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【 雪女伝説 】

【 雪女伝説 】

 

先日、北海道を襲った暴風雪で、9人の方が犠牲になりましたが、その中で特に悲惨だったのは父親と少女が遭難し、父親が亡くなった事件です。

親一人子一人の家庭で娘を、大切に育てていた男が、昼の間少女を預けていた施設に娘を引き取りに行き、その帰り道で遭難した訳です。

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絶望的な状況の中で、少しでも娘を温め、守ろうとした男の気持ち、自分を守ってくれた親を亡くし、天涯孤独となった9歳の少女の気持ちを思うと、あまりにいたましくて、ブログに綴る言葉も見当たりません。

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どこかに・・慰めはないか?どこかに救いはないか?と考えてみます。「不幸中の幸い」という言葉は全くふさわしくありませんが、敢えて使います。

亡くなったのが、父親の方で良かった。 これが逆で娘の方が亡くなっていたら、男の悲嘆はいかばかりだったか?

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もし、娘が亡くなり、男が生き残ったりしたら、その男は、残りの人生を悔恨と贖罪の中で暮らさなければなりません。 では生き残った少女の方はどうか? 彼女は少女時代を忘れられない悲しみの中で過ごすでしょう。簡単ではありませんが、しかしやがて悲しみは癒されるでしょう。悲しみが薄らいだ後に残るのは、自分の命と引換えに自分を守ってくれた親への感謝の思いでしょう。そして感じるのは生きることへの責任感でしょう。

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お説教臭い事をいいますが、私は以下のように思います。

ネガテイブな気持ち(例えば後悔とか、他人への恨み)は、人生を暗く辛いものにし、しばしば生きる力を萎えさせます。 一方、ポジティブな気持ち(例えば他人への感謝の思い)は、人生を楽しくさせ、生きる元気を与えてくれます。さらに言えば、自分は他人に確かに愛されているのだ(愛されていたのだ)と思うだけで、人は強くなれます。

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父親の方が生き残れば、彼の残りの人生はとてつもなく、暗く辛いものになります。そして娘が生き残れば、彼女の人生は他人への感謝の思いに満ちた豊なものになります。だから、少女が生き残った方がまだ救われるのです。

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小泉八雲の小品「雪女」では、遭難した二人の男の内、若い方の男を生かし、老人の方の命を奪います。 北海道で遭難した親子も、死を目前にして雪女に会ったかも知れません。

雪女は尋ねます。「お前たち二人の内、一人だけを助けてやろう」

男は一も二もなく、「娘を頼む、娘だけは助けてくれ!」と言ったに違いありません。

雪女は、ニッコリ笑い「それが当たり前だ」と答えたでしょう。

・・もし男が「自分が助かりたい」などと答えれば、二人とも命が奪われたでしょう。

雪女の約束で、娘が助けてもらえると分かれば、男は安心して眠りについたはずです。 噂に聞けば、凍死した人は、みな安らかな表情で、苦痛が全くなかったことを伺わせると言います。

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雪女と男のやりとりを想像すれば、ちょっとだけホッとします。男は落命する前に、少しだけ救われたかも知れません。 問題は、残された少女の心の傷が何時癒されるかですが、これが問題です。彼女にはすでに母親もいないのです。 悲しみを亡き両親への純粋な感謝の思いに変換するのに、10年はかかるだろうと私は思います。 或いは、少女が母親になり、親の子供への気持ちを実感した時に初めて納得できるかも知れません。

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それには、残された少女を誰が育て、誰が慈しむか・・です。 一般に悲劇は、亡くなった人には一瞬ですが、残された人には、ずっと続くのです。 オヒョウもそこが心配です。 新聞報道には、少女への慰めと励ましの手紙が数多く町役場に届いたとのこと。 こういう励ましは、やはり直筆の手紙がいいですね。FAXでもいいですが、電子メールはダメです。さっぱりです。

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その中に「少女を養子として引き取りたい思いもあり、その準備もある」というものがあったそうです。ちょっと安心し心が温まります。 どこかで松任谷由実の「春よ来い」が聞こえたような気がしました。


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