それでいいのか?という問題が示され、それについては、TVの放映権料や協賛企業の広告を認めて、「金儲けできるオリンピックを」という考えが当たり前になりました。

もはや、オリンピックは金まみれです。

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幾つかの種目は、制限付きながらプロの参加を認めるようになりました。その方が試合のレベルが高くなり、観客にも人気がでることも明らかになりました。

その流れの中で、純粋にアマチュアだけで構成される種目は地味でつまらないし、お客が呼べないので儲からない・・ということになったのです。

その中で、レスリングは、古き良き時代のアマチュア精神を大事にしすぎたのです。

そして、オリンピック種目から外されました。

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では、スポーツに於けるアマチュアとプロの関係は今後どうなるのか?

おそらく、その境界が不鮮明になり、オリンピックには普通にプロ選手が出場するようになるでしょう。しかし、アマチュア選手が駆逐されることはないでしょうし、プロとアマは共存共栄になるはずです。

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日本の場合、昭和の時代まで、プロスポーツとは大相撲とプロ野球、プロボクシング、とゴルフぐらいでした。その後、サッカーのJリーグが登場し、バスケットボールやバレーボールもプロのリーグが現れ、野球では12球団以外の独立リーグなるものが登場しました。今ではバドミントンに、サーフィン、スノーボードまでプロ選手が登場しました。しかし、サッカーのJリーグ以外は、どれも経営が厳しいようです。

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日本の経済が沈滞し、多くのプロスポーツを支える余裕がないことも理由ですが、スポーツ選手の驕りもあります。自分は日本で最高のレベルなのだから、他の選手より優れているのだから、当然、プロとしての待遇を社会が用意するはずだ・・というところに誤算がありました。 

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一度膨らんだプロスポーツの世界が、一旦縮小し、やがて再び膨らむ可能性があります。日本では、アマチュアの高校野球に人気があるように、技量としてはプロ未満であっても、アマチュアスポーツにファンがいて、それを応援する人がいます。サッカーにはプロリーグがあっても、ラグビーにはそれがなく、それが当然とされています。

だから日本ではプロスポーツとアマスポーツのバランスが常に変化する状態が続くでしょう。 その過程で、日本で人気のある競技がオリンピックに採用されたり外されたり・・という事が繰り返されるでしょうが、うろたえる必要はありません。

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オリンピックの権威は、昭和の時代ほど高くありません。所詮カネまみれの興行なのであり、アマチュアリズムとはなじまないものです。 そういうものだと理解して、レスリングを応援したいと、私は考えます。

 

 

 


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夏炉冬扇

お早うございます。
なーるほど。プロとアマ。知らない視点からのお話いつもで「面白く」読みました。
畦町起こし、こつこつやってます。
by 夏炉冬扇 (2013-03-05 08:05) 

笑うオヒョウ

夏炉冬扇様

コメントありがとうございます。 返信が遅くなり申し訳ありません。
畦町はすてきな街でいつかまた行ってみたいという思いに駆られますが、
あの黄砂と中国からのPM2.5の話しを聞くと、今の季節はよくないかも・・と
思います。

本当は、日本の国は春が一番すてきだ・・と私は思うのですが。
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2013-03-11 03:11) 

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