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【 針金のハンガー 】 [映画]

【 針金のハンガー 】

私が千葉県のある街に暮らし始めて気づいたことが幾つかあります。例えば利用するクリーニング店のハンガーが針金ではなくプラスチック製であることです。私が知るかぎり、これまでクリーニング店のハンガーは針金でできていたのですが、それがプラスチックなのです。

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どうでもいいことですが、ちょっと気になります。工業の分野では金属材料と非金属材料が競合することがしばしばあります。

以前のブログ【 彼のカーボン、彼女のベータ合金 】ではスキーのストックの材料について書きましたが、金属とプラスチックの競合は至るところに見られます。ジェット旅客機はだんだん金属部品の比率が下がり、複合材料の比率が上がっています。

しかし、技術的困難は多く、三菱のMRJも一旦複合素材で検討した部品を金属製に戻したりしています。

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内容は全く違うのですが、自動車でも鋼材の比率が下がり、プラスチックの比率が上がり続けています。自動車用鋼材を製造する製鉄会社は、鋼材のライバルを主にアルミ系の軽合金だと考えて対策を進めてきましたが、プラスチックも強敵です。

総じて、鉄と鋼が、非鉄の材料に負け続けてきたのが、平成に入ってからの素材の歴史です。

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スキーのストックや、航空機、自動車に比べて遥かに技術レベルが低い洗濯物のハンガーはとっくの昔にプラスチックに置き換わっていてもおかしくないのですが、今でも針金のハンガーが残っています。 これはなぜか? その考察は後にして、今は映画の話をします。

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アメリカ映画では、私の知る限り、針金のハンガーが2回登場します。

一回目は、名女優ジョーン・クロフォードの一生を描いた暴露物の映画、「愛と憎しみの伝説」で、これも名女優フェイ・ダナウェイが演じる主人公ジョーンが針金のハンガーを叩きつけて養女を折檻する場面です。今で言えば幼女虐待ですが、エキセントリックな主人公の性格を端的に示す名場面・・というか印象に残るシーンです。

娘が高価なドレス(300ドルくらい)を安物の針金のハンガーに架けた事に、母親が怒り「こんなに上等なドレスをこんな安物のハンガーに架けて!」と叱ります。娘は泣きながら謝り許しを乞いますが、ハンガーで叩かれます。

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「しかし、あの場面を見て一番傷つくのは、過去に虐待を受けた経験のある人々ではなく、ハンガー製造会社のひとだろうな・・・」と、当時製鉄会社にいた私は考えました。

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もう一つは、映画「卒業」で、ダスティン・ホフマン演じる主人公のベンジャミンが、アン・バンクロフト演じるミセス・ロビンソンに誘惑されて、ホテルで密会する場面です。

この場面で針金のハンガーは実に効果的に扱われています。

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優等生で真面目な童貞青年ベンは、コートを脱いだロビンソン夫人に対して、なにか優しく手助けするのが男のマナーだとばかり、クローゼットのハンガーを渡そうとします。

扉を開けると、そこには木のハンガーと針金のハンガーがあります。

ベンは、上ずった声で、「木のハンガーにしますか?針金のハンガーにしますか?」とくだらない事を、ロビンソン夫人に尋ねます。 どうしてそんなどうでもいいことを訊くのか?よほど緊張しているのだな・・と彼女は思いながら、「どっちでもいいわよ」と答えます。

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ジョーン・クロフォードとはえらい違いです。

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ベンは「それでは、針金の方を・・」と考えますが、うまく外れません。針金のハンガーは丸いフックでバーに掛ける方式ではなかったのです。 緊張した彼はなんとかハンガーを外そうと苦労しますが、焦ってうまくいきません。仕方なしに木のハンガーを外して彼女のコートを受け取ります。

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短い場面ながら、経験豊富なすれっからしの女性とも言えるロビンソン夫人と、真面目な童貞青年のベンジャミンの対比が実に明確に示されています。

初めてこの映画を見た時、高校生だった私は、この場面の意味がよく分からなかったのですが、やがて大人になり、いろいろ自分が緊張する場面を経験した後、この演出がよく分かるようになりました。

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今でも、若い人が緊張のあまり、突飛なことをしたり、不自然な行動をすると、思わずニヤッとして、密かに心の中で応援したくなり、針金のハンガーをガタガタ動かすダスティン・ホフマンを思い出します。

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実は針金・・とはそんなに簡単なものではありません。

本当か嘘かわかりませんが、東西冷戦時代、アメリカとソ連のスパイはそれぞれの国のホテルのハンガーを持ち帰って分析したそうです。 針金のハンガーひとつでその国の工業水準が分かるのです。

針金は軟鋼の典型ですが、それなりに降伏点と破断強度があります。引っ張った時の強度は、鋼材の品質に依存します。つまり、それで鋼材の品質が推定できます。それに疲労強度も測定できます。

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20世紀の末まで、旧ソ連には平炉がありました。1970年代まで中国には土法高炉がありました。勿論近代的な高炉=転炉法で製造するアルミキルド鋼もありましたが、それらは重要な用途に回され、最も駄物であるハンガーには、その国の最も低級な鉄が使われました。つまり底辺の鋼材の品質でその国の製鉄産業のレベルが分かったのです。 ハンガーを馬鹿にしてはいけません。

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ハンガーに使う針金は駄物ですが、高炭素鋼にして、強度を上げるとより高級な材料になります。つまりピアノ線です。この登場でピアノが完成しました。 バッハの時代には良質なピアノ線がなくて、ピアノが作れなかったのです。

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炭素が入った強靭な鉄をハガネ(鋼)と呼びますが、これは刃物用金属という意味ですから、兵器や凶器用の材料という意味になります。せっかくの材料なのにはなはだ物騒な名前です。 それに比べて針金の方は高炭素化で、ピアノ線という優雅な名前を貰った訳です。

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同じ針金になるのでも、ハンガーよりはピアノ線がいいなぁ。

多くの材料が鉄からプラスチックへ置き換わる流れの中で、ギターの弦はともかく、ピアノの線だけは鋼線のままで生き残るでしょう。 

ちなみにピアノは中国語では鋼琴と言います。 


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