SSブログ

【 定年坂 】 [雑学]

【 定年坂 】

 

キャンパスに至る緩い坂道を上る途中で、一休みしなければならないようなら、それはそろそろ定年がやってくるということだ・・・という坂道を定年坂と言います。

体力・健康面で全く問題の無い若い学生・生徒を前提に建設した学校では、中高年の教職員にはちょっと負担・・というキャンパスがあるのです。

・・・・・・

有名なところでは、東京の旧府立一中(現日比谷高校)の正門前の坂がそうですが、私の卒業した大学の理工学部へ上る坂も定年坂の一つです。117日の午後、川崎のご隠居と私は、その丘へ上がる坂道をゆっくりと歩いていました。学生時代には、全く気にしなかった坂道なのに、今歩くと少し息が切れます。私は学生時代の恩師が退職されるにあたって行われる最終講義を聴講するために、会社に休みをもらい、やってきたのです。

・・・・・・

ベトナムのプロジェクトがもし長引けば、この日、私は母校に来れなかった訳で、今日私がここにいるのはプロジェクトが比較的順調に進んだからです。私自身は何の働きもありませんでしたが、一緒に働いた人たちが優秀だったおかげです。「自分より優秀な男たちと一緒に仕事をした幸せな男・・・」というカーネギーの墓碑銘をちょっと思い出します。

・・・・・・

今日、私が話を聞きたいのは数学の石川先生、溶接工学の菅先生、人間工学の山崎先生の3人です。いずれも授業を受けてから30年以上経っても、まだ忘れられない先生方です。

実は、私が卒論と修論でご指導いただいた佐藤武先生は、だいぶ前に亡くなられています。ちょうど私がロンドンにいたころです。

山崎先生は私が学生の頃、研究室の助手で、理論の組み立て方など、多くのアドバイスをいただきました。あのアドバイスがなければ、私は論文を書けず、卒業できなかったはずなのです・・。 その先生が教授になり、そして定年を迎えられるのですから、時間の経過を感じざるをえません。

・・・・・・

まず我々は、教養部のキャンパスの学食で昼食をとり、大学生協の書店を覗きます。

基礎科目の分野では、私が学んだ先生が書かれた教科書がまだ残っていますが、専門科目の分野では、もはや知らない先生の書かれた本ばかりです。 ああ、すっかり変わってしまった。 変わらないのは学食のラーメンの味だけだ(値段は変わったけれど)。

・・・・・・

以前、大学を落葉樹に例えた教授がいました(別の大学ですが)。毎年、葉が落ちて替わるように、学生は入学して卒業し、交代していくが、大学はそのまま残る・・という意味でしょうが、学生だった私は「僕は葉っぱかね」とちょっと不愉快に思いました。

・・・・・・

学生の雰囲気も少し変わったみたいです。試験前なのか、皆一心不乱に勉強しています。 考えてみれば私の長男も大学生です。でもキャンパスの学生達は、なんだか息子より大人びています。 自分の息子がいつまでも子供に見えるせいなのか、それとも大学によって違うのか・・、よく分かりません。

・・・・・・

教養部のキャンパス以上に理工学部のキャンパスは変化しています。

正面の階段を上ってすぐ左にあった池も何時の間にか無くなっています。

この池には、就職が決まった学生や院生が放り込まれる・・というとんでもないしきたりがありました。 よく実験の白衣や作業用のつなぎを着た学生が胴上げされた後に放り込まれるのを目撃しました。

・・・・・・

当時もそれなりに就職は大変でしたが、今のような氷河期ではありませんでした。だいたい、初夏から夏休みの間に決まっており、放り込まれても寒くはありませんでした。私が製鉄会社に決まった時は投げ込まれませんでした。 多分、この体重のせいで皆さんが諦めたのでしょう。

・・・・・・

川崎のご隠居と別れた私は、教室に向かいました。

最終講義は、私の時代には無かったモダンな校舎の地下2階の大教室で行われました。聴講希望者は実に多く、その大教室にも納まりきらず、教室の後ろには立って聞く人がたくさんいます。

・・・・・・

最終講義には、大別すると2種類あります。

これまでの研究内容を、総花的にならべて概括的に紹介するものと、細かい研究内容から離れて、学問分野全体や学界・社会の動向や将来展望について解説するものの2種類です。(前者は大抵時間不足になります)。

今回の最終講義では、菅先生は前者で過去の研究業績の紹介、石川先生と山崎先生はどちらかというと後者でした。

・・・・・・

ロビーで山崎先生にお目にかかると、

「やあ、オヒョウ君、久しぶり。随分太ったね。ところで、日本には何時戻ったの?」

先生はどうやら私がずっと外国に行ったきりだと思っておられたようです。

・・・・・・

山崎先生の最終講義には冗談がどんどん飛び出します。

「うるさい男が一人いなくなるから、これで教授会も静かになりますね」とか、「これで、出勤時に、坂で追い越されて悔しい思いをすることもなくなりますね」と言われては、聞き手に回っている教授陣も苦笑いするばかりです。

山崎教授は、定年前なのに、定年坂で他の先生や学生を追い越していたのです。

・・・・・・

湿っぽさの全くない、笑いと笑顔で最終講義は終わり、記念写真を撮って、散会となりました。 さてどうしようか?同級生で教授になっている友達の研究室に寄ってみようかな?と思いましたが、止めにしました。

それは、久しぶりに大学のアカデミズムの中に体を置いて、なんとなく違和感を覚えたからです。 もはや、最新の研究内容については、中身が全く分かりません。それどころか専門用語さえ分かりません。論文なんてものも、随分長い間書いていません。雑誌も読んでいませんし、学会のメンバーからも、とうの昔に外れています。

自分の怠惰というのもありますが、生活のためというか、否応なく、学問から遠い方へ遠い方へと、自分の仕事が移っていったからです。

・・・・・・

「最終講義を聞いていた院生、学生、OB達は、皆賢そうで、現役の研究者が多かったようだな。それに比べて僕は・・。大学時代にもっと勉強しておけばよかった」 私は、そこで初めて寂寥感を味わいました。

・・・・・・

私は、まだ日が暮れていないキャンパスを後にして、帰ることにしました。

定年坂には、一部に雪が残り、路面の一部は凍結しています。 そこで思わず私は足を滑らせ、よろけました。危うく転ぶところでした。

・・・・・・

そこで、不意に昔の川柳が頭に浮かびました。

「佐野の馬、戸塚の坂で 二度転び」 

何の関係も無いのに、唐突に思い出したのです。

(不思議だ・・。ここは戸塚ではなく、日吉なのに・・)。

画像 251.jpg

画像 260s.jpg勿論、太っているのがオヒョウです。

 


nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 4

夏炉冬扇

今晩は。
オヒョウさん元気な笑顔拝見できてうれしいです。
今日は1日忙しくて、ちょっと腰が。ストレッチしてます。

by 夏炉冬扇 (2013-01-20 21:50) 

笑うオヒョウ

夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。

日本へ帰って参りました。 多分 今年は、あまり海外に出かけず、
日本国内で落ち着いて仕事をすることになると思います。

そして九州へ伺う機会も増えそうです。

またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2013-01-21 03:20) 

シカゴ

オヒョウさま。数学の石川先生は多分私の友人の旦那様だと思います。オヒョウさんとそんなつながりがあったとは!!
by シカゴ (2013-02-25 22:16) 

笑うオヒョウ

シカゴ様

お久しぶりです。返事が遅くなり申し訳ありません。
私が石川先生の授業を聞いたのは、日吉の1年生だったころです。
懐かしいですね。

近々、ご主人の会社に訪問する予定ですが、なかなか日程が決まりません。 私の現在の勤務先も、ライバル会社との合併が決まり、風雲急を告げています。なかなかブログを書く余裕も無いありさまです。

またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2013-03-04 03:25) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。